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はい、みなさんこんにちは、ミキです。
今日も、ポッドキャストを始めていきたいと思います。
前回、初めての会だったんですけれども、
そこで、このSTEPOUTというプロジェクトの紹介と、
私の自己紹介もさせてもらいました。
今回は、これまでの私の経験を、
もう少し深く掘り下げて、お話ししていけたらなと思います。
私、今もアメリカに住んでるんですけど、
それを抜きにしても、学生時代に3回海外に出る機会がありました。
それぞれニュージーランド、アメリカ、イギリスの高校大学、大学院で海外に行ってるんですけど、
そのタイミングをそれぞれ区切って、3つのフェーズに分けてお話ししていけたらなと思います。
それぞれどういう経緯で留学することになったのか、
行った現地でどういうことを経験したのかっていうのをお話ししていけたらなと思います。
それでは早速、まずニュージーランドの留学について振り返っていきたいと思うんですが、
もともと私は兵庫県神戸市の下町、神戸って聞いたらおしゃれとか言われることあるんですけど、
私が生まれ育ったのは、そういうイメージのある場所と比べたら、
もう本当にザ・下町みたいなバラエティーに富んだ人たちの中に混ざって育ってきたかなというふうに思います。
で、高校に入るときに私は普通に受験で公立高校に進学したんですけど、
母が海外の高校に行かないかっていう話を持ちかけられました。
で、私の父の知り合いの人が当時ニュージーランドに、日本人の家族なんですけど、
移住をしていてずっとニュージーランドに住んでるっていうことで、
母はそういう海外に行くことが好きなので、小学校ぐらいの時からたまにそのニュージーランドに旅行に行ったりをしてたんですね。
なのでニュージーランドのことは知ってたし、
まあそういう日本人の人たちがいて行き来しやすいような環境だなっていうのもわかってたんですけど、
高1の入学して早い段階で、母が日本の高校もいいけどニュージーランドの高校に行くのはどう?みたいな感じで言われました。
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でも私としては旅行が行ったとしても、一人でそういう環境に飛び込むっていうことは怖いっていう感情の方が大きくて、
高校入ってすぐそんなこと言われるの?っていう感じだったんですけど、
高1の夏休みにニュージーランドに連れて行かれて、何個か学校見に行こうっていうことで、
向こうにいる日本人の知り合いの人に助けてもらって、いくつか車で連れて行ってもらえそうな女子サッカーチームがある学校をピックアップしてもらって、
実際下見に行った時もチームの練習に参加をしました。
当時私がいたその日本のサッカーの環境よりも、ある意味緩かったって言ったあれですけど楽しかったんですね。
なんか私もできそうみたいな感覚になっちゃって、すごくフレンドリーに話しかけてくれる子がいて、
ゆくゆくその子にすごく留学中助けてもらうことになったんですけど、そういう経験がちょっとポジティブだったので、
サッカーで錯覚したというか、それも母の戦略だったのかもしれないですけど、
でそういう高1の夏休みに下見に行って帰ってきた時に、もう間髪入れずに早く学校に返事をしないと、
寮が埋まってしまうと、次年度からの留学するにあたって。
で私はもうそれで追い込まれて、もう少し先だしちょっとよくわかんないけど、
じゃあいいよってその場で言ったら、もう母がその段階から現地の学校とやり取りをし始めて、
後戻りできないような状況になったと。
そこから半年ぐらい夏から行ったのが、その高1の3学期の頭、1月の頭に出発をしたんですけど、
その間はもう自分の心境的にもすごく変わるものがあったし、
タイミングを見て学校のみんなとチームのみんなに報告をして、
ちょっと1年間ニュージーランドに行くことになりました。
ということで周りもそういうのがよくあるような環境だったらそこまでかもしれないですけど、
私の高校その進学校と言われるいい大学に行くことをみんな目指すような文部領土みたいな学校だったので、
私がいた環境の中ではすごく変わった人だったんじゃないかなと思います。
それがニュージーランドに行くまでの経緯ということで、
向こうに行ってどうだったかっていうのは本当にまず英語がわからないので、
常にどうしたらいいかもわかんないし、
わかんなかったらそういう自分からどんどん積極的に仲良くなりたい、
コミュニケーション取りたいという気持ちも出てこなくて、
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ちょっとやっぱ大変でしたね。
