この番組は、化粧品を愛する20代会社員の私、えまが、 普段はなかなか見られないゲストの素顔を引き出していくポッドキャスト番組です。
こんばんは、えまです。
今日は、同じ会社でお務めになられている、チェルシーさんにお越しいただきました。こんばんは。
チェルシーさんは、以前ちょっとポッドキャスト好きが集まる飲み会を開催したところ来てくださいまして、
ピンクの髪が非常に素敵なお姉さまです。
ありがとうございます。ピンクの髪で黒ずくめのチェルシーです。
ファッションが本当に素敵だなって思っているのと、
そのピアス、大振りの結構カッコいいピアスをされてるんですけど、
それを着けこなせる方はなかなかいないんじゃないかなって思うんですけど、
どういうルーツで、そのカッコいいピンクになったんでしょうか。
ルーツまでいっちゃうと、中二病なんですっていう話になっちゃうんですけど、
おしゃれすぎる、おしゃれすぎる。
中二病引きずってるんですっていう話になっちゃうんですけど、
本当に中二の時に、当時90年代後半とかビジュアル系とかがすごく流行っていて、
礼に漏れずビジュアル系にハマって、一番ハードめのビジュアル系にハマって、
そこからちょっと派手な髪の色とか、黒い服とかに身を包んでるとすごい安心するっていうのを、
一時期社会人になってちょっと辞めた期間もあったんですけど、
あまりそれ辞めると調子崩すなって思って、
今の、エマさんと同じ会社に転職してきて、ちょっと様子見ながら、今はもうフルで再開してます。
体調に支障をきたすほど、体になじまれてるスタイルなんですね。
素敵だと思います。
目立つし、会社の中で人数が多いと、その人がいるっていうことが目立ったりとか、
その存在感があるっていうことが、すごく組織の中で安心感を生むんじゃないかなって私思っていて、
私が所属してるメンバーも、そんなにとっぴな格好をしてる人はあんまりいないんですけど、
いるか、いつもアルファを着ているアメリカ人とか、
素敵。
いつも、結構寒い時期になっても半袖で攻めてるなっていう、がたいの良い人とか、
必ずその人にキャラクターがあって、そういう安心感をちるしーさんからめちゃくちゃ感じるって。
それは思います。
でも、アロハの人とか、自分が自分らしくいられるっていう格好でいる人を見ると、
どんなファッションスタイルであっても、すごい好きになっちゃって。
頑張れみたいな。
貫けみたいな。
貫けみたいな。
すごく、その人がその人らしくいるっていうことが、自分にとってはすごく大事な価値観の一つなので、すごいいいなって思います。
しかも、私がこの会社好きな理由として貫きやすいですよね。
貫きやすいです。
とてもとても貫きやすい。
金髪の人がいても、別に何にも思わないというか、いいね、素敵だね、みたいなことだし、
私の部活、会社で部活入っているお着物を着たりとかっていうことも別にいいし、
はたまたスーツで決めてると、お、スーツだね、みたいな。
逆に私の同僚でアロハを着ているアメリカ人がいるんですけど、日頃はアロハでラフな感じなんだけど、
プレゼンがあって、スーツを着ると、みんなでかっこいいって言い合うみたいな。
いいですね。
なんかそれがすごく人間っぽいっていうか、なんかいいなってところですね、この会社の。
そうですね、なんかその、多様性って言うとちょっと言葉がね、一人歩きするかもしれないですけど、
そういうところが真にあるなって思いますよね。
今話してて思い出したのが、中学、私中学受験だったんですけど、
中学選ぶときに選んだ決め手が制服がない、拘束がないっていう自由さとか、
自立を認めてくれるっていうところがすごく自分にとっては大事で、そこからも引きずってるかもしれないですね。
結構自立心というか、こうありたいみたいなのが強い方だったんですか、もともと。
自由じゃないのが嫌でしたね、結構。
真面目なところも多分にあるんですけども、何か人に決められるのはすごく嫌でした。
だから制服とか拘束とか、だって自分がちゃんとしてればいいのに、
なんで大人が寄ってたかって決めてくるんだよ、みたいなことは思ってたと思います。
スカートの長さとか、髪の長さとか。
剥げちゃう、剥げちゃう。
なんかすごい印象に残ってるのが、中学2年とかでビジュアル系にハマって髪、なんか派手な色にしたときに、
