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「ゲッセマネの祈り」2026年3月22日のメッセージ
2026-03-22 38:07

「ゲッセマネの祈り」2026年3月22日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2026年3月22日(日)主日礼拝のメッセージです。

牧師:アブラハム黄

▼メッセージをスライドで: https://x.gd/0dA0T

▼ポッドキャストへのご感想はこちらへ!: https://forms.gle/fHcRBqaFSat8EQfE9

▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら: https://listen.style/p/tokyovinechurch

 

(聖書) ルカ-48 イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。40いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。41そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。42「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」〔43すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。44イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕45イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。46イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。」47イエスがまだ話しておられると、群衆が現れ、十二人の一人でユダという者が先頭に立って、イエスに接吻をしようと近づいた。48イエスは、「ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか」と言われた。

 

メッセージ題 : ゲッセマネの祈り (ルカ22:39-53)

*世の中は本当に怖いです。どこでも戦争が起こるような雰囲気です。以前はウクライナでしたが、今は中東地域、イランが戦場です。アジアでは戦争が起こらないように願っています。心配なのは、今、攻撃を受けている側が力が弱いから静かにしていますが、力が生じると報復するでしょう。そうするなら再び攻撃、報復が繰り返されながら絶え間ない戦争が続くでしょう。どうすれば世界に平和が来るのか。

*旧約聖書と異なって、新約聖書での神様の方法は?神様は真理と愛を持って世界を統治されること

 

1.神様はキリストを通して、キリストの御業、悪魔を滅ぼし、罪と呪いを取り除き、神に出会う道を開かれますが…

*すべてを神様の方法で行われます。 キリストは王、祭司長、預言者の働きをされますが。

1)イエス・キリストは、どのように王の働きをされるのでしょう? 悪魔は偽り、誘惑、騙すことで世界を支配しようとしますが…そのような悪魔に対して、私たちは力によって滅ぼしてくださればと思います。しかし、キリストは?善をもって悪に対抗されます。ローマ12:20 

2)イエス・キリストは、どのように祭司長の働きをされますか?私たちは全能者の力で罪と呪いをすべて消し止めて下さることを願うが…キリストは?自分を犠牲して、贖いの血を流し「血の流しがなければ罪の赦しはない」御言葉を成就しながら罪と呪い、病の問題を解決されます。 

3)イエス・キリストは、どのように預言者の働きをされますか?私たちは、イエス様が力強く現わして確かに見せて下さり御声を聞かせてくださることを願います。しかしキリストは御言葉と聖霊の悟りを通して預言者の働きをされます。 私たちは、キリストが全能の力によってもっと確かな方法を使われることを願うが、神様の方法は?キリストが低くなられ、犠牲されて、人々が自ら悟って悔い改め従わせます。→そんなことをしていつ御心が成就されるのか?焦る心もありますが…神様は、全世界の誰が見ても神様は正義で愛であると認めるような働きをされます

*こんなに異なる私たちと神様の考えと方法?イザヤ55:8,9→ユダヤ人が未だにイエス様を受け入れない理由!神の御心と方法を受け入れる為には、自分の考えと方法を下ろさなければ!お祈りが必要

 

2.イエス様は、私たちと同じ条件でこの世に来られたので、十字架を前にして葛藤と煩悶が…

*誰も死ぬことは嫌です。特に、十字架の刑で死ぬことは!→十字架の刑が確定されると?先ず、鞭で半殺しを。そして自分が掛かる十字架を背負って死刑場所に。大きな釘で十字架に掛けて、死ぬまで放置する。

2-3日間、極端な苦痛を味わいながら死んでいく。1千回ほど気絶?残忍すぎてローマ人は禁止するほど。

#十字架を前にしてイエス様のゲッセマネでのお祈り。どんな祈りをされたのか?ルカ22:42、3度切なるお祈りを

→それを通して、父の御旨を確かに受け入れ、御心に自分を服従する、担うことができる力を頂くお祈りを

*結局、その祈りは自分との戦いだった。神様の御旨と異なる、自分の考え、自我を…神の御旨に服従させる為

*お祈りで勝利してから大胆に十字架を。マルコ15:23,ヨハネ19:26,ルカ23:34,ヨハネ19:30立派に成就

*イエス様は特別な力があったから十字架を担ったのではない。お祈りによって!祈らなかった弟子たちは


3.イエス様に対する神様の報い? 

