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「私たちを救われる聖霊様のうめき」2026年8月9日のメッセージ
2026-08-09 32:52

「私たちを救われる聖霊様のうめき」2026年8月9日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2026年8月9日(日)主日礼拝のメッセージです。

牧師:アブラハム黄

▼メッセージをスライドで: https://x.gd/0dA0T

▼公式Instagram: https://www.instagram.com/tokyovinechurch

▼ポッドキャストへのご感想はこちらへ!: https://forms.gle/fHcRBqaFSat8EQfE9

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▼メッセージの自動文字起こしはこちら: https://listen.style/p/tokyovinechurch


(聖書)ローマ-28被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。20 被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。21 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。22 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。23 被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。24 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。25 わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。26 同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。27 人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

メッセージ題 : 私たちを救われる聖霊様のうめき (ローマ-28)
*先週は、猛暑の中で病んだり病院に入院されたり、皆さん本当にお疲れさまでした。その中で、牧師であるなら?無能力!申し訳ない気持ちでうめきが・・・ 今この世の中には私のようにうめきをしている3つの存在があると・・・ローマ8章では、被造物のうめき、キリスト者たちのうめき、また聖霊様のうめきが

1.まず、全世界の被造物のうめきがあると・・・
*ローマ被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていると? 元々天地万物は?創世記神様が良かったと言われた存在。しかし創世記3章の人間の罪によって?管理されていた被造物も共に・・・創世記→ローマ被造物は虚無に服している? また大自然の生き物たちも?元々イザヤ11:6-8しかし弱肉強食の世界に?このすべては人間の罪によって! また、大自然の洪水、台風、津波、地震、火山の爆発?このすべては元々天地創造のとき計画された者ではありません。罪による呪いによって虚しいことをしているところです。被造物さえもやりたくないことをやらせられているのです。
#では、被造物らは今、何を待っているのでしょう? ローマ神の子たちの現れを?地の果てにまで福音が宣べ伝えられると終わりが来て、イエス様が再臨なさって、すべての万物を新しくされるので。黙示録21:5束縛から逃れるそのときを待ち望みながら、今・・・すべての被造物らがうめきを・・・

2.また、キリスト者たちのうめきが・・・
*ローマ霊の初穂を頂いている私たち?=イエス様を受け入れたキリスト者たち。→キリスト者は何をうめいていますか?救われたというながら、未だにこの世の価値観によって生き、罪の誘惑で倒れる。御声を聞きながらもなかなか従うことが出来ない弱さ!ここにうめきが!また、周りに病んでいる愛する方々、聖書には祈ることで癒されたと書かれてありますが?なかなか実現できない癒しと回復
弱い私たちを見るたびに、うめきが・・・ #では、このような私たちは、いつ完全には回復され自由になれるのか?イエス様の再臨のときです。第1コリント-53ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。53この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。<-終わりが来ていますが・・・ 待ち望むのにうめきが!

3.ここに私たちを憐れに思われ、助けようとされる聖霊様のうめきがあります。
*ローマ 救われた信徒たちが病と問題によって嘆きをしています。では、キリスト者たちは神様に祈ることによって解決しなければなりません。しかし、嘆きながら祈っているのに?何が問題なのか、どう祈るべきか分からない!本当に祈るべきことを分かっていない信徒たちを見ながら聖霊様が嘆きを
言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるから。元々祈りは?第1ヨハネ聖霊様は神様の御旨を知っているので、信徒たちの為にとりなしの祈りを!そのお陰で危機を乗り越えています。
#特に、聖霊様が行われる素晴らしい御業は?ローマ!=私たちが失敗するなら?これから失敗しないように!私たちが成功するなら?もっと上手く成し遂げるように助けられる。→そして失敗しても成功しても・・・私たちの導きには失敗がありません。結局は、すべてを合わせて善になるように助ける。
#一つ肝に銘ずるべきこと。ローマご計画に従って召されたって・何もしなくていいのか?いいえ!
主の主権と私の自由意思!→神様が主権的に働くとき、私たちの自由意思で主の愛の関係性の中に
@この世のうめき、私たちに嘆き、その中で生かそうとされる聖霊様のうめきが!聖霊様に従うことで・・・

