団塊世代と学生紛争の背景
お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今日は、地元で話題になっている、団塊世代と学生紛争について、あくまでも私の視点を述べたいと思います。
あくまでも私の考えなだけです。
私の母親が、どんずば団塊世代なんですよね。本当にど真ん中になります。
私は、学生紛争が活発に行われていた時期に生まれているんですが、
この時期、私の母親はアメリカに留学していて、そこで私を産んでいるので、
直接、この狂乱の学生紛争期の日本に、私の母親はこの場にいなかったんですよね。
ただ、その時代の空気というのは、ひしひしと留学前から、ひりひりと始まっているんですよね。
1968年ぐらいですよね。この辺りから、ピケを張ったり、バリケードを張ったり、座り込み運動をしたりとかね。
こういったことは、母親はまだ留学前は、やはり座り込み運動に、あんたも一緒に参加してって言われて、座り込んだりね。
そういったことぐらいはしていたそうなので、この時代の雰囲気というのは感じ取っているんですが、
その時期にアメリカに行ったら、アメリカはこの頃も暗黒の時代だったんですよね。
ベトナム戦争とヒッピー運動
ベトナム戦争の敗戦という、アメリカにとっては信じられない、唯一負けた戦争ですね。
この傷が本当にひどい時だったんですね、アメリカは。
だから本物の病んでいるアメリカを母親は見たんですよね。
この頃のアメリカというのは、戦争の傷でみんなが病んでいて、戦争に行った兵士たちは文字通り負傷して帰ってきている。
体がもし傷ついていなかったとしても、心が病んでしまって非常に暗い世相だったそうです。
そして本当にこういったベトナム戦争の反省とか、そういったことからヒッピーのムーブメント、運動が起こっていくんですよね。
これは戦争反対、ラブ&ピース、愛とセックスと自由と、そういったことで世界を包もうよという、
戦争から真逆の自由と平和と愛を求めるような社会運動につながっていったんですよね。
私も実は生まれた時は私生児だったんですよね。この時代の流行りです。
私生児をラブチャイルドって言ったんですよね。私生児っていうのはまだ婚姻関係を結ぶ前に生まれた子供のことです。
だからそういったラブ&ピースで、フリーセックスとかね、そういう時代を母はアメリカで過ごしたんですよね。
だからよくね、母親が言っていたのは、アメリカにはこういったね、ラブ&ピースとかね、そういう反戦運動とか社会運動とかっていうふうに、わーっと大きく時代のうねりが起こっていったのは必然だったんですよね。
やはりもうベトナム戦争という酷い酷い、もうすごく長く、何年にもわたる酷い戦争をやったその反省と、もう二度とこういう時代はごめんだっていうね、行き通りからこういう運動が、ヒッピームーブメントが起こっているんですよね。
こういった影響が日本にも飛び火してですね、当時の何でしょうね、物価高、学費が高いとか、あと安保ですね、日米安保の条例とかに対する批判とか、そういったことが一応表向きの引き金として学生紛争は起こったというふうに言われてはいるんですけれど、
実際のところはですね、この頃、うちの母親はこの時代をまさに若者として生きている段階世代だったんですが、母の親である私の祖父母はこの当時大学の教授だったんですね、二人とも。
この恐怖の時代として、うちの祖父母はこの時代をよく振り返っていました。だから自分たちの職場が完全に占拠されて、授業ができなくなったんですよね。
でも何日も何日も学校が再開できないというね、学校行ったら行ったでもいろんなもの投げつけられたりですね、やじを飛ばされたりという感じでですね、もう命の危険を感じるぐらいの異常な状態だったらしいんですよね。
だからこの祖父母からの、大政側の話としても、私はこの時代のことをよく祖父母から聞かされていました。
学生運動の影響と現代
祖父母の一番の心配は、こういった異常な状態に自分の子どもたちが被れないことを一心に心配していたそうなんですよね。