フィリポ2:8-11これからのすべてをイエス様にお任せ! 救い、裁き…

@イエス様は、信仰告白をして救われ、イエス様に従うように決心したキリスト者に? マタイ16:24 イエス様だけ十字架があるのではなく、信じる私たちにも十字架があります。 それは何ですか?家庭で、職場、学校で、教会で…自分がやるべき役目があるから神様がこの世に遣わされたのです。そこで神様の御旨通り働くのは自分の力ではできない。イエス様のようなゲッセマネの祈りが必要です。ルカ22:43,44祈ると天使が助けてくださる

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サマリー

このメッセージは、ゲッセマネの祈りを通して、イエス・キリストがどのように神の御心に従い、人類を救うための犠牲となったのかを解説しています。現代社会の戦争や不安に触れつつ、神は真理と愛をもって世界を統治されると説き、キリストの王、祭司、預言者としての働きを、人間の考えとは異なる神の方法で成し遂げられたことを説明します。特に、イエスが十字架の苦しみを前にしたゲッセマネでの葛藤と祈りは、自己の思いを神の御心に服従させるための戦いであり、その祈りによって力を得て十字架を全うされたと強調されています。また、信じる者にもそれぞれの「十字架」があり、家庭や職場、教会での役割を果たすためには、イエスのようなゲッセマネの祈りが必要であると語りかけています。

