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#85 やっぱりゴッホは凄いし、それが福島で見られる
2026-04-03 45:41

#85 やっぱりゴッホは凄いし、それが福島で見られる

「大ゴッホ展」を見てきた。@福島県立美術館
ゴッホを見て、いい電に乗って、餃子を食べる。そんな福島市での最高の一日の記録。


オープニングで大量離脱/やっぱりゴッホは凄いの言語化/人生の変遷と絵の変化/ゴッホの葛藤/自分の顔をちゃんと描いて/凄い絵だった『夜のカフェテラス』/深夜の街に出て絵を描く孤独を想像する/置き配的?美術鑑賞/旅のサウンド「いい電の入線メロディー」/駅前グルメのコーナー/近所に欲しい餃子会館


大ゴッホ展 夜のカフェテラス
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福島交通飯坂電車
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餃子会館
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耳で旅する週末-ミミタビ-
働くあなたの週末に、耳で楽しむ非日常のひとときをお届けします。毎週金曜日の18時更新、飲んだ帰りの電車の中で、ちょっとゆっくり過ごしたい土曜日の朝に、忙しい日常の合間に、耳から始まる物語を。

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サマリー

今回のエピソードでは、福島県立美術館で開催されている「大ゴッホ展」を訪れた体験について語られています。まず、ポッドキャストのオープニングでリスナーが離脱してしまうというアナリティクス結果にショックを受け、オープニングの改善に取り組んでいる現状が明かされます。その後、ゴッホの作品の凄さについて、作家の人生や背景を知って楽しむ視点と、作品そのものの芸術性を直接味わう視点の両方から語られます。特に、初期からアルル時代に至るまでのゴッホの人生の変遷と絵の変化、そして「夜のカフェテラス」の圧倒的な存在感について深く掘り下げられています。また、ゴッホがモデルを雇う資金がなく花を描いたり、自身の内面と向き合うために自画像を描いたりした葛藤にも触れられています。展示鑑賞の方法についても、混雑状況や写真撮影の可否、オーディオガイドの活用など、現代的な美術館鑑賞のあり方について考察がなされています。後半では、福島市でのグルメとして、円盤餃子で有名な福島市で訪れた「餃子会館」での体験が語られ、その美味しさやお店の雰囲気が紹介されています。最後に、福島市の観光スポットにも触れ、ゴッホ展と合わせて福島観光を楽しむことを勧めています。

オープニングの離脱率と改善への挑戦
はい、リョウタです。 耳で旅する週末-ミミタビ-。今日の旅のサウンドは、福島市を走る飯塚線の入線メロディーです。
こちらの音の詳細は、後ほど喋ります。 今日もですね、劇役にユウコちゃんが来てくれているので、夫婦で喋っていきます。
はい、ということで、ちょっとね、オープニングを書いてみました。 唐突に。
あのね、スポティファイで、アナリティクスっていうのがあるの。
エピソードごとに、この分析みたいなのが見れるわけよ。どれぐらい聞かれてるかみたいな。
それに視聴意地率っていうのがあるの。何分まで何%の人が聞いてくれたみたいな。
だから最後まで何十%の人が聞いてくれたとか、分かるわけよ、半分までどれぐらい聞いてくれたかみたいな。
この間ちょっと久しぶりに、いろんなエピソードのアナリティクス見てたの。 そしたら最初のオープニングの30秒で、だいたい20%から30%が
これまで離脱してるってことに。 ショック。 毎回薄らは気づいてたんだけど、もうこんなもんぐらいかなーって、なんとなく思ってたんだけど。
いろんな他のポッドキャスターの話とか聞いてると、やっぱり出だし30秒で20%の離脱は
ちょっとね、多いなって。 そうだよね。
耳で旅する週末、耳たべのお時間ですってやつで、これまで何十回と繰り返してきた
オープニングで、一晩、うわーってなって離脱してたんだって。 残酷だよね、数字に出るの。
すべて数字に出ていて、これはちょっと変えなきゃなーって。 前々からちょっと薄々気づいてたんだけど、でもようやくちゃんと現実と向けられるようになって。
その結果。 その結果ちょっと変えてみました。ということで、今後も数字見ながら
オープニングはコロコロ変えていこうかなって。 コロコロ? コロコロかわかんないけど、これでオープニングでまた
相当な離脱を起こせたらまた変えようかなと思ってるので。 あーなるほど、実験してるので、試験的に。
いろいろ試験的にやっていきたいと思うので、どうぞよろしくお願いします。
