真昼の王将 #679
2026-10-08 23:15

真昼の王将 #679

巷で話題の、大手企業の不祥事ニュースを見て、記憶から消していたキャリアの黒歴史を思い出しました。
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お聞きの皆様、おはこんばんちは。現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。 まもなくですよね、ノーベル文学賞の発表があるのかなぁなんて思いながら、それとなーく気にしてるんですけれどもね、
私は別にハルキスト、あの村上ハルキファンでもなんでもなく、 実は村上ハルキ作品は、もうほとんど読んでないに等しいんですよね。
私が若い時に、ノルウェーの森っていうね、小説が大ベストセラーになったり、常にね、いろんな話題作を出し続けてきている、現代の日本の作家の代表的な人だっていうことはわかってるんですけれども、全然最後まで読み通せないんです。
例えばですね、ノルウェーの森とか、大作は置いておいたとしても、ドライブマイカーっていう映画がね、浜口監督の映画が数年前に大変ヒットしましたけれども、
これもね、これは村上ハルキの短編小説を元にした映画で、映画自体はめっちゃ長くて、途中からね、爆睡して、全く覚えてないんですよね。覚えてないというか、まだ見てないわけですよ。
小説の方も、映画を見切れなくて、かといってもう一度見ようとまでは思えなかったので、小説は読もうと思ったら、この短編小説ですら読み通せなかったっていうね、よほど村上ハルキとはちょっと縁がないというかね。
村上ハルキさんが別に、ノーベル賞を取ることをすごく期待してるっていう内容ではないんですよ。ただ、そろそろまた例年、この季節が巡ってきたなっていう、そんなふうに思ってね。
あと、科学や医学の分野でも、日本人で取るかもしれないという候補の方々がいて、私が睡眠の話をしていて、柳沢正教授、歴史を発見した、睡眠のメカニズムをね、いろいろ研究されている柳沢教授とかも、もしかしたら取るかもしれないって言われてますし、
私周りですとね、取って欲しいなぁと思ってね、思っているのが、有機ELの発光効率制御の研究をされている足立千早教授、この人がね、レアメタルとかね、そういった希少金属を使用しないと、有機ELって今まで使えなかったのを、
とても安価で、効率よく、そしてその環境負荷も削減できるっていうね、新しい有機ELの開発をしている人なんですよね。この人とかね、取って欲しいなと思ったりしてますね。
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ちょうどね、12年前のノーベル賞は、今のLEDね、発光ダイオードの青色を発明っていうんですかね、開発した日本人の3人が受賞してるんですよね。赤崎さん、天野さん、中村さんっていうね。
3人の開発者が青色発光ダイオードを開発したということで、ノーベル賞を取ってるんですよ。私はとっても誇らしく思っていて、LEDっていうのはもうすでにアメリカで開発が進んでいたんですけれども、どうしてもね、赤もあったんです。
緑もあったんです。ところがね、この赤と緑だけでは、白、白い色を作れないんです。青ができたことによって、この3色のね、色のこととか、勉強したことがある方は分かると思うんですけど、この3つの色を混ぜることで、白という色を実現することができるようになったんですよね。
すごいすごいすごい発明で、これのおかげで今私たちがね、LEDで白い、私はあまり好きではありませんけれども、蛍光灯の色というか、白い光を作れるようになったのは、この青のLEDができたからなんですよね。
これを発明したのは日本人の科学者3人だっていうことでね、私は当時とっても本当に嬉しく思っていて、でも今回もね、UKの発明をしているね、足立教授がね、取れたらいいなぁとか思ったりしているというオープニングトークなんですけれども、
本日のね、本題は、あの生命保険会社の今、巨額金銭不祥事のこの事件についてね、ちょっとお話ししたいんです。これはね、前から結構話がしたかったんですけれども、まだまだね、あのなんていうかな、あの詳しいことが分かってなかったので、ちょっとね様子を見てたんですよね。
そしたら、今日、今のこのプルデンシャルの社長がね、記者会見して、社長だけじゃなくて何人かこの4人でね、記者会見して、いろいろ突っ込まれていて、苦しい言い訳とこれから体制を変えていくんで、これからを見ててください、みたいなね、片通りの記者会見を見たんですけれども、
このプルデンシャル生命保険はね、まあさておき、この生命保険がいかにヤバい業界かっていうのはね、もう結構知る人は知ってると思うんですよね。
