1. てつがくポップコーン
  2. シーズン1-6 ダサいって、なに..
2026-01-22 24:23

シーズン1-6 ダサいって、なにで決まるの?

日常のふとした瞬間に湧き上がる「あれ、いまの自分…ダサい?」という感覚。
その正体は、余裕のなさ? コントロール不能な瞬間? それとも、他人の視線?
今回は「ダサいとはなにか」をテーマに、日常での違和感や恥ずかしさ、そして“おじさん構文”問題まで、軽やかに、だけどじっくりと語り合います。てつがくポップコーン最終回。
もし楽しんでいただけたら、感想フォームで声を届けてください。シーズン2、あるかもしれません。

📍 INDEX
ダサいって何で判断してる?/余裕のなさと“恥ずかしさ”の境界線/赤ビックリマークと「おじさん構文」問題/転んだとき、笑う?心配する?/自分のダサさを認められる人の強さ/“ダサさ”を伝えるのはやさしさか暴力か/イケメンは“イケてるメンズ”なのか“イケてる顔面”なのか?/他人の視線がなければ、人は永遠にダサさに気づけない?

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🎧 Directed by yusukesann🎼 Opening & Ending Jingle:music by Ami Koda

サマリー

今回の「てつがくポップコーン」最終回では、「ダサいとは何か」をテーマに、日常で感じる違和感や恥ずかしさについて語り合いました。ダサさの判断基準は、他者への態度や余裕のなさ、コントロール不能な瞬間など、人によって様々であることが浮き彫りになりました。特に、相手の立場を考えない言動や、自分の状況を客観視できない状態がダサいと感じられる傾向があるようです。 また、「おじさん構文」のような、本人は意図せずとも受け取る側に恥ずかしさや不快感を与えるコミュニケーションについても議論されました。これは、相手の感情や状況を考慮せず、自分の価値観だけで発信してしまうこと、つまり「身の程知らず」や「下心が見え隠れする」ことがダサさにつながるという見解が示されました。他者の視線やフィードバックなしには、人は自身のダサさに気づきにくいという指摘もありました。 最終的に、ダサさの反対にある「イケてる」や「かっこいい」といった言葉についても考察し、特に「イケメン」という言葉に対する個人的な解釈の違いや、男性性の規範に当てはめられることへの違和感などが語られました。この番組は今回で最終回となりますが、リスナーには自分なりの問いを持ち続けることの重要性が伝えられました。

00:01
はじけるトイと つまんであじわう
てつがく
てつがくポップコーン
トイがはじけるてつがくポップコーン 後半パート
こんばんは、TOKAIYOです。
ももです。
よきよしです。
ピンクリンです。
このポッドキャストは、ポップコーンのように軽やかで、噛むほど味がする、
手のひらサイズのはじけるトイを、つまんであじわう、てつがく対話番組です。
前回は、なぜ働くの?というテーマについて話し合ってきました。
今回は後半パートになりますので、まだ前半をお聞きでない方は、ぜひそちらからお聞きください。
いや、あの、前回は結構真面目トークで言ったからね。
はい、それでは、今回のテーマのスタート地点は、
「ダサい」とは何か?判断基準を探る
ダサいって、なにで判断しているんだろう。
です。
イエーイ。
これ、ももさんが出してくれたからさ、もうちょっと教えてくださいよ。
なんか、ダサいって瞬間的に思ったりする場面って、生活の中でも、
自分に対しても多々あるかなと思うんですけど、
ダサいとダサくないって、なにでは、ダサってこう、なんかこう、
瞬間的に出てくることが多いけど、
なにで判断しているんだろう、というのが気になったところで、そのままなんですけど、
私が思ったダサいって、
働いてる時に、上司とかに相談に行った時に、
ちょっと相談したいんですけど、時間いいんですか、とか言って、
ずっとパソコン打ったまま、
絶対こっちを見ないで、なに、みたいに言ってくる上司とかって、
なんかみんな既視感あったりするかなと思うんですけど、
なんか、ダサいぞって、なんかこう、忙しい、
忙しいのは忙しいんだろうけれど、
逆にこう、そういう時にパッと手を離して、
ああ、いいよいいよって言って、すって、あの話を聞いてくれる人もいて、
ああ、なんかすごく、この違いってあるなと、ダサいなと、
ダサい?