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サマリー

このメッセージは、ローマ8章19-28節に基づき、「私たちを救われる聖霊様のうめき」について語っています。まず、被造物全体が人間の罪の影響で虚無に服し、産みの苦しみを味わいながら、神の子たちの現れと万物の新しさを待ち望んで呻いていると説明されます。次に、キリスト者自身も、救われた者でありながら、この世の価値観や罪の誘惑に弱く、完全な回復ができないことへの呻きを抱えていると述べられています。最後に、これらの呻きを聞き、私たちを憐れんで助けようとされる聖霊様の「言葉に表せないうめき」による執り成しについて語られます。聖霊様は、私たちの弱さを助け、失敗や成功をも益としてくださり、神の御心に従って聖徒たちのために執り成してくださると強調されています。最終的には、イエス・キリストの再臨によって全ての呻きが解決され、神の子たちの栄光に輝く自由にあずかる希望が語られています。

牧師のうめきと世の中の三つの呻き
今日は、「私たちを救われる聖霊様のうめき」という題を持って、メッセージを分かっちゃいたいと思います。
先週、昼の気温が35度まで上がるものすごい暑い日々だったんですけど、教会では病んでおられる方が大勢おられました。
病院に運ばれたり、まだ病院に行って点滴の注射を受けなきゃいけない方もいらっしゃいました。
その中で皆さん本当にお疲れ様でした。
こんな時に、牧師が皆さんからそのようなお話を聞く時に、
私はいつも聖書に現れるイエス様と神徒たちのように、病んでいらっしゃる方の上に手を置いて祈れば癒やされるということ。
私もそのようになれればいいんじゃないかなと思うんですね。
なぜなら牧師が神徒たちのために祈ったら癒やされることは当たり前じゃないですか。
他の方たちはそう思うかもしれませんけど。
私は祈りますねと言いながら、とりなし祈りはしますけど、
実際的に何の能力も現れないので、申し訳ない心で、私にはいつもこのうめきがあります。
私のうめきは無能力、何にもできない私自身に対する嘆きにすぎませんけど、
今この世の中には、嘆きをしている三つの部類の方がいると、
これを今日読んでくださったローマ書8章には教えてくださっています。
初めにうめきをしていらっしゃる存在が非常物、全非常物は今うめきをしている。
また2番目はキリスト者たち、うめきをしている。
また3番目は聖霊様がうめきをしていらっしゃる。
これで見てますと全世界はうめきによって満たされていると思う。
この世の中で笑っている奴はただただ悪魔サタン、この奴しかないんじゃないかと思う。
全てはうめきをしているのに、今私たちはこのうめきの内容は何なのか、
どうすればこのうめきを解決することができるのか、これを今日一緒に考えてみたいと思います。
全世界の被造物の呻き
まず初めに全世界の非常物がうめきをしている。
ローマ書8章22節、非常物は全て今日までともにうめき、
ともに海の苦しみを味わっていることを私たちは知っている。
もともと天地万物は神様が創造されて、
美を極めて良かったと言われるほど素晴らしいところでした。
ところが創世紀3章で人間が罪を犯してからは、
人間だけじゃなく、人間が管理した全ての非常物までも罪の呪いを受けるようになりました。
創世紀3章17節、こう言います。
お前のゆえに土は呪われるものになった。
だから人間だけ呪われるんじゃなく、人間が管理している大自然、全世界が呪われるものになった。
その影響でローマ書8章22節、今日読んでくださったところには、
非常物は虚無に復していますが、
それは自分の意思によるものではなく、復讐させた方の意思によるものであろう。
言葉を変えますと、非常物はもう今虚無に復讐していますけど、
自分やりたくてやるんじゃなくて、やらせられるから仕方がなく自分たちは虚しいことに復讐している。
もともと大自然、洪水、台風、飢饉、地震、津波、火山の爆発、
これはもともと神様が天地万物を創造される時に、
もともとそのようになるようにデザインされていたのでしょうかね。
そうではなく、管理責任者である人間の罪によって呪われて、
今大自然は虚しいことをやっていることではないかと思います。
皆さん、大自然の管理責任者が人間なんで、