幸い長女の私の母親はアメリカに留学してくれたので、日本の学生紛争のただ中にはいなくて済んだんですけれども、母の妹は何歳か年下でいるんですが、この妹の方はですね、ちょうどその頃まだ高校生だったのかな。
まさにね、ちょっとかぶれかけてたらしいんですね。こういうちょっと左翼的な思想とかね、まだ高校生なんでね、大学生ではなかったんですが、そういった思想にかぶれてこのまま大学に行かれたんではやばいと思って、かなりこのおばのことは心配して見てたそうなんですが、
結果的にね、こういった凶乱の時代っていうのは意外に明けなく終わってしまったので、おばはかすかにかぶれた程度で終わったんですよね。だからこの子どもたちがこういった学生紛争のただ中に飛び込んで、活動家になったらどうしようという祖父母の心配は急に終わったんですが、
あの時代を実際に見聞きというかね、リアルタイムで体験した母とかね、それ以外の祖父母も含めて他にもいろいろ知人とかね、話を聞くとですね、体感としてはですね、実際にもう本当にね、
学生紛争にもどっぷり使って活動してた人っていうのはね、全体のこの若者たちのうちのごく少数なんですよね、パーセンテージで言うと。かぶれてちょっと便乗してたような人たちを含めてもですね、これはもう本当にね、具体的に統計が取れる数字じゃないのでね、
これはもう本当にあくまでも、母とかその当時を生きていた人たちの、あくまでもその体感の数字でしかないんですけれども、全体のね、言ってもね3割程度ぐらいの人たちがもう熱狂的にね、こういった運動をしていたという感じなんですよね。
だからあの当時非常に有名だった活動家の、それこそその連合関群とかね、そういったところに入ったりして、その後非常に名前が有名になっているような人たちを実際に知っている人はもう誰もいませんし、もうぼんやりとね、テレビで見たね、浅間山荘事件とかね、そういったものもうわーっていうね感じで、ニュースを見守っていたというような感じだったそうです。
だから逆にね、だからこそ祖父母はね、当時その大学で教鞭をとっていた祖父母からしたらね、怖かったのは、そのなんかね、イデオロギーがある、あるね、やはりね一本筋が通ったような、あの活動家も一部にいたそうなんですが、やはりね圧倒的多数はその、やっぱりあの時代の熱に浮かされて、わーっとね、便乗して、あの熱くなってね、そういう活動にあのなんか被れている人がね、
ほとんどだったというふうに、あの見えていたそうですね。で、うちの母なんかものんびりした、団塊の世代と言ってもぼんやりと、あのしたお嬢さんだったので、でもう全然ね、あのそのわーすごいなーっていう感じで遠まきに見ていて、まあでもね、母のような人が大半だったそうなんですよね。
だからその団塊の世代っていうのが、もうまるでね、学生紛争をみんながやって、ね、みんながみんな、わーって、もうそういう熱く、あのいろいろその社会をね、転覆させようと試みて、非常にね、新左翼的な運動に身を投じた人ばかりかというと、まあそうでもなくて、大半はまあ平凡な、あの私とか今の若い人とか変わらないような普通の人の方がもちろん多かったんですよね。
ただね、ここのあの人口がとてつもなく大きく多かったというね、こと、そしてこういう社会が大きくそのうねっている時代に、もう圧倒的にあの人数が多い、あの多かった世代だっていうことで、まあこういった社会運動が起こったときに、まあその予想以上にというかね、その実際にその活動した人たち自身の予想を遥かに超えるほど大きな、まあなんていうかな、その波紋を、まあ社会にとってはね。
社会に及ばせてしまったというのが、あの結局のところはね、正解なのかなというふうに思うんですよね。で、その人たちが、その今のね、現在にもずっとあの続いているいろいろその、あの社会の不満というかね、あの今世の中がうまくいってない原因をね、すべてこの世代のせいにするっていうのは、
ちょっとね、あまり、あんまりなんじゃないかなというふうに、まあ私は思うんですよね。で、それは私の、あの別に親だからといってかばってるわけではなくて、あのこの人たちはやっぱり、あの人数が多かっただけに、もうとてつもない競争に晒された世代でもあったと思うんですよね。
