1. 名画サロン
  2. 46 セザンヌ「サント・ヴィ..
2025-09-10 10:58

46 セザンヌ「サント・ヴィクトワール山」

46 セザンヌ「サント・ヴィクトワール山」:印象派を超え、近代絵画の扉を開いた「構築」への挑戦

サマリー

ポール・セザンヌの「サント・ヴィクトワール山」は、1885年から1887年にかけて描かれ、彼の故郷であるプロバンスを象徴する重要な作品です。この絵を通じて、セザンヌは自然の再構築を探求し、その結果、近代美術、特にキュビズムに大きな影響を与えています。

サント・ヴィクトワール山の探求
こんにちは。今回は、ポール・セザンヌのサント・ヴィクトワール山、この一枚の絵画を皆さんと一緒に深く見ていきたいと思います。
ある画家が故郷の山を生涯を通じて何度も描いたわけですが、その中でも特に重要とされる1885年から87年頃の作品ですね。
セザンヌが南仏の一見ありふれた山に何を見出して、それをどうカンバスに表現しようとしたのか、そしてその道調か、後の芸術にどれほど大きな影響を与えたのか、そのあたりを資料を手がかりに探っていけたらなと思います。
なぜ同じ山を何度も、ということと、特にこの時期の作品が持つ意味ですね。資料を読み解きながら、セザンヌの探求の革新に迫っていきましょうか。
ぜひ。
では早速、基本的な情報からですが、制作年度は1885年から87年頃、セザンヌが40代後半ですね。
そうですね。ポスト印象主義、ワシントンのフィリップスコレクション所蔵と。
このサント・ヴィクト・アール山、やはりセザンヌにとっては特別な存在だったんでしょうね。故郷・プロバンスの象徴と資料にもあります。
まさに、単に景色が良いというだけじゃなくて、もっと彼自身の探求すべきテーマと深く結びついていた、そういう感じがしますね。
プロバンスの独特の空気感とか、強い光とか。
そしてこの山の持つ、なんというか、どっしりとした量感?骨太な感じ?それがセザンヌの探求心を刺激したんでしょう。繰り返し描くことで、その本質に迫ろうとした。
なるほど。で、この作品が描かれた時期というのがまた重要なんですよね。セザンヌがいわゆる印象派のグループから離れて、独自の道を歩み始めた時期。
セザンヌの色彩と構造
そうなんです。資料にもありますが、彼はもう印象派の手法、つまり光の移ろいや、表面的な印象を捉えるだけでは、ちょっと物足りなくなっていた。
ええ。
もっと高級的なもの、もののかっこたる存在感とか、自然の基本的な構造、そういうものを画面に定着させたい。
うーん、目に見える変化の奥にある構築性とでも言うようなものですか?
まさに。映画は現実を映すだけじゃなくて、それ自体が一つの構築物であるべきだという、そういう考え方ですね。
その構築性への意識がこの絵の構図にも現れていると。資料で斬新な構図と指摘されている点、手前の左右の大きな松の木、これ面白いですよね。
非常に意図的だと思います。これが視線を中央の山へと自然に導く役割。
はい。
でもそれだけじゃないんです。この松があることで、映画空間の手前が、こう、はっきり意識される。
ああ、なるほど。奥行きをスムーズに見せるんじゃなくて、むしろ。
そう、あえて手前にアクセントを置くことで、画面の平面性、つまりこれがエグが塗られた二次元のカンバスなんだ、という物質的な事実をむしろ意識させているとも言えるんです。
平面性の強調ですか。普通の風景画とは逆の発想ですね。
そうなんです。もちろん奥行きを完全に否定したわけじゃないんですが、ルネッサンス以来の、こう、窓から見た景色、みたいな、そういうイリュージョンを作り出すことにはもう関心が薄れていた。
ふんふん。
むしろ、色と形、それから筆したち、タッチですね。それを重ねることで、平面の上にどうやって対象の量感、ボリューム感や存在感を再構築できるか、そっちに関心があった。
筆したち、タッチですか。確かにこの絵、よく見ると、特に山の部分なんか、ベタッと塗られてるんじゃなくて、短いストロークが重ねられてますよね。
ええ。
この絵のようにも、山は青、緑、茶色などが使われ、光の当たり具合で色が変わるように見える、とありますが、この色彩表現も単に見たままの色じゃないんですね。
まさに、セザンヌにとって色彩は対象の色を再現するためだけじゃないんです。むしろ色彩はフォルム、つまり形を作り出すための要素だった。
形を作り出すための色。
そうです。例えば山の斜めの青とか緑、オード色っぽいパッチ。あれは光や影、あるいは岩肌や草木の質感を示すと同時に、隣り合う色との関係性で形そのものを定義していく。画面全体にリズムと構造を与えているんです。
なるほど。印象派が光の変化のために色を使ったのに対して、セザンヌは形を構築するために色を使ったと。
ええ、そういう言い方ができると思います。これは大きな違いですね。
ということは、彼がサント・ビクトワルサンを何度も描いた理由っていうのは、美しい景色だからっていうよりの、むしろこの山をモデルにして自然の形を絵画としてどう再構築できるか、その実験を繰り返していたということでしょうか。