電車で何の気なしに席をお年寄りに譲ったときに、すごい周りの人がめっちゃ見てきたんです。
あの不良の女の子、席譲ったぜ、みたいな。
それでやっぱり、外見が派手だといろんな見られ方もするけど、
でも別に自分がいいと思う行動をとっていれば別にいいし、
あ、でもこんなに不良女子だって見られるものなんだなっていう、
ちょっと世間の目の厳しさみたいなのも当時感じましたけど、
逆にちょっと反骨心みたいなのがあって、
このままいい大人になってやる、みたいなのがあったかもしれない。恥ずかしい。
いやいやいや、素敵すぎる。
私、この収録を撮るまさに前日ぐらいに、一人語りの収録をしたときにも、
それをすごく感じていて、私も中学制服がなかったんです。
比較的自由な感じとか、自分を出せる感じの学校で、すごい楽しかったんです。
で、聞いていただいたキャロも同じ学校にいて、
個性を出すこととか、すごく尊重された世代だなって思うんですけど、
ことを会社とか大人っぽく言いなきゃいけない、取引先が来るとかっていう場面とか、
たくさんの大人と対峙する場面に遭遇したときに、
私、結構おとなしく見られるらしくて、なんか癒し系っぽく見られるとかっていう言葉をいただいて、
癒し系?みたいな感じなんですよね、私からすると。
なんか、古くからの友人だと、中身男だよねみたいなこととか、大雑把だよねとか、
そういう私の抜けてる部分とかをよく知ってくれる友達もいるし、
他者から見られる印象と、自分との、中身とのギャップを解消していかないと、生きづらくなるんだなっていう壁に、
なんか初めてぶち当たったというか、私は逆に。
なんかこれまでも言われることあったんですけどね、なんか明るかったんで、明るかったし騒ぐし、ちょっと動きがアホっぽかったんでしょうね。
頭悪そうみたいなことを結構言われたりとかもしたことあったんですけど、実際はそうじゃなかったんだねとか、
通ってる学校の名前を出すと、あ、そうなんだみたいな反応になったりとか、
これまでもあったんですけど、あまりそこまで気にならなかったというか、大人になるとすぐ感じてしまって。
シルシーさんは大人になってからはそんな感じられないんですかね?どうでした?全職の時とか。
全職は結構髪の色とか、外資だったんですけど、意外と今の会社よりうるさく言われて、採用担当で人前で出るのにそんな明るい髪とか、
レギンスに短いスカートとか、やめなさいって言われて、これが大人になるってことなのかってちょっと思ったんですけど、
でもじゃあ丸いに行ってパステルカラーのカーディガンみたいなのを当ててみても本当に似合わないから、
本当に似合わないから、うん困ったなみたいな。
どうなんでしょうね、人って見たいように見るじゃないですか。
だからこう、言葉が正しくないかもしれないですけど、若くて可愛らしいエマさんには癒し系でいてほしいなとか。
若い女の子には控えめでいてほしいなとか。
なんかそういうの出ちゃってたりしないのかなって今の話聞いてちょっと思いました。
全然ご期待に添えない。
いいじゃないですか。
これジレンマなんですよね、すごいラフな話になっちゃいますけど、モテないんですよ、そういうとすると。
モテない人生を歩んできましたよ、私。
仲間だった?
仲間だった。
見た目とギャップがあるとモテなくらいです。
ギャップ萌えとかしてくれないんですかね。
ギャップ萌えされたことないですね。
ギャップ萌えってなんか、もの静かだと思ってたけど、適度によくしゃべるとか。
良い方に、良い方にギャップが左右したときじゃないですか。
私は絶対その順番が逆なんですよね、たぶん。
見た目が先行して、なんかおとなしそう、か弱そう、文化物っぽい。
でも中身、ゴリゴリ運動部で、なんか男みたいなのって、一番モテないんですよね。
モテるってマジョリティに刺さるかっていう話だから。
すごい言語化。
マジョリティに刺さるか、そうか。
じゃあいいのか、気にしなくて。
運が良ければ既得な人と出会えるかみたいな、確率は下がるみたいな。
ほんとですよね。
そうか。
エマさんは、中身が割と活発な、素敵な中身で、見た目が結構おとなしめにしてるっていうのは、社会人になってから意図して、
おとなしめの見た目とかにしてるんですか?
