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ドクオヤ育ちサポーターのたまこです。
今日は歌のレッスンに行ってきました。
前から歌ってみたかったある曲をですね、初めて歌ってみたところ、
あ、すごく合ってる、いいじゃない。これ持ち歌にすればいいよと先生に言われました。
その曲っていうのは、確かに自分で歌っていてもですね、楽で楽しい。
たぶん私の声の良いところがちゃんと立っているような、そういう曲なんですよね。
そこで思ったのはですよ、私たちが自分の使命だと感じたり、これが天職だと感じたりするような、
その生涯、時間をつぎ込むような仕事っていうのも、たぶんこんな感じで見つかるんじゃないかなと思ったんですよね。
天職っていう言葉がありますけれども、そういうものが何か特別にあるっていうことよりは、
普段からたまたま巡り合ったものとか、紹介されたものとかわかんないですけど、
そういうものの中にこそ、なんかこれやってて楽しいっていうものがきっとあって、
それを続けていくということが、たぶん自分も周りの人にも
最も幸せな選択っていうことになるんじゃないかなというふうに感じました。
歌って、本当にこの歌は合うけど、この歌はちょっと歌いにくいなっていうのすごいありますよね。
私の他の先生も、曲を作るときに誰が歌うかっていうことを思い描いて、
その人に合うメロディーラインにするっていうことをおっしゃるわけですよね。
要はキーの高さとかもですから、やっぱりその人にピタッと合うっていうものって世の中あるんだと思うんです。
それに巡り合うためには、やっぱり自分がカンファタブルであるところにいつもいるっていうことがきっと重要なんじゃないかなと感じましたね。
今日は娘とまた3回目か4回目のメンタリングをやったんです。
娘の方からあれやらないのって今日も言ってくれたので、よしやるかということでやったんですけれど、
実は今日は本当はメールを返信したいものがあったり、少しやらなければいけないことなんかもあってですね、
なおかつお互いにちょっと疲れてたんですよね。娘は卒成だとか展示の準備だとか色々ありまして忙しいと。
私もそんな状況だったんで、そういう時ってメンタリングをやってもですね、思うように何か気づけない、感じられないっていうのがありました。
だからそういう時にやっちゃいけないなっていうのが今日の気づきでしたね。
いつも自分がカンファタブルなところにいる、それはやっぱり自分に適したものを見つけるコツというふうに感じました。
それではおやすみなさい。