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こんにちは。今回の探究へようこそ。
今日はですね、一枚の生物画、セザンヌの林檎とオレンジ、これにぐっと迫っていきたいと思います。
テーブルの上に果物がいくつか。
まあ一見するとすごく穏やかで、どこにでもあるような光景ですよね。
でもこの作品は、実は西洋絵画の歴史そのものを大きく変えた、新しい扉を開いた、なんて言われてるんですよ。
それって一体なぜなんでしょうか。手元にあるこの絵に関するいろんな解説資料を読み解きながら、その秘密を探っていきます。
今日のミッションは、なぜこのありふれた果物の絵が、これほどアートの世界を変える力を持ったのか、その確信にあなたと一緒に迫ることです。
セザンヌは、よく近代絵画の父って呼ばれますよね。
ピカソみたいな20世紀の巨匠たちが、みんな口を揃えて彼の影響を語っている。
その事実だけでも、このリンゴとオレンジには、単なる写実的な描写を超えた、何か特別なものが隠されているんだろうなってことがわかりますよね。
単に果物を描いただけじゃない、もっと根本的なものの見方に関わるような、そういう確信がここにあるんです。
なるほど。まずは基本的な情報からいきましょうか。作品名はリンゴとオレンジ。
描いたのはフランスの画家、ポール・セザンヌ。製作年は1895年から1900年頃。
後期印象派、ポスト印象派の時代ですね。今はパリのオルセイ美術館にあります。
さて資料を読んでいくと、やっぱり最初の疑問は、なんでこれがそんなに特別なのってことですよね。
本当に見た目は普通の性別が、でもその普通に見えるところに、実はセザンヌの革命が隠されていると。
そこを解き明かしていきたいですね。まさにその普通に見えるっていうのが実は鍵なんですよ。
セザンヌより前、特にルネサンス以降の西洋絵画っていうのは、世界を一つの視点から、まるで写真みたいに正確に捉えようとする、
あの一点透出法が主流だったわけです。見たままの光景を矛盾なくキャンバスに再現する。
それが画家の腕の見せ所だった。遠くのものは小さく、近くのものは大きく。
消失視点に向かって線が集まっていく。ちょっと数学的とも言えるような空間表現ですね。
そうそう、それです。でもセザンヌは、その一つの正しい視点っていう考え方自体に疑問を持ったんですね。
彼がやろうとしたのはもっと複雑なんです。資料にも構築主義って言葉が出てきますけど、
これは彼が対象物をどう捉えようとしてたかを理解する上ですごく重要で、
セザンヌは例えばリンゴを描くときに、それを一つの視点から見た見た目だけを描くんじゃなくて、
上から見たときの丸みとか、横から見たときの膨らみ、ちょっと斜めから見たときのくぼみとか、
そういうそのリンゴが持っている本質的な形みたいなものをいろんな角度から見て、それをキャンバスの上で再構成しようとしたんです。
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へー、つまり一枚の絵の中に複数の視点からの情報が組み込まれているってことですか。
例えばテーブルの縁が右と左でちょっと角度が違うように見えたりとか、そういう?
そういうことなんです。よく見るとこのリンゴとオレンジでもテーブルの線が微妙に歪んでたり、
あと果物が置かれている角度が現実の物理法則からすると、ん?って思うようなちょっと不自然に見える箇所があったりするんですよ。
でもこれは失敗じゃなくて意図的なもの。
セザンヌは私たちが頭の中で対象物を認識するときのプロセス、
つまりいろんな角度からの経験とか記憶を統合して、
あ、これはリンゴだって理解するプロセスに近いことを絵画でやろうとしたのかもしれない。
これはもう伝統的な遠近法からのはっきりとした理反ですよね。
視覚的なリアリティよりも対象の存在感とか構造的な確かさ、そっちを重視するっていう姿勢の現れなんです。
なるほど、見たままじゃなくて知ってる形を再構築するみたいな感じですかね。
それは確かに絵画が目指す方向をガラッと変えるような大きな一歩な気がしますね。
じゃあもう少し具体的にこの絵の構成を見ていきましょうか。
資料によると画面の中央には白いテーブルクロス、
その上にリンゴやオレンジがなんか小さな丘みたいに集まってますね。
特に赤いリンゴが目立ってる。
そうですね。
そして背景に注目してほしいんですけど、
果物とかテーブルクロスとは対照的にすごくシンプルにちょっとぼかした感じで描かれてるじゃないですか。
壁紙の模様みたいなものは見えるけど細かくは描き込んでなくて色も抑えめ。
これは見る人の視線を手前の生物の形と色に集中させるためのまあ意図的な戦略でしょうね。
空間の奥行きを出すっていうよりは色彩の対比で手前をぐっと際立たせている。
あーなるほど。
中央の少し左寄りにが白い陶器のピッチャー。
水差しですかね。
これも見えますね。
これも面白い。
縁のところに青い模様があって光と影の描き方で硬い陶器の質感とか丸みがちゃんと表現されてる。
