1. 朝のコーヒー、夜のビール ときどき武術
  2. 武術回 武田惣角と大東流
2024-05-04 12:01

武術回 武田惣角と大東流

会社員をしながら自家焙煎コーヒーをドリップバッグに詰めて売ってます。

大好きなコーヒーや、大好きなビールについて放送します。
不定期でライフワークの空手や古武道についても話していきます。

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朝のコーヒー、夜のビール、ときどき武術、こんばんは、Takeです。
今日も楽しく話をしていきます。 夕方が6時半なんですけれども、
明るいですね。 まあ、こんばんはと言いましたけれども、まだ昼みたい。
そんな感じです。今日も武術会やってきます。 明日でゴールデンウィークが、私の場合は最終なんですが、
明日からですね、ちょっとずつ社会復帰に向けてアジャストしていきたいと思ってます。 今日はもうね、飲みながら喋ってます。
今日は、昨日に続いて大東流について話をするんですが、 武田惣角という方について、私が少しだけ本を読んだ内容をお話ししてきます。
手元にあるのが、武田惣角と大東流合気術術という本です。
武田惣角さんは、江戸時代ですね。 1859年生まれということで、明治維新よりも10年ぐらい前なんですかね。
9年前か、それぐらいの時に生まれてます。 藍津藩なんで、福島県ですね。
武家の後継ではなくて、次男房として生まれたようです。 お父様がね、大変強いというか立派な方で、力士であり武士でありというような立派な方だったようです。
そして、武田惣角さんは、後継ではなかったんですが、 お兄さんが急に亡くなったことで、お家としての後継にはなっているようです。
ただ本人は、ほとんどですね、 10代の頃からずっと86歳まで武者修行の旅に出ており、
まさにですね、変わった人ですよね。 戦いに明け暮れるという生活をしていたようです。
戦いというか、実際は明治の時代なので、 戦いというよりは、いろんなね
武術の達人と、果たし合いとは言いませんが、 まあ共に県産を積みながら旅をして、
そして時には果たし合いもあったんでしょう。 そしていろんなね、政府の要人とか地域地域で言われるままというか、壊れるままに
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いろんな人にですね、技を伝授して歩いていたようです。 まああの優勝でね、自分の技を教えていたと。
決してね、すごい高いお金を取っていたわけではなくて、 滞在費プラスちょっと、みたいな感じで
お金を取って、いろんな方に10日間ぐらいをワンセットにして、 一つずつセミナーをね、やっていたようですね。
本当にね、フリーランスですよね。 で、その中のお弟子さんの一人に、お弟子さんって言えばいいのかな。
セミナーの受講者の一人に、植芝森平さんもいらっしゃったようです。 合計でね、何十日か、もうあの20年ぐらいかけて一緒にやっていたようなので、
相当ね、仲が良かったというか、
お互いにですね、 それなりに信頼関係があったんだろうと思います。
もちろんね、お弟子さんの方はどう思ったかわかりませんが、 武田壮角さんは結構信頼されてたというようなことが書かれてますね。
なのでまあ、かなり好意のですね、 資格を与えていらっしゃると。
教授していいよと、教えていいよみたいな資格を与えられているというふうに書いてましたね。
元々ですね、武田壮角さんはお父様が力士ということで、 しかも家計に伝わる、家に伝わる呪術というのがあったようです。
それがどうも大刀流という名前だったかどうかわかりませんが、 今伝わる大刀流、
合気武道の原型になっていたんじゃないかと言われてます。 そして本人が剣術をね、いろんなとこで習ってまして、
江戸だったり大阪だったりで師匠を見つけて、 剣術もかなりの腕前だったというふうに書いてましたね。
そしてね、西南戦争に参加しようと思って、 どうも鹿児島の方へ行ったみたいですね。
わざわざですよ。 ただ、西南戦争に参加しようと思ったら、
漢軍側にですね、藍津藩の藩士がいて、 同士討ちはしたくないなということで、どうも参加を見送ったようです。
そしてその後ですね、沖縄とかにも渡って、 いろんな武術を学び、
