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「復活の命で生きる為に」2026年4月26日のメッセージ
2026-04-26 31:43

「復活の命で生きる為に」2026年4月26日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2026年4月26日(日)主日礼拝のメッセージです。

牧師:アブラハム黄

▼メッセージをスライドで: https://x.gd/0dA0T

▼ポッドキャストへのご感想はこちらへ!: https://forms.gle/fHcRBqaFSat8EQfE9

▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら: https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書) マルコ-43 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」36イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。37そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。 38一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、39家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」40人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。41そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。42少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。43イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。


メッセージ題 : 復活の命で生きる為に (マルコ-43)

*ユダヤの社会で身分が高い、会堂長ヤイロが、イエス様の御前に進み出てひれ伏します。当時の宗教指導者たちとイエス様の関係性を知るなら、彼は身の危険性の中で、出てきたことが分かります。理由は、愛する娘さんが死にかけていたからでした。多分良い病院、良い薬も役に立たなかったでしょう。

イエス様は彼の切なる心を見られ、彼の家に一緒に行く途中…大勢の人々、長血に患う姉妹に出会って時間を使ってしまいました。そのとき、家から連絡が来ました。娘さんが死んだので、先生を煩わせる必要はないと。ヤイロの絶望感と恨み?そのときイエス様は、36節、恐れることはないただ信じなさい


1.愛する娘が死んだのに…恐れなく、信じなさい? マルコの福音書で特に強調されるのは…信仰です。

*34節、あなたの信仰があなたを救った? あなたの信仰通りになりますように?また恐れることなくただ信じなさい?=状況がどのように変わっても信じる心は持ち続けなさい!です。しかし、死んでしまうなら?信仰は役に立たないように見えます。ですからこれ以上、先生を煩わせるのはやめましょうと言っています。この時点でイエス様は言われました。「おそれることはない、ただ信じなさいと! Donʼt be afraid, just believe.

#事実、イエス様には状況がどうなっているのかは問題になりません。すべてがイエス様の主管の下にあります。イエス様は問題の大きさ、深刻さを見られるのではなく、最後まで私たちが続けてイエス様を見上げ、イエス様を信じることで希望を失わないように導いています。そうするとき、復活させることができるからです。

 

2.では、イエス様は具体的に、復活の命の働きを成し遂げられますか?

1)先ず、イエス様は3人の弟子とご両親だけをつれて、家の中に入られます。なぜ3人の弟子だけですか?不信仰は伝染性が非常に強いからです。奇跡が行われるべき聖なる現場で、不信仰と否定的な考えが混じることがないように…ただ信仰の雰囲気、環境を造られたのです。 #やはり、家の中に入ると、死んだ少女に対する悲しみのゆえに、泣き声で満たされていました。死の力の前で、弱い人間ができるのは?涙しかないからでした。

2)このような絶望の現場で、イエス様は他の人々と全然異なるお話をされます。節、「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」

(←このような観点でものことをみるとき復活の命が働くのではないかおもわれますね。) そして、皆が死体を触ると汚れると思って触れなかった少女の手を持って言われます。41節、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」←これは当時、朝、親が自分の子供を起こすときかける言葉です。ところが、イエス様の温かいコメントは、ただの親の話ではなく、天地を創造された創造主の御声でした。光あれ!と言われたとき、光があったように、タリタ、クムと言われたとき、少女の霊魂が目覚め、死んでいた体に命が入り、動くようになりました。←復活は第2の創造だ

3)イエス様は少女を生き返らせたのち、食べ物を与えるようにされました。生きた少女の生命力の為に

 

3.では、今日の私たちが、復活の命によって生きる為に…この御言葉をどのように適用するべきですか?

1)ヤイロのようにしましょう。-23復活の力を持っているイエス様に進み出るが謙遜に信仰によって

→生き返られた少女とヤイロは、世の中で誰も経験できない、不思議な御業を一生!証ししたでしょう

2)生かされた少女には霊的に肉的に、新鮮な食べ物を豊かに与えることです。ここに教会の責任が

*私たちも、復活の命と権能で生きられるように…礼拝、メッセージ、聖書の学びのとき、豊かな恵みを!