このピッチャーがあることで果物だけよりも高さとか垂直な感じが加わって画面に安定感となんかリズムみたいなものが生まれてる気がします。
その通りですね。
そしてそのピッチャーの周りとかテーブルの手前の方にリンゴやオレンジがいくつか転がってますよね。
一見無雑作に置かれているように見えるんですけどこれも一つ一つが全体のバランスを考え抜かれた配置なんです。
例えば右端のオレンジなんてもう画面から転がり落ちちゃいそうなくらい端っこにある。
これが画面に広がりを与えている。
左側のリンゴはテーブルクロスの売りにしっかり乗ってて安定感がある。
この散らばり具合が生物画なのにどこか動きとか時間の経過みたいなものまで感じさせるんですよ。
そしてなんといってもこのテーブルクロス、資料でも結構強調されてますけどただの白い布じゃないですよね。
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シワとか折り目がもうまるで生きてるかのようにすごくダイナミックに描かれてる。
布の柔らかさだけじゃなくてなんかある種の硬さとか良感みたいなものまで感じさせる。
この複雑な陰影、特に影の部分に使われている青みがかったグレーが布の白さを引き立てつつ、
それ自体が画面の重要な構成要素になってますよね。
まさにこのテーブルクロスは単なる背景じゃない。
果物たちと同じくらいこの絵の主役の一つと言ってもいいかもしれない。
その起伏に富んだ形が丸い果物の形と対話して画面全体に複雑なリズムを生み出してるんです。
セザンヌはこの布のドレープ、ひだを描くことにものすごく注意を払ったって言われてます。
これもやっぱり表面的な質感だけじゃなくて布が空間の中でどう存在しているのか、
その構造を描き出そうとした試みなんじゃないでしょうか。
あなたもちょっとこの布の質感を想像してみてください。
指で触ったらどんな感じがすると思います。
見た目以上に重さとか布が作ってる空間感じません?
感じますね。なんか彫刻みたいですらありますよね。
では色彩についてはどうでしょう。
資料には使われている色の詳しい分析がありますけど。
色式もセザンヌの革新性を理解するにはやっぱり欠かせない要素ですね。
まず果物。
リンゴは鮮やかな赤だけじゃなくて黄色とか緑が複雑に混ざり合ってて、
単なる赤い球体っていうより光を受けて変化する、
量感のある存在として描かれてる。
オレンジも同じで明るいオレンジ色の中に陰影とか他の色が重ねられてるんです。
単色でベタっと塗るんじゃなくて細かい筆使いというか、
色のパッチを重ねて形作ってる感じですね。
これって印象派の技法にも通じる部分はあるんですか?
うん。技法的には共通点もあるんですけど、目的が違うんですよ。
印象派が光の変化による瞬間的な印象を捉えようとしたのに対して、
セザンヌは色彩を使って対象が持っている高級的な構造とか、
量感、ボリュームですね。それを表現しようとした。
色を形を作るための要素として使ってるんです。
例えばテーブルクロス。基本は白ですけど、影の部分には青とか灰色、
時には緑っぽい色まで使われてる。
この三色系の影と果物の暖色系の赤やオレンジが見事な対比を生んで、
お互いを引き立て合ってるんですね。
あの白いピッチャーも微妙な色の変化がありますよね。
真っ白じゃなくて光の当たり方で青みがかったり黄色みがかったり、
そしてアクセントの青い模様が全体の色彩を引き締めてる感じがする。
背景の色使いもすごく計算されてますよ。
淡いグレーとかベージュとか、壁紙の模様に使われている緑とか、
全体的に抑えられた色調です。
でもこれらの色が手前のさべやかな色彩と響きあって、
画面全体に統一感と深みを与えているんです。
セザンヌは一つ一つの色を隣り合う色との関係性の中で、
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ものすごく慎重に選んで置いていったんだと思います。
なるほど。形だけじゃなくて、色によっても対象の存在感とか、
画面全体の構造を構築しようとしていたと。
形・色・空間の調和という言葉が資料にありますけど、
まさにそれを体現している感じですね。
果物の持つ高地な重みとテーブルクロスの流れるような動き、
そしてそれらを取り巻く空間、
それらが色彩によって見事に結びついてるんですね。
セザンヌは自然を円筒球・円錐として捉えようという有名な言葉を残してますけど、
それは単に形を単純化しろっていう意味じゃなくて、
目に見える世界の背後にある基本的な構造、
幾何学的な秩序みたいなものを見抜いて、
それをキャンバスの上で再構築しようとした、
彼の強い意志を表しているんだと思います。
このリンゴとオレンジはその探求のまさに
園塾記における傑作の一つと言えるでしょうね。
さて、ここからがこの探求の革新に迫るところですね。
この一見アカデミックとも言えるような絵画の探求が、
なぜそこまで後世に衝撃を与えたのか、
資料にはその影響力の大きさが繰り返し強調されています。
特にパブロ・ピカソとかジョレジュ・ブラックといったキュービズムの創始者たちへの影響ですね。