大自然が管理責任者である人間に被害を与えることをやりますか。
自分はやりたくないんです。しかし、やるしかないから仕方がなくやっているんだということ。
もともと皆さん、世の中の動物、
イザヤ11章6節から8節を見ますと、私たちが理解できない言葉があります。
狼は子牛とともにやる。
ヒョウは子ヤギとともにふす。
子牛は若児児とともに育ち、
また、牛も熊もともに腐うはみ。
また、獅子は牛と等しく干草を喰らう。
血の巫女は毒者の穴に葬れ、
若者は魔物の巣に手に入れる。
今、皆さん考えてみてください。
非常に危険なことを赤ちゃんはわからなく、
毒者の穴に手を入れる。
噛まれて、毒によって今、死なるんじゃないでしょうか。
昔々初めの状態の天地万物は、
このような被害とか滅びるとかいうことは全くなかった。
しかし、創世経3章、人間が罪を犯した後は、
大自然が呪われて、
大自然の動物は弱肉強食の世界になります。
皆さん、動物たちをよく見てください。
大きいものは、小さいものは食べて食ってしまうんですよ。
これはもう普通のものではありません。
命を懸けて逃げるし、命を懸けてもう食い尽くそうとしている、
この世界の中に私たちは住んでいる。
世の中が美しい場面ではありません。
その中では生き残るために精一杯頑張っている。
だから世の中のすべての動物、生き物たちは、
うめきをしています。
この世の中はなぜ作られたんですかと言いながら、
今世の中のすべての生物は、
もううめきをしているんじゃないかと思います。
どうしてこんなことになったのか。
人間の罪がきっかけで、
非常物たちはみんな呪いの中で過ごしているからです。
この呪いの中から非常物は何を期待しているんでしょう。
これはローマ書8章19節です。
非常物は神の子たちが現れるのを節に待つのです。
神の子たちが現れるから、
これはイエス様が現れることではなく、
神の子供たちが現れることを待っている。
神の子供たちが現れることはどんな意味ですか。
福音が地の果てにまで述べ伝えられたら、
終わりが来る。
福音が地の果てにまで述べ伝えられるところで、
イエスキリストを信じる、
神の子供になる人たちがたくさん現れます。
たくさん現れて、救われる人が全部救われた後、
イエスキリストが再臨なさるものですから、
神の子たちがたくさん現れること、
伝導された人たちが現れることを、
非常物たちが待ち望んでいることです。
じゃあなぜ待ち望むのか。
イエスキリストが再臨なさったら、
目白21章の5節を見ていますと、
王座に座っているおられる方が、
私は万物を新しくすると言います。
全世界、万物を新しくするということ、
その時まで今、
全世界の非常物は今、呪いの中にいます。
イエスキリストが再臨なさって、
イエスキリストによって全てが新しくなる時、
呪いが解決でき、
それから全ての人に自由と、
またそこから生きる何か、
神様の希望が与えられる。
その時まで、
今、全世界の非常物は呻きをしている。
皆さん、全世界が呻きをしている声が聞こえますか?
津波が来ます。地震が来ます。
また、いろいろな問題が起こる時に、
大自然は今、呻きをしていると、
理解すればいいでしょう。
この呻きがイエスキリストが再臨の時に、
全てが解決できる。
だから、非常物は待ち望んでいる。
キリスト者たちの呻き
2番目、ギリシト者たちが呻きをしている。
ローマ人説8章23節。
非常物だけでなく、
霊の発放をいただいている私たちも、
神の子とされること、つまり、
身体のあがらわれることを、
心の中で、呻きながら待ち望んでいる。
霊の発放をいただいている私たちということは、
イエス様を信じて、
キリスト者になった人たちを意味します。
皆さん、キリスト者たちは、
どんな呻きをしていますか?
事実、キリスト者たちは、
イエス様によって、新しく生まれた、
救われたと言いますが、
相変わらず、
この世の価値観の中で、
頭の中でいっぱいあります。
また、いつも、罪の誘惑。
罪の誘惑に弱くて、倒れてしまいます。
神の子供になった私たちは、みんな、
清い生活を求めます。
神の子らしい清い生活を求めるんですけど、
いつも、罪の欲によって、
負けて倒れてしまいます。
ですから、みんな、神様に対して、
ごめんなさい、ごめんなさい、
という気持ちが、心の中でいっぱいあります。
みなさん、キリスト者というのは、
