まず結構その展示自体は時系列なんだよね。最初から最後までその時系列に進んでいって、
オランダ時代の初期からパリ時代を経て、南フランスのアルルに至るまでの海外の変遷がたどれるようになってたし、
そのごっぽが影響を受けた画家とか、あと同時代の印象派の画家、それこそモネとかルノワールとかセザンヌとかね、
そういった他の大物もたくさん来ていて、そういった作品と組み合わせて展示されることで、
ごっぽの絵がどのように人生も含めて変化してきたかが、たどれるようになっていた。
それで最後に夜のカフェテラスが舞ってると、そこでやっぱ、わーってなるわけじゃん。すごいなって。
あの構成も含めて、やっぱりすごくいい展示だったなって、最初の大きな感想としてありました。
なんかこうやっぱ変遷?人生の移り変わりとともに、絵の変化みたいなのが如実に現れてるなって。
南フランスに行ったら色使いが変わるなとか、印象派に影響を受けてた時代は、なんか明らかにタッチが変わったなとか、
結構なんか素直な人なのかなって、周りの影響みたいなのがすごくそのまま絵に現れてて、そこが印象的だったなって。
色んな方の影響を受けて、それが絵に取り込まれながらなんだけど、その中で自分のスタイルをどう確立していくかみたいな、
葛藤みたいなのもそのコレクションの中で結構見れるようになっていたなと思っていて、
人物画で足が長すぎるっていう、座ってる絵で腰から膝までの太ももの部分が長いと、
そこでデッサンのパースっていうのとかで突っ込まれることがあったみたいな解説とかもあったりして、
やっぱそういうの結構気にしてたみたいな解説だったんだよね。
それとかあと銅漫画とかもやっていて、リトグラフでジャガイモを食べる人たちっていう銅版画をやっていたんだけど、
それはやっぱ技術的にはそのリトグラフ自体の技術としては決して高いものではなかったみたいな解説があって、
そういったことも含めて序章性によっていくと、ごっぽが序章性によっていったり、
あと色彩っていうところに自分の作品がだんだん移り変わっていくみたいな解説が展示の中であったりして、
そういう葛藤もありながら、自分の強みとか得意なものとかをどこに置くかみたいなところを模索しながら、
土地が移り変わりながら、最終的にはアルルっていうところで爆発するんだろうけど、
そういうところも含めて葛藤とかもそういうのが感じられるような展示だったかな。
あと花の生物が多かったじゃないですか。パリからアルルに移ったぐらいの時かな。
それはもうお金がなくてモデルを描けないから風景画とか花を描いてたみたいなことだったんだけど、
その当時のごっぽの手音の関係とかでも含めてお金がないとかで描けるものが限られてくると、
となってくると花とかで彩色とかが花の色使いみたいなのがより際立ってきてて、
それがアルルに行って夜のカフェテラスとかに結実していくっていうの。
といった形がごっぽも葛藤してたんだなって。
天才っていうわけでもなくて、もちろんねこれだけの大作家だから天才なんだろうけど、
でもそれでも葛藤してたんだなみたいなのが結構感じられるよね。
それでね、自画像とかもありつつ、今回はアルルに到達して終わるんだよね。
展示がアルルに行った初期の頃で終わると。
ちなみにこれ第1期の第5歩展で、来年第2期があるんだけど、
第2期がアルル時代の作品を中心にということで、
今回はアルルにゴフォーが行った初期の作品の傑作として、
夜のカフェテラスが最後の大きな広間に展示されていて、
すごい絵だったね。
配色が好きなんだよな、青と黄色っていうかわいい。