まさにピカソはセザンヌのことを
我々みんなの父親って呼んで最大限の敬意を払いました。
異性派の巨匠たち、例えばモネとかピサロも
セザンヌの独自性をすごく高く評価してたって言われてます。
なぜならセザンヌが示した道っていうのは、
それまでの絵画が目指してきた方向とは全く違うものだったからです。
見たままを再現することから対象を分析し、
画面上で再構築することへその転換点を作ったということですね。
その通りです。
セザンヌの対象を複数の視点から捉えて、
その本質的な形を画面に定着させようとする試み、
これがピカソやブラックがさらに対象を徹底的に分解して
幾何学的な断片として再構成するキュービズムへと直接つながっていくわけです。
キュービズムのちょっと奇妙に見える多視点の表現は
セザンヌがいなければ生まれなかったかもしれない。
セザンヌが扉を開いてその先へ進んでいったという感じです。
セザンヌ自身も自分のやってることの先進性みたいなものは感じてたんですかね。
資料には自分は早く生まれすぎた次の世代の人間かもしれないと
彼が語ったなんていう記述もありますけど。
ええ、彼はある種孤独の中で自分の芸術をとことん突き詰めた人ですからね。
同時代の印象派の画家たちとは違って、
彼はパリの喧騒から離れて故郷のエクス・アンプロバンスで製作に没頭することが多かった。
彼の探求はすぐには広く理解されなかったわけですけど、
その進化は彼の死後急速に認識されるようになります。
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19世紀末から20世紀初頭っていう芸術が大きな変革期を迎えるまさにそのタイミングで
セザンヌは決定的な役割を果たしたんですね。
ではこの話をまとめていくと、
このリンゴとオレンジっていう作品が100年以上経った今、あなたにとって持つ意味って何でしょう。
なぜ遠い昔のフランスの画家が描いた果物の絵が私たちに関係あるのかって考えると、
それはこの絵が物事を一つの決まった見方で捉えるんじゃなくて、
もっと多角的、複眼的に見る可能性を示しているからじゃないでしょうか。
リンゴはこう見えるはずだとか、空間はこうあるべきだみたいな、
私たちの無意識の思い込み、固定観念に対して、静かにでも力強く疑問を投げかけているような。
そうですね。
狩猥はリンゴとオレンジっていうこの上なく日常的で普遍的なものです。
でもセザンヌはそのありふれたモチーフを通して、
私たちが世界をどう認識してどう表現するのかっていうすごく根源的な問いを探求したわけです。
彼の作品は単に美しいだけじゃなくて、私たちの見方そのものに挑戦してくる。
それは美術の世界に限らず、私たちが複雑な現実を理解しようとする時にも、
何かヒントを与えてくれるような気がしますね。
ここで一つ重要な問いが浮かび上がりますね、と資料にもありますけど、
芸術における革新っていうのは、もしかしたらこういう誰もが知っている身近なものを、
全く新しい目で見つめ直す、そこから生まれるのかもしれないですね。
特別な主題とか奇抜なアイディアだけが革新じゃないってことか。
まさに、日常の中に進んでいる当たり前とされていることへの問いかけ、
そこにこそ新しい発見の種があるのかもしれない。
セザンヌの探求はそのことを教えてくれているような気がします。
今日の探求を振り返ってみましょうか。
ポール・セザンヌのリンゴとオレンジは、ただ果物を美しく描いた生物画ではなかった。
それは、対象の本質を捉えようと、見ることそのものを深く問い詰めた画家の格闘の記録であり、
伝統的な再現の芸術から分析と再構築へと向かう、
近代映画の大きな転換点を示す記念碑的な作品だったと。
そしてそれは、近代映画の父と呼ばれるにふさわしい構成への計り知れない影響力の根元になったということですね。
その通りだと思います。
最後に、あなたに一つちょっと考える種というか、問いを投げかけてみたいんですけど、
セザンヌが試みた対象を複数の視点から捉えて、一枚の画面に統合するっていう考え方、
これを映画っていう枠を越えて、私たちの思考とか認識に応用するとしたら、どんな可能性が見えてくるでしょうか。
例えば、社会が抱える複雑な問題とか、
あるいは自分とは違う意見を持つ他の人を理解しようとするとき、
私たちはどうやって様々な視点や情報を自分の中で統合して、
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より本質的な理解に近づくことができるのか。
セザンヌがあのリンゴやオレンジと格闘したように、
私たちもまた目の前にある現実を多角的に捉えて、再構築していく必要があるのかもしれない。
そんなことを考えてみるのも面白いかなと。
複数の視点の統合、日常のあらゆる場面で応用できそうな深い問いですね。
考えるヒントをたくさんいただきました。
今日の探求はここまでとしましょう。
セザンヌの生物画に込められた静かな、でも強い意思みたいなものを少しでも感じていただけたら嬉しいです。
ご一緒いただきありがとうございました。