みんなも感じることでしょう。
毎週、教会で、説教を聞きます。
メッセージを聞くなら、
みなさん、どう思いますか?
神様は、このような生活を願っておられるの?
神の身むねはこれなんだ。
しかし、それを、
自分たちが守れない。
事実、牧師さえも、
自分がメッセージしたのに、
自分が守れないんです。
恥ずかしいです。恥ずかしい。
キリストたちは、みんな、
毎週、礼拝院の中で説教を聞きます。
神の身むねはわかります。
しかし、神の身むねを知っているんだとしても、
守れない自分自身を考えながら、
心から、うめきが出てくるんです。
神徒たち、みんな真面目な方なんで、
どれほど、どれほど、守れない自分自身が、
もう、気のどこだと思われるのでしょうか。
ここで、うめき、
嘆きがあります。
また、教会の中で、
病んでおられる方、弱い方、
また、みなさんの子供たちが、
今、いろいろな事故で倒れたり、
もう、何か傷つけられたりするなら、
みなさん、本当に本当に、
苦しいでしょう。
また、私たちは、いつか、
また、みんな死にます。
もう、親が亡くなることを、
私たちは、もう何回も経験しました。
その中で、親がいらっしゃらない、
この世界、もう本当に、うめきしかない。
今も、会いたい、会いたい。
まあ、私、韓国に一回、
たびたび行くなら、
韓国にいる、私の上の姉と兄弟に会いますけど、
みんな、お母さん、会いたい、会いたい。
赤ちゃんみたいに、みんな、こう言いますよ。
お母さん、会いたい、会いたい。
しかし、会えない。
このようなうめきが、私たちにはあるんです。
じゃあ、私たちのこのうめき、
いつ、回復され、
いつ、私たちが全てを取り戻されますか?
これも、イエス・キリストの再臨の時、
全てが、回復できます。
第1コリント、中号章、52節、53節、
最後のラッパが鳴るとともに、
たちまち、一瞬のうちです。
ラッパが鳴ると、死者は復活して、
朽ちないものとされ、私たちは帰られます。
この、朽ちるべきものが、朽ちないものを生き、
この、死ぬべきものが、死なないものを、
必ず、生きることになります。
このような、変わった姿で、
イエス・キリストに出会い、
イエス様とともに、天国に入って、
私たちは、永遠に、祝福の中で生きるようになります。
じゃあ、皆さん、今、世の中の終わりだと言います。
終わりだという意味は、
イエス様の再臨なさって、
私たちが、みんな、
この、朽ちるものを、朽ちないものを、
死ぬべき体を、死なない体を、
背負うこの時が、近づいているということです。
だけど、私たちは、希望があります。
イエス様が再臨なさったら、
私たちには、すばらしい、すばらしい、希望があります。
しかし、再臨なさってないから、
今、再臨なさる前だから、
今、世の中が、めちゃくちゃであり、
苦しみがあり、
その中で、非常物も信者たちもみんな、
うめき、嘆きをしている状況なんです。
この時、私たちは、
この希望を持っているとするなら、
どのように生きるべきですか。
私たちは、この世に従って生きることではなく、
信仰によって、
イエス様が来られることを、
待ち望むことです。
今、一番大事なのは、
キリスト者たちの忍耐。
今、世の中の不条理も、福愛、
いろいろな問題があります。
この中で、信者たちは、
この中で、自分自身の信仰を守り、
神の御言葉通り生きるためには、
本当に世の中で、
世の中の人々と全く違う生活をしなければいけない。
清さを守らなければいけない。
ここにどれほど苦しみがあり、
問題があるでしょうか。
その中で、キリスト者たちには、
うめきがあります。
当たり前。
この中で、教会の家族みんなさんが、
病院に入院されたり、
リンゲルを受けるために、
病院にいろいろ行かれたり、
入院されたり、
いろいろなことが起こるときに、
私たちの中では、また、
イエス様のように私たちは能力がない、
このようなことを考えながら、
うめきが私たちにはあるんです。
世の中には、非常物のうめきがあるし、
キリスト者たちにも、うめきがあります。
ここで、3番目。
ここで、私たちは、
聖霊様の呻きと執り成し
アーレに思われ、助けようとされる、
聖霊様のうめきがあります。
ローマ書8章26節で、
同様に霊も弱い私たちを助けてくださいます。
私たちはどう祈るべきか知りませんが、
霊自らが、
