家族の喪失
お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
ラップじゃないんだ、ヒップホップなんだ。
はい、これはマミー・Dの言葉になります。
関係ないんですけれども、昨日、ついにですね、夫の父が亡くなりました。
安らかな、そんなに苦しまずにいったというふうに聞いてますので、良かったのかなと思うんですけれどもね、
既得になって、少しまた持ち直しということが数日続いたんですけれども、
最後はね、もうすっと、やはり数値をずっと機械でね、脈拍とか呼吸の様子とかをずっとお医者様見ながら、
緊急を要する状態になると病棟の方に行って様子を見に行くということをしていただいてたと思うんですが、
かなり状態が悪くなった時に見に行って、一応ね、呼吸を鼻に、口に呼吸がしやすくなるような機械がありますよね。
あれを当てがおうとすると、ちょっといやいやってね、ほとんど意識がないはずなんですけど、
いやいやって首を振るか手をちょっと動かすような素振りがあったらしいんですよね。
これはということで、もう私たちちょうどその時も一旦家に帰ってたんですけれども、連絡が来まして、
もうちょっといよいよ危ないということで、夫は駆けつけて、
で、夫がね、もう到着するのがちょっとね、一歩間に合わなかったらしいですね。
そしてね、その仲がいい親子だったわけでもなかったんですけれども、
やはりね、ご隣住ですっていうのを聞いた時にね、もう号泣したらしいですね、夫がね。
うちの夫は父一人、息子一人でね、シングルファーザーが育てたというかね、育てたと言ってもですね、
中学でうちの夫は父親のところを飛び出したりして、ずっとグレたりしてたんですよね。
それというのもお父さんとお母さんは、彼がまだ小学生に上がったぐらい、2、3年生だったかな、
それぐらいの時に離婚してるんですけれど、離婚理由が父親の女癖だったそうなんですよね。
お父さんというのはね、ずっとね、前の仕事は私知らないんですけれども、この頃には居酒屋の提酒をやってたんですよ。
ずっと一人でね、カウンター形式の居酒屋をやってて、
いつもね、そこに酔っ払ったお客さんとかが来るのが嫌で、
いつも小学校の高学年ぐらいから徐々にグレ始めて、家に帰らなくなったり歩道されたり、
いろいろ保護観察がついたりとかね、もう本当に典型的な不良少年の少年時代を送っている人なんですよね。
そんなんでね、だからこの親子はいろいろあったんですけれど、
でもね、何かあった時にお互い助け合って、つかず離れずの間柄をずっと続けていたんですけれどね、
ついに自分にとっては唯一のね、肉親がいなくなったということで、
しかもね、今までたぶん近しい人に亡くなられた経験がなかったらしくてね、
相当ちょっとね、ショックを受けているんでね、何とか寄り添って、
マミー・Dのアルバム
私がね、こういう時にね、結婚のいいところってのはこういう時に一緒にいれる人がいるっていうのはとてもいいことですよね。
何を話しているかというと、マミー・Dの今回ライブが今日あるんですけれども、
マミー・Dは長いキャリアでずっとライムスターのメンバーなんですけれど、
初めて去年ソロアルバムを出したんですよね。
このソロアルバムのためのライブ、全国ツアーというかね、を組んでたのが、
昨年コロナかインフルエンザかどちらかで体調不良になったんで延期になったんですよね。
今回その延期のライブが今やられるということなんですよね。
今回のライブの元になっているソロアルバムなんですけれど、
これは完全に詩小説、自分のための小説のようなアルバムの内容なんですよね。
本当に感動的で、どの曲もすごくいいんですけれど、
すごくこの人の歌というか歌詞もすごく聞き取りやすくて、
自分の今までの反省とか、自分がどうやってラップというかライムスターで成功していったかとか、
今後の10年の50歳過ぎた自分がこれからどういうふうにやっていくかということとか、
完全に自分のアンセムになっているんですよね。
自分へのアンセムソングばっかりが入っているんですよね。
これはほとんど、マミDは早生まれなのでちょっと年は1個違うんですけれども、学年が同じなんですよね。
もうちょっと胸に来るんですよね。
まるで私もそのまんまマミDの気持ちになって聴いてしまうというか。
この人もすごいインテリではあるんですけれど、やはりすごい苦労していて、
中3階級というか割と裕福なサラリーマンのうちの子供だったみたいなんですよね。
このアルバムを聴くまで、この人がどういう執事なのかというのはあまり知らなかったんですよ。
出た大学とか、そういった今までの活動は知っていますけれども、
どういう子供時代を過ごしたかということは知らなかったんですけれど、
やっぱり小学校3、4年生の時に親が離婚して、そこから一気に苦労したみたいなんですよね。
私だから全く年が同世代なのですごくよく分かるんですけれど、
私たちの世代というのは、はみ出し者がほとんどいなかったんですよね。
みんな1億総中流で、みんなが中3階級で、みんなサラリーマンのうちの子供で、
みんな別に突き抜けて大金持ちはいないにしてもね、
みんなそれなりに裕福で、トヨタの一番いい車に乗ってたりとか、そういう時代だったんですよね。
マミー・Dもですね、一気に多分お母さんの方に、
どちらに引き取られたっていうことは歌詞になってないんですけれど、
おそらくお母さんの方に引き取られて、ものすごく経済的にも苦労したというふうに思うんですよね。
周りの子たちがみんなアニメとかアイドルに浮かれている時に、自分は何もなかったんだけれども、
ある時から音楽に出会ったっていうことを歌っているんですけれどね。
でもね、これはそっくりそのまま私にも当てはまるというか、
今回この夫が父親を亡くして泣いている横顔を見ながら、同じことを思ったんですよ。
だからこういうふうに片親で育ったりとか、何か全てが揃っていないっていうのは、
この私たちの世代にはあんまりいなくて、本当にそれだけで苦労したんですよね。
白い目で見られたりとかね、お父さんいないんだとかね、お母さんいないんだということで、
それだけで白い目で見られて、学校でもはみ出したりとかしてきたんですよね。
だけどそれでもやっぱり音楽があったりとか、映画があったりとかして、
そういったもので助けられてここまで来たんだなということを改めて思って、
支えとなる音楽
いろいろちょっと来るものがありました。
このお父さんが本当にいろいろ欠点のある親だったとは思うんですけれども、
こうやって最後息子が見とってやるというか、
本当の本当の意味では臨終の瞬間には立ち会わなかったんですけれども、
何度も何度も病院に行って、最後意識のないお父さんの横にずっとついてあげている時間があったんで、
こういう別れを惜しむ時間を十分に作って、最後旅立って行ってくれたということで、
よかったんじゃないかなと思ったりしました。
同世代のミーディーも、私や夫と同じようにシングルペアレントの子どもで苦労したんだなとかって思ったり、
やっぱり音楽とか文化が支えになったんだっていうのを、このアルバムは言ってるんですよね。
さらに50の半ばになっているマミーディーが、これからも俺はまだまだやるぜっていうね、
もう顔にシワもできてるし、白髪もあるけれども、俺はまだまだこれからまだまだやっていくんだっていうね、
すごい自分への応援歌っていうかね、すごいアルバムですよね。
だから生のマミーディーを見に行くっていうのはもう願服ですよね。
というわけで、今日はちょっとそんな話をしてみました。
というわけで、ライブ、今夜は楽しみに行ってまいります。
ごきげんよう。