多分ね、英語のレベルも必要だったんですけど、
なんかサッカーして、そのサッカーチームも上を目指しているようなチームだったので、
ぜひ来てくれみたいな感じでちょっと免除になったんじゃないかなと。
本来この英語力で行くべきではないという状況で行ったので、
本当に何言ってるかわかんないし、
その会話の中になんて入っていけないし、
孤立してましたね。
寮に入ったんですけど、それも逃げられない。
なんかちょっと落ち着きたいなとか、
一人でそういうちょっと日本語に触れたいなっていう時間もなかなかないような空間の中で、
24時間現地の元気な女の子たちと過ごしました。
その中でもすごく優しく接してくれる人がニュージーランドにはいて、
先生もすごく気を使ってくれた人も一人いて、
寮の中にも何人かすごく優しい人がいて、
日本人の子も何人かいましたし、
他のアジアから留学に来ている子も少なかったんですけど、
そういう人たちに助けられながら、
学校と寮では過ごしていたかなと思います。
やっぱりサッカーがあったから、
私のニュージーランドでの生活はすごく助けられたなというか、
自分の居場所を見つけることができたなというふうに思うんですけど、
サッカーしてればそんなに話す必要もないし、
本当は話さなきゃいけないんだけど、
向こうから話しかけてくれたりとか、
やっぱりみんなチームとして勝つとか、
リーグで優勝するとかそういう目標があるので、
チームの一員として迎え入れてくれて、
話しかけてくれたので、
それがニュージーランドでの留学生活、
一番本当に自分の支えにもなりましたし、
楽しかったな、良かったなって思える部分だったなと思います。
何よりも日本でのサッカーの環境が私にとったらすごく厳しくて、
すごい上手だったので周りの人たちが、
技術面でもみんなすごいテクニックもあったし、
走りのトレーニングもめちゃめちゃみんな足早くて、
体力があるみたいな中でやってたんですけど、
ニュージーランドに行って、
技術だけじゃない部分を知れたというか、
いろんなサッカーがあるんだと。
これもサッカーなんだって。
ニュージーランドちょっとゆるめのサッカーも立派なサッカーだし、
その中で日本の選手が持ってないようなフィジカルの部分だったりとか、
考え方とかサッカーのあり方っていうものを知れたので、
一番やっぱり私の中で大きかったのは、
日本でしんどいなとか大変だなって思ってた自分が、
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そこの世界だけじゃないよって感じれたことだなというふうに思います。
一つ全く違う環境に入って、
これも正解なんだって思えたことで、
日本のある意味すごい狭い環境の中で、
これが正しい、これができない人はダメって言われてたようなことが、
別にその環境の中ではそうなんだけど、
そこから一歩外に出たら、
別に正解でもなんでもないんだなって。
自分がいいと思ったことを選べばいいし、
嫌だと思ったらそこをやめたらいいし、
みたいな、ちょっといい意味で諦めの精神を手に入れれたし、
楽な気持ちになれたなというふうに思います。
実際ニュージーランドの学校はすごい強いチームだったので、
すごく仲良く話してくれた子が一番上手だったんですけど、
その子はアンダー17の代表に選ばれてて、
他にも何人か学校にニュージーランド代表でアンダーカテゴリーで、
私の学校はニュージーランド全国大会で準優勝をしました。
そういう経験もすることができて、
アンダーカテゴリーの代表の子たちとできる機会とか、
全国大会で決勝まで行けたっていう、
なんかそういうものがすごく身近に感じれた。
その中で私もできるんだなとか、
こういう環境だったらここまでできるんだっていうような、
別の環境に行くことで自分の実力を知るっていうことにもつながりましたし、
当時は本当に16歳17歳だったので、
そこで何を得て、何が後の自分つながってとか、
あんまり分かってなかったと思うんですけど、
新しい考え方だったりとか、
新しい気づきっていうものをたくさん得られたのが、
この高校2年生で海外に出たタイミングの経験だったんじゃないかなっていうふうに思います。
英語に関しては本当にもう1年間向こう行ってたんですけど、
分かりませんでした。ずっと。
最後の方は何が分かってきたかって、
もちろん英語もちょっとは分かるようになったと思うんですけど、
その環境に慣れてきたので、
みんなのことも分かってきて、
だいたいこういうルーティンだから、
今日こういうこと言ってるんじゃないかなとか、
授業に行ったらこういう感じで進んでとか、
この先生はこんな感じで喋って、
