1. ちえラジ Chat ポッドキャスト版
  2. NotebookLM版今週のAIまとめ:..
2025-12-21 13:33

NotebookLM版今週のAIまとめ:地方プログラマーの孤独と居場所の哲学

spotify apple_podcasts youtube

地域社会における技術者の役割と課題:高見知英氏ポッドキャスト分析

エグゼクティブサマリー

本ブリーフィングは、高見知英氏のポッドキャスト「ちえラジ Chat」の複数回にわたる配信内容を分析・統合したものである。中心的なテーマは、日本の地域社会、特に横浜や岩手県普代村においてプログラマーやIT技術者が直面する深刻な文化的断絶と疎外感である。

高見氏の地域活動への関与は、ITコミュニティと地域コミュニティとの間に存在するコミュニケーションの壁、価値観の相違を解消したいという動機から始まっている。氏は、地域社会が「プログラマがいていい社会じゃない」現状にあると指摘。これは、プログラミングの話題が通じないだけでなく、PCの基本操作や使用ツールのレベルでさえ著しいリテラシー格差が存在するためである。

この課題に対処するため、氏は2017年にNPO法人「まちづくりエージェントSIDE BEACH CITY.」の設立に関与。しかし、NPOの「収益を上げなくてもよい」という特性が、活動の持続性や個人の経済的インセンティブの欠如といった「コミュニティ貧乏」の問題に繋がっている現実も語られている。

現在の活動拠点である岩手県普代村では、職業プログラマーが存在しない環境下で、村役場のIT利活用支援などを通じて「プログラマがいていい社会になるきっかけ」作りを目指している。これは、将来プログラミングを学ぶであろう子供たちが地域に失望し、流出することを防ぐという長期的な視点に基づいている。

また、氏は「ジブンゴト」という言葉に警鐘を鳴らし、他者を完全に理解することの不可能性を認め、「無知の知」の精神、すなわち自身の知らない領域が常に存在することを認識する姿勢の重要性を説いている。この思想は、異文化である地域コミュニティと関わる上での基本姿勢となっている。

1. 地域社会におけるプログラマーの疎外感と文化的断絶

高見氏が地域活動に関わり始めた2015-16年頃の経験は、活動全体の根源的な動機となっている。当時、IT系の勉強会は東京に集中しており、横浜での開催は稀であった。地域での活動を模索する中で、氏はITコミュニティと地域コミュニティとの間に存在する深い溝を痛感した。

1.1. コミュニケーションの壁

横浜の地域コミュニティのイベントに参加した際、氏は「驚くほど話が通じない」という現実に直面した。

「プログラミングのネタなんか全然話できないし、たまにプログラミングできる人いるんですけれども、楽しんでプログラミングしてないっていうか、事務的な処理のためにツールとして使っている以上のことは一切やってない。新しいライブラリがどうのねとかそんな話は一切してない。全然違う文化圏を持ってるなっていう感じだったんです。」

この経験は、単なる興味の相違ではなく、根本的な「文化圏」の違いとして認識されている。

1.2. デジタルリテラシーの格差

断絶は、専門的な会話だけでなく、日常的なコンピュータ操作のレベルにまで及ぶ。

  • 基本操作: 地域のPCに詳しいとされる人物でさえ、高見氏のコピー&ペースト操作を見て「今何やったの!?」と驚いたエピソードが紹介されている。
  • 使用ツール: ITコミュニティでSlackやDiscordが普及し始めた時期でも、地域では「LINEがせいぜい」という状況であり、効率的なツールの導入が困難であった。
  • 疎外感の醸成: このような環境では、プログラマーの知識やスキルが特異なものとして扱われ、「そんなことでつまずくのあんただけでしょ」といった反応を受け、結果的に「自分が異端者みたいな、そんな感じになっちゃう」と述べている。

1.3. 「プログラマがいていい社会じゃない」という結論

これらの経験から、氏は地域社会の現状を「プログラマがいていい社会じゃないよね」と結論付けている。これは、プログラマーが自身のスキルや知識を活かせないだけでなく、その存在自体が理解されず、受け入れられない文化的土壌があることを示唆している。この問題意識は、横浜だけでなく、現在の活動地である普代村でも共通している。

