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下弦の月と夫婦の思い出 #665
2026-09-04 26:59

下弦の月と夫婦の思い出 #665

今日9月4日は下弦の月🌕
月にまつわるあれこれをお話しています。

▽高野山での珍道中配信🧘‍♂️
『高野山で瞑想ならぬ迷走中 #384
https://stand.fm/episodes/6831b85197c011965b392eec

『インド人は空海を知りません #385
https://stand.fm/episodes/683310b31cf9c5bd5911a2f4

▽父から届いた謎の宇宙飛行士🧑‍🚀
https://x.com/sunshakukanna/status/2095442893855133976?s=46&t=QE-f5Qk4g1g4oSxbuE_l0Q
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感想

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00:05
お聞きの皆様、おはこんばんちは。 現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
9月になりまして、私はヨガに行ってるんですけれどもね、週に一度。
月の来拝っていうね、9月になると月にね、挨拶するっていう一連のポーズがあるんですよね。
これがね、年に一度だけなんですよね。9月だけはこの月の来拝っていうのをやるんです。
それ以外は、毎回太陽来拝っていう、太陽に挨拶する一連の動きがあって、こちらは非常にハードなんですよね。
月の来拝はね、やや優しいというか、優しいっていうのは簡単って意味じゃなくて、もう少しね、なんか穏やかで静かな動きが多いっていうんですかね。
この季節が巡ってきたなと思ってね、今日ヨガやって、もう9月かって思ってね。
ふと思ったんですけれど、以前にもね、ちょっとお話したかもしれないんですけれど、ヨガを始めたきっかけっていうのが、
私の夫がですね、10年近く前なんですけれども、大動脈乖離っていうね、大事な血管の中でも最も太くて、心臓に近い部分の大動脈がですね、
血管と並行して、ピキンって避ける、動脈効果が原因で起こる血管が避ける病気なんですけれどもね、これになってしばらく意識不明になるっていう、かなり危ない状態だったことがあったんですよね。
これは幸い助かったんですけれど、この血管が避けた時に、血管の欠片がね、バーッと飛び散ってですね、運悪く血管の一部が脳の方に飛んで、脳梗塞を起こしたんですよね。
これは、彼が既得で、意識がない状態の時に、医者にCTとかの画像で、脳梗塞も出てますねって言われたんで、どれぐらいの抗意症が残っているのかも全くその時はわからなくて、すごく不安な時間を過ごしたんですよね、彼が目が覚めるまで。
目が覚めたら覚めたで、この大動脈乖離っていう病気は、血管が避けるわけなんで、ものすごい激痛らしいんですよね。
夫もね、前後覚えてないって言ってますね。もう多分すごい激痛で、もう一瞬でぶっ倒れて意識がなくなってたと思うんですよね。
幸い、救急車で運ばれて、私がいないところで倒れて、救急車で運ばれて、長らくICUに入っていて、幸い助かったんですけれど、いざ意識が戻ってもね、しばらく記憶がないぐらいの状態だったんですよね。
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これは、医学的にはショック状態っていうんですかね。あまりの痛みとか、あと一時的にね、1ヶ月近く意識がなかった状態からパッと目が覚めたんで、しばらくね、私のことも覚えてなかったし、状況が全然飲み込めないような状態がしばらく続いたんで、すごい心配したんですよね。
だんだんこれが落ち着いてきて、目が覚めてから1週間か10日ぐらいですかね、私にとっては人生で本当に長い数日間だったんですけれどね。ようやく記憶が戻ってきて、しゃべれるし、記憶もあるしということで、すごいほっとしたんですけれど、そこからですね、リハビリの病院に転院しまして、そこから長かったんですよ。
半年間、ずっとそこでリハビリをして、歩行、最初はもうだって1ヶ月近く寝たきりだったところから起き上がって車椅子に乗る、そして車椅子から今度は歩行訓練、あとはしゃべる言語訓練とかね、会話の訓練とかいろんな訓練をしてましたね、この頃ね。
