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2024-11-04 31:42

86 哲学クラウド上館さんと人文知トーク #哲学クラウド #TimeTreeラヂオ

Steve
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Co-host

「TimeTreeラヂオ」はカレンダーシェアアプリTimeTreeを運営する私たちメンバーが、ふだんの仕事に関係することもそうでないことも、だいたい15分でひとつのテーマを話しきるインターネットラジオ番組です。


今回は哲学クラウド上館さんをゲストにお招きして哲学とビジネスについて対談しました!


◎日本一たのしい哲学ラジオ

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サマリー

本エピソードでは、哲学クラウドの上館さんをゲストに迎え、哲学が組織開発や企業研修にどのように活用されるかを考察します。特に、当たり前の前提を問い直すことで認知のフレームを見直し、組織内の問題解決につながる可能性を探ります。また、理性と感性のバランスについて議論され、特に感性の重要性が強調されます。新しいビジネスやプロダクトの創造において、ロジックとセンスをどう融合させるかが焦点となり、哲学的な考察が行われます。さらに、許しという概念が現代社会における重要性について語られ、哲学や対話の役割が自己理解や他者理解を深めるためにどのように寄与するかについても述べられます。

哲学クラウドの紹介
こんにちは、TimeTreeラヂオです。 本日も私、深川フレットがお話しさせていただきます。
今日は一人じゃなくて、ゲストの方をお呼びしております。 哲学クラウドの上館さんです。どうもよろしくお願いします。
よろしくお願いします。 哲学クラウドの上館と申します。
仲良しなんですけど、まずお聞きの皆さんに、 哲学クラウド上館さん、自己紹介を簡単にお願いしてもよろしいでしょうか。
はい。哲学クラウドというサービスを立ち上げまして、 今3年目ですかね、会社の代表をやっております上館と申します。
哲学を活用した組織開発とか、 あるいは企業向けの研修とかコンサルティングですね、
というのを中心にサービスを提供している会社になっております。 本日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
もともと僕自身、現代思想とか哲学、 文化事業学とかが好きで、
それがすごく、それに助けられてるみたいなことを よく発信してるんですけども、
それをきっかけに、話し合いそうですね、 みたいにご連絡いただいたのかな。
あれ何でしたっけ、出会いのきっかけは。
ツイッターXかなんかだったと思うけど、 それで飲み行きましょうよってなって飲み行ったような、
感じだったと思いますね。
確か僕は2年前に資金調達、 消費総額に資金調達して、
リリースを出した時に、なんかタイムツリーと社長が、
ツイッターとなんかで反応してくれてる、 ビツイートしてくれてるみたいな。
それで、調べたら、おすすめの本で、 ハンナ・アレントの人間の条件とかを上げてて、
いやいやいや、この人変だったなと思って、 連絡しに寄ったみたいな。
変わってくるぞみたいな感じで確か連絡した気がします。
そうかそうか、プレスリリース見て、 こんなのあるんだ、すげえ面白いと思って、
多分僕、思わずリツイート、 リポストしたんだと思いますね。
なんかある種、なんていうかな、 これはこれで趣味っていうか、
会社とは関係なく、仕事とは関係なく、 自分はこういうのが好きなんだみたいに、
切り離して考えてたけど、 別に切り離さなくていいんだって驚いたのを
覚えてますね。
さっき紹介でおっしゃってたけど、 哲学を活かして、社内のコミュニケーションとか、
考えとか、そういうことに哲学を活かして、 研修とかコンサルティングとかしてらっしゃると。
別の回で、日本一楽しい哲学ラジオの 品川さんとお話させていただいたんですけど、
そこで近い話で、そもそも何でを考える 力をくれるということだよねって言ってて、
結構、生きてて大変なこと、苦しいことって、 当たり前からもたらされる、
当たり前があるから、ベース、当たり前があるから、 あんまり悩まずに暮らしていける部分はあるんだけど、
逆にその当たり前に、これが当たり前なのに 何で自分はこうできないんだとか、
当たり前が苦しみの根源であることも よくあるよねと。
その当たり前を、でもそもそもさって考えて、 違う視点を得たり楽になれるっていうのが、
哲学がもたらしてくれるものなのかな みたいな話してたけど。
まさにそうだと思いますね。 当たり前とか、あるいは正しさ。
その枠組みの中で健やかに生きれる人にとっては 多分すごくいいんだろうけれども、
そこに違和感を感じる人の救いの手立てというか、 自分の路線に変更するのには、
哲学はすごく大事な営みの一つなんじゃないかなとは 思いますね。
そこから自分でずっと本読んだりしてた みたいな感じなんですか?
