リフォームの準備と診断
お聞きの皆様、おはこんばんちは。現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
京都の町屋というか、古民家を受注したという話を以前させていただいたと思うんですけれども、今これは前段階で準備中なんですが、
一番最初にやってもらいたい、体芯診断をしてくれる建築士の先生を連れて行って、見てもらうということが、たまたま雨が降ったり、
接種のスケジュールが急に合わなくなったり、もろもろで伸び伸びになっていて、ようやく昨日を見てもらえたんですよね。
まずは外から、まだリフォーム前なので何も解体されていない状態で、外から見た肉眼で見える範囲のことを見て、どういう状況かというのを見てもらうんですよね。
その後、実際ここをこうしよう、ああしようということを考えて、私の方がこれを図面化して、どこが補強が必要かとか、そういったことをある程度建築士の先生から指導をもらって、それをもとにリフォームのプランを立てていくというふうになるんですよね。
いよいよ工事が始まって、一部解体が始まったら、より詳細がわかりますよね。床を剥がしたり、例えば天井材を外したりとかすれば、骨組みとか針の位置とか柱の位置とか、基礎がどうなっているかということも詳しくわかるので、
最終的にはこの解体が終わったタイミングで、もう一度建築士の先生に見ていただいて、より詳細に建築の計画を立てていくという手順を踏んでいくんですよね。
今回のケースは、子どもたちが自立して社会人になって、家を出た後の60代のご夫婦なんですね。今、もうまだお二人とも仕事はされているんですけれども、今後、これから自分たちが歳をとっていくにあたって、元気なうちに対の住処を準備したいということで、
いろいろ検討された結果、京都の旦那さんの方の夫の方のご実家、お母様がずっと最後一人で、お父様はもうだいぶ前に亡くなられて、今はお母様が一人で住んでいたこの古い家を、自分がついで住もうという風になったんですよね。
つい最近までお母様が頑張って、ここで一人で暮らしていて、近所に住んでいるこの世襲のお姉さんが結婚して、お母様の家と離れたところに住んでいるんですけれども、幸い近かったので、このお姉さんがしょっちゅうお母様の様子を見に行って、
デイケアとかね、ヘルパーさんとか時々来てもらったりとか、そういうことをしながら、頑張ってお母様はギリギリまでこの家に住んでいたんですけれども、さすがにね、もうちょっと足も弱ってきてるのにね、こんな段差だらけの古い家で隙間風邪もいっぱい入るような家でいるのはちょっと心配だということで、ついに昨年末にグループホームに入ることになったんですよね。
そういう状況で、その後この家が開くからどうしようってなった時に、この弟夫婦がこの家を継いで住んでくれるっていうのは、このお母さんにとってもお姉さんにとってもすごく嬉しいことだということでね。
しかもこの京都のすごくいい場所なんですね。便利なね。だからここに住もうかっていうことになって、リフォームするってなったんですよね。
ここで注意点がいろいろあってですね、これはね、だから親が住んでた家に子どもがそこの家を継いで住むっていうのはすごく自然に思えますよね。
でもね、これ何にも手続きしないままやるとね、ちょっと後々いろいろまずいことが起こるんですよね。
今回例えばこの家にただ住むだけだったらまだいいかもしれないんですけれど、この家を子ども世代がお金を出してリフォームするっていうことになるわけですよ。
それもすごく大掛かりなリフォームとなるとですね、これが親の所有のままだと、親の家を子どもたちがお金を出してリフォームしたっていう扱いになっちゃうんですよね。
そうすると親にリフォームのお金を出したっていうね、雑用税がかかったりするんですよ。
これはね、ちょっと大変なことなんで、きっちりこの家の名義をちゃんと親から息子世代の名義に変えなきゃいけないんですよね。
それをする際にですね、またそこもいろいろややこしくてですね、