@ヤイロを絶望のとき、助ける為に来られ、恐れること無いただ信じなさい。タリタクム。復活の命と信仰

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サマリー

このメッセージは、ヤイロという会堂長の娘が重病で亡くなった際に、イエス様が「恐れることはない。ただ信じなさい」と励まし、娘を復活させた出来事を軸に、私たちが復活の命によって生きるための信仰について語っています。ヤイロは、当時の社会的身分やイエス様との関係性を顧みず、危険を冒してイエス様に娘の救いを懇願しました。娘が亡くなったという絶望的な知らせを受けても、イエス様はヤイロに信仰を持ち続けるよう促しました。イエス様は、不信仰が広がるのを防ぐために少数の弟子と両親だけを連れて家に入り、泣き叫ぶ人々に対し、娘は死んだのではなく眠っているのだと告げました。そして、「タリタ・クム」(少女よ、起きなさい)という言葉で、創造主の声として娘に命を吹き込み、復活させました。この奇跡の後、イエス様は娘に食べ物を与えるように指示し、復活した命を維持することの重要性を示唆しました。私たちもヤイロのように、困難な状況でもイエス様に謙遜に、ひたすら願い求める信仰を持つべきです。また、復活の命によって生きるためには、礼拝や聖書の学びを通して、霊的・肉体的な「新鮮な食べ物」を豊かに与え続けることが大切だと説いています。

