1. 心の隙間にプリン
  2. Epi. 005│世界一愛している地獄
2024-02-02 44:01

Epi. 005│世界一愛している地獄

sen
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Host

喉少し良くなってきた~🙌 カフェインよわおさん、おたよりありがとう💋 This is 私の上京物語。 東京に夢も希望もない私がなぜ上京しようと思ったのかを聞きながら、あの頃の私を労うお酒に付き合ってね🥂✨ 親戚・家族とは相変わらずだけど、飛行機距離は無敵✈🫶 生活がままならない私を支えてくれた人には心からの感謝を!一人だけではここまでやってこれなかった!

🟢上京ソング Spotify Playlist ⚠鬱です!w


#上京ボーイズ #東京タワーは登れない #口は背中ほどにモノを言う #口モノ #沖縄から上京 #乾杯 #たぶんね #沖縄の豆腐は美味い #ゆし豆腐が食べたくてよく泣いてる


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こんばんは、senです。この番組、心の隙間にプリンは、私、senが考えていることや感じていることを素直な言葉でアーカイブしていきたい場所です。
喉の調子はまだ良くないので、まだお聞き苦しいところあるかと思いますが、
喋りたいので、何とか編集して配信します。
配信を始めてから、こんなにも私の中に話したいっていう欲求があったことに、自分で驚いています。
さて、お便りを紹介します。
リスナーネーム、カフェイン・ヨワオさん。
senさん、こんにちは。カフェイン・ヨワオと申します。いつもお世話になっております。
ヨワオさん、孔子共にって言うと、なんか変な感じだけど、こちらこそ孔子共にお世話になっております。いつもありがとうございます。
ヨワオさんのポッドキャスト番組、私が最古さんのリスナーだと勝手に思ってるんですけど、
ヨワオさん自身が感じたことだったり、あと経験したこととか、良いこともそうですし、あまり良くなかったことも含めて、素直に話せるってすごく勇敢だなと思って、
ロールモデルにしている番組の一つです。みんなも聞いてみて。続き読んでいきます。
senさんは沖縄出身とのことですが、長居されてきた頃の夢、決意、野望、苦悩、挫折など、印象に残っている思いや出来事はありますか。
僕は神奈川県出身です。子供の頃から東京は目と鼻の先でした。僕にとっての東京は、スーパーに欲しいものがないから他のスーパーに行くように、横浜に店がないから東京まで行こうという、ただの選択肢の一つでしかありませんでした。
これね、田舎者からすると、行こうと思えば行ける距離に東京があるっていうの、めっちゃ羨ましいです。いいね。
はい、続きね。そんな中で先日、東京タワーは登れないという本を読みました。これは、状況ボーイズというポッドキャスト番組のMCお二人が、長居してきた頃の感情を言葉に載せたエッセイ本です。
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この本からは、状況という言葉に含まれるエネルギーの大きさが感じ取れました。東京生活への夢、憧れ、それらと実生活のギャップなどなど、様々な感情が状況という言葉に合わせて綴られていました。
読み終わって、真っ先に思ったのは、自分は地方出身の方の感情を何も知らないでした。お恥ずかしながら、これまでは目の前の人がどこ出身か全く気にかけたことがなく、状況による気持ちの揺れ動きなんて想像もしていなかったのです。
地方出身の方のお話をもっと深く聞いてみたいなと思っていたときに、
せんさんがポッドキャストを始められたのを発見しました。
しめしめ、ちょうどいいぞということで、こうしてお便りを書いている次第です。
差し支えのない範囲で構いませんので、当時の様子をお聞かせいただければと思います。
長文失礼しました。寒さも強まってきましたので、お体にお気を付けてお過ごしください。
いや、洋さんの文章ってすごく読みやすいですね。ありがとうございます。さすがっす。
状況ボーイズは私も大好きで聞いてます。お二人とも、なんというかとても知性的で、
お話の流れとか言葉選びがしっかりされているから、分かりやすくて、
それでいて、くすっと笑えるポイントも作ってくれてたりして、ライトに楽しく聞けますよね。
