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働き方ラジオ始まります。このラジオは誰もが情熱を持って働く、それを実現するために働くということの改造度を上げていく
ポッドキャスト番組になります。今日も働き方エヴァンジェリスト田中健士郎がお送りします。はい、ということで今日はですね
初のスタジオ収録というか、我が家なんですけれども、僕の家にですね
ゲストをなんとお呼びしています。ということで初のリアルゲストということでお呼びしたのがですね
内田裕之さんという方になります。今日はよろしくお願いします。内田です。よろしくお願い致します。はい、ということで誰なんだというところだと思いますけれども
実はですね、私の妻のお父さんになりますということで、普段はですね
ジージと呼んでいるので、今日もちょっとジージと呼ぶから、娘にとってはおじいちゃんになるので、いつもジージおじいちゃんという感じでやり取りをしているんですけれども
今日は内田裕之さん、ジージをお呼びしたのはですね、ここ最近このラジオでも人生100年時代みたいなテーマで何度か話をしてたと思ってます。僕も人生100年時代っていうキーワードは意外と働くっていう中でもあんまり今まで通ってこなかったところで
今まではいかに副業をやっていくかだったりとか、自分の個性を生かして働くかとか、情熱を持って働くかみたいなことを言ったんですけれども、その時間軸で将来どうやって働いていくのかみたいなことって今ではあんまり考えてなかったんですけれども、ちょっと最近そういったことに興味を持って本を何冊か読んだりしたら
やっぱりもう100年時代になると、一つの仕事を生涯やり続けるという方がむしろ稀になっていく。結構その大体25歳から50歳までと50歳から75歳ぐらいまでのもう2フェーズぐらいに働き方が分かれるんじゃないかみたいなことも言ってる方も結構あって
そうか、じゃあもう50歳ぐらいで新しい働き方をするっていう人も全然一般的になっていくのかなと思って、でもそんな人周りにいるかなって考えたときに、ちょうど身内のジージがですね、50歳から結構新しい働き方の挑戦をしてて、今まさに
今もう62歳っていうところで、今もうバリバリ副業をやって、そっちでも収入得ながら自分でコミュニティを作ったりとかいろんなことをしてて、あれもしかしたらすごいなと思って聞いたらちょうどまさに50歳から
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ちょっとそういう自分の新しい挑戦をしたっていうことを言ったので、これはラジオに出てもらうしかないということで、今日はお呼びしました。ということでちょっとここからですね、いろいろ聞いていきたいなと思うんですけれども、まずはですね
ちょっと今回は、なのでビフォー50歳っていうところとアフター50歳っていうところにちょっと分けて聞いてみたいなと思うんですけど、まずちょっとその前のところですね、50歳になる前はどんな仕事をしていたのかみたいなところを簡単に教えてもらえますか?
ジージーです。1980年に大学を卒業して、今も60歳で1回定年退職して再雇用で2年間、今年で3年目になるんですけども、1970年代80年代っていうのは一つの仕事にとにかく集中しなきゃダメだと。副業はやっちゃダメっていうところがやっぱり非常に多かった。そういう時代なんですよね。
とにかく仕事仕事仕事なんで、その徹夜もあるし、1週間で土曜日もないってこともあるし、とにかく働けっていうような時代だったのは事実ですよね。入社してから仕事を覚えなきゃいけないので、基本的には一生懸命一筋ある時間だけは一筋に仕事をするっていうのは非常に大事なことだと思うんですけど、
それを25年ぐらい続けてきて、その時にちょっとね、産業ばっかりしてるし仕事もしてるし、当然子供もいるわけなんで、子供と遊ぶ時間も少なくなってくるし、どうなってんのかなと。
そして50歳になった時にちょっとターニングポイントがあったということですね。
無線の資格を取ったとかも聞きましたが、いろんな経緯で新しいことを始めたんですか。
マンションに住んでいるので、マンションの自治会の会談板にですね、横浜市非常通信協力会、緑区なんで緑区支部と、そこにですね、アマチュア無線の免許を取りませんかっていうのが書かれてたんですね。
中学の時に無線の免許。ちょうど中学の時代は、HOゲージとかNゲージ、それからアマチュア無線というのがキングオブホビーと言われている時代でした。
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本当は取りたかったんですけど、事情があって取らずにですね、38年ですかね、中学生から。経過した時にそのチラシを見て取りたいなと。取りに行ったわけですね。
非常通信協力会というところは、3.11、もしくはその前の1.17とかありましたけれども、横浜市が推奨している、そういうですね、アマチュア無線の中でも非常事態が起きた時に、いろんな通信網を駆使して助け合いをするというような、そのような組織なんですよね。
必ずその講習会を受けた後は、必ずというかできる限り非常通信協力会に参加してくださいというような、こんなような内容だったんですけど、まずそれを受けたところから始まりましたね。
じゃあなんかそれは、資格といっても仕事のためのとかっていうよりも、いわゆる防災目的でその自治体、自治会の中では募集してたっていう。
そうですね。
なるほど。じゃあそれは、アマチュア無線って簡単に言うとどういうものなんですか?
