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お聞きの皆様、お運んばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
先日、とある対談で、世代の話になって、30代の人をやや批判的に話したことを、ちょっと語弊があるなと、自分で後で思い返しまして、
もう一回、世代の話を自分なりに、またちょっとしたいなと思って、その話をしようと思います。
30代の人たちが、50代の今、私にとって一番、つかみどころがなく、扱いにくい世代だというふうに、割と乱暴に言い放ってしまったんですけれども、
実はね、そうでもないなぁなんて思ってね、ちょっとたまたまなんですけど、
昨日、ニュースで、本屋大賞っていうね、本屋さんが一番進めたいと思う本を表彰する、今となってはすっかり権威になった賞がありますよね。
アサイリョウさんの、イン・ザ・メガチャーチっていう今、ベストセラーになっている小説が選ばれたんですよね。
なんとなくそのニュース見てて、ちなみに私まだこの本読んでないんですけれども、この界隈の人もみんな褒めてますよね、これすごく面白かったって言ってて、
私も読みたいなと、心のどこかで思ってたんですけど、ふとね、昨日そのニュース見てて、このアサイリョウさんってね、そういえば、霧島部活辞めるっていう世でデビューした人だったんですよね。
霧島部活辞めるっていう世は、小説も読みましたし、あと映画も見てて、どちらも非常に面白かったんですよね。
これね、一応読んでない人のためにね、ざっくりとお話しすると、これアサイリョウさんが20歳ぐらいの時に、これでデビューしてるんですよ。これもすごいですよね。
これはね、スクールカースト、とある高校のスクールカーストを描いている小説なんですけれども、
これは私なんかが読んでも、ものすごくね、ある種、共感とまでは言わないんですけれども、分かるなーっていう、こんな自分よりだいぶ下の世代でもやっぱこういうのってあるんだと思って読んだことをすごくよく記憶してます。
一度読んだっきり、読み返してないんでね、いろいろちょっとうる覚えのところもあると思うんですけども、これはですね、霧島っていうタイトルにもなっている、この霧島っていうスクールカーストの上位にいる人気者の男子学生が、男子高校生が、ある時を、部活をどうも辞めたらしいっていう噂が校内に流れるわけです。
で、この霧島っていう人物は、一度もこの小説の中には出てこなかったんです、確か。で、出てこないんですけれども、この噂が流れたことによって、この霧島の周りにいる人たちがみんなね、ざわつくっていうね、ただそれだけの話なんですよね。
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で、なんかどうも霧島辞めるらしいぜって言って、霧島のこの同じ部活の、確かバスケ部だったんじゃなかったかな、バスケ部の友達、そしてその霧島の彼女。で、あとはこの霧島に片思いしている水槽学部の女の子とかね。
なんか確かいろんな人が、いろんなね、だからスクールカーストのいろんなこの階層にいる人たちがそれぞれ出てくる軍蔵劇みたいな話に確かなっていて、映画版ではですね、このスクールカーストの最下層にいるオタク、映画オタクの少年の役を上木隆之介くんがやってましたね。
で、スクールカーストの上位のこの霧島という出てこない人気男子学生の親友役として東出雅博がやってました。
そんな感じで、あのなんかものすごく面白かったんですけども、ただね私はこれを見て思ったのは、非常にね、だから自分よりも20以上年の若い人たちも同じようにスクールカーストがあって、そこで生きづらさとかいろいろなんかこう違和感とか持ってるのは全部一緒だなと思って見たんですけども、
これね、もし私の世代が描いたら、もっとね、過劣な描写になると思うんですよ。このスクールカーストの描かれ方も、あといろいろね、このもっと競争も激しいはずなんですけども、なんか割とね、静かなんですよね。
これは浅井亮さんという作家のタッチとか世界観がそうさせているっていうことももちろんあると思うんですけども、あのね、割とこのスクールカーストを描いていながらも、そんなね、いじめもないし、みんなね、陰質じゃないし、悪者が出てこないんですよ。
もし私の世代の物語だったら、おそらくスクールカーストの上位者っていうのは、もっと悪者として描かれると思うんですよね。悪者というか、もっと傲慢で威張ってて、そしてすごくあのうのぼれているとして描かれると思うんですけども、この浅井亮さんのこの小説とかこの映画ではですね、上位にいるそのスクールカーストの上位者もみんなね、結構いい人で、自分たちのその階層の下の人をね、