現代社会の不安と神の統治方法
今日は四旬節なので、四旬節の日にゲッセマネの祈りについてメッセージを分かち合いたいと思います。
最近、世の中が非常に怖くなりました。どこで、いつ戦争が起こってもおかしくない世界が非常に難しい状況の中にあります。
以前は、戦場がウクライナだったんですけど、それが中東地域、まだイラン。私がそれがアジア上に来たらどうするかという。
近いところで戦争が起きているなら、私たちの生活、まだ子供たちどうするんですか。お年寄りの皆さんどうされるんですか。
だから、私たちの近くには戦争が起こらないようにしてくださいという祈りをしているんですけど。
心配なのは、攻撃するところは何とか自分の問題を解決するために攻撃するでしょう。
攻撃を受けたところ、被害を受けたところは、今は弱いから溜まっているんですけど、いつか力が出たらまた報復するんじゃないですか。
報復したらまた攻撃するでしょう。攻撃と報復、攻撃と報復。
これで永遠に永遠に戦争が続けるような気がして、どうすれば世の中が戦争ではなく平和が来るかなという。
本当に本当にこれが平和の道は何なのか、これを考えなきゃいけない時期ではないかと思います。
皆さん、旧約戦争の時代はヨーシャーとかカレブとか、みんなダビデとか、戦争に上手い人がリーダーだったんですよ。
しかし、新約時代の戦争をずっと見ると、攻撃、戦争とかいうことは一切ありません。
新約時代の神様の方針が変わったのか、イエス・キリストのこの十字架の愛、その恵みによる救いの計画が新約時代に始まったのか。
新約時代は攻撃とか戦いとか一切ないんです。
神様は真理と愛をもって統治されるんです。
キリストの働きと神の方法
神様は世界誰が見ても神は愛だ。
世界誰が見ても神様は正義のお方、正しいお方だと認めるように神様自らが働かれている。
新約時代の神様は旧約時代の神様と全く違うようなイエス・キリストの十字架と愛をもって働かれる神様だと理解してくださればと思います。
神様はキリストを通して働かれるんですけど、
キリストを通して悪魔を滅ぼし、罪と呪いを取り除き、また神様に出会う道、神の御声を聞かせてくださる働きをされるんですけど、
このすべてが神様の方法で行われるということです。
今まで私たちキリストということは油注がれた人として、王、最上、預言者、世の中の王、最上、預言者がたくさんいるんですけど、
その人たちは陰に過ぎない。本物がいらっしゃるんですけど、その方はイエス様だということを申し上げました。
ではイエス様はキリストの御業、その中で王の働きをどのように行われますか。
悪魔は悪を行います。
偽り、誘惑、惑わし、いろいろな手を全部使って人々を支配し、占領しようとします。
世の中は今悪魔の世界です。
この悪魔に対して私たちは悪魔がやったことと同じようなことを通して悪魔を何とかぶち壊したいと思っていることが私たちの思いです。
しかしキリストはどのように働かれるのか。
善をもって悪に勝つんです。
真理をもって悪に対抗するんです。
善をもって悪に戦う。
これ本当にできるのか。
善をもって悪と戦う。
しかしイエスキリストの働きは悪魔を善をもって悪を追い出すんです。
この働くんです。
またイエス様はどのように最初の役割をされるのか。
私たちは善能者が来られて、特別な力と方法で罪と悪を取り除いてくださることを私たちは願っているんですけど、
キリストはどのように働かれるんですか。
キリストは自分の体を棺として血を流しながら、
贖いの血を流しながら、血の流しがなければ罪の許しがないという神様の御言葉を成就しながら、
罪または呪い、病を取り除いてくださる。
キリストの働きは私たちの想像と全く違います。
また、キリストはどのように預言者の働きをされますか。
私たちは今日イエス様が力強く働いてくださって、
イエス様を夢の中でパッと現されて、
私に泣き声やこれをこれをしなさいというような声を聞かせて、
直接現れて何とか、はっきりした何とかを見せてくださる。
特に私たちの子供たちに信仰が強くなるように、
イエス様は彼に現してくださるような働きをしてくださいと祈るんですけど、
イエス様はどのように働かれるんですか。
御言葉と精霊の現れ、精霊様の悟りと精霊様の照らしによって、
預言者の働きをされるんです。
私たちは気持ちが清々しいように何とか、はっきり何とかしてくださいと思うんですけど、
天から現れて何か見せてくださるとか、
天から現れて悪魔を滅ぼしてくださるとか、
