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【番外編】南北戦争 開戦前夜 -アメリカ史から読み解く共同体論④-(松崎さんによる報告会)
2026-08-07 1:28:39

【番外編】南北戦争 開戦前夜 -アメリカ史から読み解く共同体論④-(松崎さんによる報告会)

今週は本編はお休みして、松崎さんによる「アメリカ史から読み解く共同体論」4回目の報告会をお届けします。

この報告会は奥会津・三島町という過疎地域から、アメリカ史を共同体論の視点で読み解く試みです。ぜひ、松崎さんへのお便りもお待ちしております。


当日の資料など

アメリカ史から読み解く共同体論


以下は、音声データの文字起こしを元にしたClaudeによる要約

■ 何の報告会か(テーマ)

今回は副題に「南北戦争 開戦前夜」を掲げ、建国から80年を経た合衆国がなぜ内戦にまで至ったのかを、開戦までの論争の過程に絞って読み解く回です。前回のトクヴィルの回に続き、これまで築かれてきた共同体が決定的な破綻をきたす場面を確認します。

教科書的には南北の奴隷制対立と語られる戦争ですが、南部白人で奴隷を所有していたのは三分の一ほどで、それだけでは4年の戦争は説明できません。鍵になるのは、独立宣言の「すべての人は平等に作られ」と、奴隷を五分の三として数える憲法の規定が同居していたこと。アメリカをアメリカたらしめる原理そのものが矛盾を抱え、それが西部領土の拡大という現実に押されて表面化していきます。

ミズーリ協定は南北という境界線を政治の争点として固定し、ウィルモット条項は奴隷制を州の問題から全国の問題へ転化させました。1850年の妥協も、遡及適用される逃亡奴隷法が『アンクル・トムの小屋』とともに世論を動かして崩れ、カンザスでは住民自治の名の下で流血が起こり、ドレッド・スコット判決は司法による決着の道を断ちます。全国政党が南北に割れ、60万を超える死者を出す内戦へ――憲法は固定された何かではなく解釈の積み重ねという歴史の産物である、という視点から、共同体が抱える矛盾との向き合い方を考える回です。


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働くあなたの週末に、耳で楽しむ非日常のひとときをお届けします。毎週金曜日の18時更新、飲んだ帰りの電車の中で、ちょっとゆっくり過ごしたい土曜日の朝に、忙しい日常の合間に、耳から始まる物語を。

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サマリー

本放送では、松崎さんによる「アメリカ史から読み解く共同体論」の第4回として、「南北戦争 開戦前夜」をテーマに、アメリカ合衆国が内戦に至った経緯を解説します。建国から約80年、独立宣言の「人は皆平等に作られた」という理念と、憲法における奴隷を五分の三として数える規定という根本的な矛盾が、西部領土拡大という現実と結びつき、表面化していきました。ミズーリ協定による南北の境界線設定、ウィルモット条項による奴隷制の全国問題化、1850年の妥協とその後の逃亡奴隷法、カンザスでの流血、ドレッド・スコット判決といった一連の出来事が、共同体の決定的な破綻へと繋がっていきます。 特に、アメリカ合衆国憲法や独立宣言に内在する矛盾が、どのように社会秩序の問題と結びつき、最終的に62万人以上の死者を出す内戦へと発展したのかが詳細に語られます。単なる奴隷制対立ではなく、あるべきアメリカ社会の姿を巡る思想の違いや、領土拡大に伴うパワーバランスの変化、そして州権と連邦権の対立などが、南北戦争の根源として分析されています。この放送は、アメリカという国家の原理そのものが抱える矛盾と、それが歴史の中でどのように解釈され、変容していくのかを考察する機会となります。