言葉に表せないうめきを持って、
取り成してくださるからです。
救われた信者たちは、
病と問題によって、
非常に今苦しんでおられる状況です。
では、私たちキリスト者たちは、
この全ての問題を、
神様に祈ることによって、
解決しなければなりません。
ところが、
嘆きながら祈りはしているんですけど、
どのように祈ればいいかわからない。
また、問題の原因もわかっていない。
ただただ、主よ、主よ、
憐れんでください。
この一生は、
もうあまり祈りができない。
だから、聖霊様を見られるのに、
この人たちは、
本当に祈るべきことを祈ってないんだな、
と思われます。
それを見て、
聖霊様は26節、
言葉に表せないうめきを持って、
取り直しをしてくださろう。
皆さん、もともと祈りは、
第1ヨハネ5章14節には、
何事でも神の御心にかなうことを、
私たちが願うなら、
神は聞き入れてくださる。
私たちが祈ることは、
神様の御心にかなう祈りを、
私たちがするとき、
神様は私たちの祈りを聞いてくださる。
神の御心にかなわない祈りは、
私たちが祈っても、
神様が、
はあ、これを聞いてあげるか、
これは心配だな、
祈って答えてあげても、
これは良くならないんで、
どうすればいいか、
神様は悩むんですよ。
しかし、神様の御心を一番よく知っている方が、
聖霊様なんです。
ですから、
聖霊様は、
神の御心をよくわかって、
私たちの問題、悩み、苦しみ、
全てに対して、
聖霊様が、
神の御心をわかって、
代わりに祈りをしてくださる。
この、取りなしの祈りです。
ですから、
聖霊様の取りなしの祈りがあるから、
信徒たちは、
この世で、
様々な問題、苦しみがあるんですけど、
その中で、
慰められ、
力をいただき、
危機を乗り越えることができるのは、
聖霊様の言葉に現わらせない、
うめきのお祈り、
取りなしのお祈りのおかげなんです。
特に、
助け主、
聖霊様が行われる、
素晴らしい働きは、
ローマ書8章28節です。
神を愛する者たち、
つまり、
小計画に従って召された者たちには、
万事が益となるように、
共に働くということを、
私たちは知っています。
じゃあ、どんな意味ですか?
私たちが失敗するなら、
失敗を教訓にして、
二度も失敗しないように、
助けてくださる方が、
聖霊様です。
また、成功するなら、
この後は、
もっともっと立派な、
これ上の成功ができるように、
助けてくださる方が、
聖霊様です。
ですから、私たちが失敗しても、
成功しても、
もっともっと良いことを与えてくださる、
聖霊様の働き。
だから、
全てを益になるようにしてくださる、
ということです。
皆さん、私たちみんなが、
心配があります。
昔、私は、
学校にいる時、
勉強するでしょ。
キリスト者たちは、
日曜日勉強しないの。
私は勉強しませんでした。
もう、
受験が目の前にあるのに、
今、
友達はみんな勉強していない。
私は勉強しません。
当時、私の牧師は、
厳しかったですね。
手納品をバラバラと、
厳しく厳しくやる。
私は、
土曜日12時点と言ったら、
これから、
本をチャッと閉じます。
日曜日12時、
ターッと終わったら、
パーッと開きます。
もう、牧先生が怖くて怖くて、
メッセージが怖くて怖くて、
従わなければいけない。
まあ、そのようにやりました。
だから、皆さん、
この日曜日、
みんな勉強しているのに、
私は勉強しないと言ったら、
皆さん、心配でしょう。
他の子供たちは、みんな
合格しているのに、
私は不合格と言って、
もう恥ずかしくなるし、
もう心配、
あるんじゃありませんか。
また、
私が何か頑張ってやっているのに、
何の実りもないように見える。
事実は、教会もそうです。
もう、
伝道師さん、
この教会、今7年目ですけど、
前もあまり変わりがない。
今のままで続けても、
大丈夫ですか。
いつも私に聞きます。
だったら、私はどうすればいいですか。
やめましょうと言う。
神様が、
ここに礼拝場所と定めてくださって、
大切なお方を送ってくださったのに、
これから礼拝やめません。
やめますと言ったら、
これは、
最後に、
神様の前に立って、
あなたは、
私が大塚に、
このいいところに、
礼拝する場所を与えたのに、
あなたが勝手に、
礼拝やめた。
あなたと私、
どれほど、
何か大きい裁きを受けるのでしょうかね。