立派に立派に何とか見せてくださることを願うんですけど、
ゲッセマネの祈りと自己との戦い
神様の働きは違います。
キリストが低くなられて、犠牲になって、また使えることによって、
人々から自ら主の恵み、愛をして、主に自分の何かを捧げるように、
従うように、またイエス様の働きを見て、
自ら悟って悔いを改めるように、そのような働きをする。
私が一番違うことになると思っているのは、マルコ・キューション・サンデル・コースです。
一番先になりたいものは、一番後になり、全ての人に使えるものにならなきゃいけない。
一番偉い人が一番低くなって全ての人に使える。
これは偉いのか。世の中の基準から見たら偉くない。
偉くないのに、神様の基準から見ると一番偉い。
一体、そのようなやり方でやって、いつ神様の見合わせができるか、
焦る心がいっぱいありますけど、神様は誰が見ても聖書通り、
誰が見ても正義で、愛で、恵みで働かれるんだことを、
私たちがこれをしっかり覚えていかなければなりません。
ですから聖書は、イザヤン55章8節9節でこう書いてあるんです。
私の思いはあなたたちの思いと異なり、私の道はあなたたちの道と異なると主は言われる。
天が地を高く越えているように、私の道はあなたたちの道を、
私の思いはあなたたちの思いを高く越えている。
神様の道、神様の思い、神様の働きの方法、
これは私たちが想像している、私たちの気持ち通りではないということを、
理解しなければいけないということ。
多分ユダヤ人たちは、いまだにイエス様をキリストとして認めません。
メシアとして認めません。
なぜユダヤ人たちはメシアとして受け入れないのでしょうか。
だから彼らたちは今も嘆きの壁で、メシアを送ってください、メシアを送ってくださいと祈っている。
メシアはすでに来ておられるのにメシアを送ってくださいと祈っている理由。
自分たちの考えと、イエス様が現れて出されることは全く違ったということです。
ユダヤ人たちはキリストだとするなら、メシアだとするなら、ローマを打ち破らなければいけないのです。
ローマによって除去され、また呪いの象徴である十字架にかけられて死んでしまったこのイエスがどうしてメシアなのか理解できない。
だからいまだに受け入れていないのではないかと思います。
私たちは聖書を通してメッセージを聞きながら、イエス様が地を流すことはなければ罪の許しがないとか、
呪われたところにかけられて私たちの代わりに呪いを受けてくださる。
このような色々なことがあがないのイエス様。
それを学んでからわかっていますけど、ユダヤ人も含め世の中の人々は
十字架と復活を通して神様が全ての人を救われる神の計画をいまだに受け入れることはできません。
だからもう理性、知性的な考えの人は本当にキリスト教を信じるのは難しいかなと思う。
難しい部分があります。
ですから今の私たちの人間的な考え、人間的な思いと神様の考えと神様の働きのやり方は
天と地のように違うということを理解していきましょう。
このような神様の考え方法を理解して受け入れるためには
自分が正しいと思う理性、知性的な考えを全部下ろさなければいけません。
ここにお祈りが必要だということを今日申し上げたいと思います。
イエス様は私たちと同じ姿でこの世の中に来られました。
人間の姿、イエス様は真の神様であり真の人間ですから
この十字架を前にしてイエス様は本当に葛藤されました。
反も悩みもありました。
皆さん誰も死ぬことは怖いです。
また死ぬことも普通に死ぬじゃなくて十字架にかけられて殺されることは本当に怖いです。
当時の人は十字架を全部わかっていました。
だから十字架にかけて死ぬ人は自分の十字架を背負って
死刑場までこれを背負っていくことをみんな見ていたから
だから死刑場に行くことは本当に難しいと思いました。
まず簡単に申し上げますと
十字架刑が決められたら
まずその犯人は無知で撃たれて半殺し状態まで無知で撃たれて
ヘッシュマウンクラッシュという映画では120体を受けた
大体40体ではないかと私はここはまだ曖昧です。
映画では120体だから今までは40体だと思ったのに
ということを考えていました。
しかしこの無知のところに
今裏のことを金属とか何とかつけて
それを一発撃たれたら
この肉が全部散らされるような怖い内だそうです。
また自分がかけられるべき十字架を背負って死刑場まで行くんですけど
私が試職で調べてみたら当時の十字架の重さが
