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「病、誰の罪によるものですか」2026年9月6日のメッセージ
2026-09-06 31:20

「病、誰の罪によるものですか」2026年9月6日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2026年9月6日(日)主日礼拝のメッセージです。

牧師:アブラハム黄

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(聖書)ヨハネ9:1-3  さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。2 弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」3 イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。

メッセージ題 : 病、誰の罪によるものですか (ヨハネ9:1-3)
*この世に病は多くあります。病気を持っていない人はいません。この病が潜在していながら現れるなら、私たちは人生の大事なことを下ろさなければなりません。油断し発病した後、治療を始めるが・・・
#さて、誰が病気になり事故が起こったなら、人々はやさしく「何か!罪とか悪いことをしたから問題が」
*ヨハネ9:1生まれつき目の見えない人に対して・・・誰の罪によるものですか?人々は因果応報・・・

1.私たちはイエス様が言われた聖書的な価値観を持ちたいと思います。では、誰の罪の故ですか?
*ユダヤの社会は、先天的な障害とか大きいな不幸にあわれると?当事者とか親の隠された罪に対して神様が裁かれたここと思う偏見が!私たちも、苦難に会われると?習慣的に原因は何なのか、誰の罪の故か?
*聖書もそのように書かれてあります。創世記3章の罪の故に? 出エジフト20章の十戒を守らなかったから。
出エジフト20:5先祖の偶像崇拝の故に、子孫3-4代まで罪を問われると?牧師も家系に流れる呪い?言いながら。私たちはやさしく、因果応報の論理で、全世界を見ながら評価しているような気がします。

2.ところが、イエス様の観点は異なったのです。
*本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。イエス様は盲人が苦しんでいる理由は罪の代価、呪いによる問題ではないと。事実世のすべての痛みは人間論理、因果関係で説明できない
*勿論すべての痛みと苦しみは初めの人の罪によって始まったのですが、運命論、因果応報的な思考を無くすためにイエス様が来られ、私たちの代わりに十字架を背負われたのです。イザヤ53:5、ローマ8:1,2命をもたらす霊の法則?―>神の御旨があって与えられたことと理解し受け入れなければ

3.では・・・「神の業がこの人に現れるためである。」とは、どんな意味ですか?
=神様がこの人を通して成し遂げることがあったので、彼を盲人として生まれるようにされたことです。
=主権者イエス様! 即ち、誰の罪なのか?どんな罪によって盲人になったのか・・・そうしながら親のせい、先祖のせい、他人のせい、非難することに焦点を合わせるよりー>神様が彼を通して何をされようとするのかにもっと心を入れ、聞いたり、用いられたりしなさいということです。 #先週、金曜とりなしの祈りで・・・環境の中での真理とは?理解ができない環境が与えられたら、その中の真理を知りたい!
*ルカ7:11-17ナインの町の寡の一人息子の死?どのように受けいれるべきなのか?可哀そうな寡婦・・・彼女は罪が多いのか呪われた姉妹なのか?なぜでしょう?その状況の中での真理は?イエス様
イエス様が来られると?死んだ息子が生き返られ寡婦は喜びに!なぜ神様はそのようなことを?イエス様は、死んだ息子さえも生き返らせるお方であることを世の人が信じるよう!マルコ4:35-41の事例も
#では、「神の業がこの人に現れるため」とは何でしょう? 1)人生の真の意味と目的を発見させる為に
例)病院に入院した青年、癌だから死ぬことも?驚いて怖くて悔い改めを。死ぬかも知らない人生をお金稼ぐ為に?人生に本当に大事なことを考え始めた。救いと天国、永遠の命。詩編90:10救いの為に悩むなら?救い主イエス・キリストに!コヘレト7:2,3 2)また、苦難は恵みの機会。苦難は救い主イエス様を出会わせて下さる機械であり、神の栄光と救いの御業を現わす機会です。盲人を癒すイエス様を通して・・・私たちが本当に工夫するべきことはこの世でどう生きるかより、天国にどう入るかです。
*その準備で苦難、病よりもっと勉強になるものない。ただイエス・キリストです。永遠の天国の保証!