ここでもし今回の場合はお母様、90過ぎのお母様がこれ認知症だったらもうダメなんですよ。
これはね、なぜダメかというと認知症の親に無理やり涅槃をさせて、子どもたちが自分たちの利益のために親の資産を奪うみたいな風にあり得るわけですよね。
そういうことがあってはいけないということで、認知症になっている場合は本人の確認が取れないということで、これはね、認めてもらえないんですね。
なので家の名義を変えられないっていうね、これよく起こることなんですよ。
今回もこれは気をつけてくださいということでね、リフォームを受ける前にこういったことはきっちりやっといてくださいということで事前にお話ししていて、
今回のケースは幸いお母様は認知症になってなくて、ちゃんとここはお医者様にうちの母親は認知症じゃありませんっていうちゃんと診断をしてもらって、診断書もちゃんと出して、
無事にこの家がこの接種のものになるっていうね、このプロセスのために約1年私は待ってたんですよね。
1年前からこのお話をいただいてたんですけれども、この辺のね、家の相続というか、家の名義変更とかそういったことがちゃんと全部進まないとリフォームできませんよっていうふうにお伝えしてたのでね。
ようやくこの辺のことが片付いたので、いよいよリフォームの話が具体的に動いてきたという流れなんですよね。
伝統工法と現代建築の比較
今回はそういったことで、耐震診断の先生に来てもらって、昨日見てきたんですけれどね。
私もね、大変勉強になって古い家をリフォームしたことが何件かはあるんですけれど、ここまで大々的な工事っていうのはなかなか今までやってなかったし、
あと私が10年ぐらい前に手掛けたりしてた頃は、まだまだ建築基準法もそこまで厳しくなかったので、割と適当なリフォームって言ったら言葉悪いんですけれど、
でもね、割とエイヤーでできたんですが、今はね、やっぱりいろいろ厳しいわけですよ。
しかも今回場所が京都ですしね、何かといろいろ手筈を踏まなきゃいけないことが多々あるんですけれど、ちょっとそれを置いといて、
今回ね、面白かったのが、この100年以上前の家で、何も残ってないんですよね、建築の図面もなければ、
当初購入した時のね、何か書類とかも何もない状態で、もう肉眼で見て推理していくしかないんですね。
なのでこの一級建築士の先生がね、いろいろね、このお姉さまも今回立ち会ってくださっていて、
お姉さまと施術と、いろいろね、いろいろね、尋問というかね、聞き込みをするんですよ。
これ何年ぐらいに、だからもう100年も前の家なんで、何回か改装してるわけですよね。
この台所変えたのいつぐらいですかとかね、屋根吹き替えたのいつぐらいですかとかね、いろいろ質問していってたんですよ。
元々は平屋建ての空き内をやってたそうなんですね。
ひいおじいさんか何かがね、おじいさんか、おじいさんがね、そこ空き内するためにこの家を購入されたそうなんですよ。
その頃はだから家の1階の半分以上がドマで、奥に座敷があるみたいなね、そういう作りだったのを、
何年かかけて、店だった部分も全部床をね、増やしていって、床を上げてね、板間にして、普通の住居に変えていってるんですよね。
あと最初平屋だったのを2階建てに変えたりとかね、いろいろ100年の間にいろんな改装をしていってるんで、
そのあたりがね、いつぐらいに何をやったかっていうのをいろいろ詳しく聞いてたんですよね。
あと、床下のね、点検口から、基礎ね、家の基礎を見てみたりとかもしたんですけれども、これはね、伝統広報だというふうに言ってたんですよね。
伝統広報っていうのは、これ木造の家屋だと今ほとんど在来広報なんですよね。
もちろん他に2×4とかね、アメリカから入ってきた他の広報もあるんですけれど、
多くの木造住宅は在来広報で建ててるんですよ。
今の、しかもいろんな震災ね、特に阪神大震災を経た今の日本の家の建て方っていうのは、在来広報で、
布基礎って言いましてね、布っていうかベタ基礎というかね、がっちりとコンクリートで塗り固めたしっかりした基礎の上に家を建てるんですけれど、