福島県立美術館「大ゴッホ展」へ
はい、ということで、今日はですね、 福島県立美術館で開催中のごっぽ展を見てきたので、その話をしていきたいと思います。
ということで、ごっぽ展の概要からまず話していきますね。
現在ですね、福島県立美術館で第5ぽ展第1期、夜のカフェテラスが開催中です。
オランダクレラーミラー美術館の名品が揃う展示会で、ごっぽのアルル時代の名品、夜のカフェテラスが目玉となっている展示会になっています。
神戸、福島、東京と巡回していくんですけど、今は福島で5月10日までの開催でやっております。
2026年は福島県制が150周年、福島県というのができて150年、東日本大震災から15年の節目の年ということで、今、福島にごっぽがやってきています。
ということで、この第5ぽ展、2人で見に行ってきたから、その話を今日はしていきたいんですけど、
目的として、このエピソードを聞いた人が、ぜひごっぽ展に行きたいなって思ってもらえるような話にしていきたいと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ゴッホの凄さと鑑賞方法の二面性
じゃあまず僕から喋っていこうと思うんだけど、やっぱりね、ごっぽはすごいなって。
まず大きな感想として、そこから入っていきたいなって。
やっぱりごっぽはすごい。
やっぱりってのがやっぱり大事なの。
やっぱりごっぽはすごい。
分かってたけど。
分かってたけど、そうそう。
やっぱね、おってこう見えるようなね、作品がいくつもあったのね。
なんでこのやっぱりごっぽはすごいのかを、今日は喋っていくことで、これはもう行かなきゃなって、福島に見に行かなきゃなってなってもらえると思うから、
このごっぽはなぜやっぱりすごいのかってことをちょっと言語化していきたいなと思います。
で、ちょっと考えたのね。どうしてごっぽはすごいのかっていうところを考えて、
これね、美術っていうか絵画とかの鑑賞方法って大きく分けて俺二つあるんじゃないかなと思うのね。
まず一つが、その作家とか画家の背景とか人生とか、そういった文脈を含めたストーリーも理解しながら見るっていうのが一つ。
で、もう一つが、そういう文脈とか背景とか関係なく、絵そのものとか作品そのものを見て楽しむ。
で、大きく分けてこの二つだと思うのね。
で、ごっぽってこの二つどっちもトップなんだよ。
やっぱりごっぽはすごいってなってくるのは、この二つを兼ね揃えているから。
それもどっちも極まった状態で、どちらもが極まった状態であるからなんじゃないかなってちょっと思いまして、
劇的じゃない?人生が。
ゴーギャンとの関係性もそうだし、耳切ったとか弟テオとの関係とかもそうだし、
そういう人生への共感とか、ゴシップ的な興味関心とかも含めて、
ごっぽっていろんなところでドラマにもなってるし、小説にもなってるし、ストーリーにもなってるから、そこへの共感とか興味ってのが持てるよねと。
それもありながら、いざ絵を見た時に、絵そのものでもやっぱりすげえなって、言葉にならない感動を覚えられるなっていうのが、やっぱりごっぽはすごいなんだけど、
今回の福島県で今やってる大ごっぽ展も、その両方が楽しめる展示になっていたなって思っていて、
人生の変遷と絵の変化、ゴッホの葛藤
まず結構その展示自体は時系列なんだよね。最初から最後までその時系列に進んでいって、
オランダ時代の初期からパリ時代を経て、南フランスのアルルに至るまでの海外の変遷がたどれるようになってたし、
そのごっぽが影響を受けた画家とか、あと同時代の印象派の画家、それこそモネとかルノワールとかセザンヌとかね、
そういった他の大物もたくさん来ていて、そういった作品と組み合わせて展示されることで、
ごっぽの絵がどのように人生も含めて変化してきたかが、たどれるようになっていた。
それで最後に夜のカフェテラスが舞ってると、そこでやっぱ、わーってなるわけじゃん。すごいなって。
あの構成も含めて、やっぱりすごくいい展示だったなって、最初の大きな感想としてありました。
なんかこうやっぱ変遷?人生の移り変わりとともに、絵の変化みたいなのが如実に現れてるなって。
南フランスに行ったら色使いが変わるなとか、印象派に影響を受けてた時代は、なんか明らかにタッチが変わったなとか、
結構なんか素直な人なのかなって、周りの影響みたいなのがすごくそのまま絵に現れてて、そこが印象的だったなって。
色んな方の影響を受けて、それが絵に取り込まれながらなんだけど、その中で自分のスタイルをどう確立していくかみたいな、
葛藤みたいなのもそのコレクションの中で結構見れるようになっていたなと思っていて、
人物画で足が長すぎるっていう、座ってる絵で腰から膝までの太ももの部分が長いと、
そこでデッサンのパースっていうのとかで突っ込まれることがあったみたいな解説とかもあったりして、