ホントオランダミフィーちゃんの配色って感じでいいなって。
良かったよね。すごいな、すごいって言葉にならないっていう感じがあるよね。
やっぱりすごいなって。
思ったより大きいなって思った。
そうだね、結構大きい絵だったね。
夜のカフェテラスね。深夜なんだよね。
深夜なんだけど、結構青いというか。
夜を青く描いたっていう点で結構画期的みたいな。
暗闇じゃなくて。
俺らがイメージする深夜って深夜1時、2時とかだけど、
当時はまだね、もっと深夜が早いわけじゃない。
10時とか11時なのかわかんないけど、
やっぱカフェテラスがやってるんだよね、アルル。
多分フランスでは地方の方だと思うんだけど、
そういう遅くまでカフェテラスがやっていて、
その月明かり、月って星か星の明かりと一緒に明かりがついていて、
星の黄色とカフェテラスの黄色と空とかね、
街の暗闇の青みたいなのがやっぱりすごいなって。
なんかそこにイーゼル立てて絵を描いてるゴッホをなんか想像した。
わかる。
なんかわかんないけど、視線?ゴッホの視線みたいなのが一番感じたかもしれない。
これ俺も同じように感じていて、
この絵の前にゴッホいたんだなっていうのが感じられるんだよね。
前々回かな、奈良の時の話で歴史上の人物を感じるっていう話をしたじゃない。
法隆寺に行ったら聖徳太子を感じるとかさ、
本当に似た人なんだなみたいなのを感じるんだけど、
最近やっぱ絵画の前に立つと、
本当にこの前に、この絵の前にこの画家はいたんだなって。
夜のカフェテラスの前にはゴッホがいたし、
それをイーゼルを立てて街角を絵を描いてたんだなって。
そこから傑作が生まれるわけじゃない。
俺らもアラフォーになってくるとイメージが付くわけだけどさ、
当時貧困だったわけでしょ、ゴッホってさ。
貧困で無名の画家じゃん。
っていうのがさ、街でイーゼルを掲げて広げて絵を描く。
結構さ、孤独だよね、その行為って。
若い人がやってるわけじゃなくて、学生とかがやってるわけじゃなくて、
もう十分に大人になって、人が家族に魅惑かけながらさ、
無名で貧困で深夜の街に出て絵を描く。
やっぱその、孤独なんだろうなっていう、
勝手なイメージもあるし、でも絵そのものが孤独ではないよ。
絵自体はね、孤独じゃないんだけど、
その前に立っていた一人の男の人みたいなのさ、
想像するとね、孤独だなっていうか寂しいなっていう風にも思うし、
でもやっぱりあれだけの大傑作でも生きてる間は評価されないって、
なんかそれもすごい話だなって思うんだよね。
なんかどう見てもいい絵じゃない?
歴史的に評価されるのは後世だとしてもさ、
その時代においてもさ、普通にいい絵に入るはずなんじゃないかなと思うんだけどね。
それでも値段つかないわけでしょ、なかなか。
それもまた不思議だなって思ったんだよね。
やっぱりなんか運みたいなのもあると思うけどね。
それともやっぱり新しすぎて理解されなかったのか、
なんだろうね、当時あの絵を見た人、
ただその辺にある絵にしか見えなかったのか、
なんかそこもまた不思議だなって思うんだよな。
そのゴフフォンの自画像とかはさ、
確かに同時代の人は理解できないっていうかさ、
分かんなくてもまあそうだろうなって思うわけよ。
人物のデッサンとかさ、まだ分かると。
でも夜のカフェテラスぐらいのレベルになってもさ、
ああそうなんだみたいな。
誰に発見されるかが大事なのか。
誰に見つかるかみたいな、見てもらうかみたいな。
まあとかね、やっぱりいろんなことを感じられる展示会だったかなと思いますね。
なんかすごい人だったんじゃない?