そうですね。ちなみに僕は全然、 哲学の学部に行ってるわけでもなく、
ずっと個人的に趣味で読んでるっていうのが まず専門的な領域なんで、
そんなに僕自身がめちゃくちゃ詳しい というわけではないんですけど、
ずっと興味あったと。
そこから、なぜビジネスにブリッジさせて そこに行かそうとしてるのかみたいなのが、
多分すごく面白いテーマなのかなというふうに、 哲学さんと話すならね、ということなんですけど。
入り口で行くと、僕がサラリーマン時代の 経験みたいなのが大きいんですよ。
そこでは、ある種今話してる当たり前とか 正しさに苦しめられてきたし、向き合ってきた。
具体的には、僕は一社目は学生時代に株式会社に 入ったっていう、
エイタングアプリの開発や運用する会社の 立ち上げをやってて、
みんな具が強かったり、それぞれの正しさがぶつかり、 組織が崩壊するという経験をすると。
そこから、どれだけ素晴らしいプロダクトを作ったとしても、 会社経営は難しいんだなという経験をしたので、
株式会社リンクアンドモチベーションという会社で、 まさに組織コンサルティング、
組織の問題でお解決するかというのに向き合ったり、 その辺りリクルートに行ったりしたんですけれども、
一つ、面白い傾向に気づいたんですよ。
何かっていうと、いろんな組織内で起きる問題、 良くない組織、例えばエンゲージメントが低い組織とか、
哲学対話の具体的なアプローチ
起きている組織をよくよく見ていると、 例えば、最近、企業内でパーパスって大事ですよ。
ミッションビジョンバリを作りましょう、 みたいなことが言われてるわけですよね。
実際には、すげえ100%それに信仰してます、 みたいな人、あまりいないですよ、正直言うと。
肌技術としては大事なんだか、 大事だと思っているけれども、
一方で大事なことは否定できないっていう。 大企業とかでもミッションビジョンとか、
100周年で書き換えます、みたいな。 書き換えて何千万とか何億かかけたやつを、
従業員の人が何これ微妙っていうふうに、 声を出すことはなかなか難しい。
違和感を口にしにくい、みたいなかそういう。 まあそうですね、はい。
っていうのは実はあるんじゃないかなって 思ったりするし。
その組織の問題、問題の起きる組織に共通する構造みたいなとこに、
哲学が生きるんじゃないかなって思ったのは、 どういうとこなんですか?