だから、
いくらいくら経っても、
何にも変わりがないと言ったら、
私の人生失敗だな。
実りがない失敗の人生だと思うかもしれません。
しかし皆さん、
今はそう思うかもしれないけど、
どちらをどうご覧ください。
ここで、
素晴らしい神様の導き、
働き、
実りがあることを、
私たちが見るようになるでしょう。
皆さん、
神様は絶対に失敗はありません。
例えば、
創世紀37章で、
ヨセプの人生を考えてみます。
はじめ、
ヨセプの人生は、
もう滅ぼされたと思っていいでしょう。
金持ちの家で、
一番愛される息子が、
奴隷になって、
また奴隷が、
もう牢に入るようになってしまった。
しかし、
神様の立場から見てますと、
その道が、
異邦人、
ヘブライビーと言うから、
よそ者だ。
よそ者が、
エジプトに行って、
エジプトの宮廷を全部理解して、
総理になるのに、
一番近道だった。
ヨセプが歩んだ道が、
一番近道だった。
また、ヨセプは牢に入りました。
なぜ牢に入ったんですか。
ボディバルの妻が、
これは身だらな女。
身だらな女が、
ヨセプを毎日、
なんとか、なんとか、
誘惑しています。
このボディバルの妻の誘惑から、
ヨセプを安全に守るのに、
牢以上いいところがなかった。
そこに入れておいて、
ちゃんと守ってくださった、
ということです。
神様の、
私たちが見るのには、
奴隷になって、
また牢に入ったと、
これは人生終わりだと、
思うかもしれないけど、
神様を見るのには、
神様の見舞いで、
一番いい、
清い道、
近道、
素晴らしい道なんだ。
だから、
私たち信者たちが、
持つ核心は何ですか。
神様は絶対、
私たちはどのように導いても、
これは一番いい道。
私たちのために、
一番いい、
有益をくださるために、
与えられた道。
世の中に何が起こったとしても、
神様は私たち、
一番いい道、
素晴らしい、
祝福になる道、
導いてくださるんだ、
という核心を、
私たちが持つことなんです。
例えば、
私たちが失敗したとしても、
神様は、
この失敗さえも、
この次はもっといい、
勝利になるように、
導いてくださる、
素晴らしいお方です。
ですから、
私たちの人生は、
イエス様によって、
精霊様によって、
神様によって、
決して失敗はありません。
このように、
精霊様の嘆きは、
私たちを生かし、
助け、
いい道に導くだけじゃなく、
イエスキリストの再臨を準備するのに、
一番素晴らしい役割をされることが、
精霊様の嘆きなんです。
ここで、
神の計画と愛の中にとどまること
一つ、
私たちが肝に銘じるべきことがあります。
ローマ書8章28節、
神を愛する者たち、
つまり、
ご計画に従って召された者たちには、
万事が益となるように、
共に働くと言ったんですけど、
神の計画通りに導かれた人は、
神様が全てやってくださる。
たったの私たちは、
何にもしなくてもいいですか、
ということです。
皆さん、
神様の計画がないキリストの人たちが、
いると思いますか?
いません。
神様が私たちを選ばれ、
救われ、
導かれて、
教会の家族にしてくださった、
私たちには、
みんな神の計画があります。
神の計画があるから、
私を導いてくださったでしょう。
ところが、
ここに神の計画という、
主見的な計画があるとしても、
私たちの自由意志があるので、
神様が主見的な働きを行うとする時に、
私たちの自由意志を通して、
神様に協力していく。
これが大事なんです。
また私たちは、
神様の愛のところ、
神の愛の懐に、
留まっていることが大事なんです。
例えば、
先ほど申しました、
ヨセプ。
ヨセプは、
エジプトの奴隷として、
連れて行かれました。
しかし、
奴隷になったとしても、
ヨセプは、
神様との親しい交わり、
愛の中に留まりました。
また、
悔しく牢に入らんとしても、
ヨセプは、
神様の愛の中に留まりました。
例えば、
今、子供たちが犯す過ちの中で、
こんなことがある。
神様は、
私は何も知ってくれなかった。
だから、
これから私は、
神様にわざわざ反発したい。
父親が牧師だから、
父親が何と言ったら、
私はやりたくない。
自分の心の中では、
やりますと気持ちがありますけど、
表面的には、
やりたくない、
やりたくない。
反発することは、
子供たちにはたびたびありますね。
しかし、ヨセプは、