2. 「プログラマがいていい社会」の創造に向けた活動

疎外感の克服と、プログラマーが地域社会で受け入れられる空間の創造が、高見氏の活動の核心的目標である。

「自分の目的って基本的にプログラマーにいていいよって思ってくれる社会を作ることだと思っています。ここにいていいよ、ここにいても存在を否定されないよ、会話が受け入れられるよ、そんな社会空間を作ること。」

2.1. NPO法人「まちづくりエージェントSIDE BEACH CITY.」の設立と課題

2017年、同じ問題意識を持つ仲間と共にNPO法人「まちづくりエージェントSIDE BEACH CITY.」を設立。しかし、その運営形態には当初から懸念があった。

  • 収益性への懸念: 設立当初、氏はNPOという形態に「何よりお金にならないから」という理由で反対していた。IT勉強会で囁かれていた「コミュニティ貧乏」(機材購入などで主催者が貧しくなる現象)が念頭にあった。
  • NPOの構造的問題: 株式会社が利益を「上げなくちゃいけない」のに対し、NPOは「上げてもいい」に留まる。この差が、収益化へのインセンティブを弱め、結果として「あんまりお金にならないことばっかりやってはいる」状況に繋がっている。
  • 現状: 団体は最低限の運転資金を稼ぐレベルにはなったものの、高見氏自身は「いまだに自分SIDE BEACH CITY.から一銭もお金もらってない」と述べており、活動の持続性に対する課題が浮き彫りになっている。

2.2. 岩手県普代村での実践

横浜での経験と課題意識を抱えたまま、現在は職業プログラマーが一人もいない岩手県普代村で活動している。

  • 活動内容:
    • 村役場におけるIT利活用、AI活用、非効率システムの是正に関する助言・実務。
    • 地域移住計画などへの外部視点からのコメント提供。
    • 地域コミュニティスペースの支援。
  • 地域の必要性: プログラマーという職業は存在しないが、行政機関の運営や他自治体との連携において、IT活用やプログラミングが必要となる場面は存在する。技術者の不在が、非効率な業務プロセスを温存する一因となっている。
  • 次世代への視点: 活動の重要な目的の一つは、未来への「きっかけ」作りである。
  • 活動の展望: 普代村での活動期間を約3年と見込んでおり、その間に文化圏を形成するのは「多分無理」と現実的に捉えつつも、プログラマーの存在が認められる社会への「きっかけだけは、自分がいる間残していかなきゃいけない」と語っている。

3. 関連する思想と考察

高見氏の活動の背景には、他者や異文化とどう向き合うかという哲学的な考察が存在する。

3.1. 「ジブンゴト」という言葉への違和感

近年よく使われる「ジブンゴト」という言葉に対し、氏は批判的な見解を示している。

  • 他者理解の限界: 「他人の出来事を自分のことのように考えるっていうのは無理がある」と断言。人は他人にはなれず、できるのは想像することまでであると指摘する。
  • 「ジブンゴト」化の危険性: 自分の想像の範囲内で物事を理解したつもりになると、その範囲外の事象に直面した際に、無神経な言動で相手を傷つけてしまうリスクがある。

3.2. 「無知の知」の重要性

「ジブンゴト」に代わるべき姿勢として、「無知の知」の重要性を強調している。

「それよりも自分の知らないことは常に存在するっていうふうに思うこと、常にその知らないことに気を払うことっていうのが大事なのかなっていうふうに思っています。」

自分の知らない領域の存在を常に意識し、一歩引いて物事を考えることで、予期せぬ事態にも配慮深く対応できると主張。これは、IT技術者が文化の異なる地域コミュニティに関わる際の心構えとして極めて重要である。