はじめに:南北戦争開戦前夜のテーマと放送形式
はい、りょうたです。耳で旅する週末、耳旅。 今週と来週は仕事が繁忙期のため、本編はお休みします。
その代わり、番外編として松崎さんによるアメリカ史から読み解く共同体論の4回目と5回目を2週連続でお送りします。
松崎さんへの感想や質問も募集しておりますので、ぜひお便りコーナーから寄せください。
では、暑い夏、体調にお気をつけてお過ごしください。
はい、では今日を2026年6月27日、アメリカ史から読み解く共同体論4、南北戦争凱旋前夜ということで配信の方を行っていきたいと思います。
今日は本当に記念すべき感じの配信になりまして、実はちょっとどなたもご都合がつかなかったということで、私一人で本当のポッドキャストのように配信の方を行っております。
ちょっとそうしたことで、録音で一人でマイクの前で話し続けるという経験が初めてなんですけれども、ちょっとこれがうまくいくかどうかというか、結構やろうとすると気持ちがそがれる感じになるんですが、それをやっていきたいと思います。
で、丸3までのところで、今までアメリカ史から読み解く共同体論というものは、基本的にはアメリカという国家というか共同体が形成されていく過程の話を独立当初から、今現在に至ると19世紀の前半までのスパンのところで話してきたんですが、
今回のテーマですと、南北戦争の改戦前夜ということで、この共同体がある種決定的な破綻をきたして内戦状態に陥ってしまうというところのお話をしたいと思います。
南北戦争ってすごく当然ですけど、アメリカにとって最も大きな戦争だと言えるくらいの内容になっておりまして、この南北戦争がどうして起きたとか、その影響はだとか、その後アメリカという国家がどういう方向に進んでいったのかっていうのを考えるのはかなり難しいというか複雑になっていて、
今回は本当は南北戦争で一つ、改戦の前から改戦後の影響までお話ししようかと思っていたんですが、先行研究まとめるだけでもかなり難しくて、
今回は南北戦争に至るまでの過程にどういったことが討論されて、何が主な原因となって改戦に至ったのかっていう部分を話していきたいと思います。
現代映画に見る「アメリカ人」の多様性と南北戦争
南北戦争のことで言うと、結構興味を持ったことの一つとして、2024年にアレックス・ガーランドがシビル・ウォー、アメリカ最後の日かなっていうのを映画として作って放映されていて、
この映画は架空のアメリカというか、架空の歴史の中での現代的な南北戦争を扱ったということで、フィクションではあるんですけれども、ある部分では非常にリアリティがあるし、非常にその現代的なアメリカの諸問題を踏まえていたりする作品でもあると。
この作品で特に中盤より少し過ぎたあたりのところで、主人公たちがある種の知的な見聞というか、ちょっとそういうところの武装兵に捕まってしまって、
そこでどうやってそこの場面を切り抜けたらいいかっていうところが、かなりこの映画の中でもハイライトというか、すごく面白いシーンに仕上がっているんですけれども、
その中で、この映画の中ではカルフォルニアの方から独立していって、そして東海岸の方に、南北というよりは西と東になるのかな、に分かれてしまって、
西側の方から徐々にその東側の方に先端が進んでいくっていうような話の内容になっているんですけれども、その中で主人公たちが憲兵というか、武装兵のところをどうやって通り過ぎるかっていうところで、
ある種説得にかかるシーンのところで、主人公たちがWe are Americansって言うんですね。我々はアメリカ人だっていう。つまり、相手に対して我々は一つの共同体の同じメンバーの一員なんだっていうことで、We are Americansって何回も伝えていくんですけれども、
でも、その武装兵の方が聞くのが、それは分かっていると。だから、What kind ofAmerican are you?みたいな形で、アメリカ人とどんな種類のアメリカ人だっていうことを主人公たちに問いかけていくという。つまり、常にアメリカ人というだけでは、この共同体のメンバー構成というかメンバーシップっていうのは図られていなくて、
そこからさらに細分化されて、しかも、どこの出身だっていうような意味合いで、そのところを通れるか通れないかが決まっていってしまうようなシーンがあります。
例えば、フロリダだったら大丈夫だとか、ミズリだったら大丈夫だとか、でも外国の方の出身だったら当然ダメで、そのまま射殺されてしまうとか、そういったことがあって。
常にこれは南北戦争の、本当に史実としての南北戦争のある一面を表しているようなシーンだと思うんですよね。
つまり南北戦争というものが、もうすでに一つのアメリカとか、アメリカ国民、アメリカ人という形の国では、もはや止められないような類の戦争になっていってて、
むしろ、たぶんそういうふうな、一つのアメリカとしての意識っていうものがなかったところに、この南北戦争というものの原因の一端が求められていくっていうところになると思うんです。
これって、例えばその前に扱ったアレックス鉄道特ビルが、非常にアメリカ社会は基本的に州県制、州の元にあって、さらに州の元にはシティ、タウンシップみたいなものがあってっていうことで、非常に実は細分化されていった社会であるし、
人々は大きなアメリカっていう国民国家意識があるんではなくて、もしくは連邦のユニオンとしての意識があるっていうわけではなくて、ここのそれぞれの所属する地域のところに自分自身のアイデンティティを持っていて、
そこからどうやって逆に連邦意識とかを作っていくのかっていうのが、特ビルの前の方で扱ったフェデラリストであったりリパブリカンである人たちの問いでもあったわけですね。
だからそういったところで、このある種のアメリカを一つの連邦としてユニオンとしてまとめていきたかったけれども、それがやはりうまくいかなくて破綻してしまったところに、この南北戦争の一つの問題が現れているというところですね。
アメリカを定める原理:独立宣言と合衆国憲法
ただ、ここでちょっと難しいというか問題になるのが、じゃあそもそも一つのアメリカとしてこうやっていく上で、連邦政府を作っていってある種中央集権でやっていくような不登校っていったものの根拠というか、その由来は何に求められるかっていったときに、
それがかなりアメリカの合衆国憲法とか、あるいは独立宣言とか、そういったものの中にアメリカたるものの根拠っていうのが、この時代、南北戦争、海戦前にあっても求められていくっていうところが非常にこの歴史の面白さだなというふうに思ってるんですね。
つまり、アメリカというところがイギリスから独立していって、そこから100年にはならないかなんですけども、ある程度長い時間、何十年間経って、そこで南北戦争みたいなものが勃発してしまうっていうことは、
アメリカが一つの国としてまとまろうとしていったその機構、つまりアメリカをアメリカたらしめてるその原理的なものの部分が、実はもともとかなり論争を呼ぶものだったっていうことは、前々回の会議とかでも合衆国憲法とかの成り立ちのところでもお話しさせていただいたんですけども、
その諸矛盾がある原理のところで、その原理通りにやろうとすると、かえってその秩序というものが壊されていくっていうのもありますし、ただ逆に、じゃあそのアメリカたるものから逸脱してしまって、全く憲法とは関係ないような国家のあり方が求められるかって言ったら、やはりそうでもないっていう、
この原理的にアメリカをアメリカたらしめているものと、しかし現実的に起きてきている諸問題、しかもその当時に起きていた社会情勢の影響っていったものの、ある種の対立の中で、南北戦争的なものが生まれていったっていうふうに言えると思います。
これは非常に歴史学としては、僕は意味のあることだと思っていて、つまり、歴史の経過の中で自分たちが作っていった原理が、その中で、それがある種の歴史でもあるわけですよね。
自分たちの歴史というものを置いた時に、自分たちをたらしめるようなある種の原理的なものを時間的に育んできているわけなんですけれども、その育んできたものが、かえって自分その次の世代とかに対して混乱をもたらすっていうこともありますし、
あるいは、もともとこの問題というものがある中で、それに対しての先送りというか、ある問題がすでに発生していることは認識しているにもかかわらず、でもその問題への適切な対応をすべて先送りにしてしまってきたような、そういう歴史的な経過もあり得ると思うんです。
そうしたものが、やはりある種の段階で、他の要因や影響とも結びついた上で、何かしらの歴史的な局面を迎えていくということが、この南北戦争に現れているなというふうな印象があります。
今回は、参考研究としては、初回の方でも挙げた、まず木戸義行さんの南北戦争の時代、19世紀シリーズアメリカ合衆国史という岩波新書のものと、あとちょっと古いんですけれども、南北戦争を中心に扱った山口久志さんの南北戦争研究、経文社1985年のものです。
基本的には、山口さんの参考研究を中心にお話ししていきたいと思います。
独立宣言と合衆国憲法の矛盾:平等と奴隷制
一応、自分で作った資料通りに進めていくんですけれども、まず初めにアメリカを定めるものということで、アメリカの先ほど触れた原理的な部分、アメリカをたらしめている原理的なものが、これまでの時代にどういうふうに培われてきたのかといったものを簡単に紹介しています。
まず何よりもアメリカ独立宣言、1776年の中の一部なんですけれども、我々は自明の真理として、すべての人は平等に作られ、増物種によって一定の奪いがたい天部の諸権利が付与され、その中に生命、自由、及び幸福の追求の含まれることを信ずる。
また、これらの権利を確保するために、人類の間に政府が組織されること、そしてその正当な権力は否知者の同意に由来するものであることを信ずる、という部分があります。
やはりここの宣言の中で、画期的というか、アメリカという新国家が重要であるというところは、すべての人は平等に作られ、という部分だと思います。