そんなにはバカにしてないんですよ。これ例えばドラえもんで描かれる世界とかだと、もっとのび太はいじめられてて、ジャイアンが威張ってたりするじゃないですか。でもね、この桐島部活の中では、そこまでね、この上位者が威張っているわけでもないんですよね。割とみんなそんないい人なんですよ。
で、逆にね、これだからある種、まあこれね、いろいろ読み手によって感じ取り方が違うものすごくよくできた小説で、なんかね、明確にね、テーマも、なんていうかな、こういうことが言いたいんだぜっていう、押しつけがましい作者の何ていうかな、この言い分みたいな、主張みたいなものって全然ね、はっきりと描かれてない作品なんですよね。
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だから読む人によっていかようにも取れる物語になってて、そこがまたすごく面白い小説だったと思うんですけども、でもなんとなくね、この桐島の世界観の中ではスクールカーストの上位にいる人よりも、むしろ最下層にいるオタクとかの方がなんかのびのびしてたりとか、あと吹奏楽部にいる子とかね、そういう子の方がもしかしてなんかのびのびと自分の世界を持っていて、
自分の何かこう、高校というその一つの箱の中以外の世界を持っている人として、なんか描かれている感じもしたんですよね。
でむしろ生きづらさをより感じているのは、このスクールカーストの上位にいる人たち。つまり桐島が部活辞めたっていうだけで、なんとなく自分たち、その要するに何ていうかな、自分たちの派閥の中の最も強い人、なんかトップのリーダー、リーダー格の人がいなくなったことでなんかこう支柱を失ったように、なんかアイデンティティロスになったりしてるんですよね。
そういうね、すごいなんか、なんか静かに桐島という影響力のある人物が突然退場したことによって、静かに波紋が広がっていくっていう、そういう構成の小説だったんですよね。
すごい面白かったですけど、ただこの静かさとか、あとみんな結構いい人だったり、悪者が描かれてなかったり、あと一番私がへー、面白いなと思ったのが、この小説の中にはね、ヤンキーが出てこないんですよ。
高校だからかもしれませんけど、でもなんとなく見てて、めっちゃ進学校の、めっちゃ勉強ができる高校が舞台だった感じもしないんですよね。もうちょっとね、あのタバコ吸ってるような高校生もいてもおかしくないかなと思ったんですけど、あんまり不良っぽい子は出てこなくて、わりとみんないい子ばっかり。
そこそこね、スクールカストの上位にいる人たちも結構勉強もできるんですよね。スポーツの花型だったり、花型だったり、見た目が異性にモテるタイプだったりっていうだけじゃなくて、意外にこの子たちは勉強も意外にできたりとかっていう設定だったと思うんですよね。
その辺がね、なんかすごい、自分たちの世代がもしこういうスクールカストを描いたら、またもっとちょっと違うよなと思って、とにかく読んだ記憶があるんですよね。ちょっとね、浅井涼さんの話が長くなりすぎてるんですけども、一応最初にお断りしておくとすると、
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昔書かれた古事記とかね、それこそ源氏物語とかね、あと西洋の小説とか読んでてもですね、もう今の若い者は何を考えてるかわからんみたいなことを、必ず年長者って自分より若い人に対して感じてきたってことがね、もう大昔の書物なんかに描かれたりとかしていたりして、
要は、もう若い人の価値観についていけないって思ってるっていうことは、自分が年を取ったっていう証でしかないので、これも大古の昔からもう綿々と人類がずっと感じてきてることなので、単に別に人間がそんなにものすごく変化してるっていうよりは単に自分がついていけないっていうだけなんだっていうことは大前提として話はしてるんですよ。
ただ、やはりね、育った時代とか環境が劇的に変化していればですね、当然その影響下で生まれ育った子どもたちの性質みたいなものがある程度差があるっていうことはあると思うんですよね。
だからもう理解できんとか、自分たちはこうだったって、つまり自分たちの方が良かったっていう前提で、後に出てくる世代をかわいそうだとか、劣化してるとか、なんかあいつらは全然もう話が通じんみたいな、ちょっと上から見て下げすんでるっていうのとは違うっていうことは一応お断りしたいんですよね。
私は30代の人は理解できないって言ったのは、どちらでもないっていうことです。だから、切り捨ててるわけでも、上から見て自分たちの方が恵まれてて、今の30代の方が恵まれてないんだっていう、見下ろすような意味で言ってるわけでも全然なくて、ただあまりにも真逆だったっていうことだと思うんですよね。