金持ちの家の愛する息子が、
奴隷になったとしても、
これは、
反発することはありませんでした。
神様に、
関係の中で、
よく従いました。
また、
全く何にも罪がないのに、
牢に入れられたとしたら、
皆さん、
どう思いますか?
たぶん、
今の若者を見たいなとしながら、
この中でも、
大暴れしながら、
悪いものになってしまうか、
そうじゃなければ、
自分の命を斬るか、
何とか、
悪いこともするかもしれません。
しかし、
ヨセプは、
牢の中に入っても、
神様との親しい関係の中で、
とどまり、
神の愛の中で、
関係性を持っていました。
ただただ、
神の愛の中にとどまりながら、
神様に従いました。
ですから、
神様が、
彼を通して、
素晴らしい神の御技、
キキンから、
中東地域を救われ、
また、
信仰の民、
イスラエルを、
救うことができたんです。
反面、
フォートムスクはどうですか?
父の息子だとしても、
自分は父から離れたかった、
自由になりたかった、
父の家を勝手に、
出てしまいます。
そして、
そうしたら、
キキンの時、
豚が食べる稲子豆も、
くれる人がいなくて、
腹を満たすことができなかった。
彼は苦労しました。
父の家を勝手に離れたからです。
しかし、
彼が、
父の愛を考える時に、
私の父の家には、
食べ物がある、
父の家には良かった、
ということを考えながら、
父の家に戻ってきます。
その時、
神様は、
彼に全てを、
回復してくださった。
息子しての資格、
また、
全てのことを、
回復してくださったことがあります。
ここで私たちは、
考えるべきことが、
一つ、
ローマ書8章23節、
神の計画の中にある人は、
全てが勝手にできることではなく、
神の愛にとどまること、
これは、
私たちが、
しっかりやらなければいけないことだと思います。
ですから、
神様が全てを、
私たちの益のために、
全てをやってくださると言っても、
私たちが、
神の愛の中にとどまる時、
神様の御業が、
私たちを通して、
うまく成し遂げることができるんだ。
神の愛を反発して、
神から離れてしまうなら、
離れてしまった時には、
神の愛の働きが、
彼を助けることができないから、
私たちは、
わざわざ苦労する道を歩んでいる。
だから、
早く悟って、
早く戻ってくることが、
一番いいということです。
全ての御業は、
神様との親しい愛の交わりの中で、
全てが与えられるんだということを、
ぜひ覚えていきたいと思います。
聖霊様の導きに従うこと
この世の中には、
憂き、
嘆きがあります。
非常物たちの憂きがあり、
信じる私たちの嘆きもあります。
しかし、
その全ての中で、
私たちを回復してくださり、
生かそうとされる、
精霊様の嘆きもあるんだということを、
ぜひ覚えて、
精霊様が私のために、
今、
嘆きをしておられるから、
私が精霊様に耳を傾けよう、
精霊様のこの御声に、
聞き従おうという心を持つことは、
非常に大事です。
精霊様の嘆きのおかげで、
私たちが守られているし、
これから、
神様の大きな栄光と祝福の中に、
参加することになるでしょう。
願わくは、
私たちを助けるために来ておられる、
助け主精霊様を、
悲しませることは、
絶対ないように、
精霊様の導き、
敏感な導きに敏感に従って、
神の御胸を成し遂げる、
遂げてあげる、
私たち、
また私たちの教会になりたいと思います。
私たちは、精霊様が私のために、
今も嘆いておられること、
植木をしておられること、
感謝しましょう。
また、
悟らせてくださることを、
祈りましょう。
従います。
いつも私たちに悟らせてください。
いつもこの祈りを忘れずに、
これから精霊様との交わりを、
やっていきましょう。
お祈りいたします。
主よ、私たちは、
私たちの日常生活に忙しくて、
お仕事に忙しくて、
何にも考えずに過ごしているんですけど、
私たちの信仰生活を見ておられ、
憂き、嘆きをなさる、
そして助けてくださる、
精霊様について学びました。
精霊様、ごめんなさい。
これからは親しい魔女らの中で、
よく従っていきたいと思います。
助けてください。
悟らせてください。
イエス様、皆を通してお祈りいたします。
アーメン。
32:52

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