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2023-03-05 34:49

「神の下げ振り、霊的な分別力」2023年3月5日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2023年3月5日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

アモス7:7,8 主はこのようにわたしに示された。見よ、主は手に下げ振りを持って、下げ振りで点検された城壁の上に立っておられる。主はわたしに言われた。「アモスよ、何が見えるか。」わたしは答えた。「下げ振りです。」主は言われた。「見よ、わたしはわが民イスラエルの真ん中に下げ振りを下ろす。もはや、見過ごしにすることはできない。
00:00
今日は、神の詐欺振りと霊的な分別力という対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
3月には、霊的な分別力について、教会は分かち合うつもりであります。
皆さん、終わりの時に一番怖いことは何なのか? これは惑わされることです。
終わりの時に対するイエス様の預言が、マッタイの24章にあります。マッタイ24章4節と24節にこう書いてあります。
イエスはお答えになった人に惑わされないように気をつけなさい。
また24節に、偽メシアや偽預言者が現れて、大きな印や不思議な技を行い、
できれば選ばれた人たちをも、惑わそうとするからである。
終わりの時の特徴は、惑わされることです。 だから、惑わされないようにということは、イエス様からの切なる命令です。
この世は100年、天国地獄は永遠です。
私たちはこの世で住んでいるんですけど、人生100年、あっという間です。
私は今、社会生活して、あまり物事がうまくできなかったと思って、
もっと頑張らなきゃいけないなと思っているんですが、すでに68歳、高齢者と言います。
私はもう最近、父と母を天に召されたんですけど、
その姿が私には本当にリアルです。 亡くなったことをもうちょい最近今見たような、
その気持ちでいっぱいです。 だから私も、私の人生も間もないうちに、そうなるだろうと、私は考えるようになりました。
私の親は天国に行ったんでしょうか? 天国に行ったと思うから、私は安心しています。
もし私の親が天国に行けなかったと思ったら、 炎の中で苦しむ親を考えるとき、
どれほどつらいでしょう。 私たちはこの世では、どのように過ごしても、私は構わないと思います。
しかし、必ず天国には行かなければいけません。
もしこの世の中、100年間、 自分なりに精一杯頑張って熱心に過ごしたと思ったのに、
死んで、裁かれて、地獄に行くなら、
03:03
また地獄で永遠を過ごさなきゃいけないなら、 それはどれほど悔しいことでしょう。
一度限りの人生。 幸せにならなきゃいけないし、
必ず天国に行かなきゃいけないんですけど、 どうすれば、どうすればそれができるのか。
これが今私たちの課題です。 特に今は終わりの時だと言います。
終わりの時という意味は、 イエス様が再臨なさる時が近づいたということ。
また、その前にある礼儀的な戦い、激しい戦いがあるということ。
また、終わりの時は災いの時だと言っています。
事実、過ぎた何年間、 コロナによって全世界が苦しめました。
それほどない、出国、入国も厳しく厳しく制限されるほど、 私たちは本当に苦しい中で過ごしました。
今年は、ウクラインドとロシアの戦争もあり、
今、いろいろなエネルギー供給がうまくできなくて、 電気料が高くなりました。
物価が高くなりました。 経済的な圧迫があります。
一体、今年はどんな年になるでしょう。
これを考える時に、 こんな時期に、私たちはどのように信仰生活しなきゃいけないのか。
今日は、礼儀的な訓練力を強調したいのですが、 なぜ、礼儀的な訓練力が大事なのか、それを今日一緒に分かち合いたいと思います。
まず、私がイエス・キリストの福音を悟りながら、驚いたことがあります。
理解できないのは、この世は何なのかということです。
この世は何なのかという肝を持つことがあります。
皆さん、私たちはみんな熱心に過ごしています。 なぜ、熱心に過ごしていますか。
幸せになりたい。安定的な生活をしたい。 また、天国に行きたいと思うことでしょう。
そのために、皆さん、何をしているんですか。 それをどのように得ようとしているんですか。
この世のものをたくさん手に入れること。 お金を手に入れる。
成功する。出世する。権力を取る。 また、名誉をいただく。
それをたくさん持っているなら安心。 それがなければ不安ということでしょう。
