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#131 帝国データバンクでの経験と、父の背中を見て決意した家業への道|ゲスト:脊板幸子さん
2026-06-04 16:06

#131 帝国データバンクでの経験と、父の背中を見て決意した家業への道|ゲスト:脊板幸子さん

【今月のゲスト】 

株式会社五十嵐商会 代表取締役 脊板幸子さん 
【今回のトークテーマ】 

・帝国データバンクでの経験と、父の背中を見て決意した家業への道 

・創業者から受け継ぐ「商売のコツ」は”ちょっと先” 


東京商工会議所北支部会⻑である越野充博が

王子飛鳥山の邸宅の談話室で、北区内外の多彩な起業家、経営者の方々をお招きます。

情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。

グラスを傾けながら、北区の未来を語り合います。


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サマリー

今回のゲストは株式会社五十嵐商会代表取締役の脊板幸子さん。北区東十条で包装資材などを扱う物流企業を営む家業に入った経緯や、帝国データバンクでの経験について語ります。体操部と合唱部に所属していた学生時代を経て、信用調査会社で海外企業との取引に関わる仕事に就きます。その後、父の高齢化と自身のキャリアについて考える中で、家業を継ぐ決意を固め、入社。当初は会社の改善点に気づき、先輩社員との間にギャップを感じる場面もあったものの、父の温かい見守りの中で経験を積んでいきました。

