1. テクノロジーとカルチャーの種あかし
  2. #53 美大中退からBEAMS|nonna..
#53 美大中退からBEAMS|nonnative藤井隆行が駆け抜けたアパレル青春記
2026-05-21 28:12

#53 美大中退からBEAMS|nonnative藤井隆行が駆け抜けたアパレル青春記

「美大を中退して、建設中だったBEAMS JAPANの前に立ち『俺ここ入るから』って親に宣言したんだよね」と笑うのは、日本を代表するブランド「nonnative」のディレクター藤井隆行さん。彼の伝説的なキャリアの裏側を紐解きます。

国分寺の古着屋でのバイトから、BEAMS時代、1,000人が応募した「SILAS」への転職、そしてnonnativeの立ち上げまで。ブランドの代名詞である美しいシルエットの裏には、藤井さん自身がアメリカ製の服をバラして細くリメイクしていた「お直し」への異様な偏愛がありました。初展示会での悔し涙など、ネットのなかった時代の圧倒的な熱量を、小畑と種市さんが引き出します。

独自のスタイルを築くためのヒントが詰まった30分。あなたはいま、自分のこだわりにどれだけの熱量を注げていますか?

▼藤井 隆行

Instagram:⁠⁠⁠⁠⁠⁠ https://www.instagram.com/takayuki_fujii_/

▼nonnative

Instagram: https://www.instagram.com/nonnative/

▼SLAPS

Instagram:⁠⁠⁠⁠⁠⁠ https://www.instagram.com/slaps_official/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

Website: ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://slaps.jp/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼種あかしラジオ

Instagram:⁠⁠⁠⁠⁠⁠ https://www.instagram.com/slaps_official/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼小畑 翔悟

X: ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/shogoxx61⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

Instagram:⁠⁠⁠⁠⁠⁠ https://www.instagram.com/shogoxx61/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

Website: ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://decentier.co.jp/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼種市 暁

Instagram: ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.instagram.com/taneichiakira/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

▼制作・ディレクション

knock'x Media: ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://podcastjp.com/knockx⁠⁠⁠⁠

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

nonnativeのディレクターである藤井隆行氏が、自身のファッション業界でのキャリアを振り返る。奈良県出身の藤井氏は、高校時代にファッション業界を目指し、東京の美大に進学するも、古着屋でのアルバイトに没頭し、大学を中退。親の反対を押し切り、建設中だったBEAMS JAPANのオープニングスタッフとしてアルバイトからキャリアをスタートさせた。その後、1,000人以上が応募したSILASの採用試験を経て同社に入社。2001年には、モデルとして活躍していた佐藤氏と共にnonnativeを立ち上げた。藤井氏は、アメリカ製の服を日本人体型に合わせて細くリメイクするという「お直し」への強いこだわりを持ち、それがnonnativeの美しいシルエットの基盤となっている。ブランド立ち上げ当初は苦労も多かったが、約2年で軌道に乗り、雑誌掲載などを通じて徐々に認知度を高めていった。自身のコンプレックスを原動力に、独自のスタイルを追求し続ける藤井氏の情熱的な道のりが語られる。