@世のすべての人は苦労しています。原因は?解決の為のイエス様の十字架!これから主の救いを見ろ

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00:00
今日は、「病、誰の罪のゆえですか?」という対応をもって、メッセージを返したいと思います。
世の中で、今、病んでいらっしゃる方が大勢います。 みんな1つ、2つぐらいの病は、みんな持っています。
また、病によって非常に苦しんでおられます。
健康になって、いつも私は問題ない、大丈夫だと思っていて、それから病気になり始めたら、
私たちは今まで、私たちが世の中で大事だと思っていることを、仕事を下ろさなきゃいけない場合もあります。
普段、油断していて、病気が発生した後、後悔しながら治療を始めるのですが、
うまくまとめることができない場合が多くて、
国では早期発見のために、毎年健康診断を受けるように、今、進めているところであります。
皆さん、世の中で日本のような国がどこにあるんですか?
私たちは本当に良い国に過ごしているんだなと思います。
さて、誰が病気になるか、誰に問題、事故が起こるか、発生するなら、
人々は優しくこう言います。
ええ、なんとか罪を犯して、そんなことになったの?
また何か間違いをしていたから、こんなことになったでしょう。
怪しい目で見ます。
イエス様と弟子たちが道を歩いておられる時に、生まれつき目の見えない人が見かけられました。
弟子たちは、その人を見て質問しました。
先生、この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか?
本人ですか?両親ですか?
当時の人々の考え方は、苦難また生涯を罪を犯したないからと思っている、因果応報的な思考を持っていた。
私たちも同じじゃありませんか?
家で何か問題が起こった。家族の中で誰かが病気にかかったとか、痛みを持っているなら、
神様、私が何の罪を犯したからこんなことがあるんですか?と言いながら、
その原因を罪また過ちから見つけようとしているのではないでしょうか。
ところが、イエス様は、この人、また親の罪ではなく、神の業がこの人に通して現れるためだと言います。
03:07
私たちは今日、イエス様がお話しされたこの内容を深く黙想しながら、
正義性的な価値観を持ちたいと思います。
まず、誰の罪のゆえですか?
弟子たちは、生まれつき目が見えない人を見て、この人が盲人として生まれたのは、誰の罪ですか?と言います。
みなさん、生まれてから盲人なんですよ。だから、この人の罪じゃないでしょ。
生まれの前に罪を犯すこともない。
だったら、親の罪か、先祖からの何か罪か、というふうになるのではありませんか。
このように私たち人間は、問題があれば、
習慣的に、誰の罪なのか、誰の過ちなのか、誰のせいなのかと言いながら、
何とか人を責める傾向を持っています。
これは、堕落した人間の本性に遭うようなものになりますけど、
戦医書にもこのような記事が書かれてあります、事実。
創世記3章。
全悪の知識の木の実を食べたから、人間に呪いが来ました。
罰。
また、主治医療機関20章では、実戒というものがあって、
実戒を守らなかったから、呪いが来るように。
また、特に主治医療機関20章の後節には、
先祖が空上相愛をした罰を子孫3代、4代まで問うと言われたので、
偉そうに牧師がその部分を持って、
いつも家計に流れる呪いが何と何と言いながら、
皆さんに説教したこともありました。
私たちは優しく、因果応報の論理で、
全世界を見て、そして評価しているような気がします。
ところが、イエス様の観点は、これは全く違ったんですね。
3節に、本人が罪を犯したからでも、
良心が罪を犯したからでもない。
イエス様は、世の中の人々が見る観点、
世の中の人々の価値観を強く否定します。
事実、私たちが病気にかかったとか、
ある家の中で何か問題とか事故が起こったということは、
人間の論理とか、何が原因なのかということで、
簡単に説明できないことがたくさんあります。
もちろん、世の中の罪、問題、いろいろな痛みは、
06:01
初めの人、アダムが、蛇の誘惑を受けて、
神学の知識の木の実を食べて、そこから始まったことなんですけど、
私たちが何か間違えてある。
だから、このような問題が来たという運命論、
因果応報式の思考をなくしてくださるために、
イエス様が来てくださり、私たちの身代わりとして、
十字架を背負ってくださったんです。
イザヤ53章5節
イエス様は、ご自身が十字架にかけられ、
そして、これからは、私たちがそのような運命的な考えに捉えられないで、
新しい価値観を持って生きるようにしてくださいました。
シト・パウロは、これを立法を持って説明するんですけど、
ローマ書8章1節、2節には、
したがって、今やキリスト・イエスに結ばれているものは、
罪に定められることはありません。
キリスト・イエスによって、
命をもたらす霊の法則が、
罪と死との法則から、あなたたちを解放したからだ、と言います。
ですから、私たちは、私たちの身の回りに起こるいろいろな問題を、
誰の罪のせいなのか、と言うよりは、
神の身棟があったから、こんなことがあった、と。
神の身棟は何なのか、それを調べる。
それを考えるところで、考えを転換しなきゃいけない。
価値観の変化が必要だ、ということです。
皆さん、誰のせいですか、誰の問題ですか、と言ったら、
その人を責めるか、戦いしかありません。
喧嘩しかありません。
しかし、誰のせいではなく、
神様の御業をこの人を通して表すためだ、と言ったら、
だったら、神様は何ですか?