一言で言うと、さっきの話に下づけるんだとしたら、 組織で問題が起きているときって、
基本的にはよくあるパターンで言うと、 正しさがぶつかっているときって感じなんですよ。
例えばよくあるので言うと、現場の営業マンが、 俺は数字上げてると。
月末の経費申請が間に合ってなくても、 俺数字上げてるから多少融通効かしてくれよ、
みたいに言うけど、経理のおばちゃんは、 いやルールはルールや。
あんたの経費申請許可したらみんな収集使うと。 ちゃんとやれって言ってるけど。
これって実は正しさのぶつかりなんで、 深川さんに言うのはあれですけど、
規範倫理学の違いじゃないですか。 弁者は公理主義だし、
公者は義務論だっていう話な気がするんですよね。
いわゆる結果が出れば出るほどいいよね、 全体にとっていいよねっていう考え方と、
ある一定の正しさのルールに従うことというか、 沿うことの方が良いことだよねっていうのは、
それぞれに正しさがあるけれども、 これが分からないと、
お互いが分からず屋だというか、 分かってないやつだなっていうので、
上手くいかないっていうのがあると。
これはよくあるマネジメントの理論とかでも、 対応できないし、
もっと言うと、いわゆる最近流行っている インゲージメントサーベイっていう形での、
数値では現れてこない、もっと課題の根本にある 思想のプロトコル自体の違いだっていう。
僕らそれは粒々に明らかにする術はまだ持ってない、 たぶんそんなにないと、現代社会では。
っていうので、そういった思想の対立の、 どういったプロトコルからそれが起きてるのか、
みたいなのは、実は人文学をうまく活用すれば、 少しずつ浮き彫りにできるんじゃなかろうか、
というので、そこに手伝っていけるんじゃないの、 っていう発想からやってる、
という感じですよね。
会社へのインゲージメント熱中度とか、 信頼度とかっていう度合いの問題っていうより、
何を良しと捉えてるかの認知のフレームみたいな、 正義の違い、
違う正義のぶつかり合いっていうのは、 そういう認知のフレームの違いみたいな感じ。
それがフレームが違うんだってことを気づくには、 哲学みたいなメタなっていうか、
そもそも視点っていうのが生きるんじゃないか、 みたいなことなのかな。
そう思いますね。
人間って自分の認知のフレームが違うって、 なかなか気づき合えないと思うんですよ。
違ったとしても否定しちゃうんですよ。
あいつはだらしないやつだって。
自分のフレームの中で相手のフレームを 評価しちゃうから、
ロジックというか構造の違いとして、 なかなか認知するのが難しいみたいなのがある。
それを我々専門家が入ることによって、
それは単純な認知のフレームの違いだけであって、
しかもその論点を結構歴史的に分けながら やってるから、
そこについてどう折り合いをつけるかっていうのを 話した方がいい。
そういうことを下げ進むことは、 何も前進しないので意味ないですよっていうのを、
哲学者に言われると何とか納得しちゃうし、
数値ではなくてそういうのを訂正的に明らかにすることで、
共通認識を持てるみたいな手伝いが今やれている。
一定程度お声掛けいただけるような ポイントになっているかなと思いますけどね。
フレームから見直すっていうか、 気づくみたいなことを促進するみたいな、
組織内に持ち込むのってどういうアプローチで 今はやってらっしゃるんですか?
今は基本的には2つで、
1つがまず哲学対話っていうのをやってますね。
これはまさにさっき言ったように、 とある一定のテーマに対して、
例えば本当に良い会社とか組織って何なんだろうね っていうテーマに対して、
お互いにという薙ぎ掛け合って、
ぐるぐる深く考えていくっていうセッションをする。
ただ話すだけだとぐるぐるなるだけで終わるので、
話で終わりではなくて、 僕らがやってることはもう1個の2つ目で、
その話で記録した内容っていうのを 本当の哲学者が分析して、
どういう認知の対立が起きてるのかとか、 どういう認知の傾向があるのかっていうのを
レポートで可視化する。
なので我々が入ると、 ある一定話した内容も記録されるし、
どういう認知のフレームワークになっているのか っていうのを見える化されるので、
だからそういった数字で現れない、 エンゲージメントサービスでは見えない
組織とか個人の認知の問題っていうのが 解決できるような形になっている。
ということをやっています。
話すことって、どう現状を世の中を、 世界を捉えているか、
如実に現れるから、話したこと、 それぞれの人が口にしたことを分析するって、
すごい面白そうですね。 そのまま世界の記述を分析するというか。
そうなんですよね。
僕は分析するわけではないので、 見ててすごく面白いというか、
哲学者から見えたら、 どういうふうに見えたのか、
その口喧嘩、ケイリーと、 ケイリーのおばちゃんと営業マンの喧嘩も、
それは規範倫理学における、 公理主義と議論の対立です、
っていうふうに見えるのは面白いじゃないですか。
そこら辺の千和喧嘩に見えたりとか、 飲み会の場での喧嘩も、
実は思想の対立問題として、 過去からずっと脈々溶け付いているものなんだ、
そういうふうに変換するだけでも、 僕はすごく面白いし、
捉え方も変わる面白いきっかけになるなと 思いますけどね。
最近、よくテーマに、 いろいろ会社でやらせてもらっているんですよ。
ありがたくも、弊社でいうと、 日本の大手のグローバルメーカーさんの
お取引が今すごく増えていて、
先日、例えばヤマハのミュージック楽器とか、 作ってる会社とかでもやらせてもらう中で、
最近僕が対話を分析するレポートを見る中で、
僕が感じているテーマというか、 共通してできていることみたいなのを、
福川さんがどう逆に見えるのかみたいなのを、 逆質問し始めるみたいな。
そんな流れでいいですか?
