東京ぶどうの木教会 2026年4月26日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄
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(聖書) マルコ-43 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」36イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。37そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。 38一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、39家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」40人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。41そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。42少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。43イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。
メッセージ題 : 復活の命で生きる為に (マルコ-43)
*ユダヤの社会で身分が高い、会堂長ヤイロが、イエス様の御前に進み出てひれ伏します。当時の宗教指導者たちとイエス様の関係性を知るなら、彼は身の危険性の中で、出てきたことが分かります。理由は、愛する娘さんが死にかけていたからでした。多分良い病院、良い薬も役に立たなかったでしょう。
イエス様は彼の切なる心を見られ、彼の家に一緒に行く途中…大勢の人々、長血に患う姉妹に出会って時間を使ってしまいました。そのとき、家から連絡が来ました。娘さんが死んだので、先生を煩わせる必要はないと。ヤイロの絶望感と恨み?そのときイエス様は、36節、恐れることはないただ信じなさい
1.愛する娘が死んだのに…恐れなく、信じなさい? マルコの福音書で特に強調されるのは…信仰です。
*34節、あなたの信仰があなたを救った? あなたの信仰通りになりますように?また恐れることなくただ信じなさい?=状況がどのように変わっても信じる心は持ち続けなさい!です。しかし、死んでしまうなら?信仰は役に立たないように見えます。ですからこれ以上、先生を煩わせるのはやめましょうと言っています。この時点でイエス様は言われました。「おそれることはない、ただ信じなさいと! Donʼt be afraid, just believe.
#事実、イエス様には状況がどうなっているのかは問題になりません。すべてがイエス様の主管の下にあります。イエス様は問題の大きさ、深刻さを見られるのではなく、最後まで私たちが続けてイエス様を見上げ、イエス様を信じることで希望を失わないように導いています。そうするとき、復活させることができるからです。
2.では、イエス様は具体的に、復活の命の働きを成し遂げられますか?
1)先ず、イエス様は3人の弟子とご両親だけをつれて、家の中に入られます。なぜ3人の弟子だけですか?不信仰は伝染性が非常に強いからです。奇跡が行われるべき聖なる現場で、不信仰と否定的な考えが混じることがないように…ただ信仰の雰囲気、環境を造られたのです。 #やはり、家の中に入ると、死んだ少女に対する悲しみのゆえに、泣き声で満たされていました。死の力の前で、弱い人間ができるのは?涙しかないからでした。
2)このような絶望の現場で、イエス様は他の人々と全然異なるお話をされます。節、「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」
(←このような観点でものことをみるとき復活の命が働くのではないかおもわれますね。) そして、皆が死体を触ると汚れると思って触れなかった少女の手を持って言われます。41節、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」←これは当時、朝、親が自分の子供を起こすときかける言葉です。ところが、イエス様の温かいコメントは、ただの親の話ではなく、天地を創造された創造主の御声でした。光あれ!と言われたとき、光があったように、タリタ、クムと言われたとき、少女の霊魂が目覚め、死んでいた体に命が入り、動くようになりました。←復活は第2の創造だ
3)イエス様は少女を生き返らせたのち、食べ物を与えるようにされました。生きた少女の生命力の為に
3.では、今日の私たちが、復活の命によって生きる為に…この御言葉をどのように適用するべきですか?
1)ヤイロのようにしましょう。-23復活の力を持っているイエス様に進み出るが謙遜に信仰によって
→生き返られた少女とヤイロは、世の中で誰も経験できない、不思議な御業を一生!証ししたでしょう
2)生かされた少女には霊的に肉的に、新鮮な食べ物を豊かに与えることです。ここに教会の責任が
*私たちも、復活の命と権能で生きられるように…礼拝、メッセージ、聖書の学びのとき、豊かな恵みを!
@ヤイロを絶望のとき、助ける為に来られ、恐れること無いただ信じなさい。タリタクム。復活の命と信仰
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サマリー
このメッセージは、ヤイロという会堂長の娘が重病で亡くなった際に、イエス様が「恐れることはない。ただ信じなさい」と励まし、娘を復活させた出来事を軸に、私たちが復活の命によって生きるための信仰について語っています。ヤイロは、当時の社会的身分やイエス様との関係性を顧みず、危険を冒してイエス様に娘の救いを懇願しました。娘が亡くなったという絶望的な知らせを受けても、イエス様はヤイロに信仰を持ち続けるよう促しました。イエス様は、不信仰が広がるのを防ぐために少数の弟子と両親だけを連れて家に入り、泣き叫ぶ人々に対し、娘は死んだのではなく眠っているのだと告げました。そして、「タリタ・クム」(少女よ、起きなさい)という言葉で、創造主の声として娘に命を吹き込み、復活させました。この奇跡の後、イエス様は娘に食べ物を与えるように指示し、復活した命を維持することの重要性を示唆しました。私たちもヤイロのように、困難な状況でもイエス様に謙遜に、ひたすら願い求める信仰を持つべきです。また、復活の命によって生きるためには、礼拝や聖書の学びを通して、霊的・肉体的な「新鮮な食べ物」を豊かに与え続けることが大切だと説いています。