30キロから60キロまで行くという
このような重さを持って半殺しされた状態で死刑場まで行く。
死刑場まで行くところでローマは
ローマに逆らったらこうなるんだということを
見せしめとして死刑されるものですから
だから何か人々が全部見るように
この人を導いていくそうです。
死刑場に着いたら体の一番怖い部分ですね
ここですかここですか
一番痛いところ
ここと足を重ねてここに
大きな釘でこれを打って
それでつけてこれで十字架をかけるんです。
十字架経緯ということは
この3つのこの釘によって
2日また長い人は3日間これを十字架にかけられて
頂上に血を流しながら水を流しながら死んでいくという
ユダヤの世界は太陽がものすごい熱いものですから
その中で苦しみながら3日間死んでいくことを見ながら
みんながローマに逆らったら私はそうなるんだと思って
イエス・キリストの十字架上の働きと神の報い
絶対逆らわないように見せしめとして行われることだ
ですから残忍すぎるものだから
ローマ人には十字架経緯が禁止されていたということです
それをずっとイエス様を見ておられたことですから
イエス様は十字架を前にした
その前夜
結成マネーのそので
イエス様は祈りを始められたんです
イエス様は本当に結成マネーで祈ったことなんですけど
今日の読んだ聖書に見てますと
主に二つの祈りをされた
父なる神様
あなたは全てができるんじゃありませんか
だから何か他の救いの技の方法を通して
私は十字架経緯から何とか逃してください
取り除いてください
十字架じゃなければいけないんですか
十字架でやらなきゃいけないんですか
そうしながら私は十字架を避けていきたい
ということがあったでしょう
またもう一つの祈りは
私の願い通りなさるんじゃなく
父、お父様の願い通りやってください
この祈りを繰り返し繰り返し行った
もともと汗が流されることと血が流されることは違うんです
血はポトポト落ちるんですけど
汗はゆっくり流される
汗が血の滴るように流されたというから
どれほど切に切に祈られるか分かります
その結成までの祈りを3度祈られたんですけど
結果はどうなったんですか
イエス様の思い通りになったんですか
いいえ父親神様の思い通りになりました
だから結成までの祈りはなぜしたんですか
結成までの祈りを通して
神様の身胸をイエス様は確かめ確かめ確かめ
神様の身胸通り
自分自身を服従するための祈りが結成までの祈りだった
また父の身胸通り行うことができる力をいただきたい
十字架を背負う力をいただきたいという祈りが
結成までの祈りだった
神様は結成までの祈りをされるイエス様は
どれほど感謝だったのか
ルカの22章43節を見ますと
天使が現れてイエス様に祈りをできるように
力をつけてくださった
結局皆さんお祈りということは何でしょう
イエス様の結成までのお祈り
この祈りはイエス様とイエス様ご自身との戦いだった
私たちは悪魔との戦いは簡単です
イエス君と身なによって出て行けと出て行くんです
これ信仰は大事なんですけど
イエス様の身なによって出て行けと悪魔は出て行くんですけど
私のうちに自分の考え
自分の何かやりたいこと
皆さん一番怖い人
一番難しい人は自分なんです
自分に対して自分が一番怖いなんです
私たちが戦うべき相手は
神の身分と違う異なる自分の考え
また自我自分自身との戦いです
結成までの祈りは
私の考えを神様の考え思いに合わせること
私を殺し
神様の身分神様の考えを受け入れ
従おうとする心
これが忠実から祈りの一番大事なことであり
私たちの戦い霊力の戦いで一番難しい戦いは
自分自身との戦いです
皆さん私たちが祈るとき
自分は願うことあるんじゃありませんか
ああ何か願いたい
しかし祈ってずっと長い祈りをしてみれば
神の耳がなんとなく分かる
神様の身分が分かります
私の願いは違うんです
でも私の願い通り知ってくださいじゃなくて
神様の身分通り行うことができますように
自分自身を下ろして
神の願いを受け入れ
そこに従う力までいただいて
実践する従順する
これが結成までの祈りの大事さだったんですね
だけど私たちは
いつも結成までの祈りを元にして
自分自身と戦いをしながら
神様に従う祈りを
これからしなければいけません
私の願い通りではなく
神様の身分通り行うことができますように
自分自身を打ち叩いて
神様に服従させる
これが正しい信仰の姿です
イエス様は賛同の祈りを通して
それを成し遂げることができたんです
だからイエス様はすでに