ラジオみたいな、聴くっていうところですかね。いわゆるレシーバーの方はですね、免許がなくても誰でもできるんですけども、電波を出す方っていうのは資格がないと、総務省の資格がないと電波は出せないんですね。
それがアマチュア無線となっている、中発隊とかいろんなモードが決まってるんですけども、そういう資格ですね。
基本的にテレビとかラジオに関しても周波数が決まっていて、モードも決まっていて、かつですね、コールサインっていう、ラジオにもテレビにもコールサインっていうのが総務省から割り当てられているわけですね。
なるほど、そっか。無線は受信するのはね、ラジオ聴くとかって誰でもできますけど、確かに発信するというか出す方は資格が必要なんですね。
はい。
なるほど。最近見てると、無線はある意味趣味的なものなのかなとも思ってたんですけど、結構仕事としてもやってる部分もあったりするような感じを見てるんですけど、今実際仕事だったりもするんですか、一部。
無線そのものを仕事にしてるわけではなくて、それ以外に趣味の電子工作の集まりとか、アマチュア無線を純粋に楽しむそういうコミュニティも作ってあるので、そちらの方では、例えばアンテナを作ったとかね、受信機を作ったとか、送信機を作ったとか、ラジオを作ったとか、そういった講習会をやるわけですね。
それはどっちかというと、ボランティアで地域に活動していくという、地域活動になるんですけど、そういうことをやっていくと、ある出版社からオファーが来るわけですよ。
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例えば雑誌にこういうラジオの制作の記事を書いてくださいと、わかりましたって形でその記事を書いて、原稿料をいただくと。
なるほど、その講習会とかはわりとちょうど今日も確かやってたと思うんですけど、わりと子ども向けとかやってますよね。
そうですね。昔から無電源ラジオ、これは昔でいうと鉱石ラジオとかクリスタルラジオ、電源を使わないラジオっていうのがあるんですけども、これの講習会といろんなところでやって、
後ほどちょっと話に出てくるかもしれませんけれども、あるテレビ番組ですね、それをホームページに書いていったらオファーが来てテレビ出演になったりとかね。
タモリクラブに出ましたよね。家族全員でみんなで見ましたけど。
ホットスポットで電波をさらせということで、各地域をですね。ビルのそばがいいんですけども、高いビルのそばで無電源ラジオを使ってラジオを聞くというようなことですね。今でもやってますね。
50歳の時に副業をやってやろうっていうきっかけというよりも、もともと中学生の頃自分もやりたかったものをやってたら教える機会が増えて、教える機会が増えていったら執筆の仕事とかも入ってきたみたいな、そんな感じ?