ダサい、うん、ダサい。
ダサく、私は感じて、余裕のなさというか、
下の人に対しての態度と、上の人に対しての態度が全く違うとかって、
なんか私の中では、うわ、この人はダサい人だっていう、
なんか認定をしているなと思って、
みんなどういう基準があったりするのかなというところで、
この問いを出してみました。
基準ね、たぶん人、その人にダサいと思う基準は、
違うけどありそうだよね。
うん、重なるところと重ならないところと、
あんまり服装とかなんかおしゃれとか、そういう方というよりかは、
行動だったりとか、
人に対する経緯とかの方が、私は近いかなと思ってるんですけど。
なんかその、さっきのは上司の話だったと思うんですけど、
私が連想したのは、なんか言い換えされないと思って、
安全なところから文句を言うとか、
立場の違いを利用して、
例えば店員さんにめっちゃ辛く当たるお客さんとか、
なんかそういうところ、そういうのに対して抱く感覚に近いのを感じました。
ダサいね。
それね。
なんかね、私は、まず自分はダサくないので、
でもとりあえず自分はダサくないっていう、
なんか絶対的な自信があるわけ。
もちろん人から見たら違うかもしれないけど、
自分は一応そう思っている。
だからどうしても自分はダサくないが最初にあるから、
自分だったらやらないな、みたいなことをすると、
ダサいって思っちゃったりすることはあるかもね。
なんかちゃんと言ってて、それもダサいなと思っちゃった。
今の自分ダサい。
思っちゃったけど、
まあだってしょうがないもん。
私はそう思ってるんだものっていうのがまず一つ。
あともう一個だけ言いたいのは、
なんかこれはちょっと真面目にだけど、
自分がやりたいと思っていることをちゃんとコントロールしてやれているとかだとダサくないのね。
だけど、例えば真面目に美しく階段を登ることが普通、
コントロール、体をコントロールできてるからダサくないんだけど、
ああとか言ったり、転んじゃったりすると、
自分の体がコントロールできてなくて、
ああ痛っとかなっちゃうともう信じられないくらい恥ずかしくなっちゃう。
ダサいってなっちゃうのが、
なんかちょっと自分のダサくないのこのズレのラインかなってちょっと思ったかな。
なんかそれで言うと、余裕なくてやっちゃった。
絶対あんなに怒る必要なかったな、
自分ダサかったなっていうのは洋さんにはないんですか?
え?
自分はダサくないの中に。
ほぼほぼやり過ぎてるから、
そうなるとちょっと最初のその自分はダサくないっていう、
最初のルールがズレることになっちゃうから、
なんか答えたくないんだけど、
ダサい、いやめちゃくちゃあるな。
めちゃくちゃあるか。
でも本当自己肯定感が高すぎて、ちょっと狂ってるよね、その基準がね。
それ冷静に突っ込まれると思わなかったから。
突っ込んじゃった?