この神の身棟は何ですか?
神に尋ねる。
そして、神様からの答えをいただくので、
これが事実、問題解決のために非常に大事だ、ということを
考え方を、イエス様が教えてくださることです。
家で何かあったら、いつも、私たちも同じでした。
牧師になったとしても、家に何か子供が病気になったとか、
家に問題があったら、夫婦がいつも言うんですね。
あなたの家に何か、いつもこんなことがあったから、
こんなことがあったんじゃない?
だったら、妻が怒るんです。
09:00
あなたの家は大丈夫なの?と言いながら、
お互いに喧嘩し始めるのは、やっぱりあなたのせいとか、
何かのせいだということは、喧嘩しかありません。
それで気持ち悪くなっちゃって、
それで何か問題が起こって、
もっと大きな問題が起こるようなきっかけになるということです。
ですから、私たちの考え方をこれから変えなければいけないということを
イエス様が教えてくださるので、
全ての問題の原因を、誰かのせい、誰の罪のゆえ、
この世の言い方をやめなさい。
キリストシャーだったら、それをやめなさい。
神様が何か計画があって、
神様の何か身群があって、こんなことがあったと思って、
私たちは神様に、今これが起こりました。
神様、何か身群があるんでしょうか?
教えていただきたいと思います。
私たちが何を直せばいいのか、
何を解決しなければいけないのか、教えてください。
全てを神様に持っていって、
神様からの解決をいただく。
このような考え方をイエス様が教えてくださったことなんです。
では、神の技をこの人に表すためだということは、
どんな意味でしょうか?
これは、神様がこの人を通して、
何か行おうとする計画があるから、
この人が生まれつき、目が見えない人に生まれたよ、ということなんです。
これは、神は主見者だ。
私たちは非常物だ。
神は主見者だ。
誰のせいなのか、誰の罪なのか、
誰によって亡人になったのか、
だから親、また戦場、また他の人のせいをする、
避難することに焦点を合わせるよりは、
神様の計画は何なのか、
神様がこの人を通して何を行おうとするのかに心を止めて、
神様に聞きなさい。
そして神様が何か教えてくださるなら、
それを実験しなさい。
事実は皆さん、実行中心的な人間、
主見者神様を一番嫌われるんです。
神様が何で他の人はこんなに美しく、
こんな立派な家庭で、こんなに清浄的に生まれさせたのに、
私は目が見えないような人として生まれさせるのか。
皆さん、主見者神様を実行中心的な人は一番嫌うんです。
この話はもう受け入れたくないでしょう。
だったら私もいい人として、いい家門で、いい環境の中で生まれさせてください。
これを言いたいんです。
事実、皆さん、他の人はみんな目が見える状態で生まれたのに、
生まれながら目が見えない。
12:00
この人のこの気持ち、この不便さ、
どうだったんでしょう。お仕事もできないでしょう。
他の人はみんなお仕事して稼いだり成功したり、
出世したりするんですけど、
この人は目が見えないので、
初めから何もできない人として人生を過ごしているんですよ。
だったらこの人の心の中で恨み、つらさ、
これはどれほどなんでしょうか。
しかし、非常物は相乗主に用いられること以上、
もっと素晴らしいことはないということを考えるとき、
また、100年しか生きないこの世の中で、
神の計画のために不便な状態でいるこの人に、
神様は大きな大きな報いを与えてくださるのに違いがないということを考えるとき、
このことをうまく耐えていくこと、
神様の計画、主見者神様の計画をアメン、受け入れて、
神の計画通り生きる、
これがどれほどどれほど素晴らしいことなのか、
これを考えることは大事です。
先週金曜日、
金明軌道会で神を体験する学びをしながら、
環境の中で心理ということを皆さんに申し上げました。
理解ができない環境の中で、
その中でなぜ問題が起こったのか、
なぜ私にはこの世復興できないことが起こったのか、
私たちはその理由が欲しいです。
私が行っている環境の中で、