ものすごく、今の世代とはね、比べ物にならないぐらいひどい教育虐待を受けて、で本人たちのその希望とか、あの夢とかなんてね、もう全然ね、尊重されたりなんかしてないですよ、ほとんどの人は。
やはり戦後、非常に貧しいところから、ものすごくね、もうそのこれからの日本を担う若者たちっていうことで、まあ期待とね、そしてその一家のいろんなその夢とか野望とかっていうのを託されている、どちらかというとそういう世代だったので、自分たちのね、夢や願望というよりは、親のエゴとか野心をその子供たちに背負わせたようなところがあった世代だったと思うんですよね。
今も教育虐待とかね、そういった親のエゴを子供に押し付けるっていうことの弊害は、いろんな人が騒ぎ始めてますが、この時代はね、そんなことを騒ぐどころか、むしろもうやんやんやんやとね、ほぼ全国民がやっていたような時代だったというふうに感じるんですよ。
確かにこの世代は、ちょうど生まれた時には戦争が終わっていて、今のところ何とかギリギリ生きている間は、戦争もないでしょうしね、空に困ることはない。
社会的にも自分たちがちょうど若くて、社会に出ていくときにどんどんどんどん経済が良くなっていく時代に、社会に出ていき、そして自分たちが引退していく、徐々に自分たちが引退に近づいていくのと並行しながら、社会がだんだん景気が悪くなっていって、そこギリギリ政府で何とか退職金もらったりいろいろして、年金とかももらえて、ラッキーな世代に確かに見えるし、
実際そうかもしれません。その前の世代が日の丸万歳で、特攻隊で若くして飛び去って死んでいったことを思うと、もちろんこの世代はいろんな点で恵まれていたことは事実だと思うものの、一方で、本当に過酷な競争にさらされた、まあまあ大変な世代だったと思うんですよね。
この世代の人たちが人数が多くて、たまたまこの時期に学生紛争とか社会運動とかそういったことが起こった時に生きていた人たちで、この時に社会をうまく転覆させて、今のような社会にならないようにどうしてもっていけなかったのかということを、やはり責めるのは筋違いだと思わざるを得ないんですよね。
この世代の、多くの人が実際にはこんな熱心に社会運動に身を投じていたわけではなかった、および身を投じていた人たちの、本当にごく少数のその人たちは多くが日本国外に逃げたり、死んだり、粛清されたりとかして、いろいろ散り散りになって、生きていなかったり散り散りになったりとかして、
なかなかまとまった証言を取れなくなっていると思うんですが、実際多くを語っていないのは、はっきり言って語ることがないからだと思うんですよね。
だから、この人たちにちゃんと責任を取らせなければいけない。この時代がなかったことにして逃げるのはおかしいというのはその通りなんですけれども、それはこの人たちだけの責任なんでしょうかね。
やはり、私はこの祖父母のことをいつも思うんですよ。この時代をとても邪悪で危険分子として見ていた体制側の私の祖父母の視点というのが、結局はこの人たちが、やはりこの若者の、潔気盛んな若者の危険な革命を抑え込むことに成功したんだと思うんですよね。
もう二度とこういったことが起こらないように、さらに若い人たちを抑圧していくような動きになっていったんだと思うんですよね。
だから、そうなってくると、やはり社会を転覆し損ねた段階の世代を責めるというのは、やはりますますおかしなことだと思うんですよ。
この人たちが熱に浮かされたように、ある時期、流行病みたいなことでワーッと浮かれて学生紛争をやったんだけれども、熱心にやってた人は、さっき言ったように犯罪者として捕まるか、粛清されるか、国外に逃げるか、そういった形で、他国でいろんなテロ活動をしたりとか、いろんな人がいて、
だけど、ほとんど国内にいたほとんどの人は、ちょっとそういう流行でやってたような軽い気持ちでやってた人たちも圧倒的に多かったと思うんでね。
そんな人たちに、どうしてあんなことをしたんだといろいろ言われても、うまく答えられるはずもないですし、その後世の中が左翼運動から一気に体制的になって、一気に資本主義経済を中心とした普通のサラリーマンになったり、