いや、そんな気はないんですけどね。なんか髪の毛も、チェルシーさんも単髪で素敵ですけど、私も学生時代結構単髪にしていて、
でも大人になった時に単髪にしすぎていると、なんかこう居心地が悪くなったんですよね、自分がある時。
で、なんかスピッテになって自分で思ったりすることもあるんですけど、ボブぐらいにしてると、なんか良いことがたくさんあるっていう。
あるある。
思った時に、あ、あご下3センチぐらいが一番いいのかもしれない、自分は。気がいいとかって思って、そこからはボブにしたんですよね。
で、ボブにすると、でも印象の弊害が生まれて、ちょっとこう、生きづらさを感じるというか、印象との差みたいなものを感じるようになってきましたね。
でもさっき外から入ってきた絵馬さん見て、確かにボブで素敵なベージュのジャケット着てるけど、めっちゃ真っ赤な水玉の傘持ってて、やっぱただものじゃないなって思いましたけどね。
そうなんですよね、持ってるアイテムとかって、やっぱ人物を物語りますよね。
と思います。
最近それを意識して物を買うようになったなってようやっと思います。
なんか今までは考えなしに、合わせることとかも考えなしに、このアイテムが好きとかって買ってたんですけど、これ持ってたらすごいかもしれないとか、
なんかお値段は高くなくても、このバランス、持ち物のこの色味のバランスがすごい自分はしっくりくるなとか、そういうものを意識的に集めるようになって、なんか大人に近づいたなっていうのをちょっと楽しんでます。
でもそういう買い物をしたいなって思うようになったのは、チェルシーさんを含め、この会社にいる女性人、男性人が持ち物も含めて洗練された大人だなっていうふうに感じてるからなんですよね。
チェルシーさんはどういうふうにお買い物します?物とかどういうふうに買ってるのかめっちゃ気になる。
私は小物は好きなモチーフが結構決まっていて、ちょっとモンスターっぽいお化けっぽい可愛い感じとか、だからずっとビジュアル系引きずってるっていう話アゲインなんですけど。
服は黒がしっくりくるので黒なんですけど、小物はちょっと色が入ってると気持ちが楽しいなとか。
服はもうお店は決めてしまいましたけど、こう見えて自分の中ではすごいコンサバで、美容院とかお店とか決めるとわりとずっとそこに行くタイプなので、
そこに行く前とかはいろんな診断ツールとかも使って、自分はこれが好きだけど、今骨格とかも色々ありますけど、
性格とか好きな世界観とか含めて、じゃあこういう言葉とかキーワードでわりと統一感持てるんじゃないですかみたいなアドバイスみたいなのも、
夫婦で行ったんですけど、持てないけど気得な人がいたんです。
いやいやいや、素敵なパートナーだと思いますよ。
で、夫とそこが共通言語化して、そうするとお互いの買い物へのフィードバックの解像度がすごい上がったりして。
めちゃいいですね、それ。
めちゃ良かったです。
面白かったです。
私も難しいんですよ、パートナーにアドバイスをするときにどうしたらいいかってすごい悩んでいて、
なんかパートナーは意思がないパターンもあるじゃないですか、
二極化しません?男性ってちょっと極端な論かもしれないけど、
すごいこだわりがあって、俺はこのブランドがいいとか、これはこの感じがっていうのをすごく自己を持たれてるパターンと、
相手がいいって言ってくれるものがいいっていう人とか、あとはミニマリストで何でもいい、最小限でみたいな人とか。
で、私のパートナーは割と合わせてくれるところがあるのかなって思うんですけど、
私は相手に対してあまり関心がなくて、
いいアドバイスができないんですよね。
関心がないから?