私は最近もご自身たちでネタにされてましたけど、お二人がこれってどうなんと切れてる回が大好きです。
ポッドキャストウィーケンドで恩愛して写真まで撮らせてもらったのに、
エッセイ本欲しいですっていうのをすっかり忘れていて、先日渋谷まで足を伸ばして、
MCの一人のこぶとりさんの他のエッセイ本をまとめて、東京タワーは登れないを買いまして、
この東京タワーは登れないだけ急ぎ独立をしました。
しかしこれはどういう切り口で行けばいいものか。
いわゆる状況物語っていうと、夢や希望を持って状況して、東京生活のギャップと挫折と、
それにどう折り合いをつけてきたかというものが一般的かと思うんですよね。
まさに東京タワーは登れないわ、そんな構成で普段のポッドキャストを聞くだけでは見えてこなかった
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お二人のちょっとダメなところまでセキュララに語られていて、
遠い存在だった彼らを身近に感じられたというか、意外と破天荒なんだなとか、とても面白かったです。
私に関して言えば、地元と人生に絶望して、
これから先を私が私として生きていくなら、外でやっていくしかないという排水路陣の下を上京して、
ゴリゴリに生活基盤の開拓と構築を泥臭くやってきたもので、
この30数年生きてきた今までの人生で一番大切なことは、
この30数年生きてきた今までの人生で一番辛かった時期で、
とてもとても美しい物語とは言い難いものですと最初に申し上げておきます。
一応このお便りを送ってくださったGafein Iwaoさんにちょっと連絡を取って、
だいぶ暗い話になるけど、大丈夫ですかって聞いたら、聞きたいですっておっしゃってくれたんで話しますね。
今回のエピソードは多分暗い話になるので、今元気ない人は元気なタイミングで聞くことをお勧めします。
元気な人はね、ここで一時停止をしてお酒をご用意ください。
はい、いい酒の魚になります、多分。
はい、お酒の準備はよろしいでしょうか。
乾杯!
えーまずは、そうだな、沖縄出身の人って、私も含めて基本的に沖縄が大好きなんですけど、
沖縄から絶対に出たくない人と絶対に出たい人に離文されるんですね。
私は10代の頃から圧倒的後者の絶対に出たい人でした。
よく前者の沖縄から絶対に出たくない人だったり、県外出身の方から、
あんなにいいところなのにどうして?と言われますが、私にとっては地獄のような場所でした。
という感じの始まりですが、大丈夫ですか?
私が沖縄に感じている地獄っていうのは、沖縄っていう土地が持つ課題面もあるんですが、
多分このお便りで聞きたいのはどっちかっていうと、私のパーソナルな面についてだと思うので、
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そこを掘り下げて話していこうかなと思います。
なので、私の家庭環境だったり、その周囲の育ってきた環境の話になるので、
あくまでNイコール1として聞いていただけますと幸いです。
私は4人兄弟の一番上の長女で、弟2人、妹1人という兄弟構成です。
我が家はいわゆる家婦長生の家で、長男信仰の強い男尊女卑下家でした。
家婦長生家族って一般的には、男性が働いて家政できて、家族みんなを養っているから偉そうにしているっていう構図になっているのがほとんどだと思いますが、
私の周りでは、繰り返しますが、これは私の見てきた家庭の話に限ります。
全てが全てそうではないということをご留意いただきたいんですけど、
働いてこなければ家政でもこず、ただ偉そうにお酒、タバコ、キャンブルと地堕落に過ごしている男性を女性が養うという家庭が多かったですね。
我が家の父は看護師という仕事を定年まで勤め上げて、今はガシガシ仕事をしている人なので、そのあたりはまだいい環境ではあったんですが、問題だったのは弟とその弟に対する親戚家族からの評価です。
沖縄では男の子に生まれると何をやっても褒められるんですね。
足が速ければ運動神経がいいともてはやされ、たまに100点を取ったらお小遣い、友達がいるだけで人徳に熱いなどなど。
かたや女の子は男性にとって都合のいい存在であるか否かが評価基準になります。
つまりですね、働かない男性を養い、かつ家事も完璧にこなし男の子ですね、プラス一人二人の兄弟を産み、働かなければ家事も育児もしない。
