7/24から沖縄で開催している国際児童・青少年演劇フェスティバルおきなわ 「りっかりっかフェスタ」に行ってきました。
観劇1作目は普段はなかなか見ることのできないイタリアのノンバーバルのお芝居。
マネキンを相手にセリフなく動きや目線だけで物語が進んでいきます。
不思議なもので顔もないのにマネキンが本当に人に見えてきたり、セリフもないのに表情や動きだけで伝わるものが多くあって、とても学びの多い作品でした。
作品紹介https://riccariccafesta.com/performance-event-main-ja/famiglie-ja/
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サマリー
筆者は国際児童演劇フェスティバルでイタリアのノンバーバル演劇「ファミリエ」を鑑賞した。セリフや顔のないマネキンを相手に、動きや視線だけで家族の物語が展開され、表現の自由度と多様な解釈の可能性に感銘を受けた。この経験から、子供たちに「正解はない」というメッセージを伝える舞台制作への意欲を新たにした。
演劇制作の現状とフェスティバル参加のきっかけ
先日ですね、児童演劇フェスティバルに行ってきまして、今、新作、僕が働いているのは、児童演劇を作る舞台の制作会社であり、劇団の営業スタッフ、制作スタッフなんですけど、
この業界って、本当に1年通して繁忙期と換算期、忙しい時と暇の時の差っていうのが結構あって、今は割と時間にゆとりがある時期と。
忙しくなってからは無理だから、今時間がある時期に、劇団の商品って言ったら作品ですから、新作っていうのを作ろうよっていう時期になっていて、日々ああでもない、こうでもないと考えてるんですけど、
なかなか作るっていうことは今までしてこなかったので、どちらかというと出る側だったので、なかなかAIと相談しながら壁打ち、1人で壁打ちする感じではあるんだけれども、やっていたんですよ。
でもなかなかうまくいくことはちょっといかなくて、っていうところで国際児童演劇フェスっていうのを毎年やってるんですけど、なかなか今までいけなかったんですけど、今年はいけることになって行ってみたんですよ。
したらめちゃめちゃ面白くて、いかに自分が思想が凝り固まってたかっていうのを思い知らされたよね。
児童演劇の自由な表現と工夫
舞台ってね、そもそも自由だとは思うんですけれども、より児童演劇、子供に見せる演劇ってすごい自由だと思うんですよね。そんなに語れるほど、僕は経験があるわけじゃないから。
あれだけど、児童演劇っていう業界って、一般的な舞台、大人が見たり、普通に公演してる舞台って、普通の舞台、お芝居があって、せいぜいミュージカルかストレートプレイかとか、あとはもうちょっと違った音楽劇とかっていう感じではあるじゃないですか。
その中で、例えば舞台セット、あとストーリー、役者の演技力、ミュージカルだったら歌唱力とかダンス力っていう素晴らしさで見せるんですけど、児童演劇ってもっと、なんて言うんだろう、分かんないですよ。
日本に限って言えば、やっぱり予算とかそういうのは少ない中で、どうやって工夫して子供たちに楽しんでもらうかなっていうアプローチの仕方をしてると思うんですよ。
だから、やっぱりこの工夫っていうのがいろんな舞台、随所にあって。で、何だろうな、だから、器そのもの、お芝居、演劇、公演、舞台っていう、この器そのものにすごく工夫が凝らされていて、その中に入っているものも面白いんだけども。
この器自体が、えー、こんな変わった形の器だけど、これ、え?中身何入ってんの?みたいな。あ、なるほど、中身がこうだからこういう器にしたのね、みたいな、なんて言うんだろう、その枠組み自体に工夫があって結構面白いんですよね。
イタリア作品「ファミリエ」の鑑賞体験
で、今回見たのが2つ。イタリアのカンパニーというか、ところの演者さんが来てやってくれた舞台で、ファミリーだったかな、家族の在り方みたいなものをちょっと描いた作品だったんですけど、ざっくりストーリーというか設定を言うと、お店、洋服屋さんなんですけど、洋服屋さんの開店準備なのかな。
2人の男性がいて、各々マネキンを立てて服をかけていくんだけれども、その中でちょっとお互いマネキンで遊んだりとか、あとは服を着せて、この服をどれ着せるかでちょっとコミカルなやり取りがあったりとかして、すごく面白かったんですけど。
その中でね、このマネキンを人と見立てて、階層シーンではないけれども、今実際にあるお店とはまたちょっと違った世界に行った家族のシーンっていうのがポンポンポンポンって投げ込まれるんですよ。
これが面白くて、マネキンなのよ。顔もない。胴体もない。胴体はあるのか。下半身がなくて胸だけ。想像つく洋服屋さんにあるようなマネキンなんですけど、これが人間に見えてくるというか、本当に顔を持って表情が見えてくる感じがするのよね。
面白いなと思って。
演じるパターンとしては、この実際の生身の人間の男2人と、あとはマネキンと実際の人間1対1。
この2人の間にマネキンが入るという3パターンの見せ方があると思うんだけども、すごくありありと人形の表情とか、この人形を模しているこのマネキンは誰なんだろうかっていうのがわかるのよ。
ちっちゃいマネキンになったら子供だったり、赤ちゃんぽくあやしてみたりとかしたりするのよね。もちろん涙ぐむまではちょっといかないけれども、なんかグッと心にくるものがあったりとかして、すごく面白かったんですよね。
ノンバーバル演劇の衝撃と学び
終わった後に質問コーナーみたいなのがあったから、僕も勇気を持って質問してみて、イタリアの方なので通訳が入って質問になったんだけれども、正解はないとこの舞台に。