まあ想像はしてたんだけど、
まあ並んだし入るまでにも。
入ってからもすごい人だったし、
なかなかその鑑賞方法を考えながらちょっと見ないといけないなっていう感じで。
あと今回ね、何点かは写真OKだったから、
OKなやつの前ではもうみんな写真撮ってて、
まあそれもどうなんだろう、どうなんだろうっていうか、
なんで写真OKにしたのかなっていうのもそもそもちょっとよく分かんないな。
ああいう鑑賞スタイルっていうか、
美術館の人を呼ばなきゃいけないっていうのもあるから写真OKにしたのかもしれないけど、
なんかああいうやり方って本当にいいのかなとか、
ちょっといろいろ考えるところはあったかなって。
そうだね。
もともと僕らが行ったのが3月の平日なんだよね。
2月から始まって5月までの回帰だから、
まあ真ん中ぐらいの平日に行ったんだけど、
だいぶ混んでたね。
100人以上並んでたね。
美術館の前に行列になっていて、
前寄り券みんな買ってる人だと思うけど、
100人以上並んで、入るまで3,40分ぐらいかな。
中でも並んで、もうちょっと待ったかな。
3,40分、4,50分ぐらい平日の2時ぐらいの時間帯でもそれぐらい待って入って。
だから展示の展示スペースでも結構人が多かったから、
一枚一枚解説読んで進むってなるとちょっと難しいよね。
だから今回オーディオガイド借りて聞きながら回っていたから、
あれは良かったなと思う。
綾瀬はるかさんのオーディオガイドで、
もちろん全作品ではないけど、
4分の1ぐらいの作品に対しての解説があって、
やっぱり張り付いてみるにはちょっと人が多いかなっていう状況だから、
オーディオガイド聞きながら、
気になる作品はボードも、解説欄とかも読みながら回るのが良かったのかなって思うんだけど、
その写真撮影のところだと、5枚だけ写真撮影OKだったんだよね。
夜のカフェテラスと自画像を含む5枚が写真撮影OKだったんだけど、
やっぱり5枚だけOKだから、その5枚に人が集中しちゃうんだよね。
これは展示の動線の問題になってくるんだけど、
みんなわちゃわちゃしちゃうんだよね、写真撮りたいから。
だからその前までちょっとずつ人が進んでるんだけど、
写真撮れるところでわちゃわちゃしちゃうわけよ。
動きが崩れたりさ、無理やり割り込んで正面から撮りたがる人とかいたりするから、
その絵の3つ前くらいからペースが乱れ始めるんだよね。
やっぱり一番中途半端だと思うのね、5枚だけいいよって。
これ全部撮っていいか、カフェテラスだけにするか、
どっちかの方が落ち着いて見れるなって。
全部OKだったら、みんな気に入った作品だけ撮ると思うのね。
これだけ撮れるよって言われると、別に撮りたくなくても撮っちゃうじゃん。
人間心理としてさ、もったいないから撮るっていう心理が働いちゃってたから、
わちゃわちゃしちゃうんだと思うのね。
あれって結構ストレスじゃん。
別にこっち、写真撮れないなら撮れなくてもいいしさ、
全部大きにしてくれたら自分が気に入った作品だけ撮るしさみたいな風に感じるから、
あれはすごい中途半端だな、5枚だけいいよって。
カフェテラス以外の4枚が集中してるんだよ。
だからそこがストレスだなって。
流れがおかしくなっちゃってさ。
詰まってたもんね。
だしさ、あんなのみんな撮っちゃうんだったらSNSに大量に上がるわけじゃん。
ライブとかでもさ、アーティストの歌手のライブ、コンサートとかでも
全部撮ってもいいよっていう歌手もいればさ、完全NGっていう歌手もいたら
1曲だけ撮っていいよっていうスタイルの歌手もいるじゃん。
その1曲だけ撮っていいよライブみたいだなって思ったのね。
これって。
でもさ、その1曲だけ撮っていいよだとさ、みんな撮ってんじゃん。
それに大量にSNSに上がるわけじゃん。