復活の命で生きるための信仰の重要性
じゃあ今日は、復活の命によって生きるために。
私はこれが一番大事だと思います。 復活の命。私たちはすでにイエス様が復活されて、イエス様は私たちの家におられ、
またイエスの霊が私の家におられるから、 私が生きるんじゃなくて、私の家にイエス様が生きるんじゃないですか。
だから私たちは当たり前として、復活の命で生きるように、 キリスト者はみんなそうするべきなんですよ。
しかし復活の命はなぜ全然働くことができなく、 私はもともとの私の弱い人間の力で毎日生きているのか。
これはキリスト者の一番矛盾的な話なんです。 イエス様があなたの家におられるんじゃないか。
しかしイエス様が生きている証拠があなたの家に全く現れていない。
えっと言ったら、誰が私を見てイエス様を信じようと思うのでしょうかね。
理論と実際はまた違うので、本当にこの理論が実際になるために、 今日何が必要なのか。
これは信仰なんですけど、信仰の中身が何なのか、 これを今日一緒に考えていきましょう。
会堂長ヤイロの娘の病とイエス様への願い
ユダヤの社会でカイドウ帳といったら、教会の牧師ですから、 向こうは全部カイドウを中心として集まるから、
カイドウで教育、裁判、またはもう全てを決められる。 だからカイドウは重要なんです。
そこでカイドウ帳といったら、本当にこの社会ではレベルがある方じゃなければいけないんじゃないかと思います。
当時宗教主導者たちはイエス様との反対でした。
イエス様がされることを嫌がって、 また自分の立場が危なくなるんじゃないかと思って、
イエス様を殺そうとする勢力が宗教主導者で、 宗教主導者の中で一人がカイドウ帳であるヤイロという人でした。
周りの人は全部、自分の友達はイエス様に近づかないし嫌がるので、
自分だけがイエス様のところに近づいて何とか助けを求めようとするとしたら、
自分の群れからは仲間外れ、もしかしてカイドウ帳を破門されるかもしれない立場になるかもしれない。
しかし彼はイエス様のところに来て、ひれ伏して、しっきりに願ったということです。
何があったんでしょう。
彼には可愛い娘さんがいました。一人娘がいたんですけど、
その一人娘さんが病気によって死にかかっています。
もうカイドウ帳だからレベルがあるから病院にも行ったし、お薬がいいものだったら全部使ってみたんでしょう。
しかし何の役にも立てなかったということです。
世の中には方法がないんです。しかし自分の娘は生かしたい。
だからどうするかと思いながらイエス様の噂を聞いて、イエス様のところに来たんです。
カイドウ帳がイエス様の元に来て、それでひざまずいてしっきりに願っていることを聞きながら、
イエス様は何も話をしないでお家までついて行きます。
だからイエス様とともに家に行くところなんです。
イエス様の彼女はもう死にかかっているから危ないから、今もう病大で大事なところですから。
このカイドウ帳について行くのに周りの群衆が
もうイエス様が怒られたと言って何かいろいろ求めることがあるし、
またこの大事な12年間血液の病気に患っている姉妹のゆえに時間がだいぶかかってしまったんですよ。
娘は死んでいっているのに早くイエス様をお家まで一緒に行かなきゃいけないのに、
焦っているやいろ、またイエス様は周りの方たちをまず助けてくださるこの状態で家から連絡が来ました。
娘さん、お嬢さんは死んでしまいました。これからはイエス様にもう煩わせるわけにはいけない。
イエス様に頼むことももう意味ないでしょう。
もうあなたは娘さんが死んでしまったからもうすべておしまいですということです。
いろいろ自分の立場を下ろして危険性を何か抱えながらイエス様のもとに来たのに、
イエス様がいろいろ他のところで時間を使ってくださって、
自分を愛する娘はもう死んでしまったので、その時の親の気持ちがどうでしょうかね。
私の娘を先に優先順位を持って、私は街道長だから、
なんとかとりあえず扱ってくださることを願ったのに、
あなたは他の身分が低いこんな人たちを助けるのに、
私の大切な大切な娘を知らせてしまった。
そこで彼は何とかイエス様に対するこの絶望感、また怒りが出たんじゃないでしょうか。
何かどうしようかわからない。
世の中も何の意味もなくなっちゃったということです。
そのような状況で隣で聞いておられたそのイエス様が、
恐れることはない、ただ信じなさいと言われた。
絶望の中での「恐れることはない。ただ信じなさい」
娘が死んだと言っているのに、イエス様は恐れることはない、ただ信じなさい。
イエス様は何か別の何かがあるんでしょうかね。
別の手があるんでしょうかね。
イエス様は別の手があります。
復活の力がイエス様にはあります。
しかし、やいろに今少しあったんだけど、少し足りないことが何か。
