はい、りょうたです。耳で旅する週末耳旅第110回です。 今日は福島県立博物館の企画展、「安積疎水の挑戦」を見てきたので、その話をしていきます。
今週はユウコちゃんが来てくれているので、夫婦で喋っていきます。ユウコちゃんお願いします。 よろしくお願いします。
はい、ということでね、現在、藍鶴若松市にある福島県立博物館で、県政150周年記念展ということで、「安積疎水の挑戦 氷山の未来を開いた水路」が開催中ですと。
会期としてはね、2026年10月10日から12月6日まで開催中ですね。 絶賛開催中の展示になっております。
でね、今日のね、お昼頃見てきて、その後今これを収録してきてるんですけど、「安積疎水の挑戦」って言われてもね。
安積疎水とは何だよ。 そうそう、安積疎水って何みたいな。 本当に福島県以外の人よく、多分知らないんじゃないかなって。
知らないし、福島の人でも氷山の、氷山の人ぐらいしか日常的に聞かないんじゃないかなみたいな言葉なんですけど、
本当に非常に良い展示でね、本当に福島県の歴史で最も重要なポイントなんじゃないかなと思う。
の一つ。 ポイントの一つかなと思うのでね、今日はこの安積疎水の挑戦についてね、ちょっと喋っていきたいなと思います。
はい。 ということで、あの、安積疎水について喋るには、やっぱりね、今の氷山について
先にね、喋っておかなきゃなと思っていて、福島県の氷山市ですね。
ゆう子ちゃん、地元なんだよね、出身。 生まれも育ちも氷山。
で、まあこのね、氷山って今どんな町って言われると、どう紹介する?
どう紹介? まあ、新幹線が止まる町って言えるかな。
本当にでも、それが一番わかりやすくて、
これっていうのも言えないみたいなところはあるかもしれない。
まあ、あの、福島県の氷山って、県庁所在地は福島市なんだけど、一番ね、商業都市としてまさかいてるのは氷山市なんだよね。
で、その経済規模とかで見ても、東北全体でも仙台の次の都市みたいで、
まあね、でもやっぱり一般的には新幹線が止まる、なんかやっぱ東北入ったなみたいな。
うん、でもそれを思い出したけど、なんかこの番組でも喋ってるような気がするけど、
あのほら、アニメの7で氷山は8の出身地っていうことでね。
あれ、アニメだと断言されてるんだっけ?
いや、まあ、ただモデルになってて、でも見るからに氷山だなっていう。
この矢沢愛の漫画の7ね、やっぱり東北の人からしたら、バンドやってる方の7は青森とか弘前とか青森あたりの出身で、8の方はやっぱり氷山。
田舎でも都会でもない中途半端な街みたいなモノローグが漫画の中であって、氷山みたいだなと思って読んでたら、アニメで氷山がモデルになってたんだよね。
そうなんだよね。まあそういう端から来てるんだろうなって、そう思わせるね、描写があるんだけど、田舎でも都会でもない。
なんかこう中途半端な街っていう。
がね、氷山。
の今の印象。
今の印象だよね。
ただ、まあ過ごしやすいよね。たぶん暮らすっていうところに関しては、たぶん観光とかで楽しむ場所じゃないんだけど、暮らすっていう意味においては、まあやっぱそのぐらいってちょうどいいなって、まあ年をとって
から思うってのもあるけど。
旅に来る場所ではないけど、旅に出るには色々行きやすい。
東京にもね、新幹線で1時間ぐらいで行けるし、東北の諸都市にもね、すぐ行けちゃうし、まあ比較的空港も近いからね、福島空港とかも近かったりして、まあまあ暮らすにはすごく便利な場所なんですよ。
でね、あのー、最近だとね、お米も美味しいんだよね。
浅か甘いっていうお米もあったりね、あと野菜もね、僕ら氷山の実家の方行くとね、野菜買って帰るんですけど、やっぱなんか福島の野菜とか米は美味しいところっていうと、まあ会津ってイメージがあると思うんだ
けど、やっぱ氷山はね、美味しいね。
そうだね、結構、あまり知られてないかもしれないけど。
あまり知られてない、そのイメージもないかもしれないけど、実はね、僕も並ぶか両画するぐらいのレベルに達してるんじゃないかなっていうぐらい、本当にね、氷山のお米や野菜がね、最近すごく美味しいなって感じてる
んですね。まあまあそんな氷山。
そう、なぜ野菜も米も美味しいのか。
そう。っていうのが浅か素水の挑戦なんだよね。なぜそうなったのかっていうところが、で、まあ僕ら夫婦はね、たぶん日本で一番浅か素水について会話したと言っても過言ではない夫婦かなと思ってて。
そうか。
一般人にはね、その、もちろんその、その周辺で働いてる人とかは別だけど、その、ただの一般人として普通に、なんかやっぱ浅か素水についてついつい喋りたくなる。