何か心理は何なのか、
これを金曜日に学びましたけど、
例えば、ルカの七章中一節からは、
ナインの町のヤモメの一人息子が死んでしまいました。
葬儀を行うという記事が書かれてあります。
ヤモメの一人息子が死んだ。
皆さん、これは私たちの世界でも難しいんですけど、
イスラエルは本当に厳しいです。
なぜなら、イスラエルはいつも男性を主にする社会です。
女性一人いたら一番弱い存在です。
女性一人が一番かわいそうな存在だと考えている社会が、
イスラエルの社会です。
だから、自分の旦那さんが亡くなったとき、
旦那さんがいなくなったとき、もう寂しさもあるんだけど、
これから私はどう生きればいいのかと思ったでしょう。
世の中は本当に精神競争が激しい世界の中で、
女性一人の姿として、この人生をどう生きているか。
しかし、彼女には息子がいたんです。
息子の何か全ての希望を与え、
息子が生きているから、私は本当に生きる生き甲斐があるんだと思って、
15:06
息子に頼っていったんです。
しかし、一人息子さえも死んでしまった。
だから、皆さん、これはどう理解すればいいでしょう。
彼女は夫も死んで、一人息子も死んで、
彼女に罪が多いからですか。
彼女は罪が多い人間だからですか。
彼女は呪われた女ですか。
なぜこんなことが起こったのか。
私の人生の中で、本当に神の身分は何なのか。
神の真理は何なのか。
彼女はこれを知りたかったでしょう。
じゃあ、状況の中で真理、環境の中で真理は何でしょう。
環境の中で真理は、イエス・キリスト。
イエス・キリスト。
彼女の葬儀が行われて、一人息子の葬儀が行われているところで、
イエス様が現れました。
イエス様は葬儀の行列を止めらせて、
横たわっている死んだ息子に、
若者よ、起きなさい。
ただ若者が起き上がって、生き返って、
起きたんです。
それによって、ヤモミは感謝と喜びに満たされていました。
だったら、神様はなぜこのヤモミに、
息子を死ぬことを許されたんでしょう。
この意味は、
神様のこの意味は、
イエス・キリストが死んだ人も生かすことができる、
命の献身者だということを、
この世の中はみんなが知るようにするために、
この一人息子が、死のような状況に遭われたということです。
死んだ息子が生き返ることができたとき、
全世界の人々が、
イエス・キリストを信じるようになった。
皆さん、
すべての人が、イエス・キリストは命を救う、
命を死んだ人も生かす、
命の献身者だということを知らせることは、
私の息子が死んで、また生きること以上大事なことでしょうか。
大事なことです。
私たちの人生、非常物である私たちの人生を通して、
イエス・キリストを証する、
イエス・キリストを表す、
世界の救い主であるイエス・キリストに用いられる以上、
私たちに素晴らしいことはありません。
だから、死んだ人だとしても、
イエス・キリストを全世界の人々に命の献身者のことを表す、
ここに用いられたとするなら、
18:01
この息子が死んで生き返られること、
またそれを担うために、彼女の涙、
これはものすごい大きな価値があるものだったということです。
私たちは今私たちの人生に行われている、
この全てのことの真理を、
イエス・キリストに出会うまでは知ることができません。
ですから私たちは、私たちが持っている全ての悩み苦しみを持って、
イエス・キリストの御前に出て、
なぜですか主よ、なぜですか主よ、
聞かなければなりません。
私たちが信仰を持っているなら、
私たちに行われている全てのことを見る観点、価値観を、
世の中の人々がやることではなく、
信仰者は変わらなければなりません。
誰のせいなのか、そのように言っているのは、
問題解決に何の役にも立ちません。
神様がどんな計画を持っているのかを聞くこと、
そうするときに、イエス・キリスト、
またイエス・キリストを通した癒し、
イエス・キリストを通した救いが私たちに与えられるようになります。
では、神の御業がこの人を通して現れるためだということ、
神の御業は何でしょう?