復活の命を働かせる信仰が足りない。
だからイエス様は、あなた先ほどまで信じたんじゃないか。
だから続けて信じなさいと言われるということです。
本当にイエス様を求めておられる信仰は、私たちの状態がどうであり、
状況がどのように変わったりしても、
初めから信じた信仰は変わらなく、最後まで持ち続けること、それを願っています。
しかし人が一番弱いのは、死んだと言ったら、これから何にもできなくなります。
終わりだと思うから。
皆さん、船に乗っていて、恐怖にあたって、
それから台風、それで船が壊されて、
そこで何か板を1個いただいて、何か拾って、
それから海との戦い、波との戦いをしながら、必死に、必死に、必死に、
それは何とか自分なりに必死にする何かきっかけがあるじゃないですかね。
そのようなことがあるんだけど。
死んだと言ったら、だったらこれから何を持って何と戦っていいのか、
必死に頑張ることは何にもいらなくなっちゃったんですよ。
普通の人はそこで全ての希望を諦めてしまいます。
もうそれでイエス様に頼むことも意味がないし、
この人生に対しても意味がなくなっちゃいます。
死んだら終わりだと思うから。
だから娘が死んだと言ったら、
ああ、これから私ができることが何にもないんだ。
もう世の中で誰がこの死んだ娘を生かしてくれることができるかと思って、
そこから自分勝手にしたり信仰をやめたり、
またいろいろな行動を起こうことがあります。
その時点でイエス様は、
いや、恐れることはない。ただ信じなさい。
あなたの信仰は今消えようとしている。
そのところであなた、持ち続けなさい。持ち続けなさい。
つまり皆さんはいつ、皆さんが持っていた信仰が、
ああ、もうやめよう。
これは信仰の希望とか、信仰のロウソクが消えるような状況はどんな状況ですか。
子どもたち、いつも何とかやっても子どもたちが話を聞いてくれない?
成績があまり上がらない?
また何か努力してもあまりよくできない?
私たちはいろいろな状況で、いろいろなことが起こって、
自分の希望をやめる?あきらめる?いろいろなことが起こってありますけど、
復活信仰を楽しみにするなら、
絶対初めから持っていたこの信仰をやめてはいけないということです。
ですからイエス様は、恐れることはない。ただ信じなさいと言われたんです。
事実、イエス様には私たちの状況がどのように変わっても、
何にも関係ありません。意味がありません。
恐怖の中でも、何秒だとしても、死んだとしても、
全てイエス様の手の内にあるんです。
私たちの状況がいくら悪くなったとしても、
それはイエス様はいくらでもよくできる。イエス様の手の内にあるものなんです。
ここでイエス様は、私たちが手の内にあるからイエス様はいくらでもできるんですけど、
ここで一番大事なのは、私たちの信仰が変わらなく続けて持ち続けるならいい。
私たちは信じます。主は働きます。
私たちが信じなければ主は働くことはできません。
私たちは祈ります。主が働きます。
だから祈り、信仰ということを最後まで持ち続ける。
結果が出るまで、実を見るまで、最後まで持ち続けることが一番大事。
ですから、恐れることはない。ただ信じなさいと言いながら、
イエス様はその信仰を持ち続けなさいということです。
マタイの9章27節から34節には、
今日のマルコの福音書、後章の今日のこのやいろの事件のことですかね、
この後の記録があります。
これが何かと言いますと、
二人の盲人がイエス様においちいち行きながら、
旅での子孫よ、私たちを助けてくださいと言います。
憐れんでくださいと言います。
私たちが目が見えないので、何か見るようにしてくださいと言います。
ここでイエス様は何か、何を質問するか知っていますか。
この二人の盲人に、私があなたの目を開けることができると、
あなたは信じるのかと聞きます。
私があなたの問題を解決することができるんだということを、
あなたは信じるのか。
あなたが私をどのくらい信じてくれるのかということ。
だから、この二人があなたは私を目を開けることができますと言ったら、
あなたの信仰通りになりなさいと。
目が開けてしまった。
だから私たちは質問してみましょう。
私が今主に求めるんだけど、
これがイエス様が本当にできるようにしてくださること、
私が信じてこれを頼んでいるのか。
これをあなたの目を開けること、私ができること、あなたは信じますか。
イエス様による復活の働き:信仰の雰囲気作りと「タリタ・クム」
はい、信じますと言ったら、あなたの信仰通りになりなさい。
信仰通りになりなさい。
私たちの信仰通りになりますよ。
良い信仰を持っていったら良いことがたくさんあるし、
復活の信仰を持っていったら死んでもいきます。
しかし信仰がなければ何もできないんです。
イエス様はどのように復活の働きを成し遂げられるのか。
