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2024-07-12 21:52

留学体験談②アメリカへの大学留学✈️

留学体験談第2弾!今回は大学での4年間に渡るアメリカ留学について振り返っています。アメリカでぶつかった大きなカルチャーショックや、サッカーを通じて得られたものなど、リアルな体験談をお話ししています!
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はい、みなさんこんにちは、みきです。
前回は、私が高校2年生の時に経験したニュージーランドの留学に関して、いろいろとお話をしてきました。
今回は、その後に経験することになったアメリカへの大学留学について、いろいろと振り返ってお話していけたらと思います。
はい、高校2年生の時に行ったニュージーランドから大学アメリカに行くまでに、1年半ぐらいの期間、日本で過ごしていました。
日本の、私がもともと通ってた高校に復学して、帰ってきて、やっぱり周りの雰囲気としては、みんな大学どこに行こうかとか、
そこに向けて受験勉強をすごい頑張っている空気感の中で、私は高校2年生の間、日本で授業を受けていなかったので、
かなり遅れをとっていて、どうしようかなっていうところで、本当にちゃんとみんなと足並みを揃えて勉強してやっていくということであれば、
1年遅らせて留年をするのか、卒業して導入をするのかっていう、そのあたりのことも視野に入ってきていましたし、
あるいは英語力を活かしてプラスアルファ1つ、例えば歴史とか勉強して私立の大学を受験するかとか、そういうような選択肢が日本の中では見えてきていて、
そんな状況になっていた時におなじみの母が登場しまして、母はもう本当にずっと私が小さい時からフルタイムで仕事をしていたんですけど、
その職場でアメリカの大学を卒業しましたっていう人に何人か出会って、その人たちがみんな同じ留学エージェント、
その大学、アメリカに行きたいっていう人に対してサポートを提供している団体を使って行きましたっていう人が何人かいて、
その人たちから母が情報を得て、そういう道があるんだっていう、全部ゼロから大学とか見つけるっていうのは本当に大変なことだと思うので、
そういうエージェントが間に入ってくれたら、アメリカの大学に行くっていう道が開けてくるっていうことは感じられたので、
そこが開催している留学の説明会に一緒に聞きに行きました。
もう母としては日本の大学に行くのもいいけど、アメリカに行けるチャンスがあるなら前向きに応援するよっていう風に言ってくれるような感じだったので、
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私としてはまた、みたいな、ニュージーランドに行って帰ってきて、まだそんなに時間経ってなかったと思うんですけど、
また海外行くっていう気持ちで、やっぱりアメリカの大学に行くっていうのはまたすごくハードルの高いことで、
私の当時の気持ち的にもできるのかなっていう不安はもちろん大きくあったと思うんですけど、
母のそういう前向きな思いと、本当にタイミングよくそういう形で海外に行けるっていう情報とかきっかけを得ることができたので、
大きかったですね。その留学エージェントが知識とか経験、実績もたくさんあったので、
私の両親としてもいいよっていう風に前向きに言ってくれたので、できるかどうかは分からないけど、
そういう形で周りがサポートしてくれるような状況だったので、一歩踏み出して、
じゃあ頑張ってみますっていうことでアメリカの大学に進学することを決めました。
そこが提携している大学がいろんな地域のところにあったんですけど、面談を重ねて、
家族とも話をして、このノーステキサス大学にしようっていうことで大学が決まりました。
実際に行くことを決めて、いろいろと英語だったり、大学への応募の手続き、ビザの手続き、いろいろと進めて、
実際に行ったのは高3の3月卒業をして、その2ヶ月後の5月の末にアメリカに出発しました。
アメリカの新年度っていうのはだいたい8月末くらいから始まるので、5月から夏休みなんですけど、
私たちはまず現地の語学学校に入るっていうことで、そのタイミングで渡米しました。
で実際アメリカに行って、最初は夏の期間だったので、それほど周りに人もいなくて、本当に限られた人たちがサマースクールとして勉強してるっていう感じだったんですけど、