いわゆる人権宣言に近いものになっているんですけれども、もともとイギリスからの独立ということで、イギリスには国王がいたり貴族がいたり庶民がいたりして、当然身分差というものがあったというところの中で、それを打破するある種の思想として、このアメリカ独立宣言の中にはすべての人は平等に作られ、ということで描かれているんですね。
ただし、ただしですが、やはりその後のところで、当然の一つの問いとして、アメリカの独立宣言でそういうふうに言われているにもかかわらず、当然国人奴隷が存在したりして、全然人種的な平等であったり、社会的平等が実現されていないし、それを実現しようともしていないんじゃないか、という批判があると思うんですね。
そこの批判は、追いと一つして、次に合衆国憲法のところで、アメリカ合衆国憲法の全文、1787年。
我々合衆国の人民は、より完全なユニオンを形成し、ユニオンは連邦ですね。
正義を樹立し、国内の正温を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、我々と我々の子孫の上に自由の祝福の続くことを確保する目的をもって、アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定する。
ここで、自分の中でハイライトというか、重要な文だと見たのが、我々合衆国の人民は、より完全なユニオンを形成し、というところですね。
もちろん、この合衆国憲法が制定される前の段階で、大陸会議とかによって、合衆国といったものの、独立宣言も踏まえてですけれども、ユニオンという言葉は出てくるんですけれども、
たぶん重要なのが、より完全な、という部分の形容詞になっていて、つまりこのユニオンといったものは、じゃあ実際どの段階で形成されたのか、というところなんですね。
つまり、合衆国憲法では、より完全なユニオンを形成し、というふうに歌われているということは、合衆国憲法が制定される前にもユニオンはあっただろう、というふうな言い方ができると思うんです。
これはこの憲法自体のある種の曖昧さというのもありますけれども、この解釈によって、実は南北戦争というものが大きく、この南北戦争に対する捉え方といったものも変わっていくというところが出てくるんですね。
それはその後のアメリカの、あるいは南北戦争の戦時中もそうなんですけれども、この戦争の目的をどういうふうに位置づけるかといったことと、この戦争を経た上でどういう国家を作るのかというところで、非常に問題となってくるような文章のところでもあるし、
後にやはりリンカーンを含む北側の方が、このロジックを駆使してその後の統一国家の建設を目指していくというようなところでもあるので、これもまた重要なところの文章になっています。
で、次に合衆国憲法第一条第二節第三項のところで、会員議員及び直接勢は、連邦に加入する各種の人口に比例して各種の間に配分される。
これは非常に後に修正が入る合衆国憲法の内容になって、ある種の悪名高いところでもある、いわゆる5分の3規定と呼ばれるものになっています。
で、ここで今、自由人が自由人以外かというような文章が出てくるんですけども、これはつまり黒人奴隷という言葉は使っていないんですけれども、それが実質的には自由人以外というものはそれを指すということの原因なんですね。
で、その人たちは黒人奴隷のような存在は人数を1人とは数えずに、人数を5分の3として数えるというところになります。
で、しかもこの影響として、結局その直接勢であったり会員議員の選挙に関わってくるところで、各種の人口に比例してというようなところで各種の間に配分されるっていう。
だからこの黒人奴隷の存在も当然その人口には5分の3というような条件はつくんですけれども、数えられているんですね。
で、そうなってくると、数えられてはいるんですけれども、黒人奴隷のような存在が選挙に赴くということはほぼできない、というか基本できないことなので、
その投票権と言いますか、人数としての5分の3のものを誰がその権利を行使するのかって言ったら、当然その奴隷主の人になっていくと。
だから奴隷主っていうのは、自分としての個人としての一票だけではなくて、そこに自分が持っている黒人奴隷の所有の数に応じた投票数であったり権利を持っているっていうところになるんですね。
これは先ほどのアメリカ独立宣言のすべての人は平等に作られのところと完全に相反するところになっています。
で、こうしてみたときに、さっきちょっと歴史的なものが作られていく過程の中で、新しい原理的なものが生まれるっていうところもありますし、
逆にこれまでの問題を先送りにしてしまって、かえって強化してしまっているような部分もあるっていうような話をしたんですけれども、
そういったものでアメリカを非常にたらしめている独立宣言の内容であるとか、あるいは合衆国憲法といったものの内容が非常に矛盾する部分を持っているっていうところがあるんですね。
でも当然その共同体として、完全な共同体というものがとりあえず存在しない上、共同体の何かにいくつもの矛盾があるっていうことは当然あり得ることだとは思うんですね。
ただ、その中でその矛盾にどういうふうに立ち向かえばいいのかっていったものが、共同体を維持していくための大きな課題であるともいえますし、
その矛盾をどういうふうに解決するかということにあたって、解決できなかった場合のリスクっていったものがどういうふうになってくるのかっていったことも、
この南北戦争の問題をめぐる条件の中では入ってくるのかなというふうに思います。
そのリスクが最終的には内戦ということで、暴力によって、特に無数の死者を生み出したものとして出てくるというところなんですね。
南北戦争の根源と憲法制度
そういった意味で、これは先行研究でありた山口さんのところからの引用にもなってくるんですけども、
南北戦争のそういった意味での根源というか、この南北戦争というのは切り口があって、いろんな研究テーマもあり得ると思うんですけども、
その中で山口さんが言っているのが、この闘争が最終的にとった様態そのものが合衆国の既存の憲法制度によって定められ、
そして、あの合衆国憲法そのものが南北戦争のみならず、再建の方法まで決定したというような回答が書かれてあるんですね。
だから、この実は南北戦争というと、戦争の歴史というか、ある種の紛争の歴史として捉えられるかもしれないんですけども、
それと同時に非常にこの憲法的な問題、アメリカの合衆国の憲法史のところにも深く結びついている、憲法論争の問題にも結びついているところでもありますし、
しかもその憲法といったものが、アメリカをもともとアメリカたらしめているものというようなアメリカの原理的なものとして存在するというところの中では、
よりアメリカの社会秩序の問題であったり、共同体としてのその原理的なものといったものも問題としては含まれていくようなものになっていくということだと思います。
なのでこの南北戦争において争われたのは、アメリカがそれまでに築いてきたユニオン、連邦制であったり共同体のあり方であり、
アメリカをアメリカたらしめる諸原理の矛盾と衝突だったということで、今回この南北戦争の話をしていきたいと思っております。
だから単にそのアメリカのその戦争、一つの戦争の歴史ということではなくて、これまでアメリカという国が築いてきた、この連邦制のところが築いてきた共同体の大きな問題が発生したことの、
その一つの現れとしての南北戦争というところで、その大きな問題といったものがどういったことだったのかといったことを話していきたいと思います。
南北戦争の規模と教科書的な理解の限界
で、その南北戦争というものが1861年から1865年の4年間にわたって行われていた内戦になっていくっていう、これは非常に長い戦いですよね、本当に。
紛争地もめちゃめちゃあるんですよね。
で、この中で南北戦争が結果的には死者を約62万人ほど出したというふうに言われています。
これちょっと検証研究によって数の大小が現れてくるところではあるんですけども、これは当時の人口の約5%にあたる死者数になっていて、それだけでもどれだけ莫大なものであったのかっていうのがわかるかと思います。
ちなみにアメリカはちょっと現代の戦争のところを踏まえてないんであれなんですけど、今まで起きたアメリカが関わった戦争の中で最も死者数が高いのは南北戦争ですね。
というのは第一次世界大戦の死者数は約11万人ですし、第二次世界大戦の死者数は約32万人。
しかもこの時とはそれぞれに元々の合衆国の人口の規模が違うので、62万人っていう意味合い、人口の約5%っていうものは本当にこの一次大戦とか二次大戦を遥かに凌ぐような規模の死者数であったっていうふうに言えると思います。
例えば確か日本の歴史で言うと、日本の第二次世界大戦の時の同戦死者数って確か350万人くらいなんですね。
当時だいたい1億人くらいの人口がいたとしたら、本当にこの南北戦争で人口の約5%となった場合には500万人くらいの死者が出たっていうことになってしまうので、
そういった意味でも日本の第二次世界大戦のやつよりもやはりこの大きい意味合いでの死者の割合でこの南北戦争っていったものが勃発してしまったっていうことだと思います。
ただし南北戦争というと多分一般的な歴史の教科書で言うと南北の対立があって、それは奴隷にまつわる対立で、北部の林間が奴隷解放宣言を出して最終的にその北部が優先に戦って北部の方の勝利で戦争が終わったというような一般的な歴史の中身になってくるんですけども、
もちろんこれも教科書的な意味合いで間違いではないっていうところにはなるんですが、ただやっぱこれだけでは答えられない問題がたくさんあります。
それの一つとして南北戦争の一つ争われた問題としてその奴隷制の問題があるっていうのは確かなんですけれども、
けれども当時の南部の白人人口って奴隷を持っているのって3分の1程度だったんですね。
