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「わが主は絶対善」2026年9月13日のメッセージ
2026-09-13 30:04

「わが主は絶対善」2026年9月13日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2026年9月13日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄
▼メッセージをスライドで: https://x.gd/0dA0T
▼公式Instagram: https://www.instagram.com/tokyovinechurch
▼ポッドキャストへのご感想はこちらへ!: https://forms.gle/fHcRBqaFSat8EQfE9
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▼メッセージの自動文字起こしはこちら: https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書)ローマ-39 しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

メッセージ題 :わが主は絶対善 (ローマ-39)
*わが主は絶対善です。絶対善とは、相対善に比べて用いられる言葉ですが・・・神様は?相手がどのように対応するかに関係なく、いつも善を行われるお方。また、永遠に変わりがないお方=絶対善!
人間は?善を行うが、相手の人が対応によって、もし反対、敵意を現わすなら、いくらでも変わる可能性
#今日は、絶対善の神様を分かち合いながら、私たちの信仰を強めることができますように・・・

1.神様は絶対善!というのは、神様のご品性に基づいています。
*ヤコブ1:17 神様は移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もないお方! 朝晩変わる人間に比べて*主は愛であります。アガペー無条件的な愛。Ⅰコリント13:7すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える愛! *主は忍耐強いお方!Ⅱペトロ3:8千年を一日のように?我慢される。しかし神様は正義のお方なので悪を許さない、待っていますが、最後まで悔い改めなければ公正的に裁かれる。 *苦しまれる方、弱者を必ず助けられるお方!社会的な弱者、寡婦、みなしごを必ず守られるお方。 *憐れに思われるお方。檻の中の99匹よりさ迷っている一匹の羊をさがしに出られるお方。 *苦しまれる人、罪人の為に十字架に自分を犠牲されるお方。 *可哀そうに思うだけでなく、神の恵みを受けるところまで仕える愛で
→とにかく神の御姿の人間を、幸せに聖く生きるように、仕えようとされる神の御心が絶対善の中に含んで

2.絶対善が聖書の人類歴史の中でどのように現れているのでしょう?
1)初めに人間が、神様が禁じられた善悪の知識の木の実をとって食べます。不従順の者!どうすればいいでしょう?必ず死んでしまう?しかし、神様は・・・彼らを憐れんで女の子孫を約束?エデンから追い出すとき皮の衣を。人殺しカインには保護の印を 2)イスラエル民が自己中心的な信仰を、神様が僕たちを遣わすと皆殺す?そしてパベロンに滅亡され捕虜になって?しかし、エレミヤ29:11希望を
エレミヤ31:33新しい契約を→従って、エレミヤが叫ぶ。哀歌3:22-23主の慈しみは絶えること無い
3)暗闇と死の陰に座している者たちに光が照らすように、キリストを!イエス様は十字架と復活で救いの道を!ローマ5:8 4)イエス様を信じる人に助け主聖霊様を!この聖霊様が絶対善の御業を。ローマ8:28 また、ローマ8:32御子と共にすべてを賜物として。 ローマ8:37助け主聖霊様によってハッピーエンデイングを!*また、悔しく奴隷になったヨセフを、苦難の中で共におられ、悪を善に、総理に
*重労働のイスラエル民の叫びに答えられ、出エジフトの御業を *大きい罪を犯したダビデを悔い改めるなら憐れに思われ罪ゆるされ *家から出た放蕩息子が戻って来るならすべてを回復させる
*最後は十字架で全人類の罪の為に、ご自身の身を捧げ救われる愛!→人類の為の絶対善の働き

3.では・・・主は絶対善であることを信じて生きるのが、なぜ大事なんでしょう?