暇ですよね、最初行ったらそんな知り合いもいないし、なんか自分の中でずっとサッカーしてきて、いきなり辞めてぼーっとしてるっていうのも良くないなと思いましたし、
面白くないなっていうふうに感じて、語学学校始まった初日にいろんな人に誰かサッカーしてる人知らないみたいな感じで話しかけに行きました。
そしたら割と早い段階で、ここで働いてるサウジアラビア人の人がサッカー色々知ってるよみたいな感じで言われて、もう早速その人のところに話に行って聞いたら、
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大学のジムに合体語でできるようなサッカーコートがあるから、そこに来たらたまにやってるよみたいな感じで教えてもらったので、
早速その日からかな、行ってみて、何人か集まってきて、そこにそのサウジアラビア人も来て、なんか最初はちょっと警戒されてたんですね、やっぱり私が女子やし、
いきなり来て、お前どんだけできんねんみたいな感じだったんですけど、プレーし始めたらちゃんとサッカーやってきたんかなっていう感じで見てもらって、
すぐに話しかけてくれて、他の人たちも興味を持って、どこから来たのとか、いつアメリカに来たのとか、話しかけてくれるような環境ができたので、
私としてはそれでも本当に一安心、サッカーができたっていうこともすごい嬉しかったんですけど、それ以上にサッカーを通じて新しい人と話したりとか、仲良くなれるきっかけができたっていうことがすごい嬉しくて、
もうその日からほぼ毎日そこに通うことにしました。もうそこから気づいたらサッカーばっかりの生活を送っていたなと、
このアメリカの4年間の大学生活を振り返ってもサッカーでほとんど埋まっていたような人生を送っていたなというふうに感じます。
で本当に特に私が行ったそのノーステキサス大学は、いろんな人種の人がたくさんいて、で総合大学っていうこともあって留学生もたくさん受け入れていて、
私の初めてのそういう環境の中に身を置くっていう、高校のニュージーランドそこまで感じなかったんですけども、アメリカはもちろん白人、黒人もいるし、
でヒスパニック、メキシコ人もすごいたくさんいましたし、でそれこそサウジアラビアからいっぱい人が送られてきてて、政府がお金を出してスポンサーして優秀な生徒をアメリカの大学卒業させて人材育成の一環でやってたりしたのでそういうサウジアラビアとかオマーンとか中東からも来てましたし、
自分はアメリカで生まれたとか、でもその家族のバックグラウンドはこの国にあってっていう、その国がもう本当に多種多様で、そういう人たちの中に混ざって自分が生活をしたりサッカーをしたりっていう環境は本当に今思ってもすごく貴重な時間だったなっていうふうに思いますし、アメリカだからこそありえたことかなっていうふうに感じます。
その上でアメリカ人の性質、アメリカで生活する上でみんなが求められることっていうのが自分の意見を持って堂々と発言するっていうようなベースの下でみんなが過ごしていたので、自分はこう思う、自分はこうだっていう意見を常に持って常に発信しているっていう、もう日本で生まれ育った私からしたらかなりも刺激が強すぎるような環境だったんですけど、
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そういう意見とか、なんか自分のアイデンティティーみたいなものがそれぞれ本当に違ったので、そんな意見持ってんのとか、なんでそういう考え方になるのみたいなことが本当にいろんなところでびっくりすることもありましたし、
それが本当にその人その人の生まれ育った環境だったり、お家の人の考え方とかもすごく影響していると思いますし、逆に私が日本で培ってきたものが普通じゃないんだっていう中でプラスアルファ自分の意見を持ててない。
そんな日本でこうあなたの意見何?って突きつけられることってなかなかないじゃないですか。
だからそういうふうにもう自分は育ってこなかったなっていう、いろんな角度からのカルチャーショックが常にあったなっていう感じですね。
だから授業でもみんな本当にアクティブに発言して、ディベートもして、先生も誰も求めてないのに、なんかいきなりそういう口論、ほぼ喧嘩みたいな状態で、自分はこう思うとか、いやでもそれは私はこう思うみたいな意見が飛んできて、よくぶつかってましたし、
