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「礼拝を通した癒し」2026年8月30日のメッセージ
2026-08-30 41:10

「礼拝を通した癒し」2026年8月30日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2026年8月30日(日)主日礼拝のメッセージです。

牧師:アブラハム黄

▼メッセージをスライドで: https://x.gd/0dA0T

▼公式Instagram: https://www.instagram.com/tokyovinechurch

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(聖書)マラキ書4:2(新改訳) しかしあなたがた、わたしの名を恐れるものには、義の太陽が昇る。その翼にいやしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のように跳(は)ね回る。

メッセージ題 : 礼拝を通した癒し (マラキ書4:2)
*最近、教会の家族の病と、私の息子の病をきっかけで癒しの重要さと緊急性について考えています#先週、神様の癒しの為には私たちの祈りが・・・Ⅰヨハネ5:14神の御心に適うことを?1)信仰で祈る?約束を掴んでしがみつける祈り。2)憐れみをもって祈る?憐れむだけでなく神の恵みを受けるように
#今日は、礼拝を通した神様の癒しについて・・・私たちの救いの過程と姿は様々! 使徒パウロは?使徒26:13-16天からの太陽より明るい光に照らされ、馬から落ちて、サウル、サウル?ドラマチックな・・
しかしテモテは?Ⅱテモテ1:5祖母と母の純真な信仰で母体から?Ⅱコリント5:17新しいものが生じたとしても・・・癒され変化する観点から見ると?様々!信仰成長は癒しの過程である。それをどこで行う?

1.救われるとき癒されなかった部分は、続けて癒しをもらわなければいけないのに・・・それは毎週の礼拝を通して!
*礼拝とは? 神様との出会いであり、関係回復であり、神のご臨在の中で、元々の創造秩序に取り戻される体験です。土で創られた体に神の息が入れられ生きるものになったことと同じ体験のお時間です。創世記2:7
従って、礼拝の時間は一番強力な癒しの時間であり回復の機会であります。 *元々一人の人間が持っている関係性には?神様と!自分自身と!隣人と!大自然との関係性がありますが・・・神様との関係性によって?
*大事なのは、創世記3章で、神様に不従順によって、自分に恥を、エバとの関係、大自然との関係も破壊!従って、神様との関係性を取り戻してくれる礼拝は・・・本人の癒しの為、他の関係性の為・・・一番、大事なこと。

2.礼拝を通した癒しの過程は・・・どうですか?
*マラキ4:2しかしあなたがた、わたしの名を恐れるものには、義の太陽が昇る。その翼にいやしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のように跳(は)ね回る。 イザヤ11:9わたしの聖なる山においては(礼拝がある神殿には?)/何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように/大地は主を知る知識で満たされる。 #傷とは、ひどく壊された感情の痕、すべてを難しくする苦い根の根源!
それは罪がこの世に入り、神様からの命が断ち切られてからあったもの!*その傷の癒しの為には?
1)神様との関係性が先ず取り戻されなければ! 2)傷は主の御前で申し開きをしなければ! 3)イエス・キリストの十字架の血潮で覆い癒さなければ! 4)よく忘れる私たち、新たに救いの感激で癒しを
―>この為に礼拝が!このすべての過程で続けて癒しを成し遂げてくださるのは?御言葉と聖霊様!