というのが、脳梗塞の影響がどういったところに出ているかというのがわからなかったんですよね、しばらくは。結果だけ言うと夫は非常に軽度だったんで、ほとんど後遺症はなく無事に半年のリハビリで退院できたんですよね。
わずかにね、今でも右足に少し痺れが残っているんですけれど、幸い普通に社会復帰もできて、やれやれという状態だったんですけれどね。
この期間というのがね、最初リハビリの病院に行った時が、要介護5とかをもらってました。日本の素晴らしい介護保険制度でね。
5からだんだん徐々に回復していって、要介護3とか2とかって下がっていって、ついに要支援2とか、ついに1とかというふうに徐々にレベルが軽い支援のね、ランクがだんだん下がっていったんですけれど、
最初の入院している半年間は介護保険で、この病院でしっかりとリハビリ受けてたんですけれど、退院して家に戻ってからですよね。そこからは通所リハビリというね、リハビリの病院に通いでリハビリを受けるというサービスに変わっていったんですよね。
半年の入院の後、約1年くらい通所リハビリをしてたんですけれども、だんだん夫はどんどん良くなっていって、最初は運転ももちろん禁じられてたんですけれど、これも運転もできそうだっていうので、
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ちゃんと運転免許の試験場ありますけれども、あそこでちゃんと試験受けてね、3Dの映像で急に自転車が飛び出してきたり、ふらふらと子供が出てきたりとかっていう試験がありますよね。
胴体視力を見たりするやつ。ああいうのとかもちゃんと受けて、これだったら運転大丈夫ですよっていうので、試験もちゃんと受けて、もちろんお医者さんの許可ももらって運転が再開できるようになって、っていう感じでね、もうほとんど普通に日常生活が送れるようになったんでね。
仕事も復帰していってみたいになって、こちらとしてはね、夫が受けたいサービスっていうのはリハビリ療法士さんがしっかりと体をマッサージしてくれる、あのサービスを受けたいがためになるべく長くこのサービスが受けられたらいいなって思ってたんですけれども、
この介護保険とか、社会保険とかって全部そうですけど点数でね、やるんで、このサービス受けると何点、何点、あなたのこの介護認定のレベルだとこんだけのサービスが受けられますみたいなのが決まってて、その必要ないサービスもなんか付加されるんですよ。
例えば彼は運転もできるし、自分で日常生活も送れるんですけれど、送迎、通所リハビリ施設までの送り迎えの車のサービスとか、あといざ行ったら時間も、いわゆる普通のマッサージ屋に行って、予約の時間に行ってマッサージ受けるとかっていうのと違うんで、結構待ち時間があるんですよ。
で、2時間とか結構拘束されるんですよね。で、その待ってる間、そのリハビリのマッサージまでの間に、なんかアンマイスみたいなとか、あと足のなんかこう、足を突っ込むとギューと、あの、支発してくれるみたいな機会があったりするんですけど、ああいうの受けたりね。
なんかそういうことしながら時間潰さなきゃいけなかったりして、この介護サービスの範囲内で、今後のリハビリを続けていくっていうのにね、若干無理があるよね。つまり元気すぎるというか、であるならばもうあの無理にこういったことでね。
でも仕事も忙しくなってきて、この通所リハビリに3時間とか行ったりするっていうことも、時間的にそれを確保するのも難しくなってきて、で、なんかもう自費でね、自分で努力して、体をケアしていくっていう風に行こうしようかっていうのを話し合いまして、何がいいかなっていろいろ研究したんですよね。
09:05
ジムに行くとか、トレーニングとか、いろいろ考えたんですけども、なんとなくヨガがいいのかなと思って、というのも夫は16歳からずっと大工でずっと仕事してきて、体を酷使してきてますしね。
で、まあだからその動脈効果によるね病気でしたし、血管とかも多分本当に内側がね太くなって、血の通りが悪くなったりしてたんだろうなと思って、だから血の巡りが良くなってサラサラになって、循環の良い体にしたりとかっていうことが合ってるんじゃないかなっていうのと、
あと体が非常に筋肉質で硬い体質なんでね、仕事柄もあって、だからそのヨガみたいに体を柔軟に柔らかくしていくっていうのもね、いいかなと思って、ヨガを進めたっていう経緯があるんですよ。