なので実は奴隷を持っている人の方が少なかったっていうところなんです。
だから残りの3分の2の人たちは奴隷を所有してない人たちであったにもかかわらず、この3分の2の人たちも4年もの間この南北戦争の起戦に参加していったっていう、これも一つの問いとして出てくると思うんです。
これは単に奴隷だけが問題であればこの人たちは別に参戦しなくてもよかったはずなんですけれども、でも実際には参戦しているっていうところで、こうなってくると奴隷だけでは収まらない問題の規模というふうに言えるかと思います。
そうなってくると奴隷だけではなくて、テリトリーにおける社会秩序の問題と貢献性の対立っていう、つまりこの人たちがやはり参加していったことの中に、奴隷制も通じてなんですけれども、
よりやはりアメリカ社会、あるべきアメリカ社会っていうのはどういったものなのかっていうことへの思想への非常に大きな相違が、北と南の方でもあったっていうところなんですね。
そうなってくると、やはり憲法の問題とも絡んでくるし、あるいはその憲法に定められた内容における社会秩序の問題、それは奴隷制というものも踏まえてなんですが、そういったものの対立要素があったからこそ、この南北戦争が始まっていったんだっていうふうに言いたいと思います。
なので、単に奴隷だけの問題ではないっていう、そういうところですね。
その部分を説明していきたいと思います。
領土拡大と南北の対立:マニフェスト・デスティニー
次2番のところになるんですが、拡大する領土と南北の対立っていうところで、アメリカが当時19世紀の前半の時に非常に西部開拓が進んでいって、
その西部開拓の歴史っていうのは、当時で言うところのマニフェストデスティニー、政治家が言うマニフェストのデスティニー、だから運命っていうことで、
だいたい訳されると明白なる天命とか、そういう言い方をされるんですけれども、
これはつまりアメリカという合衆国が、もともと東海岸の方から独立して徐々に領土を拡大していったっていうところがあるんですけれども、
その中でこの西部の開拓して領土を取得していく過程っていったものが、それがこの明白なる天命というようなことで、当然のことなんだという発想ですね。
これは神にあたらえられた使命であるので、それは当然やっていくっていうようなことで、正当化されていくんですけれども、
ただこれ自体は当然考えなくちゃいけないところがあって、当時のアメリカ合衆国の西部開拓していくところには他国の領土であったわけですし、
メキシコの領土であったり、あるいはフランスの領土であったりするわけです。
さらに言えば、そもそもの原住民であるネイティブアメリカンの人たち、インディアンと呼ばれる人たちですね。
さっきちょっと合衆国憲法のところで、納税義務のないインディアンには、結局賛成権というか税のところも関係ないっていうようなところであったんですけれども、
つまり市民としては捉えられてなかった人たちが住んでいて、その人たちをどんどん征服していったからこそ西部開拓が行われていたっていう部分があるので、
非常にその天命というにはあまりに強権的というか、さまざまな暴力的な行為であったというふうには言えるところなんですけれども、
ミズーリ協定:奴隷制境界線の設定
そうした中で一応その西部開拓がどんどん始まっていく中で、ただ問題がやはり出てきてしまう。
つまり領土を拡大するっていうのは、単純に言うとそれだけで土地が増えていったんだなとか人口増えていったんだなっていうところになるかもしれないんですけれども、
ただ問題がやはりその奴隷制の問題とか変わってくるところで、つまり新しく獲得した領土って奴隷制にするの?
それとも奴隷を禁止するような州にするの?っていうところの大きな問題があるんですね。
さっき言った通り、アメリカ合衆国の全体の中でも奴隷を持っている人たちっていうのは基本的に少ないわけですよ。
その中でなんでその人たちのために他の州が奴隷制を許容するようなことをしなくてはいけないのかっていうような反論もあると思いますし、
あとは奴隷をもしそうやって採用して増やしていって労働力として当てがあったときに、
例えばですけど貧しいような白人たちも当然たくさんいたんです。
その貧しい白人たちからすると自分の労働力が黒人奴隷に取られてしまうというところにもなってくるので、
自分の雇用の問題とかと密接に結びつくような話にもなってくるので、
そういった意味でもこの新しく獲得した州にどういう労働力が当てがわれるのか、
それは奴隷という存在を使うのか、それとも自由白人のような存在たちが貧しいながらもそこで自由に働けるのかっていったこと自体が、
非常にこのアメリカという国家そのものへの大きな問題として残られるような形になっています。
そうした問題が表面化していくのがどんどん19世紀の前半になっていくんですけれども、
その中で結局妥協というかいろんな政治的な争いができて、
その論争の中での一つの妥協案というものが1820年の水売協定と呼ばれるもので、
つまりこのところの内容が北緯36度30分以北で永久に奴隷制を禁止すると国会が定めることを立法したというところなんですね。
だいたいそうするとつまりアメリカの真ん中ではないんですけれども、
ちょっと真ん中より下くらいのところで一つのこの北緯36度30分線という人工的な線引きをして、
それより北は自由州であるし、それより南の方は奴隷制が許可されるようなところであるというようなところで、
こういうある種の均衡を保とうとした妥協であるというふうに言えると思います。
この水売協定の影響というのはすごく大きくて、逆に言うとこの奴隷制の問題を踏まえたときにどういう妥協があり得るかといったところが、
この地理的に人工的に北と南で分割して、それでこの中で奴隷制を許容することを許容しない地理に分けるというところなんですね。
これは非常にわかりやすい制度になっていると思うんです。
つまり、ここからこっちは奴隷制、ここからこっちは非奴隷制にするっていうのはわかりやすいんですけれども、
ただし、これ自体が持っているところは、例えば各州に応じてそれぞれの州が奴隷制を採用するか、それとも奴隷制を禁止するかを選ぶっていうことになってくれば、
別に南北とかの地理的なものは関係なくてもよかったはずなんですね。
でもこの水売協定によって地理的な区分が生まれたっていうことで、
言ってしまえばここで初めてこの南北っていう南と北という概念が実際の法律の制度として区分されていったっていう、
目に見える形で区分されていったっていうところが大きな問題になると思います。
で、こうしたところが最終的には南北戦争の名前通りに南と北に分かれてしまうっていうような、そういう発想を人々にもたらしたわけですし、
実際その発想によってこの対立構造が生まれていくっていうところでもある。
ただしこの水売協定っていったもの自体は貢献なんですね。
当然、合衆国憲法的に大丈夫であるからこそ立法されているというところで、
この時に大丈夫だとみなした根拠っていうのが、合衆国憲法第4条第三節第2項の連邦議会は、
合衆国に直属する領地またはその他の財産を処分し、これに関し必要なすべての規定及び規則を制定する権限を有するというところになります。
つまりここに合衆国の領地っていうところ、新しく獲得する土地も含まれてなんですけども、
これに関し必要なすべての規定や規則といったものを連邦議会が定めることができるということで、
これの一つの定めることの一端として水売協定というものが生まれたということで、
これは憲法的には合憲であるということなんです。
だからアメリカの原理からすると、合衆国憲法という原理からすると正しい内容になっている。
ただそれに対して第三代大統領のトマス・ジェファーソンは、
この時にはすでに大統領からは外れておりますし、政治家としてもほぼ引退していたということになるんですけれども、
言っているのが、私は恐れている。地平線の彼方にやがて竜巻のように暴れ回るであろう失策に誰も気づいていないことを。
我が連邦国家を二つに引き裂く境界線がつい最近明確になってしまった。
これは決して両者の溝を埋めることはないであろうことを、私は恐れている。
トマス・ジェファーソンは第二回のところでも扱った政治家でもあるんですけれども、
ジェファーソンが恐れている内容といったことは非常にまとえているというか、
この一つの対立の原因としての境界線が明確になってしまったというところが、この水売り協定には挙げられていた。
だからこれは、ある種妥協の産物でもあるし、政治的な妥協の産物で、かつが主国憲法にも違反してない内容であるんですが、
しかしこれは社会秩序の問題になってしまうと、やはり最終的には大きな問題を引き起こしかねない。
実際にずっとこの英語、この問題といったものは度々参照され、社会問題として取り上げられていく内容になっていくんですね。
領土拡大の加速:テキサス、オレゴン、カリフォルニア
先ほど言ったテリトリーの拡大というところで、次のところなんですけれども、
アメリカ合衆国が1840年代から50年代にかけて、ほぼ10年で国土が2倍になるくらい、ものすごくいろんな土地を併合したり購入したりしていくというところなんですね。
具体的に挙げますと、1845年、テキサス共和国併合。
これもちょっと疑惑があるみたいな中身になっていて、もともとテキサスのところがあったところっていうのはメキシコの領土であって、
メキシコが基本的に管理する場所ではあったんですけども、
ここに行ってしまえば、勝手にアメリカの移民たちが流入していって、それでテキサス共和国といったものを自分たちで作るみたいな形になってしまったんですね。
それ自体がかなりどうなんだっていうところはあるんですけど、他の国に勝手にもう一つの国を作ってるみたいなところになるので。
ただし、このテキサス共和国っていったものが最終的にはアメリカとメキシコとの戦争の結果によって、
テキサス共和国自体が今度合衆国の方に正式に州として入ってくるっていうようなことになっていて、