こういうタイプの人でみたいな、
その辺の癖をつかめてきたっていうことが最後の方で感じれたことだったので、
海外に住むって言葉の問題だけじゃなくて、
新しい環境に行ったら日本でも最初は難しいじゃないですか、
そこの中でのルールを知って、
それになれるっていうことが。
だから英語も含めてその環境になれるっていうことは、
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1年間だと本当にゼロからスタートした1年間の収穫というか、
その中で成長できた部分はもちろんあったなというふうに思います。
で、1年間ニュージーランドに過ごして、
高2の2学期の終わりぐらいに帰ってきて副学をしました。
単位もニュージーランドの学校から持って帰るっていうその手続きができたので、
私はその留年とかはせずにみんなの元に戻りました。
それはまあいいことなんですけど、
勉強が遅れすぎて高校戻ってきてすごく大変だったんですけど、
英語だけはもう本当にみんな1年間行ったらもうペラペラでしょみたいな感じで、
すごくプレッシャーを感じたので、
実際そんなにできてないのにできるふりして、
英語だけは勉強してその学年トップクラスに入るように、
高3の1年間が一番英語を勉強した時だったなっていうふうに思うんですけど、
そこで私の英語力飛躍的に伸びたと感じていて、
ニュージーランドもその英語のシャワーは浴びれるけど、
文法とか単語とか浴びてるだけだったら全然インプットできないんですよね。
だからまあそういう期間が1年弱あって、
で帰ってきてもう1回そういうテキストを通じて、
文法とか言い回しとか単語とか勉強すると、
それですごく理解度だったりとか英語力っていうのが大きく伸びたっていうのが、
私の経験の中で感じたことです。
なので受験英語としては、
最後のそのセンター試験の英語は満点を取りました。
周りもレベル自体はすごく高かったので、
その中でもまれていい点を取っていたなと思います。
でこの後大学どうしようという路頭に迷って、
結局結果としてはアメリカの大学に行くことになったので、
それは次回、次のアメリカ編のところで話をスタートしていけたらと思います。
はいで改めてこのニュージーランド高校生のタイミングで行ったっていうことを振り返って、
いいことはどんなことだったかなっていうのを振り返った時に、
さっきも話したようにやっぱりサッカーの中では、
日本で私が属してたチームの中ではもう何年もやってたので、
それまでその中でのレベル感だったりとか、
自分がじゃあどれだけその中でできるのか試合に出れるのかっていうのはある程度決まっていて、
何か劇的に変えたりとかすることは難しかったんですけど、
国をまるまる変えてしまえばその環境に入れば、
自分の立ち位置も大きく変わることがあるんだなっていうこと。
でサッカーに対する評価軸も変わるので、
全く異なる環境で育ってきた人とかサッカーをしてきた人が
指導者になると、何で自分が評価されるのかっていうこともこんなに変わるんだと。
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そうしたらその評価軸が変わるから、
私がどういう選手になろうとするかとか、
どういう部分を磨こうとするか、
何を大事にしていくのかっていうことが本当に大きく変わりますし、
日本からその西洋の文化の国の環境に入ったことで、
それが本当に真逆とまでは言わないですけど、
それとすごく違ったので、
その全く異なる環境を経験できたっていうことが、
サッカーの環境では本当に顕著に感じられましたけど、
それ以外の学校とか医療生活の中でも、
日本で厳しく言われてたこととか正解やって、
自分が信じ込んでたことが正解じゃないやって感じたのが、
後々の自分の中の価値観だったり、
判断軸みたいなことに大きく影響したんじゃないかなっていう風に感じます。
なんか日本で同じ環境にずっといたら、
自分が厳しい環境にいるのかどうか、
どんな条件の中でいるのかっていうことも分からない、
ちょっと麻痺状態みたいな感じになると思うんですね。
本当は全く違う環境に行ったら自分はまあまあできる方というか、
その経験を持ってすごくいろんなことに活かせるかもしれないのに、
似たような経験とか似たようなことができる人ばっかりの環境で切磋琢磨してるから、
自分はもうこんなにできないのかとか、
まだまだ全然ダメじゃんみたいな感じに思っちゃうことが、
すごくもったいない時があるんじゃないかなと思います。
だからそういうふうに縦に深掘りする機関と、
横に全く違う判断軸が置かれている環境に、
その横軸に私は行ったと思うんですね、ニュージーランドに行ったことで。
