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「復活の信仰、与えて下さった主に感謝」2026年4月5日のメッセージ
2026-04-05 32:46

「復活の信仰、与えて下さった主に感謝」2026年4月5日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2026年4月5日(日)主日礼拝のメッセージです。

牧師:アブラハム黄

▼メッセージをスライドで: https://x.gd/0dA0T

▼ポッドキャストへのご感想はこちらへ!: https://forms.gle/fHcRBqaFSat8EQfE9

▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら: https://listen.style/p/tokyovinechurch

 

(聖書) ヨハネ-29  驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、29 善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。

 

メッセージ題 : 丘の上の三つの十字架 (ルカ23:38-47)

*ハッピーイースター!神の子、イエス様が十字架で贖いの死を担って、三日目に蘇られました。この世の誰も蘇られ今も生きている人はいません。イエス様だけが永遠の命を与えることができるお方です

*人類歴史上どれほど大事なのか。イエス様の基準で紀元前、紀元後、無神論共産主義、他の宗教も

*安息日もイエス様の復活の朝を主日として *イエス様の復活が私たちの復活に、Ⅰコリント15:19、20

 

1.ところが、最後のときに…すべての人は復活すると!(神の御姿である人間は、死なない!)

*ヨハネ5:28,29人の子の声を聞くなら?善を行った者とは?悪を行った者とは?イエス・キリストを受け入れることと関係が!→最後のときすべての人は復活しますが…天国の命の?地獄の裁きの?

裁きの復活は?地獄、残酷な!イエス様は命の復活の初穂?共に天国の希望!その希望があるから

*最後の裁きの場面を黙示録20:12-15本で記された通り裁きを。行いを記録した本によって裁きを?善き行いによって天国に入れる人は? しかし、命の本に名前?イエス様の功労を信じ、委ねる人!

 

2.どうすれば、私たちの名前が命の本に記録され、イエス様の再臨のとき命の復活を得ることができるのか?

*自分の善き行いで救いを得られ、命の復活の栄光に参加できる人は誰もいません。 イエス様、マルコ1:15「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。→自分が罪人であることを謙遜に認め!→イエス様が十字架で成し遂げて下さった贖いの血を信仰によって受け入れる。従って、ヨハネ5:24わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。 #現代の教会に問題が!宗教多元論

イエス・キリストだけが救い主ではない。仏教は?イスラムは?…どんな宗教も救いがあり真理があると、なぜ、牧師、神学者が?聖霊によってではなく理性知性で信じる者たち。霊的なことが理解できない。

イエス様の再臨のとき、明らかになるでしょう。ヨハネ5:29善を行う者=主の御声、御言葉を聞き従った


3.では、復活なさったイエス様と同じ、神霊な体って、どんなものですか?

1)霊だけでなく肉と骨がある体!

ルカ24:39・・今の私たちの体と異なるのは?フィリポ3:21栄光ある体

2)朽ちない、不滅の体で復活します。

Ⅰコリント15:42-44朽ちない、輝かしい、力強い、霊の体で…

3)天に属した体で復活します!

Ⅰコリント15:47-49 土に属する者とは?土で造られ、土から出るものを食べながら、土に帰るべき存在…しかし、天に属する人の姿で?天国で生きるのに相応しい体?

4)太陽のように光を放つ、輝かしい体で復活します。

マタイ13:43太陽のように輝く? ダニエル12:3大空の光のように、星のように輝く?輝くは各々異なる。変化山でイエス様がいきなり変わったように…

5)天使のように…結婚しないで、死なない体で復活します。

マタイ22:30 地上での夫婦?地上、限定

6)復活の体の栄光は、各々異なります。

Ⅰコリント15:41-42の意味?イエス様の十字架の恵みによって、救いは同じように受けますが…天国で味わう栄光は?その人が地上で行った功績によって(主の御声にどのくらい忠実に従ったのか) *最善を尽くした使徒パウロの告白?Ⅱテモテ4:7-8わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。8 今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。私たちも@イエス様の再臨と私たちの復活!確かに信じるようになった私、神の恵み。信じるから準備できる。感謝