1)絶対善の主を信じて生きるのは、どんな苦難と不合理な状況の中でも、結局、神様は私たちを良い道に導かれるという絶対的な信頼と平安の基礎になります。
2)絶対善の主を信じて生きるのは、悪魔の惑わしを勝ち抜いていきます。悪魔は私たちが犯した過去の罪を(悔い改めたのにも)続けて思い出させて、私たちを苦しみに陥れます。このとき、絶対善の主を知ることによって、悪魔が入れる罪に定める考えに騙されないで、詩編103:12叱り追い出される。
3)絶対善の主を信じて生きるのは、信徒を不安にさせる終末論、極端的救い論などに騙されないよう
@真理に基づいた神の愛の中でいつも平安を持たせてくださいます。ガラテア5:1真理による自由を

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サマリー

このメッセージは、私たちの信じる神が「絶対善」であるという概念を中心に展開しています。絶対善とは、相手の行動に関わらず常に善を行い、永遠に変わらない神の本質を指します。これに対し、人間の善は相手の反応によって変わりやすく、実行中心的なものになりがちです。神の絶対善は、その品性、すなわち変わらないこと、無条件の愛(アガペー)、忍耐強さ、弱者への配慮、そして自己犠牲的な愛に基づいています。 聖書全体を通して、神の絶対善は様々な形で現れています。人間が最初に罪を犯した際、神は罰する代わりに子孫の約束や皮の衣、カインへの保護の印を与えられました。イスラエルの民が不従順であった時も、神は新しい契約や希望を与え、エレミヤを通してその慈しみを語られました。さらに、イエス・キリストの十字架と復活による救いの道、そして信じる者に与えられる聖霊の助けも、神の絶対善の現れです。ヨセフの逆境を総理大臣への道に変え、イスラエルの民をエジプトから救い出した奇跡、ダビデや放蕩息子への赦しと回復も、神の絶対善の働きです。 絶対善の神を信じて生きることは、苦難や不合理な状況の中でも神が最善に導くと信頼する平安の基礎となります。また、過去の罪を思い出させてくる悪魔の惑わしに打ち勝ち、終末論や極端な救い論に惑わされず、真理に基づいた自由と平安の中で信仰生活を送るために重要です。神の絶対善を信じることで、私たちは悪魔の誘惑に打ち勝ち、終末論的な不安から解放され、神の子供としての確固たる信仰生活を送ることができます。

絶対善の神とその性質
今日は、「わが主は絶対善」という対応をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
私たちが信じておられる神様は、絶対善の神様です。
絶対善、この言葉をどう理解すればいいでしょう。
絶対善という意味は、相対善という言葉と比べられることです。
神様の善は絶対善です。
相手がどのようにするかに関係なく、いつも善を行われるお方です。
例えば、敵をも愛する。
このような敵を愛する神の善。
また、永遠に変わりがない善。
いろいろな意味で、神の愛は絶対善だと。
ですから、三蔵の水君、マタイの古書44節でこう言います。
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
これは、絶対善の神様という中で私たちが理解するべきことです。
それに比べて、人間の善はどうですか?
私たちもキリスト者だから、愛しなきゃいけないから、善を行わなきゃいけないから、
しっかり善を行います。
しかし、私が善を行って頑張っているのに、相手が知ってくれない。
だったら、やりながらやりながら、やめろ!