祈りの中で勝利されたんです
祈りの中で十字架を全部
全部成し遂げることができる
パワーをいただいたんです
その後
結成までその後で
イスカルニューダーが連れてきた
大祭司長
立法学者
長老たちが派遣した群れが
そこについてくるんですけど
その時イエス様の姿はどうですか
弟子たちは全部逃げてしまいました
もう怖いから
逃げてしまう
捕まえて殺されるんじゃないかと
怖いから逃げてしまったんですけど
イエス様は堂々とする姿で
彼たちを迎えるんです
この後イエス様は
もうすでに私は十字架を背負ったように
そのような姿で
捕まえていき
裁判を受けて
無知
こんな怖い無知を打たれ
十字架を背負って
ゴルガードの丘まで
行かれました
そこで十字架にかけられたんですけど
十字架上で
イエス様は何をされたのか
信じる者への十字架とゲッセマネの祈りの必要性
マルコ中古書23節には
墓地薬を混ぜた
葡萄酒を飲ませようとしたが
イエスは
恩恵にならなかった
皆さん
墓地薬を混ぜた葡萄酒
これは何かと言いますと
十字架経緯で殺される
死刑種なんですけど
その死刑種に対する
最後の小さな慈悲
と言いましょうか
何か鎮痛剤を飲ませてあげる
ようなものがこれなんです
しかしイエス様は
それを断った
イエス様は何をされたのか
人類の罪の呪い
罪の罰を
自分は全部受けた
全部受け止めて
自分はそれを担って
上がらない
逃げようとする心ではない
全人類の罪を
私は全部
背負って生きるのに
そこで何とか鎮痛剤で
逃していきたいということは
一切ない
全部受けられたということです
また十字架状で
イエス様は何をされたんですか
死と言わねに
この方を見なさい
マリアン
これからあなたの母だ
これからあなたが
この母を面倒見てくれ
十字架状で
マリアンを面倒を見ることを
死と言わねに頼んだ
その日から
マリアンは死と言わねの家で
泊まるようになった
自分が死んでいくのに
そのような余裕があったんでしょうかね
イエス様は自分の母親に対して
親孝行を
そのように最後まで貫かれた
またルカの23章34節には
自分を十字架にかける
鞭を
唾を吐き
鞭を打たれ
十字架にかける
この人たちに対して
死を彼らをお許しください
彼らが今自分たちが何をやっているのか
わからないんです
だから彼らをお許しください
言ったり
またヤワネ中級章30節には
全て成し遂げられた
として
息を引き取られた
自分が任せられた
この世に送られた
全ての働き
全ての使命を
十字架上で
全部成し遂げられた
それを手手でしたいと言いながら
私たちが学んだんですね
全世界の人が見ている
全ての人がキリストを見ています
そのところで
準備ができなかったら
ああお願いします
お許しください
ああごめんなさい
本当にそんなことをしませんでした
泣くこともしませんでした
叫ぶこともしませんでした
自分自身に対して
弁明もしませんでした
イエス様は十字架上で言われたことは
聖書に記録されているものが
イエス様によって
実現できるようなことだけ
言葉で語られる
イエス様は十字架上で
本当に聖書を完璧に成し遂げられた
このようにして
イエス様は救い主の御業を
全うされました
そしてお墓に葬られ
そして3日目に復活されました
イエス様だって
皆さん
新学校で学びをしてみれば
変なこともたくさん学びます
自由主義新学者が書いた本が
たくさんあるから
イエスは
実は十字架にかけられ
苦しみを無理にしたんですけど
実は
これは影に過ぎなかった
影だった
イメージだった
と言いながら
何とか言う
変な新学者たちもいます
新学校の学びは
本当に気をつけなきゃいけないことが
たくさんあります
しかしイエス様は
こんなこと一切しませんでした
イエス様は見言葉通り
全てを語られ
最後に全てを成し遂げられました
イエス様がなさった
この素晴らしい働きがあったから
私たちが救われ
今天国を楽しみにしているし
私たちの子供だったという
身分・力をいただくことに
なったんじゃありませんか
これがイエス様は
特別な力があったから
特別な存在だったから
それができたのか
いえそうではありません
イエス様は私たちと
同じ条件だったんです
何が違うのか
祈られた
結末の祈りなんです
弟子たちは
もう軍兵たちが来た時に
逃げてしまいました
なぜ
その前に彼らは
祈りなさいと言ったのに
祈らなかったんです
祈ったのか祈らなかったのか
祈りで準備したのか