まあやっぱり、なんていうの、いろんなことを喋ってても、まあ、やっぱスタートは浅か素水だよねみたいなことに。
結局、なんか福島の歴史とか、いろんなね、展示とか見てると、結局やっぱ浅か素水が何回も出てくるんだよね。そこを経過するというか。
まあそういうのもあってね、この長年にわたり浅か素水についてことあるごとに会話してきたから注目してきてね。
そんなね、我々にとって、この浅か素水の挑戦の展示はね、ようやく来たかぐらいのね。
そうだね。この間、夏休み期間中ね、福島近隣立博物館では、大恐竜展がやっててね、その過去最高の入場者数を誇ったっていう、その後に浅か素水の挑戦。
夏休みにね、7万人集めて、多分遠方からも家族連れてたくさんの人が来たであろう恐竜展の次が、企画がね、この浅か素水の挑戦。
いやだから5人ぐらいしか来てなかったもん、今日ね。
今日、平日の日とはいえね、ほんと5人しかいなくて、そのうちの2人はね、入ってから出るまでほんとただ散歩しただけみたいな。
通り過ぎて行ってて。もうちょいずつちゃんと見てほしかった。
っていうぐらいね、やっぱ全然注目もされてないし。
でもやっぱりね、これを見ずしてどうすると。
いやそうだよ、これ浅か素水を語らずして福島語れないからね、ほんとは。
だし、これこそが福島県の博物館とかでやってほしい、最重要テーマだなと僕は思ってるんだけど、まあまあまあそんな感じでね。
まあこれがね、浅か素水っていうのがどういうことなのかっていうと、
もともとね、郡山って江戸時代まではね、すごい貧しい土地だったんだよね、枯れた土地というか。
不毛の土地だよね。
当時は浅か三万石って呼ばれてたと。
まあ黒高だから、三万石でさ、全然人痩せないよっていうような意味でね、浅か三万石って呼ばれていた、すごい痩せた、枯れた土地だったのが江戸時代までの郡山。
で、じゃあそれがなぜ今のこの豊かな郡山になったのかっていうのが、これは浅か素水の大工事をしたからなんですね。
今から何年前?150年前?
まあそう、建成150年だから、郡山できて150年だから、福島県がね、福島県できて150年っていうところで、
そうだね、明治15年だね、その浅か素水の事業工事が終わったのが明治15年。
だいたい150年かけて、今の郡山になっていくわけなんですね。
で、まあこの辺はね、もうちょっと展示の内容にも関わってくるんですけど、
じゃあなんでこの浅か素水の工事っていうのが行われてこうなっていったのかということを、
まあちょっとね、簡単に展示を見た内容を踏まえ、僕の感想も交えながらね、ちょっとおしゃべっていきたいなと思います。
で、じゃあまず今の福島県ってどういう形になってるかっていうところを、一旦ちょっと頭の中にまず思い浮かべてほしいんですけど、
福島県っていうのは東北の中でも一番南にあります。
栃木県の上ですね、栃木とか茨城の上にある県で、横に長い県なんだよね。
で、一番東側、右側にあるのはいわきっていうエリアで、太平洋に面したエリアですね。
で、真ん中が中通りって呼ばれてるエリアで、まあ郡山とかがね、福島市とか郡山市とかがあるエリア。
で、ここに東北新幹線とか東北道が通っているので、まあ車とかね新幹線で東北方面抜けていくときは、大体の人がここを通って移動していく。
まあ本当に福島県で最も重要なね、交通の要所として、まあ今も中通りっていうのがありますと。
で、最後に西側、左側の部分、まあ新潟県と接するのが藍津エリア。
で、この3つが一緒になってできたのが、今の福島県。
で、まあできたのが150年前。
じゃあ、なぜね、福島県になったのかっていうと、このね、中通りと藍津、まあ郡山と藍津の間には、いなわしろ湖っていう湖があるんですよね。
で、これは全国でも4番目に大きい湖になっていて、
で、このいなわしろ湖の水っていうのは、もともとね、藍津側にしか流れてなかったんですよね。
江戸時代までは、この藍津側にしか流れてなかった。
で、だから、まあ藍津ってのは基本的に豊かなんですよね、歴史を通して。
それはいなわしろ湖から水が流れてくるから、まあ水に困らないというか、まあ豊かな土地だったと。
だから藍津藩とかさ、もう東北最大の藩だったわけじゃない。
まあ仙台藩と奈良草、東北の優だったわけなんだけど、
それはね、やっぱこのいなわしろ湖っていう水とかが豊かな土壌であることが、まあ大変関係しているっていうのがまずありますと。