私、これ以上はもうやりたくないと言います。
自分の善を知ってくれなければ、やりたくないようになるもの。
また、自分に対して反対をしたり、敵を起こしたりするなら、
いつでも善をやめることができる。
ですから、変わりやすい善と言いましょうか。
相手によって違う善。
いろいろな意味で、私たちが行われている善の姿ではないかと思う。
これを言葉を変えれば、実行中心的な善。
これが人間の善ではないかと思う。
人間の善、これは神様は喜びません。
神様が行われる絶対的な善、これを私たちが学ぶべきなんですけど、
今日は神様は絶対善、これを学びながら、
私たちの信仰をもっと強めていきたいと思います。
敵を愛し、自分を迫害するために祈りなさい。
このような教えをくださる神様。
神様はどうしてこんな絶対善のことを教えてくださるのか。
これは神様の本性、神様のもともとの個品性がそうだからそうです。
聖書における神の絶対善の現れ
まず、神様は変わりがない。
約部1章17節に見ますと、
恩父には移り変わりも天体の動きにつれて生じる影もありません。
神様は動きがない。
そこに動きにつれて行う影がない。
だから神様は全く同じ変わりがないお方だということです。
ところが私たちはどうですか。
朝、昼、晩、いつも変わりやすい私たちです。
神様が変わりがないお方だということ、
私たちがどれをどのくらい理解しているのか。
だったら神様変わりがないことを本当に信じるなら、
私たちみんな安心しますよ。
私が何か間違いをよくできなければ神様が怒るんじゃないかと思うから、
いつも何か恐れとか何とかしますけど、
神様は変わりがないお方だとこれだけ確かに信じるなら、
私たちの信仰生活が大きく変わると思います。
また神様は愛です。
そして神様は正義のお方、気の気です。
神様は無条件的な愛、アカペの愛と言います。
私のアカペの愛を第一古霖と十三章七節、
この言葉がよく表現しているんじゃないかと思います。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
私は私の息子に対して第一古霖と十三章七節ができていません。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
これは私たちはなかなかできませんけど、
神様は世の中のすべての人に対して、
このような姿勢を持っておられます。
また神様は愛でありながら、
神様は正義のお方だということをどのように実践されるのでしょう。
正義と愛は何か違う、
共に両立できないような言葉のように見えるんですけど、
これを神様はどのように実践されるのか。
神様は長く待つ、
長く待つことによって、
我慢することによってそれを実践されます。
神様は忍耐強いお方です。
神様の善ということは、
私たちが罪を犯したとしても、
悟って悔いを改める人に許しを与えるところまで、
神様は善を働き、行います。
ですから私たちが悔いを改めて、
悟って悔いを改めるまで、
神様は待っておられるお方。
神様の愛は最後まで待ってくださるお方だということ。
ですから第二ペトロ三書八節には、
主のもとでは一日は千年のように、
千年を一日のように、
神様は待っておられるお方です。
最後の最後まで待ってても取り戻さなければ、
神様は公正な裁きを行われるお方です。
また神様は弱者、
苦しんでおられる人たちを助けるお方です。
聖書の中で神様が一番気にされるお方は、
家婦、やもめ、またみなしご、小児です。
社会的な弱者を苦しめるのは、
神様は許しません。
また神様は羊百匹を持っておられる方が、
その中で一匹が道を失ってさまよっているなら、
九九匹をノーラルに残したまま、
一匹を探し回られるお方だと、
ご自身を表現しました。
だから神様は私たちが集まっている、
この場所に集まっている方、
もちろん愛しておられるんですけど、
神様が今一番気にされるのは、
どなただと思いますか?
今日礼拝に参加できなくて、
どこか一人で今、礼拝を考えている、
礼拝している方とか、
まだ病んでおられる方とか、
礼拝に参加できなくて、
辛い思いをしておられる方に、
神様はもっともっとそこにおられ、
気にしておられるお方だ。
参加されることは、もちろん、
素晴らしいことをされましたけど、
参加できなくて、
辛い思いをしていらっしゃる方がいるなら、
神様はそこにおられ、
必ずその方たちの声を、
またその心を聞いてくださるお方だということ。
また神様は問題ある人、
罪人のために、
ご自身を十字架で引き渡してくださったお方。
神様は、イエス様は、
私たちのために、
全てを与えてくださったお方です。
とにかく、
神の見姿で作られた人間が、
幸せに、正しく、
うまく生きることを願っておられる、
父の御心が、
神は絶対全だという言葉の中で、
全部含まれているのではないかと思います。