やっぱそういうの結構気にしてたみたいな解説だったんだよね。
それとかあと銅漫画とかもやっていて、リトグラフでジャガイモを食べる人たちっていう銅版画をやっていたんだけど、
それはやっぱ技術的にはそのリトグラフ自体の技術としては決して高いものではなかったみたいな解説があって、
そういったことも含めて序章性によっていくと、ごっぽが序章性によっていったり、
あと色彩っていうところに自分の作品がだんだん移り変わっていくみたいな解説が展示の中であったりして、
そういう葛藤もありながら、自分の強みとか得意なものとかをどこに置くかみたいなところを模索しながら、
土地が移り変わりながら、最終的にはアルルっていうところで爆発するんだろうけど、
そういうところも含めて葛藤とかもそういうのが感じられるような展示だったかな。
あと花の生物が多かったじゃないですか。パリからアルルに移ったぐらいの時かな。
それはもうお金がなくてモデルを描けないから風景画とか花を描いてたみたいなことだったんだけど、
その当時のごっぽの手音の関係とかでも含めてお金がないとかで描けるものが限られてくると、
となってくると花とかで彩色とかが花の色使いみたいなのがより際立ってきてて、
それがアルルに行って夜のカフェテラスとかに結実していくっていうの。
といった形がごっぽも葛藤してたんだなって。
天才っていうわけでもなくて、もちろんねこれだけの大作家だから天才なんだろうけど、
でもそれでも葛藤してたんだなみたいなのが結構感じられるよね。
自画像から見える内面と向き合う行為
そうだね。
花と同時に、モデルを雇うお金がなかったから花を描いてた。
で、と同時に人物を描きたいっていう気持ちが本当はあって、でも雇えないから自画像をいっぱい描いてた。
で、今回その有名な自画像のうちの一点が聞いてたんだけど、やっぱりその何だろう、解説で憂いをたたえた目みたいな風に言われてたんだけど、
なんかもうちょっと強いものを感じたっていうか、なんかちょっと狂気っぽいものみたいなのを感じて、
なんかやっぱり自画像って、私も中学校の授業で自画像描いたりしたことあるけど、その時に自画像って何で描くのかって言ったら、その時の自分自身と向き合う方法なんだみたいな風に言われて描いた記憶があって、
だから自画像描いてるうちってずっと多分自分と向き合ってた、対峙してたんだろうなって思うから、ゴホも。
ちょっと途中でやっぱり気がおかしくなってもまあ変じゃないよなっていう風に思う。
自画像を描くっていうのは鏡に映ってる自分を描くわけじゃなくて、その内面性も含めて描くわけじゃん。
でもその描いてる自分も自分なわけじゃない。
それって自分をどう見せたいかにもつながるのかな。
そこがさ、俺自画像とかもちろん描いたことないからわかんないんだけど、なんか周りの人にこう見られたいっていう自分なのか、自分自身を客観的に見ての自分なのかとか、
それは色んなものが悩まずにもちろんなってるんだろうけど、やっぱり自画像、やっぱり明るいものじゃなかったよね、ゴホの自画像。
なんか色使いはパステルっぽくて明るいんだけど、なんかこうただ明るいだけじゃない印象。
ああいう自画像、ああいうっていうか自画像そのものから、
画家がさ、どういう気持ちで描いていたのかって、やっぱ人物が異常に複雑だなって思ったんだよね。
その当時の自分を客観的にさ、ただ風貌を描いたこともできるだろうし、自分が自分に内面に向かい過ぎていて客観性がない状態で描いていることもあるだろうし、
さっき言ったように自分が周りにどう見られたいか、どう見せたいかで描いていることもあるだろうし、
全然思いも及ばないような気持ちが混ざり合って描いたりもするだろうし、いろんなものが悩まずになっているんだろうし、
なんか結構、画家の描く自画像ってなんか特別だよね。
結構言葉にしづらいものが自画像には一番あるなと。
絵とか風景画とかさ、結構いろいろコメントしやすいんだけど、ああいう自画像ってどういう視点で描くんだろうなって。
観察眼と絵を描くことの差
まあ素朴っちゃ素朴じゃない?ゴッフォの自画像。
誇張もしてないしさ、写実ってわけでもないけどさ、
でもなんか素朴にゴッフォっていうものを捉えてるんだろうけど、やっぱり明るくはないんだよな。
それ何十万も描いてるわけでしょ?まあやっぱいろいろ変化もあるんだろうね。
最初の方に描いた自画像か、後半からも自画像。
自画像?横斜も描いたことあるの?
うん、授業で。
あ、そうなの?
え、中学校の授業に自画像って組み込まれてた気がする。
あ、そうなんだ。俺もやってるのかな?
やってるんじゃない?
あ、そうなんだ。難しくない?鏡見て描くのみんな?
うん、鏡見て描いてた。
あ、そうなんだ。鉛筆で描くの?水彩?
ああ、なんか鉛筆だった気がする。
え、中学校の普通の授業で?美術部とかじゃなくて?
うん。
あ、そうなんだ。俺もやってるのかな?
やってるんじゃないかな?