理性から感性への移行
これ一言で言うと、 理性の時代から感性の時代に変わってきている。
感性の重要性が言われているだろうなというのを、 肌身を持って感じているという話なんですよね。
これはデザイン志向と言われているので、 新しくもないことの一つではあるかもしれないけど、
すごく感じると。
特に新規事業のご支援とかをしていると、 必ず最終的にはセンスの話になる。
それと対峙して、目的とか理性、ロジックが 過剰に求められるし、そこの重みづきが強すぎるから、
それ自体を軽くすることは難しいんだけど、 その目的とか、
目的に抵抗するためにどうセンスを受け入れやすい形にするのか、 活用できるものにしていくのか、
というのが色々と分析していると、 そこで悩んでいる方が多いなというのもあって、
センスを言葉にするなのか、センスを共通してわかって 想像できるものにするなのか、
だいたいそこに行き着いていて、
そこには余白って大事だよね、 みたいな話とかよく出たりするんですけど、
フレッドさん、深川さん、どっちでもいいんだけど、
とかってバランス良さそうだなって、 僕にはすごく似てて、
もちろんこれだけ世界に広がるサービスを 作っている会社っていうのもありますし、
ロジックは当然ながら見る一方で、
そこでは汲み取っていけない 機微だったりとか、
大事なものっていうのを深川さんはいつも すごく大事にしているし、
激しいしながらそこを諦めずにずっと 掬い取って入れ込んでいこうというか、
向き合っていこうみたいなのをすごく感じるんで、
そこどういうふうにやってるっていうのを 逆に聞きたい。
ありがたい。
そこを本当に今最近すごく悩むところですね。
というのはロジックでいくと、
どこまでもロジック突き詰めて何も残らない みたいになりがちなんですよね。
野間の原じゃないけど、ロジックで突き詰めていく。
ロジックとセンスの対立
特に新しいこと、これからこういうビジネスを 起こしたいとか、こういうプロダクトを作りたい、
新しいことの時、ロジックで詰めていくと、
基本的には難しい例になっちゃうんですよね。
今ないものっていうのは、やっぱこれまで ないなりの理由があってっていう感じなので、
なんでロジック、ロジカルなものが正しい っていう価値観にしちゃうと、
結構潰し合いになっちゃうというかアイデアの。
一方でロジックって共有できるじゃないですか。
誰かの間でも再現できるというか、
説明も再現できるし。
だからチームで動く時にロジックって すごく強いんですよね。
一緒にやるぞって時に。
一方でセンスは共有できないことが多くて、
なんか信じてくれ、みたいなのしか なかったりするところもあるんですよね。
その中での抵抗としては、
体感としての知恵をできるだけ 共有するっていう感じ。
それはつまりユーザーさんに会うとか、
会って生で話を聞いて、
それを知識として入れるっていうよりは、
それに驚いて自分が変わるみたいな体感を
できるだけ多くの人に一緒にやる みたいなことを思っててですね。
なるほど。
例えば逆上がりって、
逆手に手を持って足を一定の強さで蹴って、
その時に腰をグッと引けば回れるとかが、
ロジックだったり情報じゃないですか。
でもその情報を理解していることと、
実際にぐるんって回れる体感とって 全然別物じゃないですか。
回れたってこの感覚をみんな持ってるよね っていう状態を作ると、
センスの領域がある程度何かわかるでしょ。
こっちの方がいいじゃんってみんなで だよねって言えるみたいな。
あんまり考えたことなかったけど、
そういうことを意識しているところですかね。
なるほどね。
最後の最後はもうビジネスでいけば 全部賭けだとは思っているので、
分の悪いかっていろいろあるけど、
ここは賭けたいのでちょっと賭けさせて欲しい っていう人の賭けに乗る。
それがセンスから来ているって感じ じゃないかなって思いますね。
それってセンスによる判断って 集団で可能だと思いますか。