で、一方で郡山っていうのはさっきも言ったように、まあ枯れた安田土地だったんだよね。
で、この歴史が変わるのが、もう母親戦争以降になってくると。
で、まあ母親戦争で藍津はね、藍津藩は新政府軍と戦って戦争をして、まあ負けるわけなんですよね。
で、それからまあ明治維新が起きて、まあ明治になると。
で、そうすると、その新政府軍がやってくるわけじゃない。
新政府軍が、まあ新政府軍というか、まあ明治政府がね、まあやってくるし、
それまで私族だった人たちが侍だった人たちが職を失うんだよね。
仕事を失うと。
で、かつまあ明治政府だからさ、布告強兵でまあ国を強くしていこうという方針とかがあったときに、
じゃあこれまでの侍だった私族に開婚をしてもらおうと。
幻夜をね、幻夜をたがしてもらおうっていうのが開婚事業としてね、立ち上がるんだよね。
あの、これ展示ではね、私族救済、救済っていう言葉が使われていたんですけど、
その枯れた土地である郡山を、まあ侍、元侍だった人たちによって、
開婚してもらおうというのが最初のね、この飛鳥開拓事業の始まりなんですよね。
で、まあ最初ね、そのもともと郡山市って日本松寮とかだったから、まあ元のね日本松藩市の人たちとかが、
まあ改正社っていう会社とか立ち上げながら、あのまあ開婚を進めていくんですけど、
で、中にはね、全国からね、いろんな土地の種族が集まってきて、
一緒にまあ開婚をしていくことになると。で、例えばね、あの久留米っていう町があるんだよね、郡山市に。
久留米っていう町があるんだけど、これはもともと久留米藩だった人たちが、
福岡のね、そう福岡の久留米からやってきた久留米藩市だった人たちが移住してきて、
一緒に開婚をしてきらひらいていくと。で、そういった時に、
このね、久留米っていう地名が残ったりっていうのがあったりするんですけど、
まあそんな感じでね、開婚を進めていくんですけど、
まあなかなかね、やっぱ水がないとね、とはいえ、そもそも水がないと限界があると。
という時に、大久保と清道にね、まあ掛け合って、この阿蘇川開拓の事業を、
まあ国家事業まで押し上げようっていうふうに、話がね、流れが変わっていって、
まあ最終的にね、じゃあこの稲羽白湖から水を引こうっていう話になってくるんだよね。
で、藍津にしか流れてなかった稲羽白湖の水を郡山に引こう。
で、そのために福島県になろう。
うん?
一つの県になろうみたいな。
うん。あ、だから、昔は若松県だったんですね。
あ、そうそう。
藍津っていうのは、別の県だった。
あ、そうそう。
で、もともと藍津って、藍津っていうか福島県って、その廃藩地権が起きた後は、
藍津藩だったところは若松県になっていて、
で、もともと今の郡山のところを福島県と呼んでいたんだよね。
まあいくつか名前は変わってるんですけど、
言い訳あたりは岩崎県ってなったりっていうような形で、まあ名前は変わってるんですけど、
このね、稲羽白湖から水を引くってなった時に、
一緒になろうと、福島県としてやっていこうということで、
この稲羽白湖から水を引くっていう国家事業が立ち上がるんですよね。
で、このイメージしてすれば、結構簡単にイメージできると思うんですけど、
稲羽白湖って比較的標高が高いところにあるんですよね。
湖なんだけど、他の藍津若松とか郡山の原野、平野部と比べると標高が高いところにあると。
で、ここからね、やっぱ水を引いてくるっていうのは大工事なわけです。
大プロジェクト。
で、で、もともとね、その藍津側にある水の出口のところにね、
重力橋水門っていう水門を作ることで、
稲羽白湖をダム化するんですよね。
ダムみたいに見立てて、藍津側に流れる水の量を調整して、
で、今度郡山側には水のトンネルをね、水が流れるようなトンネルを作って、
そこから水を流して、郡山側に水を引いていく、浅賀側にね。
っていうのが、この浅賀疎水の大事業で、
これね、数値だけで言うと、今の価格換算で470億円の工事費と、
延べ人数ね、延べ85万人が工事に従事した国家プロジェクトとして、
明治15年にね、この浅賀疎水っていうのが完成するんですけど、
やっぱね、この浅賀疎水ができたことによって、
郡山って、まず、肥沃な土地に変わっていくと。
浅賀3万石しかないって言われてたのが、大正時代に入る頃には10万石を超えて、
ちょっとずつちょっとずつ、肥沃な土地に変わっていくっていう風にもなっていくし、
で、今度ね、やっぱ水を通してるから、次はそこに発電所が建てられるようになるんだよね。