テキサスの土地っていったものをアメリカ合衆国の都市として手に入れるっていうことになります。
あと1846年オレゴン併合。オレゴンっていうのはアメリカ合衆国の北西部の北の方のところにあたる場所になるんですけれども、これを併合すると。
さらに1848年にカルフォルニアを先ほども申し上げたアメリカメキシコ戦争、いわゆる米国戦争の集結によってカルフォルニアを併合し、
さらに1853年から55年にかけてのガズデン購入ということで、メキシコから境界を定めるためっていう目的もあったんですけれども、
アリゾナとかを入手して10年で国土の面積がほぼ2倍になったというところですね。
これってものすごいことだと思うんです。つまり元々この合衆国の土地っていったものが半分だったものが急に2倍になっていったと。
この2倍の土地にどんどん新しい人が入っていくっていうことになりますので、やはりこの中でこれらの新しいテリトリーの獲得した領地が自由州となるか奴隷州となるかっていうことが
北部と南部のパワーバランスに大きな影響を与えるというところになる。
しかもこれって単純な水売り協定というだけだと実はちょっとうまくいかないところもあって、
獲得した土地ってどちらかというと北部側なんですよね。この水売り協定よりは北側の土地が多かったので、
これをすべて北側が手に入れるとなると、実際この南北の中でのパワーバランスっていうのも大きく北に偏ってくるっていうのもありますし、
南側としてもなかなか奴隷を伴っていけないような場所がどんどん増えていくっていうことは、
相対的に自分たちのパワーバランスが弱まっていくっていうことでもある。
ただしこの南北というところにある目線というか視野に入れた状態でのパワーバランスっていうことを考えると、
もともとアメリカ合衆国は少なくても18世紀の間のところはずっと南側に力が偏っていたところでの成り立っていった国家でもあるっていうふうに言えるところがあって、
まず北部の一つの見解として、奴隷主権力っていうか奴隷権力みたいなことをスレイブパワーみたいな形で研究所を呼ぶらしいんですけども、
奴隷制は不快だと。そのゆえはそれが奴隷に苦痛を与えるからではなくて奴隷主に権力を与えるからであるっていうところの言い分があったりするんですね。
それは先ほど言った憲法でも記されている5分の3規定のところで、
つまり奴隷主は自分の一票以外の奴隷の数だけたくさんの権力を持つっていうことになるので、
その結果、選挙で笑われた会員であったり、あるいは連邦の議会そのものだったりが非常にこの奴隷主の力によって大きく栽培されているっていうような、そういう視点があったということなんですね。
これがつまり一つのスレイブパワーの厳選になっているっていうところになっています。
実際に歴代の大統領のところを見てくると、バージニアが特に大きいところで、ちょっとさっき触れたトーマス・ジェファーソンもバージニアの出身なんですけれども、
これが歴代の大統領で、とにかくバージニア出身者が多いっていうところで、
バージニアというところは基本的に南部に属するような場所になっているので、
そうしたバージニアから大統領を排出し続けたことが揶揄されて、バージニア王朝なんて呼ばれ方もするんですけれども、
つまりこれは、もともと王朝というか王政みたいなものを否定して、イギリスから独立したアメリカであるはずなのに、
実際はその同じところからずっと歴代大統領が選ばれ続けているっていう王朝になっちゃってるんじゃないかっていうことのひとつの皮肉ですね。
ただし、その体制が1801年から1825年まで続いていたということで、
大統領で言えば初代ワシントンもバージニア、第三代のトーマス・ジェファーソンもバージニア、
第4代のマディソンもバージニア、第5代のモンローもバージニア、
全てバージニア出身者によって歴代大統領が埋められていったというところになると。
こうすると、少なくても1825年代、1030年くらいまではずっとこのバージニアを中心として南部側に大きな権力が持っていたというふうに思われるんですけれども、
市場革命と北部優位への変化
ただし、ここで変わっていくのがその当時の歴史状況になっていって、
19世紀前半に市場革命、産業革命ではなくて市場革命と呼ばれる、産業革命よりも視野が広いような革命と呼ばれるくらいのある種の経済成長とかを迎えていく時期にアメリカ合衆国が当たります。
それは舗装道路であったり運河の公路であったり、あるいは鉄道の交通網が発達し、国内市場が拡大していくと。
さらに北部だと工場といったものが出てきてくるので、工場労働者が暮らす大都市圏が登場し、
南部の方ではホイットニーの綿繰り機という綿の花を取れるような機械が出てくるんですけれども、これによって急速に綿花が生産を拡大していくというところになります。
あとモールス電信によって遠隔通信網も整備されていくというところで、どんどん工業化であったり新しい技術であったり、あるいは生産の拡大であったり市場の拡大といったものが19世紀の前半、つまり1850年代くらいまで行われていったというところになります。
そうなってくると、さっきの話の反対になってしまうんですが、南部社会というのは基本的に農業社会であるので、農業を中心とする南部が相対的には少数派的地位に陥る。
相対的には北部の方と比べると、パワーバランス的にはこの時代にかけては弱まっていくというところがあります。
とはいえ、さっき言ったように、面下の生産とかは拡大に大きくなっていっているので、それ自体で別に他の国と比べて南部が劣っているとかではなかったんですけれども、ただ北と比べた場合にはその発展の程度はやはり弱かったというようなところになります。
こういうところで1846年にウィルモット条項というものが制定されていくんですが、これがまたこの南北問題のさっきの水売り協定も構えてなんですけれども、のところにも大きく影響をもたらすような条項の発案になっていったと。
ウィルモット条項:奴隷制問題を全国問題へ
これは最終的には否決される条項にはなってくるんですけれども、この条項の中身というのはメキシコから領土を取得したり買ったりしたり、あるいは米国戦争によって入手した土地に対しての、基本的には連邦が使う財産というか、お金の問題のところを扱っているものだったんですけれども、
ただし、このお金の使い方に対しての一つの附帯条約として不規みたいな形で現れたところが非常に大きな問題として取り上げられるところで、その内容がそのテリトリー内のいかなる地においても奴隷制も強制労働も存在せしめてはならないというのが書かれてあったんですね。
つまり、新しくメキシコから入手した土地のところには奴隷制は禁止するというような内容であったと。
で、これが合衆国の連邦議会の会員の方へ可決されたんですが、しかし上院で南部議員の反対にはい否決されました。
ウィリアムット条項というのは、ある種の妥協の産物として水利協定というものが結ばれてから大体30年くらい、たつくらいの時の条項になってくるんですけれども、これでこの妥協の産物であったものがまた大きく論争を呼ぶ問題、それは実際に新たな領土の拡大の問題と結びついているからこそ起きてきた問題なんですけれども、
このところで、もともとどの州がどういうものを採用するかというのは基本的に州の問題であるというふうに見なされるものだったのが、しかし南北のパワーバランスというところも考えると、それが州が奴隷州となるか自由州となるかというのは、この連邦自体に大きな影響を及ぼす、連邦のパワーバランスを決めてしまうような問題にもなってくるので、
だからこそこのウィリモット条項というものは、ドレンド性の問題を従来の州レベルから全国的な問題へと変化させたというような内容になっているんですね。
ただし、このウィリモット条項自体もかつての先例を踏まえての問題にもなっておいて、実際の1787年、本当にこのアメリカが独立する時代のところで、その時に採択された北西部領地条例というジェファーソンが提案した、何回も何回もジェファーソン出てくるんですけども、
ジェファーソンが提案したもので、1789年には連邦議会でも成分化して受け入れられたものになるんですけれども、北西部のところのテリトリー、獲得する土地っていうのは奴隷制を基本的に禁止するっていうようなもので、すでにこの1700年代にはそういう下地が出来上がっていたっていうところなんですね。
だから歴代大統領、これはバージニア王朝と呼ばれる歴代大統領もこの内容の方を批准していて、国会はテリトリーにおける奴隷制を禁ずる、合憲的権限を持つとの原理に疑問を抱くことがなかったと言われております。
つまり北西部、今回たまたま本当にメキシコから入手したものになるんですけども、ただしそれ以前からこの北西部の土地は仮に手に入れた場合には奴隷制を禁止するよっていうような合意があったはずなんですね。
だからこそエルモット条項っていうのは別に大きな問題では本来なかった。もともとその歴代大統領であったり、歴代の議会っていったものが承認を与えていた内容であったんですけども、ただこの当時のところでは大きな問題を与えていったっていうのはやはりその南北のパワーバランス自体が崩れていったからだっていうふうに言えるかと思います。
もともとそうやってその市場革命みたいなものが行われているところでパワーバランスが変わっていく中で、さらにこの北部側の力を上げて南部側の力を落とすような内容になっていたので、非常にそれによってこの南部出身の議員が反対していったっていうところであるみたいです。
ただしウリモット条項の推進派の論理としては北部の人口の方がもう南部を大きく上回っていた当時としてにも関わらず5分の3ルール、奴隷の5分の3ルールによって会員での劣勢の影響力を抑えることができたし、しかも上院ではさっき南部出身の議員の反対でウリモット条項を否決されたというふうに話したんですけども、
