1. 朝のコーヒー、夜のビール ときどき武術
  2. 雑談回 アメリカ生活 住居編
2023-08-21 09:49

雑談回 アメリカ生活 住居編

会社員をしながら自家焙煎コーヒーをドリップバッグに詰めて売ってます。

大好きなコーヒーや、大好きなビールについて放送します。
不定期でライフワークの空手や古武道についても話していきます。

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朝のコーヒー、夜のビール、ときどき武術。
この放送は、スマホの中の農村、トマジョダオの提供でお送りします。
こんばんは、Takeです。
今日も楽しく話をしていきます。
今日は、雑談をしていきます。
今週はずっと雑談をしようと思っています。
コーヒーネタ、ビールネタを少しずつ温存して、
その間、昔話で微暴露を話してみたいと思います。
今日は、アメリカに住んでたときの話を思い出しながら、
残してみたいなと思っています。
先ほど、思い出そうと思って写真を眺めていました。
そうしたらですね、妻が寄ってきて、一緒に長いこと写真を見る羽目になりました。
楽しいですね。
今日は、私がアメリカに住んでたときに住んでた家の話をしようかなと思っています。
私は2011年から15年の末まで、北米のミシガン州というところに住んでいました。
そんな田舎で、ザ・アメリカという町ではなくて、すごく広々としたですね、広大な田舎に住んでいました。
私が向こうに行って感じたことは、この国は発展途上国なんだなというふうに思いましたね。
そんなところの住まいというかですね、どんな家に住んでたかというのを思い出してみました。
私が住んだ家は庭がね、すごく広い家でした。
向こうのお家で、特に私が住んでいたエリアは、どの家もかなり大きな庭がついていました。
その中でも私が選んだ家は、広い方、広い方、日本人が住む家にしては広い方の庭でしたね。
芝が一面バックヤードは覆われてまして、おそらく何メートルでしょうね、50メートル四方ぐらいの土地はあったかと思います。
みんなが集まってバーベキューした際に、ゴルフボールとクラブを出してきて、ニアピン大会みたいなのをやってたのも覚えてるんで、
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20メートルぐらいは飛ばして狙えるぐらいだったので、30メートル四方か40メートル四方ぐらいの庭がね、バックヤードがあったはずです。
そこは一面芝なんですが、真ん中に大きい木が立ってまして、そこにベンチが置いてあって、向こうに以前のオーナーさんが置いてった子供用のブランコが置いてましたね。
おもちゃっぽいブランコでしたけどね。
そして奥にはナヤみたいな、一回も開けたことない物置が置いてました。
そこで広いんですけれども、本来は自分たちで芝の手入れをしないといけないんですが、私はちょっと面倒でしたので、最初の契約の中に芝刈りなんかもやってもらうように含んでもらいました。
なので、庭のメンテナンスについては業者さんに全部お願いしていたので、自分で頑張ってやった覚えはあまりありません。
その家は地区50年ぐらいの家で、確か52,3年だったと思います。
外装は直してあるんですが、結構ボロボロで、中は。
水道配管とかも古臭い感じでしたね。
一応人が住むところはきれいになってましたので、私たちはあんまり気にせずに住んでましたね。
そして、家の構造が平屋で、地下室があるんですけど、そこに洗濯機と乾燥機が置いてましたね。
なので、毎日毎日地下へ降りていって、洗濯と乾燥をして、そこで洗濯を終えるという風にしてましたね。
そんな家に住んでいました。
水なんかは飲むことが一応できるんですが、あんまりおいしくないということで、私たちはボトルの20リットル入るボトルを買ってきて、
ウォーターサーバーを置いて、飲み物用の水はそこで使っていましたね。
その水を使っていました。
そして、車は家の中に収めることができる構造になっていましたね。
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これはアタッチとガレージというやつで、ガレージがそのまま家にくっついているような構造で、
リモコンで開け閉めして、車のまま乗り込んでこれると。
これがあることで、冬は大変快適に車に乗り込むことができます。
寒い地方だったので、冬はマイナス20度とかになるので、大変ね、それが重宝しましたね。
夏は涼しかったですね。
なので、短い夏の間はバーベキューなんかはよくしてましたね、庭でね。
ただ、お休みがあんまりなかったので、フルに楽しめたかというと難しいところではありましたね。
住んでいた家はそんな感じでした。
庭がとにかく広いので、子供たちを庭で遊ばせておくことができたのはすごくありがたかったのを覚えています。
妻はあんまり遠くまで出かけたくない方なので、子供と一緒に家にいることが多かったようでした。
私は仕事にばっかり行ってましたので、あんまり子供たちと家で遊んだ覚えがないんですけどね。
お休みの日だけですね。
とにかく記憶にあるのは、大きい家だったなということと、馬鹿みたいに庭が広かったなということですね。
そして庭は割と美しかったので、リスなんかもいましたし、年に1回ぐらいは鹿がやってきたりとかそういうこともありました。
他に住んでいた日本人の皆さんなんかは、結構家がボロボロで困るよねとか、そういう話をよくしていたんですが、
私たちは割と無頓着なので気にならなかったのを覚えています。
なので、今住んでいる家も地区50年ぐらいですね。地区48年か。
なので、こういう体制がアメリカでついたというのもちょっとあるのかもしれません。
あまり便利な家ではなかったんですが、小さい子供と夫婦で過ごす分には十分だったと思います。
今日は住んでいた家の話をしてみました。
しばらくこのシリーズを続けてみます。
いろいろ思い出して喋っていくので、若干取り留めがないかなと思いますが、
自分も1回思い出して、その時の楽しかったことや、
辛かったことを振り返るのも重要かなと思っていますので、
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ダラダラと喋ってみたいと思います。
これから海外生活をしてみたいという方がいらっしゃったら、聞いていただけると面白いかもしれません。
あまり細かい話はしていないんですが、
今日はここまでです。最後まで聞いていただきましてありがとうございました。
ではおやすみなさい。バイチャ!
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