まさにその通りだと思います。彼にとってこの山は格好の実験台だったわけですね。
実験台。
安定しているけど複雑な形を持つこの山、これを繰り返し描くことで自然の向上を理解して、それを絵画独自の言葉に翻訳する方法をずっと模索していた。
セザンヌとキュビズムの影響
資料にも、自然を奇学的な形に分解し、それを再構成する試みとありましたね。
そこが重要なんです。自然・遠投・急・遠吹によって捉えよっていう、あの有名な言葉にもつながっていきます。
この作品でも確かに山や木々いえいえが、なんとなく基本的な形の組み合わせみたいに見えるような気もしますね。
ええ、その模画はこの時期の作品にもはっきりと見て取れます。複雑な自然をもっと単純で普遍的な奇画学的フォルムに還元していく。
そしてそれを画面上でこうガッチリとした構成として組み上げる。
その自然を分析して再構築するアプローチ、それがセザンヌが近代映画の父と呼ばれる理由であり、後の芸術への影響につながるんですね。
そうですそうです。特にキュビズムですね。
キュビズム、ピカソとかブラックとか。
ええ、彼ら若い画家たちがセザンヌの特に晩年の作品に見られる対象を複数の視点から捉えて、奇学的な平面に分解して再構成するような手法、これにものすごく強いインスピレーションを受けたわけです。
これが20世紀初頭の大きな芸術運動、キュビズム。対象をいろんな角度から見た形を一つの五面に統合するあのスタイルですね、のまさに直接的な出発点になった。
なるほど。セザンヌは19世紀の画家だけど、その探求はもう20世紀の扉を開いていたということなんですね。
まさに。だからこの一枚の絵が単なる風景画としてだけじゃなく、美術史の流れを変えたある種のターニングポイントとしてすごく重要視されるわけです。
自然を見るだけじゃなく、それをどう構築するか。映画の役割そのものを取り直したと。
そういうことです。この絵の意味は、見たままを再現する上手さにあるんじゃなくて、画家の知的分析と感覚を通して自然の構造を理解し、それを二次元の絵画でどう表現できるか、という問い絵の一つの答えを示した点にあるんです。
つまり。
つまりこれが意味するのは、この作品は風景を通して、画家の内的な思考プロセス、自然への深い洞察、そしてそれをカンバスの上で実現するための格闘と達成、そのすべてを私たちに見せてくれているということなんです。
それは視覚的なリアリティを超えた、絵画独自のリアリティと。
そう言えるでしょうね。
この視覚的なリアリティを超えた、という点で、もう一つ資料で興味深い記述が、視覚に障害を持つ方へのメッセージとして、この絵は視覚情報だけじゃなく、色彩、構図、作者の意図、といった要素が組み合わさっている、という部分です。
これ、今のお話と繋がりますね。
ええ、それは非常に司祭と無私的だと思います。セザンヌの絵が単なる表面的な見絵を目指してないからこそ、ですよね。
はい。
この絵が追求したのは、物の形や構造、色の関係性といった、もっと本質的で、ある意味知的な要素ですから。
ですから、たとえ細部を目で追うのが難しくても、この絵がどんな構造、つまり構図を持ち、どんな色がどんな意図で使われているか、そして何よりセザンヌが何をしようとしていたのか、その思考のプロセスを理解することで、想像力を働かせて、作品の世界を深く体験できる、と。
なるほど。視覚情報だけじゃない多層的な鑑賞の可能性を示唆しているわけですね。単に見えるだけじゃなくて、作品の成り立ちや意図を理解することが大事だと。
ええ。セザンヌの絵は特にその点が重要なのかもしれません。彼の作品は私たちに、見るとは何か、そして描くとは何かを改めて問いかけてくる、そんな気がします。
今回はセザンヌのサント・ビクト・ワールさん、1885年から87年の作品を深く見ていきました。印象法を超えて、自然の構造をカンバスに構築しようとした彼の試み、斬新な構図、色彩によるフォルムの表現、そしてそれがキュビズ名とつながっていった美術史上の大きな流れ、その一端を感じていただけたでしょうか。
この一枚の絵画は美しい風景であると同時に、一人の芸術家が現実と格闘し、それを二次元の平面上で再定義しようとした知性と感覚のある種の冒険の記録ともいえます。セザンヌのこの粘り強い探求からあなたは何を感じ取りましたか。何かご自身の物の見方に響くような点はありましたでしょうか。
最後に一つ思考の種というか宿題のようなもの。セザンヌはこのサントビクトアールさんを生涯で本当に何十点も描いています。もし興味が湧いたら、ぜひ他の時期のサントビクトアールさん、例えばもっと晩年、1900年代に入ってからの作品を探して今回の作品と見比べてみてください。
それは面白いでしょうね。
形はもっと単純化されているか、色彩はより大胆になっているか、もしかしたら山そのものがまるで抽象的な色のパッチだけでできているように見えるかもしれません。
彼の探求がどのように変化し深まっていったのか、その変遷をあなた自身の目でたどってみる、それはきっとまた新たな発見につながるはずです。
10:58

コメント

スクロール