テーマは江戸時代の色、藍色についてです。
本当は他にもいろいろ考えてたんですけど、
ちょっと1回で納められないので、
特に藍色についてだけ今回お話したいと思います。
藍色という色は、数字でパソコンとか扱っている人だったら
色を表現するときにRGBで色を説明するっていう方法がありますけど、
レッドが35、グリーンが71、ブルーが148という風に大体表現されます。
16進法でいくと234794という表現とかもしますね。
明治初期に日本に来たイギリス人の科学者が
藍色のことをジャパンブルーって言ったと言われている伝統の色という風にされています。
なぜ今回これを取り上げるかというとですね、
今年の2025年タイガドラマ、ベラボーってやつですね。
その後後ろにいろいろ名前がつくのでそこは置いといてですね。
ベラボー江戸時代なんですね。
藍染めの着物とかノレンとかは割と目につくなと思っているんです。
実際に私ベラボーほとんど見てないんだけど、
パッとたまたまテレビつけたときにそれが出てきて、
やっぱり江戸時代のこの頃になると藍色が結構多かったんだなと思って。
だったら藍色の話をちょっとやってみて面白いんじゃないかと思って、
今回いろいろ調べてみました。
当時、庶民の衣類というのは朝から木綿に移ってきた時期らしくて、
木綿自体は戦国とか安土桃山時代ぐらいから普及したと言われているようです。
木綿を染める染料が藍色というのがとても良かったらしいんです。
なので木綿の服は藍色が多かったと。
藍色について調べてみました。
世界での歴史で言うと紀元前の3000年ぐらいからインダス文明の遺跡に
藍色の染色の遺跡があったということなんだそうです。
日本で藍色が使われるようになったのはいつ頃かというところで言うと、
法隆寺とか小僧院に藍色で染めたものがあるという、
これが一番古いらしくて、
法隆寺は飛鳥時代だし、小僧院は東大寺なので奈良時代、
このぐらいには日本に来たのではないかと言われております。
小僧院にある藍色のものというのが、
何回か前に東大寺大仏の話をしましたけれども、
大仏の戒厳供養、目玉を入れる、
実際に入れているわけではないですが、あんなにでかいものなので、
目玉を入れるような動作をするという戒厳供養というところで使われた紐、
花田乗るという紐があるんですけれども、
この花田乗るという紐ですね、
花田というのが糸編に1票、2票、投票とかに使われている票、
これで花田という感じなんだそうです。
乗るののは女子ののなんですけれども、
るというのは一縷の望みという言い方をするときのるですね。
これで花田乗るというらしいんですけれども、
花田も実は藍色の一種なんですって、
なので花田は青色の紐という、それ自体の名前だということのようです。
ではちょっと藍色の化学についてお話をしようかと思います。
日本で藍色を染めるときに何を使いますかというところがですね、
タデアイとか沖縄だとリュウキウアイとか、
そういう植物を使って藍染めをやってたということなんですが、
海外では他の草ですね、やっぱり植物って地域によっていろいろ種類があるんで、
海外にある藍色の色素が出せる草で藍染めをやってたようです。
天然色素のインディゴというものとか、
それの元になる物質が入っているような草であれば、
藍染めができるということのようです。
日本で一番よく使われているのはタデアイ。
タデっていう、タデの種類でタデアイっていうのがあるんですけども、
その植物が日本ではよく使われてたんですが、
色素のインディゴというものが入ってないんですよ。
ぱっと見普通の緑色の草。
実はタデアイにはインディゴの元になる全区物質インディカン、
もしくはインジカンって言うんですけども、
Dが入っているので、字だったり出だったり発音は、
そこは日本語なんでちょっと曖昧なところがあるんですけども、
その全区物質インディカンっていうものがタデアイの中に入っています。
これ自体は無色で水に溶ける。
紫外線と空気中の酸素に当たると、
それが藍色に発色するという、そういう方法で色が染まるそうです。
そのタデアイの中に入っているインジカンっていうのは、
インドキシロハイトウタイという物質でして、
ハイトウタイなんで、他の糖の成分がひっついている状態の物質でして、
これに水をかけることによって、
火水分解を起こしてインドキシルとグルコースに分離するそうです。
それを空気の合うところに晒すと、
青色、藍色のインディゴっていう色になって、
布なり糸なりが藍色に染まる、そういう仕組みだそうです。
日本で特に藍の産地といえば徳島県の阿波藍っていうのが有名でして、
なぜ徳島で阿波藍だったのかというとですね、
徳島県といえば吉野川が一番大きな川なんですけど、有名なところなんですけれども、
この川はすごく氾濫が多いんで、稲作をするのはその領域ではなかなか難しい、
そういう土地だったんですけれども、
タデアイっていうのがその氾濫の時期よりも早く収穫ができるんだそうです。
なので江戸時代に阿波藍がタデアイを普及させて、
そっちで金儲けをしていこうというふうに奨励したそうです。
タデアイという植物はタデ科の一年草、一年ぽっきりで枯れてしまう草ですね。
草丈がだいたい50センチから1メートルぐらいまで伸びて、
花が咲くよりも前に葉っぱを刈り取ります。
これがだいたい6月ぐらいからできる。
だから、稲作に大事な夏とか秋とかそういう時に氾濫するっていうよりも早くできるから、
金にしやすい、安定的に収穫できるということのようです。
花の形はタデ類なんで、イヌタデっていうそこら辺の春から秋ぐらいに、
そこら辺の雑草とかで生えている花のイヌタデっていうのにわりと似てます。
赤い小さい1ミリあるかどうかぐらいのピンク色とか赤色の花がくっついて並んでいるような花が咲きます。
花を咲かせる前に収穫するんですけど、葉っぱをどんどんどんどん摘んでいくんですけども、
藍の葉っぱを刈り取って細かく裁断して乾燥させる。
それから今度水をかけて発酵させる。
そうすると黒から茶色の塊ができます。
これ不要度にぱっと見似ているような形をしているんですけど、
これをスクモという名前で呼ぶそうです。
これスクモの形になるので、だいたい数ヶ月かかる、すごく手間のかかるものを作ります。
このスクモができたら、今度は薄でついて、ぺったぺたついて、餅のような形にします。
丸めてあい玉っていうものを作ります。
江戸時代はこういう方法で、まず藍染めになるための材料を作っていました。
今はこれ本当に手間がかかるので、ほとんどやらなくて、一部それを復帰させたところもあるそうなんですけども、
なんでこんな手間かけるのことをやるかというと、
スクモや藍玉を作るっていう二点が、運搬とか保存がしやすい。
染色の作業に季節を問わなくて済む。
温度調節は必要なんですけど、最終的に染色するための液を作るのに、
50度とか60度くらいを維持する必要があるんですけども、
それは必要なんですが、もしこの作業をしない場合、夏場しかできないそうなんで、
あったかい状態じゃないとできないから。
あともう一つ大事なのは、何回も何回も染め直すことによって濃く布を染めることができるという、
布や糸などを染めることができたら濃い色を作りやすいという二点が、
この藍玉スクモを使った方法だそうです。
ちなみに、さっき藍色の草じゃなくても藍染めができるって話のときに、
リュウキュウアイっていうのがあるって話をしたんですけども、
リュウキュウアイっていうのは沖縄の方で使われている藍染め用の植物。
これは草というよりは定木、キツネの孫という果があって、
キツネの孫果の定木であるリュウキュウアイという植物。
常緑樹だそうで、木の高さ60から90センチくらい。
この葉っぱを使って作るそうです。
今回ちょっとこれは置いておきます。