でもヨガって女性が多いイメージがあるじゃないですか。でね、ずっとヤンキーの大工の夫がヨガみたいなすごい抵抗があったんですよね。
だけどなんとなく今ね、筋トレとかスポーツジムとかね、そういうのはなんかね、そういう大病したあなたには筋肉を鍛えるよりはもうちょっと循環を良くする方が合ってるからヨガがいいよって言って、私が進めた手前、
抵抗がある夫にね、行くのに仕方なくですね、私は本当何度もお話ししている通りで、社会人になってからは激無の日々なんで、毎週決まった時間に決まったそういう習い事的なことをするっていう時間がほとんど取れなかったんでね。
なんかすごい大丈夫かなっていうのはあったんですけれど、とにかく夫を何とかしなきゃっていうのがあるんで、夫婦でヨガスタジオに通うようになったんですよ。
でも私は夫の付き合いで行ってるっていうのがどうしてもあって、すごい結構不真面目に行ってたんですよね。
最初は夫と同じ曜日に行ってたんですが、私たちが同じようなリフォームの仕事をしているとは言っても、夫は月曜日から土曜日までの平日を中心に、9時から5時まで現場で仕事をするという勤務スタイルで、
私は土日、祝日関係なく仕事するっていうプランナーの仕事なんで、曜日が微妙に合わなくなってきたのもあって、相変わらず今も通ってるんですけれども、夫婦で曜日変えたんですよ。
今別々に行ってるんですよね。そうなってくると、夫の目もないんで、結構サボってるというか、仕事が遅くなるんで今日行けませんとか言って、休んだりしてたんですね。
12:02
今日と行ってる間なんかは、休会したり休みにしたりとかして、結構適当にやってたところがあったんですが、
去年ね、それも配信で話したんですけども、和歌山の高野さんに行ったんですよね。私たちが通ってるヨガスタジオの社長というか、この人自身がインストラクターもやってるんですけれど、
彼女がいろいろ尊敬しているインド人のグルー、ヨガ指導者の方、大学でちゃんとヨガを体系的に教えている立派な方らしいんですけれども、この人を是非、彼女は毎年必ず1年に1回はインドにわざわざ行ってね。
10日間ぐらい行って、ちゃんとヨガの修行に行ってるんですよ。そのグルーのところにね。それぐらいの先生で、ぜひこのスタジオのみんなにも立派なヨガの先生の本家、本物の教えをみんなに受けてもらいたいって言って、
去年、高野さんの宿望を借り切ってですね、2泊3日の合宿をやったんですよ。このヨガスタジオというのはね、かなり、そこそこ歴史も長くて、どれぐらいやってるのかな?30年ぐらいやってて、すごい生徒数も多くてですね。
スタジオもエリア3カ所ぐらいでやってて、すごい生徒数も多いんですが、高野さんに2泊3日、缶詰になってですね、朝から晩までヨガするっていうので、ちょっとね、みんな引いてしまって、生徒数自体は何百人もいるはずなんですけども、実際にこの合宿に来たのってね、50人ぐらいだったんですよね。
それでも結構な人数なんですけども、先生からしたら、もっと100人以上の生徒は少なくても来てくれるかと思ったら、すごい少なくて、結構ショックを受けてらっしゃったんですけどね。
っていうのが、別にこれ金儲けでやってるわけじゃなくて、高野さんの非常に気の良いところで、空気の澄んだところで、自分が尊敬しているヨガの指導者をね、直々にヨガを体得してもらいたいっていうね。
長年自分のスタジオに通ってきてくれた生徒たちへの恩返しだっていうね、集大成みたいな感じで、これを企画されたっぽかったんですよ。
私は去年の時点でも、まだ2年にも満たないぐらいの、まだ入って間もない生徒だったんですけども、なんとなくね、先生の気概みたいなものを感じて、
高野さんに長らく行ったことなかったんでね、子供の時以来行ってなかったんで、宿泊に泊まれるっていうのも魅力だなと思ったんで、行ったんですよね。
15:03
それはちょうど去年配信で、高野さんから配信してるのがあるんで、またよかったら聞いてみていただけたらと思うんですけどもね。
いろんな振動中があって、しかももう激無の中、この2泊3日のこの特館の旅行を入れたせいで、前後大変な目にあったんですけれど、これは行った甲斐があってすごくいい体験だったんですよね。
それまですごい不真面目にやってたんですけども、この辺りでちょっと私の中で、これはちゃんとコミットしてやらなきゃいけないなって、ちょっとスイッチが入れ替わったんですよね。
あと、先生の思いっていうか、私からしたら夫のために、嫌がる夫にお尻を押すっていうか、お尻じゃない、背中を押すって言うんですよね。すみません。
