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子どもたちに自由を与えるっていうのは、実は与える側からすると、とっても難しいんですよ。
両方、要領を守らないと、もうこの自由っていうのは毒にもなっちゃうというふうに僕は感じてるんですね。
例えば一例あげると、僕は2つの角度から失敗をしたことがあります。
一つは、全く自由を与えないパターン。
俺の言う通りにやれと。初期はそんな感じでしたね。
目標を達成するぞと。そのためには最短ルートを突っ走るから、俺の言う通りにやれ、みたいな感じで練習をして。
結果ね、全国大会に行くことはできたんですけども、そこからちょっとの間はいい感じでした。
それからね、うまくいかない。結果が出ない時ってあるじゃないですか。
その時にね、一気にチームがガタガタガタって崩れていったんですね。
それは、やっぱりその自由がないということは、考えなくても済むという楽な側面があるけど、
考えれないっていうことは、やっぱうまくならないとか強くならないということにも直結してしまうし、
信頼関係の構築が難しいですよね、なかなか。だからそういった失敗をしたと。
それを踏まえて何年後かに次はね、自由をある程度与えて考えれる子を育てようって僕は思ったんですよ。
だから、この時間は好きにしていいよとか、全国大会に行ってる君だったら、ここの内容を自分で考えてもいいよってやってると、
そのうち自分で考えたことしかやりたくないっていう感じになってしまっちゃったんですよ、その一人の女の子はね。
でもそのやり方に固執しすぎると伸びないっていうのは、やっぱりコーチとしてはわかるわけなんで、
いろんな方法でアプローチをかけないといけないよっていう話はしたんだけども、
そこから本当に心を込めて伝えて話をしてようやっと、じゃあわかった自分の考えもするけど、
コーチの意図も読むようにするみたいな感じになんとかなってね、また全国大会に行けるようになったんだけども、
これも僕からすれば失敗とは言わないけど学びではあって、
与えすぎると、なんか自分の好きなようにしなきゃ気が済まないっていう子になっちゃう可能性もあるかもしれない。
どちらも子供が悪いって僕は言ってるわけではなくて、その自由っていうものを、
要法要領を間違うことによって、いろんなパターンに進んでいってしまうと。
それを考えると、やっぱりこの与える側っていうと、なんかお前神様かいとか偉そうだなって思われるかもしれんけど、
あえて与えるっていうのはコーチとしてそれをどこまで渡すことができるのかっていうのも指導スキルの一つだというふうに思っているので、
あえて与えるという言い方をしています。
今ね、大学生には僕は練習は来ても来なくてもいいよと、
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ただ、うちのチームはこの時間練習してますよと。
で、うちのチームに所属するんだったら夏は何秒で、メートルを何秒で泳いで、そしてこの結果を取っていきましょうねっていう目標がここにありますと。
それは今の君の力であれば、一生懸命頑張れば到達できる場所にありますよと。
でもそれを頑張れよ、やれよとコーチは言いません。
あなたたちが自分で学業とバイトと水泳を両立していけるスケジュールを組んだ上で達成までを逆算して、逆算して逆算して半年後の未来を思い描いた上で今日を過ごしてくださいっていう。
それはなんか僕の中では自由を渡してるけど、彼らにとってはちょっと難しい宿題を渡されてるって感じてるかもしれない。
でも一生懸命考えるわけですよ。
じゃあアルバイトはこの時間にしてとか、ここはいけないからこれを代用でここはやっといてみたいなのを考えて今のところはやってくれてます。
で、こうやってね、なんか自由であったりとか、一見すると魅力的な平等であったりとか自由であったりとかっていうのは意外と扱いが難しいというか扱いに困る場合が多いんじゃないのかなって僕なんかは思ったりします。
で、僕は極論から言えばね、自由が欲しくて個人で生きていくという、個人事業主として生きていくという選択をしたわけですけども。
じゃああなたは自由ですかって言われると、休みは自分で決めれるとか、いつどこでどういうふうに働くは決めれるけど、働かないとか働くとかっていうのでいけば働くという選択肢しかないわけですし、
すべての決断を自分でしなきゃいけないんですね。つまり決断からは逃げれないんですよ。自由であるかどうかっていうふうに考えた時に、自由っていうのは何もしないことじゃなくて、僕の中ではいろんなことができる可能性を持っているとか、
自分の家事を自分でちゃんと持って好きなところに行けるようにするっていうのが僕の中での自由であったりとか目標であるわけなんですね。
それは彼ら選手とは少し違うかもしれませんけども、だから自由の取り扱いっていうのは本当に難しい。難しいからこそ、僕自身もでもね、すごい20歳過ぎたぐらいからそれをずっと自由であったりとか、束縛はすごく嫌いで、
どこ行くのとか、何するのとか、どこにいるのって言われるのも実はそんな好きじゃないし、予定をいっぱい入れられるのも全然好きじゃないんです。
何曜日はここに行かなきゃいけない、何曜日はここに行かなきゃいけない、それさえも嫌だけど、全部嫌だって言ったら生きていけないので、さすがに大人としてそこはうまくペースを作るけど、
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例えば1週間で1日はなるべく自分の時間というのを取れるようにしたりとか、そういったのをうまくしながら付き合えて、自分自身と付き合っていったりしていると。
あとはじっくり個人を観察すると、好きにしていいよって言ったら伸びてくること、こうした方がいいよって言われたことをやった方が伸びる子もいるんですよね。
僕は人間として成長することがまず大事だと思っているので、その場合は与える自由もあれば、与えない自由もあったりするわけですよね。
その先で自分がステージが上がっていくにつれて見つけた何かがあれば、やっぱり高いステージにいるに越したことはないですから、いろんな経験ができるんですね。
そこに行った先でまた何かしたいことが出てきたら、例えば好きにしていいよって言ってて自由にしてた子がどうしたらいいんだろうって悩んでたら、こうしたらどうかなってまた違う方向に入ったり、もしくはこうした方がいいよって高みまで行った子がここから先は自分の好きにしてみたら伸びるかもしれないじゃないですか。
その辺が非常に難しいので、僕にとって自由というのはすごく面白い対象であるし、今後生きていく上で僕はここにはこだわりたい。ただ、自由を比較的世の中を見渡しても自由に生きている部類に入るであろう僕でも、決断というものからは絶対に逃れないし、責任というものは必ずあるわけなんですよね。
だから何をもって良しとするかっていうのは、僕の中ではある程度の自由があると、その中で自分の好きなことに向かっていけるだけの余力であったりとか体力であったりとか勢いっていうのがあれば、僕は自由に生きているなっていうふうに考えることができるかなというふうに思っております。皆さんはどうでしょうか。