でまぁ今回もね、私があのちょっと数回前に配信しました、気の迷いで包協手術を、えっと実は覚削していて、もちろんやめてるんですけれど、やってないんですけれども、包協手術を覚削していたっていう私の黒歴史に次ぐ、第2の黒歴史がございまして、
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えっと実はね私、あわや超大手生命保険会社、S生命保険会社にほぼ内定をもらいかけていたっていう黒歴史があるんですよ。
これはね何があったかっていうと、私は当時M社に働いていた時期です。Y社からM社で働き、念願のインテリアコーディネーターとしてバリバリ新築の文床マンションのモデルルームとかのコーディネートをガンガンやってたんです。
ただもうねこれをね6年ぐらいやってて、だんだん飽きてきてたんですね。というのがこのマンションのこの文床、文床マンションをあのニョキニョキ建てまくってたんです当時ね。
これがねちょうど何年ぐらいかな、2000年代の終わりぐらいです。2006年から2012、13年ぐらいまでですかね。このあたりで私はこの仕事をやってた時期なんですけれども、もうだんだん嫌気がさしてきて、この頃っていうのはまだ日本が緩やかに景気を交代している局面ではあったんですけれども、
まだまだそのバブルの頃のリッチだった日本の豊かさみたいなものがまだ残っている頃で、ただですね不動産会社、デベロッパーはね結構な大手がバンバン倒産したりしている時期だったんですね。
まさにねこの2000年代のこの6年から10年あたりっていうのは皆さんもご記憶にあると思いますけれども、サブプライムローンねアメリカの、これは低所得者向け住宅ローンですね。ものすごくあの所得が低い人でもですね、簡単に住宅のローンが組めたっていう悪名高きローンですけれども、これとリーマンショックですよね。
これがダブルパンチでアメリカの経済に大打撃を与えた時期なんですよ。でこのあたりでですね日本でも結構なデベロッパーがバカすか倒産していったんですよね。
例えばねアーバンコーポレーションとかね、いっぱいあるんですよ日毛とかね、穴吹公務店とか、いろんな私も取引があったデベロッパーもちゃんとね結構ちゃんとした会社だと思ってたんですけども、ボンってもうあの倒産する時っていうのがある日突然やってくるわけですよね。
でいっぱい倒産したりして、それがねあの倒産したマンションの開発ってもう何年も前から決まってるんですよね。もう10年以上前とかからここにいずれマンションを建てるとかっていう計画が立って、そして実際にマンションが工事に移って販売を開始し、そして人が住むようになるまでっていうのは何年もかかるわけです。
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で、何年計画なんでも止められないんですよ。で、そういう物件をいくつも抱えているデベロッパーがブワーってあの倒産したりしたんで、一旦はね、ハセコという会社がありますね。ハセコがね、多くの物件を全部買い取るんですかねあれは。自分たちのところで引き受けて最終販売したりとかしてました。
ハセコっていうのはゼネコンでもあり、どちらかというとね販売会社なんですよね。不動産の。で、そこがね結構あの最終的にねもういっぱい不採物件をね抱え込んで販売したりしてました。
で、私はこのハセコさんなんかの担当者さんからも仕事をいただいたりとかして、たくさんあふれるぐらい持っているね、売りにくいような物件。だからもうマンションの開発計画っていうのが10年も20年も前から計画されている。
で、その間に日本の景気が悪くなっていって、もう今更駅から徒歩20分みたいなところにねマンションが建ってそんなところ売れるはずもないんですけれども、ですけれどもひとたび計画しているものは途中でね、それをね中止したりとかって基本的にできないんですよね。
で、そういう非常に悪条件の不の不動産ですね。不動産をなんとかねあの手この手で売るっていうことをね、その当時リーマンやサブプライムな厳しい経済がどんどん悪くなっているあの厳しい時期に生き残っていた大手デベロッパーさんがね、とにかくそういったまずい不動産をねなんとかもう売ろうとは思って、
やっきになってたんですよ。で、そういった時にあのいかに魅力的にねパッケージをして売るかっていうところで、まあ私のようなインテリアコーディネーターがたくさんこういった仕事をやっていたっていう時代だったんですよ。
だからもう仕事が止まることがありませんでした。もうやってもやっても仕事がもう次から次へときて大変ではありましたけれども、正直私からすればこんな不動産を客に買わせるっていう仕事ってどうなんだろうっていうことを思いながらやっていたっていうのも事実です。
一方でいろいろあの悪い条件があるマンションでもね、インテリアの工夫とか間取りの工夫で素敵に暮らせますよっていうね、お客さんに夢を与える仕事なわけですよ。