そうですね。もともとやり始めた頃は、今の時点ではうちの会社自身も勤めている会社も、副業は基本的にOKが出てるんですけども、50歳の当初はそういった定案というか規約みたいなものはなかったんですよね。
ですから副業をやりたくて始めたというよりも、中学時代の子供の頃の夢を叶えたくて始めた。結果的にそれが執筆とか、もしくはその地域に対する貢献活動につながったり、もしくは3.11の時には会社自体もバスを出してボランティア活動とかいうのが、
5月ぐらいかな。3月に起きて、5月に泥掻きですかね。津波で泥が田んぼとかに入って、家にも入って、渡り町だったかな。イチゴで有名な渡り町というところに泥出しに行って、その時も当然無線はいろんなところで使われてたんですね。
そういう時にも無線の知識とかが割と役に立ったという。
そうですね。無線のいいところっていうのは、会ったことがなくても1回コールサインで会話してると、あの時のあの人ってわかる。
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そうするとどんどんコミュニティというか、人と人のつながりが広がっていくんですよね。
だから執筆活動もそうだし、地域の貢献活動もそうだし、そういうつながり。
例えばアマチュア無線の集まりにイベントに参加してて、そこで知り合った人が、こういう活動をやってるんだけど手伝ってくれないか。
なるほど。
そういうことでどんどんどんどん広がりが出ていくってことですね。
好きなこと、そういう無線というものをきっかけに、どんどん人がつながっていくみたいなことが起きたっていう感じなんですね。
なるほど。
じゃあやっぱり、根源を言うと中学校の時にやりたいと思ってたことって、もうほとんどの人は諦めるというか、なんなら忘れてること。
そういう方が多いですよね。
多いと思うけど、そこをわりと覚えてて、せっかくだからここでやってみようって思ったって感じですかね。
あのチラシを見た時にはもうこれだっていう感じですね。
そのチラシがある意味、第二の人生というか働くみたいなのがつながったっていう感じなんですね。
そうですね。
なるほど。
最近も結構じいじいうちに来て子育てのサポートとかを結構してもらってて、そういう時もうちからオンラインで、わりとコミュニティの中で結構ファシリテーションみたいな感じのことをやってるように聞こえたりもするんだけど、
今じゃあコミュニティみたいなものを、どういうコミュニティを今持ってて、その中でどんな役割でやってるんですか。
今いくつかあるんですけど、大きいものはアンテナ製作プロジェクトという、マチャ無線のアンテナに関するものを作ろうよというプロジェクトを立ち上げて、これは昨日もコロナ禍だったんでZoomのオンラインになりましたけども、ちょうど90回ですね。
90回。
これ月1回やって90回なんで、12で割ると何年やってるんだって話になるんですが、
すごい。
元々はなんていうのかな、今マチャ無線をやってるメンバーっていうのはやっぱりリタイアした方たちが多くて、
リタイアした方たちに声をかけて、そういう月1回ミーティングをして会議をして、もしくはその制作会をして、その後に一杯飲もうよと。
だいたい5時から飲み始めて、7時前には終わっちゃうという早飲みなんですけども、そういったことが、飲みが楽しくて苦しい人もたくさんいましたけどね。
いたっていう。
それの良かったところは、結局子育て終了してリタイアして、家にいると奥さんに怒られるんで行く場所がないという。
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よくね。
よくあるパターンですよね。
そういう方たちが結局外に出て仲間が出てきて、愚痴やったり喋ったりする。もしくは前めくりに物作ったりしてるわけですよ。
感謝一筋で来てリタイアして、家に行ってぼーっとしてる人が気づいてるっていうことで、そういう意味ではよく奥様方の方からもありがとうございますって言われますね。
なるほど。
その中で、アンテナスアタックプロジェクトは横浜市の緑クラブ、横浜緑クラブというところが母体になっていて、私自身はその横浜緑クラブというアマチュア無線のクラブの広報を担当していて、
広報ですね。
広報は必ず雑誌に執筆すると、横浜緑クラブと書くようにしてるわけですよ。
なるほど。
広報活動をするなり、もしくは元々がSE、システムエンジニアなんで、Zoomの扱いであるとかですね。
うちの監修室にZoomを売ってるわけなんで、
テレワークのね。
そうですね。
ZoomとかVOXとかの扱いは慣れてるから、視界振興とかですね、ファシリティの準備をするとか、そういったことをやってるっていうことですかね。
なるほど。むしろジージーに結構IT系のこと聞くぐらい、本当にいろんなことが詳しいんですけど。
コミュニティ、僕も今本業で割とそういう副業をやる人のコミュニティとか、ライターさんのコミュニティとか実際運営したりするんですけども、