キャリアの始まりとBEAMS時代
こんにちは、小畑昌吾です。 こんにちは、種市明です。
この番組、テクノロジーとカルチャーの種あかしでは、ファッション、ウェルネス、食、スポーツ、テクノロジーなど、感度の高い大人が気になるこれからの話題を日常目線で緩く語っています。
お届けするのは、Decentierでブロックチェーン、クリプト、AIのコンサルティングや、デジタル関係サービスSlappsを提供する小畑と、BEAMS出身で今フリープランナーとして活躍する種市明さん。
それぞれの視点で、ちょっと先のライフスタイルを考えていきます。
お願いします。
ゲスト回です。
いやいや、もうね、効果がわかってるけど。
え?そうっすね。
ちょっと打って湧いた大チャンスというか、大ラッキーなことに。
いやー、そうですね。僕、ファンですからね。
おかげだったね。まさかの展開ね、これ。
まさかの、はい。
急遽だもんね、割と。
はい。
緊急で、何とか回してますみたいな。
緊急で、そうですね。
そういう感じではない。
そんな感じ、そうですね。でもそのくらいかもしれない。
それはない。
それはないでしょう。
はい。
いやいや、あるよ。結構急遽だよね。
結構急遽ですね。
それ聞いたらもう、だって他のもやりたい、やりたい、やりたいって。
万難を背して。
差し込んだもんね。
ということで。
はい。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ノンネイティブのディレクターの藤井貴之です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
何から話そうかなって考えたんですけど。
一応ね、考えたんですけど。
いや、めっちゃ考えましたからね。今回。
何年くらい遡るんですか?
何から聞けばいいのかな?
シンプルにね、だってさ、アパレルの人はもちろんみんな知ってるから、業界の人はね。
そうじゃない方々って聞いてらっしゃる方がたくさんいらっしゃると思うんで、いろいろ。
質問が結構あるんですけど。
はい。
お願いします。
割と黙ってね。
割と、いやいやいや。
どうぞ。
はい。
いや、なんで僕いろいろ聞きたいことあるんですけど。
なんか一番初め、藤井さんどういう人なのかなっていうところから入った方が。
まさに今谷井さんおっしゃったように、知らない人も多分間隔ね半分ぐらいは結構ITとかの人が多いかもしれないんで。
知らない方もいらっしゃる気もするんで。
ちょっとそっから行けると、後々の話が分かりやすくなるかもしれないなと思って。
なんでちょっと藤井さんがどんな方なのかなっていう。
幼少期から行く方がむしろ面白い気がしてきたので、ちょっとそっからお願いできればと思うんですけど。
生まれどこなんですか。
僕は生まれは奈良です。
いつまで奈良。
奈良で小学校2年生の時に天気で大分に引っ越したの。
中津。
で中1までいたの。
でまた奈良戻ってきて。
でいつまで奈良に。
18で上京したんで大学の入学で。
なるほどなるほど。
で東京に来られて何されてたんですか。
東京に来て大学生です。
武蔵信濃美術大学。
名門ですね。
入ったんですけど遊んだりとか洋服とかでなんかもう全然行かなくなっちゃって。
あれその時あれよねなんか行ったことないお店だったけど、洋服屋さんで。
古着屋さんとセレクトのお店があって。
そこにそれこそ時知らずだった一ノ瀬くんが入江くんビームスの。
もう一緒に働いてたっていうかみんなバイトで回してた。
そこのお店で大学生の時に。
そうです。で客がピンちゃんとかだったんです。
そうなんだ。
みんな国分寺にいたんですよ。
国分寺の古着屋さん?
古着屋と買い付けとそれこそレッドウィングとかビルゲンやったりとか。
あの時はエアマックス買ってきたりとか。
そういう緩い感じの。
そこが18、19時くらいですかね。
じゃあ国分寺近辺に住んでたんですね。
そうです。国分寺に住んでて、学校が国分寺だったので。
そっち遊びとかバイトに目覚めちゃって。
大学3年生。
それこそ辞めようと思ったんですよ。
大学を?
洋服屋さんになりたいとか留学したいとかになって。
もちろん親がうち田舎者なんで、留学とか何それみたいな。ありえないみたいな。
じゃあ洋服屋で働くって言ってビームスジャパンを受けたんですよ。
ああそういうことなんだ。
それは国分寺にいて大学生になって留学しようか。
中退?中退するのに、もちろん親は反対するじゃないですか。