感想

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00:00
さあ今日は、復活の信仰を与えて下さった主に感謝しますという対応をもって、礼拝を、メッセージを行いたいと思います。
皆さん、ハッピーイスター!神様の神の子、イエス・キリストがこの世に来られて、私のために
十字架で死んでくださり、また三日目によみがえられた日です。 この素晴らしいイスターの朝、
死の日、礼拝を守ることができて本当に感謝します。 世の中で誰も
死んだ人がよみがえられた人はいません。 生き返られる場合はたびたびあります。
生き返るとよみがえるの違いを皆さんご存知ですね。 よみがえられることは
一回復活して永遠に生きること。 生き返られるは復活するように見えたんですけど、また死んでしまうということです。
イエス様は復活されて生きています。 今は私たちのために虜に祈りをして神の右の座に座っています。
神イエス様のこの虜の祈りが私たちにいつも神の子供、 まだ全人類のための虜の祈りをイエス様が行っているところであります。
イエス様の希望は私たちに永遠の命を与えることです。 これはイエス様だけ与えてくださることができます。
イエス様を信じる人、詳しく申し上げますとイエス様の十字架と復活の出来事を信じる人です。
その人たちは最後の日にイエス様が救われ復活され、 そして永遠な天国で共に生きるようになります。
今日は洗礼を受ける洗礼式を行いますが、 もともと洗礼式は水に沈む、沈礼式ということでいいでしょう。
元々言語で見ているパープテスト教は水に沈むことを意味することですから、 水に中に入るということは何を意味しますか。
私は死にます、私は死にましたということです。
何に対してですか。世の中に対して、悪魔に対して、罪に対して、私は死にました。
また水の中から出てくる時、その時私はもう再び生きますということです。
何に対して生きるのか、これから私は神様に対してだけ生きます。
神様の子供としてこれから生きますということを、 私たちが表すために洗礼式を行います。
ですから洗礼式は過去の私は死にました。
これから神の子供として私がこれから生きていくのですということを、
みんなに表す儀式が洗礼式だということを理解していただければと思います。
03:03
ところがキリスト者だけが復活するのではなく、
世の中の全ての人は最後の時、 イエス様が洗礼になさった時に復活します。
なぜなのか、人間は神様の見姿で作られたんです。
皆さん、神様は亡くなることはないですね。
神様が亡くなることがないように、人間も亡くなることはありません。
ただ、体の命は一回死ぬことはあるんですけど、
人間は霊と魂と体によってできている存在ですから、
人間は永遠に生きます。
しかし、永遠に生きるんですけど、この後の生き方が違います。
今日ヨアネの古書28節から読みますと、
墓の中にいる者が、神の子イエス様の声を聞く時が来る。
これは、イエス様が災人になされる時。
イエス様の声が聞こえたら、死んでお墓にいる人たち、
死んで亡くなった存在が見えていない人が、全部出てきます。
これは大変な生活です。
その中で、禅を行った人は、復活して命を受けるため、命の復活があるし、
悪を行う人は、復活して裁きを受ける、裁きの復活をするといいます。
最後の時、イエス様の御声が聞こえて、墓にある人が全部出てきて、
イエス様の前で裁きを受けるんですけど、
ある人は命の復活、またある人は裁きの復活をするようになります。
じゃあ、禅を行う人。
禅を行ったということは何でしょう。
神様が見られるのに、禅を行う。
これは、自分が禅人だと悟って、
自分の良い行いとしては、絶対救われることはできないんだということを分かって、
イエス・キリストの十字架の功労。
イエス・キリストが十字架で私のために死んでくださったことを、
信じてイエス様を受け入れた人。
その人は、神様が見られるのに、禅を行った人。
悪を行った人は、神様が救い主として与えてくださったイエス・キリストを否定する。
イエス・キリストはいらない。
イエス・キリストを驚異して、自分の力でなんとか精一杯頑張りましたという人。
自分の力で罪を犯さないことはできないから、
これは神様が見られるのには、悪を行う人になります。
ですから、全部復活するんですけど、
ある人は天国に入るために復活する人がいるし、
ある人は地獄に入って裁きを受けるために復活する人もいるんだということです。
06:06
イエス様が復活されて、復活の八方になったと聖書が言っています。
イエス様が復活されて、イエス様が八方になったということは、
次の実り、次の実り、次の実りが次々と実られることですから、
イエス様と似ているこの次の実り、復活の実りがだんだん与えられて、