聖書の中で、
神様の絶対全の神様が、
どのように現れているのか、
何か一つだけ考えておきます。
聖書全体的に、
神は絶対全。
まず天地創生の時、
神様が人間に、
エデンの園の全ての木は、
木の実は食べてもいい。
しかし、
最悪の知識の木からは、
取って食べてはいけない。
食べると必ず死んでしまうよ、と、
警告されました。
しかし人間は、
その最悪の知識の木の実を食べてしまった。
本当にそれを考える時に、
どうしてあなたは、
これを禁じた、
これだけ禁じているのに、
これだけをあなたは食べてしまうのか、
何か仕置きに処罰して、
何とか他の誰かが、
誰でもそれを犯すことができないように、
してあげたいという気持ちが、
あるはずなんですけど、
神様はその人間を愛してくださって、
哀れに思ってくださって、
女の子孫を送ってくださる約束をします。
女の子孫はどなたですか。
自分の一人子、
イエス・キリストではありませんか。
だから、
罪を犯した人間のために、
自分の一番一番大切な、
一人子を犠牲することを覚悟して、
それを約束されるお方です。
本当に神様は、
私たちの愛、
罪、過ちを、
自分が、
ご自分が、
全部を背負って、
私たちのために、
いいことをしてくださるお方。
この神様を考える時に、
私たちはどのような考えを持つべきでしょうか。
また人間は、
エデンの園から、
罪を犯した人間が、
エデンの園の命の木を食べたら、
永遠に、
罪を持ったら、
永遠に生きるから、
だから、
エデンの園を隠しておいて、
エデンの園から追い出す神様。
その時、
神様は何をされたか知っていますか。
獣の皮の衣を作って着せられた。
険しいこの世の中で、
今あなたのこの葉っぱだけでは、
耐えられないよ。
だから、
この毛の衣を着て、
そして、
あなたはこれから、
何か、
うまく焼いて、
そして、
女の子孫として来られる、
名車を待ちなさい。
また人殺し、
カイン。
カインは本当に悪いですね。
ねたみもあるし、
いろいろな悪い意味で、
悪いものですけど、
神様はカインに、
保護を、
世の中の誰でも、
カインを、
被害を与えることができないように、
保護の印を与えてくれた。
これは何を意味するんですか。
罪を犯したんだけど、
いつか悟って、
悔いを改めるかもしれない。
だから、
取り戻すことを、
待ち望む心で、
カインにも、
恵みを与えてくださった。
それから見てますと、
皆さん、私たちが、
罪を犯したこと、
それを見て、
神様がすぐ、
処罰される方ではありません。
罪を犯したとしても、
悟って戻ってくるように、
神様が、
今も待っておられ、
恵みを与えておられる、
神様だということ。
考えたら、
心が広くなることでは、
ありませんか。
旧約聖書、
神の民として、
イスラエル人を作っておいたのに、
神様の立法、
御言葉を、
後悔してしまって、
それを実行中心的に、
それを理解して、
偽りの信仰を行います。
神様は、
それを悟らせるために、
預言者、
神の下人を、
続けて続けて、
怒ってあげます。
でも、
彼らたちは、
この預言者の話を聞かないで、
むしろ、
預言者たちを、
殺してしまう。
そして、
結局、
彼らは、
力がもともとない人間だ。
世の中で、
一番人数が少ない、
民族ですから、
パヴェロンに、
もう滅ぼされて、
連れて行く。
そしたら、
皆さん、
私の話を聞かないで、
自分勝手にしながら、
パヴェロンの捕虜になった。
うまくできた。
お前たちはどうなるか、
私は分からない。
と、
言うべきなんですけど、
そのイスラエル人に対して、
神様は、
エレミア29章中1節、
私は、
あなたたちのために立てた計画を、
よく心に留めている。
と、
主は言われる。
それは、
平和の計画であって、
災いの計画ではない。
将来と、
希望を与えるものだ。
皆さん、
神様から逆らって、
神の下人たちを、
皆殺しをした。
この、
神様に、
本当に、
逆らうこの民を、
罰するべき神様が、
この民に対して、
どんな計画を持っているのか、
将来と、
希望を与える計画を持っておられる。
話にならないような話をするんですね。
また、
この人たちに、
精霊を送ってくださる。
今まで、
あなたたちの計画立てたことを、
立法を守るなら、
祝福をあげる。
これを私は、
やめる。
これから精霊を送ってあげて、
精霊様の悟りと助けによって、
私の御心を、
あなたたちを守るようにしてあげ、
あなたに祝福してあげたいと。
神様はいつも、
このような希望を持っておられる。
皆さん、
神様は、
もう、
諦め、
絶望、
ありません。
神様は、
もう、
神様が選ばれた、
このイスラエル人たちに対して、
いつも希望を持って、
いつも積極的な考え方で、
彼たちを助ける。
だから、
エレミアがこれを悟ってから、
アイカー3章22節から23節、
皆さん、ご存知でしょう?