でも古着屋じゃダメだみたいな。結構厳しいんですようちの親。
なるほど。
うちの親がちょうどその時新宿で単身不倫だったんですよ。
本社があって西口で働いて。
ちょうど僕東京にいるじゃないですか。
呼び出してビームスジャパンで建設中の時に俺ここ入るからって言ってやめていいかって言って。
すごい。
まあいいかどうかわかんないですけど、一応ちゃんとしてるじゃないですか。
建物みたいな。
そうそう。でかいし。
すごいストーリーだね。
それで押し切って入って。
それは何ですか。だから卒業せずに中退してそこで就職した。
中退した後に入った。
中退するかどうせするんですけど。
するならどうすんだって言うじゃないですか。親だったらきっと。
じゃあなら帰ってくるのかとか。
心配だからお金どうするのとか。
だからビームスだったらいいんじゃないかなって。
いいんじゃないかなって言うのはそんな失礼なんじゃないですけども。
一番でかいのができたじゃないですか。新宿だし。
そうだったんですね当時。
そこでタネさんに会ってしまうんですけど。
もういいのに最初。
そこでからの。
中退と同時にビームスに社員で入ったんですか。
いやアルバイトですねオープニングスタッフで
アルバイトで入ったんですね地下1階。
新宿の店舗に入られたんですね。
なるほどなるほど。
それは洋服屋やるためにビームスで勉強するみたいな感じだったんですか。
あの時何も考えてなかった。
学校でファッション系のクラスだったんですけど。
嫌です勉強するのがファッション。
ファッション系のクラスってそういうむさびにあるんだ。
あります。今はないんですけど。
今は空間演出デザイン学部っていうところにいたんですけど。
今だと辞められた片山さんとかが教授で。
めっちゃ面白そうだなと思ったんですけど。
僕の時は一世宮城系の方とかがいたんですけど。
モード系じゃないんで。
全然頭に入ってこないから。
でもむさびって憧れの美大ですよね。
僕もそうですね。
本当は文化に入りたかったんですよ。
高校生ぐらいの時からファッション系で完全に行こうと。
高校生の時に裏腹ブームになったんで。
みんな文化に行ってるじゃないですか。
文化に行くのも絶対いいと思ってたら。
そこで専門学校だったらダメって。
確かにそれは言い方が悲しいけど。
むさびに入るって言ったら。
だから東京の大学しか受けなかったんですよ。
みんな関西を受けるんですけど。
東京行きたいだけだから。
むしろ浪人してもいいぐらいで。
東京の予備校に行ければ良かったんで。
それぐらい朝八日に入っちゃったんで。
でも入れるって。
入るのめちゃくちゃ難しいんですよね。
そうっすね。
なかなか頑張りましたね。
デザインの試験って何があるんですか?
デッサンと学科ですかね。
その時は洋服の道に進もうと思ったんですか?
なんとなくスニーカーが好きだったんで。
ラシックスとかミズノーとかわからないですけど。
そういうデザイナーにはなりたかったのかもしれないですけど。
でもざっくりしてるし。
年齢的に全部やり方がわかるわけじゃないもんね。
その時デザイナーさんというよりは店員さんがとにかく憧れの職人。
時代はそうだよね。
教師になったりとか。
だからあんま考えてなかったっすね。
で、そこから?
で、ビーングスに入ったのが20歳か21か。
その時にめちゃくちゃ雑誌の取材とか出してもらう。
スナップとか。
ちょっとプチプチバブルみたいなのが来て。
俺は途中から新宿のお店に配属になって来たんだけど。
その時に新宿にいたメンバーが。
社員の人たちもいたんだけど。
入ってきたんだけどアルバイトの奴らの方が目立ってたっていうか。
問題になりましたもんね。
ファンみたいのも来てるし。
でも別にめちゃくちゃな時の最後の時代みたいなもんだよね。
もう別にお店で売ってないもんとかも。
着まくって。
上住に靴買いに行って気に入らないから夕方なんか抜け出してとか。
あと俺覚えてるのが今日合わせが気に入らなかったから来ないみたいな。
遅刻じゃないですか。
めちゃくちゃだったよ。
その時の店長さんがすごいいい話し方で。
担任の先生みたいな。
担任の先生的なね。
担任さんとかもこういう感じだから。
俺はフワッとしてたからあれだったけど。
おろいジャンビーなことは言ってくれたんですけどよく持ってない方もたくさん。
でも押し切ってたよ。
いわゆるカリスマ定員的な。
そんな感じです。
だから結構来てましたね。