発電所が建つことによって、工場とかを作ったり誘致したりっていうのができるようになっていって、
今度はこれがね、工業都市になっていくみたいな。
そんなね、一連の流れがね、この浅賀疎水の挑戦っていうのを通して解説されていてね。
いや、なんか結構人と車があったなって。
だって、会津と郡山って今でも電車では1時間くらいで、車で行くと1時間半くらいかかる。
結構な距離があるんだけど、その間、約それくらいの距離を水を引いて、
引こうとしたわけでしょ。すごいよな、単純に。
そうだよね。しかもさ、特に車で、郡山から会津側行ったことある人は、
結構トンネル多い記憶があるんじゃないかなと思って。
今でこそね、トンネルで車でワンエイツ島を通れば1時間くらいで行けちゃうけど、
当時なんてもちろんトンネルもないわけじゃん。
だから山を切り開いて水路を。
あの辺って大山脈の終わりの方なんだよね。
その山脈の終わりの方だからとは言えば、そのだけのアイロというか山が難所としてあって。
で、それをなんか3年で。
思ったより早いんだよね。
びっくりした。10年くらいかけてるのかと思ったら、3年でできてると思って。
よっぽどね、たくさんの人が頑張って開作したんだなと思って。
これがなければユクチャマには存在してないからね。
そうだね。
そう、すべての郡山の人たちはこれがなければ存在していなかったと言っても過言ではない。
そうだよね。でも本当にそう、水が来たから人もたくさん住んでっていうことになるわけだ。
だからね、さっき言った十六峡水門って、今日本遺産で認定されてるんですけど、
全然やっぱ観光地としてはね、聞いたことないだろうし、
多分地元の人でも十六峡水門を知ってる人って、結構な歴史好きでもないとさ、知ってないと思うんだけど、
いや僕はね、やっぱ訪れるべき場所だなって。
十六峡?
十六峡水門。僕3回くらい行ってるからね。
すごい歴史の解像度が上がるんだよな、そこ行くと。
福島ってこういう場所だったんだ、みたいな。
そうだね。でね、このね、朝霞蘇生の工事には、ファンドールンっていうオランダのね、技師が関わってるんだよね。
オランダってやっぱ観察事業っていうの?
その水がさ、海抜が低いから、その水路とかさ、その水をどうするかっていう問題がさ、
たぶん歴史的にずっと悩まされてきた土地だから、で今回この、今回じゃない。
でこの朝霞蘇生の時にも、そのオランダからファンドールンっていう技師を招聘して、たった5日間なんだけど、
一緒に現地見て、測量資料とか見てもらって、どこにね水を流すのかみたいなところを一緒に見てもらったりとかして、
でね、このファンドールンという方がいるんですけど、この十六峡水門にはファンドールンの銅像が建ってるんだよね。
でね、やっぱり最初行くとね、すごい立派な銅像なんだけど、ファンドールンの銅像って誰?ってなるわけよ。
そうだよね。
この歴史を知らないで行くと、誰?みたいな。
しかも外国人だから。
いやそうそうそう。
なんで稲橋六甲のちょっと道の奥の方に入っていくと、その十六峡水門があるんだけど、
そこに本当に立派な銅像が建ってる。そして外国人、誰?っていう。
ところから、やっぱね、この歴史、歴史ってすげーなーにも繋がっていくんだけど、
まあそうだね。
まあやっぱね、これがようやくね、やっぱ企画展としてやってたのはすごい良いことだなって。
私、学芸員の方はすごい熱量を持ってやってたなって。
そうだね、結構なんか、まあそんな華やかな派手な展示じゃないけど、なんかこう熱い思いが伝わってくる展示だったね。
うん、やっぱ全体をすごくバランスよく見てるなって思っていて、
で、やっぱね、朝霞祖水ファンからしたら、ファンドウルンってやっぱ神格化されてるんだよね。
うん、そうだね。
ファンドウルンがいたからみたいな。
うん、なんか本とかにもなってるしね。
そうそう、忘れられたオランダ人っていう本とか、まあ物語にもなったりしてたり。
あと郡山市の小学生はたぶん授業で習うファンドウルン。
でもね、今回はちゃんと展示の中ではね、もちろんファンドウルンも出てくるんだけど、でもそれだけじゃないんだぞと。
どういう人たちが関わって、もうそもそもねファンドウルンが来る前にしっかりとした測量が行われてたとか、やっぱ最後のアドバイスというかね。
そうだね、仕上げっていう感じだよね。
っていうところのバランスがね、非常にいい展示だったなというふうにも感じたし。
そう、だからファンドウルンだけがすごいんじゃなくて、それに関わったたくさんの地元の市民とかがいたってこと?