主の慈しみは、
耐えることがなく、
その哀れみは、
尽きることがない。
これは朝ごとに新しく、
あなたの真実は大きい。
そうです。
いつも考えると、
主の慈しみと哀れみが、
毎日毎日、
私たちに与えられるので、
昨日、
罪や過ちを犯した私でも、
今日、
新しい一日を迎え、
そして、
神様の前で、
また希望を持って、
生きるようにしてくださる。
この毎日、
新しい神様の慈しみと、
哀れみによって生きる。
これは、
どれほど素晴らしいことでしょう。
でも、
結局、
旧約聖書イスラエルは、
滅ぼされてしまった。
新約時代が始まった時に、
イスラエル人たちは、
暗闇と死の影に座っている、
人たちのようになってしまった。
その人たちに、
光が照らされるように、
女の子孫として、
神様が約束された、
メーシャーを送ってくださった。
メーシャー、
イエス・キリストは、
十字架と復活によって、
神の愛を示してくださり、
私たちに、
救いの道を示してくださった。
この、
全てが救われている、
この十字架。
神様の愛の示し。
ローマ書5章8節でこう言います。
しかし私たちは、
また罪人であった時、
キリストが私たちのために、
死んでくださったことにより、
神は私たちに対する愛を示された。
このイエス・キリストを信じる人は、
今までどんな罪を犯しても、
どんな悪いことをしたとしても、
神様に対して、
どれほど間違いを起こったとしても、
全て許してあげる。
これから新しい人生を生きるように、
助けてあげる。
神の約束です。
ですから、
神を信じる、
神の子供になった人々には、
その心の中で、
聖霊を送ってくださった。
神の霊、
聖霊、
助け主、
送ってくださった。
この聖霊様が、
絶対善の働きを、
行ってくださいます。
これを代表的な聖書が、
ローマ書8章28節、
神を愛する者たち、
つまり、
後迎客に従って召された者たちには、
万事が益となるように、
共に働くということを、
私たちは知っています。
私たちにイエス・キリストを送ってくださり、
聖霊様を送ってくださっただけじゃなく、
神様は、
ローマ書8章32節、
私たち、
全てのために、
その御子さえ惜しまず、
死に渡された方は、
御子と一緒に、
全てのものを、
私たちに賜らない、
賜らないはずが、
ありましょうか。
神様は全てを、
恵みとして、
プレゼントとして、
私たちに与えてくださる。
だから、
イエス様を与えてくださったことを見たら、
神の全ては、
プラス、
賜物として、
プレゼントとして、
私たちに与えられることを、
あなたたちは知って、
信じなさい、
と言われています。
また、
聖霊様を送ってくださって、
何を起こすんだとしても、
最後は、
必ず、
ヘッピーエンディング。
ヘッピーエンディングにしてくださる。
ローマ書8章37節。
しかし、これら全てのことにおいて、
私たちは、
愛してくださる方によって、
輝かしい勝利を収めています。
みなさん、
旧約聖書、新約聖書によって、
聖書全体的に、
神の御業を考える時に、
いろいろ考えられますけど、
最後は、
ヘッピーエンディングです。
旧約のヨセプ、
悔しく奴隷として、
連れて行かれ、
エジプトに連れて行かれたんですね。
奴隷になって、
金持ちの家の一番愛される息子が、
エジプトの奴隷になってしまいました。
この奴隷になっていった、
このエジプトの地で、
誰がヨセプを守ってくれるし、
保護してくださったんですか?