うん、いいんだよ、ありがとう。
だからまあなんだろうな。
でもまあとにかくダサいって思ってることはいっぱいあるよね。
結構日々あれダサいなと思う方多いな。
僕はダサいって自分に思うパターンが多いんですけど、
何もないところで転んだ時が一番なんかダサいって自分に思う瞬間で、
でもなんか不思議となんか他人が何もないところで転んだ時に、
大丈夫って思っちゃう、なんか心配しちゃうんですよね。
何なんだろうこの差は一体って。
自分が何もないところで転ぶってことは、
何かしら自分に対して、
自分が足がうまく動いてない状態だから、
自分も心配してあげたらいいのになって今考えながら思ってたんですけど、
厚底の靴を履いてる女の子がいて、目の前で歩いてて、
何回も転ぶんですよ。
転ぶっていうか、ちょっと足が粘座するんじゃないかっていうくらい、
カクッてなってて、
でもそれに対してダサいって思わなかったんですよね。
大丈夫かなとか、
なんか心配してあげた方がいいのかなとか、
でもなんか考えすぎちゃって、
あれってわざと男の子と一緒にその人歩いてて、
わざと心配されたくて、気を引きたくて、
なんか転んじゃってるふりしてるのかなとかまた考えちゃって、
でもなんか自分がもし何もないところでやってたら、
自分ダサって思っちゃう。
これ何なんだろうなみたいなのを考えちゃってたんですよね。
なんかズレみたいな、日常から一個ズレちゃった、
行くか一瞬行っちゃったことが受け入れられないんじゃないの。
だから私は逆に目の前で例えば転んじゃった、
駅とかで転んじゃった人がいたとしたら、
まず転んじゃったその瞬間は別にプラスでもマイナスでも何もないんだけど、
その人が恥ずかしがった瞬間、私も一緒に恥ずかしくなっちゃう。
はいはいはい。
だからもし本人がうーっとかすごく辛そうになってたら、
私もつらーっとか思うから、
一瞬にしてその人の感情がその時は乗り移ってる気がする。
あーなるほど。
難しいと思っていることを見て恥ずかしいと思っちゃう感じがあるから、
なんか見せないでほしい、私の前で。
てっぺきで行ってほしい。
粘着してても何とも思わないで歩いて行ってほしい。
私の心が乱れるからとかちょっと思っちゃう。
じゃあ僕がもし何もないところで来るなら、
何もなかったかのような顔をしてまた歩き直せばいいってことですかね。
それはそれで笑っちゃうよ。
僕何もないですけど、何でもなかったですけど。
心の中で応援しちゃう。
そういうサラリーマンとかでもいるよねたまに。
すごいこと今一瞬あった気がしたけどみたいな。
でもそれたぶん本気で大丈夫ですかっていきなり後ろから声かけたら、
たぶん逆切れされるよね。
何がですかとか言われそう。
何でもないですけど。
怖いことになりそう。
「おじさん構文」と共感性の問題
それで言うと、コントロールできないことと余裕のなさというか、
悪意、さっき言ってたような余裕のなさ。
自分の安全な場所で悪意を投げてくる人とか、
いろんなパターンがダサさに。
全然違うじゃん、コントロールできないところというのがありそうなのと。
もう一つ思ったのが、おじい公文とか、おじいさんLINEとか、
たまにSNSを騒がせるの、皆さんご存知ですか?
なんとかちゃん、また会おうね。
顔文字びっくりマークハートみたいなLINE。
そういうのは、本人は全く恥ずかしくないけど、
共感性周知みたいな、こっちがもうすごい恥ずかしくなるみたいなパターンも。
洋さんが言ってくれたみたいに、こけてるのも本人が恥ずかしいって思った瞬間に、
私も恥ずかしくなっちゃうみたいなのと、
一方でおじいLINEとか、本人たちは全く恥ずかしいとか、
全くないじゃん。
そういう中で、こっちがもう恥ずかしいみたいになっちゃうっていうパターンも
あったなっていうのを、今の聞いてて思った。
確かに。
やっぱ冷めちゃうんじゃないですかね。
あまりのラクさに対して。
やっぱラクさなのか。
やっぱりそのラクさに対して、なんかダサいって思うじゃないですかね、もしかしたら。
でもさ、ちょっとそのハート、びっくりマーク、
しかもびっくりマークあれでしょ、赤の。
赤の2つのやつでしょ。
1個ないし2個のやつでしょ。
でもそれを使ってなかったわけじゃないんだよね。
昔は使ってたんだよね、別に。
みんな普通に使ってて、いつの間にかダサくなっていった、
気づいてたらダサいと認定されていた悲しみ?