そうそう。
それを言いたいんだなっていうのがその展示から伝わってきた。
そうなんだよね。大久保都市道とかファンドウルンとかビッグネーム。ファンドウルンは別に全国的には知られてないけど。
郡山市民にとってビッグネーム。
あとね、大久保都市道とかのビッグネームが表に出てきやすいんだけど、そうじゃなくて本当に泥をかぶり汗を流した人たちがいるんだなということが。
ね、すごくわかるし。
ね、これあの大久保都市道も来るときって明治天皇の巡行できてるんだよね。
だからその情熱を天皇まで届けてたんだよね。水を引きたいんだっていう。
っていうところがやっぱね展示を終わっていくとすごくなるほどなってことがね、伝わる展示になっていて。
そういうのも含めてね、良かったなって。
うん、だから本当に改めて国家プロジェクトだったんだなっていうのはすごい感じた。
本当に大久保都市道が結構人生かけてぐらいにやってたんだなと思って。
そうだね。
だしね、本当にこれが今の生活に繋がってんだなって。
いうのがね、特にやっぱりよくちゃん感動したって言ってたもんね。
見終わった後。
そうだね、見終わった後もなるほどって思って。
これはまあ出身率とか感動するよな。
そうだね。
なるほどなって。この先に我々がいるのかって。
だしこれがなきゃ我々はいないのかって。
そうなんだよね。だから150年ぐらい前の近い過去だから余計に身に迫るっていうか。
自分にすごい関わりがある感じがする。
明確にこれがなきゃあなた存在してないですよっていう。
歴史的なトピックだったりするから。
そうなんだよね。
それが自分に関係してるっていうのがすごい不思議というか。
そうなんだよね。
しかもこれってさ、例えば災害とか戦争とかさ、
なんかちょっと個人レベルではどうにもならない大きなトピックによって運命が変わったっていうよりかはさ、
飛鳥開拓っていうさ、ある種国家事業にはなったけど、
やっぱその土地に関わった人たちの情熱でこれが成し遂げられたんだなっていうすごいポジティブな側面しかないじゃん。
このポジティブなものがなければ、氷山に関わるその後ね、150年、数百万人にも及ぶと思うんだけど、
存在してなかったかもしれないっていう。
あれを感じるのがやっぱなんかすごいなって思うんだよね。
そうだね。
なんかだから、私たち今藍津に住んでるけど、やっぱ藍津って言ったら母親戦争が結構メインでやっぱりよく語られるじゃん。
で、なんかちょっとこう被害者視点にはなっちゃうんだけど、
で、まあやっぱ複雑な気持ちはあるけど、その母親戦争っていうかその族群になっちゃったよね、藍津ってみたいな。
まあ官軍と言われる人たちについてとか複雑な気持ちはあるんだけど、
でもやっぱり氷山視点で考えると、それがないと氷山って存在してなかった。
いやそうなんだよね。
なるとなんかまたより複雑さがもうないまぜになってもう、なんかもううわーみたいな。
これがもし母親戦争が起きなかったりとか母親戦争で藍津側が勝ってたら、
たぶん水は氷山側には引っ張ってないんだよね。
そうだね。
あれなぜ氷山側に引っ張れたかって言ったら藍津側が負けた県だからなんだよね。
負けた場所だったから。
だってさ、もし決壊したらさ、崩壊したらさ、やばいわけじゃん。
この工事が失敗してさ。
藍津側の人からしたらさ、マイナスしかないんだよね。
プラスになることはないんだよね基本的に。
工事失敗したり、でうまくいったとしても氷山側に全部水引っ張られちゃうかとかさ、
いろんな可能性があるとさ。
でもそれを決行できたのが基本的に母親戦争で藍津側が負けたからっていう大前提がある。
そうなんだよね。なんか複雑だよねそんなこと。
いやすごいよだからこれはねやっぱ歴史を最もね感じるんだよな。
やっぱ明治以降の歴史もそうだし、明治以前の礼儀道時代までの歴史も全て結節点みたいになってるのがやっぱこの浅草水運の大事業で。
そうなんだよね。
そのやっぱなんていうの象徴的な場所が十六教水運だなって感じるしね。
だからなんか聞いてる人でなんかこういう思ってるかもしれないけど、
私たちってやっぱ今でも山口のこと嫌いなんですかみたいなこと思う人いるかもしれないけど。
まあ私はそういうね郡山出身だけどまあやっぱ藍津の歴史は知ってるし、