僕は両面さっきの体感みたいなことがある程度 共有できているってことと、
ここはセンス、直感だけど賭けさせて欲しい っていうリーダーシップを取る人の誠実さ。
誠実さがロジックを無視する人がそれを言うと みんなついてこないけど、
最大限ロジックも大事にする人がそれを言ったときに、
デタラメじゃなくてロジックで説明しきれないけども どうしてもここを賭けたいんだな、
なるほど、いっちょ乗るかってなるんじゃないかな。
いいですね。理性と感性のバランスを整えるには、
哲学の実践とビジネス
感性のおもみづけをするために 共通体験と鉄人リーダーみたいな。
鉄人リーダーってなる。
理性をないがしろにすると感性で行こうぜ っていう説得力も弱まるかなって。
そうそう、なるほどね。
そっちの感性をおもみづけするって方向性は 確かにさすがだなって今すごく納得感あるんですけど、
一方でいろいろ話をいろんな会社さんの中で入っていくと、
理性にしがみつくおじさん結構たまにいるじゃないですか。
共通体験をしていたとしてもガンとして 理性にしがみつくというとあれですね。
理性の範囲のみでの意思決定にどうしてもするときには 頼ってしまうみたいな方が結構いる中でいくと、
少し理性側の部分をおもみづけを軽くしていくみたいなアプローチも 実は同時に必要なのかもしれないなと思ってるんですよ。
それらの共通体験以外でも根本的な認知のアプローチなのか まだ見えてないんですけど、そこに対してはどう思いますか。
そこは今話して感じたのが二つあって、
一つはロジックって言語で救い取れる範囲でしかないじゃないですか。
でもそれが世界のすべてじゃないから、
だからロジックがすべてを説明しきれるっていう前提は持っていないし、
みんな持たないっていうのを作れたらまずいのかなと思って。
だいたい未来のことっていうのは言語化しきれない範囲のところにあると思うんですよね。
っていうのと、これ時々会社でも話すけど、
今あるものって過去の要請から生まれてるじゃないですか。
過去にニーズがあったからこの机っていうものはできたし、
QRコードもできたしみたいな。
だから結構僕はその時点で時代遅れだと思うんですよ、本来は。
なるほどね。ロジックで解説可能なのが時代遅れ。
そうそうそう。説明できるものでもう枯れてるってことなんですよね。
だから説明できない新しいものを作るにはっていう観点で捉えると、
言語ができないところに目が向いて、
そうするとロジックではたどり着けないって前提にある感じじゃないですかね。
っていうのが一つと、
もう一個は、成果っていうものをいい数字が出たっていう、
結果に置きすぎると直感には従いにくくなります。
センスには従いにくくなりますよね。
目的への抵抗みたいな話だと思います。
じゃなくて、よくこっちに行ったら宝の山があるから行こうよっていう時に、
ロジックだとでもその手前に森があって、その先には川があって、
ここにはもしかしたらクマがいるかもしれないとか。
ロジックで反論っていうのは起きるんですけど、
その時に完璧な宝の山までのルートを示すことなんか不可能なんですよね。
だから、わからんけどあっちに宝はありそうだから、
ちょっと一旦そこの丘まで登って見てみようみたいな話をよくするんですよ。
だからここでは成果を最終ゴールじゃなくて手前の知見っていうか、
ファインディングスみたいな成果を置いてて、
そこまで丘まで行っていろいろ見えたら、
それはそれで僕らにとっての前進だよねっていう、
その丘まで登っての例えはよくするんですよね。
面白い。なるほどな。
おっしゃっていただいた一つ目は、
ロジックのみを見ることが既にロジカルじゃないっていう話が。
そうですね、そのことも言える。
その時点でみたいな。
二つ目はロジック粒子の人っていうのは、
基本的に最終アウトプットしか見てないけど、
でも実はプロセスでの発見も貴重だっていう風に視点をずらすというか、
プロセスの大事さもお互いに理解し合うみたいな、そういう話?
