はい、リョウタです。耳で旅する週末-ミミタビ-第86回です。 今日の旅のサウンドは、オーストリアウィンのカールスプラッツ駅の蛇骨騎の音です。
こちらの音の詳細は、後ほど喋っていきます。 ということで、今日もお客にユウコちゃんが来てくれているので、夫婦で喋っていきます。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
ということでね、今日は、旅とYouTubeをテーマに喋りたいなと思っていて、
旅系YouTuberについて喋りたいというか、そこからどういう影響を受けるのかみたいなことも含めて喋っていきたいんだけど、
うちら、僕らって旅系YouTuber結構見るじゃない?
好きだね。
結構というか、めちゃめちゃ見てるじゃない?
たぶん今まで一番見たのは、しげたび、バッパショータ、バッパライフもあるし、
最近だと、ゆわれこっていう、ピエル滝がやってる旅系番組みたいなのがあったり、
あと、前々回かな、ホテルの職種の話をしたけど、どこにでも行くドスコイさんとかね、
いろいろ見てますと、僕の中では若い父をさとめんも旅系YouTuberという作りを一貫として僕は見てるんだけど、
いろいろ見てますと、やっぱその影響を受けるし、参考にもしてるのね、旅行行くときの。
まず動画ってやっぱ情報量が多いから、すごい参考になるじゃない?その分影響も受けると。
だけど、いい面悪い面あるなと思っていて、あまりにも情報量が多いと、行った後にすでに知ってるものを確認してるような。
うん、なんか感動が薄れる。
そうそう、すでに分かってるみたいな感覚にもなるし、
ただいい面だとね、やっぱ参考になる、その情報がね、多いから外さなくなるんだよね、そのレストランとか。
しげ旅だと特に料理が多いからさ、食に関してが多いから外さなくなると、料理の面でもあるし、ホテルとかも参考になるじゃん。
実際にYouTuberが泊まってたホテルだとさ、価格とどの程度のものかっていうのが分かってるから、
俺実際しげが泊まってたホテル泊まったことあるし、やっぱそういう面でね、参考にもあるんだけど、
まあこの2つの面がね、いろいろあるなってまず思うのね。
で、まずさ、知ってるもの、これ知ってるなっていう感覚っていうのが、
サマルカンドのウルグベク天文台っていう場所があるのね。
ウズベキスタン。
そうそうウズベキスタンサマルカンドにウルグベク天文台。
ウルグベクっていう昔の王様が作った天文台跡地なんだけど、
これがさっき言ったピエール滝の岩レコで、
行ってたね。
行ってたのよ。
岩レコって1日を何本にも分けて流すから、
その1箇所は結構じっくり写すんだよね、1つの場所を。
だからさ、その天文台の観光の情報というかさ、背景まで含めて、
まあ結構その事前情報が、前情報があったりもするわけよ。
実際に行くとさ、これ全部知ってるみたいな。
見たやつだ。
そう、全部見たやつだみたいな感じになってきて。
で、天文台だからさ、このジバッとくる良さがある場所なのよ。
王宮とかさ、ワーすごい系じゃなくて、ジバッとくる系だから、
ああ、こういう人がいたんだとかさ、
イスラム世界に、あの時代にこんな天文学の知見があったんだ、みたいなのが。
なんだけど、まあそれ全部知ってるわけよ、行く前には。
なんか、ちょっとそういう寂しさもあるんだよね。
そういう寂しさもあるなって。
またウィーンの話になるんだけど、
ウィーン中央駅からブタフェスと行きの
長距離列車になるときにホームで待ってたじゃん。
2時間くらい遅延したんだよね。
2時間くらい遅延したんだけど、
ふとホームから気づいたんだけど、
ホームの向こう側にシゲが泊まってたホテルがある。
ウィーンの時に、ウィーン来てた時にシゲが泊まってたホテル。
見た目がちょっと外観が特徴的だったから分かったんだけど。
記念写真撮ったもんね。
記念写真撮った。
聖地巡礼みたいな感じで。
そうなの。
というようなね。
現代においては旅系YouTuberってめちゃめちゃ
旅行とか旅の消費行動に影響を与えてるんじゃないかみたいな話なんだけど、
なんかどう?