ところが、おかしいのは、この世の中のものをたくさん手に入れれば入れるほど、
06:02
イエス様を信じるチャンスがだんだんなくなるということです。 考えてみてください。
この世の中で幸せな人がイエス様を信じやすいですか。 不幸な人が信じやすいですか。
この世で成功した人がイエス様を信じやすいですか。 この世でダメになった人がイエス様を信じやすいですか。
たくさん学んだ人がイエス様を信じやすいですか。 学びがうまくできなかった人が信じやすいですか。
力を持っている人が信じやすいですか 力が全くない人が信じやすいですか
本当におかしいのは この世の中のものを手に入れれば入れるほど
イエス様を信じることが難しくなるし イエス様から離れていくんだということです
手に入れなければいけなかったほど イエス様を信じやすい イエス様を求めやすいということです
ではこの世の中のものって一体どんなものなんでしょうか
イエス様はこう言われたことを覚えていますか マルコ10章25節
金持ちが神の国に入るよりも ラクダが針の穴を通る方がまた優しい
それほど世の中のものをたくさん手に入れて豊かになれれば
イエス様を求めなくなるんだということです
この世って何でしょう なぜこんなことがあるでしょう
創世紀3章の事件です 禅薬の知識の木の実を食べた人間について
第一要ね3章8節はこう言います 罪を犯す者は悪魔に直します
アダムは悪魔に直すようになった
だからアダムが持っていたこの世の管理権を悪魔が持つようになった
悪魔がこの世を支配するようになったということです だから世のものをたくさん持てば持つほど
悪魔が影響力を及ぼすことになり イエス様を信じることができなくなるんだということです
また支配された人には第2コリント4章4節
この世の神が信じようともしない人々の心の目を眩し
神の見姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにするんだということです
悪魔がするのはイエス・キリストの福音を見ることができないように
信じることができないように妨げをしていることです
ですから三条の推訓ではこの世の金持ちよりも貧しい人が天国が自分のものだ
09:04
またこの世で笑う者より悲しむ人に天国が自分のものになるんだと言われるんです
本当におかしいこの世の中
私が覚醒の時にみなさん道路に上にかけてフランカードがあるんじゃありませんか
そこに私の覚醒の時に何が書かれてあったのか
誠実な人がうまく生きる社会をというケチプレージがありました
私はそれを見て誠実になろう純粋になろうと思いました
ところが世の中で会社に行って過ごしてみれば誠実に生きるならバカにされます
またこの世の中で健忘術数がうまい人が出世して早く生きることがわかりました
みなさんこの世ってなぜこんなもんでしょう
理解できないことがたくさんあるでしょう
今この世を支配する統治する者は神様ではありません
悪魔なんです
悪魔はこの世を何をもって支配しているか
まず騙すんです
騙されたら支配します
目白く中二症急接には全人類を惑わす者はサタンだと悪魔だと言います
また悪魔は私たちの欲望を利用して誘惑して罪を犯させます
そして罪を犯すなら支配します
第一幼年二症中六節に肉の欲目の欲この世の奢りをそれをもって私たちを欲を促して罪を犯させて罪を犯すならパッと支配します
また人々の心に恐れを入れます
恐れを入れたら心配するでしょう
いや経済的な難しい時期が来たあなたどう生きる保険かけてるのいやいやかけてないよ
どうしようどうしよう心配します
心配に陥るならパッと支配します
それがヘブナイション二症中高節です
それから見てますと全人類が悪魔の支配下にいます
ところが悪魔は地の果てにまで福音が延べ伝えられ
イエス様が再臨なせると悪魔の時代が終わりになります
これがマタイ二十四症中四節です
だから悪魔はどんな手を使っても必死に福音が伝えられることを妨げをしています
反面神様は真理の福音を延べ伝えれ延べ伝えられ
12:00
そしてすべての人が真理を知るようにイエス様に従うようにさせて
再臨の時期を早めにしようと思っています
ですから私たちはこのような悪魔の働きと神様の働きをよくわかって
絶対悪魔に騙されないように神様に従うようにして
イエス様の再臨の時期を早めにしようとしなければなりません
世の中のすべての人が騙されています
皆さんよく見てください
今その人たちがやっていることそれは絶対天国に行けない働きをやっています
そうでしょうしかし彼らはわからない
わからなくてそれを熱心にやっています
私たちまで騙されたらこの世の中はどうなりますか
だから私たちに必要なのは礼的な分別力です
そして人々に助けて彼らたちが真理に従うように