お客さんで今活躍してる人も。
なかなか面白い時代。
自由だったね。
仕事中に欲しいスニーカーの電話を別の店に電話してたから。
取り置きするとかやってて。
客中の電話じゃねえじゃねえかそれみたいな。
休憩時間原宿行ってましたって。
めちゃくちゃだったよ。
でもやっぱり個性的な。そっからね。
藤井ちゃんももちろんそうだし。
有名なスタイリストになったやつもいるし。
結構集まってたんですね。
加藤さんもいましたよ。
加藤ちゃんは今BIMSも残ってるけど。
後々聞くとあの時の新宿行ってたんですよっていうメンバー結構いて。
美永君もそうだし。
僕も覚えてます。
ポギーとかもアローズができて毎日来てて。
なかなかだってネットはなかったもんね。
雑誌しかなくてスナップで何来てるかみたいな時代があったですね。
そこに何年いたんですか?
僕結構長くいた風に言ってるんですけど1年半しかいなかったです。
そうなんですか?
あれそんな短かったっけ?嘘でしょ。
僕その次の会社2000年のオープンで入ってるから。
本当に?
何濃厚な時間。
その1年半は完全に重なったんですか?場所も。
俺は半年くらいだね。
移動っていうのが社員さんの話で。
谷さんは柏店から来て。
俺は銀座行って渋谷行って柏行って新宿になった。
1年半だったの?
急にめちゃくちゃ混んでたんだけど。
お店がでも忙しかったよね。
そうですね。でもファックスだったんで。
僕ファックスを受け取っちゃったんですよ。店長を当てないと。
社員1人かバイト2人?みたいな削れみたいな。
俺覚えてるんだけど、本当かどうか分からない。
とにかく社員、ちょっと人員削減をしなきゃいけないってビームスが。
新宿でってなった時に、アルバイトが何人?
社員は多分動いたりなんだったりになると思うけど。
割とスター選手でアルバイトもたくさんいた。
だけど多分最初の方に、俺じゃあ出ますって言って。
でも下の子たちにも、僕はなんとかなるんでみたいな。
俺それ聞いて、こいつなかなか弾力あんだ。
飽きてたのかもしれないけど。
もうちょっと長く言ってた。
1年半でね。
そっか。
それ当てがあったんですか?
ないです。
それ次の話に繋がるけど。
当てがなくてあそこに行ったの?
あれはトラバーイウで募集してた。
マジで?
次はどこに行った?
サイラス。
サイラスランドマリア。
分かりますよ。
めっちゃ行ってましたよ。
それのオープニングです。
そうなんですか?
あそこの二階のお店ですか?
そうなんですか?
その時、藤井が辞めた後にちょっとして
サイラスっていうブランドがめちゃくちゃ人気があって
とんでもない何時間も行列できるようなお店にいきなり入ってて。
そこでももちろんオシャレでってなった時に
これは決まってたのかって思ったけど
トラバーイウだったの。
あれすごかった。1000人くらい受けてたんだよ。
そうなの?
10人で募集。
トラバーイウってこういう?
いろいろ受けましたよ。
ルイビトンとかバーディーズとか。
トラバーイウって旧人気。
分厚い。
それを毎週買って。
そしたら出てると思って受けて。
1000人受けて10人なんですけど
2人もうこの辺で決まっちゃってるって噂を聞いて
8人じゃんって。
ビームスだったから撮ってくれたっぽいっすね。
ちょっとそういうのがちょっと必要とされてて。
こいつ結構面白いなっていうのはもちろんね。
雑誌の多分あれも見てただろうし。
すごい。それで入ったんだ。
そこは社員で入ったの?
社員ですね。
トラバーイウで社員で
サイラスってサイラスっていう会社?
ワングラムっていう。
今はシュプリームとサイラスをやってる会社。
今はもうサイラスをやってないですけど
シュプリームの会社ですね。
なるほどね。それ知らなかったわ全然。
SILASへの転職とnonnativeの立ち上げ
セレクト系とウラハラ系ってやつ。
僕はウラハラに飛び込んだみたいな。
みんな結局つながってなかった。
そうなんですね。
意外と。
やっぱりセレクトショップの人間は
ちょっとなんとなく少し
フィルターをかけてたかもしれない。
なるほど。
藤井氏たちの世代はあんまりそこなかったよね。
見てた感じの時に。
もともとウラハラ好きだったのもあるし
あの時ちょうどナンバーナインとかが出てきて。
俺の世代だと自分たちがそこで
アメリカ行って見つけてた。
後で、昔ダブルタップスのメンバーとかが
ちょうど同じようなところでアメリカを見てたみたいな話をしたことがあって