なんかわかんないけど。
違うよ、赤のびっくりマークとかが使っちゃいけなくてダサいものじゃなくて、
あの文章からしみ出る、なんて言うんだろう。
でも昔はしみ出てなかったでしょ?
しみ出てたの?
そしたらもう泣いちゃうんだけど。
しみ出てたよ。
昔から?
違う違う、おじさんが若い女の子と50代の男性が20代前半とかの女の子とあたかも
付き合えるかのように、またじゃあ遊ぼうねみたいなのとか、
そういうことにそういう絵文字が使われてるから、それが象徴的になってるだけで。
別に洋さんが使ったらいいのよ、赤いびっくりマーク。
だからみんな避けるようになっちゃったけど、
その赤いびっくりマークが嫌なんじゃなくて、
こう全くの場違いなことをしている。
いやいや、こちらは女性側としたら仕事ですけど、みたいなところで、
次は誕生日にお泊まりに行こうね、みたいな。
今日、仕事の話でお会いして、ちょっと昼食、
ミーティング含めたランチだっただけですよね、みたいな女の子にそういうことを一方的に送っちゃうとか、
っていうことに対するダサさだと思うよ。
いやいやな。
そのおじさん、自分がおじさんっていうことを自覚していて、
若い子に怖がらせ恐怖心を持たせないように、
ああいう言い回しにしているのかなって思ってました。
親しみ、親しまれやすく、みたいな。
頑張って、実はお利きしてる。
めちゃめちゃ優しい。
それがちょっと空回りしてる、みたいな感じかと思ってました。
めっちゃ優しい受け取り方じゃん。
でも現実、それで誘っているわけじゃないですか。
これで相手は好意的に思ってくれるという前提で、
おじさん好文というのは組まれているんだけれども、
ダサい的なところが。
たぶん下心が丸出しなのが、たぶんダサいって思っちゃうのかな。
なんて言えばいいの、恋人同士とかで、
お互いにそういうものを求め合っているんだったら、
たぶん下心が見えても別にダサいと思わない。
けれど何も思っていない人から、
急にそのおじさん好文が来た時の落差たるやっていうことなんじゃないかなと、
今聞いていて思いましたね。
シンプルに一刀両断すると、身の程知らずというかさ。
もう怖いよ。
なんか自分もするかもしれないとか思うと、
そっちの方が怖くなっちゃう。
でもたぶん一ミリも思ってないのよ彼らは。
だから思っている人はそういうことは起きない。
なんでそれで女性陣がやめてくださいとか、
そういうつもりはなくてとかって言うとさ、
すっごい怒っちゃったりとかしてた。
すごい逆切れんな、
じゃあもう今日の話はなかったことで怒っちゃうのとかもいっぱいあるけど、
そういうまさか俺が振られるなんてみたいなところの、
そのやっぱね、
よぎやし君が言ったように楽さ?
あー、なんか私それ言われたことあるわ、確かに。
あるんですか?
あるあるある。
でも大なり小なりなんか経験してる人は?