実際に今やっている仕事っていうのはもう実際にそこで暮らすお客様から依頼を受けてやっている仕事ですけれども、当時はこれからマンションを買う不特定多数の方にこのマンションを買いたいって思わせる仕事なわけですよ。
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だからある種のやりがいはあるんです。夢を見させる、反則の仕事ですよね。だからそれはずっとY社で砂を噛むようにして、本当はインテリアの仕事がしたいのにそれができずにつまんないルート営業をやってた身としてはね、最初の2年、数年間はそれはそれは楽しく、そしてどんどん仕事が来るからどんどん自分のスキルも上がってきましたしね。
とてもやりがいを持ってやってはいたんですけれども徐々にね、いやーっていう、なんとなくこの自分の仕事そのものに対してというよりは、このあのニョキニョキ立っていくマンションをただただひたすら売っていかなければいけないという、文庄マンションのこのビジネスそのものにちょっともうだんだん嫌気がさしてきたっていうのがあって、
ただね、それと同時にこのM社のインテリア事業部がだんだんヤバいことになっているっていうことがもう肌感覚で徐々にわかってきている時期でもあったんですね。
でまぁそのような自分自身が少しこの仕事に対してのモチベーションが下がっているタイミングで、このM社のそのインテリアの事業部自体がちょっとなんかもうヤバいんじゃないのっていう風な感じがちょっとね、伝わってくる時期と重なったんですよね。
なんとなくあのちょっとおかしいなって思い始めていて、私を含めたこのマンション事業に関わる部隊はめっちゃ忙しかったんですよね。
ちょうどこうやってもうあふれるほどマンションが立っていく中で、反則としてインテリアコーディネートをして、この反則をデベロッパーさんの反則を手伝うっていうこの仕事はもうあふれるほどその当時あったんですけれど、
一方でこのM社のインテリア事業部の母体というかね、本業自体は氷なんですよね。
であの当時M社の自社ブランドがありまして、ホンダララランっていうね、ブランドがあって、でそれはいろんなM社のいわゆるビジネスモデルそのものなんですけれども、駅地下の便利な場所にお店があってね、
あのM社の普通のファッションのアパレルの方のお店とは別に、このインテリアのショップだけはね、あの結構大きなララポートみたいなところとかね、そういった大きな大型商業施設の中にドーンと入ったりしてたんです。
東京で言うと豊洲とかね、品川とかそういったところに大きなショップがあって、というのもインテリアって場所を取るじゃないですか、大きなソファーとかベッドとかまとまって家具を大量に見せる空間が必要なので、大きなスペースにショップをいっぱい持ってたんですね。
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東京数カ所、大阪、名古屋、あとどこだったかな、何カ所か大きなショップを持ってたんです。これの売り上げがだんだん悪くなっていっていて、だけどM社ってね、もともとは、前もこの話したかもしれないんですけれど、M社ってもともとは家具屋だったんですよ。
家具屋で、家具を若い新婚の人たちが買いやすいようにって言って、あの月付販売、今で言う分割払いですよね。分割払いを始めたっていうのがM社の最初の成り立ちなんです。
で、この月付販売が徐々にクレジットカードっていうね、日本で初めてクレジットカードを作った会社なんですよね。ここまで言うともうどこの会社かバレバレなんですけれども、まあまあいいとして、でまあその、あのだんだんね、とにかくこのインテリア事業部がもうこのそこそこ売れていたとしてもですね、この場所代とか、あとそこに勤める従業員も結構な数がいたんです。
M社は、この元々家具から成り立っている会社で、その後だんだんバブルの頃にですね、だんだんファッションの方に行き、駅、地下の立地に自社のデパート業態でね、交流をやって、そこで服をたくさん売るっていう、どっちかって言ったらM社ってファッションのイメージが強い会社にその後なっていくんですけれども、元々は家具屋から出発したあくまでもクレジットカードビジネスの会社なわけですね。
なんですけれど、それをねあんまりわかってない人が多くて、このM社がやっている自社ブランドにものすごく憧れて、入社してくるインテリア好きの人が多かったんですね。私がY社に憧れて、まあ無理くり入ったみたいな形で、このM社のブランドもとても一部のインテリア好きの人たちから人気があって、M社に入社してくる人の3割ぐらいは、もう私はこのインテリアの、
部門に入りたいですっていうことをね、希望して入ってくる人も多かったっていうところなんですよ。私なんかはね、全然、今だからね、こんなこと言って大変あれなんですけども、Y社にいましたから、もうなんていうかな、もうM社っていうのはものすごい二流三流だと思ってバカにしてましたね。非常に失礼な話なんですけれども、