単純にでも、
自分じゃ多分行けないなみたいなところに行ってくれるから、
自分が行かない、確実に行かないであろうなっていうところを
見せてくれるっていうのはやっぱり面白いっていうか、
テレビであれはやんないだろうなみたいな際どいところとかにも行くじゃん。
ここが旅系YouTubeならではかなって思うけど。
そうだね、危険な場所というか遅延の悪い場所だったり、
横戸の敷地とかだよね。
バッパショーターもドキュメンタリストみたいな、旅系というかドキュメンタリー感じだけどね。
あとユワレコはさ、ピエール滝ってやっぱ独特な人だなっていうか、
ピエール滝一緒に行って楽しいんだろうなっていうのが結構すごくユワレコ見てると伝わるんだけど、
ユワレコ珍しいのっておっさん4人で旅してるんだよね。
あれ一番珍しいパターン。
そうだよね。
外国に男の人4人でって、どこの国でもあんまりそういう観光客っていないだろうからね。
でもなんかそのピエール滝っていうどっしりした親父が一人中心にいることで、
なんかあのピエール滝が醸してるゆったりとした存在感の心地よさを感じて、
やっぱ周りの人も旅をしてるんだろうなっていうのが伝わってきて、
あの空気感ってすごく珍しいなって思うんだよね。
ついつい見たくなるのはピエール滝とあの4人でカモス。
なんとも言えない空気感なんだよな。結構唯一無二な空気感だなって。
逆にあれ珍しいなって。
なんか普通にピエール滝が仲間と旅行してるみたいな雰囲気なんだよね。
楽しそう。
そうそうそう。楽しそうな会話とかもさ、ふとした雑談みたいなのも楽しそうで、
あの空気感結構唯一無二だなって。
なんかさ、思い出したけど、あの万博会でも喋ったけどさ、
あの万博にさ、なんかおじさんだけで来てるグループみたいなのいたじゃない?
で、あの人たちもすごい楽しそうだったよ。みんなでソフトクリーム食べてさ。
なんか楽しそうなおじさんグループっていいよね。
いや、わかる。
その万博でね、関西のもう定年してるんだろうなみたいなおじさんたちのグループが隣でご飯食べてて、
でもほんと楽しそうなんだよな。
中学生の集まりみたいな、すごい無邪気な楽しい雰囲気みたいなのがあって。
だから2人ぐらいおじさんがね、みんなの分のソフトクリーム買いに、
はいはい、ソフトクリームですよみたいな感じで。
お待たせーみたいな感じで来てて。
楽しそうと思って。羨ましいよね。
言われこの視聴者がリスナーが、やっぱね、おじさん多いんじゃないかなって俺も含めたね。
意外とその女性とかよりも、おじさん男の人の方が多いんじゃないかなみたいな。
なんかやっぱ一種の心地よさみたいなさ、
マッチョじゃない男性集団。
吉本とかさ、上下関係みたいなさ、緊張感があるような感じでもなく、
穏やかなんだけど、男だけのグループでのんびり楽しくやってるみたいな。
あれってあるようでないんだよな。
そうだね。
やっぱピエル滝って、がたい言い訳なんだよね。
言われ込み取るとでかいんだなこの人って思うけどさ、
なんか一つの日本のおっさんの方なんだなって。
理想のね、一つの理想のおっさんの方みたいなのがあるんだなって。
昔の日本人ってさ、北野たけしみたいなさ、肩幅が広くてさ、
ちょっとずんぐりしたようなさ、体型の方が多かっただろうなって。
今の60代以上の人を見るとさ、肩幅が広くて。
昔のね、職場の上司とかさ、今も70くらいの人だけどさ、
結構そういう体型の方多くてさ。
でも今ってみんなもう小顔で細くて、アイドル体型でみたいなのがさ、
一種の男の方になってるんだけどさ、
ある年代まではさ、ああいう肩幅が広くて、
どっしりしてみたいなさ、男性像みたいなのがあったんだけど。
ピエルたけね、まだ50代だと思うけど、ピエルたけってああいう名残があるんだよね。
もうちょっとピエルたけの話があったけど。
なんかね、いわれ子見てるとね、あれも感じるんだよね。
だから結構あれ唯一無二だなって思う。
そうね、まあそんないわれ子とかもあるし。
で、なんかこう思うのが、情報が多いじゃない?今。
情報型なんだよね。
そのYouTuberがさ、たくさんいる中でいろんな場所に行くじゃん。
ウィーンならウィーンで、ウィーン行ってるYouTuberなんてたくさんいるわけじゃない?