だからあんまりそういう意味で交わってはいなかったというか。
そこがないところでそれで飛び込んでいって
社員だったんだ。
そうですそうです。
何年いたの?
1年間?
短いっすね。
1個1個意外と短いな。
学校も短かったし。
あれ?でもさ、待てよ。
大学中退して1年半でビームス行って
その後サイラス1年半。
で、これか。
2001年にちょうどそのサイラスの上に
ノンネティブのオフィスがあったし。
僕創設者じゃないので。
佐藤君がやって
佐藤君がブランドやってますみたいな。
佐藤氏とはどうして知り合ったの?
友達の友達。
結局みんな仲いいから繋がって。
Tシャツしかやってなかったんで
服作ったらマジで?みたいな。
どうやって作るの?みたいなとこが
2001年ですかね。
2001年の初出張が9.11だったんで。
モロかぶりだったんですよ。
LAでしたけど。
それはブランドを始めようってなって
出張行ってみようぜって。
行ってみようぜアメリカ行くかって。
その場合もしょっちゅう行ってたんですね。
買い物、買い付け行ったりとか。
行ったらちょうど9.11になって
全部ストップしちゃって。
ずっと向こうにいたんですか?
たまたまホテルの前がHUSだったんですけど
すぐ行ってくれて。
佐藤氏は英語喋れるので
全部言ってくれて
僕は結構一番ノリで抑えれたんですよ。
で帰れたんですけど。
佐藤氏はその後カナダ行くとか
旅行してましたけど。
それいくつぐらいいた?
年齢で24とか25とか。
すごいね。
ずっと店員というかショップスタッフやってて
そこからいきなり洋服作るようになったんですか?
それともその前からやってたんですか?
やってないです。
でもBMSとかで企画は出してたんですよ。
こういうズボン作ってくださいとか。
そういうことしたの?
めっちゃ絵描いて出してましたよ。
マジで?
企画してあったよね。
採用されたことなかったですけど。
それはBMSでプライベートブランドで
こういうのやるべきだったんですか?
オリジナルでこういう血のパン作ったほうが
いいんじゃないかとか
こういうとこ別注してほしいとか
いろいろやったりしたり
あとお腹欲しい。
俺も今言おうと思った。
もうダメですよ。
言っていいの?
ヤバくないですか?
言えないことは言わないほうが
いい部分は正直あるんだけど
とにかくカスタムするの。
いろんなものをアメリカのものも
いいものもあるんだけど結局
日本人の体に合うものと合わないものがあったり
でも
みんな特に俺もそうだけど
俺よりも体型
俺は大きかったからなんとなく着てたんだけど
タネさんはアメリカのものとか普通に着れちゃうんだけど
僕とか
グラミチって当時
アメリカ製の
ちゃんとアメリカから買ってたもの
長いんですよ
長くて切っちゃうと
裾めっちゃ太いんですよ
それをばらして全部細くする
だから
その時にやってたのが
今の形と一緒です。
つながってくるんだけど
あの時に裾幅21cmの
膝男性
ここを締めて
ちょっと3ポーズ目して
そんなことをずっとやってた
ちょうどスタイリストになった
あいつも
俺のニットのアシスタントその時やってて
毎朝会うと
タケコ大丈夫ですか?裾幅合ってますか?
意見求めてくる
でもやっぱり
そのタネは自分がそんなに背も大きくないから
割とバランスを
僕はそこが命なんですよ
やっぱりその細やかなことを
その時から
きちんとやってきてたものが
つながってきてる
だから僕らはやっぱり
ちっちゃいという
コンプレックスが
売ってる服はやっぱり
インポート
合わない
それをすごく僕は不満に感じてたのが
割とスッと入れたのかな
多分そういう
これがあったらいいというものが
ずっと出来上がってた設計図が
多分それが
サトシと会ってのブランドという時に
具現化したというところが
すごいよね
本当に好きで
好きでやってたものが
最終的に自分でブランドで表現するようになった
こういうのがあったらいいなっていう
集大成で買い物してたことが
じゃあ今度は
作ってみよう
いいサンプルだってあるわけじゃん
今までの叱責で
このシルエットでこうなったらかっこいい
じゃあこれで作っていこうよ
っていうことが
出来ていくんだもんね
全然出来なかったですけどね最初
nonnativeのブランド哲学と成長
いやでもスタートしてから
どれくらいで
なったと思った
俺一番最初の時の事務所なんとなく覚えてるんだよね
大買い物
上のサトシの部屋から
一回行ってみたいとこ行ったじゃん