礼拝の時間、宣言される御言葉を持って聖霊様に心尽くして助けを求める姿勢を。そのとき、マラキ4:2

3.聖書の人物らは、皆、礼拝を通して癒しを経験し、主に用いられた人でした。
*創世記28-32章のヤコブ!自己中心的で欲張り、ぬすびと、詐欺師のような・・・双子で生まれたが長子にならなかった。残念!しかし長子の祝福権を奪おうとしてお家は大騒ぎ。エサウが殺そうと?波乱に逃げるヤコブ。途中で石を枕に、寝ながら神様に出会う・・・べテル?28:16-19礼拝で・・・お任せ
*創世記32章、ハランでのヤコブ、20年間、超人的熱心で財産を稼ぎ、家に戻って来るが昔の傷が・・
32:22₋25ヤボク川で神様と争い?礼拝!祝福して下さらなければ!あなたの名前は?ヤコブをイスラエルに、詐欺師が神の皇太子に!それからイスラエルの信仰継承に用いられた!例)モセ、ダビデ・・・
@礼拝は神様との出会い。神様は永遠自存、永遠不変、無限、無所不在、全知全能なお方!Ⅰペトロ5:10あらゆる恵みの源である神様・・・詩篇22:4私たちが何処にいるとしても礼拝するなら来られ、出会ってくださるお方。礼拝の時間は癒しの時間であった!毎週の礼拝は、病、弱点、問題から解放、祝福の

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サマリー

このメッセージは、礼拝を通して神様から癒しを受けることの重要性について語っています。救いの過程や癒しの経験は人それぞれですが、礼拝は神様との出会いであり、関係回復の機会を通じて、本来の創造秩序へと回復される強力な癒しの時間であると強調されています。創世記の神様と人との関係、そしてその後の破壊された関係性が、礼拝によって回復されることの重要性が説かれます。マラキ書やイザヤ書の預言を引用し、礼拝の場が傷ついた感情や苦い根を癒し、神様の知識で満たされる安全な場所であることを示しています。ヤコブやサマリアの女など、聖書の人物たちが礼拝を通してどのように癒され、人生を変えられたかの例が挙げられています。神様は賛美と祈りの礼拝があるところならどこにでも臨在され、あらゆる恵みの源として癒しや慰めを与えてくださると語られています。最終的に、礼拝は単なる儀式ではなく、神様との出会いを通じて自己肯定感を高め、完全な回復へと導かれる、人生において最も重要な時間であると結論づけています。

癒しの重要性と祈り
今日は、「礼拝を通した癒し」という対応をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
最近、教会の家族の皆さんのいろいろな病、 また、私は一緒に暮らしている息子の病をきっかけで
癒し、改めてこの癒しの大事さ、 緊急性を考えているところであります。
先週、神様の癒しのためには 私たちの祈りが大事だということを申し上げました。
じゃあ、祈りに対して、この聖書があるでしょう。 第1ヨハネ5章14節。
何事でも神の御心にかなうことを私たちが願うなら、 神は聞き入れてくださる。
神の御心にかなう祈り、これが大事なんです。 これが何なのか、先週2つ皆さん申し上げました。
1つは、信仰の祈り。 信仰によって神様の約束を掴んで握って、
これをしっぽり祈ることだと申し上げました。 しかし、このしっぽりという単語、私はよくわからなくて、
まあ、しがみつけるという単語が もっとふさわしいんじゃないかと思って、
だから、信仰によってしがみつける祈り、 こういうことを皆さん理解していただければと思います。
もう1つは、哀れに思う心で祈ることです。
哀れに思うということは、ただかわいそうに思うだけではなく、 その人が神の恵みをいただくことができるように、
使えること、使えてあげることまで含まれる。 この実践まで含まれる。
このような、哀れに思うこの祈りが、 神様が喜ばれる祈りだということを申し上げました。
ですから私たちは、この神様の癒しを求めながら、 信仰の祈り、哀れに思う祈りを通して、
愛する方々に使える。 このような教会になっていければと思います。
今日は、礼拝を通した神様の癒しについて申し上げたいと思います。
救いの多様性と礼拝の力
皆さん、私たちはみんな救われているんですけど、 私たちが救われたといったときに、
この救われたこの状態、また救われたこの姿、 またその救われる過程は様々です。
例えば、シト・パウルは、シト行伝26章を見ていますと、
もう白外症として、キリスト者を白外するために タマスクに行くところで、
天から太陽よりもっと明るい光に照らされたんです。
それで馬から落ちて、目が大きくダメージを受けるまで、 もう不思議な体験をしました。
その時、サウル、サウル、なぜ私を白外するのか?
どなたですか?
私はあなたが白外しているイエスである、 というような見こえを聞きながら、
サウルはこの馬から落ちて、目が見えなくなって、 それから人々に導かれてタマスクのところに入る。
この状態で、彼は深く悔いを改める間に、 アナニアに出会って、手を置いて祈った時、
目から鱗が落ちる。
それで人生の究極な変化が伴う救い、
それを通して白外者がいきなり伝導者として変わります。
だから、首都パウロの救いということは、 もうドラマティックな変化です。
ところが皆さん、テモテ、 パウロが自分の息子だと言われているこのテモテはどうですか?
第2テモテ1章で書かれてありますけど、
彼は見言葉によって静かに、 本当に救われたのか救われなかったのかもわからない。
ドラマティックな変化がありませんでした。
なぜ?
自分の祖母、または自分の母親が、 もう真実なクリチャンだったからです。
だから、真実なクリチャンの家庭で生まれた 母体信仰と言うんですか?
だから、自分は大きく変わることがなかったんです。
サウルのような深い悔い改めの家庭を通して、 ドラマティックに救われることもあるし、
悔い改めたのか、救いが望んだのかも自分もわからない、 その間で救われる場合もあります。
もともと私たちは救われる時には、 水と霊とによって新たに生まれる体験。
第2コリンとコーション中の後節には、
だからキリストと結ばれている人は、 誰でも新しく創造されたものなのです。
古いものは過ぎ去り、新しいものができた、 生じたと言うんですけど、
古いものが過ぎ去り、新しいものが生じたと言われるほどの ドラマティックな救いをみんな体験しているのか?
