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#121 坂を”辛い”ととるか”なぜ坂ができた?”と考えるか|ゲスト: 関秀章さん
2026-03-26 15:36

#121 坂を”辛い”ととるか”なぜ坂ができた?”と考えるか|ゲスト: 関秀章さん

【今月のゲスト】 

放送作家 関秀章さん 
【今回のトークテーマ】 

・23区内で希少な”駅まで歩ける街”王子の良さとは 

・坂を”辛い”ととるか”なぜ坂ができた?”と考えるか 

東京商工会議所北支部会⻑である越野充博が

王子飛鳥山の邸宅の談話室で、北区内外の多彩な起業家、経営者の方々をお招きます。

情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。

グラスを傾けながら、北区の未来を語り合います。


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サマリー

放送作家の関秀章さんをゲストに迎え、街歩きの楽しみ方や、東京北区の魅力について語る回。関さんは、坂道やつづら折りの道を見たときに、単に「辛い」と感じるだけでなく、「なぜできたのだろう?」と歴史的背景や成り立ちに思いを馳せることで、街歩きがより豊かになると語る。江戸時代に源頼朝が歩いた鎌倉街道や、白山通りに残る江戸時代の道の痕跡、飛鳥山という地名の由来などが具体例として挙げられる。飛鳥山は、徳川吉宗が江戸の庶民の娯楽のために整備した場所であり、当時の人々が京都や奈良の宮殿のような風光明媚な場所を求めて名付けたという説を紹介。また、現代のテクノロジーを活用して、古い歴史や文化をバーチャルに表現することで、より身近に感じられるようになると指摘する。さらに、西ヶ原の「一休み」という地名や、滝野川中学が元々「もみじ園」というテーマパークだったという話など、北区に点在する歴史的なエピソードを紹介し、街歩きの魅力を深掘りする。関さんは、マンション化が進む中でも、交通インフラが整い、物価が安く住みやすい北区の良さを維持し、昔ながらの良さと現代的な利便性が共存する街づくりを期待している。