夫の手を煩わせることなくいい気分にさせつつ、実家や偽実家をうまく使いながらもとい偽実家をいい気分にさせながら子供を立派に育てあげる。これが我が家で求められる理想の女性像でした。
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その私にとってはクソくらいの役割を幼少期から求められます。特に長女と長男嫁に求められる責務は重くて、私はだいぶ厳しく育てられましたね。
ちなみに次女の妹は私ほどは厳しく育てられなくて、もともと従順な性格だったこともあって、こういうクソ役割に関しても全然苦痛に感じないままこなせるので、小さい頃からそれはそれは体操を可愛がられていました。
うちの妹は可愛いですからね。それもいつか話せたらいいな。
もちろんちゃんと働いて稼いでくる男性もいるんですけど、例えば友達から彼氏できたんだっていう風に聞かされたら、まず仕事してる人って聞くことが多かったですね。
仕事をしてたらとりあえずOKって思うぐらい、私の周りでは働く男性は希少価値が高い存在でした。
仕事をしている気配はないのに、どこから湧き出たのかわからないお金で生活してる人も多かったですね。
運用地の土地持ちか、親の資産を食いつぶしているのか、養ってくれる女性がいるのか、怖い人とつながっているのか、あまり税給していないからわからないけど。
それで、私は小学生の頃から一個下の弟との扱いの差と家事手伝いの業務量の差に、親に対して疑問を呈してきたんですけど、
まずお前は可愛くないことしか言わないなとか、うちは男の子にもちゃんと家の手伝いさせてるから大人になっても困らないねというお花畑な回答しか返ってきませんでした。
お話にならない。そんな画不調性家族と男性に絶望した中学生の私がですね、生涯独身主義を主張すると、父は俺がお前のためにいい旦那を探してやるなんてのたまうんですよね。
このままここに残れば、この地獄に飲まれてしまう。この地獄に生きるぐらいなら、何があるかわからない都会という未知の世界に出て死んだ方がマシだと思って、勉強に打ち込んで、寮がある県内の高校に進学して実家と距離を取り、大学はもちろん県外へ。
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なので15歳から実家を出ています。
とはいえ、最初は県内だったので、車で1時間ぐらいの距離のところで学生寮暮らしをしていたんですけど、そこは掃除当番とかはあったものの、他の人のケアをする必要がないっていう生活はとても楽しくてですね。
もちろん何か困った子とかがいたら、手伝ったりとか助けたりはするんですけど、それは別に義務じゃない世界というか、とても楽しくてですね。
車で15分の距離の家の子がホームシックで泣いている気持ちが全然わからなくて、もの珍しかったことを覚えています。
大学はまだ学生の身分だったこともあって、わりとあっさり県外に送り出されたんですけど、私の二度と沖縄には戻らないという気持ちとは裏腹にですね、大学院の進学前後に病気にかかっちゃったせいで、休学して実家に戻ることになりました。
それがね、難治性の治らない病気だったので、今もその病気を持っているんですけど、一時は沖縄で就職するかなと迷ったこともあったんですけど、
10代の頃からのクソくらいな役割を強要される時刻に変わりはなく、むしろ年頃になったことによる父からのセックハラと母からのクソ役割を共に担う気のない私へのフラストレーションに耐えかねて、やっぱり私がいるべきはここじゃねえなと、そこで状況を決意しました。
その時はね、まだ週にぐらいでスポット派遣をしながら、課税しながらゆるゆる社会復帰リハビリをしていたんですけど、あ、もう無理だここと思って、よし、除去しようと決意した3日後にはフルタイムの仕事を決めて、
その日のうちに話がありますと、母と話をしまして、1年後に除去をしますと宣言をしました。
最初に言った通りですね、沖縄には絶対に出たくない人と絶対に出たい人に二分されるんですけど、これってつまり沖縄にいる人っていうのは、沖縄から出たくないから出ていない人と、沖縄から出てみたけど、本土が合わなくて帰ってきた人しかいないんですよね。
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そうじゃない人も中にはいるんですけど、大体がそのタイプですね。うちの両親は校舎の沖縄から出てみたけど、本土が合わなくて帰ってきた人なんですけど、まあ反対しかされなくてですね。