そうではありません。
みんな私は救われたと言うんですけど、 新しくなったのか?という側面では様々です。
私たちが救われる時、みんながドラマティックな変化、 だから持っているすべての病と問題がすべて癒され、
それで私は新しくなった宣言できるまで 救いが与えられたならいいんですけど、
そうではないこともたくさんあるということです。
ですから大事なのは、私たちが救われたと言った後に、 私たちが望んでいるこの癒し、
まだこれが伴わなければいけない。
だから信仰の成長の過程が癒しの過程だと言われるほど、
私たちは救われた後になってやっと癒しがこれから始まる。
もともと救いが与えられる場面で癒しが伴い、 それで究極のドラマティックな変化が伴う、
この救いが欲しいんですけど、
救いはいただいたんですけど、 なかなかそれができたのかよくわからない。
しかし救われた後に見言葉をいただきながら成長しながら、 それを体験していき、体も完全にだんだん変わっていく。
このような癒しがほとんどの方たちが経験していることではないかと思います。
では、救われた後に伴う癒し、 これは一体どこで行われるのか。
これが礼拝の時間を通して伴われるんだと。
だから礼拝を通した癒し、 それを皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
礼拝とは何か:神様との関係回復
礼拝とは何でしょう。
礼拝とは神様と出会うことです。
神様との関係を新たにする時間です。
神の御臨場合の中で、 私たちがもともと神様が想像されたその姿に取り戻される時間が礼拝の時間です。
皆さん、創世紀2章7節に、 神は土の塵で作った人間、土に過ぎない人間に命の息をふーっと入れられた時に、 人間は生きるものになったと言ったんですね。
土に過ぎない人間に命の息が吹き入れられた時に、 生きるものになったと言うんです。
だから、礼拝の時間は何かと言いますと、 世の中で様々な病気、いろんな病み、様々な問題、トラブルによって、 散々やられた私たちが礼拝の時間に来て、
神様からの息をふーっと与えられてもらって、 私たちがまた生きるものとして変わっていく。
想像されたところの生きているものに変わっていく時間、 それが礼拝の時間です。
だから、礼拝の時間が一番強力な癒しの時間であり、 回復のチャンスなんです。
普通、私たちは4つの関係性を持っています。
ある一人の個人と言った時に、この人に必要な4つの関係性があります。
まず、神様との関係性。
まず、2番目、ご自分との関係があります。
私と私の関係?
私と私、もともと私の自我との関係性があります。
また、私と隣人との関係。
また、私と大自然との関係があります。
これが、1つによって全てダメになります。
神様との関係性がダメになることから、 もう神様と避けて逃げたということもあります。
また次に、自分自身に対して。
自ら自分自身を恥と思うんです。
また、恐れを感じた。
何です?
自分が自分に対して、自分を恥に思う。
恥ずかしく思う。
これは、私が私に対して侮辱することと同じなんです。
皆さんと皆さんご自身の関係性。
私自身を何と見ているのか。
これが罪によって、私自身を恥と思っている。
だから、自分と自分との関係がダメになる。
また、自分と妻との関係。
この女が私に与えてくださって、私が食べました。
妻との関係がダメになってしまう。
また、大自然との関係がダメになったんですけど。
血を、汗を流しながら、胃腹に支えながら、
なんとか食べ物を得ようと頑張らなきゃいけない。
大自然との戦いがその時から始まったとするなら、
はじめに何を解決するなら、
この四つの関係が全て解決できるのか。
神様との関係を取り戻すなら、
自分自身との関係、周りの人との関係、
大自然との関係が全て元通り取り戻されることになります。
ですから、神様との関係を取り戻してくれるこの礼拝の時間こそ、
他の関係性よりもっと優先的に、
先に解決しなきゃいけないところではないかと思います。
礼拝を通した癒しの過程に対して、
礼拝を通した癒しの過程:マラキ書とイザヤ書
代表的に教えてくださる聖書が、
今日一緒に読まれたマラキの四章二世帝です。
しかし、我が名を恐れ敬うあなたたちには、
神様の皆を恐れ敬う。
これは何ですか。これは礼拝者。
礼拝者であるあなたたちには、
気の太陽が昇る。
神の目の高齢剤が回復される。
この翼には癒しの力がある。
礼拝の時間、神の高齢剤の中で、
私たちは癒しをいただきます。
だったら、あなたたちは旧社の孔子のように、
踊り出て、飛び回る健康によって、
生き生きするようになるんだということを見事がです。