まあいろいろひどいなとか思うところはもちろんあるんだけど、
なんか単純じゃないよなってそんな好きか嫌いかとかじゃないし。
でも前はもうちょっと結構明確に。
長州のやつらって。
まあそこまではあれだけど、なんかちょっとねみたいな思ってた時はあったんだけど、
やっぱり歴史って知れば知るほど、藍津藩の人自身だって山口に行ってる人とかもいるし、
なんかこうそんな簡単じゃない。
いやそうそう。
小黒では語れないよなって。
やっぱね今回の展示でもこの歴史ってのは簡単じゃない。
そうそうそうそう。
物事なんだなっていうことをやっぱねちゃんと僕はフラットに提示してるなと思ったんだけど、
展示自体がね母親戦争の紹介から始まるんだよね。
それやっぱ郡山側にとった視点のもう母親戦争なんだけど、
さっき言ったようにさ藍津藩ってさ結構被害者側の語り方になっちゃうんだよね。
まあ忠義とかさちょっとかわいそうな側みたいなさ被害を受けた側の語りになりがちなんだけど、
郡山の人からしたら実は母親戦争の時に藍津藩の人たちが放火したり落脱したりっていうようなこともあったっていうのもあるし、
栃木の方とか日光街道行ったらね藍津藩なのか幕府軍側なのかちょっとそこは定かではないらしいけど、
そういう人たちがやっぱ村焼いてったとか、加害者側の歴史もいっぱいあるんだよね。
面もね、そういう面もね。
だからそういうのをね今回の展示でも藍津にある福島県立博物館で最初に提示することによって始まることで、
やっぱ歴史ってなんかすげえなって。
なんか一側面からは語れないね。
どっちかの側面につくってのは、所詮エンタメなんだよね。
ドラマとかさ、小説とかさ。
そういう面は実際あったんだけど、その裏にまた違う面があったよっていう。
そうなんだよね。
っていうのも含めてね、やっぱ僕結構学芸員の方のね、熱意を感じるところだったな。
そうだね。
で、結構ね展示もつかみが面白かったんだよね。
そうだね、一番最初いきなりなんか三万石って書いてある。
三万石っていうのはしょうがない。
入口とかも企画室の外側からも見えるところに三万石って書いてあって、
え、三万石って思うわけじゃない。
福島県の人からしたら三万石って言うとお菓子メーカー。
お菓子屋さんね。
ママドールとかね、聞いたことある人いると思うんですけど、ママドールとかエクソンパイっていうね、
お菓子を作ってるのが三万石で、その書が飾られてて、これはどういうことだって思うと、
この三万石というのは朝霞三万石と呼ばれてた時代の名残で、そっから取ったんだって。
満州から引き上げてきた夫婦がお菓子屋さんを始めて、
その時に、あれだよね、その郡山のスタートは三万石規模だったんだっていうところから取ったって書いてあったもんね。
やっぱね、あの構成も。
なんかあの三万石の店員の制服まで飾って。
何だったらママドールのサンプルまで飾って展示されてて。
あれいいよね。
ある種ユーモアだからね、あれ。
あの構成は。
なるほどなって。
なんか考えたことなかった、三万石の由来とか。
だからね、確かに。
こういうことだったんだと思って。
確かにさ、三万石って普通に認識してたけどさ、でもよくよく考えたらさ、
三万石ってさ、土地としてしょぼいってことだもんね。
お菓子メーカーがつけるような名前じゃないよね。
三十万石とかさ、その豊かな象徴ってさ、百万石とかあるわけじゃん。
三万石っていうのがある。
だからね、初心はするべからずみたいなことなのかもしれないね。
ちょっとまたママドール食べなきゃなって。
ママドールおいしいよね。
三万石行って。
そうだね、もうそんなね、ところから展示が始まりね。
いや本当に、ぜひね、聞いてくれてる方も、まだあと二ヶ月ぐらいやってるんでね、
ぜひ一回はね、見てほしいなっていうところですね。
これ、たぶんね、全然知らない状態で見に行ったら、サンポンになっちゃうかもしれないけど、
ね、朝霞蘇生なんぞやとかの位置づけがないまま行ったら。
ちょっとこれ聞いてから行ったら、ちょっとは。
うん、そうだね。
面白く見てもらえるんじゃないかなって。
そうなるとね、僕も嬉しいなっていうところですね。