先生に読むのかな?全然記憶にないわ。
うーん、まあ、学校にもよるのかもしれないけど。
でも結構どうは描くかって、ねえ。
小学校時代の自画像体験
なんか全然関係ない、関係ないっていうか今話して思い出したんだけど、
小学校2年生の時になんか文集みたいなの作ったのね。
そこに最後のページにマス目状の小っちゃい、クラスの人数分のマス目みたいなのが作ってあって、
そこに一人一人自分の顔を描いて将来の夢を描くみたいなのがあったのよ。
で、先生がたぶんその時の自分の顔、今の顔をちゃんと描いてみたいなこと言ってたから、
私ちゃんと鏡見ながら、なんかその小学2年生の時点で持ちうるそのリアリティみたいなのをちゃんと発揮してすごいリアルに描いたんだよ。
で、出来上がったのを見たらさ、他の人ほとんどみんな漫画帳で描いてた。
そりゃそうでしょ。
嘘と思って。え、こんな、私だけじゃん、ちゃんと向き合って。って思って。
っていうのを思い出したよ、自画像で。
いや、なんかそこも含めてだと思うんだよね。その自画像を描いていった時にさ、どういうタッチで描くのか。
それも内面だもんね。そこで何を選択するかもさ。
漫画帳なのか、そういうリアルな雰囲気なのか、それさえも自分の内面がさ、現れてるわけじゃん。
でもあれたぶん今見たら、たぶんその時の自分を褒めてあげたいって思う。なんかたぶん本当の顔に近いから。
へえ、すごいじゃん。そんな当時から。
絵は好きだったから。でもいつもほら、その漫画みたいな絵描いてたから、あんまりああいうさ、リアルな人の顔とかって描いたことなくて。だから。
へえ。
今見たら、その時の記録としてはすごい。
いや、素晴らしい人やと思う。
でもそういうことなんだよね、自画像って。きっと。
「夜のカフェテラス」の圧倒的な存在感
そのゴフポだってああいうタッチで描くっていうのはさ、自分をどう表現するかって。
だって浮世絵に影響を受けてた時代でした。急に浮世絵風に描いてた可能性ってあるわけじゃん。
そうだよね。
でもそこの選択も含めて、やっぱ自画像なんだろうな。
私覚えてるもんね、今。
鏡を見ながら、私の顔ってこういう風になってるんだ、みたいなことを考えながら描いてたのに。
え、みんな。
でもやっぱ絵描ける人と描けない人の差がそこにあるんだと思う。
俺も描けない方の人間だから思うけど、やっぱそこまで観察しないもんな、物事は。
物事っていうか、まず物として観察するわけでしょ、まずは。
なんとなく雰囲気は観察するけど、世の中のこととかさ、人の輪郭とかも含めて。
雰囲気ではみんな観察してるけど、本当に鼻ってこうなってるんだとかさ。
まつ毛ってこうやって生えてるんだ、みたいなさ。
でもそこが絵を描ける人、描けない人の差なんだろうな。
あとなんかやっぱり、自分の好きなタイプの顔みたいなのをさ、
なんとなく雰囲気でさ、可愛い感じとかさ、可愛い人とかさ、背が高くてとかさ、
抽象的にざっくりと言う人と、もう全部具体的に目はどれぐらいの大きさで、
黒目がそのうちの何パーセントぐらいでみたいな、まつ毛はどれぐらいでとか、
本当に細かく観察するっていうのは、そこまで具体的に自分の好みとかも、
喋れるようになることなんだみたいな、昔聞いたことがあって。
でも俺全くそういう言語化できないから。
人の顔とかってこと?
人の顔とか。
容姿とかね。
俺フィンキで語っちゃう人間だから。
そういうのを観察する人が絵を描いたりさ、
あと具体的にファッションデザイナーとかさ、憎んだろうなって。
洋服だってさ、雰囲気で語るっちゃうけどさ、
デザイナーとか全部原稿ができるわけでしょ。
そんなことも、絵描けない人間として。
なるほどね。
自分と向けるってそういうこと?
