子供、ゲイテッドコミュニティが成立していって、子供がその中にとどまっていくっていうところに、
そういう観点もなかなか気をつけるのかなというふうに思いましたね。
なんか、分断を作っていきたいし分断を良しとしていくというよりは、
親たちが自分が少なくとも確保されていた環境を子供に提供してあげたいみたいな、
善意でそういう分断が強化されているっていう側面はあるんじゃないかしらなんて思ってみたわけです。
それはありそうですね。たぶん歴史を振り返ってもほとんどの人はそういう感じでしょうね。
武士とか農民とか天皇とか、そういう階級で生まれ育ったらその階級の考えしかつまりはないってことじゃないですか。
基本的にはその階級に生まれたらもうその階級でとどまるわけで、だからまあ人間の習性なんでしょうね。それはそれで。
そうよね。だってそうですよね。治安の良いネゲテッドコミュニティの中で生まれ育ったとして、
ここにいる人だけが良い思いをしているのおかしくないっていう問題意識から、
ここを開いていくように働きかけることって割とそのコミュニティが居住している利益と逆を行く発想ですもんね。
そうですね。だからべき論として開かれているべきとか、
いろんな人の立場が理解できて、人々が対立分断じゃなくて優和しているような、
そういうコミュニティの方がいいよねって言った人がいたとして、
その実現のために超えなきゃいけないハードルがたくさんあったり、
今手にしてものが失われていくっていうプロセスがあるとすると、
まあそりゃ積極的にそうはならんよなっていうのが見て取れますね。
まあ基本的にはそれでいいんでしょうね。
それがそうすることで保たれる方向。
そうしない。世界を平和に保つにはそれがいいんでしょうね。
秩序か。
秩序。秩序って言うと。
ただなんか自分の現時点の考えとしては、
まあほとんどの人はそれで良くて、ただ上に立つ人はそれだけじゃダメな気がするんですよね。
まあ最初の冒頭の自分の話と同じことになっちゃいますけど、
上に立つ人は少なからず理解はしてあげれる。
自分の感覚と感性と聞ける状態でいないとダメなんじゃないかなっていう。
そうだよね。どっちかの利益を代表してしまうと、
分断が濃くなって対立まで生じてしまうってことだもんね。
異性者だったらその間を取り持つような調整が必要なわけで、
その調整を図ろうとする人がどっちかの立場しか分からなければ、
そりゃ上手くいかないわなってそんな感じか。
そうですね。まさにまさに。
そうするとどっちかに堅いでしちゃうでしょうし。
だからそう、そういった意味ではブッダみたいな感じがいいんでしょうね。
そうですね。彼はゲーテッドコミュニティで生まれ育って、
これおかしくないっつって外に降りて行って、
どうしたんですかね。こんな暮らしをしてるわけよ。
圧倒的なトップオブトップのゲーテッドコミュニティでした、しかも彼は。
うん、ということですよね。確かに。
一晩で100人の女を与えられたりとかそんな感じの暮らしですもんね。
とんでもない。頂点オブ頂点を感じた人ですよ。
でもそんな人がやっぱり苦しみから救うっていう方向に行ったっていう。人類を。
だからそういう感覚がないとやっぱ上に立つものは行けないんじゃないかなと思うんですよ。
今言い口からそうだけどコミュニティとか社会とか
そういうすごく広い単位での分断というか違いがあるっていうことに思いを馳せられること大事だよねっていう。
メーター視点で挙げていって、もう世の中全てそういうことだよねって話はしていったんだけれども、
今のキンキンの話聞いてて思い立ったのが、
例えば中小企業でもあるいは大企業でも会社組織で、
組織の中の階層ごとの対立というか利害関係ってあるじゃないですか。
そこの間で生じている目線のすれ違いみたいなものを適切な言葉に直していって、
お互い伝わる形で整えていくっていうのは結構コーチとして、
お客さん、中間管理職の人と話をする時とかに、
両方の目線っていうのを自分の中に取り入れられないとうまく立ち振る舞いを決められないよねっていうのはあって、
その話にすごく近いなというふうに思いましたね。
確かに。
そうですね。そういった意味だと、やっぱりゲーム教育にしたほうがいいですよね。
ノンバイオンとコミュニケーションとか、
どの部分を?