もう本当にみんなが各々の感じ方で見てくれて構わない。だからマネキンには顔がないし、僕たちは言葉をしゃべらないんですよ、この舞台。笑い声とかあるけれどもセリフはなし。表情、視線、体の動き、あとマネキンとの対話だよね、この体を使った表現の対話。
で、物語が見れちゃうんだと思って。これはすごく衝撃でしたね。やっぱりさ、自動演劇やっていてキャリアはそれなりに5,6年あるんですけど、一つの作品に対して演者として出ていたところが多かったんで、その作品に対しての深さはあっても、この自動演劇、子供に見せる演劇としての幅がないんですよ。
だからどうしても、普通のお芝居の見せ方でかつ、ちょっとそれは子供にわかりやすく噛み砕いた作品っていうアプローチの仕方をしてたんだけど、これはもうそもそも正解がない。
そしてストーリー展開っていう話でいくと、店をオープンするまでの話なのよ。2人が来て、マネキン立てて、マネキンに服着せて、ああでもない、こうでもないしてて、この服着せて、この服着て女性っぽいなと思ったら、このマネキンとの恋物語が始まって、気づいたらちっちゃいマネキンにこの服かけよう。
この服かけて赤ちゃんみたいに抱っこしたら、だんだんこの赤ちゃんが生まれて、この赤ちゃんが大きくなって、みたいな感じのストーリーが出てくるのよね。マネキンで遊んでるだけなんだけど。
最終的には落としどころとしては、お店がオープンする時間になりました。マネキンを並べて、いらっしゃいませ、みたいな形で終わったんだけれども。ストーリーとしては物語っていう話でいくと、別に何も起きてないじゃないですか。でもその過程で見せるもので、こっちに感じるもの、考えさせられることがいっぱいあったりとかしてね。
多様な解釈と「正解はない」というメッセージ
すごかったですね。面白かったなあ。あとこういう見せ方もあるっていうのを頭の中で思い描いているけれども、じゃあ実際にこれを客前、人に見せる段階でやった時にどうなるんだろうっていうのは想像つかなくて。
そういう意味でも、もちろん海外の人たちだからセリフもないし、子どもたちも海外のセリフたぶん聞いても分からないじゃないですか。でも目線一つ、言葉、動き一つで感じるものがあって笑ったりしてるのよね。
だから、明確に見せるべきストーリーがなきゃいけないわけでもないんだっていうふうに気づかされたりとか。なんか面白かったですね。あとはやっぱり自分の中で伝えたいメッセージっていうところから、もう一回考え直してみてもいいかなと思ったりもしましたね。
なんかこう子どもたちが楽しめる舞台ってどんなだろうっていうアプローチで考えていたんだけれども、まず一回もう俺が伝えたいメッセージってなんだろう子どもに。自分も子どもいますから2歳の子と0歳の子がいるから、0歳の子は早いにしても2歳の子。
この子たちが大きくなるにあたって俺はどういうことを伝えたいんだろうみたいな。そういうところから始めてもいいのかななんてことを思ったりしましたね。この終わった後の質問とかで、それぞれ着せた服見て、これは誰だと思うみたいな質問をするコーナーがあったんですよ。
お腹大きい服着てるからこれはじゃあ妊娠してるお母さんかな、これはお父さんかな、これは子どもでもちょっと大きいお兄ちゃんかなとかっていう質問があって、これはまた国によって全然違うんだ、答えはとか。
あとは子どもがいない家族もあるかもしれないし、子どもとおじいちゃんとおばあちゃんかもしれないし、家族の形っていうのはいろいろあるんだよと。正解はないんだよっていうようなことをふわっと伝わったというか感じたんだけれども、その中で一人の子どもがこれ誰だと思うって聞いて、イメージパッと見お母さんじゃないかな、お母さんって見える招きに対しておばあちゃんって言ったんですよ。
その時に会場がわーって笑ってて、僕はモヤッとしたんだけれども、そしたらステージ上の演者もノンノンすごく素晴らしい、ビューティフォーだと、感じ方が人それぞれあっていいっていうことを言っていて、これすごくいいなと思って。
どうしても正解みたいなものを追ってしまうじゃないですか。でもその中で本当は正解ってなくて、より一般的な、よりこうであるっていうマジョリティというか多い回答があるだけで、どれも正解でもあり不正解でもあるじゃないですか。
っていうのを、少し前のクリスティアン・ロナウドの英語を使った子どもに対しての発言ではないけれども、なんかこうね、あれがお母さん、おばあちゃんに見えるの?って笑って見せた大人たちというか、僕も含め、僕はまあえ?と思ったんですけど。
そういう空気感は多分どこにでもあると思うんです。そういうものを打破する、何にでもなってもいいし、思ったことを言っていいし、正解なんてないんだよっていうことを伝えられる舞台、ちょっと作ってみたいななんてことをこれ見て思ったりしましたね。
なんかこう、それはまた難しいんだけどね。でも、それが押しつけがましくなく、楽しみながら気づいたらそういうメッセージを受け取ってもらえているみたいな、そういう舞台作れたらいいななんてことをちょっとやりながら、見ながら思いましたね。
次回予告
なんかやっぱりこう、いろいろとインプットというか刺激をもらうの大事ですね。と喋っていたら、1作目だけの見た舞台の話だけで時間が来てしまいそうなので、見た2作目の人魚劇の方は次回お喋りしてみたいと思います。
というわけで最後までお付き合いいただきありがとうございました。ヨザッチでした。それではまた。
13:20
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