私の両親は私のことを、人間関係を大事にできない、どうしようもない人間だと思っているので、昔からその人間性ではどこに行ってもやっていけないよっていうふうに日常的に人格否定されてたんですけど。
ひどいな。それにとどまらずですね、東京の人は冷たいよ、危ないところだよという田舎あるあるに始まり、当時は20代半ばだったんですけど、ちょうど本土につかれた人たちが戻ってくる世代だったり、
あとは沖縄で20代半ばっていうと、もう結婚して子供いるっていうのが割と普通だったりするので、この年で状況なんて遅すぎるとか、まあお前なんかがやっていけるはずないだろう、どうせまたすぐ帰ってくるよ、金の無駄だよなどなど、
まあ心配もあったんでしょうけど、私に両親から投げかけられた言葉はこんな感じでした。
酒飲むか。乾杯。家族に何度も絶望して状況に向かって一心不乱だった私には文字通りですね、両親からの言葉っていうのは火に油を注ぐガソリンにしかなりませんでしたね。
で、貯金の目処も経って、状況まであと3ヶ月といったところだったかな、あの母の方から私が突然状況するって無茶なことを言い出したと吹き込まれた母の兄弟ですねがシャシャリ出てきまして、
お母さんはあなたのことを心配してるのよ、どうして東京なんて行くの、置いていくなんてかわいそうじゃない、などと言われますが、1年前に話して、もうやれるもんならやってみろみたいな、そんな感じで両介はもらってましたし、
かわいいかわいい長男くんも、末の弟くんも妹ちゃんもいるし、私だけいなくなっても困らないからと強行しました。最終的にはいつでも戻ってきていいからねと涙ながらに送り届けられました。
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わが母ながら頭痛が痛いです。
彼らは私が決めたことっていうのは、絶対に曲げずにやり通すっていうことは、いまだにわかってないみたいなんですけど、このままこの暴れ馬を攻め抜けばあっさり家族の縁を切って、どこか知らないところでのたれ死ぬとでも思ったんでしょうね。
それは正しい見立てです。
この状況前から状況にかけてですね、沖縄で婚姻にしていた人にことごとく足毛にされるという出来事が立て続けに続いたこともあり、もうこの時のメンタルはすさまじくて。
私の沖縄からの断絶を強固なものにしました。これもまたいつか話すか。
なので、状況をした時の心境というと、やっと解放されたっていう、もはや安堵にすらならない、とてつもない疲労感の中、絶対に帰らないためにはどうしたらいいかっていうのを一心に、
この東京砂漠で一人生き抜くためのPDCAをひたすらに粛々と回し続ける日々でした。
当時はあまりにいろんな人にお前はダメだって言われまくっていたので、この選択も間違えているのかもしれないっていう不安はあったんですけど、
もう私は沖縄にいるのが無理だったので、間違えてしまったとしてもね、あの沖縄で生き地獄を生きるよりも、ここで無理して踏ん張って、若だったなぁ、無茶しちゃったなぁって、
そうやってやりきって、のたれ死ぬ方がいい人生なんじゃないかっていう気持ちの方が大きかったですね。
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これは今でもあの当時の心境を思い出すと、あの時のしんどさがよみがえってきますね。
一回乾杯しとくか。乾杯。
そういう経緯がありまして、東京に対しては理想も夢も希望も持っていなくて、
なんなら親と親戚から干渉されない物理的距離を取るというのが必須条件だったので、東京じゃなくてもよかったんですけど、そこ賢で、おひれ背びれ胸びれもりもりの噂話が飛び交うような村社会みたいなものはもう勘弁だったので、都会に出るっていうのを決めていて、
その候補地の中で仲のいい友人が多かったのが東京だったっていうのと、
あとは治病の関係で、東京の方がその治病に対する援助が手厚かったので、東京を選んだっていう感じですね。
本当、夢も希望もあったもんじゃない。
ろくに社会経験もない無知の田舎者で、大学院中退っていう新卒就職ルートにすら乗れず、もうこんなんでうまくできるわけがないっていうのが大前提にあったので、そういうところでのギャップはむしろプラス面の方が多かったかな?