マラキ四章二世帝には、もう一説だけで、
礼拝、神様の高齢剤の中で癒される結果として、
私たちは飛び回る。
ここまで全部書かれてあるものですから、
マラキ四章二世帝は本当に大事だなと思います。
イザヤ十一章九説にはこう言います。
私の聖なる山においては、
エルサリム神殿は山の途中にあります。
だから、私の聖なる山ということは、
礼拝を捧げる、礼拝堂、神殿を意味します。
そこには、何者も戒を加えず、滅ぼすこともない。
水が海を覆っているように、
大地は死を知る知識で満たされる。
大地が、世の中が神の孤倫罪、死を知る知識、
神の孤倫罪に満たされるから、
そこには戒を受けることもなく、
滅ぼすこともないなと。
だから、神殿は安全なところだということを、
私たちに教えてくださいます。
ですから、傷ということは、
ひどく傷つけられた感情の跡でもあり、
全ての関係性をためにするものでもあります。
これは、利害根ということです。
傷がある人は、付き合いをするのに難しいです。
傷の癒しと神様への告白
旦那さんと奥さんの間に、
解決できなかった昔の傷があるなら、
夫婦関係が非常に難しくなります。
また、皆さん、お友達、
何か非常に難しい関係の中で、
ずっと成長された方は、
何か一言言ったら後悔してしまう。
一言言ったら、あなたは私を無視するのかと言う。
何か、これであなたは、
私を無視してこんなことを言うんじゃないよと言っても、
自分なりに過去の傷があるから、
それを通して、ある人の一言が、
自分を侮辱することだと思って、
喧嘩に。
だったら、だから皆さん、
この傷を癒さない限り、
誠の関係性は、またか難しくなるんです。
では、なぜこの傷が来たのか。
これが、世の中に罪が生えて来ることから、
神の命から断ち切られるところから、
生えてきたんです。
ですから、礼拝を通した、この傷の癒しは、
これから私たちは、この四つを繰り返し、
行わなければなりません。
では、礼拝の時間で何をするのか。
まず、神様との関係性を取り戻す。
神様の関係性を取り戻すこと、
本当に大事です。
では、二番目。
神様の前で、私の中で、
傷、何か苦い根、
何かいろいろな部分を、
明らかにしなければなりません。
皆さん、いつも隠されているなら、
何にも解決できません。
だから、いろいろな話があると、
病気は、いろいろ宣伝しなきゃいけない。
病気をいろいろな人に言ったら、
あ、私も前は病気だったんだけど、
これを癒したよ。
いろいろな助けをいただくことができます。
病気を隠しておけば、
これはいつまでも病気として残るでしょう。
だから、私たちの中にある、
傷、病気、問題は、
愛する人、
信じられる人の中には、
これは明らかにしなく必要があります。
だから、私たちは神様の前で、
自分の病気を告白し、
申し開きをしなければいけないということで、
ヘブラー遺書、
日本遺書の13節は、
私たちに教えてください。
申し開き、
これは明らかになる。
神様に明らかに教えてください。
告白する。
この傷を、
上に、
イエス・キリスト・忠実家の致死法によって、
塗る。
致死法によって塗ることが大事です。
なぜなら、
イジャヤ・コズ・サンショウ・ゴセツ。
彼が差し支えられたのは、
私たちの背きのためにあり、
彼が家を砕かれたのは、
私たちの徒歩のためであった。
彼が受けた懲らしみによって、
私たちは平和が与えられ、
彼が受けた傷によって、
私たちは癒やされた。
イエス・サムの忠実家の致死法によって、
私たちの病んでいるところ、
傷を受けているところ、
いろいろな病気の上を、
イエス・サムの致死法によって塗る。
このような行動が大事です。
しかし、
そうするなら、
癒やされるだけではなく、
平和を与えてくださろうと言います。
しかし、私たちは、
イエス・サムから助けてもらうことを
思っているのですが、
みんなは今、癒やされているし、
救われているし、
イエス・サムからたくさんの恵みを
いただいているのですが、
私たちはたびたび忘れるのです。
年寄りになったから、
頭が悪くなって、
忘れることもあるのですが、
人間はもともと忘れやすい。
だから、忘れてしまって、
また神から離れて、
罪を犯して、
神から離れるようになります。
だから、私たちにいつも、
この救いの感激、
神様からいただいたこの恵みを、
新たに新たに
悟らせてあげる、
教えてあげることが大事です。
これがいつ伴うのか、
これが礼拝の時間を通して
伴われるということです。
ですから、
癒やしのために、
礼拝が大事だということです。
このすべての過程で、
聖書人物の癒しの経験:ヤコブ
私たちに続けて、