背中を押す意味で言ってたんですけども、いやいや、これ私にとっても、ヨガは実際ね、最初の半年じゃなくて1年半ぐらいは適当に行ってたんで、大して効果を実感しなかったんですけれど、
小屋さん行ってからね、絶対週1のヨガの日程はどんなに忙しくても、ちゃんと確保しようって決めて通うようになってから、だんだんね、あんなに嫌で嫌でしょうがなかった太陽来輩も結構できるようになってきたんですよね。
股関節とかもね、ものすごい硬くなってるんですよ。もともとそんなに体が硬い方でもなかったし、年齢の割には、まあまあね、仕事がハードで活動量が多いから、結構ね、自分の同年齢の人よりはね、結構元気かなって思ってるんですけれど、
まあそれでもね、すごいね、ちゃんと運動してるわけじゃないですし、手が上がらなくなったりね、足が広がらなくなったり、前屈しにくいとかいろいろ出てたのがね、だんだんね、真面目に通っているうちに体も柔らかくなってきて、
効果が出てるのかなーって思えるようになってきたら、ますますちゃんと真面目にやろうって思えるようになったんですよね。
夫とはね、今週曜日を分けてるんで、夫がどれくらい進歩してるのかわからないんですけども、私が一緒に行ってる頃はね、しょっちゅう疲れた疲れたって言って、シャバーサナっていうポーズがあって、
これはね、演技が悪いように聞こえますけど、死人のポーズっていうね。だからまあ、死体が寝っ転がってるみたいなポーズっていう意味なんですけれど、これはだから自分を無にするっていうか、
心も体もパーッと力を抜いて、空っぽにするっていうポーズなんですよね。
これはだからもう、これがあまりにも気持ちよくって、そのままね、スヤスヤ寝ちゃう人とかもいるんですよ。
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で、うちのスタジオは、結構オーラ化というか、絶対にこうしなきゃいけないとか、パワーヨガとか、ペラティスみたいな、
ああいうなんか結構規則正しくスピード感を持って、パキパキと、フィットネスとしてのヨガっていうのではなく、本当にハタヨガなんですよね。
ゆったりとした、ヨガは呼吸だっていつもおっしゃってます。
吸って、吐いてっていう呼吸を深くすることで、心と体のバランスを整えるっていうのがベースなんで、
疲れて、今日は動きたくないっていう人はね、ゆっくり寝っ転がりながらできるポーズやりましょうね、みたいな、結構優しいメソッドのとこなんですよね。
だから夫はもうしょっちゅう、私2人で言ってる時はしょっちゅうね、シャバー様で寝っ転がって、ぐーすか寝てたんでね。
今、彼がどうしてるのかよくわかんないんですけど、ちゃんと真面目に通ってるんで、体に合ってたのかなと思ってね、ほっとしてるんですよね。
月の話なんですけど、月のこの来拝っていうのは、この9月だけなんですよ。1年を通して、この9月だけは月の来拝のポーズをやるんですよね。
それ以外は、ずっと太陽来拝をずっとやるんで。
だから、1年が巡ってきたんだなぁと思って、気がつけば3年経ってたっていうことを思って、
夫も、今言ってた2018年だったかな?に倒れてから元気にこうしてね、なんとかやってくれてるなぁなんていうことも考え深く思ったり、
少し関係ないんですけど、今日はTシャツが乾くまでの日で、今見てから収録してるんですけれどもね。
来週が最終回。それまでは、このことに関してはあまり喋らないようにしようと思ってるんですけれど、
夫婦のこととかね、いろいろ思ったりして。
ちょっとね、話がそれるんですけども、先日ね、父親からいきなりプレゼントが届いたんですよ。
で、父はね、時々ね、月に1回ぐらいとかね、ポンポンってプレゼントを送ってくるんですけども、
大抵はね、お菓子とかなんですよね。
父はね、もう神戸ファシストっていうか、神戸以外は住むところじゃないって思ってる人で、
当然神戸といえば洋菓子が美味しい地域なんでね。
神戸の会社のお菓子をね、いつも送ってきてくれたりとかして、
でも私もめんどくさいから、ここ何年も会ってないんですけども、
めんどくさいって言ってるのは、私は全く父に対して恨みもないし、嫌いじゃないんですけれども、
会うとね、もう酔っ払って、自分の過去のいろんな行いに許してくれとかっていうモードになって、
21:02
泣き出したりとか、変な歌歌いだしたりとかするんで、非常に困るんですよね。
でもそれがめんどくさいんで、もうちょっと会わないんですけども、