関心がないからなのか。
ビジュアルに関心がないから。
そうですそうです。
じゃあいいじゃないですか。
パートナーのいいなって思ってるところは、たっくさん漫画を読むんですよ。
お友達になりたい?漫画大好き。
漫画の読書量がすごくて、とあるアプリを使ってるらしいんですけど、日本のユーザーの中で上位3%に入るぐらい、すごい漫画を読んでるんです。
そうすると、漫画なんですけど、知識量がすごいんですよ。
漫画で得た知識が、古代文学とかの知識エッセンスも入ってるから、とか島工作とか、サラリーマンはこうやって成り上がっていくんだとか。
あとは結婚生活のものとかで、パートナーと付き合ってる時に言われたのは、
俺は、もうエマちゃんが結婚して出産して、こういう状態になって、こういうことに、男のこういうところにイライラするっていうところまでシミュレーションができてるっていう。
素晴らしい。学んでる。
プレゼンを受けてたんですよ。
っていうぐらいその中身がいいと思って選んだ人だったんで、外見は何を着てくれててもいいんですけど、
ただ、大人として彼も彼で、多分洗練された大人でいたいと思うだろうし、私もそうあってほしいと思うんですけど、
アドバイスがしにくかったんですけど、でもいいですね、キーワードをお互いで見つけるとか、インテリアとかもそうなると決まりやすいですよね。
決まりやすいと思います。
意見の一致はやっぱりしやすかったですか?それを受けてから。
そうですね、それまでって多分同じことをお互い言ってたつもりでも、使う言葉が共通言語で揃ってなかったので、
例えば、私にはソフトモダンっていう要素が入ってるらしいんですけども、
モダンです、すごく。
ただ、ビジュアル系好きは本当はハードモダンになりたいんですけど、ハードさは実はあんまりないよって診断で言われて、
別にそれ信じなくてもね、好きなの選んでいいんだけどって言われたんですけど、
それからちょっとゴツすぎるアイテムとか、めっちゃハードなレザーの面積の多いアイテムとかを持とうとすると夫が、
あなたソフトだから、ちょっとハードさそれ強すぎるんじゃない?って言われると、
同じことをちょっとゴツすぎるよって言われて、ちょっとむすっとしちゃったところが、
確かにあたしソフトだからね、みたいな感じで、揉めないみたいな。
受け入れられるようになるんですね。いいな、その視点。
いいですね。しかもパートナーさんのセンスの良さも感じました、今その対話を聞いて。
そんな指摘をしてくれるパートナーさんがいらっしゃるからこそのこの洗練なんですね。
いや、そんなことわかんないですけど。
パートナーはかっこいい俺でいることが大好きってすごいナルシスト、キャラとしてもナルシストって、
こっち来た方がかっこいいよって言うと、うん、俺かっこいいってご機嫌になるから、すごいアドバイスもしやすいです。
求めるものが彼もクリアなので。
いいですね。
でもなんか洗練されている大人でいたいっていうところのラインがね、クリアだと、
そういう共通言語とか、この世界観がいいねっていうのを見つけたら、もうこの幅だったら何でもいいじゃんとか言えるかもしれないですね。
いいな。
ちょっとナルシスト入ってるパートナーとか、自己肯定感高いパートナーって救われません?
救われます。
それだけで。
セルシーさんはどうですか?自己肯定感高い方です?
高いところと低いところが凸凹してる気がしますけど、基本的に高いんじゃないかな。
逆にそういう場合って低いところって何が低くなっちゃうんですかね?
自己肯定感は高いけど、なんか課題を見つけて自分が内省して、やっぱここって自分の変な癖だなとか内省して、それをこう克服というか、それを変えるために何か学んでっていうステップを繰り返すのが好きっていうだけかもしれないです。
自己肯定感は高いかも。
ちゃんと課題感とそれに対するアクションを繰り返す過程を楽しんでる。
そうですね。
すごいですね。
だから別にストイックなわけじゃなくて、ナチュラルに気になるから、ちょっとこういう生きる知恵学んだほうがいいなって言って学んでやってみて、ちょっと変わったかもしれない。
でもこう打つこと気になったみたいな感じで。
でもストイックさ感じます。
本当ですか?