癒やしを与えてくださることは、
御言葉と
精霊様です。
礼拝の時間に、
宣言される御言葉をもって、
精霊様に
心を尽くして、
癒やしを求めるなら、
精霊様は、
癒やしを与えてください。
では、マラキショのように、
我が名を恐れ御山を、
あなたたちには、
木の太陽が昇る。
その翼には、
癒やしの力がある。
あなたたちは、
九書の孔子のように、
踊り出て飛び回る。
というような、
マラキ四書二節が、
私の中で繰り返し繰り返し、
与えられるから、
主の日の礼拝に参加することが、
どれほど大事なんでしょう。
聖書の神仏たちは、
みんな、礼拝を通して、
癒やしを体験し、
主に用いられる人になりました。
その代表的な
精霊が、
誰かと言いますと、
ヤコブなんです。
皆さん、
私たちの教会のもともと、
元老の牧師が、
ヤコブ先生、神ヤコブ。
ヤコブ先生だけじゃなくて、
皆さんもよく見ていますと、
ヤコブのような、
この何と言いましょうか、
ヤコブと同じような、
何かがあります。
私たちは、
大抵ヤコブのような存在ですけど、
ヤコブはどのように神様に用いられるのか、
ヤコブは、礼拝を通して、
これを皆さんに説明しましょう。
創世紀23章から32章まで、
ヤコブは、もともと、
自己中心性が、
ものすごい強い人。
もともと、みんな、
自己中心性を持っていますけど、
自己中心性が、
ヤコブより強い人は、
聖書には現れません。
また、欲張りなんです。
また、
自分の何かがあったら、
盗んで、盗む。
また、詐欺をする。
詐欺師のような、
内面性を持っています。
彼が、
生まれるんですけど、
一生に生まれた人がいました。
ふだごとして生まれた、エッサオとヤコブ。
自分は先に出て、
また、
長子になっていれば、問題なかった。
しかし、彼は、
残念ながら、
エッサオより、
少し後に生まれたので、
一生に生まれながらも、
長子の権利は、
エッサオを持っている。
長子の権利を受けることが、
できなかったヤコブ。
だから、自分の心の中で、
私が長子になるべきだったのに、
エッサオが先に出てしまって、
長子になった。
長子の祝福権ということは、
ものすごい、
イスラエルは大事に思うでしょう。
だから、兄の祝福権を、
自分を奪おうとして、
兄の代わりに、
なんとかしようとしながら、
家が大騒ぎになって、
エッサオがヤコブを殺そうとするところで、
彼は、
その家から、
逃げなければいけなかった。
さあ、
逃げるところで、
アラノで、
夜、
石を枕として、
寝ている状態で、
神様に出会います。
これが、ヤコブ28章の
16節から19節。
ヤコブは、
眠りから覚めていた。
まごとに主は、
この場所におられるのに、
私は知らなかった。
そして、
恐れおののいで言った。
ここは、なんと恐れ多い場所でしょう。
これがまさしく、
神の家である。
神の家、ベテルだと。
そうだ、ここが天の門だ。
ヤコブは、
次の朝早く起きて、
枕している石を取り、
それを記念日として立て、
先端に油を注いで、
その場所をベテルと
名付けた。
そこで、
ヤコブは、神様に
礼拝します。
そして、家のこと、
今、詐欺をして、
上司の権利を奪って逃げる。
家で大騒ぎになっていることを、
神様、お願いします、なんとか
解決してくださいと言いながら、
礼拝を通して任せながら、
彼は波乱に逃げます。
32章から、
波乱に行ったヤコブは、
どうなったのか。
ヤコブは、
親戚ラバンの家で、
20年間、
一生懸命働きます。
その期間、
7年間は、
初めの妻であるレアのために、
次の7年は、
自分の愛する妻の
ラケルのために、
また財産を得るために、
6年間、
本当に一生懸命、
ラバンのために働きます。
そして、大きな財産を
携えて、
ふるさとに戻っているところで、
自分を殺そうとしている
エッサウを考えながら、
彼は恐れになります。
なぜなら、
ふるさとを離れるときに、
エッサウが、
このヤツが帰ってくるなら、
必ず殺してしまう、
という話を聞いたからです。
家に帰ろうとしたら、
エッサウは怖い。
エッサウは必ず私を
殺すんじゃないかと思います。
また、
人を使わせて見てみたら、
エッサウが700人、
連れて、
自分を400人、
殺すに来ているんだ、
という話を聞いて、
彼は恐れおのえて、
これから前に進むことができません。
そのヤコブを、神様が
ヤッポコ川というところに
手当てください。
これが、
創世記32章の
26節からです。
そこで、
神様が前で、
主よ、私を助けてください。
私はもう、エッサウから
殺されるかもしれない。
自分なりに切実に神様に
祈っているところで、