4. 外部コミュニティとの連携:高専カンファレンス

地域活動と並行して、より広い技術コミュニティにも目を向けている。特に「高専カンファレンス」に注目している。

項目特徴
参加資格高専関係者が主軸だが、基本的に誰でも自由に参加可能。
運営主体卒業生中心から在校生へと運営が移管されており、活動の若返りに成功している稀有な例。
参加ハードルIT・技術系の内容が多いものの、本職の専門家が集うイベントに比べれば参加しやすい。
対象者高専に興味を持つ中学生など、より若い層にも開かれている。

このようなコミュニティは、専門家と一般、あるいは次世代との橋渡し役として機能する可能性を秘めており、氏の目指す「プログラマがいていい社会」作りのヒントとなり得る。

5. 現状の課題:活動における個人的負担

普代村での活動は、理念の追求と同時に、多忙な日常という現実も伴っている。

  • 時間的制約: 仕事後の雑務(ポッドキャスト収録、活動整理)、家事、買い物に加え、休日も資料整理やコミュニティ活動で時間が埋まり、「普代村にいる間って結構時間がない」状態である。
  • 作業量の問題: AIなどを活用しつつも手作業が多く、作業量の圧縮が大きな課題となっている。
  • 影響: この多忙さが、横浜で本来やるべきであった部屋の片付けやコミュニティ視察などのタスクを停滞させる原因にもなっている。

この現状は、地域で活動する個人が抱えがちな負担の大きさを示しており、「コミュニティ貧乏」の問題とも通底している。

サマリー

今回のエピソードでは、高見知英さんの体験を通じて、地方コミュニティにおけるプログラマーの孤独や居場所の哲学が探求されます。特に、異なる文化的背景におけるプログラミングの価値観や理解の違いが考察され、相互理解に向けた姿勢の重要性が強調されます。地方プログラマーの活動は、地域社会におけるプログラミング教育や未来への影響について深い考察を提供しており、特にNPO法人SIDE BEACH CITY.の形成やコミュニティ貧乏の概念を通じて次世代に向けたプログラミングの重要性が強調されています。