女性はいろんな。
そうですよね、女性だったら何かしら経験しますよね。
そっか、僕はそうだな、一応。
なんかあんまり僕はおじさんからおじさん公文もらったことがなかったので、
冷静に考えればそうですよね。
友達とおじさん公文ライン大会とか全然できるもん。
みんなで盛り上がるよ。
これまでの用例みたいなのを買って。
そうそう、これどう?とか言ってやるのめっちゃ話題楽しくなるよ。
あれなんですかね、公共に出るというその想定を忘れちゃってることもなんかダサさに繋がるんですかね。
例えばそのおじさん公文が、たとえばたった一人と相手してたと思ってたのに、
実は社内のラインみたいなやつに全部行っちゃってたら、
これ結構おじさんも気づくんじゃないかな、
自分のそのダサさみたいなものに気づくんじゃないかなと思うんですけど、
たった一人にDM的にやりとりしてるから、
その密室空間で起きてるものはダサいって思わなくなって、
たとえば結局二人の価値観でしかダサいというものが判断されない世界でおじさん公文というのが起きていて、
なおかつおじさんというのは相手の女性がどう思ってるかということを考えてないから、
結局自分の価値観でこの文章超かっこいいでしょ、次また会いたくなっちゃったでしょっていう感じで送ってるんだとしたら、
ダサいっていうことに気づかないって納得だなと思いましたね。
他者からの視線がないと永遠にダサさには気づけないよ。
もしくはその相手方がズバッとそれダサいですよって言ってくれればだよね。
やっぱりそういう、たしなめるとか我に返らすような人に出会えたらきっと帰り見ることができるし、
そういうのがきっと人間的な良い人と巡り合えているかどうか。
ダサさの基準と「イケてる」の考察
ダサいって言った方が人間として優しいんですかね。でも難しいですよね。
ダサいって私だけが思ってるだけなのかなって思うし、
客観的なダサさの基準というのもありそうでないような気もするし。
言った分勝ちじゃない?
言った分勝ちですか。
自分が全て絶対ダサくないっていう自信があるからめちゃくちゃ言ってるもん、人に。
でも言われたら、もし誰かにそれダサくないって、この性格だから言われ返されるときもあって、
その時はやっぱりもう血の底まで落ち込むよね。
そうですよね。
自己肯定感。
でもちゃんとどこがダサかったとか聞けるからありがたいと思う。
その時はすごい恥ずかしいと思うけど。
受け入れられるのが違うところだと思う。
受け入れられる時点で、今の話の流れのダサさとは違うのか。
おじさんたちは逆切れしちゃうフェーズも含めてダサいし、
言ったら本当にパワーハラスメント的な力を持ってして契約を断るとか、
社内の中ですごく失責ばかりされるとか、仕事の回され方がとかっていうことにもつながるから、
本当にやりかねないからみんな言わないし、
言って気づくとかでもないし、そもそも対等じゃないじゃん。
誰かのアドバイスを聞けるってある程度対等というか、
敬意を相手に示してるからだと思うんだよね。
言いにくいことをダサいって思うんですかね、もしかして。
言いやすかったらもうそれ嫌ですとか、それ違いますって言えるけど、
言えないことに対してなんかダサいなって思うしかなくなっちゃってるのかな。
でももうどうでもよくなったりとか、
もういいわって言うときはそれめっちゃダサいじゃんって、
確かに終わりみたいな感じで言ってることはあるかなって思ったのと、
私は人間関係が常に瞬間瞬間でしかないから、
もうこの瞬間言ってもうダメなら終わりでいい、あなたとはっていう、
常に命をかけたコミュニケーションをしてるから、
全然ダサいじゃんとか言っちゃうし、
それで向こうがなんか思っても、
じゃあさよならってなるタイプだから言えるけど、
ずっと継続的な関係性だとちょっとやっぱダサいですよねとかは、
正直言いづらいというか、ハードル的には高いかもしれないな。
ちょっと私のコミュニケーションがおかしいなって今思った。
継続性がない。
その勾配を使っていて、
自覚的か無意識的かわからないけれど、
自分はそういうことが変えるうちには合わないって分かってやってるとこがダサい。
それはダサいね。
ダサいよね。
なんでダサいのかとか言われるとやっぱりなんだろうね。
それはダサいと思うけど。
やっぱあれじゃない。
受け、自分の中にないくて認めがたいものとか、
ダサいの反対って何?
イケてる。
かっこいい。
イケてるって死語ですか?