インフルエンサー含めってさ。
で、そうするとさ、新しい発見ってもうないんだよね。
普通の旅行者が行ってさ、YouTuberとかインフルエンサーっていうもう、
ちょっと別格的な個人じゃない?別格というかタフな個人がやってる旅行に対してさ、
普通の一般人が旅行してさ、新しいものを発見するってなかなか難しいなって思うのね。
そうなってくると、今のこの時代の旅のテクニックとか旅行のテクニックって、
いかに余白を作るかっていうところだと思うのね。
情報の外にいかに出ていくかみたいなところだなと思っていて。
例えばインドでさえさ、インフルエンサーとかYouTuberとかだいぶ来てるからさ、
だいたいやることが同じになってくるんだよね。収束していくんだよね。やることが。
長距離の寝台列車に乗ったりさ、街とかばってインド人と絡んだりさ、
屋台で飯食ったりさ、ガニス川沿いの仮想場行ったりさ、そういうだいたいやること同じなのよ。
実際俺もなぞるしね。やっぱ情報が溢れれば溢れるほど多様化していくんじゃなくて、
収束していくんだよね。やることって意外と。そういう中で提示したい概念が旅の飛距離なのよ。
旅の飛距離をどう出すか。要するに、予期せぬものとどう出会うかみたいな。
意外なものと、そのための空白とか余白をどう作るのかみたいな。
のがこの時代の旅とか旅行のテクニックだなと思う。飛距離を出すこと。
それは誰かの動画とか経験をなぞるんじゃなくて、答え合わせではないことをどうするかみたいな。
で、この飛距離の出し方、2種類あるなって。僕の中で考えたのね。
旅の飛距離の出し方2つ。1つが結局はやっぱり、より危険で過激な方向に行くことが、
誰もやってないことをやるっていうのが、より危険で過激な方向に行く。
どんどんどんどん過激になっちゃったら戦場に行くとかさ、
になってきちゃうんだけど、これってやっぱ消耗戦じゃない? チキンレースっていうかさ、常に上には上がいる。
常にタフな人がいるっていうような消耗戦に入ってくるから、現実的ではないというか、やるべきではない方向なんだけど、
そうやって誰もやってないことをやるっていうのが1つなんだけど、もう1つがコンセプトを持つこと。
旅とか旅行にコンセプトを持っていくこと。
俺はこれはさ、仏教というのが1つのコンセプトとしてあって、そうなってから面白いなって思う。
旅をすることが、 仏教というコンセプトがあることによって、
仏教の聖地とか回りたいなと思うし、仏教人とかに見て回るっていうのもあるし、
そうなってくると繋がってくるじゃん。 インドとかネパールとかと日本の仏教とかが繋がってくるし、
2500年の歴史があるわけを少なくとも仏教には、ゴータムシッタールが誕生してから2500年以上の歴史があると、
その年代年代によっても仏教って姿形とかそう変えていくから、
この時代のこの場所の仏教があの時代のこの場所の仏教と繋がっていくみたいなことが起こるんだよね。
そうすると自分の中ですごい光が出るんだよ。 すごい旅をしているみたいな、すごい発見があるみたいな。
だからYouTube時代、動画時代の旅でいかに自分の中で光を出すかっていうのはコンセプトしかないなって思うんだよね。
それは何でもいいと思うんだけど、お酒とかでもいいし、食べ物でもいいだろうし、宗教というものでもいいし、
建築とかでも歴史とかでも本当に何でもいいとは思うんだけど、一つコンセプトがあることですごい広がるなって。
むしろそれがないともう観光地とか動画とか情報に飲まれちゃうんだよね。
結果行かなくてもいいんじゃねえかみたいな、分かっていることを行くっていうのはさ、
美味しいものだけだったら東京でも食べれる、受け出した世界中の料理だなってなんかね、ちょっと最近思う。
その旅のテーマみたいなのを決めるとやっぱり奥行きみたいなのが出るかなって思う。
横田さんなんかある? 何が?