そしたら深く行ってた日本での環境の自分を認めれるようになるというか、
十分やってたやんとか、すごいやん自分みたいな、
あんな厳しい中でやってて、
この目の前の今の海外にいてる人たちそこ全然できてないし、みたいな。
なんかいろんな比べる対象みたいなのができることで、
自分がまた日本に戻った時に自分をすごく責めたりとか、
追い込んだりっていうことの節度が変わってくる。
もちろん自分に厳しくそういう環境でまた頑張るっていうのは大事なことなんですけど、
どこかで自分が壁にぶつかったりとかうまくいかない時に、
大丈夫だよって、別にこれが全てじゃないからって、
自分に言うことができるっていうのは、
自分のメンタル的にも考え方としても大きかったなっていうふうに思います。
苦しいとか怒られて自分はダメだみたいに思ってることが、
本当にその場だけだったりすると思うんですよね。
それがどれだけちっぽけなことだったのか、
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それにずっと悩んでずっと引きずって何日かずっと落ち込んでるみたいな、
別にそう思わなくてもいいじゃんって、
自分が悩んでたことがすごくちっぽけだったなっていうふうに感じれたっていうのは、
すごく大きかったなっていうふうに思います。
で、私は結果的に大学も海外に出たんですけど、
高校のうちに海外に行ったことで、
どういう変化があったのかっていうのを振り返ってみると、
やっぱり高校までフルでザ日本の環境でずっと過ごしてて、
いきなり大学から海外に行くっていうんだったら、
その英語とか考え方とかっていうのをゼロからスタートしないといけない。
まず大学の1年目と2年目の途中ぐらいまで多分ずっとカルチャーショックだと思うんですね。
私は高校1年間海外にまず行かせてもらえたことで、
大学の1年目からある程度も周りとコミュニケーションを取れるし、
海外ってこういうとこだなっていうのを何となく感じることができてるので、
気持ち的にも準備ができてたりとか、
初年度からある程度その環境がわかってとか、
周りにも馴染みながら過ごせたっていうことは、
すごくアドバンテージだったなっていうふうに感じます。
で、さらにそういうスキル、コミュニケーションを取れるかとか、
環境に馴染めるかっていうこともあるんですけど、
その後ろ側にある自分の考え方とか、
どういうことを大事に生きていくかっていうことも、
これまでお話ししてきたような、その場で何かあったとしても、
自分がどう思うかとか、どう感じるかで決めていっていいんじゃないかとか、
どうしても海外で一人で生活するってなると不安なことだったり、
自分でアクションを起こしていかないといけないこともたくさんあるので、
そういうときに自分はどうしていくかとか、
どう生きていくかっていうことですね。
サバイバル系なので、海外で過ごすっていうのは。
だからそういう生きていく力みたいなのも、
高校の段階で経験できたことで、
大学でさらにいろんな経験だったり、
チャレンジっていうのができたんじゃないかなと、
学びだったり吸収することがあったんじゃないかなっていうふうに思います。
でもそれもこれも全ても母の企み、作戦通りと言いますか、
大学に行く前に、高校のうちに海外にある程度の期間行くということが、
絶対大事だと信じ込んでいた母によって、
私はニュージーランドに行くことになりましたし、
もちろんその家庭の中でその日本人の家族の方だったりとか、
学校行った先で本当にいろんな人に助けてもらって、
無事留学生活を終えることができたんですけど、
なかなか普通の日本の環境で過ごしていて、
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早い段階から海外に行くっていう情報だったり、
きっかけを得れる人っていうのはすごい少ないんじゃないかなと思います。
だからこそ私がこういう経験をできたことで、
今後伝えていけることの中の一つに、早めに海外に出る。
サッカーで行くのもいいんですけど、
単純にそういう海外の環境に入るっていうことがすごく意味のあることだし、
価値を感じられることですよっていうのを、
こういう私の経験を通じて知ってもらえたら、
選択肢の一つとしてまず身近に感じてもらえたら嬉しいなっていうので、
引き続き発信というか、そういう接点も作っていけたらなっていうふうに思っているところです。
かなり振り返ってニュージーランド当時の経験のことをお話ししてきました。
次はアメリカの大学4年間過ごした経験を振り返りたいと思います。
はい、では今日はこれで終わります。
ありがとうございました。