だったら撮んなくてもさ、いいわけじゃん。
同じ会場にいた人が同じもの撮ってんだからさ。
だいたい似たような角度の人もいるわけじゃん、周りからさ。
だからさ、だったらちゃんと聴いてた方がいいんじゃないかなみたいなさ、
風に思うしさ。
でも全部撮っていいよだったらさ、自分の好きな曲のこのフレーズとかさ、
残したいみたいな。
撮ったりとかね、できるし。
だから俺限定的にいいよって一番中途半端じゃねえかなって思っちゃうんだよね。
そこだけわちゃわちゃしちゃうっていうか、
がね、思うし。
ねえ、写真。
そうなんだよね。
で、最近僕、お気配的っていう本読んだよな。
福尾匠さんっていう哲学者というか、批評家の方が書いてるお気配的っていう本があって、
あそこでお気配的コミュニケーションみたいな言葉が出てくるので、言葉というか概念が出てくるんだけど、
お気配っていうのがあるじゃない、今。
受け取り、荷物の受け取りでさ、玄関の前にお気配してみたいな。
で、これを概念化してお気配的って言ってるのね。
俺、このお気配的って久しぶりに使いたくなる言葉だったのね。
で、このお気配的コミュニケーションって、その荷物って本来は受け取り人に渡すことが目的なわけじゃない。
宅配便っていうのは届けることが。
でも今、お気配っていうのは、玄関の前において荷物届けましたよっていう写真が共有されることで、
お気配っていうのは完了するわけでしょ。
実際にはまだ届いてないんだよね。
受け取り人には。
その届けましたよっていう写真というメタデータを共有することで、一旦その目的が達成されたっていう状態。
で、これが現代的なコミュニケーションとしてお気配的コミュニケーションということを話してるのね。
で、このお気配的ってすごく使いたくなる言葉だなと思っていて。
だから今回のその絵の前で写真を撮りたくなっちゃう。
でも本当はさ、鑑賞しに来てるわけじゃん。
その絵を見てどう感じるかみたいなところで。
で、かつ、俺写真撮るのは全然いいことだと思うのね。
その美術館とかに行ってさ、観光地とかに行って写真撮ることはいいことだと思うんだけど、
でもさっき言ったように別に撮りたくないわけじゃない絵も、それしか撮れないから撮るっていうのはさ、意味のない行為じゃん。
ただその仕組みというか動線に流されて撮ってるだけだからさ。
で、そこで写真というメタデータを残してさ、SNSで共有するみたいなのって、
実際に美術館に行く目的とは逸れてきた行為になるんだけど、
でもそこに行ったっていう証拠作りというかさ、記念作りみたいなために写真を撮って、
本来の鑑賞っていう場の目的がさ、乱れるわけじゃない。
ごちゃごちゃみたいになってきて、これお気配的だなと思うんだよね。
思ったのよ。
お気配的っていう言葉に被ってたから、
なんかお気配的美術鑑賞だなって。
でもさ、そうやってぐるぐる最後まで見て回るとさ、最後に夜のカフェテラス出てくるとさ、
なんかそういう写真撮りたい人とかさ、ちょっとメタ的に見てそういうひにくりたい自分とかさ、
そういうのを全部投げ倒すぐらいすごい絵だったなと。
夜のカフェテラス。
すごい説得力のある絵だったなって。
という感じかな。
やっぱそれが福島で見られるってすごいなって。
やっぱいい仕事をしてましたよ。福島県立美術館。
福島市って餃子が有名なんだよね。
円盤餃子。
円盤餃子っていうのが有名で、その餃子屋さんがね、結構たくさんあるんだよね駅付近に。
で一番有名な、何店舗か構えてるところだとテルイっていう、円盤餃子のお店とか、いろいろあるんだけど。
で俺らはバスで、今回バスで行ってたんだけど、
相州若松から福島市までバスで行っていて、
だからね、帰りが6時半から、6時半のバスでね、相州若松で戻るということで、
