1. 飛鳥山の窓から -TOKYO NORTH MOVEMENT-
  2. #119 久米宏さんとつくった”..
2026-03-12 16:52

#119 久米宏さんとつくった”ニュースステーション”の歴史|ゲスト: 関秀章さん

【今月のゲスト】

放送作家 関秀章さん


【今回のトークテーマ】

・放送作家を目指すきっかけはご友人のひとこと

・久米宏さんとつくった”ニュースステーション”の歴史


東京商工会議所北支部会⻑である越野充博が

王子飛鳥山の邸宅の談話室で、北区内外の多彩な起業家、経営者の方々をお招きます。

情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。

グラスを傾けながら、北区の未来を語り合います。


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サマリー

放送作家の関秀章さんが、自身の音楽遍歴から放送作家になった経緯、そして「ニュースステーション」制作の裏側について語る。ロックバンド活動からCMプランナーを経て、借金返済のために始めたラジオの台本執筆が転機となった。久米宏さんと共に「ニュースステーション」を、当時の社会背景やターゲット層を踏まえ、視聴者に寄り添う革新的な番組として作り上げた過程を振り返る。また、「ステーション」という番組名の由来についても明かされる。

関秀章さんの音楽遍歴と放送作家への道
飛鳥山の窓から、TOKYO NORTH MOVEMENT。
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。
情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
こんばんは、小篠光洋です。今週も引き続き放送作家の関秀章さんをお迎えしております。よろしくお願いいたします。
先週はついつい親戚話で盛り上がってしまったんですけど。
まさか親戚とは思わなかったですね。
でもね、ここ聞いておきたいって私がちょっと積み残したんでお伺いしたいんですけども。
ロックバンドやってられたって。これどういうカテゴリーなんでしょう?
実は今もやってるんです。
あ、そうですか。
今年ライブがありまして。今ちょうどフライヤーをラジオで分からないと思いますけど。
69歳、ロックなお年頃。シャウトしてるおじさんがいますけど、これが関さんなんですね。
これは僕のアバターですね。
アバター、なるほど。
15歳ぐらいからロックやってて、プロになろうと思ってたんですよ。15歳からずっと20歳過ぎまでやってて。
初めに影響を受けたバンドってなんですか?
一番最初ですか?一番最初はやっぱりザ・タイガース。
グループサンズでね。
小学生ですよね。
小学4年生ぐらいですかね。
ビートルズもあったし、洋楽も嫌いじゃなかったんだけど、
日本人もできるんだなというふうなことで、エレキギターがあってベースがあってドラムがあってっていう形の、
ああいう音楽の形態ですか。非常にそういうものに興味を持って。
それで中学生ぐらい、滝野が中学なんですけど、中学生あたりからちょっとバンドを始めて、高校時代もやってて、大学の頃もやってました。
もうその頃はほとんどはセミプロみたいな感じで。ライブハウスとか出てて。
あの頃だったんですか?キスとか。
僕はずっとオリジナルで。人のものをやらないです。
なるほど。じゃあ聴くのは聴くけれども、もう自分で作詞作曲。
そう。中学生の頃からね。
それは音楽的には独学ですか?
何でも独学です。
今度ニューアルバムが出たので、ぜひ。
ありがとうございます。
スター、関秀明。
これ4枚目なんですけどね。今度の新譜発表会みたいになってて、よく関さんおじいさんバンドですかって言うから、
悪いけど孫が2人いるからおじいさんバンドって言ってくれないっていつも言ってるんですけど、
みんなコピーしたりするでしょ。一切しないですから。
なるほど。それは面白いな。ぜひ聴かせていただきたいと思います。
プロモーションしてる場合じゃないんですけど。
