1. 声でのこす“らせん階段日記”
  2. #111 心に垢がついたとしても
2024-08-21 08:07

#111 心に垢がついたとしても

美しいもの
イイなぁと思うもの
「私はそれに相応しくない」
頭のどこかで響く声。

気づいたとしても大丈夫。

#ココハコ #声でのこそ #声日記 #らせん0821
#心の垢 #心 #心の汚れ #あまのじゃく

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のんきものが配信しています。ココハコのえぬです。
のんばんは、2024年8月21日、水曜日でした。
今日は、すごく素敵な朗読を耳にしました。
読まれる方も、そして作られた方も、本当に素敵で、聴いていて、
わーっと思いながらね、聴いていたんです。
なんでこんな素敵な言葉を紡げるんやろうなーと思いながら聴いていて、
ふとね、自分の心っていう、普段あんまり気づかない自分の心っていうものにね、
ちょっと気づいちゃったんですよ。
今日はそれを残そうと思います。
簡単に言ってしまえば、心に垢がついている、そういうことをね、実感したんです。
なんかね、どういうことかっていうと、すごくね、美しすぎるもの。
自分にとってですね。自分にとって、これは美しすぎるなーって感動もするし、癒されるしね。
でも、美しすぎて、眩しすぎて、近寄れない。
もしくは、自分の中に抱くことができないっていう、受け取ることができないっていう、
そういう感覚ってなんかないですかね。
今まで、子供の時から、そういうのってなかったんですよ。
思い返してみても、子供の時は。
いいものはいいし、感動するし、大学生ぐらいまでは、いいなと思うものに対して、まっすぐ向いていたんですよね。
社会人になって、もう久しいんですけど、特に、このここ最近、ここ数年ですね。
あんまりこんな風に言いたくないけれど、心が曲がる。
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曲がる。赤がつくとか、屈折するとか。
もうちょっと軽いテイストで言うならば、天の弱っていうのかな。
そういう自分の心のありさまを、なんか今日はすごく思ったんですね。
普段から、映画、ドラマ、それから小説、こういう音声配信で聞く人の言葉ですね。
美しいし、いいなと思うし、癒されるし。
でも、そうであればあるほど、ちょっとこう、自分の中で、私はそれを受け取れるような人間ではない。
受け取れるような状態ではない。
素敵なんだけど、今は受け取れない、みたいな。
受け取ってるんですけどね。受け取ったからこそ感動するんですけど、
それをギュッて抱きしめられないっていう感じがあるんですよ。
あったんですよ、今日は。
で、心に赤がついたっていうことなのかなと感じました。
すごく。あんまりなかったことです、これ。
でも、そのことにこうやって気づけたっていうのは、逆に良かったなって思っていて。
昔、ヨガの先生に言われたことがある言葉がずっとそれが残っているんですけど、
そしてそれは、そうやなって実感しているんですけど、
人は気づけば、気づけばその瞬間、もう半分以上解決していると。
そして気づけば自動的に良くしていこう、改善していこうというふうに力が働いていくと言われていて、
だから気づくだけで十分なんだよって教えてもらったんです。
それはずっとそれからことあるごとに実感していて、特に体に関してですね。
体に関しては特に実感しているので、こういう心のことに関しても、
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気がついた瞬間はショックですけど、でも気がついているのにそのままってことは自然法則的にはないんやと。
逆にそこにこだわり続ける。自分ってダメだとか、自分って汚い心になっちゃったとか思うと、
余計に自然な法則が働かなくなるので、気づけばさっと手放すということをね、
今日は思いました。これだからいいんですよね。聞く、見る、これは音声配信だけに限らず、
映画、ドラマ、絵画、美術、芸術、人と関わる、体験する、何でもそうですけど、
こういう気づきがあるから、やっぱりいいですよね。そんな風に思った日でした。
涼しくなったなーって思ったけれど、やっぱりまだまだ暑いですね。
夏はそんなにスッと立ち去っていかない。ということで健やかに秋を迎えていきましょう。
心地よいびっくり箱、ココハコのえぬでした。
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