でも好きでやってるだけなので。
すごいな。かっこいいな。私は課題感を見つけると、とりあえずわーってなります。
なりますよね。
どうしようみたいな、泣きそうみたいなモードになって、感情が先に出ちゃうんですよね。
わー、また壁だみたいな。
そうすると奇跡的に良い大人が私、周りにたくさんいたり良いお友達がたくさんいるんで、みんなに眺めてもらって、
あ、そっか、こうすればいいんだみたいなワンクッションが毎回体力を使うんですよ。
でもチェルシーさんもこの淡々と課題感を見つけたら、そこに好きで取り組んでいくみたいな。
いやー、でも体力は使わないけど、事故を起こしたりとかもあるので、事故起きてから、いやわかったなって気づくとか、
なんか学び方とか気づき方のパターンなのかなって聞いてと思いました。
周りの人が眺めてくれる中で、周りの人から学んでたりとか気づきもらってたりっていう、そういうスタイルなのかなって聞いてて思いました。
ご迷惑をおかけしながら、ただやっぱり人を、私は本を読むよりも、人からもらった言葉とかにめっちゃ救われちゃうんですよね。
とか、その人からにじみ出てくるメッセージみたいなものとか、言葉と行動が連動してる人物。
実際こういう、なんだろう、すごいことをやってる人がいる、目の前に。喋ってる私みたいなことを感じると、ようやっと自分の中で変容が生まれるなっていうのを最近体感してますかね、特に。
なんかそれがエマさんの学びパターン、成長パターン?
いやー、ではない。
いや、なんかそうなんですけど、家族からよく言われたのは、それをやると周りに迷惑がかかるから、もうちょっと本を読んで学ぼうみたいな指摘を受けていて。
でも、それも込みで好きで周りにいてくれる人しか残らなくないですか?って言ったら、みもふたもないんですけど。
それがそうなんですよね。たぶん、この騒がしい感じに疲れちゃう人は、離れていっちゃうんですよね。それがいいのか悪いのか。難しいところですけど。
いや、私はもうちょっとチェルシーさんの、何か静かに学ぶ感じとかを。
でも私も人です。本とかも読みますけど、やっぱり自分がその時々に感じてる仕事だったり生活の課題に応じて、なんかいい人と出会うんですよね、時々で。なんでか。
なので、なんか人生の師匠みたいな人がいっぱいいて。
あれですか、推しみたいなことにもつながるかもしれない。おちゃんもそういった出会いの中で。
そう、推しはお茶なんですけど、私は今、台湾茶道の茶人についてずっと茶道を学んでいたりとか、
あと、広くお茶っていうところで、ハーブティーとか、ハーブを使った自然療法をしている方に今、指示してたりとかするんですけども、
そういう自分の先生たちって、その技術を教えるだけの人っていう人とは幸いなことにあまり出会わなくて、その方の生き様とか、
そして、みんな結局言ってること一緒なんじゃない?って思う深いところまで、
芸だけじゃなくて、精神性を深めたり高めたりしてる人たちと、なんだかご一緒させていただいていて、
会社の研修でご一緒してる、ご縁がある人とかとも、同じこと言ってるなとか、それは面白いなと思います。
わかります。特に、なんとか道ってついてる。
そうですね。
趣味、茶道、華道、私の場合は舞踊もそうなんですけど、その方々って何なんですかね、その共通の哲学で動いてたりとか、
やっぱり同じ思想から派生していると、思想が映っていたり、動き方が映っていたり、
なんかいろんな方がいると思うんですけど、そういういろんな団体があると思うんですけど、
そういう中に自分が身を投じると、早くそういうものを体得できるような気がするというか、気だけなんですけどね、
そこに到達するにはものすごい年月がかかるんだけど、なんか本で読む、動画で見るとかいうものからは得られない、
その人たちが作っている空間とか、空気感。
あーわかりますね。
使ってる言葉とかめっちゃ違うんですよね。
そうですね。
台湾茶道は、なんだろう、どういうお茶法があったり、どういう特徴があるんでしょうか。
お茶法なくってですね、日本のお茶だと型とか茶道が決まっていて、そういう意味でやっぱり日本の道とは違って、型っていうものはなくって、
あと中国茶とか台湾もいくつか茶芸として、美しく見せることを大切にするやり方であったりとか、味を大切にされる方とか、
私の先生は生き方を含めて感動させるお茶を入れられるかっていうところに重きを置いてたけてる方なんですけども、
いろんな流派というか、個人技みたいな感じで、どういう先生というか、どういう茶人について学ぶかによってだいぶ変わるかなって思うんですけど、