自己紹介と事業内容
飛鳥山の窓から、TOKYO NORTH MOVEMENT
東京都北区飛鳥山。暖炉のある腰野光宏さんの部屋には、未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
飛鳥山の窓から、TOKYO NORTH MOVEMENTパーソナリティーを務めます腰野光宏です。今、私がいる場所は、王子飛鳥山にある邸宅の談話室。こちらに、帰宅内外の多彩な企業家、経営者をお招きして、グラスを傾けながらじっくり楽しくお話しする。そんな雰囲気でお送りしたいと思います。
さて、今月は、北区東十条で50年以上物流の現場を支え続けてこられた株式会社いがらし商会さんから、代表取締役の聖田幸子さんをお迎えしております。どうぞよろしくお願いいたします。
聖田幸子です。よろしくお願いします。
さて、僕はよく知っているんですけど、簡単に現在の事業内容を教えていただけますでしょうか。
はい、ありがとうございます。私たちは、北区東十条で、包装資材や梱包資材、包装・梱包に関係する機械の卸し小売業を営んでおります。
お客様は、主に東京・埼玉を中心とした物流企業、物流関係のお客様ですとか、病院・介護施設、製造業のお客様に収めさせていただいております。
店舗では、パッケージプラザいがらしという名前で、神奈川通り沿いで販売をさせていただいております。
お店に行くと、本当に楽しいというか、包むもの、入れるものが、とにかく全部揃っているみたいなね。
本当に定番のものから、色合いの綺麗なもの、ちょっと変わったもの、本当に眺めているだけで楽しいお店ですよね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
学生時代の経験
そういう生田さんなんですけれども、生まれ育ちは北区なんですか?
そうですね。私は北区東十条に生まれて、育ちもずっとあそこの。
今のお店の場所で。
そうなんだ。じゃあ、もう本当に神奈川の音の中で育っているみたいな。
そうです。
学生時代は、打ち込んでいたことってあるんですか?
はい。私は体操部と合唱部に所属をしていました。
それはすごい対照的というか、素晴らしいね。でも共通するところもあるような。
やっぱり合唱も姿勢をピッとしなきゃいけないし、体操もそうだし。
体操というのはオリンピックでやるような体操ですか?
そうですね。どちらかというと音楽を通じて表現をするような体操部だったんですけれども。
音楽をかけながらバレエの動きを基礎として、ちょっと機械体操チックな踊りをして一曲仕上げると。
そういったような体操部に所属していたので。
打ち込んでいたというか、先輩たちと楽しくやっていたぞ。そんなような感じです。
スラッとされて、姿勢もいいのはその賜物ですかね。
とんでもないです。
合唱はどんな感じですか?
私は中高一貫校に入っていまして、中学生、高校生と一緒に合唱する部活だったんですけれども。
そこで、例えばベートーベンの大工ですとか、ちょうど私は中学1年生の頃が2000年のミレニアムでしたので、
記念公演でオペラの歌手の方と東京芸術劇場で歌うような、そういったような本格的にやらせていただいておりました。
そうですか。帰宅の文化振興大団でも大工を歌うという。
そうですよね。
ぜひまた出ていただいたら面白いかもしれませんね。
家業を継ぐ決意の背景
さて、会社の方のお話を伺っていきますけれども、お父様が仙台の社長を務められていたということなんですけれども、
まずそのベースになります、ご家庭での価値観とか、ご家庭の中で大切にされていたこと、家訓みたいなものがあったら聞かせていただけますか。
はい。父はですね、とにかく声が大きくて、明るくてパワフルで、道端で会った人誰とでも話しちゃうような、ちょっとお茶目な父でして、
娘の私から見ても強烈な存在だったんですね。今も強烈なんですけど。仕事場と家が一緒ですので、特に言葉でおさわるというよりは父が働く姿っていうのを常に目の当たりにして、
そこで会社で会ったこととかをですね、家訓じゃないんですけれども、例えばちょっと先ちょっと先っていう言葉ですとか、あとは移手は無限とかですね、そういったのを家庭の中で聞かされていたような気がします。
そうですか。お父様は何年生まれていらっしゃるんですか。
父は昭和18年です。
そうなんだ。
今83歳になりました。
時々お会いしますけど、変わらずお元気でいらっしゃいますよね。
ありがとうございます。
お話を伺うと、私の父は大正10年生まれでしたから少し年上ですけれども、まともにね、昭和を支えた経営者というか、なんかその昭和を支えた中小企業の家庭の共通点みたいなのをすごくね、子供だからとかっていうんじゃなくて、問わずがたりにね、自分の経営であったり自分の仕事のことであったり、
そういうのを語ってくれたっていうのが、我々今同じような立場になって、すごく生きている感じはしませんか。
そうですね。特にちょっと先ちょっと先っていうのは、普通の一般のお父さんだったらあまりそういうことを言わないと思うんですよね。
やっぱり早めに何でも取り掛かりなさいと、それが商売に勝つコツだよと、勝つコツがやっぱり大事だよっていうのは、
家庭にいてもそれが自然と馴染んで、私の体の中にちょっと入っているような、そんな感じがします。
そもそもね、いわゆるお勤めのサラリーマンのご家庭、公務員のご家庭で、商売っていう言葉が多分家庭の中でほとんど出てこないんだろうと思うんだよね。
でも我々の家庭には、そういうものが毎日、どこかで必ず1回や2回は聞かされる熟語というかさ、そんな感じのイメージあるよね。
そうですね。
商売人だからとかね、そういうことも含めて、すごく今そういうことがじわじわっと子供の時の生徒さんの中にも入り込んでいって、今があると。こういうことなんだろうと思いますけど。
ただ、就職の方はお父様の会社に直接入られたのではなくて、別の会社に住まれたと、こういうふうに伺いましたけども、どんなお仕事だったんですか。
帝国データバンクでの経験
はい。私は新卒で信用調査会社に入社しまして、そこで海外企業とお取引をしている企業様向けのサービスというのを扱わせていただいてました。
大きく言うと日本に2社なんですけども、渋沢一さんが作られたものの会社だというふうに伺いましたけれども、そこに何年くらいいらっしゃったんでしょうか。