準備できなかったのか
それだけの差があったんです
そこでペトロのように
いい自分を
何か自分は
私は絶対死んでも
あなたから離れることはありません
それに
女中によって
女トレイが言ったところで
いや違うよ違うよ
私その人知りません
この卑怯な姿を
ペトロと全然違うでしょう
この差はどこから来たのかと言いますと
祈ったのか祈らなかったのか
皆さんこの祈り
祈りがどれほど
どれほど素晴らしいのか
イエス様は祈りによって
勝利され
祈りによる力と感謝
そしてみんなの前で
今になるまで
全ての人類が
イエス様の働きは素晴らしかった
イエス様の働きは楽しかった
救い主
イエスキリストの素晴らしい姿を
今も褒めたたえることではありませんか
イエス様は
そのような働きに対して
信仰と祈りに対する
神様の報いがありました
皆さん私たちの働きに対しては
必ず神様からの報いを
お悔いであげます
これをピリッポ2章
後節からありますけど
私は8節から
読んでいきましょう
へり下って死に至るまで
それも十字架に死に至るまで
中旬でした
そのためこのため
神はキリストを高く上げ
あらゆる名に勝る名を
お与えになりました
こうして天上の者
地上の者地下の者
その全て
イエスの皆にひしゃまずき
全ての下が
イエスキリストは主であると
公に述べて
父なる神を讃えるのです
イエス様は
人類の救いの御業を
神様が一番願われる
聖書を成し遂げながら
人類の御業を
行ったことに対して
神様は大きく感激され
イエス様に
神様の全てを
祝うのです
ですからイエス様は
救い主であり
裁き主でもあります
世の終わりに
裁きは誰が行うのでしょうか
父なる神様ではありません
イエス様です
私がいつもこれを見て
本当に素晴らしいなと思っているのは
救い主と裁き主が
イエス様です
他の宗教は
釈迦者が救ったというのに
裁きはイエス様が行ったら
難しくなりますよね
私たちは救い主が
裁き主と同じだということ
これが本当に
大きな意味があるのだと思います
本当にイエス様は
救い主であり裁き主だということ
これが本当に大きな意味を
持っているということを
イエス様は
この世に来られた目的を
イエス様は
十字架で成し遂げられたんですけど
十字架の前に
この結成前にの祈りがあったからこそ
十字架の
この
十字架の働きができた
ということです
この十字架で死んでくださった
イエス様を
神様が死から蘇らせて
そして昇天されて
今は神の右の座で
私たちのために
取り巻き寄りをしておられます
父の身心を
完全に従ったイエス様
このイエス様の
命を
その行動によって
全人類が救われる
全人類の救いの道
光が照らされる
本当に素晴らしい
それで神の子供になり
私たちは天国を楽しみにする
天国を待っている
私たちになりました
イエス様は
しかし
イエス様だけ
十字架があることではありません
事実は
私たちみんなに
十字架があります
イエス様は
信仰告白して救われて
イエス様に従おうと決心した
私たちに
マタイの14章26節
それから弟子たちに言われた
私について行きたいと思う者は
自分を捨て
自分の十字架を背負って
私に従いなさいと言います
イエス様について行きたいと思うことがない人は
もう別なんですけど
イエス様について行きたいと思う人は
自分を捨てなさい
自分の十字架を背負って
私に従いなさいということです
ここで私たちの十字架は
皆さん何ですか
一番基本的な十字架から
申し上げましょうか
私たちみんな家庭があります
神様に対して
家庭と教会は
この世の中で一番大事なところです
神様は家庭を通して
神の御業を成し遂げられています
そこで私たちは
父であり
母であります
父であるなら
父の十字架があります
父の十字架は何ですか
これは
子供たちを正しく教育させることです
子供たちを正しく教育させることより
もっと大事なことはありません
私たちはわざわざ
遠い国まで行って
選挙史として行こうとする
選挙史で行く前に
あなたの子供を
イエス様の弟子になるように
助けなさい
使いなさい
選挙史になっていくのに
自分の子供は何でもない
選挙史になって行って
そこで何しているのか
イエス様の弟子を
弟子をすることではなく
他のことをやっている
最後の皆さん
私が今最後の最後になってみれば
牧師選挙史という者たちが
一体牧師選挙史になって
何をやったのかが
もう全部現れる
もう明らかになるでしょう
本当そうなんです
