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どうも、身のない話チャンネルのタカーシーです。
今日は懐疑論というものについてお話ししてみようかなと思います。
懐疑論ってなんだ?って思われる方もいらっしゃるかもしれませんけども、
懐疑論、懐疑、これは疑うことですね。
人は何も知らない。知らないことさえ分かっていない。
だから真実と思い込んでいることに頼るべきではない。
それは間違いなのかもしれないのだから。
すべてに疑問を持ち、すべてを疑うべきであり、
最もいいのは潜入感を抱かないこと。
その思い込みというものがなければ失望することもない。
こういうことを考えたのが懐疑論です。
で、変な、ちょっと変わった哲学者というのがいて、
古代ギリシャのピロンという人がいたんです。
ピロン、およそ紀元前365年から270年ぐらいの間の人で、
文献は存在しません。文献は存在しないんですけども、
主張はどのような主張をしたのかというのが残っているんです。
この人、かなり懐疑論者の中でも突飛な人で、
特に感覚というものを全面的に信じてはいけないと考えた人です。
感覚によって誤った方向へ導かれることもあるから、
感覚というものは信じてはいけないと。
例えば、暗いところで幽霊見た、幽霊見たって言ったけども、
実はその正体はススキだったみたいな、そんな話もある。
ピロンの言動っていうのは一貫していて、
彼は私たちの様々な先入観が理屈に合わないばかりか、
私たちの心を乱しているというのです。
私たちは悪規制の概念に囚われすぎている。
まるで舎上の牢獄を築いているようなものだと、そんな風に考えました。
じゃあ、ピロンの哲学っていうものの中で、
幸福になりたい人が抱くべき3つの問いというものは一体何なのか。
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それは、まず第一に、事物が実際にどういうものなのかということ。
第二に、私たちはそれに対してどのような態度を示すべきか。
第三に、そうした態度を示せばどうなるかということです。
これに対するピロンの答えというのは明確なんです。
第一に、私たちは世界が本当はどのようなものであるかを知ることはできない。
それは私たちの知力、いわゆる考えを超えたものだと。
誰も実在の本質を知ることはできない。
人間がそれを知るのは不可能。
だから、そのことについてはもう忘れてしまっていいと。
第二に、その結果から出てくる私たちの結果から、私たちはどんな見解にも固執すべきではないということ。
どんなことでも確かにはわからないのだから、
全ての判断を保留して柔軟な生き方をすべきだと言っているんです。
欲望を抱くのは、あるものが別のものより良いと信じるせいであると。
欲しいものが手に入らないと思えば不幸になる。
しかし、何がより良いのかを知ることは不可能なのだと。
よって、幸福になるには欲望を忘れ、結果を気にかけるのをやめるべきだと考えたんですね。
そして第三の問い。
じゃあこういう態度を示したらどうなるのか。
すべてのことに対して何が言えるのかがわからないので、寡黙になる。
最終的にすべての不安から解放され、これは誰もが望む最良のことであると。
宗教的体験のようなものかもしれませんが、これがピュロンの理論です。
ただ、ここまでピュロンの考え方を徹底する、怪異論的な考え方を徹底した場合に、ピュロンの考えそのものが怪異的になってしまうという弱点があるんですね。
哲学の歴史というものは、大体の人は怪異論者です。
仮定に疑問を呈して、私たちが信じるものの根拠を詳しく調べる、考える。
この種の怪異的な問いというのは哲学の真髄ではないでしょうか。
そういった意味で偉大な哲学者というのはすべて怪異論者とも言えます。
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独断論的、いわゆるドグマティズムとは対照的なものです。
ピュロンはすべての不安を忘れるべきだと説きましたが、大抵の人はそれを成し遂げられません。
特に私たちに共通した不安に、誰もが死ぬという事実があります。
この不安、死に対する不安というものをどのように払拭していくのか。
それはギリシャの哲学者エピクロスが賢明な提案というものをしています。
ということで、次回はエピクロスについて語ってみようかなと思います。
まあ、どこまで私たちの生活の実際の事物というのが真実なのか。
歴史的に見て、私たちが習った鎌倉幕府1900、いい国作ろう鎌倉幕府なんて言ってたものが、
本当は1180年代から徐々に作り上げられてきたなんていうふうに、物事の解釈が変わってくる場合もある。
真実とは本当に何なのかということを問わなければ私たちは行けないというふうに考えることができます。
さて、今日も身のない話でした。
哲学って身のない話が多いんですよね。
まあ、それでも生活の糧になるのかもしれません。
何か疑問や意見などがあればコメントを残しちゃってください。
それではまたね。