そういうの。 テーマを持った旅ってこと?
テーマじゃないけど、前も話したきっぽい旅行はもうそこにパワーをもらいに行くみたいな大きいテーマがあるから、結構なんかゲーム感覚で楽しいかなって思う。
そうだね、あれ第何十回だったかちょっと忘れちゃったけど、きっぽい旅行のすすめっていうね、エピソード回があって、
ゆう子ちゃんがそのきっぽい、 旧世紀が。
そうそう、旧世紀学でね、方角を占って、その方角の方に、 その年の良い方角に行くっていう。
旅行して運気も上げてみたいな、きっぽい旅行ね。
ぜひ過去のエピソードを聞いてみてほしいんだけど、それも面白いよね、ゲーム感覚で。
うん、面白かった。
ゆう子ちゃん、未だに悪い方角にはいかないからね。
いや、いかない。もう一回しちゃうといけないからね。
それぐらいならいかないって徹底してるから。
そうね、きっぽいね。
こういうコンセプトの話聞きたいなと思う。
俺、昔、ラオスのビエンチャンだったかな、にいたときに、同じゲストハウスにいた日本の人がいて、
当時大学院生とかだったのかな、 卒業したぐらいだったのか忘れたんだけど、
喋ってたらすごいメモ帳にいろんなことびっしり返して、 どういうことメモってるんですか、みたいなこと聞いたら、
少数民族調べてもらってるんですっていう人がいて、
そのときに結構衝撃を受けたんだよね。
へー、みたいな。これは飛距離出るだろうなって。 当時は飛距離とは思ってないけど、より深く、
深いところに何か到達できるんだろうな、みたいな。
ことをすごく感じて、やっぱね、ああいうテーマがあったり、コンセプトがあったりっていうのはすごくいいなって。
本当に、徹底してフラフラするってのももちろん一つではあるんだけど、
それって毎回毎回フラフラもできないからさ、
フラフラってのは本当に人生に一回ぐらいしかできない経験だと思うので、
俺の当時はそれフラフラしてたんだけど、その若い時にさ、将来のこととかもそんな気にせず、ただフラフラするって、
ねえ、やっぱ人生で一回二回あるかないかの時期に、
話だから、それ以降ってやっぱりコンセプトがあると、
この情報型の時代に飲まれずに、観光地に飲まれずに旅行や旅ができるなって。
だからね、参考にはしても影響を受けすぎないようにするっていうのがさ、大事だなって思うんだけど、
今、SNSとかもオーストラリアとかだとさ、中学生ぐらいまで禁止にしたりとかさ、
出てきてるじゃない、そういう国もあるし、
今日ニュースでカトリックのローマ法王がAIの使用に関して制限を設けた方がいいんじゃないかみたいな、
それはカトリックないっていう話なんだけど、結局説教とかもAIで作り始めちゃうと、
それはAIに司祭が奉仕してるような関係性になっちゃうから、良くないと。
それはその誘惑に打ち勝って、ちゃんと自分で考えなきゃいけないんだみたいなところもあったりしてさ、
なんかまあ旅系YouTubeに限らず、どういうふうに情報と接するかっていうのが、
何においても人間味、その向き合い方、使い方が人間味みたいなところが僕はあるなと思っていて、
いかにさっき言ったように遠くに行くか、特に物理的な距離じゃなくてね、
気持ちの面でというか、より深いところに降りていくかみたいなところになった時に、
やっぱ情報に飲まれてる人、飲まれちゃうといけないと思うんだよね。
情報をうまく使いながら、どう遠くに行くか、
そのためにはどういうものを、コンセプトみたいなのがあるといいのかみたいなのが、もしかすると良い飛距離の出し方としてあるのかなって。
ということで、あんまりスパッとした何かがあるわけじゃないんだけど、
最近結構思うんだよね。こういうこと、何でかわかんないんだけど、そうなんだよね。