イケてる、イケてる。
かっこいい。
でもまだ使うよね。
イケメンってちょっと死語というか、
なんか違うなってずっと思って。
イケメンってイケてるメンズってことですよね。
イケメンって言葉も僕ちょっとダサいと思っていて、
なんかなんだろう、
なんかイケメンって聞いちゃうと、
なんかどこかで、
なんか違うんだよなって思っちゃうんですよね。
なんかちょっと、
僕はイケメンという言葉を受け入れられないまま生きてるんですけど、
なんでしょうね、これ多分僕だけなんですよ。
僕だけじゃないかもしれないんですけど、
イケメンという言葉に何故かちょっとしたダサさを感じていて。
イケてるメンズの訳、あれ?
だと思います。
多分そうだと思います。
もうなんか私勝手にイケメンがメンズじゃなくて、
もうメン、顔?面?
面。
勝手にイケてる面。
イケてる面。
イケてる面。
ちょっと自分の中で変えちゃってたから、
なんか性別関係なくイケてる、
自分の中でイケてる面をイケてるなと思っちゃってた。
イケてる面っていう意味でのイケメンだったら、
僕なんかアリ。
アリなのか。
今聞いたら。
今聞いたら。
イケてるメンズ。
そうだね、メンズだよね。
イケてるメンズっていう意味が、
イケてるメンズはちょっと僕はうーんって思っちゃうんですけど、
イケてる面だったら、
今日美女いいじゃんっていう意味だったら、
僕は美女いいじゃんって言ったら、
美女いいじゃんのイケメンだったら僕は許します。
何が許せないの?
なんでしょうね。
何の意味が入ってたら許せないの?
なんでしょうね。
イケメンって、
なんか僕言われたくないんですよ。
なんか自分がイケメンだと思ってないから。
だからその、
オベッカでもイケメンって言われたときに、
ん?と思ってたんですけど、
なんかイケてる美女だったら、
今日美女いいねっていう意味で褒められてるんだったら、
なんか全然いいなと思ったんで。
ちょっとこれから僕はあれですね。
イケメンって言われたら、
あ、イケてる美女って言ったんだなと思って、
ちょっと普通にありがとうございますって返すことに決めました。
なんかイケメンの方がさ、
もうちょっと広範囲でさ、
行動がスマートだったとかさ、
そういうのも含まれてるような気がするけども、
美女ってなったらもう完全にさ、
外見ってなるじゃん。
もう少し好意でやったりとかも含まれてるような気がするけど、
勝手にね。
あ、なんか今。
そういう。
そうそう。
多分男性的に、
あなたのしていることは正しいですって言われるのが、
僕気持ち悪いんだと思います。
今聞いていて。
なんかあなたはその私が思う男性として、
正しい行為をしました。
イケてるメンズです。
イケメンですっていう表現だと、
僕はその気持ち悪いなって多分思うタイプなんだと思います。
ただでもビジュアルだったら別に、
男でも女でもなんだろうと、
あなたの今日の美女めっちゃいいですっていう。
あなたいいですねっていう意味だったら、
グッとOKって感じですね。
今聞いていて。
なるほど。
なんか男性性の規範に何か、
当てはめられた感じがするのかな。
早すぎるよ。
いいとこまでいったんですけどね。
最終回のお知らせと番組の締めくくり
いいとこまで。
楽しかったね。
というわけで、
ここでお知らせなのですが、
哲学ポップコーンは今回が最終回です。
過去のアーカイブも聞けますので、
感想など概要欄にあるメールフォームからお願いいたします。
もし楽しいと思っていただけたら、
シーズン2もあるかもしれませんので、
ぜひ声を出させてください。
はい。というわけで、
哲学ポップコーンはタメなうちに終わります。
まとめたり、一人一人感想を設けておりません。
もしこれ以上話してみたいと思ったら、
ぜひ皆さんも対話の場所を作ってみてください。
それぞれの場所でまた自分なりの問いを持ちながら、
今回は一旦ここでお別れです。
それでは、問いがはじける哲学ポップコーン。
お相手は都会洋と
ヒグリンと
ヨギヤシと
ポモでした。
はじける問いと
つまんで味わう
哲学
哲学ポップコーン
24:23

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