コーチングのスキルとか。
多分そのスキルが全人類に備わっていれば、
少なからず誰かを分断を起こすような発言とかしないと思うんですよね。
うん、めっちゃ思うな。それそうだな。
スキルとしてそれを持っていれば、
多分そういう極端な人は現れない気がしましたね。
そうだよな。それ思うな。
あとは何だろうな。
フィクションの果たす役割も結構大きいなと思いましたね。
映画とか小説とかで自分の立場と違う人の立場を追体験するっていうこともできるはずだし、
文学の果たす役割って結構そういうところにあると思うんですよね。
例えばアメリカのある都市で、
すごい分断が生じてて、こういうゲーテッドコミュニティがあって、
この世の波を動かしてて、
かたやものすごくつらい状態にあるみたいなものをドキュメンタリーで摂取したときに、
それも結局、かなり切り取られたものの見方にはなると思うんですよね。
それと比べて、フィクションの小説とかって、
これもね、切り取られたあるいは作られた物語でしかないけれども、
相当感情移入する形で、
主人公の、どっちかの立場にいる主人公の思いとか、あるいは両方の立場とかを、
自分ごととして捉える機会になると思うんですよ。
なので、実際そういうコミュニティに交わるっていうのは、
一つの自分の中に経験体験として積み重ねていく方法だと思うけれど、
経験しようがないところもあるわけじゃないですか。
今から1960年代のアメリカに行ったりできないわけで、
その頃世界がどうなってたかっていうのを、
かなり一人称で近い形で追体験できるフィクションとかにはすごく価値があると思うし、
世の中が繋がっているし、おかげさまで成り立っているんだぜって、
自分で思えるようになるための手がかりっていろいろあるなーなんて、
ちょっと思いましたね。
いろいろありますよね。
いろいろありますな。
想像を巡らせるだけでも感じていることだと思う。
分断はあるし、
それを見えないから良しとしてそのままにするっていうよりは、
その分断の中で人々がより良く暮らしていくために何ができるだろうかみたいな視点を
一人思っててもいいですよねという感じか。
そうですね。
今回のアメリカの選挙で、
アベンジャーズの俳優たちが思いっきりハリスを応援して、
ダダ滑りしてたっていう話知ってます?
見た気がします。
アベンジャーズのアイアンマンとかキャプテンアメリカとか、
ブラックウィドウとかハルクとか、
狩猟キャットがみんな勢揃いで、
多分民主党にお金もらって河原ハリスを応援するっていう寒いウェブ会議の動画があって、
本当に寒いんですけど、
それでもみんな負けちゃったっていう話で、
マイティ・ソーとガーディアズ・オブ・ザ・ギャラクシーのスター・ロードのこの2人、
クリス・プラットとクリス・ヘムズ・ワースだけが株を挙げてると。
クリス・ヘムズ・ワース、マイティ・ソーはそもそもオーストラリア人だから関係なくって、
スター・ロードだってクリス・プラットが共和党支持者だったので、
トランプを応援してるということなんだけど、株を挙げてるんですよ。
なんで株を挙げてるかっていうと、
僕はどちらかへの投票を呼びかけて、
肩入れするようなことはしない。
大切なのは新しく決まるリーダーのもと、
米国民が一気に団結することだと思うんだっていう話をしていて、
だから大事なのは投票に行くことだよ。
投票に行って自分の意思を示す。
意思を示した上で、新しく決まったリーダーに自分たちがついていく。
協力していくっていうその態度で、
我々がアメリカの国民であるっていうことを自覚して、
義務である投票っていうのをしていくことが大事なんだって言ってて、
それが開票の3日前にそういう発信をしているんですよ。
で、結局京都が勝ってるから、
もうめちゃめちゃ株があって、
肩や民主党支持でみんなで投票しようぜみたいな、
超寒い動画を上げた勢力と、
めちゃめちゃカッコ悪くなってて、
クリス・プラットが一人ですごく価値を上げてるって言うんだけど、
そのクリス・プラットの発信、
どっちが勝ったから、俺たちの勝ちだ、
あいつらの負けだ、みたいな、
選挙の対立構造をそのまま対立として受け取って、
勝った負けたって騒ぐのって、
全然本質的ではないんだっていう主張は、
おともらしいというか、
一つ見習うべきところがあるなって思ったんですよ。
そうですね。
じゃあゲイテッドコミュニティがありますと、
そこに生まれました、そこで育ちました、
そこに土地を持っていて、そこで資産を抱えていて、
裕福な暮らしができるっていう時に、
全部を手放して、
グッダのように世の中が良くなるように尽くしたまえ、
みたいな、全然そういうことを言うつもりはないんですけれども、
少なくともそういう分断があって、
自分の生活が何によって成り立っているのかっていうところに
思いを巡らせた上で、
自分の言動とか、
自分のお金の使い方、時間の使い方っていうのは、
決めていく、あるいは決めるために思いを巡らせるぐらいの
お作法は持っておきたいですわなというふうに、
僕は今日の話を聞いて思いました。