そうだと思う。
そこも含めて自画像みたいなのがあるんだろうなとは思うね。
深夜の街で絵を描く孤独と傑作の評価
それでね、自画像とかもありつつ、今回はアルルに到達して終わるんだよね。
展示がアルルに行った初期の頃で終わると。
ちなみにこれ第1期の第5歩展で、来年第2期があるんだけど、
第2期がアルル時代の作品を中心にということで、
今回はアルルにゴフォーが行った初期の作品の傑作として、
夜のカフェテラスが最後の大きな広間に展示されていて、
すごい絵だったね。
配色が好きなんだよな、青と黄色っていうかわいい。
ホントオランダミフィーちゃんの配色って感じでいいなって。
良かったよね。すごいな、すごいって言葉にならないっていう感じがあるよね。
やっぱりすごいなって。
思ったより大きいなって思った。
そうだね、結構大きい絵だったね。
夜のカフェテラスね。深夜なんだよね。
深夜なんだけど、結構青いというか。
夜を青く描いたっていう点で結構画期的みたいな。
暗闇じゃなくて。
俺らがイメージする深夜って深夜1時、2時とかだけど、
当時はまだね、もっと深夜が早いわけじゃない。
10時とか11時なのかわかんないけど、
やっぱカフェテラスがやってるんだよね、アルル。
多分フランスでは地方の方だと思うんだけど、
そういう遅くまでカフェテラスがやっていて、
その月明かり、月って星か星の明かりと一緒に明かりがついていて、
星の黄色とカフェテラスの黄色と空とかね、
街の暗闇の青みたいなのがやっぱりすごいなって。
なんかそこにイーゼル立てて絵を描いてるゴッホをなんか想像した。
わかる。
なんかわかんないけど、視線?ゴッホの視線みたいなのが一番感じたかもしれない。
これ俺も同じように感じていて、
この絵の前にゴッホいたんだなっていうのが感じられるんだよね。
前々回かな、奈良の時の話で歴史上の人物を感じるっていう話をしたじゃない。
法隆寺に行ったら聖徳太子を感じるとかさ、
本当に似た人なんだなみたいなのを感じるんだけど、
最近やっぱ絵画の前に立つと、
本当にこの前に、この絵の前にこの画家はいたんだなって。
夜のカフェテラスの前にはゴッホがいたし、
それをイーゼルを立てて街角を絵を描いてたんだなって。
そこから傑作が生まれるわけじゃない。
俺らもアラフォーになってくるとイメージが付くわけだけどさ、
当時貧困だったわけでしょ、ゴッホってさ。
貧困で無名の画家じゃん。
っていうのがさ、街でイーゼルを掲げて広げて絵を描く。
結構さ、孤独だよね、その行為って。
若い人がやってるわけじゃなくて、学生とかがやってるわけじゃなくて、
もう十分に大人になって、人が家族に魅惑かけながらさ、
無名で貧困で深夜の街に出て絵を描く。
やっぱその、孤独なんだろうなっていう、
勝手なイメージもあるし、でも絵そのものが孤独ではないよ。
絵自体はね、孤独じゃないんだけど、
その前に立っていた一人の男の人みたいなのさ、
想像するとね、孤独だなっていうか寂しいなっていう風にも思うし、
でもやっぱりあれだけの大傑作でも生きてる間は評価されないって、
なんかそれもすごい話だなって思うんだよね。
なんかどう見てもいい絵じゃない?
歴史的に評価されるのは後世だとしてもさ、
その時代においてもさ、普通にいい絵に入るはずなんじゃないかなと思うんだけどね。
それでも値段つかないわけでしょ、なかなか。
それもまた不思議だなって思ったんだよね。
やっぱりなんか運みたいなのもあると思うけどね。
それともやっぱり新しすぎて理解されなかったのか、
なんだろうね、当時あの絵を見た人、
ただその辺にある絵にしか見えなかったのか、
なんかそこもまた不思議だなって思うんだよな。
混雑する展示と写真撮影の是非
そのゴフフォンの自画像とかはさ、
確かに同時代の人は理解できないっていうかさ、
分かんなくてもまあそうだろうなって思うわけよ。
人物のデッサンとかさ、まだ分かると。
でも夜のカフェテラスぐらいのレベルになってもさ、
ああそうなんだみたいな。
誰に発見されるかが大事なのか。
誰に見つかるかみたいな、見てもらうかみたいな。
まあとかね、やっぱりいろんなことを感じられる展示会だったかなと思いますね。
なんかすごい人だったんじゃない?
まあ想像はしてたんだけど、
まあ並んだし入るまでにも。
入ってからもすごい人だったし、
なかなかその鑑賞方法を考えながらちょっと見ないといけないなっていう感じで。
あと今回ね、何点かは写真OKだったから、
OKなやつの前ではもうみんな写真撮ってて、
まあそれもどうなんだろう、どうなんだろうっていうか、
なんで写真OKにしたのかなっていうのもそもそもちょっとよく分かんないな。
ああいう鑑賞スタイルっていうか、
美術館の人を呼ばなきゃいけないっていうのもあるから写真OKにしたのかもしれないけど、
なんかああいうやり方って本当にいいのかなとか、
ちょっといろいろ考えるところはあったかなって。
そうだね。
もともと僕らが行ったのが3月の平日なんだよね。
2月から始まって5月までの回帰だから、
まあ真ん中ぐらいの平日に行ったんだけど、