っていうところで、結構ね、今の郡山の写真の展示とかもあったじゃん。
その、快晴山神宮とかね。
快晴山大神宮ね。
快晴山大神宮とか、あと快晴山公園とかね。
今のね、郡山の紹介とかもね、ちらほらあって。
で、快晴山神宮にはね、ファンドールンとオクボとシミチと、
あと中城雅恒かな、その、朝霞開拓に関わった3人の像とかね、
あったりして、結構ね、街中を歩くと、この朝霞開拓っていうのが、
やっぱ検証されてるっていうのが随所に伝わってきたりするので、
そういう視点で街を歩いてもね、楽しいのかなって思うし。
でね、郡山って公園多いじゃん。
うん。
それは、いつかの市長がさ、公園をたくさん作ろうっていう判断のもと、公園がたくさんできたと思うんだけど、
でもそもそも、やっぱりその水があるからさ、公園も作れる部分もあると思うので、
緑化ができるっていうところもあったと思うんだけど、
実は、郡山って文学の街でもあるんだよね。
うん。
で、これは、郡山でね、一番賢い高校、ひさち高い高校、朝霞高校なんだけど、
そこからね、芥川賞作家がね、3人排出されていて。
だよね。で、これってほんと全国の高校でもトップクラスなので、
一つの高校から芥川賞作家が3人出てるとか、
で、プラス、受賞してない作家でも、古川秀夫とかね、有名な作家が結構いて、
で、これはね、やっぱ、すごいことじゃない?文学の街なんだよ。
全然イメージないと思うけど、実はその文学者がたくさん誕生してる街なんだよね。
まあ、文学館とかもね、あったりはするんだけど、
で、僕はね、やっぱこれはね、これもね、朝霞卒位の延長にあるんじゃないかなと思うんだよね。
やっぱ文学、近代文学って三重寺以降に生まれるわけよ。
で、朝霞卒位もさ、朝霞も郡山もさ、三重寺以降に生まれる街じゃん。
で、僕はそこをさ、で、育った人たち。
で、なんか近くには会津とかもあるし、でもやっぱ新しいイメージっていう時代から流れている、何か時間とかもそうだし、
朝霞卒位が引っ張ってきている水による緑化とかね、公園とか、その豊かな街ってのがあって、
そこでね、散歩したりさ、歩いたりしてる人たちもいるわけじゃん。
で、そこから立ち上がってきている文学があるんじゃないかなと思う。
そうだね、なんか自分はどこから来たのかみたいなことはないのかなって。
わかんないけど。
そう思うけどね。
まあ、なんかそういう、なんかこう感じさせるものがある街なのかもしれない。
だってさ、芥川書作を輩出している高校なんて、絶対東京とかさ、大阪とかさ、と思うじゃん。
年数比で見てもさ、何かあるんじゃないかなって。
こういうのもね、やっぱ朝霞卒位につながっていくし。
でもやっぱあの、さっき言ったようにさ、朝霞卒位で水が流れることによって、
まあ、今度発電所も作っていくんだよね、その水があるから発電所も作って、
それによって工業化も進んでいくんだけど、
やっぱね、平成時代の郡山、昭和から平成にかけての郡山、
僕が高校生ぐらいかな、10代の時とかはね、やっぱり東北のシカゴって呼ばれたね。
いや、そうなんだよね。
あの、工業化が進んでね、やっぱ治安も悪くなって、この郡山は東北のシカゴと呼ばれた時代なんだよね。
なんかこないださ、スティングっていう映画見たじゃん。
昔の。
昔のアメリカの。
こんな治安悪かった、え、シカゴってこんな治安悪いの?で、そこに例えられてるの?みたいな、ちょっと衝撃だったんだよね。
人を殺して当たり前みたいな、マフィアがいて当たり前みたいな。
この東北のシカゴと呼ばれたのもやっぱ朝霞卒位の延長にあったからさ。
そうなんだよね、なんかまあいろいろ生み出しちゃうよね。
でね、あの、絶望ラインコウっていうYouTuberがいるんだけど、
で、この人ってたぶん藍津出身なの。藍津実家があって、たまに藍津編とかやってるんだけど、
たぶんね郡山って、たぶん飛鳥高校の卒業生なんだよね。
ちょっと動画を分析した結果で、本人は行ってないんだけど、
出身は藍津で、高校は郡山のね、飛鳥高校に帰ってたと僕は分析してるんだけど、
その絶望ラインコウが郡山を喧嘩とパチンコの街って。
暴力とパチンコ。
暴力とパチンコの街。
ひどいよね、喧嘩よりひどい。
暴力風俗みたいな。
で、結婚みたいな。どんなイメージ?