私たちもイエス様のような復活をするようになるんだということを聖書は教えてくださいます。
ところが私たちは命の復活、裁きの復活ではなく、
命の復活を信じていることですから、希望があることですから、
私たちはこの世の中で住むときにキリスト者として、
キリスト者としてやるべきことがあるし、やってはいけないことがあります。
キリスト者はみんな自分を捨てて、自分の十字架を背負って、イエス様をついていくことでしょう。
これは優しいことではありません。難しいです。
しかし命の復活の希望、天国で永遠に生きる希望があるから、
私たちは自分を捨てて、自分の十字架を背負って生きることができるし、
主のために献身、犠牲、迫害、
またある人は殉教されることもあります。
彼たちは殉教されるときも、私は命の復活、天国で永遠に生きる希望を持って、
信仰を守り続け抜いたんです。
そのような人たちもいます。
ですから神様は信仰を持って、最後まで信仰を持ち続ける人は、
その名前を書かれるところがあるんですけど、
牧師録20章の12節から15節の最後のイエス様の裁きの前では、
全部生き返られた人も復活した人も全部集まるそうです。
その裁きのところに、前に本がちらり並んでいます。
これは何かと言いますと、ある人が生まれて死の時まで行った全ての行いを、
行動、行為を全部記録した本です。
これは行いの本と言いますけど、
皆さん、私たちの人生、今まで生きたこと、
全部どんな生き方をしたのか、全部書かれた本があるそうです。
世の中のすべての人々は、自分が行った行いに従って裁きを受けるんです。
しかしその中で、一回も罪を犯してはない人が誰もいないから、
全部罪を犯したことによって地獄に投げ込められます。
しかしその中で、一つ命の本ということがある。
イエス様が、私が彼のために死んであげましたと言われた人は、
09:03
イエス様を信じて、イエス様の忠実感の死が自分のための死だと認める人は、
命の本に名前が書かれてあります。
すべては、行いの本によって記録した通り地獄に投げ込まれるんですけど、
命の本に名前、イエス様、私がこの人のために死にました、
この人のために死んであげましたと書かれてある命の本に名前が記された人だけが、
地獄に行かないで天国に入る命の復活をするようになるんだと、
目白く二十章、十二節から十五節に書かれてあります。
ここで大事なのは、これが簡単に申し上げますと、
救われた人は命の本に名前があります。
救われていない人は命の本に名前がありません。
救われる人、どんな人が救われるのか、
簡単に記録されたところが、丸子一章十五節です。
イエス様が言われました。
時が満ち、神の国が近づいた、悔い改めて福音を信じなさい。
じゃあ、救われる人は簡単です。
二つをやればいい。一つは悔い改めて。悔い改めては何ですか。
自分は罪人です。神様、私は罪人です。今まで私は罪を犯して過ごしました。
しかし、私が罪を全て告白し、私の罪を全部神様の前に告白します人、
それでイエス・キリストを自分の救い主として受け入れた人、
その人たちだけが救われるようになろうと言います。
もう皆さん、悔い改めてイエス様を信じること、今は私たちは明らかに分かりません。
どんな人か、もうみんな同じように見えます。
しかし、イエス様が罪人になさって、最後の時、これが明らかになります。
時が来ると、墓の中にいる者はみんな人の子の声を聞き、
戦を行った者は復活して命を受けるため、
悪を行った人は復活して裁きを受けるために出てくるのだと言います。
イエス様を信じる人は命を受けるため、
イエス様を信じなく自分の力で何度かやろうとする人は、
悪を行った人として裁きを受けるために出てくるということです。
その中で命の復活をする人は、
イエス様がこの人に心霊な体を与えてくださって、
その人は復活するようになります。
今日は皆さんに、復活する時、私はどんな姿で出てくるのか。
12:00
最後の時、今私は71歳ですから、これからどのくらい生きましょう。
10年生きるかな。
いつも私の息子に、これから私10年生きるかな。
1年の間にあなたの人生の準備をしっかりしなさいと言ったら、
いや、こんなことやめて、死なないで、死なないでと言うんですけど。
もちろん死にたくないんですけど、
私は日本の平均寿命が80何歳ですかね。
だから私たちはみんな死んでいきます。
じゃあ、いつか私は死んでいて、いつかイエス様が再臨なさると、
私は復活します。
私は信じています。
命の復活をすること。
裁きの復活ではない。
なぜなら私はイエス様を信じているし、
聖書のことすべてを受け入れて、
私は天の天の天を信じているし、
そのように行っているからですね。
じゃあ、命の復活をする。
命の復活をする私の姿が一体どんな姿なのか、