これをこの次に続けて見てみますと、
まずイエス様は全ての群れを外に出し、
ペテロ、ヤコボ、ヨワネ、またご両親、
5人だけ連れて家の中に入られます。
なぜイエス様が3人の弟子だけを選んだのでしょうか。
まず礼儀的な雰囲気が大事なんです。
不信仰の影響力、伝染力は強いです。
不信仰の話を続けて言うなら、
あっという間に全体が不信仰の雰囲気になってしまいます。
しかし信仰の話をするなら周りが全部信仰の人になるでしょう。
不信仰の話をしないように助けることです。
子どもたちは一番問題、私は息子を抱えているんですけど、
状況が少し悪くなったらすぐ不信仰になるんですね。
祈ってみたら何もなかった。
イエスが何ができるのとか、
お前、先ほどまで信じたんじゃないか。
なぜこんな話をするのか。
でも私が叱るならもっと反発するものだから。
その時はシュヨーと言いながら我慢する。
もう強く祈るしかない。
そうなんです。
3人だけ連れて行く理由は、
3人だけは少しイエス様がこの方たちは信仰を信じているんだと思ってたでしょう。
奇跡を起こすこのすごい大事な場面で、
不信仰とまた否定的な考えを誰か入れてしまえば、
信仰の雰囲気、信仰の環境が崩されて、
そこは何をしようとしてもできないということです。
イエス様がですよ。
イエス様は何でもできるように見えるんですけど、
イエス様さえもまず大事なのは、
信仰の雰囲気を作った、霊的な環境を作ったということです。
家の中に入ったら、
少女が死んでしまったから、
悲しむ人の声でいっぱいです。
死の力、サタンによって完全に抑えられているような状況。
人々はただ涙しかないんです。
この信仰の環境、なかなか難しいんですよ。
信仰の人だけ選んで入ったとしても、
みんなが不信仰の雰囲気なんです。
悲しむ雰囲気なんです。
そこでイエス様はまた何をされるのか、
信仰の話をされるんです。
家の中に入り、人々に言われた。
なぜ沸きさめくのか、騒ぐのか、
子供は死んだのではない、眠っているんだと。
イエス様はこの状況を死んだと思わなかった。
眠っているぞと思った。
これは本当に、わざわざそうされるかわかりませんけど、
イエス様はその状況を眠っているんだと思って、
それで周りの方たちからみんなが嘲笑う声を聞きます。
なぜこの話をされたのか。
みんなが泣き続けているから。
だからイエス様は信仰の雰囲気を作って、
また次に信仰の話をするんです。
信仰の話。神様ができる。イエス様ができる。
全てができる。死はいくらでもできる。
死は不可能がない。
死を信じなさい。ただ死をだけ求めなさい。
私たちも信仰の話、いろいろありますね。
不信仰の人はみんな、今諦めているんです。
諦めてから口から出るのは、
全部否定的なことしかない。
それをまず止めなきゃいけない。
周りはみんな泣いている。
泣いていることは感謝だけど、
今泣く場面じゃない。
今生かすためにイエス様命の主が来られたものですから、
喜ぶのは少し問題があるかもしれないけど、
そこでイエス様の働きをどうされるか、
信じて楽しみにしながら、
信仰を持ち続けて、
主のために主が大きなことをやってください。
期待することはいいんですけど、
悲しむ、泣く、
できない、できない、
人間はいくらでもできない、
死んだら終わりだ。
このような話をやめさせることが大事です。
皆さん本当に復活をこれから体験したいなら、
まず、信仰の雰囲気、信仰の話、
次にイエス様は何をされたんですか。
もう死んだ姉妹が横たっているもんですから、
それを、死体を触ったら、
もう穢れているんです。
イエス様はそれに関係があります。
イエス様の愛はこの律法を超えるものですから、
ですからイエス様は死んだ彼女の手を持って、
何と言いましょう、
タニタクームと言いました。
この意味は、少女よ、私はあなたに言う。
起きなさい。
これはまあ、親が子供を、
寝ている子供を朝起きさせる、
このような時に使った言葉だといいんですけど、
皆さん、イエス様が今温かく言われているこの御言葉は、
ただのコメントではありません。
天地創生の時に、創生主神様が、
光あれ、と言ったら、光があった。
同じように、イエス様が、
もう天地創生の時に用いた御言葉のように、
タニタクームと言ったら、
少女よ、起きなさい、ということです。
少女よ、起きなさい、と言うこの御言葉は、
光あれ、という御言葉と同じパワー、
同じ力、同じ権力を持っている、権威を持っています。
この話を聞いた瞬間、
彼女の、少女の、この霊が、
もう精神的な部分が、
ファーッと目覚めて、
体全体が冷たくなって、
死んだから、命がなくなっちゃうと思うんですが、
そこにまだ命が入って、動くように、
だからタニタクーム、少女よ、起きなさい、と言った時に、
もう一度、天地万物が創生されたように、