それで神の国になるようにしてイエス・キリストが早く再臨できるように
私たちがしなければいけないそれがキリスト社の任務であり使命であります
ですから私たちは私たちの信仰と使役と生活が
神様の見舞いで正しくならなきゃいけないので
ここで必要なのが神の作り 神の基準ということであります
聖書 旧約聖書の中で北イスラエル 南ユダ
北イスラエルが滅ぼされる直前
神様がアモスに幻を見せてくださる
それを今日読んでくださった聖書です
神様が建物を建てる建築に使う下下振りを持って
イスラエルの人たちの真ん中に立っておられます
そして何と言うんですか
主は私に言われたアモスよ何が見えるか私は答えた下下振りです
主は言われた美よ私は我が民イスラエルの真ん中に下下振りを下ろす
もはや見過ごしにすることはできない
皆さん見過ごしにすることはできないということは許されない
裁くということです
なぜ神様はイスラエルを裁こうと思っていらっしゃるんですか
神様の行為とは神の民イスラエルが神の基準神の下下振りに合わせて建てられることでした
しかしイスラエルの信仰は神様の下下振りに合わせられなかったということです
神様は神の基準に合わせられなければ
私たちのすべての規制熱心献身は何の意味もありません
15:05
例えば皆さん高いビルを建てようと思います
今ドゥバイに世の中で一番高いビルがあるでしょう
建物を建てるときに下下振りをちゃんと下ろします
これはもう宇宙からレイジャーで下下振りを下ろしたと言うんですけど
もし建物が建てられる途中で少し傾いたと思いましょう
まあ大丈夫そのまま建てればいいと言いますか
そんな建物があったらいつかは倒れてしまいます
その建物の中には人が住むことができません
だから例えば傾いたとしたらそれを全部取り壊さなきゃいけません
私たちの信仰も同じです
信仰が正しく建てられなければ神様は許されない
それを全部取り壊してしまいます
だからイスラエルが正しく建てられなかったので
キッターイスラエルはアシリアに滅ぼされて
捕虜として疲れていきます
それは神様がそれを壊してやり直しをしようとされることであります
牧師録の中で7つの教会の中でサルデス教会に神様はこう言われます
牧師録3章1節2節です
私はあなたの行いを知っている
あなたが生きているのは名ばかりで
実は死んでいる
目を覚ませ死にかけている残りの者たちを強めよう
私はあなたの行いが私の神の前に完全なものと認めない
サルデス教会は世の中が一人が見るときには
生きている教会だ 素晴らしい教会だと言いました
皆さん 世の中の人々がその教会を見て
生きている教会だ 素晴らしいと言いました
しかしイエス様は死んでいると言いました
人々が見るときには生きているのに
神様の目線から見るときにはその教会は死んでいると言います
人々が何を言うか関係ありません
神様の観点基準それが大事です
だからその教会は裁かれました
教会は徹底的に神の基準に合わせて建てられなければいけません
神の基準に合わせて建てられるとき命が流れます
精霊の働きがあります
その教会は神様から祝福され用いられます
また作業がなぜ大事なのか
神様は主権者 統治者です
神の基準に合わせなければ 神様は受け入れてくださいません
神の前で私は熱心にやりましたよ
18:02
何の意味もありません
犠牲しました 熱心にやりました
神の基準に合わせられなければ 神様は受け入れてくださいません
例えば救い
救い不要と大事なことはありません
天国に行くのか地獄に行くのか
みんな救われたいでしょう
だからある人が私は救われたいです
救われるために私が持っている全財産を教会に献金します
そうしたら皆さんその人救われますか
救われません
救いに対する神の基準は何ですか
熱心じゃなくて献金じゃなくて
イエス・キリストの十字架を信じて
自分の罪を全部悔い改めるのか
そこに救いができるのかないのかが書かれてあります
皆さん祈りに対する神の基準知ってますか
イザヤ59章の1節2節を見ますと
私たちの罪が神様と私たちの間に下手で
私がいくら言っても神様は聞こえないと言うんです
神様の手がもう私たちを助けることができない
祈りの答えのために大事なのは
まず罪を悔い改めなさい
神様と私の間に下手でっているこの壁を取り壊しなさい
そして祈りなさい
そうすれば私がよく聞いて叶えてあげるから
その基準があるんです
また礼拝
カインの礼拝は神様受け取ってくださりませんでした
アベルの礼拝は受け取ってくださったんです
なぜでしょう
礼拝は神様との出会いです
交わりです
交わりをするためには神様が何を考えておられるのか
神様が私をどう見ておられるのかよくわかって
自分自身を悔い改めながら