しっかりした土台の上に乗せていく材料はね、なるべく軽くしていくんですよね、今の考え方は。
屋根なんかもスレートの屋根で本物の瓦はあまり使わないですよね。
壁もなるべく軽くて薄い壁にしたり、外壁も塗り壁とかではなくて、今はね、サイリングっていうね、人工的な素材使ったりするんですよ。
だからわざと全部軽くしていくんですけれど、言葉は悪いですけど、つまりパフパフなんですよね。
もうすごい軽くて安くて、あえてそういうふうにしてるんですよ。
足元をすごく重くしっかりして、上物は全部軽くすることによって、大きな振動でね、大きな地震が来て揺れても、上が軽くて下が重いんで、
揺れに対してしっかりと土台が支えて、グーラグーラと揺れるものを下でね、捕まえてるみたいな、そういう考え方なんですよね。
それに対してこの古い日本の伝統工法というやり方はですね、面白いんですよ。
本当にね、石の上にね、ボンボンと柱が乗っかってるみたいなね、やり方なんですよね。
だから基礎がね、コンクリートで塗り固められてなくて、土の地面の上にポンポンポンポンって石があって、その上に柱が乗っかって、そこにまた柱を乗せてとかっていうふうに組み立てていく上に、
全部自然素材なんですよね。木材、金物は使わないんです、基本ね。金の、鉄、金属使わなくて、全部木で、木とキノコの杉で組み合わせていくっていうふうにするんですよね。
壁は土壁とかイグサとかで、だから全部ね、自然素材なんですよ。最後屋根は瓦ですよね。だから全部ね、こういう自然素材でしかも重たいんですよね、木とか土とか瓦とかね。
だから考え方として、地面は割と簡単なね、簡単というか、ちょんと乗せてるだけじゃないですか。でも乗せてるだけなんですけど、上に乗せていくものが全部重たい。だから重たさでグッと上から下に抑え込んで耐震に耐えるみたいな、そういう考え方なんですよね。
だから今の現代的な考え方からいくと、地震に対してそんな強くないのかもしれないっていう考え方が一部あるんですけれど、今回の建築の先生は、これはこれで非常に合理的なんだっていうふうに言ってましたね。
だからどっちが正しいかっていうことはね、実際は本当のところは分からないんだよと。実際ね、活断層の真上に家を建てた場合にね、潰れない家なんて多分ないだろうしっていうね、そんな話とか色々してて、すごい面白かったですね。
古民家の調査と写真の重要性
あとはですね、こうやって肉眼で外から見るしかないわけなんでね、色々手がかりを求めて、このお姉さんと接種に色々聞き込みをしただけじゃなくてね、当時の写真とか残ってないかっていうことを聞き始めたんですよね。
ちょうどお母様が年末にグループホームに移られた後、荷物とかもね、まだそのまんまなんですよ。なんか古いアルバムにあるかもしれないなって言って、アルバムとか色々見てもらったら、日本人はね、必ず家の前とかで写真撮ったりするじゃないですか。
家族でね、集合写真撮ったり、お正月の一家団乱の写真とかね、いっぱい出てきて、面白かったのがね、1970年の前のね、昔の大阪万博の写真とかも出てきたりとかしてね、すごい盛り上がったんですけれども、太陽の塔の前で撮ってたりとか。
で、出てきたのがね、昔の当時のまんま平屋建てだった頃のね、家の写真とかも出てきてね、こんなのもちゃんと建築士と私と写真撮らせていただいて、あとはその家の中で撮ってる写真とかね、これも100年の間に何度も改装してしまってるんでね。
昔は真壁って言って、柱と柱の間は土壁なんで、柱が見えてる工法なんですよね、日本の家は。でも最近って全部その上に板を張ってしまって、壁紙を張るじゃないですか。だから中の柱は見えないような作り方するんですよね。これ大壁って言うんですけれど。
で、今もう大壁になっちゃってるんですよね。それがね、だからどの辺に柱が立ってるかっていうのはめちゃくちゃ重要なんですよ。柱の中には通し柱って言って1階から2階までね、貫いている大事な骨組みとなる柱が隠れてるんでね。この柱が、絶対それは抜いちゃいけないんですよ。