だいぶ混んでたね。
100人以上並んでたね。
美術館の前に行列になっていて、
前寄り券みんな買ってる人だと思うけど、
100人以上並んで、入るまで3,40分ぐらいかな。
中でも並んで、もうちょっと待ったかな。
3,40分、4,50分ぐらい平日の2時ぐらいの時間帯でもそれぐらい待って入って。
だから展示の展示スペースでも結構人が多かったから、
一枚一枚解説読んで進むってなるとちょっと難しいよね。
だから今回オーディオガイド借りて聞きながら回っていたから、
あれは良かったなと思う。
綾瀬はるかさんのオーディオガイドで、
もちろん全作品ではないけど、
4分の1ぐらいの作品に対しての解説があって、
やっぱり張り付いてみるにはちょっと人が多いかなっていう状況だから、
オーディオガイド聞きながら、
気になる作品はボードも、解説欄とかも読みながら回るのが良かったのかなって思うんだけど、
その写真撮影のところだと、5枚だけ写真撮影OKだったんだよね。
夜のカフェテラスと自画像を含む5枚が写真撮影OKだったんだけど、
やっぱり5枚だけOKだから、その5枚に人が集中しちゃうんだよね。
これは展示の動線の問題になってくるんだけど、
みんなわちゃわちゃしちゃうんだよね、写真撮りたいから。
だからその前までちょっとずつ人が進んでるんだけど、
写真撮れるところでわちゃわちゃしちゃうわけよ。
動きが崩れたりさ、無理やり割り込んで正面から撮りたがる人とかいたりするから、
その絵の3つ前くらいからペースが乱れ始めるんだよね。
やっぱり一番中途半端だと思うのね、5枚だけいいよって。
これ全部撮っていいか、カフェテラスだけにするか、
どっちかの方が落ち着いて見れるなって。
全部OKだったら、みんな気に入った作品だけ撮ると思うのね。
これだけ撮れるよって言われると、別に撮りたくなくても撮っちゃうじゃん。
人間心理としてさ、もったいないから撮るっていう心理が働いちゃってたから、
わちゃわちゃしちゃうんだと思うのね。
あれって結構ストレスじゃん。
別にこっち、写真撮れないなら撮れなくてもいいしさ、
全部大きにしてくれたら自分が気に入った作品だけ撮るしさみたいな風に感じるから、
あれはすごい中途半端だな、5枚だけいいよって。
カフェテラス以外の4枚が集中してるんだよ。
だからそこがストレスだなって。
流れがおかしくなっちゃってさ。
詰まってたもんね。
だしさ、あんなのみんな撮っちゃうんだったらSNSに大量に上がるわけじゃん。
ライブとかでもさ、アーティストの歌手のライブ、コンサートとかでも
全部撮ってもいいよっていう歌手もいればさ、完全NGっていう歌手もいたら
1曲だけ撮っていいよっていうスタイルの歌手もいるじゃん。
その1曲だけ撮っていいよライブみたいだなって思ったのね。
これって。
でもさ、その1曲だけ撮っていいよだとさ、みんな撮ってんじゃん。
それに大量にSNSに上がるわけじゃん。
だったら撮んなくてもさ、いいわけじゃん。
同じ会場にいた人が同じもの撮ってんだからさ。
だいたい似たような角度の人もいるわけじゃん、周りからさ。
だからさ、だったらちゃんと聴いてた方がいいんじゃないかなみたいなさ、
風に思うしさ。
でも全部撮っていいよだったらさ、自分の好きな曲のこのフレーズとかさ、
残したいみたいな。
撮ったりとかね、できるし。
だから俺限定的にいいよって一番中途半端じゃねえかなって思っちゃうんだよね。
そこだけわちゃわちゃしちゃうっていうか、
がね、思うし。
ねえ、写真。
そうなんだよね。
「置き配的」美術鑑賞と現代のコミュニケーション
で、最近僕、お気配的っていう本読んだよな。
福尾匠さんっていう哲学者というか、批評家の方が書いてるお気配的っていう本があって、
あそこでお気配的コミュニケーションみたいな言葉が出てくるので、言葉というか概念が出てくるんだけど、
お気配っていうのがあるじゃない、今。
受け取り、荷物の受け取りでさ、玄関の前にお気配してみたいな。
で、これを概念化してお気配的って言ってるのね。
俺、このお気配的って久しぶりに使いたくなる言葉だったのね。
で、このお気配的コミュニケーションって、その荷物って本来は受け取り人に渡すことが目的なわけじゃない。
宅配便っていうのは届けることが。
でも今、お気配っていうのは、玄関の前において荷物届けましたよっていう写真が共有されることで、
お気配っていうのは完了するわけでしょ。
実際にはまだ届いてないんだよね。
受け取り人には。
その届けましたよっていう写真というメタデータを共有することで、一旦その目的が達成されたっていう状態。
で、これが現代的なコミュニケーションとしてお気配的コミュニケーションということを話してるのね。
で、このお気配的ってすごく使いたくなる言葉だなと思っていて。
だから今回のその絵の前で写真を撮りたくなっちゃう。
でも本当はさ、鑑賞しに来てるわけじゃん。
その絵を見てどう感じるかみたいなところで。
で、かつ、俺写真撮るのは全然いいことだと思うのね。
その美術館とかに行ってさ、観光地とかに行って写真撮ることはいいことだと思うんだけど、