選挙史になる前に
あなたは家庭の父ではないか
父の忠実感
子供を大きく助ける
子供がイエス様の弟子になるように
助けること
これが大選挙命令ではありませんか
また皆さんに奥さんがいますか
奥さんに対して
正しい夫としての忠実感
これが私の忠実感です
正しい夫として
忠実感を背負っているのか
また父だとするなら
家庭を養う責任がある
家庭を養う忠実感
また職場がありますか
職場でキリストシャーとして
生きるべき忠実感があります
また出席する教会があるなら
教会で自分の忠実感がある
担うべき忠実感がある
そのすべてを自分のわがままでやろうとしたら
勝手にできますけど
人の身群れどおり
それを成し遂げようとするなら
そこに結成マネの祈りが必要だということです
私は妻に対して
夫としての忠実感を
うまく背負うことができなかった
また夫として忠実感を背負うために
結成マネの祈りをするべきだったのに
それがなかった
ということをいまだに反省しています
私たちが一番基本的な自分の忠実感
結婚の中で忠実感
家庭の中で忠実感
職場の中で忠実感
教会の中で自分の忠実感を
正しく
主の身群れどおり
正しく背負ってきたとするなら
すべてが
自分がいるすべての場所
すべてが
どれほど美しいところになっているのでしょう
しかしそれは私たちの熱心
自分の考え
自分の何か
やろうとする気持ちだけではできません
主の身群れどおり行おうとするなら
結成マネの祈りが必要です
私の願い通りではなく
主の身群れどおり
成し遂げることができますように
祈ること
またそれを成し遂げるような
力を下さいという
祈りがこれから私たちには
大事なことではないかと思います
私は今までやったこと
うまくできなかったことを
たくさんこのメッセージをしながら
振り返ってみますと
本当に私はもう
神様の裁きの座に前に立っていたら
もう罰されるんじゃないかと思われる
怖い気持ちになりました
これから私は遅くなったんですけど
これからでも
結成マネの祈りを
しっかりやって
今でもこれからでも
自分の十字架を
しっかり背負っていきたいと思っています
皆さんはどうですか
皆さんの十字架
自分の十字架をしっかり背負っていますか
これから
イエス様が自分の十字架を
しっかり背負ったように
私たちも結成マネの園
自分の結成マネの園があるでしょう
結成マネの園で
主の身群れどおり
これから生きたいと思います
という切なる心
これを持って
祈っていきたいと思います
皆さん考えてみてください
中州姉妹
なぜこの世に来られたんですか
ユナちゃんのために来られたんじゃありませんか
ユナちゃんのいい母になるために
来られたんじゃありませんか
ユナちゃんのいい母になるために
結成マネの祈りが必要でしょう
ソラちゃんのいいパパになるために
この世に来られたんじゃありませんか
この世に来られたんじゃありませんか
考えてみてください
あゆみちゃん
みのりちゃんのいいパパ
父になるために
この世に来られたとするなら
良いパパ良い父になるために
結成マネの祈りが必要なんです
これから各々自分の
結成マネの園に行って
私が担うべき
私の十字架を
もう一度考えながら
私がいる場所
所属された所々
何かやるべきことがあったから
起こってくださったと信じて
そこで私のやるべきことを
しっかりやるために
私たちの
結成マネの祈りを
これから行っていきましょう
そうするなら
天使が現れて
私たちを助けてくださると信じます
お祈り致します
七巡節の時期
イエス様は
ご自分の十字架を背負うために
結成マネの祈りを通して
皆を力をいただいて
うまく成し遂げたことを
学びました
本当に素晴らしいイエス様
本当にイエス様
うまくされました
おかげで
私たちは救われ
神の子供になり
天国を楽しみにするものになりました
私たちも
誰かの助け
使命があって
神が持っている
自分の十字架を
しっかり背負って
うまく担うことができるように
毎日毎日
結成マネの園で
神様に祈っていきたいと思います
上から天使の力を
貸してください
そして私たちの祈りが
主に届けるように
私たちが主から力をいただいて
私たちの身の回りに
助けるべき方を
しっかり助けることができるように
頑張ってください
イエス様の皆を通して
お祈りいたします
アーメン
38:07

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