高見知英のプログラマーとしての葛藤
スピーカー 1
どうも、こんにちは。あなたがシェアしてくれた高見知英さんという一人のプログラマーの音声日記、今日はこれをじっくりと深掘りしていきましょう。
今回のミッションはですね、この数日間の記録から日本の地方コミュニティとテクノロジーの世界に間に横たわる、すごく興味深い文化の断絶を浮かび上がらせることなんです。
専門スキルを持った人が全く違うカルチャーの中で自分の居場所を探そうとすると、一体何が起きるのか、彼のリアルな葛藤を一緒に体験していくことにしましょうか。
スピーカー 2
そうですね。これは単に都会のプログラマーが田舎に行ってみたみたいな、そういう単純な話じゃないんですよね。
もっと価値観が全く違う人たちが、どうすればお互いを理解して一緒にやっていけるのかっていう、僕たち自身にも関わる、結構普遍的な問いにつながっていく話だと思います。
彼の個人的な経験からそのヒントが見えてくるはずです。
スピーカー 1
では、早速話の始まりから見ていきましょうか。
高見孫が地域での活動に関心を持ち始めたのが、2015年か16年頃でしたっけ。
もともと彼は東京のITコミュニティにどっぷり使っていたそうですね。
新しいプログラミング言語の勉強会とか、最新ガジェットの話で夜通し盛り上がるような、そういう世界に。
スピーカー 2
ただ、彼自身は横須賀に住んでいたと。
だからイベントがあるたびに東京まで出て、勉強会が終わって終電でギリギリ帰る、みたいな生活を繰り返していたそうなんですね。
この物理的な距離が、だんだん心の距離にもなっていった。
スピーカー 1
ああ、なるほど。
スピーカー 2
そこで彼は、もっと身近な地元の横浜辺りで活動できないかなって考え始めるわけです。
スピーカー 1
なるほど。地元に目を向けたと。
でもそこで彼が直面したのが、日記の中で何度も繰り返される、話が通じないっていうかなり強烈な壁だった。
ちょっと待ってください。でも、ソースを読むと、その地域コミュニティにもプログラミングができる人はいたんですよね?
スピーカー 2
はい、いたんです。
スピーカー 1
だったら、話が通じないって一体どういうことだったんでしょう?単に専門用語が、とかそういうレベルの話じゃないってことですか?
スピーカー 2
いいところに気づかれましたね。そこがまさにこの話の確信なんです。
彼が出会った人たちは確かにプログラミングはできる。でも彼らにとってプログラミングっていうのは、あくまで会社の事務処理を効率化するための道具でしかないんですよ。
スピーカー 1
道具ですか?
スピーカー 2
ええ。高見さんのように何か新しいものを生み出すための表現だったり、知的好奇心を満たす楽しみの対象では全くなかった。
だから新しい技術の話をしても、それ仕事で使えるの?っていう反応しか返ってこない。
スピーカー 1
うわー、なるほど。それはきついですね。
スピーカー 2
ええ。
スピーカー 1
同じプログラミングという言葉を使っていても、その言葉が示しているものの価値が根本から全く違うと。
なんていうか、例えるなら絵を描くのが大好きな画家が、ペンキ屋さんに絵の具の色の話をしたら、その色、壁塗りに使えるってずっと言われ続けるような、そんな感じですかね。
スピーカー 2
まさにそんな感覚でしょうね。
彼が感じたのは技術レベルの差じゃなくて、テクノロジーに対する思想とか哲学、もっと言えば文化そのものの違いだったんです。
自分が当たり前だと思っていた価値観が全く通用しない異文化圏にたった一人で放り込まれたような、そういう孤立感。
彼の日記からはそんな戸惑いが伝わってきますよね。
スピーカー 1
そしてその強烈な違和感というか、なんでここまで話が通じないんだっていう純粋な疑問が、彼をさらに深く地域活動へと引きずり込んでいく、その原動力になったわけですね。
いやー面白いなぁ。
この横浜での違和感がいわば序章だったとすると、物語の本編は現在の岩手県普代村に移ります。
岩手県普代村の現実
スピーカー 1
ここが彼のミッションの最前線というわけですね。
日記によると、この村には職業としてのプログラマーが文字通り一人もいないと。
スピーカー 2
そうなんです。
スピーカー 1
主な産業は農業、林業、漁業。コンピューターを日常的に深く使うのは役場の人くらいだっていう。
スピーカー 2
そうなんです。そしてここで彼が日々痛感しているのが、ソース全体を貫くキーワード、プログラマーがいていい社会じゃないという感覚。
スピーカー 1
いていい社会じゃない。
スピーカー 2
これちょっと誤解されやすい言葉なんですが、誰かが意地悪でプログラマーを排除しているとかそういう話じゃないんですよね。
スピーカー 1
違うんですね。もっと根が深い問題だと。
スピーカー 2
そうじゃなくて、そもそもプログラマーという存在を理解するための共通言語がない。