そちらに4年半勤務しておりました。
じゃあ結構きちっと、僕らも仕事柄というか当然経営をしていく中で、新たに取引の始まる会社のことを調べさせていただいたりとか、逆に私の会社のことを調べる方がいて、ヒアリングに来られたりとかっていうんでね、
本当にお付き合いがある意味非常に深いカテゴリーの会社なんですけれども、そこに4年半いらっしゃったということは結構実務にもしっかりと携わられて。
そうですね。業務自体は受発注と言いまして、企業の特定をして、この企業で調べてくださいとか調査の依頼をしたりするのもあったんですけれども、
組織の変更がですね、私新卒2年目の時にありまして、今まで先輩社員が10名ぐらいいたのがだいたい4名ぐらいになってしまって、
その先輩たちが別の部署に移動した代わりに、私たちでパートさんとか派遣さんの育成とか指導、あとは採用面接なんかもやらせていただいて、
結構この経験というのが今の仕事でも活かされているなというのは非常に感じます。
やっぱり調査会社って相当深く入り込んで、それぞれの対象となる会社のことを見ていきますからね。
だからこれなかなか一般に体験できることじゃないし、その体験というのは経営に間違いなく行けると思うし、
これどうですか、こういう会社に決めたよというふうに言った時、お父さん何か感想ありました?
はい、父は本当に喜んでくれまして、というのも父は新卒で、それこそ荒川信用金庫さんに勤めて、それからだいたい10年ぐらい勤めてたんですけれども、
その余震とか会社が安全に取引をするというところに対して、非常にもともと大事にしていた人でして、
私が帝国データバンクにないて決まったよと言った時にはすごく喜んで、もういい会社だからよかったねと、心から嬉しいというふうに言ってくれたのがすごい印象に残っています。
どうですか、お父さんはさっきの話だけど、その先も見てちょっと嬉しいなというふうに思ったのかもしれないな。
僕の娘たちはそういう仕事を選ばなかったけれども、お父さんが喜ばれたというのはすごいよく分かりますよね。
ご自身としてもそういう仕事が、最初はいろんな学生ですからね、調べながらでしたけれども、その会社に出会った時に、私この仕事って向いてると思ったんですか?
そうですね、結構就職活動に難航した方だったんですけれども、企業に説明会に行くと、大体その企業のライバル会社とかそういった名前が出てきて、
じゃあこの会社はどんなふうに価値を生み出してるんだろうみたいな、そんな形で会社のことが興味があって、会社そのものっていうのに興味があって、
それで調べ始めたら会社説明会はもう100社ぐらい回ったんですけれども、その中で金を見つけたという形で、
帝国データバンクに見つけた時の衝撃と言いますか、調査員というお仕事、企業を適正に取引できるような、そういったデータを扱うというお仕事はすごく貴重だなと思いまして、
それに興味があったという感じですね。
なるほど、本当にそういうレベルの意識を持って入社してくるってなかなかないから、帝国データバンクさんにしてもすごい惜しかったと思うけれども、会社に戻られたと。
家業への入社と葛藤
お父様の会社に入られたということなんですが、この時にはお父様とはどんなやり取りがありました?
そうですね、私が入社させてほしいと言った立場でして、というのもその時、父も母も2人で創業した会社だったんですけれども、結構高齢でして、60後半で。
父は結構勉強していましたので、なかなか後継ぎが見つからなくて、このまま続けてはまずいというのをずっと言ってたんですよね。
その中で私も新卒5年目の時に入地に不幸がありまして、賃金について考えるタイミングと言いますか、私がこのまま親の仕事を知らないことはどうなんだろうと、自分の中に自問自答する時間というのがあったので、
その中で、やっぱり一緒に一回親の仕事を知りたい。知らなきゃもう私の人生終われないぞと、そんな気持ちで、使命感に駆られてちょっと入社させてほしいですということでお願いしたのがきっかけです。
そうですか、お父さんすぐに、よし、じゃあ入れって言いました?
簡単に、おお!
多分そんな感じです。
もう、いつ来るかと待ち望んでたんじゃないの、それは。
そうだったらいいんですけれども。
そうですか、先ほどはいろんなお話ありましたけれども、やはり会社に入られてからも、まずは一通りいろんなことを勉強じゃないけど携わられた、そういう感じでしょうかね。
そうですね、私27歳の時に入社させていただいて、一通り経験をさせていただきました。
例えば総務のお仕事ですとか、経理、それから営業、あとは営業事務のお仕事、一番営業事務が長かったんですけれども、その中でいろんなことを学ばせていただいた感じです。
本当にどれもみんな、今となっては大切な宝物だと思いますけれども、その中でも一番学びの、自分の会社に入ってからの学びの何年間かで一番大きかったと思うことは何ですか。
はい、部門そのものというよりはですね、私結構やっぱり整った会社にいさせていただいたというのもあって、戻った時に結構いろんなギャップに気づいてしまって、ここちょっとおかしいんじゃないですかとか、これもっとこうした方がいいんですとか、結構ですね、先輩方といっても本当に20数年勤めてくださっているような先輩方に、やっぱり基本の礼儀ですとか、
あと挨拶、返事というのはやっぱりちょっとおろそかなってて、そういった改善改善と、なんか一人で空回りしていたような、ちょっと失敗しちゃったなというのが今感じますね。
そうですか。でもやっぱりその空回りしながら、でも時々地面に足がついてポンと出てとか、やっぱりいい時間を過ごしたんだろうな、やっぱりそこはな。そうですか。そういうのをお父さん見てて何か言ってました。
そうですね、父は割と何でもやらせてくれるタイプなので、私自身がやることに対しては、そういった意味ではあまり口出しはせずに、見守ってくれたっていう感じですかね。
なるほど。そういうような経験を積んで社長に就任されるわけですけれども、そこからのお話は次回お伺いしたいと思います。またよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
16:06

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