これは神様。
神様は苦難の中で共におられ、
悪を善として変えてくださり、
最後は奴隷を、
エジプトの総理として変えてくださった。
このヨセプの記録を見るときに、
神様の働きは素晴らしい。
神様は、
私たちがいくらダメになったとしても、
全てを変えて、
一番良いことを与えてくださるお方ということ、
信じられるんですね。
また、中央道の拡大されているイスラエル民を、
借りたちの叫びに応えて、
忘世を送ってくださり、
今まで全世界的に、
エジプトから救われた、
シュッツエジプトの奇跡を、
私たちは残してくださりました。
また大きな罪を犯したんだけど、
悔い改めるダビデを、
哀れにしてくださって、
罪を許してくださり、
このダビデを優れた礼拝者、
優れた鳥なしの祈り者として、
これを立ててください。
ダビデの幕屋の、
この素晴らしい祈りの人として、
立ててください。
たくさん罪を犯したレビ、
みなさんご存知のように、
世間の街を皆殺しをしてしまったレビを、
最初の侮辱として立ててください。
神様全てを、
一番悪いことをした人を、
一番素晴らしい、
清い働きに任せられる、
神の働きって、
もう私たちは想像もできない、
すごいことです。
みなさん、お家から出てしまった、
父の家から出てしまった、
宝刀息子、
自分が悟って、
父の家に戻ってきたら、
以前、お前はなぜ、
父の家を出てしまったのか、
あなたの罪を知っているのか、
一度聞くことなく、
全てを回復してください。
息子としての、
全ての地位を守ってください。
最後に、
十字架では、
全人類のために、
ご自身を与えてくださる、
愛によって、
神様は全人類を救われる、
素晴らしい御業を、
絶対全として、
与えてくださった。
今日、私は、
絶対全の神様を、
みなさんの前で強調しているんですけど、
絶対善の神を信じることの重要性
なぜこれが大事なんでしょう。
絶対全の神様を、
信じて生きることが、
これから、私たちの人生の中で、
どんな苦難が来ても、
どんな不幸理的な状況が、
行ったとしても、
結局、神様は、
私たちを、
一番良い道、
一番素晴らしいことを、
与えてくださるんだ、という、
これを信じることができる。
みなさん、これが大事なんですよ。
みなさん、
病気になった、
経済的な難しさがあるんだ、
家がどうだった、
どうだった、と。
この中で、
絶対全の神様は、
この悪い状況、
難しい状況、
必ず、帰ってくださり、
良い道、良い状況に、
一番素晴らしい状況に、
帰ってくださることが、
信じることができるように、
してくださった。
だから、みなさん、今、
どんな悪いことが起こっていますか?
今、一番難しい状況ですか?
大丈夫です。
主は、このことを、
全て帰ってくださり、
あたしたち、一番良い道、
良い状況を、帰ってくださる。
誰がやりますか?
聖人様を通して。
神様は、全部帰ってくださる。
もう、全部帰ってくださる。
まず、これを信じましょう、と。
2番目、
絶対全の神様を信じていくのは、
悪魔の惑わし、
悪魔の試みを、
勝ち抜くことができます。
みなさんは、感じていませんか?
悪魔は、
私たち、過去犯した罪、
題して、
私たちは、確かに主の前で、
悔いを改めて、
全てを解決したと思っているのですが、
悪魔は、
今日も、また皆さんに、
こう言います。
お前、神の前で、
お前が、どんな罪を犯しているのか、
私は知っています。
お前みたいな人間が、牧師?
やめろ。
お前みたいな牧師になる資格はない。
いつも、私に、
バーッと言っています。
昔、犯した、
言いたくない、恥ずかしい、いろいろなことがあるでしょう。
これを、悔いを改めました。
これを、過去から、
完全に、私は、
線を引きました。
ところが、いまだに、
頭の中で、
お前は、こんな罪を犯した者が、
牧師になって、大丈夫なのか?
お前の教会の、
信徒達は、みんな騙されている。
お前を騙されているんだ。
と言いながら、私に、
攻めて、攻めて、攻めて、
その時、皆さんはどうしますか?
弱気になってしまって、
そうだ、私は牧師をやめようか?