神様がそこに現れるんです。
その人は、
ヤコブに勝てないのと
見て、
ヤコブの桃の関節を
打った。
それで、
その人に尋ねて、
あなたの名は何ですかと
人は聞きます。
ヤコブです。
その人は言った。
お前の名前はヤコブではなく、
これからイスラエと呼ぼうと言います。
格闘している間に、
この人が、
この人は神様。
神様がヤコブの名前を書いてください。
ヤコブから、
あなたはイスラエルになれ。
ヤコブは何ですか。
詐欺師。
詐欺をする者。
詐欺師の名前を、
イスラエル、神の皇太子として
名前を書いてください。
その時から、
ヤコブの心が、内面性が変わって、
それで、
詐欺師を神の皇太子として
変えてくださって、
イスラエルはこれから、
アブラウム・イサク・ヤコブ、
神の信仰の系列を繋がる、
この素晴らしい存在として、
用いられます。
ヤコブは、
礼拝を通して、
自分のアイデンティティが変わって、
それで、
自分の人生も変わるし、
周りの人も関係性も変わるし、
それから、
イスラエルのために大きく用いられる人として、
変わっていきます。
礼拝を通したヤコブの変化。
聖書人物の癒しの経験:サマリアの女
ヤコブだけではありません。
モーゼも、
礼拝を通して変わりました。
ダビデも、礼拝を通して、
エレミアも、礼拝を通して、
これは長いから、
今日のメッセージ、
礼拝のために短くしますけど、
みんなが、
神様に出会って、
礼拝を通して、
自分の内面性が変わります。
そして、傷が癒され、
神様から大きな働きを担うことができた。
ここで、
皆さんに紹介してもらいたい人は、
ヨガネ4章で現れる、
サマリアの女の記事です。
サマリアの女は、
心の中で、
欲がありました。
これは、男性に対する欲。
それで、
あまり良くなかったんですけど、
その欲を満たそうとして、
彼女は、
夫を古人も入れ替える。
古人の夫も、
あなたじゃない。
この次の夫、
この次の夫、
このような女性がいるんでしょうかね。
古人の夫を入れ替えても、
満たされない。
だから、今一緒に暮らしている、
男性がいるんですけど、
これは旦那さんでもありません。
このように、
自分の欲を満たそうとして、
やっている間に、
周りの人から見たら、
これはスケンダルの女になってしまって、
周りからいじめられるんです。
だから、
人々との付き合いができない。
人々の関係を
持ってくれない。
だから、人々がいない。
暑い昼間に、
糸に、
水を汲みに来ます。
その時、イエス様が、
彼女に出会ってください。
イエス様に出会って、
救われた後、
彼女は、恋愛に関心を持ちます。
なぜ私は、
これを皆さんに紹介するのかと言いますと、
聖遺書の中で、
恋愛と関係して、
一番大事な
メッセージが、
サマリアの女によって、
私たちに与えられたこと。
これは本当に、
このスケンダルの女、
汚れた女、
このサマリアの女を通して、
恋愛に対する一番大事な
メッセージが、
私たちに与えられたということを、
見ていますと、
私たちが侮辱するある人が、
神様からの侮辱される人ではない、
ということが、
分かります。
では、
ヨハネの福音書4章23節。
しかし、まことの礼拝をする者たちが、
礼と真理をもって、
父に礼拝する時が来る。
今がその時である。
なぜなら、
父は、このように礼拝するものを、
求めておられるからだ。
神は礼である。
だから、神に礼拝する者は、
礼とまことをもって、
礼拝しなければならない。
礼拝と関係して、
一番大事なメッセージが、
スケンダルの女、
サマリアの女を通して、
私たちに与えられたのです。
この後、彼女は、
礼拝者、
伝道者としての生活に、
変わります。
じゃあ、礼拝は、
神様の性質と礼拝の重要性
神様との出会いです。
皆さん、神様は、
どんなお方ですか?
神様は、永遠に、
自らおられるお方です。
始めもなく、
終わりもなく、
また、神様は、
永遠に、
不変なお方です。
変わりがありません。
始めに語られた見言葉は、
今も有効です。
これはもう、
本当に難しい。
神様は、無限です。
私たち人間は、
100年しか生きないんですけど、
神様は、無限に生きるお方です。
また、神様は、
宇宙の中で、
宇宙の外で、
おられないところが、
ありません。
神様は、
全知全能です。
わからないことがない、
また、できないことがない、
お方です。
この方が、
第一ペトロコーション中世と言いますと、
あらゆる恵みの
源である神様だ、
ということです。
私たちが礼拝を通して、神様に出会ったら、
神様は、
あらゆる恵みを、
全部持っておられる。
あらゆる恵みって、何ですか?