今回ねその美術館5歩店見た後にバスの時間までちょっと餃子食べたいなと思って。
今回ね、餃子会館っていうお店ね、餃子会館っていうお店に行ってきましたと。
これがね、いい雰囲気なのよ。餃子会館。
外観だけだと、抜き先からね見る、見た目だけだとやっぱり人気の入ったラーメン屋みたいな雰囲気で、
のれんがかかっていて、看板が出ていて、ただちょっと中が見づらいからね。
すごい人気の入ったようなラーメン屋っていう感じなんだけど、
実際中入ってもね、カウンターだけで10席ぐらいでね、お店。
なんだけどね、すごいおいしかったね。餃子会館の餃子。
ここは円盤餃子ではないんだよね。
普通のいわゆる。
普通の餃子なんだけど、焼き餃子と炊き餃子って頼んでね、
いやもう本当に、なんだろうな、厚めの皮で、すごいしっかりした味がついていて、
すごいおいしかったんだけど、ニンニクが醤油皿に盛られていて、
後漬けの。
後漬けのニンニクになってたんだよね。おろしニンニクっていうのないよね。
おろしニンニクが別皿に添えられていて、なんか珍しいなと思ったんだけど、
普通の中に入ってるけど。
でもそのさ、醤油に溶かして餃子つけて食べるとすごい味が広がって、
すごい感動的なおいしさだったなって。
で、炊き餃子もね、なんていうの、ただ炊き餃子が出てくるだけじゃなくて、
その、チャーシューとか、あとラーメンスープ?
そうだね、なんかそういうスープの中に餃子が入ってるみたいな。
あれだけでも食事になるような餃子になっていてね、すごいね、おいしかったね。
で、これが5時営業で、5時開店なんだけど、俺ら3分前くらいに入ってんだよね。
そうそう、2、3分前くらい、4時57分くらいに入って、一番乗りだったんだけど、
4時57分に入ったら、その後5時2分には1席になったからね。
びっくりしたよ、開店と同時に1席になるんだと思って。
いや、すごかったね。
本当にその、客層もいろいろで、地元の常連客でいつものっていう方もいたり、
モディラみたいな観光客もいたり、福島市って福島県の県庁所在地だから、
例えば、県庁とかもそうだけど、日銀の福島支社とかも福島市にあるんだよね。
福島大学とかもそうだし、だから結構そういう仕事で来る方。
出張でね。
出張でね、東京とかから来る方がたくさんいるんだけど、
20代の先輩後輩だろうなっていう、会社員の2人組が来ていて、
何時の新幹線で戻りですね、みたいな会話をして、
新幹線で帰る前に、ちょっと餃子を食べて帰るみたいなこともやってて、
なんかいい雰囲気だなって。
ご夫婦で、おそらくご夫婦でやってるんだけど、
親父さんがね、職人肩着っていう感じで、ちょっと寡黙な感じなんだよね。
おかみさんがすごい愛想的で、
チャキチャキしてる。
2人でテキパキ、オーダー取って、餃子焼いて出してっていうのをやってるんだけど、
そのあいまいまに、餃子をこねるっていうか、餃子を包んでいくんだよね。
その接客とか、餃子を焼いていく隙間の間に、ヘラを使って、餃子を包んでいくんだけど、
ああいう雰囲気も全て込んで、すごい良かったなって。
良かった。
地元に餃子屋ってないじゃん。
中華屋とかラーメン屋で、餃子も美味しいっていうところはあるけど、
もう餃子がメインですみたいな、餃子屋ですみたいなところってなくて、
ああ、なんかいいなって、餃子屋。
そして餃子ってこんな面白いっていうか、食事としてメインになるんだみたいな。
っていうね、感動があったな。
福島市、円盤餃子が有名だけど、円盤にこだわらず、
餃子屋さんでいいんだなって、円盤じゃなくてもね、全然美味しいなって感じたかな。
なんか良かった。ちょっと街中華的な雰囲気があって。
ビール飲みながらね。
そうだね。やっぱ餃子とビールいいよな。
近くにああいう店欲しいなって思って。
分かる。徒歩圏内にああいう店あったら。