神の御化を求めて出ていかなければいけません
礼拝に対する神の基準をして
礼拝を捧げなきゃいけないでしょう
このように神様の基準
作業不利に合わせて立てられることが大事ですが
神の基準があるときは見えなくなります
なぜ見えないのか塞がれるのか
神の民が最後まで不信行不従順
続けて続けて神を逆らうして
神様が罰することを定められたときには
基準を見えないようにする
だから自分がいくら頑張って熱心にやるんだとしても
神様に届くことはできないんです
だから裁かれるんです
裁かれるのに自分はなぜ裁かれるのかわからないんです
21:05
怖いですね
旧約聖書でたくさん出てくる
イエス様のときバリサイビットたちが裁かれた
対応的な存在です
バリサイビットたちは聖書をよく知っていました
神学博士たちでした
しかし彼らは神様が何を願っているのかわからなかった
また彼たちは神様を愛することが何の意味かわからなかった
私たちは愛してるから礼拝するんじゃないですか
世の中のことも愛し神も愛し
そう言いました
皆さん愛の意味は何ですか
ただその人だけということです
神様だけを愛するのが愛なんで
いろいろなことを愛しながら神様も愛する
これは愛ではない
神の基準をわからないまま熱心にやりながら
神様から裁かれたので
神様は彼たちを救うために救い主を送ってくださいました
しかし自分たちは一番正しいと思っているから
救い主が来られて教えてくださっても嫌だ
そして救い主を殺してしまいました
だからユダヤ人たちは2000年間ローマに滅ぼされて
2000年間国がない民としてこの世の中でさまよいました
では今私たちは神様のサグイルがよく見えていますか
私は神のサグイルが塞がれている
見えなくなっていると思っています
なぜなら私たちの信仰の要素が大分歪曲されているからです
救いに対しても安っぽい救い論が支配しています
また信仰の本質神を知り神を愛することに対しても歪曲されています
お祈りに対しても神の手を求める祈りをほとんどみんなそうやっています
信仰の大きな部分が自己中心になって
立法主義人文主義五略信仰で熱心にやっています
ですから今の時期私たちには神のサグイルが隠されている
見えなくなっていると思うことになります
だから大勢の人々は砂の上に家を建てるように
また広い道狭いものから入るんじゃなくて
広い道に行っているのではないかと思います
だから誰でもイエス様信じます
教会に通うなら救われるんだと油断して信じているのではないでしょうか
ぜひとも今の時期神のサグイル
また正しい信仰の基準がよく見えるようにして
24:04
正しい信仰を通して神のご臨在
命が満ちあうれる信仰生活ができることを願っています
神様の下げ振りの回復なしには
個人の信仰の回復 教会回復はありえません
神様を信じるんだと言いながら
信仰中心的な信仰によってダメになっていたイスラエル
そのイスラエルを生かしたいと助けたいと思って
神様が今イスラエル人の真ん中に
下げ振りを持って立っています
この下げ振りに合わせてみんなこの信仰やり直しをしてください
合わせてくださいと立っているんです
しかしその下げ振りが見えなかったので
みんな自分勝手に信仰生活して
北イスラエルはアシリアに滅ぼされてしまいました
今の時期神様の大きな恵み
祝福 私たちを生かすようにする神様の大きな恵みは
下げ振りを見せてくださることです
イザヤ30章20節21節にこう言っています
あなたたちが災いのパンと苦しみの水を飲んでいる時
あなたたちを導かれる方はもはや隠しておられることなく
あなたの目には常にあなたを導かれる方を見る
あなたの耳は背後から語られる言葉を聞く
これが行くべき道だ
ここを歩け右に行け左に行け
神様は私たちを助けるために
働き人を送ってくださるんだと言います
このような時神様が私たちを助けたい生かしたいと思って
チャンスを与える時私たちは謙遜に学ぼうとする姿勢
神様の身群通り取り戻そうとする姿勢が大事です
そうするなら神様はどんな悪いこと罪を犯したとしても
私たちを生かしてくださるでしょう
皆さん神様が私たちを罰される理由は
私たちを滅ぼすためではありません
それを通して私たちの目を覚まして
神様に戻ってくるように
悟って戻ってくるように神様が働くことです
私たちがダメになった時にはダメになった理由があります
神様がそれを教えてくださる時
分かりました悔い改めます
神様この道通り私は道を取り戻します
これが悔い改めという意味です
そうするなら神様は必ず助けてください
27:02
ホウと息子は父の家を離れました
父の家から離れて散々苦しみました
彼は私が父の家から離れたから問題が来たと思って
自分の道を父の家に戻りました
神様が戻ってくるこの息子を全て回復してくださいました