上院では官令に従って各種委員会の委員長を多く選出することだったり、国会を自立上支配している点を批判していたというところになります。
つまりこうやって人口規模の問題であったり市場とか工業化の問題とかの中で北部の方が勢力的には上になっていったはずなのにも関わらず、実際の連邦議会は南部派によって大体自立上支配されているでしょっていうのがこのウリモット条項の人たちに対する批判でもあったんですね。
だからこそ、南西部に奴隷制が拡大していくような可能性が見えたとき、南部側勢力がさらに増大することへの恐怖心があったと。
さっき官令として、北部側としては、つまり北西部のところは奴隷制が多分禁止になるだろうという見込みを持ってウリモット条項とかを提出しているんですけれども、
でもそれ以外の南のところは領土が拡大していったときに、さらに奴隷の持っている人たちの勢力が増えて、さらにこの連邦の議会の中での勢力も拡大してしまうんじゃないかっていう。
今は少数派でもあるにも関わらず、かなりの権力を持っているのに、さらに土地が大きく広がっていって、そこに人口が集まっていったら、さらにこの南部側の勢力が国会の中で強くなってしまうんじゃないかっていう、こういう恐怖心があったんですね。
逆になんですけど、南部側の方でも非常に大きな恐怖心を持ってこの条項に否定を下したわけで、というのも当時この奴隷制の問題もそうなんですけれども、移民の問題もものすごく関心を深めていったところでもあって、この19世紀の前半のところには非常に多くの移民が合衆国に現れていた。
これは有名なところで言うと、ジャガイモ基金っていうもので、世界史の教科書とかにも出てくるんですけども、アイルランド系移民の人たちがジャガイモの不作によって食糧問題を迎えたときに、こそってアメリカ合衆国の方に移民していったっていうところがあるんですね。
あとドイツ系の移民もかなり増えていったっていうところで、この移民の人たちがじゃあどこで働くのかっていったときに、やはり新しい領土とかに働くと。
この移民の人たちは基本的に貧しい人たちになってくるので、貧しい人たちの労働力と奴隷の労働力っていったものが結局争う形になってしまうというところになっていく。
といった意味でも、南部側でもやはりこのウィルモット上皇の中で、この南部の力が弱まっているときにさらに弱まってしまうんじゃないかっていう恐怖心があって、南北お互いにそれぞれの領土拡大に伴って単純に喜べないところがあって、その喜べないところでお互いのパワーバランスが決定的に変化してしまうんじゃないかっていう恐怖心があった。
というところで、このウィルモット上皇がきっかけというわけでもないんですけれども、そのことが大きな問題として今後の南北の問題に関わっていくというところですね。
1850年の大妥協:新たなバランスと自治の原理
そうすると、この新しい領土に関してどういう対応すればいいのかということで、水利経典の時とはまた別の大経が生まれます。
それがヘンリー・クレイ総和による1850年の大妥協と呼ばれるもので、1850年にある種、一つの合意が形成されたということなんですけれども、その内容がカルフォルニアを自由州として承認すると。
で、テキサスの境界を定め、独立依頼の借金を連邦政府が肩代わりする。これはさっき言ったテキサス共和国、なし崩し的に作ってしまった国のところの、その国を作るまでに借金をすごい作っていくんですけれども、そのところでその借金を連邦政府が肩代わりすると。
で、このテキサスっていうのは基本的に確か奴隷制の州になっていくので、これでカルフォルニアとのバランスをとっていったというところになりますね。
で、さらにニューメキシコとユタ巡州は奴隷制の可否を住民の意思に任せるというところになっていて、これはその場所を奴隷制とするかどうかっていうのは文字通りなんですけれども、住民の意思決定に任せると。
だとワシントンDCでの奴隷売買を禁止するということで、当然首都になるところで奴隷の問題が扱われると困るというところの北部議員の見解にもよって奴隷売買を禁止すると。
あとは逃亡奴隷法っていうものがあったんですけれども、これは奴隷がその奴隷州ではなくて奴隷を禁止する州に逃げた場合に、その奴隷の問題をどうするかっていったものが非常にナイブな問題としてあったんですけれども、これを強化するっていう、つまり南部側にとっての有利な点として、この逃亡奴隷法を強化してきちんと奴隷主に返すためにするっていうところ。
これまでのことって結局そのやっぱりある種のバランスを取ったということで、カルフォルニアでは奴隷を禁止するとか、ワシントンDCでは奴隷を禁止するけれども、テキサスでは奴隷制になりますし、逃亡奴隷法みたいなものは強化すると。
あとちょっと判断が困るニューメキシコとユタ州に関しては、その奴隷制にするかどうかとか自由州にするかどうかを住民の意思に任せるっていうことになってくるので、やっぱり新たなバランスを取ろうとしたっていうことなので、これはこのバランスを取っただけであって、根本的な奴隷制の問題であるとか、あるいは南北のテリトリーの問題っていうところには深くは関わっていない。
でも、ただしそういったことによって大打狂は何らの欠点を見なかったけれども、さらに明確な原理とかも含まずに合意されたんですが、それが大打狂の妙点であったというところになります。
あとここのところで、やはりニューメキシコとユタ州のところを住民の意思決定に任せるっていうことも一つの大きな新たな視点を与えたというところでもあって、つまりこの時に自治の原理っていったものが改めてクローズアップされていくっていうところなんですね。
つまり、アメリカ合衆国だってそもそも自治の権利を勝ち取るためにイギリスから独立して、そして自治裁量をもって各州が運営しているからこそ合衆国っていうようなあり方が形成されていくので、この自治の問題っていったものは非常にアメリカがたらしめているようなところにもなってくるので、
南北の問題であるとか奴隷制非奴隷制の問題っていうパワーバランスの問題はあるんですけれども、それに対して自治という観点からすると誰も否定できないようなね、そういう発想にもなってるんですね。
で、その時にこの自治のところを大きく提唱していったのがスティーブン・ダグラスという政治家になっていて、その時に話していたのが、しからば我々はなぜに彼ら自らで主人と奴隷の間の関係を決めることを許さないのであるか。
なぜに生活の他の諸関係のすべてに適応しているこの自治という大原理の中から奴隷制問題だけを摘出して例外とするのであろうかという話をしています。
なので、自治という大原理があるでしょっていうところの提案をダグラスはして、だからこそこの話に説得性がもたらされていくわけなんですけれども、だから奴隷制という問題もやはり自治というところの観点を抜きにしては語れないんじゃないかっていうところなんですね。
ただし、この1850年の大妥協というふうになっていったところなんですが、これで妥協が結ばれたことによって、この奴隷制問題であったり南北問題が落ち着いたかというとそうではないという、それが一つやはり逃亡奴隷の問題が大きな社会問題として浮かび上がってくるというところなんですね。
逃亡奴隷法問題と「アンクル・トムの小屋」
この逃亡奴隷法が1850年の大妥協によって改定されて強化されていった結果、国内の最大の問題となっていくというふうに先行研究では挙げられています。
なぜそれが問題なのかというと、この同法が発行以後の逃亡奴隷を取り戻すだけでなく、ずっと過去に逃亡した奴隷も引き戻す内容であったということが問題だったんですね。
つまりこの1850年以降で逃亡奴隷が生まれた時に対して、この逃亡奴隷法が適用されていくということではなくて、1850年より前のに奴隷収から逃亡を図った奴隷であったとしても、この逃亡奴隷法が遡って適用されてしまうというところがすごく大きな問題になっていて、
一つその時に実際に起きた例として、フィラフテルフィアでウィリアムスという女性が22年前に逃亡した奴隷として告発され、6人の子供、この子供はすべて自由州で生まれた自由人として規定されていたんですけども、それと共に奴隷主に引き渡されるという危険を持ったと。
そうなんですよね。この奴隷の子供の問題もどうするかというのが大きなところで、当時奴隷というものは基本的に財産としての扱いとして、合衆国での政治的な地位というか法律的地位になっていたので、奴隷が産んだ子供もやはり奴隷であり財産であるという認識が特に南部側であったというか、慣例的にもずっとそういうことであったんですけれども、
ただし奴隷を検視しているところで新しい子供が生まれた時には、それは何人になるのかというところは非常にこの裁判上でも問題にとなるようなところで、法律からも規定しづらいようなところでもあったというところなんですね。
そういう問題があるにもかかわらず、この1850年に改定された逃亡奴隷法では、これらをすべて一緒くたに奴隷主に引き渡してしまうような危険性があったと。
実際にこれが自由奴隷か逃亡奴隷かというのを判別する保障ってすごくバータリテキで、言ってしまえば奴隷主の記憶に依存するとか、何かそうした大きなペーパーとかがあるわけではないんですよね。
だって奴隷の子供がいつ何人生まれたかとか、そういった届け出がどれほど忠実に規定されていたかというのはわからないわけであって、
しかも何年に脱出しただとか、誰かの子供であったからそれは引き渡すべきことだということは立証するような話になってくると思うんですけれども、
だからこそそういったものがバータリテキに適用されて、一見その逃亡奴隷法みたいなもので適用されていると思いきや、実際はもう人身誘拐の危険に近いようなものでもあったりすることもあって、
だからこそこの保副部側っていうのは逃亡奴隷法に対抗するために今度人身自由法っていうものを制定するんですね。
これは逃亡奴隷法に対抗して行われるんですけれども、こうなってくると、
連邦の国会の方で定めたこの逃亡奴隷法の方と、今度各州の方で定めている人身自由法、