癒しもあります。
もう、
慰めもあります。
富もあります。
力もあります。
私たちが知っている、
全ての恵みの、
源が神様です。
神様に出会ったら、
あらゆる恵みを、
全部いただくことができるから、
とりあえず素晴らしいでしょう。
でも、その神様が、
誰に出会うのか、
神様の、この、
支援の22の4節を読みますと、
神様が好きなことがあります。
これが、賛美。
イスラエルの賛美の中に、
おられるお方。
この賛美ってことは、
当時の賛美を考えた、
ダビデの幕や、
礼拝なんです。
賛美と祈りの礼拝。
その中で、おられる神様です。
ですから、神様は、
賛美と祈りの、
礼拝があるところは、
どこでも来られます。
私たちが隠されている、
初代業界は、
かたこむという地下で、
地下の中で、
隠れて礼拝するところでも、
ご臨在されます。
神様は、
アラノの役部、
兄に嘘つけて、
それで、
上司の権利を奪って、
逃げる、詐欺師、泥棒、
このような役部が、
アラノで一人、
悩んで苦しんでいる時にも、
来てくれました。
女主人から追い出された、
ハガル。
女主人から追い出されて、
逃げる、女奴隷、
ハガルにも、来てくださるんです。
また、
イゼベルから逃れる、
エリア。
エリアが、逃げながら、
食べ物なく疲れ果てて、
川のところで、
倒れてしまったところでも、
神様が、来てくださって、
彼に、カラスを通して、
パンと水を与えてくださる、
お方。
神様は、
一人ぽっちになっても、隠されていっても、
どこにいても、
礼拝するところ、
神を求めるところ、
賛美するところでは、
必ず来てくださる、お方です。
ですから、
私たちが、この礼拝の時間を通して、
自分の悩み、苦しみを、
神様が申し出て、
それで、
神様の助けを求めることさえできれば、
神様は、
どこに来ても、
来てくださって、
私たちに、あらゆる恵みを、
与えてくださる、
お方です。
ですから、
このあらゆる恵みをいたとく、
この素晴らしい時間ですから、
皆さん、世の中で、
礼拝よりもっと大事な時間はない。
礼拝の時間は、
癒しの時間、
買い起こされる時間、
天地創生の初めの頃の、
命の息を、
ふーっと、生きられる、
時間なんです。
これを皆さん、どれほど、
待ち望んでいるか、
信じているのか、
考えるのかによって、
各々違いますけど、
命が豊かに与えられます。
ああ、もう、礼拝の時間、
何回言っても、何にもない。
何にもないと思ったら、何にもないんです。
しかし、あると思ったら、
全部与えられます。
あなたの信仰が、あなたを救った。
あなたの信仰が、
道理になりますように。
信仰によって、
これを全て受け止めるようになるものですから、
私たちが、
今日のメッセージを、
ぜひとも受け止めてくださって、
求めてくださる、
私たちになれればと思います。
今日は個人を言って、
牧師自身の体験と礼拝への信仰
ごめんなさい。
申し訳ないんですが、
天道寺さんと私の付き合いは、
1995年度から。
何年ですか、今。
1995年から、
今まで、
今、付き合いをしているところです。
初め、見た時には、
まあ、なんとか、
近くに行くのには、
難しい人だと、
私は初めに思いました。
難しいなと思った。
しかし、私が一つ学びたいことは、
礼拝を求める。
だから、教会の礼拝部長と長くやったでしょう。
体が痛い。
だったら、皆さんどうでしょう。
ああ、体が痛いから、
今日休みたい。
今日、ごめんなさい。
礼拝はいけません。休みたいです。
逆です。
体が痛いから、礼拝に行く。
なぜなら、
礼拝をどうして、
皆さんに癒してもらったことは、
たくさんあるからです。
だから、とにかく、
体が痛いなら、
礼拝を待つ。待ち望んでいる。
礼拝の時間に行ったら、
必ず治るから。
信仰あるから、その通りになるでしょう。
私、天道師から、
いろいろ学ぶことがたくさんある中で、
礼拝の時間は、
癒しの時間だという信仰を持っていることを感謝します。
だから、
自分の家を礼拝塔として、
今、使っているんじゃありませんか。
また、天道師さんだけじゃありません。
皆さんも、経験あるでしょう。
みんな、このような信仰を持っているんじゃありませんか。
また、申し上げたい。
恥ずかしいんですけど、
私自身、
この礼拝の時間を通して、
癒されたもの。
皆さん、ご覧の通り、
私自身は、背も小さいし、
劣等感の塊。
性格も、
皆さん、