何年も続くコミュニティで、しかも最初はやっぱり人数少ないですよね。
そこから大きくして、持続的なものにするって、そう簡単じゃないなって思うんですけど、どうやって。
そうですね。当初飲み会があったんですよ。2、3年で終わっちゃうのかなっていう前提でやってたんですけど、
そうじゃなくて、今は別に緑クラブに入っていなくても参加OKにしてるんですね。
ですから今はですね、すごいですよ。ワールドワイドで台湾の方とかですね、ベルギーの方、当然アメリカに住まれて日本人の方、カリフォルニアですかね。
そういう方たちも逆にズームにしたことによって、オンラインにしたことによって入ってくるっていうような形で参加されてますよね。
当然北海道から沖縄までメンバーはいますんで、そういう方たちもですね、特に大阪のメンバーは結構入ってきますね。
結構人数今多い。
多いですね。実はアンテナ製作プロジェクトと並行してやってるのが、ML48っていう、どっかで聞いたことがあるような。
48グループの人ですね。
ML48っていうのはマグネティックループアンテナと言いまして、磁解型のループアンテナと言いまして、専門用語ですけどね。
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非常に小さなアンテナで、マンションのベランドとかにつけて扱えるようなアンテナですね。
それを作ろうというのを、これもまた月1回、もともとは横浜のある学校の中でやったりとかしたんだけど、
こちらもコロナ禍なんでズームでやってますね。
ですから月に1回同じようなやつがありますね。
ただMLAの方はメンバーが結構ですね、著名なドクターだったり、その業界ではそれなりに有名な方だったりとか参加してるんで、
どっちかというと学術的なというか、研究色が強いようなミーティングですね。
なるほど。
マクセルの方程式が登場したりとかですね。微分析分はもう平気で話をするという。
やばいな、それは絶対入れないわ。
逆にアンテナ制作プロジェクトの方は本当にフラットにしてしまう。
子供でも聞けるように。
聞けるように。
この間はですね、東京都中央区の中央FMというところを主催しているコミュニティFM局ですよね。
小松さんという方にですね、ボーカルのいわゆるコミュニティのFM局を作るにはどうしたらいいのかというような講演とかをしてもらったりとか、
直接そのアンテナの制作ではなくて、アンテナを使った、電波を使ったコミュニケーションを何かやるときにどういうことができるのかみたいな。
そこまでちょっと範囲を広げて講演をしてもらっているんですよね。
ですから長続きしているコツというのはその辺にもあるのかもしれないと思うんですね。
常にアンテナだけじゃなくて、アンテナの周りのことも考えて、なんか講演をしているという。
なるほどね。
なんかでもそういう、ちょっとこうだから、こういうことやりたいよねっていう声があったらちょっとずらしていろいろ試してみるみたいな。
そうですね。
なるほど。
でもね、そういうところの方が参考になることが多いんですよね。
今、両方で割と中心的にやっているという感じですね。
今本当にコミュニティの時代だなんてね、結構言われている中で、先んじてそれをもう多分8年前とかそれぐらいから作り始めているのは本当にすごいなと思うんですけど。
ある意味ではコミュニティとか、執筆はもう本当に副業っていう感じになっていると思うんですけども、
今も一応会社の本業の方もあるということで、二足のわらじ的な感じになっていると思うんですけども、なんかそういう働き方の変化とか、自分の心境の変化とかってありましたか。
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大きく2つありますね。
1つはやっぱり徹夜徹夜で仕事をする。それはそれでね、忙しいこともあるんで、非常に当時は良かったと思ってたけど、
50歳過ぎてからのターニングポイントを迎えてからの仕事のやり方っていうのは、基本は定時に来て定時に帰る。
当然、あまりにも忙しいときは残業はしてますけども、原則は定時に来て定時に帰る。
なぜかというと、なるべく集中して短時間で仕事を上げるように、効率よく上げるように、そういうことが考えられるようになったということですね。
それは結局、帰ってからのほうが忙しいんですよ。
執筆、いつも真夜中まで書いてますよね。
何て言うのかな、本って言っても結局は小説とかエッセイではないので、
技術的な。
そうですね、電子工作なんで、物を作って、ということは設計して、シミュレーションして、作って、動くかどうか確認して、ダメだったらもう一回設計し直しですよね。
そこで初めて雑誌の記事、原稿になるので。
実際その原稿を作るのに合わせて自分でも作って、その過程を書いていくというか。
どうやって作るんだと、ここの回路は何でこういう状況になっているのか。
ちゃんとそういうことまでやって、初めて原稿になるので、時間もかかるし、お金もかかる。
