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2026/03/23 たまゆらタイム
2026-03-28 10:24

2026/03/23 たまゆらタイム

 プロ野球開幕とマスコットに託された物語

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サマリー

プロ野球開幕を前に、1968年のドラフト会議で巨人の1位指名からオリックスのマスコットとなった島野治氏の知られざる物語を紹介。彼は現役引退後、動けるマスコット「ブレイビー」の中に入り、その原型を作り上げた。記録に残らない形でもプロ野球界に貢献し、多くの人の記憶に残る存在となった彼の功績を称え、新しいシーズンへの期待を語る。

春の訪れと記念日
こんにちは、石井ケンイチです。 今週もたまゆらタイムの時間がやってまいりました。
3月も下旬に入りました。 日差しはすっかり春のものに変わり、日中はコートを脱いで歩ける日も増えてきましたね。
この時期になると、風の匂いが変わってきます。 どこか土の匂いが混ざり、新しい季節が動き出していることを感じさせてくれます。
朝晩はまだ少し冷えますが、日中の光の柔らかさ、夕方の空の色は、確実に冬とは違う表情になっています。
そして、旬分を過ぎたこの頃は、昼と夜の長さがほぼ同じになり、これからは少しずつ昼の時間が長くなっていきますよね。
太陽の高さや光の強さ、こうしたものが日ごとに変わっていくこの時期は、1年の中でもとても繊細で美しい時間かもしれません。
それでは、今日3月23日から始まるこの1週間、どんな記念日があるのか、過去にはどのような出来事があったのか、少し振り返ってみましょう。
まず今日3月23日、1936年のこの日、阪急電鉄が大阪阪急野球協会を設立し、
阪急職業野球球団が発足しました。これが後のオリックス・バッファローズへと繋がる日本プロ野球の歴史の一歩となります。
第一歩ではないですよ。歴史の中の一歩ということですね。そして、そして3月24日はマネキン記念日。
1928年のこの日、東京日本橋の百貨店で、日本初のマネキンガールが登場しました。
当時はとても珍しく、多くの人が足を止めたそうです。
3月25日は電気記念日。1878年、日本で初めて電灯が灯された日です。
今では当たり前の明かりも、当時の人にとっては驚きと感動だったことでしょうね。
3月27日は桜の日。まさにこの季節ぴったりの記念日ですね。桜の開花の知らせ、そろそろ聞こえてくる頃です。
こうして見てみると、この1週間も文化や暮らし、そしてスポーツの歴史に関わる出来事が並んでいます。
1968年ドラフト会議の衝撃
そして、いよいよ今週金曜日、日本のプロ野球が開幕します。
長いシーズンの始まり、それぞれのチームが新たな物語をスタートさせる季節です。
さて、後半はこの時期に合わせて、プロ野球にまつわるある一つの物語をお話ししたいと思います。
さっき、ハンキューブレイブスが発足した日だという話をしたんですが、そこにもちょっと絡んでくる話ですね。
そして、今ヒーローという歌をかけたんですが、まさにあるヒーローの話かもしれません。
あなたはあるプロ野球の球団マスコットの中に特別な人がいたことをご存知でしょうか?
という出だしで始まるんですが。
1968年、プロ野球第4回ドラフト会議。
まだこの制度も評価基準も整っていなかった時代です。
しかし、この年は後にこう呼ばれるようになったんです。
異様な当たり年。
というのも、阪神に入った田淵光一、広島の山本浩二、中日の星野千一、大島康典、西徹、
後の西部ですけど東を治む、阪急の山田久志、福本豊、南海の門田博光。
今振り返れば、旧誌に残る名前が並びます。
今挙げたのはほんのわずかな名前なんですよ。
他にも有藤さんとかいろんな方がいて、
とにかく後のプロ野球を形作っていくスター選手がいっぱい生まれた年です。
では、この年、巨人はどうだったんでしょうか?
当時巨人は明治大学のピッチャー星野千一を1位指名するとみられていました。
星野千一さんも1位で指名してくれると信じてたんですね。
彼は子供の頃からのジャイアンツファンでしたからね。
しかし実際に指名されたのは武装高校のピッチャー島野治。
これは星野さん激怒した話で、またこれは別の話になっちゃうんですけど、
星野さんは巨人に入りたかったのに他の人が入ってしまったので、
自分を1位で指名してくれた駐日ドラゴンズに行って逆に打倒巨人に燃えたという話。
それはちょっと今回の話からそれてしまうので今回は置いておきますけど、
このドラフトはやがて巨人の大失敗と言われるようになります。
マスコット「ブレイビー」誕生秘話
というのは島野投手を思ったほどの成績は上げられなかったんですね。
だけど島野さんの物語はここで終わりません。
彼は後にトレードでハンキューブレイブスへ移籍します。
ここでハンキューというワードが出てきますね。
ここでもそこそこ試合には出ていましたけど大活躍するにはいたらず、現役を引退します。
そして現役を引退した後、ちょうどその頃ハンキューはファンサービスのために動けるマスコットを登場させようとしてたんですね。
ブレイビーというんですけど。
そのブレイビーの中にちょっと入ってみないかということを球団が声をかけるわけです、島野選手に。
やりましょうということになって、なんとこのブレイビーの中に入りました。
元プロ野球選手がマスコットを務める、こういうこと自体も非常に珍しいし、
走る飛ぶ観客をあおる、こういうマスコットは当時ほぼいなかったんですね。
その動きはただの着ぐるみではなく、フレーするマスコットだったんです。
現在では当たり前となった動きのあるマスコットのスタイル、その原型とも言われています。
やがて球団はオリックスへと変わり、マスコットもブレイビーからネッピーへと引き継がれます。
それでも島野さんはスーツアクターとして活動を続けました。
1996年、通算選手会出場を達成するんです。
マスコットとしての選手会出場です。
その時祝辞を送ったのはイチロー選手でした。
イチロー選手もまだアメリカに渡る前でオリックスでプレーしていた選手ですからね。
そんな島野治さんなんですが、こんな形で巨人のドラフト1位から
ハンキューそしてオリックスの球団マスコットを長年にわたって勤めるという
プロ野球界への貢献度が半端ない存在です。
ホームランでもない、勝利数でもない、記録として残る数字でもない
けれど多くの人の記憶に残る存在。
グランドの中心ではなくても確かに、確かに球種の一部を作った人がいた。
そんな物語です。
プロ野球を支える存在
プロ野球は選手だけでできているわけではありません。
支える人がいて、盛り上げる人がいて、見ている人がいて、
そのすべてが重なって一つの世界ができています。
これはどのスポーツでも一緒でしょうけどね。
そしてその中には形には残らなくても確かに人の心に残る役割があります。
今週また新しいシーズンが始まります。
今年はどんなドラマが生まれるのか、どんなヒーローが現れるのか、
そして誰かの記憶に残るそんな存在がまた生まれるのかもしれません。
さて今週のタマユラタイム、そろそろお別れの時間です。
春の空気が少しずつ広がるこの季節、
新しい始まりの中でそれぞれの時間が穏やかに流れていきますように。
それではまた来週この時間にお会いしましょう。
石井ケンイチでした。
タマユラのような優しい時間をどうぞお過ごしください。
10:24

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