死んだ彼女が創生の力によって、
生かされるようになり、
立ち上がるようになった、ということです。
私たちはこの部分を、いつもイメージすることが大事だ。
皆さん、もう、天、初めに、
光あれ、ということを信じるのは、
もう、みんな、ああ、そうかな、と思うんですよ。
今、私たちの中で御言葉、
何にも思い患いはやめなさい。
全てのことを、感謝を込めて、
祈りと願いと、神様に打ち上げなさい。
そうすれば、もう、イエス・キリストが、
私たちの心の中で、平安を与えてくださる。
皆さん、これを御言葉を、
これは、光あれ、という御言葉と同じ聖書なんです。
聖書の御言葉は、全て、創生のパワーを持っているし、
復活のパワーを持っているし、
私たちは、生かされるパワーを持っているんです。
だから、私たちは、このイエス・キリストが、
私たちにくださるメッセージ、御言葉、
このことを、軽く、
ああ、もう、メッセージを聞きたくない、ということではなくて、
これは、命の言葉であり、復活の言葉であり、
私たちは、生かしてくださる言葉だと、
これは、確かに信じて、受け止める。
そしたら、死んだ姉妹が、
少女が、もう、生き返られた。
生き返られた姉妹、
イエス・キリスト様は、何と言うんですか。
彼女に、食べ物を与えなさい。
じゃあ、生き返られたから、
死んだ人は、食べ物はいりません。
生き返ったから、これから、彼女は、
食べ物を食べて、生き生きして、
これから、人生を続けるべきじゃないですか。
じゃあ、彼女に、体のためには、
食べ物も必要なんですけど、
彼女の霊のためには、
命の御言葉が、彼女に必要なんです。
命の御言葉と、日曜の糧、
神聖な糧と、
共に、彼女は、これから、
聖女的な人生を、生きるように、過ごすように、
イエス・キリスト様が、そこまで、
指示してくださった、ということです。
では、今日の私たちが、
復活の命を得て、生きるために、
先ほど、このマルコ公書の御言葉を、
どのように、提供するべきですか。
まず、一番大事なのは、私たちが、
ヤイロのように、やらなければなりません。
じゃあ、マルコ公書、22節、23節、
私、読んでいます。
カイドウ町の一人で、ヤイロという名の人が来て、
イエスを見ると、足元にひれ伏し、
しっきりに願った、
私の幼い娘が、死にそうです。
どうか、おいでになって、
手を置いて、やってください。
そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。
ヤイロは、わかったんですよ。
イエス様は、復活の力、
火土を生かす力、
命の主だ、ということを、わかったんです。
だから、イエス様に行けば、
すべてが、治るし、
癒されることを、わかったんです。
だから、ヤイロは、
自分のカイドウ町という身分、
私が主のイエス様の前にいたら、
他の宗教主導者たちが、
何かで、自分の評判が悪くなるかどうか、
それを全部やめて、
イエス様の前で、
謙遜に、信仰によって、進み出たんです。
途中で、いろいろな妨げもありました。
また、途中に行ったら、
娘の病気が、もっとひどくなって、
死んだという場合もありました。
その場、状況が難しくなったとしても、
落胆しないで、最後まで続けていたんです。
皆さん、イエス様は、
復活の命を生きるための適用:ヤイロのように願い求め、糧を与える
自分を求める人たちを、
必ず助けてくださるお方で、
自分を求める人を、
恥をかかせないお方なんです。
ローマ書、朱書、朱一節、聖書には、
主を信じる者は、
誰も失望することはない。
主を信じる者は、
主の前に出てくる者は、
誰も失望することがない。
本当に素晴らしい。
ヤイルは、この信仰を持って、
イエス様を訪ねているんです。
そうしたら、その信仰通り、
彼はイエス様から、
娘を生かしてもらったんです。
四十二節に、少女はすぐに起き上がって、
歩き出した。
もう十二歳になっていたから。
十二歳であった。
すぐに起きて、歩き出した。
十二歳の今、姉妹。
まあ、あゆみちゃん、
みのりちゃんも、
この父親に対しては、
一番かわいい。
一番かわいい。
もう、彼女のために、
私の命を捧げても構わないほどの、
この大切な大切な、
自分の娘を、
生かしてもらったということ。
どれほど素晴らしいでしょうか。
皆さん、娘が生かされた後、
ヤイルと、
この娘さんは、
世の中、誰も経験していない、
素晴らしい証を持つようになりました。
じゃあ、皆さん、
私たち死んだら一体どうなるかな。
死んでみた人がいないから、
誰もできません。
ケネセイギン先生は死んで、
地獄の入り口まで行ったから、
証をたくさんするでしょう。
ヤイルと娘さんは、
もう死んだから、
死んでみたから、
皆さん、死んだ後、
人はどうなるかな。