社会的に出世して、出世競争の中にどんどん身を投じていったというのは、非常に不純だというふうに思うかもしれないんですけれど、当たり前じゃないですかね。
やはり、どちらが生きるのに得するかということは、得する方を取るというのは当たり前だと思うんですよね。
私も間違いなく同じ時代を生きていれば、やはり自由とか平等とか平和とかそういったものに憧れというか、それが全てだと、それが正義だと思って熱くなって、学生紛争のそういったうねりに憧れてかぶれたりしたと思います。
そして、一部の共振的に活動に身を投じている集団を見たら、やはり集団心理の異常さみたいなものを見てビビって、たぶんそんなに熱心にこういった活動に身を投じるタイプじゃなかったと思うんですよね。
そそ草とそういったところから距離を空けて、そうこうしているうちに結局生きすぎてしまって打ち毛場みたいになって、鎮火させられた後は何事もなかったかのように、世の中がどんどん経済が発展していく流れに身を任せていくというのは、これは自然なこととしか思えないんですよね。
段階の世代への期待
だから、別に何かに反対意見を述べているつもりはないんですけれど、ちょっとね、段階の世代に対してあまりにも多くを求めすぎているし、良くも悪くもこの世代に対する幻想とか、失望、落胆が激しすぎると思うんですよね。
繰り返しますが、私はいろいろな意見があっていいと思うものの、この世代が老後を、今のいろんな社会悪の全ての原因がこの世代にあったみたいな論調にはどうしても乗っかれませんね。
この人たちはこの人たちで、そういうやはり時代の犠牲者だったというところがあって、この世代にも、それはもちろん非常に男尊女卑で、頭の堅い酷いジジイもいると同時に非常にリベラルで、本当にもっと社会が平等であってほしいと願っている、そういう白愛精神の人も当然いて、
いろんな人がいるはずなんですよ。我々の世代にも、今の若い世代にも、すごく保守的な人も、差別主義者も、ものすごくリベラルな人も、いろんな人はどの世代にも同じ割合でいるはずなんで、この世代のことを叩きまくるのはマジでナンセンスというふうに思います。
私は自分自身がこの時代をもちろん生きたわけじゃないんですが、非常にこれは私自身とてもとても感謝しているんですが、祖父母、そして母から彼らの人生を追体験させてもらったというか、いろいろ話を聞かせてもらったので、
いろいろそういったことを、わりと私は想像するというか無層壁がある人間だったので、自分が追体験して、自分もその場にいたかのように、いろいろリアルにその時代を空気を吸ったような気になっているところがあって、
さらに私の祖父母とか母の記憶をさらに肉付けするような形で、多くの映画を見たり、その当時の時代のドキュメンタリーを見たりしているので、生々しくその時代の空気を自分も体験したかのような錯覚というか感覚があるんですよね。
ちょっと話がそれるんですけども、先日NHKで、「よみがえる新日本気候」という番組でしたが、昔のドキュメンタリーをそのまままた今、よみがえらせているというすごく面白い番組で、本当に何十年前、例えばこの間つい最近やってたのが、
原宿のファッション通りの1970年代の原宿をずっとNHKがドキュメントした番組を今またやってるんですよね。それをたまたま見てものすごい感動して、当時の原宿がそのまま撮影されているんですよね。記録として残っていて。
このNHKのアーカイブスというのはめちゃめちゃ値打ちがありますよね。ごくごく普通に、当時の街並みとか行き交う人たちをただただ撮影してるんですよね。
いろんな若者にインタビューしたり、その人たちが働いてたり遊びに行ったりしている姿を、ただ単々と撮影しているドキュメンタリーなんですけれど、これが当時の原宿で最先端の場所として、山本関西とか、こういった世界的なデザイナーになるような人たちがこういったところで、
篠木を削りながらですね、いろんな斬新なファッションを次々に打ち出して、それをここの若者たちが着てですね、活歩してるんですよね。今見てもですね、正直言って今の若い人たちより、もう圧倒的にかっこいいんですよ。