00:05
飛鳥山の窓からTOKYO NORTH MOVEMENT
東京都北区飛鳥山
暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。
情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。
さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
こんばんは、小篠光洋です。
今月のゲスト、関秀章さんをお迎えしての回も、最後になりました。
関さん、今週もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
街歩きの視点:辛さから探求へ
さて、先週の最後で、街づくりに使える番組みたいな話をさせていただいたんですけども、
関さんは、街歩きの番組にいくつも手がけられていると思うんですけども、
関さん、普通に街歩いているときに、そういうことって意識しながら歩いているものなんですか?
そこのところっていうのは、人それぞれだったりするところも正直あって、
全く興味がない人はないですよね。
例えば、坂道があるとつらいなと思うだけの人と、
この坂道は一体なんでできたんだろうと思う人の差がありますよね。
なんでできたんだろうと思っているうちに坂が終われば、人生は楽しいじゃないですか。
それから、例えば道がくねくねしていたりするでしょ。
くねくねしていると、なんか時間かかるねと思うのと、
このくねくねしているのは、もしかして昔川だったのかなって思うのとでは、
気がついたら過ぎていますから。
意外と僕は、そっちのほうですね。
なるほど。
だから、ブラタモリという番組をやっていましたけど、
それは一例であって、子供の頃からそういうことを考えるのがすごい好きでね。
一つ、小道っていうのも好きなんですよ。
熊野小道とかっていうときの小道。
あれはすごい小道。この辺もいっぱいありますから。
江戸時代の道の痕跡と地名の由来
私、文京区の白山に住んでいるんですけど、
皆さんもご存知の白山通りっていうでかい道があっている。
そうすると、こっち側とこっち側に変な三角形の土地が残っているんですよね。
道が途中で終わっているんですよ。
あの途中の道はどうにつながっているのかと思うと、向こうのほうにつながっている。
それは江戸時代の小地図で見ると、江戸時代からあった道なんですよ。
わかります。
帰宅にもですね。
ありますね。
昔、源頼朝がずっと歩いてきた鎌倉街道なんていうのが、
ものすごく狭い道なんですよね。
こうしのさん、今言おうと思ったんですよ。
あ、そうですか。
いやいや、嘘でしょ。
僕、小学校の時にね、郷土クラブって入ってたんですよ。
スポーツもやってましたけど、クラブ買いなくちゃいけなくて。
小学校でその時に、今のあそこの釈迦川っていうの、おとなし川のところにね、
源頼朝が隠れていた洞窟があるっていうの。
そこに降りて探検しようっていうわけ。
本当かなと思うんだけど、ちょっとあるんですよ。
尾道寺の下のところ。
下のところ。
その上のところも中学行ってましたからね。
そうすると、そこのところの洞窟に一瞬隠れていたって。
伝説ですよ。
だけど、それを大事にしたいじゃないですか。
そうなんですよね。
そうやって滝野川八幡神社なんていうのは、
源頼朝頼朝が完成して作る。
環状して作る。
環状して作るっていうのがありますからね。
そういうことっていうのは、歴史はちょっとって言うかもしれないけど、
毎日道は歩くんで、それは面白い。
それからもう一個は地名ですね。
今日は飛鳥山から皆さんにお届けしてますけれども、
飛鳥山っていう名前。
それから王寺。
これって関西なんですよね。
関西のいわゆる風光明媚なところの名前を取ってるんですよ。
実を言うと飛鳥山とか。
徳川よしむれなんかと一緒に行ったかっていう話も聞いたことある。
それは彼らがね。
要するに彼らはもともと江戸にいたわけじゃなくて、
家康が江戸に来て、
それで江戸も凄い小宅地であんまり体操がなかったんだけど、
っていうところで発展してきて、
江戸の中心は日本橋とかあの辺りなんですけど、
あそこから着替えりで遊びに行ける場所みたいなテーマパークね。
それを作ったのが飛鳥山だったりするんですよ。
そうするとそこのところにやっぱりエンターテインメント、
アミズメントな名前を付けなくちゃなっていうんで、
今は裏安にディズニーランドでしょ。
当時だったらそのディズニーランドに値するものっていうのは、
飛鳥とかね。
つまり京都とか奈良の宮城、
ああいうものっていうのを付けたかった。
フライングバードマウンテンっていう。
それが飛鳥山だったみたいな。
飛鳥ですよね。
アスカの里とか。
つまりみんな当時の人は100人種とかしたから、
やっぱり京都の宮城とか。