でもやっぱりそこの意識して、より本業のほうはなるべく生産性を上げて効率的にやろう。
そうすると逆に相乗効果で、本業をしっかりやらなければ当然クビになっちゃうので、
本業は本業でしっかりやりつつ、当然原稿を書いていると出版社があるので締め切りがあるわけですよね。
出版社に対して仕事しているから遅れますなんてことは言えないわけですよ。
出版社もそれが仕事ですから。
そうすると両方をちゃんとうまくバランスよく保ちながら進めるってことを仕掛けになるので、
結果的に効率よくできるんですよね。
確かに。
それが二足のわらじ効果というところじゃないですかね。
二足のわらじ効果、まさにそうですね。
これから副業をやる方にもこの辺は、実際本業のほうも効率が良くなって、
逆に成果をちゃんと出せるようになるというところがありそうですね。
最後に今後やってみたいこと、今62歳というところで、
もしかしたら世の中一般には定年退職で後はゆっくりしようみたいな感じの人が多いと思うんですけど、
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時々見ててそんな感じもしないというか、
またいろいろ新しいことをやりたいんだろうなっていうのは感じるんですけど、
せっかくなんで教えてください。
今日も午前中ちょっと見学に行ってきたんですけど、
アマチュア無線の体験局っていう、そういう体験局を作れるんですよね。
これはもともとアマチュア無線、冒頭申し上げましたように免許はないと電波出せない。
ただ総務省の方もだいぶ考え方が変わってきて、
最近ですね、アマチュア無線を持っている人たちがいるところで、
全く無線の免許を持っていない人たちが体験局という形で電波を出せる。
そういうことができるようになったんですね。
今日行ってきたところは、
寿司葉山のアマチュア無線クラブで主催している体験型のセンターのスマイルですかね。
そちらの方で運営されているものを見てきたんですけども、
非常に子どもたちがですね、どんどんどんどん上手くなる、慣れてくる。
かつですね、興味を持っていくんですね。
最初は躊躇してやる?やらない?どうする?って言ってるとき躊躇してるんですけど、
もう一回、もう一回、もう一回って前向きになっていくんですね。
で、北海道と交信ができたり、
いろんなところ、自分が行ったことがないところの人たちと会話ができたりして、
そうするとですね、やっぱり面白いというか、若い世代に広がっていく。
やりたいことというのは、年齢の拡大というかね、
年層を広げたい。今は当然年齢が高いところが非常に多いので、
小学校、中学校、そういうところまで年齢を掘り下げていきたい。
あとはもう一つはワールドワイドに広げていく。
これは一昨年かな、チェコとかにも行ってきて。
行ってましたね。
今でもチェコの雑誌の、それを日本語に翻訳して実際にものを作って原稿にするとか、
そういう繋がりもできてきてるので。
みんなでチェコに行った結果としても、それも仕事に。
そうなんですよ。
すごいね。
そうなんだ。
それがまず第一にやりたいことですかね、体験局を作ると。
年齢の縦にも、エリアの横にもどんどん広げていくみたいな。
そうですね。50から12年ある意味一回りしているので、
今いるメンバーも結構年々になってきてますから、
そういったところでワールドワイドのツアー企画はなるべく早くしてあげないと、
海外に来れない人たちがたくさん出てきちゃうといけない。
体力的にもね。
そういうことですよね。
なるべく早くワールドワイドも進めたいですね。
そういう意味ではコロナ禍は早く収まってほしいなと思いますよね。
そうですね。
あとどれくらいになるかというところですけど、
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じゃあ割と世界にも飛んでいこうかなという感じですね。
逆に台湾の人と会話した時に、コロナになったのでこういうこと言っちゃ問題ないかもしれないけれども、
毎月のズーム、オンラインミーティングに参加できるようになってよかったという声も聞こえるので、
だからチェコともですね、ちょっと時差の関係がありますけど、
今の状況でもつなぎに行って、顔を見ながら会話ってことは可能なのかなと。
そういったことも引き続きやっていきたいなと思っています。
確かにオンラインが当たり前の世の中にある意味変わってくれたからこそ、
離れてもちゃんとコミュニティとして育成して、
いざ行けるときにより深くつながっていくみたいな。
そうですね。
そういったことができるようにですね。
前向きに捉えてそういうことを逆にしないといけないのかなと。
いいですね。夢が広がりますね。
まだやりたいこともいっぱいあるというところで。
あともう一つ大事なのは、これはやっぱりターニングポイント3.11の現場をとにかく見た後に感じていることですけども、
その前までっていうのはどっちかというと仕事をしてやっているというスタンスですね。