東北のシカゴとしてね、やっぱり。
まあでも彼もね、文才がすごくある人。
そうだね、本出してるからね。
やっぱり浅賀高校、何かあるのか。
やるかもしれないね、やっぱりそこの歴史感を育む、何か文才を育む。
エッセイとか書いてるからね、出版とかしたりしてるからね。
面白いもんね。
そんなね、東北のシカゴも、今じゃ東北のウィーンですよ。
って言ってるだけだけどね、自分たち。
そうですね、郡山が、額都郡山。
音楽都市宣言をして、額都郡山を名乗ったんだよね。
やっぱこれは、東北のシカゴで、暴力の街って。
言われたくないじゃん。
イメージを払拭しようと思って、郡山市として音楽都市宣言をして、東北のウィーンとかみたいに呼ばれるようになりましたと。
で、実際に合唱とか吹奏楽がね、盛んでね。
僕、高校時代、北方会津でね、ブラスバンドしてたけど、やっぱね、強いんだよね、郡山の高校。
1校だけじゃないんだよね、数校強いみたいな感じで。
で、しかも合唱もだいたい全国禁唱みたいなのがずっと続いててね。
額都郡山っていうのがね、ゆるキャラも額都君だしね。
そうね。
街のアイコンのキャラクターも、額都君。
音符のキャラクターになってたりね。
そう、で、東北のウィーンと呼ばれてますと。
だからね、僕ら2年前かの一昨年、去年ウィーンに行ったらね、
ウィーンってやっぱ郡山みたいな街並みなのかなと思ったら。
思ってないよ、どういうこと。思ってないでしょ、行く前から。
全然郡山とは違うなーって。
そりゃそうよ。
まだ四角四角の方がイメージは、街並みのイメージは合うかもしれない。
60年代の四角とかね。
そうだね。
まあ、そんな危険な街ではない。
今はね、今は。
安全な街。
変わったよね、やっぱ20年前はもっと治安悪いイメージあったかな、僕。
そうだね、特に駅前とかもっと悪かった気がする。
なんかあったのかな。
だからもう不良の時代じゃなくなったのか、一回。
だし、あとやっぱ死としてもなんかいろいろやってたみたいだから。
そうなんだ。
最近またちょっと治安悪くなってると聞くけど。
うん。
えきっつとか。
えきっつね。
うん。
東横きっつ。
並ぬ。
郡山駅前周辺に保らされるきっつとか。
そんな話も聞こえてくるけど。
まあね。
そんな今の郡山ってやっぱり朝霞蘇生から始まってるんだなって。
そうだね、源流はね。
っていうことがね。
はい。
本当にいい展示だったね。
そうだね。
いや、今年いい展示いっぱい見たな。
え、まだ振り返るの早い。
まだ振り返るの早いか。
いや、今年はいいよ。いい感じだよ。
先月はね、空回転の話とかもしたけど。
いや、ちょっと我々のこの企画展語りちょっといいんじゃないかなと思ってね。
自分で言うのもなんだけど。
ちょっと感想とかいただけたりして。
やれがやるなって。
気にしてるんだけど。
どう?
聞いてる人がどう思うかとは別だから。
自分が楽しくてもね。
そうだね。
でも自分が楽しいことしゃべってもいい。
そうそう。
まあね、そんな感じなんで。