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年をとってからわかることっていっぱいあるんですよね。
意外と言われた言葉を覚えてたりするじゃないですか。
で、その時意味わかんないけど、なんとなく覚えてて、何年というかね、何十年経ってそういえばあの時この人が言ってたことってこれだったんだよなっていうのが理解できたりする瞬間ってありますよね。
で、あの時言われてたことは正しかったんだって今は僕思うこともあるんですよ。
例えば苦労は勝手でもしろって言われてましたけど、いや苦労していきたくねえからこっちはって思ってたりすると、若い時は聞いちゃいねえんですよね。
今はそれなりに苦労とか我慢とかをしてきた上で、得たものが意外と大きかったことに気づいてるから、僕は苦労は勝手でもしろっていうのは今は思ってるんですよ。
ただ、これをじゃあ中学生や高校生にそのままの言葉で言っても、その子たちに、今のその子たちの生き方にはリンクしないんですよね。
ただ僕はスイミングのコーチという、指導者という仕事をしているので、ここをつなげていかないといけないんですよ。
だからそれは、自分の中の言葉で彼らに行動を変容させるような言葉をちゃんと変換してぶつけないといけないんですよ。
そこで必要になるのが、熱量と真剣さ。
子供たちって不思議なもんで、年齢がどんなに低くてもこっちが真剣にやってたら、まあまあ聞いてくれるんですよ。
逆にこっちが適当な気持ちでもっともらしいことを言ってたら、それも見抜くんですよ。
見抜くんですよ。僕は子供と接することが、この20年ですごく一般の人よりすごく人数多く子供たちを見てきたので、なおさらわかります。
あの子たちは見抜くんですよ。
見抜く中でもより鋭い子たちっていうのは、よく愛情を持って育てられてるけど、お母さんとかによく叱られてる子とかっていうのは、この真剣に言ってるか適当に言ってるかとかをかっちりと見抜いてくるんですよ。
だから話をしてる時に伝わりやすかったりもする。
だから僕は、愛されてる上でしっかり叱ってもらってる子の方が、何かをしようって言った時にパンと反応してくれるスピードが速かったりとか持続性がすごく高かったりとかするんですね。
だからこういったものは家庭の環境や要因で変わるんだろうなと思うし、あんまり怒られてなく自由にしていいよっていう子に対しても、
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僕がちゃんと叱ることによって、ダメなものはダメだし、やらなければいけないことはやらなければいけないんだっていうのをちゃんと伝えていくと、まだ子供は小学校5年生ぐらいまでは問題なくいけると思います。
6年ぐらいからちょっと難しいかなって感じがする。
なんかね、それは僕の肌感覚なので、なかなか5年と6年で明確に線が引かれますみたいなことははっきり言えないけど、努力もそうで、5年生までにガムシャラな、もう自分がリミッターをかけずにガムシャラに頑張ってるっていう経験をしてた方が、
その後の努力値のレベルというか平均値がすごく高くなる傾向にあるなっていうふうに感じてます。
6年生ぐらいからはね、まあ、なんていうんかな、自分で抑えるっていうことをできちゃうようになるんですよ。
これは思考のレベルが上がったりとか、あとは例えばコーチは鬼のような存在だって思ったけど、いやあの人も人間に違いないと思い出すとちょっとした時に手を抜くとかね。
そういったのをし始める年齢が早い子で5年生とかかな、5、6年生ぐらいでしょうね。
で、そこまでに適切な努力であったりとか我慢というかね、忍耐というかそういったものは僕は経験しといた方がいいんじゃないのかなと感じてます。
なんかね、我慢をしたことがない子は
特別なものを手に入れた時の喜びっていうのが少ない気がするんです。
何でも買い与えてもらってると、それが当たり前になると。ただね、何でも買い与えてもらってない子は何かを自分で手に入れた時の
目のキラキラという感じと感情の高ぶりとかっていうのが次への推進力に比較的つながってるんです。