ただ、俺を忘れないでくれって意味なのか、プレゼントを送ってきて無視してるんですけども、
またね、届いたんですね。この間ね。
いつもと違うなと思ったら、なぜかね、オブジェっていうか、置物が入っててですね。
宇宙飛行士が、手を前傾にね、前に突き出して、何かを支えている、ひざまずいて支えているようなポーズの人形が届いたんですよ。
これよくよく見ると、これは宇宙飛行士さんの手のところにCDとか、DVDとか、何でもいいんですけど、立てかけられるCDスタンドのようなものなんですよ。
可愛いんですけども、なんでこんなものを送ってきたのかなと思って、
ちなみに別に私の誕生日とかでも全然ないし、でもたまたまこれ見つけて、なんかいいなと思って送ってきたのかなと思うんですけどもね。
私は1969年生まれなんですよ。これはアポロ11号が月面着陸に成功した年なんですよね。
この年に、父と母が、父は関係ないですが、母が頑張って産んでくれたんですけれども、
2人はアメリカに留学中に知り合って、私ができたんで仕方なく結婚した2人で、わずか2年しか続かなかった結婚なんですけれども、
でもこの宇宙飛行士のオブジェを送ってきたところを見ると、父はあの頃が青春だったのかなってふと思ったんですよね。
1969年の頃のアメリカ。だからアポロ11号が月に着陸したっていう沸き立つようなニュースがあると同時に、
ベトナム戦争っていうものがずっとあって、病んでいるアメリカ。その頃の空気っていうんですかね、カウンターカルチャーが出てきてっていう、
非常に歴史的にも興味深い年代の頃なんですよ。その頃に父と母は若い2人がニューヨークで知り合って、
ぽこっと私ができちゃったんで、深い考えもなく結婚して、やはりうまくいかなくて離婚したわけなんですけれども、
でもなんて言うんですかね、私は確実にこの頃の父と母のアメリカでね、バーっと空気を吸って、その頃のアメリカのね、
24:03
影響を受けた若い感性のね、そのまま私はだってそれ別にアポロ11号が月面着陸したところ、自分はまだ生まれてもいませんので、
見てるわけじゃないのに、見てるのはもっと後になって、ニュース映像として見てますけども、その時、歴史的な瞬間を生で見てるとかじゃなかったにもかかわらず、
あの頃の何かそういうね、父と母が見ていたものが、そのまま私はなんかね、やっぱり母の体内を通して、自分の中にそれがね、脈々とつながってるっていう感じがするんですよね。
だから私はすごく自分が1969年という年に生まれたっていうことをね、とても誇りに思ってるんですよね。
それはなんか私もしかしたら繰り返し配信の中でも言ってきたかもしれないんですけども、で、わずか2年しか続かなかった父と母のその関係なんですけれども、それもね、
なんかいいじゃないですか、人生っていうのは一度きりで。で、そうやって、結婚自体は続かなかったんですけれども、私という大した人間じゃありませんけども、私という人間が父と母が作ってくれたんだなぁとか思ったり、
なんかね、あの時代の、今もね、父は懐かしんでるんだろうなと思ったんですよね。これを送ってきてくれたのを見てね、お前はこの年に、あの時にお前生まれたんだよっていうことを言いたいのかなとか思って、
なんかね、これとてもね、あの気に入ったのでね、父が送ってくるお菓子は普通に食べるだけで終わるんですけども、これはちょっと飾っといてやるかと思って、なんか眺めてるんですけれどもね。
これXでちょっと投稿しましたんでね、後でリンクも貼っておくんでよかったら見てみてください。
なんてことない、たぶんどうってことない、あの別に決して高価なものじゃないんですけども、これをなぜ父が選んだのかっていうことをね、思った時になんかしんみりするものがあって、で、9月は月、月の月だっていうことでね、ちょっといろんな話をしてみました。
そしてね、Tシャツが乾くまでが一体どういう決着をするのかわからないんですけれども、夫婦っていうものとかね、なんかそれが長く続くか続かないかとかっていうことではなく、その時、その瞬間、共に過ごしたその記憶とかね、そういったことがとても大事なんであって、長く続くとか、そういうことよりもね、意外にこの一瞬一瞬、その時の、なんかその1969年のあの年、
あの夏とか、なんかそういうことがね、案外大事なのかなと思ったりしたというお話でございました。はい、それではごきげんよう。
26:59

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