でもさっき言ったように別に撮りたくないわけじゃない絵も、それしか撮れないから撮るっていうのはさ、意味のない行為じゃん。
ただその仕組みというか動線に流されて撮ってるだけだからさ。
で、そこで写真というメタデータを残してさ、SNSで共有するみたいなのって、
実際に美術館に行く目的とは逸れてきた行為になるんだけど、
でもそこに行ったっていう証拠作りというかさ、記念作りみたいなために写真を撮って、
本来の鑑賞っていう場の目的がさ、乱れるわけじゃない。
ごちゃごちゃみたいになってきて、これお気配的だなと思うんだよね。
思ったのよ。
お気配的っていう言葉に被ってたから、
なんかお気配的美術鑑賞だなって。
でもさ、そうやってぐるぐる最後まで見て回るとさ、最後に夜のカフェテラス出てくるとさ、
なんかそういう写真撮りたい人とかさ、ちょっとメタ的に見てそういうひにくりたい自分とかさ、
そういうのを全部投げ倒すぐらいすごい絵だったなと。
夜のカフェテラス。
すごい説得力のある絵だったなって。
という感じかな。
やっぱそれが福島で見られるってすごいなって。
やっぱいい仕事をしてましたよ。福島県立美術館。
福島市のグルメと観光
あとさっき言ったように、モネとかルノワールとかセザンヌとかも来てて、
ルノワールの女の人のちっちゃい絵よかったよね。
カフェの絵ね。
その町のカフェの、見ればわかるっていう絵なんだけど。
そんな感じなんでね、福島では5月10日までやっているし、東京では5月29日から始まるということなんで、
ぜひついでに旅行がてら福島市まで来て見るのもいいし、
首都圏の方は5月29日から上野でやるそうなんで、
ぜひこれを聞いていきたいなって思ってもらえたら嬉しいです。
ということで、最初の音わかった?
最初の音?話してるけど。
飯田?
飯田。飯坂線、福島市よね。福島駅から走ってる飯坂線っていう、飯坂温泉街まで走ってる飯坂線の入線メロディー。
今回、福島県立美術館、車じゃ行けなかったんだよね、駐車場が封鎖、閉鎖されてたから、
電車かバスで来てみたいなところになってたから、俺ら電車で行ってね、飯坂線。
なんか趣がある飯坂線だよね。
そうだね。かわいい。
かわいい電車。
その電車が入ってきた時に流れる音楽でね、その音楽も含めていい雰囲気だったなっていうのが、今日の旅のサウンドでした。
やっぱ耳たりつってるから、ちゃんともっと音入れていかなきゃいけないなと思って。
確かに。
結局ちょっと常に旅行してるわけじゃないからさ、俺って、旅行以外の話が増えてくるわけよ。
そうするとちょっとそっちにちょっと行きすぎてたなって。
本当はもっと音入れなきゃなと思ったから、ちょっと今後ね、過去の動画掘り起こしながらちょっと音も入れていきたいなって。
そんなね、飯坂線の入線メロディーでした。
では続いては、イケマイグルメのコーナーです。
続いては。
せっかくだからこれを聞いて福島県立美術館に行きたいなって思ってくれた人が、ついでにね福島市を楽しんで帰ってもらいたいなということで、
ちょっと福島市のいろんなことをね、他のことも紹介していこうかなって。
なのでまずイケマイグルメのコーナーということで。
福島市名物「餃子会館」の魅力
福島市って餃子が有名なんだよね。
円盤餃子。
円盤餃子っていうのが有名で、その餃子屋さんがね、結構たくさんあるんだよね駅付近に。
で一番有名な、何店舗か構えてるところだとテルイっていう、円盤餃子のお店とか、いろいろあるんだけど。
で俺らはバスで、今回バスで行ってたんだけど、
相州若松から福島市までバスで行っていて、
だからね、帰りが6時半から、6時半のバスでね、相州若松で戻るということで、
今回ねその美術館5歩店見た後にバスの時間までちょっと餃子食べたいなと思って。
今回ね、餃子会館っていうお店ね、餃子会館っていうお店に行ってきましたと。
これがね、いい雰囲気なのよ。餃子会館。
外観だけだと、抜き先からね見る、見た目だけだとやっぱり人気の入ったラーメン屋みたいな雰囲気で、
のれんがかかっていて、看板が出ていて、ただちょっと中が見づらいからね。
すごい人気の入ったようなラーメン屋っていう感じなんだけど、
実際中入ってもね、カウンターだけで10席ぐらいでね、お店。
なんだけどね、すごいおいしかったね。餃子会館の餃子。
ここは円盤餃子ではないんだよね。
普通のいわゆる。
普通の餃子なんだけど、焼き餃子と炊き餃子って頼んでね、
いやもう本当に、なんだろうな、厚めの皮で、すごいしっかりした味がついていて、
すごいおいしかったんだけど、ニンニクが醤油皿に盛られていて、
後漬けの。
後漬けのニンニクになってたんだよね。おろしニンニクっていうのないよね。
おろしニンニクが別皿に添えられていて、なんか珍しいなと思ったんだけど、
普通の中に入ってるけど。
でもそのさ、醤油に溶かして餃子つけて食べるとすごい味が広がって、
すごい感動的なおいしさだったなって。
で、炊き餃子もね、なんていうの、ただ炊き餃子が出てくるだけじゃなくて、
その、チャーシューとか、あとラーメンスープ?