これはお金を持ってるとか持ってないとかではないと思うんですね。お金を持っててもものを適切な感じでしか与えてない人もいれば、
どんどん買い与える人もいる。これどっちがいいのかっていうのはわかんない。もうずば抜けた経済力があれば
買い与えるつもりがなくても普通に自然といいものは育つけど、それでもナチュラルに自然の感覚が身につくついている子もいますよ。
今僕のね、選手の子でも本当に大きな会社のお孫さんとかがいるけど、でも普通の感覚で普通にちゃんとできてるって、これは親御さんがね
すごくしっかりとコントロールしてるんだろうなというふうに感じたりしてます。 だからまあ家庭環境が
全てとは言わないけども、何事においても 自分が好きなことを好きなようにっていうのを低学年からもしくは子供のうちからする必要はないと
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思ってます。我慢したりとか苦労してると、その時っていうのはなんかちょっと惨めな思いとか嫌な思いとかすることもあると思うんだけど、
それが何年後かにすごく大きなものを手に入れてるっていうことを経験ができれば、例えばものすごいしんどい練習を
ちっちゃい子だったのでたくさんしましたと、もうその時はもう家に帰りたかったし、すごい嫌だったと。でもあそこで思いっきり頑張ったから、例えばここの大会で金メダルを取ることができましたって言われたら、
その子にとっては我慢した苦労した嫌だった。だけどもここの大会はすごく大きかったと。手にするものが大きかったと。これは記録の面だけですけども、大人でもそうですよね。
絶望とか希望がないような状態で何かを始めても、でもそこでやるしかないんだってやって踏ん張った経験っていうのは今に生きている人は結構多いと思うんですね。
で、その経験をした人は次苦労することが目の前に迫ってきたりとか、危機的な状況になってもきっとここを乗り切れば次に繋がるんだっていうのがわかってると思うんです。経験則から。これがある人とない人って全然違くて、大人になって急にピンチが訪れた人っていうのはそこに挑む前にもうシュンってなるはずなんですよ。
そうするとその先に得られたものっていうのは得られないので、僕はスポーツっていうのは競技力を向上していくっていうのを目標とするのではなくて、その先人生、長い人生において自分が手に本当に手に入れたいものってもっともっと後にやってくるはずなんですよ。
で、その時に挑むだけの気持ちの強さがあるのかとか、それだけの経験をしてきて、どんな状況でも希望を見出して前に進むことができるのかっていうのを身につけるようなものが僕はスポーツだと思うんです。別にこれは勉強でもいいと思うし、何かの資格を取るとかでもいいんだけど、なんかね、楽して手に入れるものって本当にすごくわずかで、そこで満足はできないと思うんです。
だから、死ぬほど嬉しい何かを手に入れたければ、多少なりと我慢や苦労や、本当に泥水をすするような覚悟っていうのも必要なんじゃないのかなと。小学生のうちに僕は鬼コーチだと思われてもいいと思ってるんです。
小学生のうちにもうコーチ怖いよ、あの時は怖かったって言うけど、その子たちが怖いって思いながらでもちゃんとトレーニングをしていく中で、中学生になるとレベルが上がってくるんですよ。それによって僕はだんだん信頼度を上げていって、それを言葉にするようにしてるんですね。
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だから徐々に自由度が増していく。その過程の中でお互いに信頼関係を構築している。僕はコーチに信頼されているっていうのを感じれるようにちょっとずつずらしていってるんですね。
あとは勝手なことをまだする年齢は中学生だから、そこはキュッと締めるけど、高校生になってくるとそこまで締めなくても、自分のやるべきことをちゃんと理解してくれてるから、その年齢に応じた信頼度の上げ方、これ間違うと調子乗っていうこと聞かなくなったりするんで、なかなか難しいもんなんですけども。
どっちにせよ僕は我慢せいというか、そういう経験はしといた方がいいぞというふうには思っております。はい、ということで今日はこれで終わります。それではまた。