環境を通して与えられる神の御業、
私たちにいろいろ、
楽しいことばかりを行うなら私たちは悩みません。
苦しみが与えられ、問題が与えられるときに、
神様がどんな計画、何の計画を持って、
私たちにこのような苦しみを与えてくださるのか、
人生のまことの意味と目的を発見させるために、
私たちに病また苦難を与えてください。
ある若者が病院に入院しました。
お医者さんが診察して、検査して、診察した後、
ガンだと。
そしてこの若者はもう亡くなるかもしれないという話を聞きました。
若者は本当に驚きました。
それでこの若者が悔いを改めました。
そして考えてみました。
もうガンになって、これからすぐ死ぬかもしれないのに、
職場で出世するために、お金を稼ぐために、
精一杯頑張ってきた自分自身の人生が、
意味がないんだということをやっと悟りました。
今までそんなことを考えたこともありません。
しかし、もうこの病気によって自分は死ぬかもしれないということを
話を聞いてから初めに、
人生の中で何が一番大事なのかを、
若者が考え始めたということです。
21:04
皆さん、本当に大事なのはこれなんです。
私たちがこの世で生きている目的、
そして聖書が言っている救いと天国、永遠の命、
そこに関心を持つことができる、
これが人生のまことの意味があります。
このまことの意味を教えてくださるために、
神様は私たちに苦難を与える場合があります。
詩編の90編の10節です。
人生の年月は70年ほどのものですが、
健やかな人が80年を数えても、
得るところは老苦と災いに過ぎません。
瞬く間に時が過ぎ、私たちは飛び去ります。
あっという間に、瞬く間に過ぎてしまうこの世の人生、
この後、天国、地獄は永遠です。
私たちは何を大事にしなければいけないでしょうか。
大事なのは天国に行かなければいけない。
天国に行くためにはどうすればいいでしょう。
私の努力で行きますか。
私の努力で罪と悪魔に勝つことができますか。
これを悩み始めることは、これが祝福だということです。
その悩みの末に、イエス・キリストを発見するでしょう。
悩みは全くない。
人生はただただ楽しく、ただただ喜びばかり。
これは人生から何を学ぶことができますか。
人生に苦難があったから、病気があったから、
ああ、私が死ぬかもしれないということから、
死んだらどうする。この後何があるんだろう。
死んだら終わりなのか。
いや、天国、聖書は天国、地獄がある。
天国、地獄に行ったらいけない。
天国に行くためにどうすればいいのか。
その悩みが大事だということです。
本当に真面目な心で悩み始めたら、
精霊様が助けてくださるでしょう。
皆さん、立法が与えられた目的は、
立法を守ろうとしているのに守れない。
ああ、私の人生、何と惨めなものでしょう。
その立法の目的はこれなんですよ。
この立法の目的は、私たちをイエス・キリストに導くためだ。
同じなんです。
私たちの人生の中で苦しみも、
イエス・キリストに導くためです。
苦難があるとき、ああ、私も死ぬかもしれない。
私の人生、何が一番大事なのか。
24:01
だから、そこからイエス・キリストを発見する。
イエス・キリストを見つかるのは、これはすごい祝福なんです。
事実、私の息子が今度、
お医者さんから、ガンの疑いがあるという話を聞いて、
彼がショックを受けました。
もう一人入院していて、パパはそこにいない。
もう家にいる。病院の一人、ベッドに。
それで、私も死ぬかもしれない。
よとし、いろいろな考えをした。
私は私の人生を無闇にしたんだ。
そして、悔いを改めたと言ってくれました。
本当に本当に、その死ぬかもしれない。
皆さん、死ぬかもしれないこと、いつ感じるんでしょう。
いつ考えるんでしょう。
もう一度も考えないで、いつも楽しいこと、
いつもうまいこと、いいこと、美しいこと、
ばっかりばっかり考えて、生きている人がたくさんいるんでしょう。
自分は死ぬかもしれないということを、
考えることが全くないんじゃないですか。
特に若者たち。
特に幼い時には、こんなことを考えないでしょう。