そうだね、なんかそういうスープの中に餃子が入ってるみたいな。
あれだけでも食事になるような餃子になっていてね、すごいね、おいしかったね。
で、これが5時営業で、5時開店なんだけど、俺ら3分前くらいに入ってんだよね。
そうそう、2、3分前くらい、4時57分くらいに入って、一番乗りだったんだけど、
4時57分に入ったら、その後5時2分には1席になったからね。
びっくりしたよ、開店と同時に1席になるんだと思って。
いや、すごかったね。
本当にその、客層もいろいろで、地元の常連客でいつものっていう方もいたり、
モディラみたいな観光客もいたり、福島市って福島県の県庁所在地だから、
例えば、県庁とかもそうだけど、日銀の福島支社とかも福島市にあるんだよね。
福島大学とかもそうだし、だから結構そういう仕事で来る方。
出張でね。
出張でね、東京とかから来る方がたくさんいるんだけど、
20代の先輩後輩だろうなっていう、会社員の2人組が来ていて、
何時の新幹線で戻りですね、みたいな会話をして、
新幹線で帰る前に、ちょっと餃子を食べて帰るみたいなこともやってて、
なんかいい雰囲気だなって。
ご夫婦で、おそらくご夫婦でやってるんだけど、
親父さんがね、職人肩着っていう感じで、ちょっと寡黙な感じなんだよね。
おかみさんがすごい愛想的で、
チャキチャキしてる。
2人でテキパキ、オーダー取って、餃子焼いて出してっていうのをやってるんだけど、
そのあいまいまに、餃子をこねるっていうか、餃子を包んでいくんだよね。
その接客とか、餃子を焼いていく隙間の間に、ヘラを使って、餃子を包んでいくんだけど、
ああいう雰囲気も全て込んで、すごい良かったなって。
良かった。
地元に餃子屋ってないじゃん。
中華屋とかラーメン屋で、餃子も美味しいっていうところはあるけど、
もう餃子がメインですみたいな、餃子屋ですみたいなところってなくて、
ああ、なんかいいなって、餃子屋。
そして餃子ってこんな面白いっていうか、食事としてメインになるんだみたいな。
っていうね、感動があったな。
福島市、円盤餃子が有名だけど、円盤にこだわらず、
餃子屋さんでいいんだなって、円盤じゃなくてもね、全然美味しいなって感じたかな。
なんか良かった。ちょっと街中華的な雰囲気があって。
ビール飲みながらね。
そうだね。やっぱ餃子とビールいいよな。
近くにああいう店欲しいなって思って。
分かる。徒歩圏内にああいう店あったら。
餃子への感動と「菊餃子」ポッドキャスト
やっぱ常連みたいな、常連の方がさ、いつものを釣って、
おしんことひあやっこと餃子1枚。
で、締めにラーメンかな。
食べて帰ってて、なんかいいなって。
素晴らしい時間だよね。
ポッドキャストに、菊餃子っていうポッドキャストがあるの。
焼き餃子協会の小野寺さんっていう方がやってる、餃子を紹介していくポッドキャスト番組なんだけど、
お取り寄せ餃子とかね、全国のお取り寄せ餃子とか、
あと実際の店舗とか、あとお家でもできる焼き方とかを紹介している菊餃子っていうポッドキャスト番組があるんだけど、
小野寺さんって餃子職人を神って言って、自分はその伝道師って言ってるの。
最初何言ってんのかなって思ってたんだけど、今回結構気持ちがわかった。
伝道師の気持ちってこと?
餃子職人を神という気持ちがちょっと、なるほど、こういうことかって。
そうなんだ。
なんかやっぱりいろんな餃子屋行きたいなって思ったね。
思った。
あと福島市の話として、戸籍有事記念館があるんだよね。
福島市のその他の観光スポット
阪神タイガスのロック卸しとか、読売ジャイアンツの投稿も込めてとか、
エースっていう朝ドラ、エールか、エールっていう朝ドラで取り上げられたりしてたけど、
そういった戸籍有事記念館もあるし、花見山かな。
今の時期はね。
春の時期は花見山っていう花の名所、桜の名所っていうのがあったりもするので、
いろいろと福島市楽しめるかなと思うんで、
ぜひね、ご褒典開催中の間気になった方は福島観光してみてはいかがでしょうか。
はい。
エンディングと今後の展望
ということで今週はこんな感じかな。
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来週金曜日の18時にまたお会いしましょう。
それでは海旅で良い旅を。
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