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この時間は、日替わりコメンテーターによる解説で、日々のニュースを掘り下げるブラッシュアップ。 月曜日は、法学者の谷口真由美さんです。
さあ、谷口さん、今日のテーマ、話題は何でしょうか。 1月17日に、95年に発生した阪神淡路大震災から30年を迎えたというので、大阪に住んでいる私の話なので、少し
九州の皆さんにも聞いていただきたいなってことがありまして、個人的なことも含めてなんですけど、実は30年前の1月17日に、私は成人式の2日後だったんです。
そうなんです。つまり、半世紀の組にいてるんですけど、もうすぐ半世紀の組さんなんですけど、
大学生で、当時大学の試験の真っ最中だったんです。 発災時刻が午前5時46分というので、実は私の直接の友人はあまりいなかったんですけども、
友人の友人とかっていう、大学生のつながりの中でいうと、試験勉強をしている最中に被災してあっ死してしまった学生さんとか、
ほぼ徹夜で、例えば勉強してて、眠りについてしまって全く気づかなかった人とか、いろんな友人がいたんですね。
やっぱり大学生だったので、ものすごく意識もはっきりしてるし、何が起こってるんだろうっていうので、本当に6時過ぎぐらいに、まだ家の電話だったんですよ。
当時、携帯電話ほとんど持ってなくて、ポケベル持ってたんですよね。
ポケットベルですね。もう多分橋本さんとか知らないだろうけど、そうなんです。ポケットベル持ってて、友人たちが大丈夫?とかお互い言い合ったりとかしてて、
またのんきな友人とかが、今日学校試験あるのかな?みたいな感じで電話したりしてたんですけど、徐々に電話がつながらなくなっていって、
朝まだ暗い時期は、どんどんちょっと薄明るくなってくるとともに、阪神高速の鉄橋が崩れ落ちてたりとか、
火事がちょっとあるな、煙てるなっていうのが突然大きな火事になったりとか。
そもそも発災した時、私も寝てたんですけど、その時に何を思ったかっていうのが、日本沈むなって思ったくらい、
私は大阪の八王子ってところに当時住んでたんですけど、本当にほど揺れてないけれども、直下型でやっぱりものすごく縦揺れしたっていうので、怖かったのを覚えてるんですね。
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阪神淡路大震災、阪神淡路という言葉からはなかなか思い浮かばないかもしれないですけど、赤獅子とかの張間地域と言われるところとか、
あと大阪でも豊中市となんかはすごく大きな被害が出たところで、そういうのもいろんなすごい後半といえば後半だし、直下型といえば直下型でどんと集中した地域だったっていうのがあります。
マグニチュード7.3で震源が淡路島だったんですけど、6,434人の尊い命が奪われた、約24万棟の建物が全反壊してインフラも被害を受けたっていうことで、
そうなんですよ。それで、それこそ友人たちが市圏にも出てこらないって噂で、やっぱり何々ちゃんのところは家が潰れたらしい、避難所っていうところにいるらしいよっていうので、なかなかそれはじゃあみんなでなんとかしなきゃっていうので、
当時お水を担いで班級電車の沿線をずっと歩いて、ボランティアっていうよりも友人に会いに行くっていうことをしたんですけども、その時どんどんどんどん、ここは戦争後のやけの原なんかなと思うぐらい建物とかがなくなっていくわけですよ。
記憶にある限りここにはもうちょっと高い建物があったとか、歩いてしか行けないし道路もまだ潰れてるから、それこそ気をつけて出歩いてくださいみたいな感じで、行くなら安全靴履いてくださいとか、そういう情報もそんなには入ってこなかったんですよね。
実際その避難所行ったらザコネもザコネだし、ちょっと暗い話ですけれども、体育館の舞台の上にご遺体が積まれてたりとか、そういうところで同居しなきゃいけないっていう状況を見たのが本当に初めてで、
友人とかに会って水を渡しても何を話していいかわからない状況だったんですね。
そんな時に入り口ですね、その避難所になっているところの入り口にポストイットがいっぱい貼られてて、どこどこでこういう人いませんか、助けてくれませんかとか、こういう連絡先がありますとか、この口と大丈夫ですみたいなのが貼られてて、
当時のことを書いている書物なんかにはポストイット革命っていうふうに書かれたりとかして、要は連絡手段がない中でどうやって伝えるんだって、この避難所に来た人が友人訪ねてきた、親戚訪ねてきたけれども、
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無事かどうかがわからないとかっていうのを、この人言ってます、この方は違う避難所ですとかっていうメッセージを書いたりとか、がれきの撤去とかそういうのを募集してますっていうので、そこからいわゆるボランティアっていう人たちがいろんな動きをしようということになって、阪神淡路大震災というのはボランティア元年と言われる年でもあるんですね。
それをもとにNPO法っていうのができて、行政が手が届かないところに民間の人たちが動きやすいようにしましょうということが出てきました。
一方でこの野党の地震とかを見たときに、ボランティアっていうものに頼りすぎというかですね、本来行政がやらなきゃいけないっていうか、手が届かなきゃいけないようなとか準備しとかなきゃいけないことっていうのを、なんとなくボランティアいるとかボランティアが来てくれるだろうみたいなふうに思ってないかなっていうところも一番あったりとか、その後の30年見ててですね。
やっぱり自治体がやらなきゃいけないというか、行政とか政府がやらなきゃいけないことっていうのはそれとしてあるっていうことは私たちも分かっておかなきゃいけないなと思うんですよね。
阪神淡路が自分にとって私にとってすごく大きな経験だったんで、そこから言うとその後避難所とかがこれだけ災害大国であるにもかかわらずザコネになるっていう状況もいい加減やっぱり考え直さなきゃいけなくて、東北の震災のときなんかもそうですけど、やっぱり大規模な災害があったときってその後が長いんですよね。
要は生活が取り戻されるまでの間、過ごさなきゃいけないところを快適にっていうか、人間として最低限ちゃんと暮らしていけるような仕組みを作らなきゃいけないというので言うと、
ダンボールのベッドとかも今予約出てきてはいるんですけど、阪神淡路のときも寒い時期なのでめちゃくちゃ関連死というかですね、寒さで関連死された方とかもらえるっていうこともあるので、やっぱり日常の生活からローリングストックとかいろいろ言ってますけれども、
自分でできること、それから地域のコミュニティーに逃げていったときに、そのコミュニティーとか避難の場所がどういう失来になっているか、それのために何をしなきゃいけないかっていうのを、例えば選挙のときにね、自治体の選挙のときにそういうことを掲げていらっしゃる議員さんがいないかとか、やっぱりいろんな候補者の人いないかとかですね、
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そういうことも選挙のときの目安になればいいのになーとかっていうふうには思います。
やはり旅立つなる災害に日本というのは襲われているわけですけども、そこから何を学ぶかという教訓というものをしっかり活かしていく。そして災害関連死というものをいかに減らすかというのが、今の特に重要な課題なのかなとも思いますね。
今日は阪神淡路大震災から30年というテーマで話していただきました。谷口さんありがとうございました。ありがとうございました。
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