で、万が一抜く場合は、もうこれに代わる別の柱を立てなきゃいけないんで、どこにこの通し柱とか、あとはその梁がどこにあるかとかね、この辺はすごく重要なので、そういう手がかりを知るためにね、昔の写真とかを漁ってきてもらったりとかね、いろいろして。
昔の家のこの調査っていうのがね、本当推理小説みたいでね、すごい面白かったんですよね。で、そこで私が思ったのがね、今ってもう何でも断捨離で、何でも物はなるべく持たない方がいいっていう価値観になってきていて、私なんかもね、どちらかというとミニマリストには程遠いんですけれど
でもなるべく物はね、ため込まないようにっていうふうに心がけてはいるんですよね。ですけれどね、こういう昔の写真ってね、めちゃくちゃ大事なんじゃないかって思ったんですよ、今回ね。
こんなただの家族写真とかでね、別に有名人の石原勇次郎とかね、美空ひばりとか、最近ちょっと話題になってるやしろあきの昔のヌード写真とかね、そういうのじゃなくて、ただの一般市民のただのね、今までの暮らしぶりの写真とかなんて何の値打ちもないと思って
特に自分とかだとね、自分のこんなね、昔の写真とか残してても、後に残された子どもたちが困るだけだと思って、みんなね、捨てちゃう人が増えてるんですよ。大事なね、自分にとって思い出がある、大事な写真だけ残して、あと全部ね、アルバムとかもね、バッサバッサと捨てていく人が多いんですけれど
こうやってね、家の写真とかね、何気ない断乱の風景とかで、ちょっとね、背景に家が映り込んだりしてるじゃないですか、室内で撮ってたりね、こういう写真が実は結構大事な歴史的資料になりうるんだと思ってね、ちょっとこれはね、えらいこっちゃと思ったんですよ
思い出の価値と歴史的視点
だからね、ちょっと何でもかんでもね、捨てちゃダメなんじゃないの?と思ってね、写真なんて特に、まだまだ私の頃とかね、デジタルカメラが出てくる前は、普通にね、フィルムで写真撮ったりとかしていて、ある時期ね、80年代ぐらいにはね、使い捨てカメラっていうのが出てきたんですよ
だから24枚撮りとかね、36枚撮りとかで、だからそのフィルムが、だから限度があるんですけれど、これでフィルムを使い切ると、もうそのポイ捨てできるっていうカメラがあってね、ちょっと旅行先とかではこの使い捨てカメラを持って行って、気軽に写真撮ったりとかしてる時代があったんですよね
こんなの大半のね、私たちの世代の人は多分ね、昔の恋人とね、ラブホに行って写真撮ったりとか、多分してると思うんですよ。こんな写真ね、後に残したらもう大恥だと思ってね、みんな処分を多分したいと思うかもしれないんですけれども
でもこれもね、もしかしたら歴史的重要な資料になり得るかもしれないじゃないですか。昭和とか平成の頃のラブホテルってこんなんだったんだとかね、ラブホテルの内装ってこんなんだったのかとか、この頃のこの街並みってこんなんだったんだとかね
もう何がね、どういう風に大事な資料になるかわかんないなと思って、ちょっとね考えを改めたっていうことをちょっと今回思ったんですよね。だからね、まあちょっとねラブホテルで撮った写真はちょっとさすがにね、あんまり撮っとかない方がいいかもしれないんですけれど
でもね、いろいろ何かとね、自分にとってねあまり価値がないとかね、思ってても歴史的に見たらわからないっていうね。だって昔の昔の、あのカメラが出始めた頃の江戸時代後期とか明治時代の写真とかって超重要じゃないですか
別に有名なお侍さんとか坂本龍馬とかじゃなくても、一般市民の写真とかも当時こんな格好してたんだとかね、こういう暮らしぶりしてたんだとかっていう風になるじゃないですか。だからやっぱりね、この100年前の家ってねやっぱりロマンだなぁと思って、ちょっとねそんなことを話してみました。
はい、というわけでね、引き続きこのコミンガリフォームに関してはね、時々レポートさせていただこうと思います。はい、ごきげんよう。