これが、やはり段階の世代前後の人たちなんですよね。すごいミニスカート履いてたり、すごいベルボトムっていう裾がフレアになっている、デニム履いて、背の高いブーツ履いたりとかね、いろいろいろんな尖ったファッションを着て、今見てもね、おしゃれで斬新なんですよね。
今思い出すとね、今ってもう誰でも普通に気楽に原宿とかね、東京のどこの街でも歩けますが、私が若かった時でさえ、東京の一部の街っていうのは、もうね、おいそれと歩けない場所だったんですよね。
よほどおしゃれでかっこいい人、きれいな人じゃないと、もうね、バカにされるっていうか、そういう時代があったんですよね。
ハウスマヌカンって言って、いろんなね、服屋さんとかに働いているね、この店員さんが世界で一番偉いっていう時代があって、この人たちのことをハウスマヌカンって言ったんですが、先ほど言った山本関西とかね、その山本、幼児山本とか、川久保例の小棟ギャルソンとか、一世三宅とか、
そうそうたる世界に、世界でももう名前が出るような有名デザイナーがいっぱい出てきて、デザイナーズブランドが流行って、こういったところで働いている人たちが誰よりも偉そうにしていて、とんがったファッションでよっぽど垢抜けてかっこよくないと、もうちょっと通りは歩けないし、ましてや店の中にはね、もう一歩も入れないっていうような時代があったんですが、
このね、1970年代の原宿通りを見たらですね、もう一人もね、ダサい人は歩けないなっていう感じだったんですよね。だからね、いろいろ悪く言われてますけれども、この人たちはやっぱり人数も多く、だから影響力があっただけにね、こうやってね、多くのいいこともたくさん流行らせて、世の中を動かしてた世代でもあったんですよね。
なんかね、すごい生き生きとね、もう今のね、なんか私も含めてね、私たち段階ジュニア世代とか以降の人たちは目が淀んでるんですけれど、このね、1970年代に若者だった人たちはね、もう生き生きとしてて目がギラギラしてね、もうなんていうかな、こう明るくて自信にあふれてるんですよね。
それはまあ原宿の人だからだとは思うんですけれども、これがね、あの大阪の田舎とかにね、新世界とか歩いてる若者は全然たぶんこんな顔してないと思うんですけれども、とは言ってもね、やっぱこういう人たちがいっぱいいきて、世の中を大きくうねりを作っていたんですよね。
学生紛争と社会の影響
このうねりっていうのが本人たちが意図せぬ方向に、悪い方に触れたのが学生紛争の季節であったでしょうし、でも逆に言うとこの数のね、原理で大きく経済を盛り上げて、この人たちが起爆剤になってですね、大きく経済に貢献したっていうことも言えるんですよね。
だから、いろんな悪しき価値観とか風習とか、そういった諸々のものはあったとしてもですね、それはこの人たちの世代が生み出したものではないということだけは言えると思うんですよね。
この人たちの世代よりも前からあるでしょうし、そして今もあると思うんですよね。
だからもうこういうふうに二項対立で、誰か特定の人とか一部の世代を悪者にするっていうのはすごくわかりやすいんで、こういった議論に陥りがちだと思うんですが、別に正論を言いたいわけじゃないんです。
正論を言いたいわけじゃないんですけれども、私は個人的な意見を言うならば、この世代が好きです。私は私の母を含め、段階の世代が好きなんですよ。
この段階の世代全員がもちろん好きなわけじゃなくて、嫌な人もいっぱいいるでしょうけれども立派な人もいっぱいいて、その人たちも全部含めて段階の世代が全部、今の社会がうまくいってない全ての根源がこいつらにあるっていう論調にはどうしても何も言わずにはいられないんですよね。
やっぱり私は肩を持つわけじゃないんですけれども、もうちょっと大きなスパンで世の中を見た方がいいんじゃないかというふうに言いたいだけなんですよね。
この学生紛争が起こってしまったこの日本の背景が、この一部の若者たちだけが何か悪いということにはならないということだけは言いたかったので、ちょっと話をしてみました。
はい、というわけで今日はこれで終わります。ごきげんよう。