でも、今言ったように、私の先生は生き方を最終的には自分が整えていくことしか、本当に感動するお茶は入れられないっていうところに、今到達されていて、
すごい境地ですよね。
すごい境地です。
前、軽々しく茶人ってどうやったらなれるんですかって言ったら、茶人はなるものじゃなくて、もう茶人なんです。
茶人としてお茶を入れてないときも、どれだけ自分が整って仕事をしてるときも、お掃除をしてるときも、その積み重ねがお茶に出ちゃうからって言われて、
じゃあ今からそう思っていきますとは思うんですけど、お仕事をしてるときとかになっちゃうし、でも植物療法だったり、仕事でちょっと自立神経のことを取り入れた学びとかをやってると、やっぱりその自分を整えて、
いい状態であるっていうことが、仕事でも生活でも周りにいい影響を与えていくっていうことを、別のところでもいろんな人がおっしゃっていて、結局そこにたどり着くのねって思って。日々の整えの積み重ね。道ですよね、だから本当に。
そうですね、なんか一番苦しい修行というか、なんか自分のことが一番よくわからないし、外に注力しているほうが、楽と言ったらまた違うのかもしれないんですけど、見えてしまうものだから、自分が見えないものだから。
私も体調を崩して、自分の状態とかをもう少し俯瞰できるようにならなきゃいけないなって思うようになってから、自分の状態が全てだと。自分がいい状態だったら、なんかアクシデントが起こっても、なんか起こってるなぐらいに思えるけど、自分の状態が悪いと、キーって目がじらたくてそこを見てしまう。
なんかそういうことを感じて、整えるようにしてるんですけど、一番揺らい気を感じる。自分が。
そうなんです。
難しいですよね。
だから本当日々修行というか、道場というか。
道場ですね。
でもその中でお茶を入れてても、仕事をしてても、何をしてても、やっぱり自分の思考の癖とか、課題の癖みたいなところが結局何度も出てくるから、あ、そうですよねって思いながら、とはいえ一朝一夕では変われないので、うまくいったりいかなかったりしながら、がっかりしながら、またこれかみたいな。
同じ。
そう。ありますよね。またこれか、形を変えてるけど、同じことが起きてるし、それを起こしてるのは、自分のものの捉え方とか、行動だったみたいな。
それでしかないですね。
それでしかないなって。でもそういうことが、概念として理解できてからの方が、向き合う覚悟ができたというか、楽しく向き合えるというか、あ、しょうがないんだなみたいなのはあるかもしれないですね。
難しいですね。
でもお仕事でも人と向き合われると思うんですけど、なんか自立神経に関することを取り入れたりとか、本当に幅広く人を見られてきたキャリアだと思うんですけど、人を変えるのとか、変容をこう提供するって、難しいですよね。
難しいですよね。本当に。
どういうアプローチをされてきたというか、どういうお考えでやられてるんだろうなっていうことが、めちゃくちゃ興味がありました。
10年ちょっとこういうことをやってますけど、やっぱりその変容の深さ、本質性みたいなのが、年々やっぱり個人としては追求したくなってしまいますけど、
でも最初は本当にスキル、ロジカルに考えられるようになるとか、人に伝わるように話せるようになるっていう、そういう目に見える変化を、じゃあどうやって研修だったりとかでやっていけるのかっていうところからスタートはしてますね。
でもそういうことをやっぱり続けてると、この人はうまくいく、この人はうまくいかない、同じことを学んで、同じように実践してても何だろうって思うと、じゃあ結局その心の変容っていうところどこまで到達してたのか。
スキル、頭でわかって行動を変えるって言っても、マインドが変わらないと結局戻っちゃうじゃないですか。
で、それがだんだん変えていくものが、割とライトなスキルから、だんだんその思考の癖、何とかであるべきっていうのが、なんか取り除けないんですとか、そういうだんだん根深いものに取り扱うものとか、
変容において取り扱うべきだと自分が思うものがだんだん深くなってきて、もうそうすると心の話だったりとか、でも心って体とやっぱり密に相互作用してるので、体からもやっぱり整えていかないと変わっていかないよねっていう風にアプローチがだんだん、
頭だけから頭と心、そこに体とか、なんかそういう風に広がったり深まったり、難しさを増していってる感じがします。でも面白いけど。
やっぱり最初の入りはスキルとか、論理的にできる、何が自分のアウトプットとして出しやすいものから、でも心の状態、体の状態、どんどん変数が増えて、より複雑になる。