私の世代前後っていうのは、でも私たちの世代も批判されてるんですよ、上の世代にね。新人類っていう世代の、私ギリギリ、新人類って割とこの生まれの1960年から確か69年ぐらい生まれぐらいの、割と広いんで、バブル世代とかも含まれてるんですよ。
ただ、私バブル世代の人たちとだいぶ多分、それよりだいぶ時代が悪くなってから生まれてるんで、全然バブルの世代の人たちはまたちょっと違うとは思ってるんですが、ただ上の世代から見たら、新人類と一応呼ばれた世代の、ギリギリその世代の中に含まれてるんですよね。
新人類ってことは新しい人類っていうぐらい、もう私らとは価値観が違いすぎるって思われてたんですよ。だから一緒なんですけども、とは言っても、私たちの世代とか、段階ジュニア世代とかぐらい、あと就職氷河期の今のだから40代の半ばあたりの人たちとかっていうのはものすごい厳しくて競争を強いられる。
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教育、生育環境で育ってるんで、この浅井亮さんを含めた30代の人たちの、いわゆるゆとり世代ですよね。このゆとり世代の人たちは、もう真逆の育ち方をしてるってことは確かなんですよね。
ものすごく極端に偏差値とかで競わされ、入る大学とか、就職できる会社とか、結婚する相手とか、全てに競争を強いられてきた我々世代よりもゆとりの人たちは、そんな無益な競争よりもマイペースで自分らしさをより大事にしましょうみたいにして育ってて。
それはもう、例えば土日が休みだったりとか、単位数とかも私たちが収めなければいけなかった単位よりもずっと少なくて済んだりとか、いろいろありましたよね。
体調が悪い時は自由に休ませてもらえたり、私たちの世代にはそういう甘えとか一切なかったんでね。
それが良かったって言ってるわけじゃ全然ないんですよ。むしろゆとりの世代、ゆとり世代の人たち以降の、今の若い人たちの生育環境の方がよっぽどまともだとも思ってるんですよね。
体調が悪い時に無理して学校行ったり会社に行って、インフルエンザなのに無理に会社にせき込みながら来る必要ないわけじゃないですか。
だから、私の世代は、私自身はすごく競争が苦手でしたし、あとみんなが同じことをやらされたりとか、同調圧力とか予定調和とかで動いたりすることが本当に苦手でしたんで、
すごい分かるんですよね。そういうことを煽られたりすることがしんどいなっていう風に30代以下の若い人たちが感じたりするのってすごい自然なことで、私も全く同じようにその環境にいながらにして思ってましたんでね。
だからそういうことが全部一個一個取り払われた30代以下の人たちの世代に、自分もその世代に生まれたかったなと思うぐらいですよ。
とは言っても、やはりその環境で、やはり私は私で生き延びなければいけなかったんで、何とかやり過ごしてきたわけですよね。そういうやりたくないこともやらなければいけないし、競争もある程度人数も多いですし、そういったことにもある程度耐えてきたっていうのがあって。
ただ、この30代の人たちは全く耐えなくていいとか、全く我慢しなくていいってわけじゃない。もちろんなくて、彼らは彼らで、いろいろこの浅井亮の小説を読んでもね、この人たちなりにこのいろいろ同調圧力とか、スクールカーストの中で上位者は上位者なりに生きづらさを感じてたりとか、いろいろあるんだなとかっていうことを知らせてくれる小説ではありましたけれども、
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でもなんとなく、もっと何度も言うに、私たちの世代だったら、これなんかもう、なんか違和感で済まされないっていうか、違和感があろうがなかろうが、その個人の感情とか、個人の悩みとかっていうことはもうどうでもいいっていうか、問題視されなかったんですよね。
つべこべ言わずにやれみたいな、そういうのがあって、その差ですよね。だから、なんかその違和感とか、小さな居心地の悪さとか、生きづらさみたいなものを、なんか表現できる世代だったって言ったら、言い方がちょっとうまく言えませんけども、そういうことが言い表せた世代という感じがしますよね、今の30代は。
だけど私たちの世代はそういうのを、それぞれ多分思ってたけども、言えなかったっていう、そしてみんなが同じものを追い求めさせられた、同じゴール設定で、それぞれみんな個性も得意不得意も、みんな違うはずなんですけど、同じゴール設定をなんか競争をあおられて、そこを生かされたっていうのがあったと思うんですけども、
でも、そこでの時代もあんまり良くなかったんでね、私の世代は社会出るなり景気がバーンってバブルがはじけて、全然あんまり良い思いしてないんで、なんとなく自己肯定感も初めから割と厳しく育てられてるんで、初めからそんな自己肯定感も低い。