このお話の続きは、私渋谷クロスFMで、音楽マンションプレゼンズライフイズミュージックっていう、
こちらでぜひやっていただきたいと思います。
さてそういうロックバンドに熱中していた大学時代から、放送作家になるんですけど、
これはもうストレートに。
「ニュースステーション」誕生の背景と戦略
いやいや全然。放送作家って仕事も興味もなかったし、知らなかったし。
東京におそらく放送作家って600人ぐらいいると思うんですけど、
599人の人は放送作家になりたくて、なりたくて、なりたくてなった人なんですよ。
僕は知らなくてなった。ただ1人の人。
なるほど。
だから放送作家が何だかもよくわかんないし。
そうするんですか。放送局にいるうちになんとなく。
放送局にもいないです。
どこにいてなっちゃったんですか。
僕はコマーシャルやってたんですよ。
大学出てコマーシャルプランナー。その前にね。
音楽の話は今日やめますか。
バンドは裏切りにあってですね。解散運の決めにあうわけですけども。
その時に最後にやってたバンドのギターのやつが、その後に組んだバンドの相手が、
今の松本隆博くんなんですよ。
だからビーズと僕はいとこ同士って言ってるんだけど、
関さんそれいとこじゃないですって。
マジに込まれると非常に困るんですけどね。
それを置いといて。
広告代理店、広告みたいなものに非常に興味があって。
そうですね。僕たちの大学卒業する頃。
ありましたよね。
憧れの仕事の一つでしたね。
僕はCMプランナーって仕事で、セブン、イレブン、いい気分とか作ってたんですよ。
すぐ作っちゃって。
やってたんですけどね、いかんせんね、こしのさんね、給料が安いんですよ。
そうなんですか。
安い。もうびっくり。もうブラック企業。
まあね、当時。
それでね、それもあったんで、私ちょっと雑サラを目指してですね、
ちょっととある食品の販売業を始めたんですけど、
共同経営してた高校の先輩がですね、夜逃げしましてですね、
私は借金を抱えてしまうことになって。
困っちゃって。
どうしようって相談した相手がラジオ局に勤めてた同級生で。
その彼がちょっと台本でも書いてみない?って言うわけ。
なるほど。
書いたことないんですよ。
それがね、忘れもしない。
亡くなっちゃって本当にお世話になった川島直美さんの番組だったんです。
あのなんだっけ。
ミスDJ。
はいはいはい。
じゃないです。
違うの?なんだ。
なんだじゃない。
ミスDJで人気が出た彼女の番を日本放送がスカウトした番組。
そうなんですか。
じゃあそれを最初に書いて。
書いた。それがスタートですね。
でもやっぱりそれなんかあれですか、もちろん評価もされたから続いたんだと思います。
そこからどんどんどんどん仕事が増えていっちゃって。
ご自身でもこれいけるって感じですか?
全然。だからもうお金を借金返さなくちゃいけないから。
借金返さなくちゃいけないっていうところでやっぱり始めたんで、
あまり純粋な動機ではないですね。
だからおそらく多くの人はこんな番組が作りたいとか、こんなことがしたいとか、
そういうふうな気持ちで放送作家になったりするんですけど、
そこがないところが弱みですね。
弱みというかもうすごい天才的なところなんだろうと思いますけども。
弱み弱み。
そうすると全国番組、ヒット番組いっぱい作ってきて、
ヒットさせるコツとかそういうのって自分の中であるんですか?
でもそれがあったらみんな苦労しないですよね。
一つはおそらく放送作家だけじゃなくて、テレビの世界に1万人ぐらいいるんですよ。
メディアの人たくさんいらっしゃるじゃない。
だけど実は言うとラジオでもテレビでもいっぱいいろんな人がメディアに関わってて、
人気番組に携わった人って100人に1人いるかいないかなんですよ。
実を言うとほとんどの人はそういうものに携わらないで人生が終わっていくわけ。
ところが残座が当たっちゃう人は当たっちゃうわけです。
それが一個は運だと思います。
その人の持っている。
それは時代に感性がたまたまあるとか。
そういう人もいる。
僕は40年50年やってるでしょ。
それで一つ大きな波があるんですよ。
大学で社会学を勉強してすごく良かったなと思うのは人工胴体っていう言葉があって、