これが仕事をしてやっているんだぞというスタンス。
だから給料をもらうのは当たり前ぐらいのスタンスだったんです。
アマチュア無線の免許を取ってコミュニティが増えて、3.11の現場を見て、
そこから感じ取ることっていうのは、仕事はさせていただいている。
だから執筆もさせていただいている。
そういう気持ちで原稿を書いていくと、それは相手にも伝わっていくので、
その気持ちがやっぱりどんどんどんどん間を広げるということだと思うんですね。
経営者で特に偉くなる方って、俺が仕事してるんだってそういうタイプの方はやっぱり多いですよね。
ですからやっぱりそこからの脱却とか脱皮があるターニングポイントで副業がうまくいく、
コミュニティがうまくいく秘訣なのかなというふうに今は思ってますね。
なるほど。結構そういったある意味謙虚な姿勢も持ちつつ、なるべく自分の仕事が誰かの役に立つように、
まさに被災地の役に立ったっていうのが一番最初の経験で、
そこからは今は子供により興味を持ってもらおうと。
そういう感じでジージーの講習を受けた人がまた子供が大きくなって、
かつてジージーがそうだったようにもう少し大きくなってからとか、
あるいは年齢をかなりいってからまた自分でやりたいということで、
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そういう無線の資格取ろうとかっていう人も増えてくるかもしれないですよね。
今の子供はアマチュア無線が嫌いなんじゃなくて、
アマチュア無線を知らないだけなんですよね。
当然スマートフォンとかインターネットとかそういったものが普及していて、
アマチュア無線を体験したことがないのでわからないだけなんですよね。
だからアマチュア無線を体験することでそれに興味を持つ、
そういったことが可能なのかなと。
体験はそういったことをやっていきたいですね。
なるほど。確かに興味を持つっていうのは、
本当に何歳になっても楽しいですよね。
新しいことを学んでいくっていうのは。
筆筆の世界でもそうなんですけど、
やっぱり一つ分からないことがあって調べていくと、
逆に10個分からないことが出てくるんですよね。
そうするとまたそれを調べなきゃいけない。
そういったプラス思考のスパイラルが回っていくと、
それによって自分の知識がどんどんどんどん増えていくんですね。
それがやっぱり大事なことなのかなというふうに思います。
孫娘も時々、職場キューティーから最近しょっちゅうですね、
これ何?これ誰?って聞きますけども、
これ何?ってね。
そういう興味が重要なのかな、大切にしたいなと思いますね。
人間の根本かもしれないですね。
何かに興味を持って調べていくっていうのはね、
確かに多分数年後には、
娘はきっとジジのセミナーに参加してるんじゃないかなと。
もうセミナーの講師やってるね。
いつも部屋に行って回路を触ってますからね、最近ね。
ブラッドボードとかね、LEDさして遊んでますね。
本当に2歳なんですけどね。
いい機会だなと思ってます。
最後にこれから副業だったりとか、
あるいはもしかしたら50歳とかそういうタイミングで
これから新しいことをやりたい、でもできるのかなみたいな
思ってる方に何かメッセージとか伝えられることとかありますか?
背中を押してくれる人がいないと非常に新しいことをするっていうのは難しいと思うんですね。
でもやっぱり発信しないと実践もできないんですね。
どんなところでも構わないので、
例えばLINEの世界でもいいし、
自分のコミュニティの世界でもいいし、
Facebookの世界でもいいと思うんですよね。
自分が考えてることを勇気を持って一回発信してみると。
そうするとそれに共感する人たちってやっぱりいるだろうしね。
見てほしいと思うし、そういうことだと思うんですね。
自分から勇気を持って発信する。
それが大事なんじゃないでしょうか。
ありがとうございます。
まずは勇気を持って興味を持ったものに対して
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ちょっと試してみたらそれを発信してみるというところで
仲間が見つかるかもしれないと。
実際ジージーはそうやって無線という
誰もが知ってるっていう分野ではないと思うんですけれども
やっぱりすごい好きっているんですよね。
しかも世界中にいてそうやって仲間を作れたっていうところは
すごく学びになるなと思います。
このラジオでも結構発信することの大切さみたいなこと
実は毎回言ってたんですけど
まさか今日同じことをジージーからも聞いて
やっぱり間違ってないんだなと。
こういった僕がラジオで発信してるのも
何かしらで聞いてくれた人が
共感してくれたりとか一緒にやろうって言ってくれるのが
やっぱり一番嬉しいなと思うので
これからもやっていきたいと思います。
ということで今日は内田博之さんに参加いただきました。
本当に今日はありがとうございました。
どうもありがとうございました。
また来週。