そして本土へまた戻ってきて、ずっと一生かけて、 技術の向上に努めたという変わった人だったようです。
そして晩年になって教えた人たちの中に、 その技術体系を書き留めたり、
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ビデオに撮ったり、写真に撮ったりということをした人々がいて、 それがですね、今のおそらく大統領の
118この技をはじめとする技術の一通りですね。
技術体系として記録されているという風になっているようですね。 そしてお弟子さんとかですね、
ご子息にそれが引き継がれているというのが現状のようです。 私が今、
稽古に行っている大統領合気武道は、 三重県からですね、毎週
名古屋の方に 指導員の先生が、四段の先生が
指導に来てくれています。週に2回ですね、三重県津市から。 お仕事の都合で名古屋に来る機会がちょうどあるものですから、
そのタイミングで名古屋のお寺の観音堂を借りて、 みんなで指導をしてもらっています。
その先生は大野先生って言うんですけれども、 大野先生は北海道で結構習ってきてですね。
誰から習ったかというと、武田宗角先生ではなくて、 そのお孫さんの武田ひとしさんという
宗家と呼ばれる人からじきじきに手ほどきを受けて習っているということです。 私はですね、まだね、
教えていただいたことはないので、先生と呼ぶのもちょっとおかしいなと思って、 大野先生は大野先生と言いますが、武田ひとし宗家というふうに呼ぶのがいいかなと思います。
形としては私もですね、 武田ひとし宗家に入門して、
大野先生に教えていただいているという形になっています。 いずれですね、
来年じゃないな、今年行けるといいんですけども、北海道の方へ 遠征してですね
道場で直接手を取ってもらって教えていただければいいなと思ってますが、 今はね、まだそこまで自分が
技術を習得していませんので、もう1年ぐらいですね、しっかりやって来年できれば北海道へ行って
本部の皆さんと 一緒に稽古ができるといいなと思っています。
実際ね、ちょっと驚いたのが武田宗家という名前がですね、 歴史の中には出てくるんですけれども、本当に現存するですね
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家系としてですね、まだお孫さんが60ちょいなんでしょうかね、 いらっしゃるというのがちょっと驚きでした。
だいぶね、晩年のお子様のお子様ということになるんだと思いますが、 本当に直系の
ご親族が 技を継いで、しっかり技の発展をさらにされているということで
なんとなくですね、 世襲というと
ちょっと聞こえがあんまり良くないと僕は思ってしまうんですけれども ただこの話については
ロマンがあるなと逆に思ってしまいましたね。 実際に実在した武田宗家さんの
ご子息のご子息が しっかりね、県産を積まれて
技を皆さんに広めていると。 そして
私の先生の大野先生なんかは本当にその 武田一史さんの技も素晴らしいと、本当に素晴らしいと
いう話をされていたので いつかですね会いに行きたいなと思っています
実際武田宗家さんという方が中高の祖と言われてますけれども 実際のところは大統領の技術体系をおそらく
武者修行の末に完成させた人なんだろうというふうに 私の中では理解しています
実際に加納次五郎とかですね 植芝森平とかそういった人たちとかなり信仰が厚く厚かったみたいで
お互いに認め合う仲だったということからも そういう
なかなか稀有な天才だったのではないかと そして
その人が残した技を私たちが まだ習うことができるというのは日本にいて良かったなというふうに思っています
まあ時間かかるでしょうけれども 何らかですね自分の中でそういう技を消化して人生に生かしていければと考えています
ちょっと長くなってしまいましたね 武田宗家さんについて今日は話をしてみました
明日は連休前の最終日なので 今年のね私の武道という中 武術の目標ということを話してみたいと思います
明日で一旦ね終わりにして 通常放送に戻っていきます
今日はここまでです ではおやすみなさい
バイチャ
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