サッカーのコートの中ではもう本当にアグレッシブにみんな行くから、酷い時は殴り合いの喧嘩まで行ってたし、なんかそういう殺伐としてるっていうか常にこう自分がちゃんと自分の意見を持って自分はこうだっていう意識で生きてる人たちの中に入るっていうことが日本の環境ではなくてアメリカに来たことですごく強く感じたし、
私自身もそう生きていくっていうことを求められたっていうか、意識して過ごしたすごく大きな4年間だったかなっていうふうに感じています。
で、その中でもみんな本当に人種とか国籍とか関係なく、分け隔てなく過ごしてたのかっていうと、全然そんなことなくて、
やっぱり白人は白人で固まってたりとか、黒人はずっと黒人の中で仲良くしてたりとか、でアジア人はアジア人で特に留学生で来た人たちは日本人のコミュニティがちゃんとあったり、限られたコミュニティの中で過ごしてる人もすごいたくさんいたので、
もちろんね自分がその共通点を持っている人とかバックグラウンドが合うなっていう人たちと仲良くなるっていうのはすごく自然なことだと思うので、何も悪いことではないというふうに思ったんですけど、
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私はサッカーをしてたから日本人だけで固まるっていうことはあんまりしなかったし、逆にそんな人たちとも仲良くなれるのっていうサッカーを通じて私のことを知ってくれたりとか興味持ってくれたりとか、
なんか一緒にプレーしただけですごく通じ合ったような感覚になれたりとか、それでね同じチームとしてプレーして点取れたり勝てたりしたときに私のことを見た目とか性別とかでジャッジせずに本当に素直に話しかけてくれたりとか関わってくれるっていうのが特にアメリカの環境ではたくさんあったので、
言葉も関係ないし、ただでもそのサッカーが好きっていう気持ちで同じ価値観を共有できた人たちとすごく仲良くなれて、その後私が結局アメリカの大学卒業して帰ってきたとしても繋がってたりとかそういう関係を作れたっていうのは本当にサッカーのおかげだったなっていうふうに今振り返っても感じます。
だからそれがもう私の中でサッカーの持つ素晴らしい力だと思いますし、私自身も結局なんだかんだサッカーが好きでサッカーを通じていろんなことを学んでそれをアウトプットしてみたいな繰り返しの人生を送ってきたので、
自分の心の安心感だったり居場所っていうものをアメリカの本当に全く異なる環境の中で作ることができたので、この4年間もそれに助けられて本当にいい時間を過ごしてたくさん吸収できた時間だったなっていうふうに感じます。
勉強の内容も結局サッカーをずっとすることになったっていうことで、運動生理学と心理学もスポーツに関わる勉強をしようということを決めてその2つを選考しました。
改めてアメリカの4年間を振り返って、さっきも触れたんですけど、やっぱりアメリカで一人で生活するっていうことがすごく自立するっていうことを促された期間だったかなっていうふうに感じます。
もちろん大学っていう環境に入ってしまえば、ある程度の授業に行ってとか、そこで新しい人たちに出会って、いろんなそういう友達を作る機会はありますし、サークルみたいな同じような趣味とか興味を持った人たちで時間を過ごしたり生活したりっていう環境は準備されているので、本当に一人でっていうわけではないと思うんですけど、
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日本と比べたらもう本当にいろんな人がいて、自分が安心して慣れているような生活環境では全くないので、その中でどのように順応して自分を保って生きていきますかっていうことをすごくチャレンジされた期間だったかなというふうに思うので、
もちろんタフではあったんですけど、その分なんか自分にとってすごく成長の機会でもありましたし、自分を見直したり、新しいものを取り入れて変化していくっていうような力も身につけられたんじゃないかなっていうふうに思います。
私としてはサッカーを最大限活用して、周りとの繋がりだったりとか自分の日々のやりがいだったり生きがいみたいなものを見出すことをしてきたんですけど、本当にそのおかげで日本では少なくともできなかったような経験ができましたし、
本当にいろんな人がいる中で自分も混ざって生きていくっていう安心と言えるところから飛び出して、自分から本当に行動していかないと簡単にダメになってしまうというか、