私は、開いた心を持っていません。
だから、
内面性、
内的な性格、
と言いますか。
私、正直に言うと、
大学生の時から、
人との関わりが、
あまりたくさん、広いところではありませんでした。
だから、今、牧師をやっているところでも、
天道師さんが、いつも、
あなたは、他の牧師先生と
付き合いをしてくださいと言っても、
なかなか難しいことは、
私は、人間関係、
付き合いをするのは、本当に難しい。
内政的な考えです。
このような人間が、
背が小さくて、
地方大学出身だから、
本当に、大学生の時には、
劣等感の塊。
皆さん、私の一番の問題は、
少し美しい女性が
現れたら、
手が震えます。
これは、しょうがない。
恥ずかしいから。
私自身が、
私が、私を見るのに恥ずかしい。
だから、私と私の関係が、
ダメになっている。恥ずかしくて。
だから、女性の前で、
一緒にデートしたり、
コーヒーを飲もうとしたら、
コーヒーがボロボロと、
砂糖を運ぶ時に、
全部バラまうような状態。
恥ずかしい。恥ずかしい。
大学生の時からですよ。
その時、私は、
神様の恵みによって、
教会に通うようになりました。
教会に行って、礼拝の時間。
聖火隊が、
初めの賛美を掲げた時、
天使が、天から下ってくるような
気がしました。
このような気持ちで、礼拝の時間を愛して、
礼拝という時間を、
全部参加しました。
礼拝を通して、ものすごい、
恵みと力をいただきました。
今、それが何年目ですか。
もう長い間続けている間に、
手を震えません。
皆さんの前にいても、
手を震えません。
劣等感は、だんだんなくなって、
今は誰でも出会うような、
人に変わっていくところで、
完全ではないんですけど、
そのようになっています。
私に対して、礼拝の時間は、
癒しの時間。
これは、私には間違いない。
今まで、そのようにやってきましたから、
皆さんも、
そのように思っておられるでしょう。
事実、神様は、
礼拝の時間を通して、
私たちは、天地創造の初めに、
持っていた、この素晴らしい状態。
それを、罪によって、
失ったんですけど、
それを、イエス・キリストを受けるところで、
完全に回復できれば、よかったんですけど、
回復できなかった。
それを、足りない。
その部分を、
毎週、毎週の、
週中、礼拝を通して、
神様が、私たちに、
命の息を吹き入れられ、
癒しを与えてくださり、
だんだんだんだん、
直していくところであります。
天国に行く時まで、
完全にイエス様に見習う、
聖火の素晴らしい姿になれれば、
いいなと思いながら、
物足りない私たちは、
礼拝の時間を通して、
完全に変わっていく。
この礼拝の時間、
そのことが行われることを、
信じますか?
その通りになりますよ。
アーメン、アーメン。
そうです。礼拝の時間は、
私を治す時間、
癒しの時間、
完成度を高める時間、
イエスキリストを見習う時間、
本当に素晴らしい時間になると信じて、
礼拝に参加する皆様、
その祝福を皆、
受けるようになります。
私は、礼拝が好きです。
礼拝による回復と完成
救われる時に、
美を新たになった、
新しいものになった、
このような状態を、
神様は今も、
礼拝の時間を通して、
成し遂げてくださいます。
礼拝、礼拝、
神様に出会う、
神様と関係を取り戻す、
私たちの病、弱点、
問題から、
私たちを解放してくださり、
救ってくださり、
癒してくださり、
素晴らしい、素晴らしい時間です。
ぜひとも、ぜひとも、
礼拝、特に、
手術、礼拝を通して、
これは本当に私、
皆さんを癒してくださる、
素晴らしい時間になりますように、
お祈り致します。
主よ、
祈り
この世の中には、
なぜこんなに問題が多く、
病気が多く、
いろいろ難しさが多いんでしょう。
私たちはいつも、
問題と病によって、
悩んでいるところであります。
私たちを、
生かしてくださるため、
救ってくださるために、
イエス様は十字架で血を流してくださったことを
感謝します。
その癒しが、
今日も、礼拝の中で、
成し遂げていることを、
信じます。
私たち教会の皆さんを、
癒してください。
愛する方々を、
イエスキリストの皆を通して、
癒すことができる力を、
私たちに与えてください。
イエスキリストの皆を通して、
お祈り致します。
アーメン。
41:10

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