その一節みたいなものを地名にしたみたいなね。
それが意外にこの辺はあるんですよ。
やっぱり風華な土地だったんですね。
そういうことっていうのを考えると、
意外と楽しいなとか思うんですけど。
テクノロジーと歴史の融合
僕らは街のことをいろいろやってて、
一昔前だと今もそうなんですけど、
源頼朝がここで陣地を構えましたっていう、
看板みたいなのが出るわけじゃないですか。
だけど今やっぱりバーチャルで、
映像的に表すことができたりとか、
もっと広がりのある形でその場で、
目つぶるんじゃないけれども、
そこで想像ができるものが出てくるようになってるんで、
そういうものになってくると、
より身近になるっていうのがありますよね。
あるある。
だからやっぱり前回もちょっと、
金正恩さんいいことをおっしゃったなと思うんだけど、
テクニカルな進化っていうものを、
古いものに使うっていうのがいいことなんですよ。
古いもので古いもので古文書読んでたって読めませんからね。
古文書読めなくて大変で。
そうか。
北区の隠れた歴史:西ヶ原と滝野川
これ関さんと一緒に街歩きたいね。
面白いですよ。
もう語っちゃいますからね。
いや本当に。
ずいぶん僕の周りに。
これ語り合いますよ僕ら。
結構ね、僕の周りそういうふうなファンがいるんですよ。
で、大路から始まって板橋まで歩くとか、
途中ね、ちゃんと僕も飲み屋とかもちゃんと手配してやって。
観光協会に関秀明さんと歩く、
大路の歩き旅みたいなの一回やりたいですね。
おそらくはね、一番面白いのは西ヶ原ね。
西ヶ原っていうのはなんで西ヶ原かって言ったら、
西の原なんですね。
あそこに一律家ってあるでしょ。
ありません。
なんで一律家があるかって言うと、
あそこで一休みするんですよ。
そうですよね。
あれは日本橋から4キロか8キロか。
8キロ。
だから本郷があってって、
要するにそのところで一休みして、
さあもう一歩歩きしたら飛鳥山だよって言って、
飛鳥山に行ったらお弁当を広げて、
みんなで楽しんで歌でも歌って踊って、
暗くなる前に帰りましょうっていう。
なんかもうすごい江戸市の庶民がピャーって浮かぶんだけど、
そういうものっていうのを感じることっていうのが、
僕は街歩きが良くて。
分かるなあ。
僕は今白山ってところに住んでるんですけど、
白山は宝庫ですから、
家の周り歩いてるんだけど、
でもほとんどの人は分かんないわけ。
マンション街になっちゃってるから。
小石川植物園っていうところの隣に住んでるんですよ。
植物園って言ったら赤ひげですからね。
そうですよね。
ここなの?っていう人が地元にもいるんだけど、
ものすごく面白いですよ。
家の近くに、今日もここに来る途中にあったんですけど、
ちょっと広くなってる道があるんですよ。
この広くなってる道のところに養虫舎する人がいるのね。
そういうためにあるんじゃないんだよと。
これは昔の老人の家の門の跡なんですよ。
なるほど。
だから門の跡だから、門の前って広くなってるじゃん道が。
お侍の、チャンバラ以外を見ても、
それの跡は残ってるわけ。
やっぱりね、またちょっと街の出来具合っていうのがね、
帰宅とも違うしね。
帰宅は帰宅で、もうちょっと風華っていうかね、
風光明媚なところだったと思うんですよ。
おそらくこれ渋沢くんFMでしたっけ?
渋沢さんもこの風華に憧れて、
お屋敷をここに建てたんだ。
おっしゃる通りみたいですね。
やっぱり風華の良い土地で、
おそらく筑波山も見えただろうし、
富士山も見えただろうしっていうところにお宅を建てて、
運良く鉄道が敷設されたんで、
大地域から乗れば、
あそこの会社がある神田の穴あたりまで行けるなっていうことも考えて、
お住まいになったと思うんですよ。
おっしゃる通りだと思います。
それと自分の田舎のね、深谷っていうもんね。
近いしね。
で、僕の中学校が滝野川中学って言うんですけど、
滝野川中学はもともとはね、
もみじ園っていうね、テーマパークだったんです。
そう。あのね。
俺それ知らない。
あのね、昔の地図見るとね、
なんとか園って言って、
池がね、ちょっとあるみたいなのがね、
西ヶ原ってそこかしこにあったんです。
あったんですよ。
だから、もみじを楽しむ、
今ね、意味が分かんないんだよね。
だから、もみじを楽しむための公園なのかな。
遠くには行けないけど、
そこを箱庭じゃないけどね、
要するに小さな空間なんだけど、
どっかに行ったような気になるようなものっていうのが、
それぞれのテーマ別にね、あったみたいですよ。
ここは昔何だったんだろうって言ったら、
もみじ園だったっていうのを聞いてね。
で、降りたところに吊り橋なんかあったでしょ。
昔ね。
なんかあれはね、風が。
で、その吊り橋渡ったところにね、
寮邸があったんですよ。
で、それがね、僕の一個前の。
大人志川温泉。