皆さん、聖書は何と書いてあるのか聞きたくありませんか。
じゃあ、まず命の復活をする人は、
イエス様が復活をなさった姿と同じ姿で現れます。
ルカの24章39節に、復活されたイエス様はこう言いました。
私の手や足を見なさい。
じゃあ、触ってもいいですよ。
幽霊は肉と骨がないんだけど、
あなた方が見えた通り、私はそれがあるんだ。
復活されたイエス様は体を持っていました。
骨もありました。
霊もありました。
だから、私たちは復活したら霊が生きているんじゃないか、霊だけ。
体を持っていないんじゃないかと思いますけど、違います。
復活する私たちは体をしっかり持っています。
しかし、今の私の体ではありません。
どっちほど。
じゃあ、2番目。
臭くない不滅の体で復活します。
第1クリット中5章42節から、これ大事なんですけど、
死者の復活もこれと同じです。
撒かれた時は、朽ちるもので撒かれても、朽ちないもので復活し、
撒かれた時は、癒やしいものだとしても、輝かしいものとして復活し、
撒かれる時は弱いものでも、力強いものとして復活します。
つまり、自然体の体が撒かれて、霊的な体として生まれるということです。
じゃあ、今私たちは癒やしい姿です。
しかし、復活する時は、輝かしい姿で現れ、
今は弱い存在ですけど、復活する私たちの姿は、強いものとして復活する。
また、復活したところには、私たちは朽ちない。
最後も、いつまでも朽ちない姿で私たちは生きる、この姿で生まれる。
15:04
3番目、天に属する姿で復活します。
今の私たちの姿は、土で作られています。
今私たちが死んだら、土に戻っていくでしょう。
だから私たちは、土で出てきた農作物を食べて、
また私たちは何をするんですか。
土に属しているものだから、おしんこもうんちもしたり、
それから死んだら、私たちの体が土に戻っていきます。
これはすべて、土から出て土に戻る存在になります。
私たちのすべて、みんなはそのような体を持っています。
しかし、復活の時は、土に属している体ではなく、
天に属している体として、新たに復活して出てくる。
私はそれをよく分かりません。
天に属する姿は一体何でしょう。楽しみです。
また4番目、太陽のように輝く光のような存在として、
眩しい体を持つようになる。
また13章43節には、その時正しい人々は、
その父の国で太陽のように輝く。
復活した私たちの姿は、
まるで見たら太陽のように眩しい輝く姿で現れる。
ダニエル書も書かれてあります。
めざましい人々は大空の光のように輝く。
またある人は星のように輝くと言います。
一番分かりやすいのは、
イエス様がマタイの17章で、
ペトロ、ヨハネ、ヤコポ、3人を連れて山に登る。
山に登ってある瞬間、
イエス様の姿がファッと変わったんです。
いきなり変わったんです。
イエス様の顔、太陽のように光が。
この着ている衣が、
もう世の中で洗濯をこんなに白く洗濯できないほど、
白い衣の姿で出て行った。
そこでエリアとサムエルが現れた。
それでお話することを見た。
エリアは常に死んだんじゃないか。
死んだ人がそこで現れて、
イエス様と共にお話をする場面を、
ペトロ、ヤコポ、ヨハネが見ていたんです。
だから今もう夢中になって、
今何を話すというか分からなくなっちゃったということを
聖書で記録しています。
イエス様が一瞬、
イエス様の本来の姿を見せてくださったと言いましょうか。
その姿で私たちは変わります。
復活した私たち姿は太陽のように星のような姿です。
18:06
ごめんなさい。
また私たちは復活する私たちは天使のような存在なんです。
天使のような存在ということは、
天国では結婚ってありません。
死なない姿で、結婚しない姿で現れます。
世の中には夫婦という存在がいますけど、
天国に行ったら夫婦という存在がありません。
天国はイエス様と私の関係、
イエス様と皆さんの関係、これがあるんです。
みんながイエス様の花嫁として天国で存在するんです。
皆さん、イエス様はどれほどイケメンか知ってますか?
どれほどかっこいいか知ってますか?
世の中で誰もイエス様を見たら惚れてしまいます。
シト・パウロは迫害者として、
タマスコとイエルサレムと、
イエス・キリストを信じる人は全部殺そうとして、
今、街を回っていたんですね。
タマスコに行くところで、丘で太陽の光に照らされ、
馬から落ちてしまいました。
そこで目が見えなくなる。
目が眩しくて目が見えなくなりました。
その時イエス様の姿が現れました。
イエス様は、サウル、サウル、
なぜ私を迫害するのかと言った時、
主よ誰ですかと言ったんですけど、
その時シト・パウロはイエス様の姿を見るんです。
それからイエス・パウロは人がくるっと変わって、
迫害者が伝導者になって、
もうイエス様を伝えるために一生涯ついていきます。