日本ってバランスが世代によって全然違うわけですよ。
段階の世代があって、段階の世代ジュニアがあってみたいな。
いない世代はいない。
この波があってその大きな波の世代の人っていうのは一つのすごくトレンドを作る力があるんですよ。
そこを狙うってことですね。
なるほど。だからそうするとやっぱり我々が20代。
関さんが補活薬を始められて村が乗ってくる時期ってのはやっぱり狙い定めてたのは段階の世代。
もう段階の世代。
ニューステーションっていうのは段階の世代の、ざっくり言うと段階の世代の女性をターゲットにして成功した番組。
女性だったの?
女性です。なぜかっていうと家族社会学って言葉があるんですけど難しい話で恐縮ですけどね。
世代で4年生の大学を出て就職しなかったりの得意な例っていうのは段階の世代なんですよ。
女性だね。
普通は大学出たらみんな就職するわけですよ。
だから逆に言うと4年生の大学に女性が行くようになったんだけれども
就職しないの?
もうそこで花嫁修行だみたいな。大学まで行ったんだからもう花嫁修行しろみたいな。
僕の姉がその世代なんですよ。
うちら2年ぐらい勤めましたけど。
2年ぐらい勤めるけど専業主婦になっちゃうじゃないですか。
この人たちっていうのは非常にインテリジェンスもあるしポリティカルな気持ちもすごくある人たちが何と家事に追い詰められてたわけよ。
っていうので迎えた1980年代だっていう認識があって
その人たちに非常に寄り添う形で今夜10時ごろ旦那もなかなか帰ってこないし
っていう中で彼女たちに例えば問題意識もあるでしょうと。
それからもしかしたら大学時代学生運動したりもしてるかもしれない。
それからあとやっぱり介護の問題はその後かもしれないけども
いろいろと世の中に対する不満もあるかもしれない。
そういうものっていうのをちょっとそこをターゲットにしてみたニュース番組ではなかったですから。
「ニュースステーション」の革新性と影響
それとあの番組ってやっぱり会話ができるっていうか
やっぱり久米さんに対してもちろん久米さんに伝わらないんだけど
久米さんが言うことに対して共感にしても反論にしても
なんかこっちでブツブツ言いたくなるような初めてのニュース番組でしたね。
久米さん自体がわざとわきを甘くしてるわけ。
こうやってガッチリ構えるね。
今は誰とは言いませんよ。
今のニュースの番組がうまくいってないのはガッチリ構えてやるからですよ。
久米さんもゆるゆるだから。
もう突っ込まれどころ満載ですからわざとそういうふうにしてて
そこに対して違うよそれっていうような形で言うと明日も見てくれると。
まさにその術中に我々もハマってたような気がしますね。
だからどっちかっていうと男の人はあんまり久米さん好きじゃなかったです。
やっぱり久米はよーとかね。
例えばニューステーションやってるってことが
飲み屋とかゴルフのお風呂とかでバレると
お前なんだよあんなのやってんのかよ。
結構絡まれたりしましたね。
おじさんはすごく嫌いだったみたいな。
久米さんよりも年齢の上の人なんてちょっとランカーそういうとこあったのかな。
あとダンカニ世代の人たちもちょっとあれなんじゃこだよねって。
ところがやっぱり巨大な800万人ぐらいいるわけですよ。
ダンカニ世代の女性ってね。
今残念ながら皆さん高級高齢者になっちゃったけど
この方々っていうのはやっぱり非常にそこをターゲットに作るってこと。
僕はねやっぱり深夜放送でね
林義雄さんと小島一希さんがいて
そこに久米さんが時々入り込んでくるみたいな。
同期だからねTBSのね。
あの掛け合いが大好きで
だから久米さんこの間の解雇だと
ちょっとお体壊されたりしたみたいですけども
その後出てこられた時に
ようやく出てきてくれたみたいな感じで。
ラジオね。
そのテレビにもね。
僕はやっぱり本当にね
あんまり考え方とかそういうのは一致するところないんだけど
でもやっぱり生き方とか
それが本当に憧れる人だったんですよね。
ニューステーションそのものが
だからそうすると憧れの空間みたいに見えて
そこに当然コンテンポラリーなものが散りばめられるニュースですからね。