だけど、その中でいい変容をする、何て言うんでしょう、きっかけって、どういうものを提供した時なのかなって。本当千差万別だと思うんですけど、難しいですね。
言い方は語弊があるかもしれないけど、物はどんな物でも良いかもしれなくて、タイミング?その人にとって何か大きくても小さくても、その人にとって差し迫った課題がある時に何かに出会うと、
それがたとえロジカルシンキングとかだったとしても、そこを皮切りに変わっていく人とかもいるんだと思うんですよね。なので、もちろん学びのアプローチとか、先生との相性とかいろいろあると思うんですけど、タイミングってすごく大事なのかなって思って。
差し迫った課題感っていうところがやっぱり人を変えますかね。
ような気がしますね。結構私自分がいいなと思う学びを、すぐ周りとか家族に一緒にやろうよって言っちゃう立ちなんですけど、なんか夫にはずっと刺さらなかったけど、ある時急に興味を持って、
それこそね、馬の研修に、私が仕事で携わってた当時からすごく言ってたけど、ずっとふーんって言われて、去年初めて8年越しぐらいに行きたいって言われて。
へー。
差し迫った何かがあったんですねって。
でもそこがパートナーから、その時は刺さらなくても、いろんなバリエーションの提示があると、あ、あれかもみたいな点と点がつながる。
かもしれないですね。点と点がつながるとかがあるかもしれないですね。
タイミングがいいですよね。なんかだから、私は両親を見てて思ってたのは、課題が変わらないなっていうことをすごく思ってたんですよ。
シビア。
なんだろう。いつもこう、同じコゼリ合いを繰り返している。仲いいんですけど、仲いいし、平和。
で、そのお互い長い修行だったねって今、この66年を引き換えた両親は言ってるので、なんだろう。
それは一つ形なんですけど、そういう家族だけでない人間関係の中で、話す内容が変わっていったり、課題感が変わっていったり、一緒に成長していったりみたいなことを、私は結構楽しむタイプというか、それを求めているのかなって最近はすごく感じて。
今のお話の、ジェルシーさんがパートナーにいろいろな話題を提供したり、それを仕事の中で得られたり、自分の趣味の中で得られているっていうのはすごく素敵だなって。
ありがとうございます。でも課題は変わらないと思います。お互いにパートナーとの間の課題も。
そうですか。
よく玉ねぎのたとえみたいなので言われることがあって、玉ねぎって剥いて剥いて剥いて、ずっと掃除系で最後真にたどり着くじゃないですか。
人が自分の課題として向き合うことって、最初外側のことってそれこそスキル的なことだったりとか、結構ライトな浅い課題感をまずむくんですよね。
学んだりとか、何か向き合って。そうすると次の課題が出てくるけど、課題の構造とか、自分の世界のものの見方とか、そこのメンタルモデルはあんまり変わらないので、そこがずっと川が深くなってるけど、
同じ課題に向き合ってて、最後ラスバスと退場するみたいな。それは多分身のあるのかな、自分はそうだなって思いますね。
それもだから修行ですね。
修行ですね。
差し迫った課題っていうのが、深刻だっていう意味じゃなくて、その人が今どうしても気になっちゃうことにフィットする学びとか気づきとかがお互いに共有できると、解決早いのかなと思っていて。
うちの夫は、娘が今11歳なんですけど、5、6歳の時ですかね、赤ちゃんから子供になってきた時に、関わり方がちょっと難しくなったって言っていて、夫は思考に偏ってた時期で、言語を変えしてもちろん娘と話すんですけど、
感情とか、キビみたいなところが全然センスできなくて、娘は当然全部言語化できないけど、赤ちゃんよりも複雑になってきてるから、そこの手当てしてほしいキビがある、そこが手当てされないって言って、通じない感じがすごくあったらしくて、
そこからいろいろ学び始めたりとか、娘と一緒に何かを始めたりってしていて、変わろうとしてるのが素晴らしいなって思いましたし、そのきっかけがなかったら全然うまい子って言っても、うーんみたいな感じになったので、時があるんだなって思いました。
向井さん、パートナーさんにとって娘との対話は一番差し迫ったかな。
一番差し迫ったんだと思います、本当に。そういうこともあるんだなって。
素敵ですね、それを支えてらっしゃるとか、いろんなソースを持ってこられるこのご家庭というか、素敵だなって。
ありがとうございます。
気特な人だったからね。
気特な話題を楽しんでくれるのかもしれないね。
そうですね。だから、大衆に刺さらなくても、刺さらないほうがむしろ。
刺さらないほうがむしろ続くんじゃないですかね。
確かにな。
そうか。