彼の一生涯の希望は、イエス様をついていくこと、
イエス様はイエス様、イエス様、
イエス様を捕まえについていくことだと言います。
シト・パウロの目に見えたイエス様が、
どれほどどれほど素晴らしい姿でしょうか。
慈しみ深く、素晴らしい素晴らしい。
世の中誰も見ることができない、
会ったことがない、本当に本当に素晴らしいお方として、
パウロを出会いました。
それからもう一生がイエス様、イエス様しかありませんでした。
私たちも復活した時に、
イエス様の素晴らしい姿になりますけど、
私たちもそのような姿になると思います。
また、6番目、5番目、イエス様の、
神道であるイエス様と一緒に天国で過ごす存在になると思います。
じゃあ6番目、私が、これが一番大事だと思います。
21:03
復活された人々は、この光が、この栄光が、みんな違うということです。
大食人と15章、41節、42節。
太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違います。
星と星との間の輝きも違います。
死者の復活もこれと同じです。
じゃあ私たちがイエス様の恵みによって、
十字架の恵みによって、救われることはみんな一緒ですけど、
天国に入って神様から与えられる、
栄光の輝きは各々違う。
ある人は太陽のような輝きもあり、
ある人は星のような輝きですけど、
皆さん、世の中の星、見てください。
星の各々の輝きが違うように、
私たちがこの世の中で行った全てに対して、
神様が報いをくださいますが、
天国に入って私たちがいただく、
神様の栄光の輝きが各々違うということです。
ですから世の中で私たちがやった全てに対しては、
天国で報いがあります。
ですから私たちが今生きている間に、
みんな100年生きるんじゃありませんか。
100年生きている間に、
私たちが主の御声に聞き従うこと、
主のために、もう二つです。
一つは神を愛する。もう一つは隣人を愛する。
私たちがやる第一の今しめ、第二の今しめ、
私が神様をとりおど愛したのか、
また隣人をとりおど愛して、
隣人のために私自身を与えたのか、
自分自身が犠牲したのか、これなんですよ。
また神の御声に聞き従って、
どれほど神様の御技に用いられたのか、
これに対して私たちに神様からの報いがありますけど、
この報いを表現するのが栄光の光なんです。
ある人はものすごい明るい栄光の光と思って、
永遠に生きます。
皆さんこれ人生は100年ですけど、
天国で生きる私たちの人生は永遠ですから。
永遠に輝かしい姿で、
ある人は永遠に暗い、何とか暗ましい星のような、
この姿で生きるんです。
私たちがまだ生きています。
今人生が残っています。
残っている間に皆さん人生を大切にして、
この時間を主のために、
また隣人のために使ってください。
だったら神様が天国で永遠な報いを与えてくださると信じます。
24:06
これいつ与えてくださるのか、
イエス様が再臨なさるとき、
私たちに与えてくださることですから、
それから私たち天国に入って一人一人、
天国に入ることだけでも喜び満ちあうれることですけど、
天国で神様から与えられる、
この栄光の輝かしい報い、
これを私たちがこれから生きている間に、
もっともっと主のために、
もっともっと隣人のために、
自分自身を与えてあげる、
愛を施す私たちになれればと思います。
私はこの栄光の姿、この部分を考えながら、
少し恥ずかしいんですけど、
私は生まれてから今までコンプレックスがあります。
一番大きなコンプレックスは、
背が小さいということです。
本当にもう皆さん歩いてみたらもうわかるでしょう。
男性の中で私は小さい方ですから、
この部分に対して今までどれほどコンプレックスがあったでしょう。
またこの顔、またかっこいい、
イケメンのような人もいるんだけど、
私はそうではない。
あまり人気がない人間、これでコンプレックスがあります。
もう一つは才能です。
私が頭が悪いと言ったら諦めるんですけど、
悪いことでもないのに、いいことでもない。
ああ、こんな中途半端、曖昧なこの頭。
だから私は思春期の時からずっと不満だらけ、
また私は劣等感の塊でした。
私はいつも神様を考える時、私自身を考える時に、
神は不公平だ、神はなぜこんなに不公平なのか。
しかし私は信仰に入って聖書を学んで、
それから私は不公平ということは一切しなくなりました。
皆さんこの姿、長くても100年です。
もう70になる可能性もあるし、
短い時間の中で私はこの姿です。
なぜこの姿を下さったのか、理由があると思います。
皆さん私は牧師でしょう。
牧師がイケメンで背も高いしかっこいいと言ったら、
多分問題生じるんじゃありませんか。
あなたはこの姿が一番いい。