彼らのスキルを受け入れて活用するための土壌がない。
そして何より拠り所となる居場所そのものが存在しない。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
なんというか、社会のOSにプログラマーという概念がインストールされてないみたいな状態なんです。
スピーカー 1
その感覚、日記の中の具体的なエピソードを読むとすごくリアルに伝わってきますよね。
僕が一番衝撃だったのは、彼がパソコンでコピー&ペーストの操作をしただけで、それを見ていた地域の人に、え?今何やったの?って本気で魔法か何かのように驚かれたっていう話です。
スピーカー 2
あれは象徴的ですよね。
僕たちにとってはもう息をするのと同じくらい当たり前の操作が、ある場所では未知のテクノロジーに見えてしまう。
スピーカー 1
いやー。
スピーカー 2
コミュニケーションツールもそうで、ITの世界ならSlackやDiscordが当たり前だけど、地域ではまあLINEが使えればいいほう、みたいな。
こういう小さなズレが気づかないうちにどんどん積み重なって、とんでもなく大きな溝になっていくんです。
スピーカー 1
そして、その溝の深さを決定的にするのが、彼が何か技術的なことで困った時の周りの反応ですよね。
日記には、「そんなことでつまずくのはあなただけでしょ。」って言われたとあります。
スピーカー 2
はい。これ、言われた側からしたらものすごいダメージですよね。
スピーカー 1
ええ。
スピーカー 2
自分の専門性が、ここではただの個人的で特殊な悩みとして片付けられてしまうわけです。
助けを求めることも、知識を共有することもできない。
これが、「自分はここにいるべきじゃない。異端者なんだ。」という強烈な疎外観に繋がっていくわけです。
スピーカー 1
うーん。
スピーカー 2
だから、彼が日記に、「ここにいてもダメなんじゃないか。」って書いたのは、単なる弱音じゃなくて、日々突きつけられる現実から来るかなり執迫な思いなんですよね。
スピーカー 1
ある世界では、社会を動かすほどの価値があるスキルが、場所が変わったとかに全く理解されないどころか、孤立の原因にさえなってしまう。
対話と理解の重要性
スピーカー 1
なんだか、僕たちが普段、いかに話が通じるっていうぬるま湯に浸かっているかを思い知らされるような話ですね。
じゃあ、一体どうすれば、こんなに深い断絶を乗り越えられるのか。
ここで高見さんの考察が面白くて、最近よく聞く、「自分事化」っていう言葉、あなたも聞いたことありますよね。
当事者意識を持って、自分のこととして考えようみたいな。
スピーカー 2
ええ、聞きますね。地域活性とか社会課題の文脈で、すごくポジティブな言葉として使われますよね。
スピーカー 1
ですよね。でも彼は、この言葉にすごく違和感があると。
スピーカー 2
はあ。
スピーカー 1
彼の主張はこうです。他人のことを完全に自分のこととして捉えるなんて、そもそも不可能だと。
なぜなら、自分はその他人にはなれないから。
むしろ、中途半端に、あなたの気持ちわかりますよ、みたいにわかったつもりになることの方が、相手を無自覚に傷つける危険すらある、っていうんです。
スピーカー 2
いや、これはすごく鋭い指摘だと思います。善意から来る自分事の押し付けが、かえって相手を追い詰めることって、現実にもよくありますからね。
スピーカー 1
本当にそう。じゃあ、自分事じゃないとしたら、どういう態度が求められるのか。
彼が代わりにヒントとして挙げているのが、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの無知の死という考え方ですね。
スピーカー 2
つまり、自分は何も知らないということを知っているということですね。
スピーカー 1
そうです。
スピーカー 2
これが他者と向き合う上での出発点になるべきだと。これは非常に重要な視点だと思います。
あなたの世界のことは私にはわかりませんと、そういう謙虚な立場から始める。
そうすることで初めて、相手に対する本当の意味でのリスペクトが生まれるし、自分の想像の範囲だけで相手を判断して傷つけるという過ちを避けられる。
スピーカー 1
なるほどな。自分事として考えようと苗のめりになるんじゃなくて、あなたのことを私はまだ知らない、だから教えてほしいと一歩引く姿勢。
それがプログラマー側にも地域の人たち側にもお互いに必要だということか。
ええ。
そこからしか本当の対話は始まらないのかもしれないですね。
スピーカー 1
まさに知らないことを認め合うことが信頼関係の第一歩になるんだと思います。
NPO法人SIDE BEACH CITY.の設立
スピーカー 1
その哲学をベースに彼の具体的なアクションについても見ていきたいんですが、2017年に仲間とNPO法人SIDE BEACH CITY.を立ち上げています。