論点を現地点とゴールの宝の山で言うと、
そこまでの道筋の仮説全部が正しいか否かの論点になっちゃうけど、
それを分解して何本も刻んでいくけど、
まず一本目で情報を得ようっていうと納得してもらいやすいかなと。
なるほどね。さすが。
それは脱構築みたいな話が前提として大きくありますよね。
今までの既存のビジネスっていう大きいロジックの見方では、
溢れてしまうけど大事なものにまず目を向けようっていう、
物事を見るスタンスの違いっていうのが多分あって、
そのスタンスをすごく福川さんは大事に生かしていて、
だからそこに繊細な抜け漏れている部分をみんなに気づかせたりとか、
共有したりするのが非常にお得意というか、
お上手に体制にされているんだろうなっていうのが、
僕は今までほとんど酒飲んでいる中でしかないんですけど、
その中からも感じているっていうのがまず、
物事、物事が世界に向き合うかっていうのが大前提に
そういうスタンスはありそうな気がするんですけど、
どうなんですかそこは。
そうかもですね。
何かそれが同時に、僕も助けられてるけど僕だけじゃなくて、
今の世の中に哲学が生きるんじゃないかなって思っている理由でもあるのかな。
はいはいはい。
そう思いますね。
どうぞ。
いや、くしくも僕はこんな社名に哲学と掲げてはないけども、
自分の考え方、動き方としては多分に現代哲学、文化人類学といった人文地に
助けられてるなって感じながら、
今特に本当に今勉強しててよかったな、
勉強してよかったなって思いながら日々仕事してるんですけど、
くしくも神田さんも哲学っていうのが生きるんじゃないかと思って、
それをもう掲げてビジネスしてらっしゃるけど、
今これが生きるって僕らは感じてるんだろうみたいな背景というか、
どういうところにハマってんのかな、今。
はいはいはい。
きっかけの話と近いっていうのと、
最近やりながら感じてる話のこの2つに分けて話そうかなって思うんですけど、
前者のきっかけみたいな話でいくと、
要は割ともう理性によって対応できるものみたいなものは、
結構ほぼほぼ出来上がりってある。
なるほどね。
あると思ってるっていうのがあるんですよ。
マネジメント理論も、経営学とか組織論もだいぶ科学されてるし、
昔からあるマネジメント理論は、
だいたい今の時代チャットGPTに聞けば、
セオリーは分かっている時代。
僕らの話は遮らずに聞いた方がいいよねみたいな。
誰でも分かってるけど、なんでできないのの方が、
実は大事な気がして実行する上で。
なるほどね。
感情論じゃないですか。
分かってるのにできないみたいなのは、
その言語化しきれないモヤモヤというかブラックボックスみたいなのを、
差し迫っていくのに今まで着目が集まっていなかった、
リベラルアーツおよび人文学みたいなものに、
社会は少し可能性を見出し始めているし、
僕は特にそういうのを現場で見てきたから、
僕としては快感値としてありそうみたいな、
さっきの話じゃないですけど、
思っているっていうのが1個目って感じでしょうか。
なるほどね。
理性で生きるところの限界みたいなのが結構。
あると思いますよ。
生成外でできちゃったら、
現代社会における許し
多分これまでコンサルにやってる業務とか、
だいぶね、ほぼほぼではまだないんですけど、
かなり大体でき始めてる。
でも思ってますみたいな話。
もう1個の最近やりながら感じてるっていうのはどういう?