このぐらいで主を崇め、皆さんを、神徒たちを愛する。
これでいいんじゃないか。
もう私は納得します。
しかし私は大事なのは、100年はこのように生きますけど、
私はこの後、天国に行って神様から与えられる神霊な姿。
イケメンぐらいじゃないですよ。
27:02
私はものすごい輝かしい姿をいただくことを考えたら、
100年は意味がある、このような姿で、
これから私の姿はものすごい美しい、ものすごい輝かしい、
このような姿になることを信じるから、
劣等感がなくなりました。
それによって私は、これからこの世を希望を持つよりは、
イエス様が来られるイエス様に希望を持ち、
これから私に与えてくださる素晴らしい神様の報いに、
もっと目を向けるようになりました。
皆さん、この世はあっという間ですよ。
もうすぐ過ぎてしまいます。
しかしこれから来る永遠の世界は、永遠です、永遠。
この永遠の世界で私はどんな姿で、
どんな輝かしい栄光を持って、
どのように主にもついられるか、
それを考えるときに、生きている間、私たちは主のために、
もっともっと献身して、もっともっと主のために働くことが大事だと思います。
ところが、私は感謝しているのは、
イエス様が私のためにこの世に来られて、
十字架で死んでくださり、
また四巡説の期間、ずっと思いましたね、
イエス様の十字架の苦しみ、
またイエス様のこの全てを私たちが学んだんですけど、
イエス様が復活されて昇天され、
そして再臨なさるとき、私は常に来られるんですけど、
私がこれからいただく祝福を考えたら、
このようなことがイエス様が私のために、
二千年前、既に私のために来てくださり、
全て行ってくださったんですけど、
大事なことは信じることなんです。
しかし私は信じています。
はっきり信じています。
目で見たように信じるし、
これからも全てが私は確信しています。
どうして私はこのような信仰を持つことができたのか。
あなた見たの?
あなた天国にいて生きること分かっている?
どうして確信している?
私はもう確信が来ている。
信じている、皆さん。
信仰は来るものです。
私が作るものではありません。
勉強でできるものではありません。
信仰は与えられることであり、
信仰は来るものです。
私みたいな人間、
私が何で神様が私にこんな信仰を与えてくださって、
私はもう見たように、
これからもこれ未来も全部見ているように、
確信を持って信じるし、
イエス様の再臨を待ち望む。
これから私は神様をくださう輝かしい栄光の姿で
30:03
永遠に天国で生きることを確信するようになる。
どうしてこれができたのか。
皆さん、これが神の恵みなんです。
私は何かやったことではありません。
勉強したからではありません。
私は何が見たからではありません。
信仰を与えてくださって、
これを信じることができて、
このことを今楽しみにしながら、
これから将来のことを考えて、
これから生きている間に、
もっともっとこれからも主のために、
また隣人のために、
私自身を与えていこう。
隣人を愛することは物足りないと、
今いつも言われているんですけど、
これからもっと頑張って、
隣人を愛するものになりたいと、
今頑張っています。
ぜひともぜひとも、
私はもう願わくは、
イエス様が来られる時まで、
この信仰が弱くならないように、
またこの信仰を持っていると言いながら、
傲慢になるか油断することはないように、
この信仰を持って続けて、
主のために、また隣人のために、
また与えられたこの教会のために、
私の人生を支えていきたい。
このような覚悟でいっぱいです。
ぜひとも皆さん、
復活の神様のこの報いを、
覚えていらっしゃるなら、
信じるなら、
これからの私の人生、
主のために、また隣人のために、
教会のために、
私たちを捧げる私たちになりましょう。
お祈りをします。
主よ、今全世界が戦争の中に陥っています。
全世界がこんなに戦争の中に陥っていくことを見ながら、
イエス様の再臨の時が近づいているのではないかと思います。
この時、最後の私たちに与えた使命、
私たちの信仰、
しっかり守っていく私たちにならせてください。
今日、妹が洗礼を受けるように決心して、
教会に来てくださってありがとうございます。
妹も神様から祝福され、
命の復活を預かり、
天国で永遠に、永遠に、
主のために、
本当に素晴らしい祝福の中で生きるように、
主よ、この信仰を祝福し、
これからも信仰を守らせてください。
これから教会の中で、
私たちと共に信仰生活しながら、
お互いに愛し合い、
励まし合う私たちにならせてください。
イエス・キリストの皆を通してお祈りいたします。
アーメン。アーメン。
32:46

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