それを考える、何かチャンスがあったってことは、
これは本当に幸い。
コエレト伝道章ということです。
七章二節。
弔いの家に行くのは、主縁の家に行くのに勝る。
そこには、人みんなの終わりがある。
命ある者よ、心せよ。
賢者の心は弔いの家に、
軍舎の心は快楽の家に。
苦難の時こそ、
私たちは人生の本当の意味を考える、
何とかがそこにあるんだと。
二番目、苦難は恵みのチャンス。
苦難は、私たちをイエス・キリストに導くきっかけになります。
また、神の栄光、また救いの御業が行われるチャンスにもなります。
イエス様が、生まれつき盲人になった人を癒されることによって、
世の中の人々は、イエス様が盲人の救い主、
世の光であることを知るようになりました。
苦難を通してイエス・キリストを発見することになった人は、
本当に本当に幸いな人です。
皆さん、この世は百年、天国地獄は永遠です。
この世の中は、永遠な天国地獄に比べて、
27:02
比較できないほど短いです。
この短い世の中で、主と福音のために、
私たちがいくら苦労するんだとしても、
天国に行って報われることを考えたら、
本当に世の中の短い百年の人生は何にもないんです。
私たちが本当に悩むべきことは、
この世の中でどうすればうまく生きるか考えより、
永遠に生きる私たちの人生を、
天国で過ごすことか、地獄に過ごすことになるのか、
それを悩むことです。
その準備をするのに、苦難よりもっといい勉強はありません。
私たちはこの世の中で出世して、生育をして、
お金を稼いで幸せになったりする、
このことばっかり考える、そこに夢中になっているなら、
自分が死ぬこともできる、
永遠な天国地獄があるんだということを考えもしますか。
苦難を通してそれを考えることができたら、
苦難は祝福だということです。
罪によって地獄に行くしかない私たちの人間、
私たちの罪を贖うために、
イエス様が十字架で死んでくださった、
このイエス・キリスト以外に救いの道はありません。
苦難と病は、救い主イエス様を求め、
出会うように与えられたチャンスなんです。
この時期、イエス・キリストを求める私たちになりましょう。
世の全ての人々は苦しんでいます。
苦しみの根本原因は、アダムの健在のゆえ、
また、先祖の罪、私の罪、過ち、この原因かもしれません。
もちろん、その罪に対しては、
徹底的に悔い改めなければなりません。
その働きのために、
イエス・キリストが十字架で血を流してくださいました。
これからイエス様は、
この働きを新たな観点から見なさいと言っています。
誰のせいか、避難して運命的に挫折するよりは、
神様がこのことを通して、
何をしようとされるのか、見てみなさいと言っています。
大事なのは、
イエス様、私は道を、真理を、命である。
神に出る、つながる道は、私しかないと言われました。
神に行く道、イエス様を知り、信じ、救われ、
また、イエス様を愛すること、
また、イエス様を伝えて、
他の人々が救われるように助けること。
これが、神様が私たちに一番願っておられる、
30:00
第一の忌ましめ、また第二の忌ましめ、実践です。
私たちを癒してくださるイエス様に感謝します。
また、苦難を通して、
永遠の天国を準備してくださる神様に感謝します。
イエス様に感謝、神様に感謝、精霊様に感謝、
私たちには感謝しかありません。
お祈り出します。
この世の全ての人々が病気を持っているし、苦しんでいます。
しかし、病気と苦難を神様からの観点から見たら、
苦しみなさいとして与えられたことではありません。
これを通して、私たちの考えを、
癒されるイエス様、救われるイエス様、
また、永遠の天国に入る準備をするように
導いておられることを学びました。
主よ、私たちを癒してください。
また、永遠の天国に入るように、
うまく準備できる私たちにならせてください。
イエス・キリストの皆を通してお祈り出します。
アーメン。
31:20

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