八山商業高校
そうそうそうそう
そこっすね2002年の
そこでワールドカップ見たんで
そこが結構転機ですかね
スタートしてからどれくらいで
軌道に乗る
というのが
かかったかな
2年くらいですかね
かかった
かかったのと
あの当時結構ブランドも多かったんで
まあまあまあ
今も多いですけど
本当に多かったんで
そこで
動作を出すかみたいなことを
考えて
やってたんですかね
でもそうっすね
2年くらいか
最初の展示会とかも
泣いてましたもん
サンプルも
3色展開だけど
1色しか作れない
けど
みんな来てくれるんですけど
サトシの友達
誰も服を見てくれなくて
やっぱりサトシに会いに
まあまあ
それもそうだし
僕はただの誰も知らないから
そういうネットワークをしてもらって
その時にでもまあもちろん
ビームスイッチショットした人とか来てくれて
むちゃむちゃ
ってくれたり
というのはあったけど
まあ大変でしたよね
サトシさんという方は有名な方ですか
サトシはモデルをね
昔で言うとどの雑誌にも出てるぐらい
モデル
超有名
同じ年なんですけど
トップモデルですよね
有名で
地面で出てると
その方が始めた
ブランドがノンネイティブで
ハーフなんでノンネイティブ
そういうことなんですか
そもそも知らなかった
それは知らなかったわ
ノンネイティブというより
ネイティブじゃない
そうなんですね
その話有名?
いやまあ彼はそんなに語らないから
言わなそうだもんな
僕は無所属とか言ってますけど
そう俺はそのイメージだった
僕もそういう感じだと思ってました
でも結局一緒か
まあ一緒じゃない
だからなんか巡ろうみたいな
まあ腑に落ちる点はいろいろある
なるほどね
でそこでさっきの
軌道に乗るみたいなところで言うと
だからサンプルが全職作れるようになった
とか
お金がかかるんですよ
バレるってその世は
お金回収できるのが半年後
半年後始まっても
2ヶ月後なんで
お金をもらえるのは
だから最初に
お金がドーンって
それができるようになったのが
軌道に乗ったっていうイメージですかね
借金したの最初
借金ちょっとしてたんじゃないですかね
僕だからお金部門じゃないから
そうだよね
やってくれてるから
それでバランス見ながら
これできるように
大げさなことは地道に
ちょっとずつできることをやっていこうみたいな
それそっか
25歳
25歳ですね
すごいですね
すごいわ
何かきっかけとか
そういうのあるんですか
地道に上がっていくんですか
売れてるおろしをかけるんで
売れてますみたいな
追加がかかってから
それが声が
当時ファックスがバンバン来るんですよ
これ何枚くださいとか
ゲームチェンジした時の
雑誌に
これ誰かが来てくれたとか
何でドーンってきたの
これが2年後
松田直樹とかが来てくれたり
なるほど
雑誌にめちゃくちゃ
取り上げられるようになる
それ2年後ぐらい
急に
スタイリストの友達とかが
成熟してって借りてくれるようになって
メンズの元で出してくれる
もうそれしかないじゃないですか
その時代はね
雑誌だもんね
そうなると地方も同じような流れで
なるほど
今いいんだ東京みたいな
グングングンうちも取り扱いたいみたいな
当時のブランディングで言うとちょっと
僕は変わってたんで
セレクト系っぽいというか
そういう見られ方をしてたんで
ノリじゃないっていうか
そこは強がった
あと時知らず
やってもらう
めちゃくちゃ
あれ同じぐらいか
僕だから
TNP入るって時に
ジョンス君にプレゼンシー
決まった時
置いてくれっていう
俺ちょうどその時吉田のプロデュースで
大垣山だったから
俺いつも休憩場所として
原宿から来る途中に
そこで一回休んで
コーヒー飲んでタバコ吸って
大垣山に行くっていう
その時に順次もいたのが
吉田さんも客だったんで
ビームする時の
そっかそうだね
来てくれた
いろいろ点と点が繋がって
でも
面白かった
そこからグイグイとって
今何年前の話ですか
20年前ぐらいの話ですか
2002年ぐらい
23年前
3年前
すげーな
一回ここで切って
この番組テクノロジーと金ちゃんの種明かしは
Spotify YouTube
Apple Podcast Amazon Musicで配信中です
毎週木曜日に
新エピソードをお届けしているので
ぜひフォローしてお楽しみください
感想は番組のコメント欄にいただけると嬉しいです
それでは次回もお楽しみに
28:12

コメント

スクロール