何か失敗したりうまくいかないことがあっても、落ち込んでる余裕の方がなかったので、できるまでやり続けるか、もしくは方向転換するかっていうことをしていたので、
そういう方向転換が挫折にあたるのであれば、そうだったのかもしれないけど、最初に上京するときに決めた東京で生きていくということが揺るがない限りは、まあ辛いは辛いけど、私の中での挫折っていう経験にはなってないですね。
ただひたすらに道なき道をゴリゴリ開拓してました。
この3月でちょうど10年目に入りますね。
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あの一問なしから今に至るまで9年か。
仕事も大変だったな。
最初はブラックでしか働けなかったから、そこでなんとかキャリアをもぎ取りながらステップアップしていって、今の会社で7社目っていうハイペースの転職ぶりです。
最初は本当に全然お金がなくて、奨学金の返還も止めて自炊して、それなのに息吸って吐くだけで赤字で、職場の懇親会という名の慈悲なのに強制参加のおじさんを接待する飲み会を給料安すぎるから無理と総務と交渉した結果、不参加許可を勝ち取ったり、
勉強して資格も取って、ブラック企業を渡り歩いて、なんとか今ですね、月々貯金できるぐらい生活に余裕ができました。
奨学金は去年完債しました。
すごいでしょ。
今では自信持って上京してきてよかったって思ってます。
ああ、そういえば、当時は10年後の私に、私はここで生きていくって決めたんだけど、バカな選択だったと思うって聞きたいって思ってました。
思ってた。
否定されるばかりの私の気持ちに寄り添ってくれる優しい友人たちはいたんですけど、頼れるパートナーとか生活の面倒を見てくれる人みたいなのはいなかったので、
ここで、この東京で生きていくには自分が全部どうにかしないといけないという中で、今のこの選択の答えは10年後にしかないなって思っていて、
上京して正解だったって聞きたいなって一人で寒い部屋で泣きながら思ってた。
思ってたな。
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大丈夫だからこのまま頑張っていいんだよって抱きしめてあげたいね。
一個だけあの頃の私に謝りたいのは、生活構築のために体にムチ打ちすぎて、治病を再燃させてしまったことですね。
上京当時はあんなに元気だったんだけどな、それが上京した後の一番の失敗で挫折かもしれません。
でも今はしばらく休んでも生活できるだけの経済力はあるし、支えてくれるパートナーもいるので、当時よりは遥かに幸せな状況ではあるんですけどね。
最初にね、もうここで死んだ方がマシだからっていう気持ちで突き進みすぎたよね。
いやー反省してます。健康はここ数年のテーマで。
キャリアを積むことはコツコツやったらできたけど、病気と過励という変化に年々自分の健康、体に向き合うのが難しくなっています。
ゆっくりやっていくしかないね。
9年過ごしてきて、東京のいいなーって思うところは、いろんな地方から人が集まるからこそ、そこの関係性がフラットというか、人に対する寛容さが大きいように感じます。
イベントが多いから、こういう関係を広げようと思えば、いくらでも広げられるあたり、私にはすごい合ってますね。
男性でも普通にいい人がいっぱいいるって知れたのは良かったです。
偏見にまみれている。
今の私にとっての東京は、自分らしく心を安らかになれる、生きていく場所ですね。
逆に東京の好きになれないところは、空気が汚いのと満員電車ですね。
状況してから赤前足になりましたね。今もその赤前足に悩まされているんですが。
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あとは沖縄とは違う意味での迷惑なおじさんが多いですね。こっちはこっちで多いなという感じがします。
この地元捨てて出るぐらい男性に恨み辛みを積もらせている希少の荒い女ということに気づかず、私に喧嘩を打ってきた哀れなおじさんを状況して何人か退治しました。
別に隠してるつもりはないんだけど、人を見る目がない迷惑おじさんって可哀想だよね。
ここまで沖縄のことをすごいボロクソ言ってきたんですけど、苦しいほどに愛しているんです。
じっとり湿度が絡みつく、雨ばっかり降る美しい景色も、
これでも勝手ぐらい鰹節ぶっくむ茶色ばっかりの料理も、
馬鹿なぐらい優しい賢明性も、
出来根続出する青年会が遠舞する、
めちゃくちゃ痺れるエイサーも、
酒ばっかり飲むどうしようもないおじいが泣きそうなくらい感動する民謡を歌うのも、
もうみんな愛してます。
私が沖縄が嫌になって、もう全部捨てて離れようとすると決まってめちゃくちゃ刺さる沖縄カルチャーが目の前にやってくるんですよね。
もう愛さなければいけないカルマなんだと諦めて受け入れることにしています。
私の人生の語だね。その表現が一番しっくりくる。
他にも沖縄と他の地域の学力格差とか、ウチナータイムとか、基地問題とか、他にもいっぱいあるんだけど、
終わりがなくなってしまうので、また別の機会でお話できたらいいですね。
今回こればっかりだな。
ライトな気づきもいっぱいありましたよ。白菜がめっちゃ安いとか、寿司がうまいとかね。