誰に聞けばいいですか。
この娘さんに聞けばいい。
もう死んだ状態で、
イエス様の御声が聞こえた。
ダリダクームと聞こえた時に、
この死んだ後の霊的な世界で、
どんな異変が起こったのか。
悪魔が支配する、
この死んだ後の世界の中で、
彼女を連れて地獄へ行こうとするのに、
ダリダクームと声が聞こえた時、
悪魔が全部逃げてしまい、
彼女は生き返られて、
お、あなたになった。
この体験、誰が分かるんでしょう。
しかし、彼女は知っています。
ヤイルも知っているかもしれません。
この全ての過程に対して、
イエス・キリストがどれほど素晴らしいお方であり、
イエス・キリストこそ救い主であり、
このイエス・キリストこそ裁き主であり、
復活の主だということを、
これを一番よく分かる人になりました。
多分、ヤイルとこの彼女は、
もう死ぬまでイエス様に感謝しながら、
復活の証人として生きるようになったでしょう。
じゃあ、娘さんが生き返った時、
イエス様は食べ物を与えなさいと言われたんです。
じゃあ、これから私たちの教会も、
神様からいろいろな力をいただいて、
もう生き返られ、癒され、
回復され、救われ、
大勢の方たちがおられると思います。
教会がこの方たちに、
食べ物を与える責任があるんです。
霊的な食べ物、霊魂の食べ物、
また、体のための食べ物、
私たちが豊かに与えて、
この方たちが体も強くなるし、
霊的に強くなって、
この世界を支配している、
このサタンとの戦いで、
いつも勝利するように、
サタンが近くに来ることもできないように、
私たち教会がそのような働きがよくできればと思います。
今、私たちがやるべきことは何ですか?
あなたたちが食べ物を与えなさい。
食べ物を与えなさい。
私たちが霊的な糧、
霊的な復活の命の力ある、
この御言葉を教会の家族、
また、周りの方たちによく伝えれば、
その方が復活の命の力をいただいて、
それからこの世から、
いろいろな働きができるでしょう。
赤死をもちろん、
汚れた霊を追い出すパワーもあるし、
血の果てにまで、
福音を伝える働きができるでしょう。
この、皆さん、
イエス様がくださった、
この復活の命の力、
これを私たちが味わうことができなければ、
もうできません。
大事なのは、
やいろのように、
復活の命の力はイエス様だけだと思って、
すべてを下ろして、
イエス様に謙遜に尋ね、
しきりにイエス様に求めることです。
そしたら、
イエス様はこの後の働きは、
イエス様は全部やってください。
私はこの後、
食べ物を与えなさいという働きを、
また、熱心にやればいいんです。
今、私たちの周りには、
助けていかなきゃいけない方がたくさんあります。
人間的な力では、
何にもできない、
本当に主が働かなければ、
絶対にできないことがたくさんあります。
やいろのように、
イエス様に尋ね、求めましょう。
イエス様、このことあります。
助けてください。
死んでいく私の娘を、
助けてください。
手を置いて、
癒してください。
あなたならできます。
助けてください。
と言ったら、
イエス様は、
もうただ、
黙ってついていきました。
そのように、
私たちの教会も、
イエス様の働きを、
しっきりに求め、
それから、
イエス様の後、
ついていきながら、
イエス様が、
私たちの徒労者として、
これから、
たくさんの方を癒す、
そのような働きができればと思います。
今、私たちには、
イエス様の力を求める、
家族はいるんじゃありませんか。
まず、
その方たちのために祈り、
周りの転倒するべき方たちのために祈り、
そして、
私たちは、
イエス様の力によって、
すべての人を、
生かす、
癒す、
助ける、
救う、
このような働きができる、
教会になれればと思います。
じゃあ、
今日、
復活の命によって生きる方法、
ぜひぜひ、
私たちが、
もう、
実践していきましょう。
お祈りいたします。
主よ、
復活の命の力は、
イエス様だけです。
私たちは、
イエス様を信じています。
本当に、
これから、
復活の命の力によって、
周りの方たち、
助けたいです。
どうか、
やゆるの、
このせきりに、
願っている、
この徹茶なる声を、
聞いてくださった、
イエス様、
私たちの徹茶なる、
御声を、
聞いてくださり、
主が足を運んで、
私たちが行くところどころ、
主の働きが、
現れるように、
助けてください。
復活の力が、
日本を生かしてください。
周りの方たちを、
生かしてください。
本当に、
あなたがいなければ、
私たちはできません。
主の力、
主の復活の、
主、
あなたを、
褒めたたえます。
イエス・キリストの皆によって、
お祈りいたします。
アーメン。
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