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どうも身のない話チャンネルのタカーシーです。
自分のチャンネル名すらうまく言えないタカーシーです。
さて、今日は何の身のない話をしようかなと思った時に、
神様ってなんだろうみたいな、神様ってなんだろうっていう話をしようかなと思います。
神様に関する学問領域といえば神学、神の学問と書いて神学、哲学、美学なんかも関しますかね。
その中でシレジュースという人が、セイント・アウグスティヌスにあてている格言があります。
その格言をちょっと読んでみましょう。
認識されない神。神が何であるのかはわからない。
神は光ではなく、霊ではなく、喚起ではなく、一者ではなく、神聖と呼ばれるものでもない。
知恵でなく、後世でなく、愛、意志、善意でなく、存在するものでもなく、存在しないものでもなく、本質でもなく、心情でもない。
彼は私もあなたも、そしていかなる非造物も、彼そのものになってしまう前には決して経験しなかったものである。
と書いてあります。
この格言はシレジュースという人がアウグスティヌスにあてているものですけども、
アウグスティヌスに対し、お願いです。我がアウグスティヌスよ。
あなたが神を見極めてくれるまで、人は小さな穴の中で海全体を見ているのです。
と言ってアウグスティヌスに神とは一体何なのかというものを託しているんですけども、
実際僕たちは一体神様って言ったときに何を指し示しているんでしょうかね。
まあ年末ということで、年末が来れば年春も来る。
ということはお参りに行く。神社にお参りに行く。
で、日本の神様って言うとなんとなく、ああ神様って感じしますけども、
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今読んだ格言っていうのはキリスト教の神様の話なので、
哲学で神様といえばキリスト教の神様が一番取り上げやすいのかな。
私もジャン・リュック・マリオンという人を読んで、
神ってこう書いた方が確かに適切だろうなっていうふうには思ったことがあって、
ゴッドって書いてパッテン、その上にパッテン。
要は存在し得るものながらも存在し得ないものっていう形で表現していかないと、
神というものには近づけないし、神というものを表現しきれない。
神様を表現しきっちゃったら人間と同じになっちゃうので、あんまり良くない話なんですけども。
ということで、神様ってなんだろうっていう話でした今日は。
もっと詳しいことを知りたい人は、ジャック・デリダの名を救う否定心学をめぐる複数の声なんかを読んでみると、
否定心学ってなんだろうっていうところからスタートして、神様について、
そしてまたデリダ自身の脱構築というものに近づくことができるのかもしれません。
なんかちょっと小難しくなりましたけども。
こういう小難しい話って身につかないんですよ。身がないんですよ。
なのでまた今回も身のない話としてお送りします。
それではまた。じゃあね。