ソーシャルメディアで見る旅の情報ってこと?
そこに限らずなんだけど、普段から生活してて、
あと旅行とかもそうなんだけど、そもそも行かなくてもいいんじゃないかなみたいになる時があるんだよね。
動画で十分かなみたいな、思う時もふとあるんだよね。
そうなんだよね。それって何でもそうなんだけどね。美術館行くとかもそうだし、お寺行くとかもそうだし、
情報を摂取しているような状態に陥ってしまうみたいなのが時々あるんだよな。
何事においてもね。
やっぱりでもそれって、スマホになってからなのかな?やっぱり。
まあそれはあるんだろうね。少なからずガイドブックとかだってさ、ガイドブックをなぞるような旅行みたいな言い方はあったからあるんだけど、
やっぱ情報量が全然違いすぎるじゃん。
なんか量もそうだし、やっぱ質みたいなのも変わってきてる、昔とは。
ガイドブックだったら一年更新だからさ、結構情報違うじゃんみたいなこともあったりしてさ、そっから起こるドラマとかもあるんだけど、
今もGoogleマップとかも全部あってさ、現地でね。かつ動画で目で見てるからさ、情報のズレがなくなるんだよね。
何だったらね、その公共交通の乗り方とかも事前に把握していけちゃうから、
それって本当、あ、情報なぞってるなって。
でもそれって何事においてもそうだなって思うんだけどね。
確かにそうだね、旅に限らず。
なんか最近AIさはちょっと思うんだけど、今クロードコードっていうAIエージェントとかがあるんだけど、
そのAIエージェントの使い方みたいなの、なぞるじゃん。
なんかなぞってるなって思ってたんだよ、情報を。
ほとんどはそれで自分の仕事とかをさ、全部攻略して、っていうかさ、効率化して、受動化してみたいなところもそうなんだけど、
そうだね。
何だろう、やっぱちょっと持て余してるところはあるのかな、なんか。
情報型の時代に、スピードについて、なんか生き切れてないのかもしれない。
いや、そうなんだよ。だから、そのスピード感にブレーキをかけるために、
ヨカとか旅行とかが、旅が本題はあるんだよね。
飲まれちゃうとさ、現地行ってあれやって、これやって、あそこも食べて、あれも食べて、みたいな。
やっちゃうと情報を取ってる、情報を食べてるだけになっちゃうみたいな。
ヨカって本来はさ、そういう社会の流れ、時間の動きとは別にさ、離れたところにあるものじゃない。
関係ないところで時間が流れるみたいな。
そこにジレンマがあるんだよね。
かといってさ、旅行行ってさえ一枚も写真撮らずにさ、インスタにも上げずにいられるかって言ったらさ、
それってやっぱイコールじゃないからさ、そうはならないんだよね、それはそれで。
やっぱそこに時代のジレンマがある。
みんなこんなの分かってるわけじゃない。
前回のゴホーテンの人たちだってさ、写真撮りながらうっすらそういうの感じるもんだと思うんだよね。
わちゃわちゃしながら写真撮りながら、そこのそういうジレンマって多分感じる気がするんだよね。
だってミュージシャンのライブ見に行ってさ、ちゃんと聞く、その場を楽しんで聞くのかさ、動画を回してるのかってさ、絶対ジレンマがあるじゃない。
動画撮ってない時だってさ、どっかでさ、これ残したいっていう思いとかあるもんね。
撮っていい状況でさ、あえて撮ってなくて、必ずそういうジレンマが常に付けまとうみたいな。
そのジレンマを持ちつつ、どう旅に引き手を出すかみたいなことが、
僕が今日多分ちょっと話したかったことかなって。
俺やっぱこういう話したいなって最近思うんだよな。
ポッドキャストね、こういう話したいなって思うんだけどね。
どういう、SNSと旅みたいなこと?
