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おはようございます。 コーヒーでも飲みながらゆっくり考える時間の 朝の言葉ラジオ- パーソナリティ-タカーシーです。
今日は、ハイデガーの有名な言葉を取り上げてみたいと思います。
それは、「言語は存在の家である。言語は存在の家である。」という言葉です。
この言葉は最初に聞くととても綺麗だけれども、ちょっと難しい言葉ですよね。
言語が家。存在が家の中にある。一体どういう意味なんでしょうか。
そんな風にちょっと難しく感じる言葉なんですけども。
この表現というのは、ハイデガーの人間主義についての書簡。
人間主義、ヒューマニズムについての書簡で有名になった言い方です。
彼はこの書簡の中で、言語を単なる道具のようには考えていません。
何かを伝えるための手段。情報を選ぶための器。それだけではない。
むしろ人間が世界をどう経験し、どう理解し、どう生きるか。
その土台に言語があると見ていたんですね。では存在の家とは何でしょうか。
ここで言うのは、存在というのは単にあるという事実だけではなくて、
世界がどのように私たちの前に現れてくるのか。何が意味あるものとして見えてくるか。
そういう世界の開かれ方に近いものです。
つまりハイデガーは、人間はまず世界があって、後からそれを言葉でラベル付けしている。
という風には考えていない。そうじゃない。
そうじゃなくて、言葉の中で世界は世界として現れてくるんだという風に見ている。
例えばですね、同じ朝の光を見ても、それをただの明るさとして受け取るのか。
静けさとして感じるのか。希望の気配として感じるのか。
あるいは少し寂しいものとして受け取るのか。
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そこにはすでに言葉の働きがあります。
言葉があるからこそ、世界はただのものの集まりではなく、意味のあるものとして立ち上がってくる。
だから、言語は存在の家であるという言葉は、言葉の中に存在が住んでいるというよりも、
人間は言葉の中でしか本当に住むことができない。
本当に世界の中に住むことができないということに近い。
家という比喩もとても大事ですね。
ちょっとごめんなさい、ドイツ語があんまりできないので、
ドイツ語で家っていうのがなんだかちょっとわからないんですけども。
調べてください。
家っていうのはただ閉じ込める場所ではなくて、
身を置く場所、帰ってくる場所、世界と繋がるための拠点のような場所です。
ハイデガーにとって言語はそういうものだったんだと思います。
人は言語の中で世界に居場所を持つ。
言葉の中で物事を理解し、他者と関わり、自分自身を受け取る。
だから言葉が崩れるとき、世界の見え方もどこか崩れていくんです。
このことは今の時代にかなり響く気がします。
私たちは毎日たくさんの言葉に囲まれています。
短いSNS投稿、AIによる早い要約、便利な説明、それっぽく整った文章、
AIもまたたくさんの言葉を素早く作り出します。
でもそういう時代だからこそ改めて問いたくなります。
その言葉の中に本当に世界は開かれているのか?
それともただ情報が並んでいるだけなのか?
そこに生きた経験はあるのか?
本当の問いはあるのか?
何かに触れた言葉になっているのか?
AIは言葉を並べることができます。
整えることもできるし、もちろん説明することもできます。
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でも言葉が本当に人の言う場所になるためには、
その言葉の中に経験や沈黙や世界への触れ方が含まれていなければならない気がします。
だからハイデガーのこの言葉は今読むと単なる哲学の名言ではなくて、
言葉をどう扱うかは世界をどう生きるかとつながっているというとても静かで、
でも思い通りに聞こえてきますね。
もし言語が存在の家だとしたら、
言葉を荒く扱うこと、
それは世界を荒く扱うことでもあるのかもしれません。
言葉をただ消費するだけではなく、
少し選ぶこと、少し聞くこと、少し考えてから口にすること、
そういうことの中で私たちはもう一度世界の中に住み直す、
もう一度住み直す、そういう感じなのかもしれません。
ちょっとこの言葉って詩、たまに私も詩の朗読しますけども、
詩っていうポエムに近いですよね。
詩っていうのは情報を増やすというより、世界の見え方を変えます。
普段見過ごしていたものを見えるようにする。
言葉を通して世界をもう一度新しく開く、そういうことをする。
その意味でも、ハイディガーが言語を特別なものとして見ていたことはよくわかる気がします。
ということで、今日は言語は存在の家である、
というハイディガーの言葉を取り上げてみました。
言葉はただ伝えるための道具ではなくて、
人間が世界の中に住み、意味を見つけ、
自分を受け取るための場所なのかもしれません。
もしそうなら、言葉を大切にすることは、世界を大切にすることでもあるかもしれません。
ハイディガー、すごく難しい文章だったり、分厚い本だったりっていうのを書いているので、
どこから手をつけたらいいだろうっていう時に、
この言葉から手をつけてみるのは一つの手かもしれませんね。
ということで、今日はこの辺りで、
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またコーヒーでも飲みながらゆっくり考える時間を一緒に持ちたら嬉しいです。
朝の言葉ラジオ、パーソナリティ高橋でした。
それじゃあね、またね、バイバイ、いってらっしゃい。
ありがとうございました。