ただソースを読むと彼最初はNPOの設立に猛反対だったそうですね。
スピーカー 2
ええ。その理由がコミュニティ貧乏になるのが目に見えていたからというもので。
スピーカー 1
コミュニティ貧乏。
スピーカー 2
この言葉すごく面白いですよね。
当時のITコミュニティでささやかれていた言葉だそうで、勉強会を開くために自腹でプロジェクターとか機材を買い揃えて、情熱はあるんだけど、やればやるほど自分のお金がなくなって貧乏になっていくっていう。
スピーカー 1
うわーリアルだ。目に浮かぶようです。
スピーカー 2
でしょ。
スピーカー 1
収益化が難しいNPOなんてまさにそのコミュニティ貧乏行きの特急列車みたいなものだと。
実際に彼は今でもこのNPOから一銭も報酬を得ていないっていうんだから、彼の予言はある意味的中してるわけですよね。
スピーカー 2
そうなんです。それでも彼はやっている。そして普代村の活動も彼自身は3年くらいの期間限定だと考えている。
スピーカー 1
この短期間で何十年もかけて形成された村の文化を根底から変えるなんて不可能だと非常に冷静に現実的に見ています。
スピーカー 2
彼の目標は何かを完成させることじゃないんです。
きっかけだけは作っておかないとっていう未来への種まきなんですよ。
スピーカー 1
その未来っていうのが具体的には次の世代、つまり子どもたちのことなんですよね。
スピーカー 2
そうです。
スピーカー 1
ここが彼の活動の一番の核になっている気がします。
今、中学校ではプログラミングが必修科目になっている。
でもせっかく学校でプログラミングを学んだ村の子どもたちがいざ村を見渡したときに自分のスキルを活かせる場所もなければ、その話がわかる大人も一人もいなかったらどう思うか。
スピーカー 2
彼の懸念はソースの中で非常に強い言葉で語られています。
スピーカー 1
こんな村絶対出て行ってやると。
スピーカー 2
子どもたちがそう思って村を出て二度と帰ってこないかもしれない。
彼はそれを何よりも恐れている。
これはもう地域の存続そのものに関わる大問題ですから。
プログラミング教育と地域の未来
スピーカー 1
だから彼は活動を続けているんですね。
自分のためじゃなくて、5年後、10年後にプログラミングに興味を持った村の中学生がたった一人でもいいから、そういえば村にプログラミングの話ができる変な大人がいたなって思い出せるように。
そのたった一つの受け皿あるいは逃げ場所を作ろうとしている。
スピーカー 2
彼が日記の中で理想として触れている高専カンファレンスというイベントの話も、その考えを裏付けていますよね。
これは高等専門学校の学生が中心のイベントですけど、大事なのはプロの専門家だけじゃなくて、それこそ中学生でも誰でも参加できる、テクノロジーへの入り口のハードルがめちゃくちゃ低い場所だということです。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
彼が普代村でやろうとしているのもまさにそれなんです。
プログラマーが異端者じゃなくて当たり前に存在して、普通に会話ができる社会、そのきっかけの種を自分がいる間に少しでも残しておきたい。
彼の活動は再三度返しの未来への投資なんですよ。
スピーカー 1
いやー、こうして見てくると、一人のプログラマーの個人的な記録から始まった話が、テクノロジーと地域社会の断絶、そして世代を超えた未来への投資っていうすごく大きなテーマにつながっていることがよくわかりますね。
自分の専門性とか情熱を全く違う文化を持つ人たちにどう伝えて、どう共有していくかっていうのは、もしかしたら僕たち誰もがどこかで直面する普遍的な挑戦なのかもしれない。
スピーカー 2
本当にそう思います。
結局、この課題は技術の問題でも教育の問題でもなくて、本質的には文化の問題なんですよね。
異なる世界観を持つ人たちが一緒に生きていくために、共通の言語とお互いの存在を認め合える心理的な居場所をどうやって意識的に作っていくか。
彼の普代村の取り組みは、そのためのすごく貴重な実践記録と言えるでしょうね。
スピーカー 1
さて最後に、これを聞いているあなたに一つだけ思考の種を投げかけて終わりたいと思います。
ソースの中で高見さんは、普代村の多忙な日々についても語っているんです。
日々の食事の準備や買い物、経費生産といった膨大で地味な雑務に追われて、本来やりたいはずの大きな目標になかなか集中できないと。
ここでふと思ったんです。
僕たちが何か新しいことに挑戦したり、誰かとの断絶を埋めようとしたりするとき、その歩みを一番恐らせているのって、大きな反対意見とか目に見える巨大な壁じゃないのかもしれない。
案外こういう日々のどうしようもなくて、誰にも評価されない雑務の果てしない積み重ねなんじゃないかって。
だとしたら社会を少しでも良くすることの本当のコストって一体何なんでしょうね。
13:33

コメント

スクロール