あれはやっぱり本当に画期的でしたね。
楽しかったじゃないですかやってて。
どっちかというと一番最初視聴率も良くなかったんですけど
僕は金曜チェックっていうのを作ったんですよ。
その金曜版から当たっていったわけ。
最初はねみんな忘れてますけど
ニュースのものは当たってなくて
本当に視聴率5%ぐらいで。
だけどやっぱり運がそこも味方したのかな。
結局フィリピンでああいう革命が起きて
それをちょうど同じ時間にマラカニアン宮殿を中継できたとか
ワンガン戦争ですよね。
ワンガン戦争は後ですね。
もうブレイクした後。
ブレイクした後ですか。
でもあれもすごいテレビっていうものの
ある種の絶頂期っていうか
今だとああいうものがインターネットに変えられちゃってる。
YouTubeでね。
でもあの辺の期間
お蔵入りしてみるとあっという間の期間なんだけど。
だからすごく昔なんですよ。
やっぱりメディアはワンメディアだから。
新聞の人からは敵視されてましたね。
僕は周りにすごく新聞社に行った友達も多かったでしょ。
でも彼らは自分が新聞社に入った頃は
ジャーナリズムのトップっていうのは新聞で
テレビなんかさって言ったのが
たった10年ぐらいでチェンジしちゃったんですね。
その前にNHKで磯村さんがやって
あれはニュースショーだから。
おっしゃる通りなんだけど。
でもそこで転換があって
ニュースステーションが満を持ちして出たみたいな。
僕らはそういう受け取り方してましたけどね。
磯村さんはやりたかったのは
ウォルター・クロンカイトのショーを作りたかった。
こっちはもうウォルター・クロンカイトですから
ウォルター・クロンカイトっていうアメリカのニュースキャスターがいるんですよ。
クロンカイトともう一人デビット・レターメンっていうのがいて
これを足して2で割ったやつっていうのが
久米博士なんですよ。
っていう風な作りをしたかったの。
でもちゃんとその通り作りましたよね。
だから逆にあれじゃないですかね。
タイトなニュースだけじゃなくて
いろんな人をスタジオに呼んで
トークも実はしてるわけですよ。
ロックミュージシャンも結構呼んでるし
レトゼッペリーも来てますから
だからそんなことっていうのは
非常に画期的だったんじゃないかな。
まあ確かにね。
だから本当1時間20分ですかあれ。
1時間15分です。
なんかそれが本当に色を変えて
例えばちょっと遅くなって
スポーツニュース間に合うみたいな感じで
いろんな光の当て方のところを
見ることができた番組でしたね。
今でも逆に言うと
テレビ朝日はその前は
やはり3番手4番手のテレビ局だったんだけど
あれのおかげでやっぱりトップステーションになれて
いまだにミュージックステーションとか
報道ステーションとか
ステーションって名前を使ってるでしょ。
あのステーションって名前はどこから来たか知ってます?
テレビの華やかな時代とロック魂
あれは僕がつけたんですよ。
あれはねデビッド・ボーイの
ステーション・トゥ・ステーションっていう有名なアルバムがあって
そこからつけたの。
だけどみんなは否定するんですよ。
自分の手柄にして。
だから証拠がその頃に
テレビ朝日の例えば
鹿児島と札幌をダイレクトにつなぐ
っていうコーナーを僕が作って
それはステーション・トゥ・ステーションって言ってたんですから。
なるほど。
だからデビッド・ボーイのステーション・トゥ・ステーションからのステーションなんですよ。
いやーでもすごい。
本当にテレビの一番華やかな時代の話を
直接聞けたって
すごい楽しい時間。
あのすごくねやっぱり
ちょうど世の中っていうのもやっぱり
MTVとかも来てたから
ロックの波が来てたけど
テレビってやっぱり奥列だもんね。
それをロックにしたんですね。
ロックな感じっていうのを入れるっていうのは
ちょっと世の中的に言ったら
悪くなかったんじゃないかなっていうのはちょっと思いますね。
ロック魂がさらにどういう風に繋がっていくのか
次来週もお伺いします。
失礼しました。
どうぞよろしくお願いします。
16:52

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