預言者ヨーナが言いました
アッシュレアの須藤二ノエに行って
福音を述べ伝えなさいと言いました
アッシュレアはイスラルの敵だったので
敵の国に行って福音を伝える嫌だと思って彼は逃げました
逃げながら大きな魚の腹に入るようになりました
その中で苦しみの中彼は悔い改めて神様の使命を受け入れました
そうしたら神様は大きな魚が自分を吐き出すようにして
彼を生かしてくださいました
大事なのは懲戒 裁きの中にいるとしても
生かしてあげたいという神様のチャンス
神のメッセージを聞いて 見声を聞いて自分の手を伸ばすなら
神様は手を握って助けてください
今日は霊的な分別力について分かち合うことですから
最後にルカ16章に現れている
金持ちの人と物語であるラザロの話を
皆さんに申し上げたいと思います
ルカ16章には2人の人物が登場します
その中には一人はこの世の中で成功した人でした
金持ちでした 幸せに過ごしていました
これを金持ちと
金持ちの門前で皮膚病に患いながら
金持ちの家に物漏りをしてそれで食べていく 生きている
世の中で一番失敗して悲惨な人生であるラザロが登場します
100年この世の人生にはこんな姿が立ったのですが
死んだ後は永遠の世界では正反対になりました
金持ちは地獄に行って
物語であったラザロは天国に行って
アブラムの懐で愛される人と立場になりました
立場がぐるっと変わったのです
100年の人生にはこんなような
永遠の世界には一番つらい人は天国に行って
一番豊かな人は地獄に行ったのです
30:00
しかし聖書をよく読んでみますと
ルカ16章24節を見ますと
金持ちの人はアブラムに父を自分の父をと言いました
アブラムは父だったら天国に行くべきでしょう
しかしなぜ彼は天国に入らなくて地獄に行ったのでしょうか
ここで皆さん私たちは天国に入る基準をもう一度
神の基準をもう一度考えなければなりません
要は1章12節
しかし言葉は自分を受け入れた人
その名を信じる人々には
神の異なる資格を与えた特権を与えたと言います
ここで自分を受け入れた人
その名を信じる人
ただ信じるんじゃなくて
イエス・キリストを受け入れた人ということです
この話の意味は
ただ理論的協理的な信仰ではなく
神様との親しみ
人格的な交わりをお話しすることですけど
金持ちの人は神様がその人の名前も知らないんです
協理的に信じる人はこのような姿でしょう
しかし物語の人の名前はラゾロと言いながら
神様は彼を名前で呼んでくださることです
私たちは協理的に信じながら
私は救われたと思いませんか
しかし救いは神様との親しい愛の関係にあります
ですからその人の名前を呼んでくださいながら
対話をする これが大事です
今日私は教会学校のメッセージを通して
ああそれなんだと思い分かりました
牧者は羊を名前を呼んで導くということ
教会学校のメッセージから今日
ああこれだ
これだということが分かりました
良い牧者は羊のために命を捨てる
良い牧者は羊の名前を呼びながら導いていく
そうです
イエス様は自分の子供
自分の花嫁
その花嫁の名前を呼んで導いていかれる
だから名前を呼んで
マジオリオンの中で
そのような関係性
そこに救いがあるんだということを
今日メッセージで分かりました
皆さん救いは距離ではできません
人格的な愛の交わりを通して与えられます
親しくもないのに愛する関係もないのに
なぜ神様イエス様が
ご自分の天国に私たちを入れてくださいますか
33:00
救いは天国に導かれることなんで
名前を呼びながら
私の天国に入ってきてください
いうことが救いなんです
ぜひとも皆さん
今日のメッセージで救いに対する
神の下げ振りを発見する
きっかけになれればと思います
そしてイエス様ともっと深い
交わりの中に入る
その交わりを大切にする
私たちになれればと思います
皆さんイエス様と愛の交わり
以上この世の中で大事なものはありません
ぜひともイエス様私の名前を呼びながら
なきょいはついてこいついてこいと言われる
私たちお一人お一人になれればと思います
お祈り出します
主よ今日は神の下げ振り
神の基準に対する
分別力を与えてくださってありがとうございます
私たちの信仰がただ教会に通い
ただ礼拝に参加するだけではなく
私たちが神様との深い交わりの中で
お互いに愛し合う中で
名前を呼んでくださる
そのような関係になるように
ぜひとも神様の下げ振りを
よくよく分別して
みんなが神様とイエス様と深い愛の交わりの中で
みんなが天国に行く私たちにならせてください
イエス様の皆を通してお祈り致します
アーメン
アーメンありがとうございます
34:49

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