最後にですね、せっかくスポティファイで配信しているので、状況当時によく聞いていた音楽10曲でプレイリストを組んでみました。
概要欄に載せておきます。その時の私の心境が詰まっています。
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すぐ非公開にするかもしれないので、曲名と当時の私にぶっ刺さったフレーズを紹介しておきます。
まず1曲目、コッコの衣装。
一発目からこれ。
こんな丸出しにして大丈夫ですかね。
タイトルそのまんまのシンセサイザー。
丸出しにして大丈夫ですかね。
タイトルそのまんまの心境でしたね。
私がいない世界をせいぜい悲しめと思っていました。
2曲目、ゆいの東京。
状況ソングといえば、この曲をあげる人結構いる気がしますね。
間違いだらけでいい。ここでいつも泣いてました。
はい。3曲目、ラッドビンプスのトレモロ。
これはイントロが印象的な綺麗な曲で、絶望の中に浮かぶ光、何なのかわからないまま道しるべにするような心境にぴったりで励まされました。
4曲目、ゆいのHow Crazy。
ゆい、2曲目ですね。
この曲は私の人生のテーマソングといっても過言ではない。
私が辞任している私自身と親が認識している私の帰りが大きくて、今でも嫌悪感が拭えなくて、うわーって思いながらこの歌歌ってます。
はい。5曲目、浜崎あゆみのエボリューション。
初めて聴いた10代の頃からずっと好きな曲です。
曲もPVもこの時のあゆのビジュアルもめっちゃかっこよくて大好きです。
もう生まれてきちゃったもんはしょうがないけどね、頑張るぞって振り立たせたい時に聴いていました。
6曲目、バンプオブチキンのエバーラスティングライ、アコースティックバージョン。
これはもうお団子としてアコースティックバージョンがいいです。
通常版もいいんだけど、アコースティックバージョンの方が胸にきますね。
やってやんぞって感じです。
はい。7曲目、エルレガーデンの虹。
エルレガーデンの虹。
大切に思っていた人たちに立て続けに足下にされて、文字通り音を立てて崩れ去るような感覚だったので、
この曲で何とか足元が崩れないように堪えていました。
39:04
8曲目、クイーンのアナザーワンバイツダ、ダスト。
バイツダ、ダスト。
合ってる?
これはちょっとダークな雰囲気と細かく刻まれるリズムが、
感情を殺して状況準備に没頭していた時の心境にはまっていました。
満足するわけないよって、こんなところもうすぐ離れてやるんだからなって思っていました。
7曲目、コッコのプロメリア。
はい、コッコも大好きなので2曲入っています。
この曲は私の中にある沖縄の原風景が匂いとか温度、湿度までぐわーっと蘇ってくる曲で、
あの当時はいつも泣いてました。
また泣いてるよこの人。
はい、最後ですね。
10曲目、コキアの調和音with reflection。
これは勝手に瞑想ソングだと思ってるんですけど、精神統一的に聴いて歌っていました。
コキア語で書かれていて、召喚系です。
面白い手法で作られた曲なので、ぜひ歌詞とともに聴いてみてください。
はい、ということで大長編となりましたね。
胃もたれしてないですか?大丈夫ですか?
お酒美味しく飲めました?
聴いていただいた方のいい酒の魚になれたなら幸いなんですが、どうかな。
もう一回乾杯しとくか最後に。
ね、沖縄の飲み会は何回も乾杯するっていうので有名です多分。
今回お便りいただいて、このトークテーマをリクエストいただいたカフェイン岩尾さん。
これが私の状況物語です。
大丈夫だったかな。
大丈夫であることをお祈りしております。
何やともあれありがとうございました。
はい、いつかお話そうと思っていたので、
またお会いしましょう。
またお会いしましょう。
またお会いしましょう。
またお会いしましょう。
またお会いしましょう。
ありがとうございました。はい、いつかお話そうと思っていたのでよかったです。
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はい、ということで締めます。
この番組を見つけてくださった方は感想だったり、こういうことについてお話聞きたいなどリクエストがあれば、
概要欄に記載のメールやホーム、各種SNSのDMからお便り、リアクションをいただけると大変嬉しいです。
メールアドレスはsu-imapudding.com、スキマプディング.gmail.com、
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各種SNSでの感想の投稿をしていただける場合には、
ハッシュタグキマプリ、ひらがなのキマにカタカナのプリでお待ちしております。
ということで、一番好きな沖縄料理は、ゆし豆腐汁なせんでした。
ゆし豆腐っていうのは、豆乳ににがりを入れてちょっといただけみたいな感じの、ほとんど豆乳みたいな豆腐なんですけど、これが美味しいんですよ。
沖縄の豆腐はゆし豆腐に限らず全部美味しいってもう15年ぐらい言い続けてるんですけど、賛同者がなかなか現れません。
誰かわかる人いますか?
それでは、今晩も良い夢を。おやすみなさい。
44:01

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