旅にどう満足できるかみたいなところも含めてだと思う。
この時代に。
そう、この時代に。
時々ふと、これ家にいてもかんねーなみたいな、出かけなくもないからさ。
だったら山とか海とか行ってさ、直に自然を感じるとかさ、の方がいいのかなとかね。
なんかちょっと全然違う話かもしれないけど、
人と自然の接点みたいなことについてのエッセイを最近読んだんだけど、
人って自然を感じたいみたいなこと言って山に行ったりとかなんかするじゃん。
だけど本当は人間がこの地球上に暮らしてる以上、
自然との接点っていうのは常に身近にあるんだっていう。
例えば雨が降って、それが途端屋根に落ちる音があったら、
それは途端屋根っていう人工物と自然の雨っていうものの接点を耳にしてるっていうことだから、
だし何かを食べるっていうことは自然とかの命をもらうことだから、
それすらも私たちは自然と接点を持ってるんだみたいなことを読んで、
それってもう昔から今も変わんない。
そのエッセイは本当に昭和1970年代くらいの人のエッセイだけど、
今もそれは変わんないわけじゃん。
だけどやっぱり取り巻く状況が全然違くて、
なんかやっぱりそういうSNSとかAIとかが発達して、
よりそういうことに目が向きにくくなってるし、感じにくくなってるのかなっていうのは感じました。
そうなんだよね。
確かにね、本来自然って実際今も身の回りには必ずあるんだよね。
やっぱり2025年AIがあまりにも進化しすぎて、
もう来年、再来年どうなってんのかなみたいな恐怖だよね。
ちょっと去年のAIの進歩がすごすぎて、
そういうのね、生活の中にもね、確かに自然ってあるんだよね。
でもそういうことを忘れないようにしないといけないなって思って。
あとやっぱりイランの戦争とかホルムズ海峡の話とかさ、
速度が速いじゃん、これもさ。
こないだベネズエラの大統領、アメリカが拉致したと思ったらさ、
今度ホルムズ海峡でさ、イランとイスラエル戦争しててさ、
でもイスラエルってちょっと前までガザーで戦争してたわけじゃない。
速くない?
なんかその展開の速さがさ、
世界情勢は世界情勢でそうやって動いてるしさ、
AIはAIで異常な速度で進化してるしさ、
なんかそういう時代背景もあると思うんだよね。
今こういうことを考えるので。
みんなこの社会のスピードの速さをどう感じてるのかな。
ほんとそうだよね。
自分以外の人って、このあまりにも速い社会、
やっぱ2020年と今比べても5倍ぐらいになってるんじゃないかなって。
2024年と5年でも2倍ぐらいの速度になったなって。
来年再来年さらにこの2、3倍の速度で回っていくんだろうなみたいな。
このまま人類が動いていったらどうなるのかなって。
怖い。