だからといって自己肯定感が低いっていうことで、特にそれ自体に30代以下の人みたいに、なんかモヤモヤしたりとか悩んだりとかも、なんか知ってる人少ない気がするんですよね。なんかメンタルが、だから言葉はちょっとあれですけども、なんか強いっていう面があるんですよね。もう既に十分揉まれてきてるんで、なんとなくやり過ごし方を知ってるというか、
なんか割と競争をあわられて、そんなに良い思いもしてない代わりに、そんなになんていうかな、今、親や学校や社会から期待されるほど自分が大した暮らしをしてなかったり、大した人生を送ってなかったとしても、それはそれみたいな、割とマイペースな世代でもあるかなっていう気がして、
一方の今の30代の人っていうのは割と、なんかこうそんなに競争をあわられず、そんなに厳しく育てられてないなりに、でもなんとなくこの世代はこの世代で生きづらさを感じてるんだなっていうこととかは、なんかいろんな周りを見てて思いますよね。
つまり、出方が違うだけでそんなに変わらないのかなと思ったりね。なかなか結論が出ない問題ではあるんですけども、でも明らかに親が、私の世代前後っていうのはもうめちゃめちゃ親も学校も社会も全てが死ぬほど厳しくて、パワハラモラハラが当たり前で育ってきて、
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その中で揉まれてね、やってきたっていうことと、今の子たちが、今の子たちって言っちゃダメですね、30代以下の人たちが、よしよし、無理しなくていいよとかね、そんなにしんどいんだったら休んでいいからねとか、
もうじっとしてたらいいからねとかって言って育ってるのとは全然違うっていうことはね、その差はどうしてもあるかなって思って、でもどちらがいいとか悪いとかっていう問題ではなく、ただ、私が可哀想だって言ったのは本当に上から見下ろして言ってるんではなくて、
結局でも人生って非常に生きるっていうことそのものは非常に厳しいものだともう年々思うんですよね。このように戦後80年経ってですね、ついに平和を基軸にした戦後体制みたいなものが、ついに崩壊一歩手前というか崩壊というか、ついに新しいフェーズに行こうっていう、今こういう時代の変わり目になってね。
で、なんかね、なんかやっぱりね、このなんか平和ボケっていう言葉ではちょっと片付けられない、なんかこの非常にメンタルが弱い人ばかりをね、生成してきてしまった、それをね私なんかも含んでると思います。
私のこの50代の私たちも含めて、やっぱりねすごい軟弱だなって思ったりはするんですが、ただ揉まれ慣れてるっていうのはあるんですよね、まだ。でも若くなればなるほど揉まれ慣れてもないし、非常にメンタルもね繊細な気がするんですよね。
で、私はだからその高齢者を見てて、私は全然だから老害とかも別に悪くないじゃんっていうのは、そのやっぱりね、そのバイタリティとかエネルギーとか、やっぱその戦争、戦中戦後生まれの人たちのたくましさ。
で、これまあ私のおじいちゃんおばあちゃんでもういなくなっちゃった、そのさらに前の世代の戦争、戦争っていうものをだから生き延びてきた人たちとかのそのタフネスとかね、そういうのを考えた時に、それはね前の世代の人たちからどんどんどんどんエネルギー値は薄い人がどんどん増えてるってことだけは間違いないのかなと思ったりするんですよね。
そうなるとやっぱりある程度ね、社会っていうのは理不尽なものだとか不平等なものだとか、人はそれぞれ違っていいとか、それぞれ自分は自分のペースでいいっていうのも正しいと同時に、でもやはりその生存競争だっていうこともまた間違いなくある一面としてあるんでね。
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だからなんて言うんでしょうね、そんなに弱くて大丈夫かって思ったりするんですよね。
アサイリウムの小説とかもすごく面白いんですけども、一方でなんかどうしてもね、そのなんか静かな、そしてなんか体温がすごく低そうな、あのなんか世界観っていうのがね、あのなんていうかな、こうちょっとやっぱ自分たちの世代とはまた違ったなっていうことは思ったりするんですよね。
うまくまとめられなかったんですけれども、30代の人たちを低く見てるわけでも、バカにしてるわけでも決してなくて、自分たちの世代の方が良かったなんて死んでも思ってなくて、むしろ30代に私ももうちょっと遅れて生まれてゆとり世代のような、ゆとりを享受したかったっていう羨ましさも併せ持ってるんですよ。
と同時に、ただこんなにエネルギー値が弱いっていうことが、そのなんていうのかな、それ自体はそれでまたやはり新たななんか生きづらさのその一つの原因なのかなと思ったりしたりとかね。
まあいろいろだから反論もあると思うんですけれども、いろんなことを考えてちょっと話してみました。はい、それではごきげんよう。