こうやっていくと、結局その南部と北部の対立っていうのも解消されていかないので、またこの大妥協っていうものがどんどん破綻していくというところになります。
こうした問題に拍車をかけるというか、ある種の世論の動向を作っていったのが、
1852年にハリエット・ビーチャー・ストー、いわゆるストーフ人と呼ばれる人が書いたアンクルトムの小屋ですね。
現代がアンクルトムズキャビンになるんですけれども、この本が基本的にはストーさんによって連載されて出版されていく中で、
非常にこの逃亡奴隷法の問題を扱っていたし、基本的にはこの逃亡奴隷法を反対するような内容のものになっているので、
非常にこの北部社会であったりアメリカ社会に対して、この本が刊行されることによって、ものすごくその世論の動向に影響を与えていった本になります。
ただし、最初連載していた時に、この刊行する時には、出版社はやはりこの非常にナイブな問題を扱っているところもあるので、
この出版を結構断っていたというところがあったんですが、ただし最終的にこれはもうベストセラーになって、ものすごく莫大な経済的利益をもたらした本でもあるというふうになります。
こうすると、かくて逃亡奴隷法はトム・ジーというアンクルトムの小屋に出てくるトム・ジーという黒人奴隷ですね。
トム・ジーは理想主義を北部の間に掻き立てたと。
実際このトム・ジーがこのアンクルトムの小屋の中では出てくるんですけども、非常に忠実で敬虔な人物として描かれていて、
そしてこの逃亡奴隷法の問題によって蔡氏から引き離されて、最終的には奴隷主になぶり殺しにされてしまうと。
それに対して別の女性、元奴隷であった女性は最終的にカナダの方に逃亡して、そこで生活を送っていったというような大使として描かれるんですけれども、
そうした中でこのアンクルトムの小屋といったものが、北部の人たちにこの逃亡奴隷というか奴隷の問題に対する理想的な、つまり北部側の見解を補強していくような、
そういったテーマを生み出していったというところになります。
後にリンカーンは南北戦争の内戦を引き起こしたリトルレディというようなことで、
このハリエット・ビーチ・アストースさんを呼んだりもして、南北戦争の原因にもなったんじゃないかみたいなことで目視されるような著作でもあります。
こういったこともあって、この1850年の大妥協というものがどんどん破綻していくんですけれども、
血を流すカンザス:住民自治の限界と暴力
その破綻の結果として暴力の問題が展開されてしまっていったのが、血を流すカンザスというレコムプトン闘争とも呼ばれるものになってくるんですけれども、
これが歴史の教科書とかでも出てくる1854年のカンザス・ネブラスカ法ということでクローズアップされてくるところなんですけれども、
これは先ほど取り上げた自治の原理のところをやはり大きく採用されて作られた法律であって、
カンザス・ネブラスカ法の領主が奴隷主となるか自由主となるかを住民の意思決定に委ねるという、自治の法に委ねるというところになっていきます。
ただし、この時にこの自治の意思決定というものが単純ではなくなってしまうところがあるんですね。
なぜかというと、この時に起きたものとして、カンザスがこの順州議会選挙において選挙人の名簿登録が不要とされたため、
自由派と奴隷派の間で悪質な不正がすごく発生されてしまって、
これ住民投票によってその州議会が形成されていくんですけれども、
住民以外の派閥が投票に不正参加をすごいしていくんですね。
なんでそれは北部側もそうですし南部側もそうなんですけれども、
ただカンザスが地理的には南部の方に近かったというところもあって、
特に南部側からこの不正投票に参加した人間が多かったというふうに言われます。
ただ元々カンザス自身がそういった不正投票を行われなかったとしても、
基本的に奴隷制を支持する層の方が優勢であったので、
なので多分こういった不正投票が行われなかったとしても、
おそらくカンザスは奴隷州となる可能性が高かったんですが、
しかしそれに対して実際に不正が行われて有権者数が3000名に対して投票数が6000票という、
つまり1人2票以上入れてるじゃないかみたいな話になってくるんですけれども、
そういうところで住民以外の人間が不正に参加してしまって選挙が行われるんですけれども、
しかもこの時にこうした不正が行われたことは明るみになったとしても、
選挙が無効にはならなかったというところなんですね。
そうすると奴隷擁護派が圧倒的多数でこの議会を占めることになって、
そしてレコムプトンに遵守政府を樹立したということになります。
カンザスの中のレコムプトンという場所ですね。
ドレッド・スコット判決:司法による奴隷制擁護
その遵守で奴隷制が定まった場合、
その州として今度合衆国の連邦に関わる時にも基本的には奴隷州として入るということになるので、
この遵守段階で意思決定をした内容がカンザス・ネブラスカ法によって、
優先的に住民が意思決定した結果であるというふうに見なされるというところだったんですね。
この時の遵守政府が、戦後研究がいうところの、
信じられぬまでにユニークな逃亡奴隷擁護処方を制定したというふうに書かれてます。
それが内容的に確かに凄まじい内容で、
1番、役人は奴隷制支持の先制者のみに限る。
つまり奴隷制支持する人以外は役人になれません。
奴隷制を非合法だと唱える者は重罪になります。
厳しいですね。
逃亡奴隷を匿ったり、それに関わる行為をした者は刑罰を加える。
こうなっていると、奴隷制以外の言論を全て封じ込めるような内容になっている。
しかも不正選挙によって作られた政府であるにも関わらず、
これだけ奴隷制支持の内容になっていくということで、
当然奴隷制反対派が、今度はレコムプトンではなくて、
カンザスのトペカというところに別の政府を作って反抗したんですね。
そうすると、一つの州の中に二つの巡州政府ができたということになってしまって、
この二つの巡州というかテリトリーの間のところで、
非常にその暴力行為が行われていくということになります。
1855年から57年まで、奴隷制擁護派を奴隷制支持派が殺害するような行為も行われるし、
さらにその報復行為によって、今度奴隷制支持派を殺害するような、
そういう暴力が繰り返し繰り返し発生したということで、
これが血を流すカンザス、流血のカンザスとも言われるんですけれども、
こういうふうに言われてしまうような場所になっていったというところなんですね。
これはやっぱり南北戦争に至る過程のことを考えてくると、
もはやこれは政治闘争のレベルではなくて、本当に暴力行為のところで、
非常に問題としてはエスカレートしたということにもなりますし、
あとカンザス問題で難しかったのが、いわゆる住民自治の限界といったものが現れていたと。
つまり先ほどのスティーブン・ダグラスが唱えたような自治の大原理というものは、
原理としては大変素晴らしいものであるし、
合衆国的にもそれはその国家に見合った原理ということにはなるんですけれども、
じゃあその住民が住民だけでその問題を解決するかということになるとそうではなくて、
すでに南北というエリアによってパワーバランスが影響を与えてしまえているところで、
その住民自治に対して南北双方ともそれぞれの影響を及ぼそうとして、
この暴力に加担していくということになってくる。
そうするとこれはもう住民自治というかその州だけの問題にはなっていかないというところですね。
そういったある種の限界がもう発露してしまっていたというところになります。
これに対して最後というかもう一つ大きなものの判例として、
ドレッド・スコット判決というのが1857年に行われます。
このドレッド・スコット判決は基本的にやはり奴隷制にとって優位となるような判決内容になっていて、
これはそもそもこの連邦裁判所の最高裁の長官であったロジャー・トーニーという人がこの判決を出すことになるんですけれども、
ただこの歴代の最高裁の長官というのは基本的に奴隷主の人たちが占めてるんですね。
だから連邦裁判所の方も基本的にかなり南側の見解を支持する傾向にあったというところにあって、
そういった意味だと裁判だけでも裁判所自体がこの南北のパワーバランスの影響を与えるような見解を踏まえてのものになっており、
しかも南側の支持が優先になっているというところもあるので、なかなか裁判所の判決だけでも解決できないような問題となってしまうと。
実際この判決の内容というものは、黒人奴隷であるスコットが水浦州の市民ではないため、連邦裁判所に訴訟を起こす権利がないということを下した判例の結果になっております。
つまり黒人奴隷が一時的に奴隷であったところから水浦州の土地に居住したとしても自由身分になることはできないということを定めたものなんですね。
さらに奴隷は市民ではなくて財産ですので、もともと裁判を起こす権利もないということになるということなんです。
そうしたことでこの逃亡奴隷法を支持する内容ということになっていくので、北部側はすごく反発していった内容になっています。
しかもこの奴隷制で州権ではなくて結局その連邦の権力といったものをすごく支持した内容になっていて、
北部の自由州が人身自由法というものを制定して逃亡奴隷法に対処しようとしたとしても、逃亡奴隷法の方が優先されるという見解をこれは示してますね。
さらに水浦協定は合衆国権法修正第5条の正当な法の手続によらず財産権を奪うことになり、権であるという判例も暮らしています。
水浦協定は政治的な妥協の産物であるということで生まれたものであったんですけれども、これが違憲である、つまり合衆国権法としては適用されないようなものになってくるということで、この妥協案に対してもこれを否定していくような判決になっていくというふうにあります。
政党の分裂と南北戦争の勃発
こうなってくるとこの南北のところでこの判例の結果として1860年には当時の全国政党であった民主党といったものが南北に完全に分離されてしまって、奴隷制反対派は共和党に移って奴隷制支持派は民主党のところの南部の方に留まるというようなことになっていったそうです。