はいはいはい。
最近やりながら感じてる。
要はその理性という、あえて鎖と言いましょうか。
鎖を解きほぐすための概念というか哲学というのが、
少し僕の中で見始めてきてる。勝手に。
何かっていうと、
僕はね、最近これ結構コンサルする中でも出てくるキーワードなんですけど、
許しっていう概念ですね。
言い換えると、
この現代社会って失敗を許容しない。極端に。
失敗を許容できない社会になっている。
過度な自己責任論になっている。
からすごく生きづらくなっている。
よって自分自身に対しても、社会や人に対しても許すっていうのが大事になっている。
っていうのが、
なんとなく感じ始めていて、サービスする中で。
最近、アーレンくん読み始めてるんですよね。
アンナ・アーレンと。
彼女が言ってるじゃないですか、
ワットじゃなくて風を見なさいみたいな。
ワットっていうと何であるかで人を見るっていう話で、
僕は深川さんのことをタイムウィスの社長としては見てなくて、
飲み仲間っていう友達好きで見てる。
それはワットではなくて、
深川さんの肩書きとか実績とかでは僕は見てなくて、
話してる言葉とか、
マジックで滑るって話はすごく好きですけど、
変な行動とかがあるから僕は好きだっていう。
それそのものがその人を見るっていうことだし、
だからお互いに仲良くなれてる気もしてるんですよ。
これが哲学クラブの社長とタイムツリーの社長で話してるって言うと、
たぶん依頼関係とか出てくるし、
ギクシャクすると思うんだけど、
僕らはそういう関係性じゃない。
でもなかなかそういうふうに、
その人の風、誰であるかっていう言葉や行動っていうのを
見れないのはやっぱワットっていう、
言い換えると正しさですよね、
に引っ張られちゃう。
そこで彼女が大事だって言ってるのは、
ゆるすことだ。
会話する中で相手独特のものが見えてきて、
その中で滑る。
マジックで滑っちゃうんだ、みたいな。
尊敬するポイントが見えると、
なんか自分の正しさ。
社長ってこうあるべきだ、みたいな。
社長は強く引っ張っていくべきだ、
っていうところから。
滑って愛されるっていうのもいいんだ、みたいな。
尊敬するポイントが見えてくると、
自分自身に対しても、
強くあり続けなきゃいけないっていう、
でもちょっと違和感ある自分を許せるし、
他の経営者の仲間とか、
深川さん自身に対しても、
もっと向き合えるのがあって、
この許すっていうのが、
すげえ難しいんだな、みたいな。
いうのが、
いろんな組織を見ていく中で、
見えてきた、一個の。
許し上手になろう、みたいな。
なれるのが大事、みたいな。
大事。
それに肩書きとか、
社会が正しいっていう、
枠組みを見てると絶対許せない。
なぜかっていうと、
その正しさからのギャップで評価しちゃうから、
っていう現象が起きるんで。
許すためには、その人そのものの言葉とか、
行動に見向けないといけないんだけれども、
なかなか僕らはそれができないから、
対話が大事だし、
それでちょっとずつ、
自分自身を許すっていうのが、
一番大きい気がするんですけど。
っていうのが、
大事なんじゃないかな、みたいな。
それは多分、ロジックではできない。
科学的には、
差し迫っていけない部分な気はしてて、
自分が今何を許せてないんだろう、
みたいなのを言葉にしたりとか、
あるいは感情を受け止めるみたいなのは、
やっぱり人文学の役割の一つなんじゃないかな、
みたいな。
いうふうに最近は、
解消する中で、サービス提供する中で、
あんまりまとまってないですけど、
思ってる一個のキーワードって感じ。
なんか、
普段の雑談みたいに、
たくさんいろんなことをお話しできましたけど、
すごい、やっぱり、
いくら話しても尽きないなって、
思います。
今日はありがとうございました。
ありがとうございます。
最後に、神舘さんから、
対話の重要性
PR、せっかくなので、
PRしていただけることないですか?
PR?
PR、せっかくなんで、
僕らいつも哲学者交えて、
たまに飲むじゃないですか。
福川さん、純レギュラーなんですけど、
あれ、めっちゃおもろいじゃないですか。
なんか、どっかで、
タイムツリーさんの
ユーザーの皆さんとかを交えて、
哲学者、ユーザー、
僕と福川さんに
集まって、
飲みながらタイムツリーに寄せたって、
何なのかみたいなのを、哲学者と一緒に
話すみたいなのを、やりたいなって。
ただ、飲む口実を作ってるんですよ。
このリスナーの。
リスナーの方が、
あるかわかんないですけど。
なんか、どっかでコラボ飲み会やりましょう。
じゃあ、コラボ飲み会。
PRじゃなくなったけど、
コラボ飲み会。
コラボ飲み会。
やりましょう。
じゃあ、
タイムツリーラジオ、
哲学クラウドの上伊立さんを
ゲストにお招きしての回でした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
31:42

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