こんなことを言っては、だめです。
罪を、悔い改め、取り戻したなら、
支援の103の12節、
東側、西側、遠いように、
主は、我らの、
罪、咎を、我らから、
遠ざけて下さった。
皆さん、これを、
アメンとして受け入れて、
真実な神様、
私たちは、悔いを改めて、
これを、確かに捨てたとするなら、
二度も聞かない神様、
全て消して、
東側、西側、
遠く離れているように、
私たちは、罪、咎を、
遠く、全て捨ててしまって、
今は、何にもない、
綺麗な状態だということ、
神様が、私たちを、
お前は、罪がないんだ、
もともと、罪を犯したことはないんだと、
認めて下さるお方、
これは、絶対、善の神様、
私が良くなることを、
願って、願って、願って、
願っておられる神様、
だから、私たちは、
ここに騙される必要はありません。
この神様を知るなら、
悪魔に、
出て行け、お前、
神様、善を消して下さったのに、
お前、なんなのか、
出て行け、しっかりながら、
追い出すことができるんですよ。
これは、大事なんです。
三番目、
絶対、善である神様を信じているなら、
今、皆さん、
終わりになったら、
終末論ということで、
極端的な終末論とか、
いろいろな距離があります。
その距離を聞くたびに、
皆さん、
私たちは、
不安になります。
もし、私は地獄に行くんじゃないか。
私は、もう騙されて、
私は天国に行けないんじゃないか、
という、
今、終末論、
また、ごめんなさい、
救い論、
いろいろな、
何か、
いろいろな話を通して、
私が受けられた救いを、
疑うように、
また、終末、
天国に行く私たちに、
いろいろ、怖がらせるような、
働きが、たくさんあるんです。
このような距離から、
私たちを、
安心させてください。
私たちを守ってくださることが、
神は絶対、善だと、
信じることです。
神様は絶対、善だと、
信じるなら、
もしかして、
私、救われてないんじゃないか。
今、私、行いを見てみたら、
あまり上手くないんで、
死を私は捨てたんじゃないか。
こんな疑いはしません。
信じる人は救われる。
イエス・キリストは私のために、
十字架で血を流して死んでくださった。
私はイエス・キリストを信じることによって、
救われたという、
このような神様の恵みと、
神様の私たちを与えてくださった、
この素晴らしい救い、
これを私たちは、
持ち続けることができるでしょう。
最後の時、週末、
いろいろなことを騙される時に、
行為がたくさんあります。
救い論ということでも、
たくさん行為があります。
その中で、騙されないで、
絶対、善の神様を信じることによって、
私たちは、
安心して、平安の中で、
信仰生活ができるように、
してくださる、
絶対、善の神様です。
このように素晴らしい主を信じて、
求めて、
拝むことが、
私たちの信仰生活であり、
この素晴らしい神様を、
周りの方たちに、
あなたも信じてみなさい、
伝えることが、
私たちの使命であります。
このような神様が、
私たちの神、
私たちの父であることを、
どれほど心強いことでしょう。
ですから、カナディア古書1節は、
こう言います。
この自由を得させるために、
キリストは私たちを、
自由の実にしてくださったのです。
だから、しっかりしなさい。
奴隷の首輪に、
二度と繋がれては、
なりません。
ですから、これから、
絶対、善の神様を愛して、
信じることによって、
無意味な疑い、
惑わしに騙されないで、
間違った距離、
間違った終末論、
救い論から、
自由を得て、
はっきり、
今日聖職を言っているでしょう。
だから、しっかりしなさい。
しっかりした信仰を持って、
これから堂々と、
神の子供らしい、
信仰生活ができるように、
絶対、善の神様、
これを信じる素晴らしい、
聖霊様、私たちに、
恵みを与えてくださるように、
そして自由を、
豊かな自由を与えて、
得られるように祝福いたします。
私たちの主は、
絶対、善の神様です。
お祈りいたします。
主よ、私たちに、
神様をもっともっと、
知らせてください。
絶対、善の神様を知り、
信じることによって、
揺れることではなく、
革新の生活、
勝利の信仰を、
祝わせてください。
絶対、善の神様によって、
私たちは幸せです。
ありがとうございます。
イエス様の皆を通して、
お祈りいたします。
アメン。
30:04

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