そう、生徒会長の遠山くんの家が。
遠山くん家は寮邸だって。
滝の側に寮邸があったって。
私よく、うちの親父が寄り合いがあるんで、
車で送ったりしましたから。
それぐらいまではあったんです。
あったんですね。
だから、それはほら、
単なる昔話じゃなくて、
そういうことも思いながら歩いたりすると面白いなって。
やっぱり、何か昔とのつながりっていうか、
昔とのつながりを持つっていうことは、
東京の変遷と北区の未来
未来にもつながりを持つっていう風になると思うんですよね。
だからそういうのって、
歴史があんまり好きじゃないとか、興味ないとか。
そういう問題じゃないです。
違うんですよね。
そういうのって楽しみながらやりたいですよね。
だから東京はね、今住んでいる文京区は、
東京15区なんですよ。
15区が狭くなっちゃったんで、
東京が極端に軍部を区にして35区にして、
それが今のサイズなんですね。
それをまた圧縮したりして、
23区にした。
この東京のサイズが今、
23区のまま70年以上、80年が過ぎてるんですけど、
今も国連は、東京っていうのは人口3000万人って言ってるんですよ。
国連の統計だと東京人口3000万人。
それはぎゅっと真ん中だけにしてる。
いや、1都3県。
3000万人か。大きくしてるんだもんね。
つまり国連の東京と、俺たちの東京はまだだいぶ違うわけですよ。
だけど行くと面白いのよ。そういうところも。
そうですね。なるほど。
だから逆に、非常にコンサバティブに思ってね。
やっぱ下町だよねとか、
うちの屋根線っていうのがあるんですよ。
屋根線が最高とか言ってるんだけど、そういうんじゃなくてね。
北区とか、え?北区?とか言うんですけど、
そこがね、みんなやっぱりなんていうのかな、
ブランド思考が強すぎるっていうのかな。
大人志願ってあるじゃないですか。
あれを上からね、もみじ寺のあたりから眺めるとですね、
下に岩があるんですね。
これ、広重の木版画に描かれてるんですよ。
そうだよね。
これが重ね合わせられた時にね、僕はすごい感動しましたね。
ちょんまに言ったら、ちょっと踏んどししたおじさんになったような気になれたっていうか。
やっぱそういう喜びをね。
これ、観光地化していくっていうことと全然違うことじゃないかなっていうね。
だから板橋なんかもね、隣ですけど、板橋なんかもね、実は面白くて、
旧道の板橋のとこなんか観光化されてないんですよ。
されてないですね。
それで、家を建ててくれた公務店が板橋の田元の四代続く家なんだ。
棟梁から始まった公務店ですけど。
そうすると、一瞬見えるんですよね。
一瞬江戸に見える瞬間があるわけ。
それはこっちの頭で妄想してるんだけど、
板橋だな、この先で近藤勲さんが首切られちゃったんだなとか、
いろんなことを思いながら、そこ行ってすみません、三つ森川とかくだらなくして。
くだらなくね。そっちが大事。そっちが大事なんだけど。
やるんですけど。
そうですか。
最後、もう2分くらいになったんですけど。
ごめんなさい。失礼しました。
ぜひ、今の全体のことを踏まえて、
これからの帰宅、どういう街になっていってほしいか、
どんな街ができそうか、そんな話ちょっとここでお話しします。
そうですか。やっぱり一つは、マンション化が迫ってきてますよね。
もともと高層マンションというか、結構公園のものもあったりしたんだけど、
せっかく道のインフラがいいんですよ。
それから駅の数が多いんです。JRの駅の数って23区で一番多いです。
地下鉄もできた。
つまり、やはりトランスポテーションのインフラが凄い整っているわけですよ。
だから、無理な開発をしないで、
昔から物価が安いというのが非常に有名で、
うちの井戸百貨店の話ね。
物価が安くて、住みやすくて、それで都心からもリーズナブル。
そういうのを、なんとかうまくキープできる実はないのかな。
逆に言うと、大かぶりに過ごせるわけですよね。
そういうことです。大かぶりに過ごせるし、駅まで歩けますからね。
なかなか東京23区でもそういうところはないです。
いやいや、本当によく目の敵にして、世田谷のやつにですね。
お前のとこなんか駅全然ないじゃねえかよ。
出演としてしかねえじゃねえかとかってよく言うんですけど。
本当にこの街で守られて育った関さんのような方が、
再びこの街に帰ってきて、一緒にやっていただけると、
こんな楽しいことはないなという気がするんで、
ぜひこの放送を機会によろしくお願いします。
4週にわたって関秀明さんにいろんなお話を伺いました。
ぜひお便りとかいただいて、ここからまた盛り上げていきたいと思います。
関さんのお便りありがとうございました。
ありがとうございました。大変失礼しました。
15:36

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