でもおかげで、そういうブランドとしてのグレードからいくとね、Y社の方が高いんですけれども、でもM社のこのインテリア事業の方に転職したおかげで、自分がやりたかった仕事に就けたんで、とっても感謝してます。
なんですけれど、このインテリア事業っていうのは、結構な従業員を抱え、そしてM社のテナントというよりは外部の大型商業施設に広い店舗を持ったりして、非常にお金がかかる事業になっていき、だんだん重たくなってきてたんだと思うんですね。M社にとって。
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で、なんかじわじわとね、なんかこのリストラとかはないんですけれど、このM社のグループからインテリア事業だけ別会社にしたりとかね、なんかちょっと変な動きがあって、きな臭いなと思ってたんですよ。
で、インテリアショップの中で夢を持って、すごいやりがいを感じて働いているスタッフよりも、私みたいにある程度外部のデベロッパーとか、そういった自社以外の人と関わりが多い仕事をしている立場の方が、もっと社会とか今のなんとなく経済の状況とかっていうのがもっとわかるじゃないですか。肌感覚として。
で、なんかね、やばいんじゃないの?と思ってて、そういうタイミングと、自分自身がちょっともうこのマンション事業に飽きてきているっていうね、その2つが重なったんで、これはそろそろ潮時じゃないかなと思い始めていたら、
同じようにね、このマンション事業の方の仕事をしている同僚たちがですね、みんなね、ざわざわと水面下で転職活動をしたりして、他のインテリアの会社に移った人とかがちらほら出始めてたんですね。
で、私がその当時一緒に組んでいた営業のすごいよく仕事ができる男性だったんですけれど、彼はリクルートエージェントに登録してさっさと転職していったんですよ。
その時に、カンナさんもね、絶対もう泥舟だと、このインテリア事業部は絶対潰れるから、もう今のうちから転職活動をした方がいいでと言われて、紹介してくれたんですね、リクルートエージェントをね。
私はY社からM社に行ったのは、M社が普通に求人を出してたからなんですよね。一度もこういう人材紹介会社っていうんですかね、そういったところを通して就活っていうかしたことがなかったので、よくわかんないけど面白そうだなと思って登録に行ったんですけれど、
ものの見事に当時私30代後半です。もう30代後半に差し掛かってました。35,6とかそれぐらいですかね。もうこうなると、もう私に勧めてくる仕事っていうのが、ものの見事に保険会社ばっかりだったんですよ。これは結構ショックでしたね。
なんかちょっと誤解してしまいましたもんね。もう30代後半になると、もう女でこんな仕事しかないのかなと思ってね。私が当時、例えばですよ、管理職やってたらまたちょっと違ったと思うんですよ。
マネジメント職をしたことがあるっていうその経験があれば、またその管理職という軸でね、いろんな会社を紹介してもらえたかもしれないんですけれど、私には役職がありませんでしたから。
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もうね、ものの見事にそういう全く自分には関係ない保険会社か、あとはね、その当時はたくさんあったブライダルの結婚式場の現代版みたいな、ああいったところの営業みたいな仕事とかね。
そんなのしか紹介されなくて、えーっと思って。それででも、どっちにしてもその時はまだM社で働いてますから、これも経験だと思って。
リクルートエージェントが勧めてくる生命保険会社の試しにね、いくつか募集したり、よかったら応募しませんかって言われて、じゃあ履歴書を出すだけだったらとかって、どうせうかりっこないと思ってたんでね。
だってその経験もないんですから。で、ちなみにそのインテリアとか建築系の仕事ってないんですかって言って、一件も勧めてくれませんでしたね。
リクルートとかっていうのはどういう仕組みになってるのかわかんないんですけれども、こういったところでいい転職先見つけた人もたくさんいらっしゃると思うんですけど、私の場合は全然で。
で、その試しに2つ大手保険会社にね、見事1次通過っていうかね、その募集に対して是非面接したいと言ってきましたって言って、マッチングした会社が2社ありまして、それで面接行って、2次面接もパスし、3次面接とかまであるんですよね。
で、3次面接まで来て、健康診断も受けて、もういよいよ泣いて間近だなっていう感じまで進んだんですよね。というわけでね、続きは次回といたします。
プルデンシャル生命保険の話をしようと思ったら、またまた長くなってしまいましたけれども、続きは次回といたします。ごきげんよう。
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