実際に日本からアメリカに留学に来て、途中で難しいということで中退したりとか、日本に帰ってしまう人も一定数やっぱりいるので、その中でどうやって生き延びるかっていうこれもまたサバイバル的な感覚で、私は本当にサッカーのおかげで自分の居場所を見出すことができましたし、
周りの人たちに支えられて卒業まですることができたっていうふうに振り返って感じます。
特にアメリカはもう他の国と比べても日本と本当に真逆の性質を持っている部分があるなぁと思っていて、何よりも自分の意見を持つことでそれをしっかりと発信することが大事なので、
日本はね本当に周りをリスペクトすることだったりとか協調性をすごく大事にすると思うんですけど、反対のような振る舞い方を求められるような文化だったので、そこは私はジャパニーズとしてなかなか意見をはっきり自信を持って特に英語で言えなかったりとか、どうしても授業だったりそういうグループとかチームの中では難しかったんですけど、
その中でも本当にいろんな人と関わっていろんな人がどういうふうに立ち振る舞いしているのかっていうのを見ることができたっていうのでも本当に十分で、それを感じ取って日本に帰ったことで日本で自分がどう生きるかっていうことにすごく影響がありましたし、
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考え方とか日常の中で起こった時にどういうふうに自分がそこに対して反応するのか、どういう形で向き合って解決していくのかみたいなところにいろんな多くの影響があったなっていうふうに思います。
やっぱり自分の意見とか気持ちとか思ったことがあったらそれをちゃんと伝えるっていうこと。
アメリカ人は本当に正直だし、心に留めてその場を終わらせるぐらいだったら全部ぶつけてってよく喧嘩してるんですけど、本当にそのままストレートにお互いが出したら後からズルズルいかないっていうこともあるんだなっていうのを間近にそれを見て、
その時その時に感情を出していけばそれを抱え込んだりとか、それでしんどくなってしまったりとかいうことも減っていくんだなっていうのを私の中で実際に感じたので、
そうですね、それが一つアメリカで私が学んだ大事なことだったかなというふうに思います。
常に正直であること、それを伝えること、伝えるためには自分がその時その時何を感じているのかとか、そこに耳を傾けないと出てこないので、
そういう習慣みたいなのもついたかなっていうふうに思いますし、今でもそれをすごく大事にして生きているので、
それをアメリカで4年も過ごしたことで得られた大事なことかなっていうふうに感じます。
学生の間に自分の人生を長い目で見て、逆算して自分が大学どこに行くかとか考えることって難しいと思うんですけど、
やっぱり大学の期間ってすごい大事ですよね。どの大学に行くかっていうのもありますし、どういう場所で過ごすかとか、
で、その中でも何をするのか、部活に入ってもずっとサッカーやる人もいると思いますし、
それをせずにインターンなのかバイトだったりして、社会人として経験をスタートする人もいると思いますし、
私は日本でなかなか経験できないような、とりあえずいろんな国の人とサッカーを通じて生活するっていう道を、
母の影響も強かったんですけど、取ったということで、その後の私の人生とか価値観にも本当に大きな影響があったので、
今振り返って、やっぱり大学の時間ってすごく大事だなぁと思いますし、
日本人として生まれたからこそ、このアメリカで大学時代過ごしたことで、
本当に私の中でカルチャーショックもたくさんあったんですけど、
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自分の人生とか性格の幅っていうものが本当に一気に広がったなっていうふうに感じてます。
はい、ということで今回はアメリカの大学に進んだ時の話を振り返ってしてきました。
この後、日本に帰ってきて就職をして3年間日本の会社で働いた後に、
イギリスの大学院に進学をしましたので、その時の経緯とか、
実際に向こうでどうだったかっていうのを振り返って話できたらと思います。
はい、では今日はこれで終わりたいと思います。ありがとうございました。
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