もともと全国政党であった民主党であったりあるいは共和党の前身である保育党っていうのは別に水浦協定に関わらず南北というような分断のところで自身の見解を変えていたわけではないんですね。
つまり南部の民主党議員の中でも奴隷制の反対派もいたし、逆に北部の保育党とかの中にも奴隷制の支持派もいたというところで、だから全国政党っていうのはもともとそういった中でいろんな見解を持っている議員が集まっていて、それがそれぞれの州とか地理的なものに限らずですけれども自分たちの正しいと思うようなそういった政治的見解を示していった。
というところである種逆に民主主義的なものとしては健全さがあったんですね。つまり異論も唱える人がいたとしてもそれは同じ党の自民としてそこに滞在することができたわけですし所属していたわけなので。
ただしこうしたものがこの本当に1860年頃になると完全にこう民主党といったものを分解していって南と北に分かれてしまうような見解になっていきますし、で奴隷制反対派は共和党、林間の方が所属していた共和党に入っていくというようなことになっていく。
そうするとアメリカ人はもはや諸問題を貢献的方法、二大政党の枠組み内で解決し得ない事態を迎え、いずれかの陣営を選択せざるを得なくなったというところになると。
そうすると1861年とかにかけてサウスカロライナ州とかの合計12州が結局合衆国連邦からは分離して独自の南部連合を結成すると。
こうしてこの南部連合とあと残った合衆国の連邦政府というものが南北戦争という形で改善していくということになります。
やはりこの時に繰り返しになりますけれども、ある種の極端な結論というか極論の方にそれぞれの陣営が分かれてしまうような
それぞれの一つの意見の見解の中でそれに多様な意見がもたらされて、そこで話し合いによって、つまり議会、国会によって解決を図るというようなことがなくなっていって
どこに所属するかによって、それぞれどの州にいるかによって自分がどちら側の人間なのかというものが決まってしまうような
そういうふうな本当に2つの陣営に分かれてしまったというところが南北戦争の一つの原因として挙げられるのかなと思います。
南北戦争の開戦宣言と合衆国憲法の意義
そうした中で今度1861年7月22日に合衆国会員はわずか2票の反対を除いて、JJクリテンデンの戦争原因及び目的についての決議を採択し、7月25日に上院を通過したと。
つまり南北戦争の改善の宣言みたいなものになるんですけれども、これが北部側というかその連邦側の方の宣言として
合衆国憲法の市場性を守り、ユニオンを存続させるために遂行されるものである。
この戦争はそれが維持するとした国家を初めて生み出したのであるというふうに先行研究を挙げています。
つまりこの改善の理由というものが合衆国憲法の市場性を守り、さらにユニオンを存続させるために遂行されるものであるということは
アメリカ合衆国を合衆国垂らしめているものを守るために、そのためにこの戦争を生み出すんだということで改善をしているんですね。
だからその最初の合衆国憲法のところで設けたユニオンというところを守るということが合衆国憲法にも合致するっていうことにもなってくるし
そもそも合衆国憲法として積み重ねていったもの、その解釈の歴史であったり、そこの解釈を下地にしたいろんな法律の制定とかにあって
その中で行われてきたことのこと自体がアメリカという原理ということになっていくということでもあるので
そうしたもののためにこの南北戦争を改善するんだっていった意味で、だからこそ先行研究が上げたこの南北戦争というものが
合衆国憲法から始まって、さらにその合衆国憲法によって終わりを迎えるっていうような見解もやはり間違いではないというか
説得力のあるお話になってくるということになったんだと思います
ただし今まで見てきた通り、合衆国憲法自体が不動の何かっていうか、完成された何かでは全くないっていうことなんですよね
つまりこの時に結局ドレッドスコット判決みたいなものが行われた時に
南部側の方の見解を支持する人たちだって正しい合衆国憲法はこれで、だからこそ水入り協定は合衆国憲法に違反していると
つまり合衆国憲法では明確に財産権が保障されていて、黒人奴隷は財産であるんだからその財産を守るために
逃亡奴隷法みたいなものを制定するのは全くもって合憲的であるっていう言い方も成り立つというところなんですね
だからこそこの憲法っていったものが何か定まって固定されたものとかではなくて、この歴史状況において繰り返し繰り返し問われますし
そのことによって当時のいろんなパワーバランスにも影響を与え、そしてその下地にそれぞれがさらに自分たちの主張を展開していく理由にもなっていくっていう心にもなると思います
そうした中で合衆国の憲法の解釈がその時々をもってどういう側になってくるのかっていうのはこれはまさに歴史の産物であるっていうふうにも言えると思いますし
それぞれの解釈を積み重ねてきた歴史があって、それでこの合衆国というものの国家原理的なものがどんどん形成されていった
しかしその原理がもともとの内容として矛盾するものがあったということですし、原理の中にも多数のいろんな原理があって
それ自体が歴史的状況あるいは社会的状況によって社会秩序の問題と相反することもあれば、あるいは合衆国憲法の憲法内容そのものにも違反していくようなものもあったりして
だからこそこの難しい問題が南北戦争ということの一つの戦争によって最終的には改選に至ったというところなんですね
結論:南北戦争の意味と今後の展望
そういったことを考えると南北戦争というものはやはり単なる北部側南部側の陣営の派閥によって争われたものでもないですし
さらにその黒人奴隷の問題だけをのっとって改選されたものでもないと
やはりアメリカ合衆国って何なのっていう問題
このアメリカ合衆国はどういう国家であって、さらに今後どういう国家としてやっていくべきなのかっていうことが大きく取り上げられるような
だからこそこの戦争ということまで極端な意見というかその見解が固定されていったっていうようなことでもあると思います
というところでだいたい1時間半くらいかな
ずっと話し続けてやったんですけれども
改めて振り返ってみるとここからはほぼ雑談になるんですが
大変ですねこのポッドキャストをやっている人たちってねすごいですね
気楽な面もあって、今日ずっと自分が作った資料を元に話し続けてるだけっていうことなんですけど
でも何て言えばいいんだろう
参加者の人を説明しなきゃいけないっていうことで話していくと
その人たちの見ぶりだとか顔色みたいなものを伺いながら話すところがあるんですが
自分一人で話してくると自分で作った資料を前にしてひたすら自分の考えを述べていくみたいなところで
本当に閉鎖されたような感じのことになってきて
これを聞く側ってなんかどうなんだろうなと
なんかすごい自問自答してしまうような形になってしまいますね
ただぜひこの南北戦争を取り上げたかったっていうのは
ここで一つのアメリカ合衆国が踏まえてきた70年間80年間とかの歴史が積み重なっていったものが
この時改めて問われたっていうところが面白いなというふうに思っていて
これがこの歴史研究をする醍醐味もなっているというところでもあるんですよね
だから結局今回僕は通し的にアメリカの独立当初のところから今まで扱ってやってきたるんですけども
南北戦争のことを急に調べても多分わからなかった
でもこの南北戦争を研究を読む前に
合衆国の植民地史というか植民地記からの歴史のやつを読んでくると
やはり何度もジェファーソンの見解が出てきたりとかして面白いですし
自治の問題であるとかこれが憲法的にどういう解釈を与えていくのかっていう
本当に通しとして見ないとわからなかった部分っていうものが
改めてすごく出てきて自分の勉強になったなというふうに思いました
このアメリカ史のお話も今後も続けていくつもりなんですけども
次回はこの南北戦争が実際に勃発されたことで
この戦争の特徴というものを述べつつ
この戦争を今度集結したことで
アメリカという国家がどういうふうな国家として形成されていくのかということですとか
あるいはこの南北戦争で問われたはずの憲法問題であったり
あるいは奴隷制の問題といったものに
どういう解決を図っていったのかということをお話ししたいなというふうに思っています
もともとはこのことも踏まえて一つにまとめて話すつもりだったんですけど
やっぱ南北戦争って難しくて
全然私は今回本当に歴史の教科書的な話で
主要な本当にところだけを扱ったつもりだったんですけれども
それでも全然ページ数いきますんで
やっぱ難しいなというふうに思いました
とりあえず今日はそういう感じで
南北戦争回戦前夜ということでのお話をさせていただきました
ちょっとこれ面白いのかどうかっていうのがね
いつも疑問というか不安というか
自分自身は勉強すれば勉強した分だけ楽しいんですけど
これを聞く人はこのことによって
別の関心が生まれたり
アメリカ支援の理解につながるといいなとは思いつつも
実際どんな影響になるかっていうのは話してる側はよく分からないですからね
なのでこういうことでぼちぼちとやっていきたいと思います
改めて別に一人あってもやることを思ってたことでもあるので
もし別に参加者がいなくなったとしても
こういうふうに続けていきたいなと
自分自身の勉強としてやっていきたいし
後は渡辺さんの力も借りて
こういう形でポッドキャストとして配信されていくということで
一つのアーカイブになったとして
記録に残せるととてもいいのかなというふうに思います
では長い間でしたがご清聴というか
誰もいないけどありがとうございました
また次回がありましたらよろしくお願いいたします
01:28:39

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