2025-02-08 14:53

海外に出る大切さ

海外に出ることで、実際何が変わるのか?人生にどのようなインパクトがあるのか?高校から海外に出て本質的に変わったと感じることを、実体験をもとにお話ししています!


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“Step out for a new challenge” 新しい挑戦へ向けて、新たな一歩を踏み出そう。 「海外×サッカー」をキーワードに、皆さんの新たな挑戦を応援します⚽️🔥

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Miki's Profile:

兵庫県出身。9歳からサッカーをはじめ、16歳でニュージーランドへ留学&全国準優勝。米国ノーステキサス大学卒業(運動生理学・心理学専攻)。英国リバプール大学院卒業(サッカー産業MBA経営学修士取得)。愛知県社会人サッカーチーム「Nagoya International FC」代表。TOEIC955点、IELTS 7.5点 (TOEFL換算105点)。

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サマリー

海外に出ることは自立につながり、自己の価値観や考えを形成する機会を提供します。特にニュージーランドでの経験を通じて、文化の違いや社会での評価の多様性を学び、自分を見つめ直す大切さに気付かされます。海外での経験が自立や自己肯定感に与える影響について語られています。異文化の中での生活を通じて、自分の意見を持つことの重要性や、社会との関わり方を学ぶことが強調されています。

海外に出る意義
はい、みなさんこんにちは、みきです。今日は前回からの続きで、海外に出る大切さについて話していきたいと思います。
前回は、組織に属することで、目に見えない部分で、なんか知らない間に自分個人としての成長だったりとか、そういうものを優先できなかったりとか、どうしてもチームとしてのパフォーマンスに引っ張られてしまう。
それがすごくもったいないというか、まずは自分の人生というものを大事にしていくことで、より良い人生というのが作られていくんじゃないか、というようなことで話をしまして、
じゃあそのためには何が必要かなと、どんなことができるかなっていうテーマで、今回一つ海外に出ることで、そうした組織ありき、チームありきで人生を考えるんじゃなくて、
まずは自分が自立すると、そうした意識が芽生える機会になるのかなというふうに思うので、私自身のこれまでの海外経験を踏まえてお話をしてみたいと思います。
海外に出る大切さっていうのは、やっぱり自立するっていうことが一番かなっていうふうに思います。
日本だとどうしても自分たちが生まれ育った環境の中で、いろんなことが当たり前なんですよね、セーフティーネットというか、絶対言葉も通じるし、文化も立ち振る舞いもすごい分かってて、
新しい人でも友達になりやすいと思うし、共感しやすいと思うし、周りの流れに乗れば学校を順番に進学していって、大学卒業したら就活をして、
企業に就職して、その会社の中でもまた周りに言われたように進めていけば、お金ももらって生活ができて安定していくと、そうしたすごく守られた場所、守られた環境っていうのが日本にはあると思います。
ただ、それだけだったらやっぱり本当の自分個人の評価っていうか、自分のことを知るっていうこともなかなかチャンスがないと思うし、知らない間に組織の中の一人としての評価に慣れてしまって、そこに当てはまらない自分の本当の個性とか能力っていうものを否定してしまったりとか、ここは自分はダメなんだっていうふうに思い込んでしまう。
まさに私自身がそうだったので、サッカーで試合に出れないとか、変に教室とか仕事の環境で目立ってしまってコメントをされるっていうことは、本来は伸ばせば魅力になる部分かもしれないけど、悪目立ちしてしまって、自分にとってすごくマイナスなとこなんだっていうふうに、自分自身をネガティブに強化してしまうっていうことがすごくあったなっていうふうに思います。
なので、自分はこれでいいんだって思えるようになったりとか、みんな違うんだと。その中で自分はどういうふうな考えを持って、どういう価値観で自分の人生を生きていくのかっていうフラットな環境、フラットな時間っていうのを一度経験しておくっていうのはすごく大事だと思いますし、自立するってことですね。
ニュージーランドの経験
社会を外から見て、その上で自分はどうしていくかっていうことを考えると、そういう視点を持つっていうことが人生においてすごく大事だし、海外に出るということがそうした視点を持つためにすごく有効的なんじゃないかなというふうに思います。
具体的には、本当に一番私が衝撃的だったのは、16歳の時に1年間一人でニュージーランドに行って、そこでサッカーもしたし、学校の寮に入りながら生活をしたということがあったんですけど、それまでは日本で普通の公立の小学校行って、中学校行って、勉強を頑張って、いい点数を取るために勉強して、いい高校に入るために勉強して、
テストでいい点が取れなかったら自分はダメだっていうふうになってしまったりとか、同じように小学校からサッカーをして、中高は割と厳しい、周りも上手な人たちがたくさんいるサッカーチームに入って、思うようにプレーができなかったりとか、試合に出れなかったりとかして、
試合に出れないってことは自分はダメなんだ、周りに馴染めないっていうことはチームの中での存在価値みたいなのがなくなっていくからすごい必死だったと思いますし、周りの人たちに好かれるようにすごい頑張ってたんじゃないかなっていうふうに思います。
で、いきなりニュージーランドに行って、そんなこと何にも関係ないというか、まず言葉がわからないので何も始まらないんですよね。うまくコミュニケーション取れてたみたいな経験とか、その言葉を使っていろんな人と仲良くなってたっていうことがいきなりできなくなったりとか、その学校の中のみんなの振る舞い方とかコミュニケーション取り方も全然違うから、
自分はどうしたらいいのかっていうところもすごくわからなくなっちゃって、パニックでしたね。フリーズしてましたね、常に。
ということで割とすごい苦い経験が留学の私の経験では多いんですけど、今振り返った時に何が起こってたかっていうのを整理すると、私の日本で過ごしてた時間っていうのはチームとか学校とか、あと会社もそうですけど、組織の一員として方針っていうものが決まってたりとか、方針があったらそれぞれ社員とか中にいる人たちはどうするべきかっていう、
ルールがどんどん決まっていくんですよね。そのルールに則って上手にパフォーマンスを出せる人が評価されていく。それで自分のその組織の中での評価っていうのがどんどん決まっていくと。それで自分がこのチームの一員だとか、この中で評価されてるっていう風に安心することができて、自分の存在意義とかを見出すことができると。
その組織の方針、指針みたいなのが全くない環境に入ったんですね。あるいはニュージーランドのサッカーチームとか学校の教室に入って、ルールはそこに存在してたんですけど、日本の時と全く異なるルールっていうものを持つ環境の中に入って、
なんか私にとったら、日本で正解だったことをそこでやっても全然評価されないとか、そこで一生懸命日本語喋ってもあなた何言ってるのってもちろんなりますし、入る環境が変わることで自分自身、個人っていうものは変わってないとしても、入る環境が変わることでこんなに評価が変わるんだとか、正解ってものがこんなに変わるんだっていう現実を私は16歳ながらにすごく経験したのかなっていう風に思います。
もちろん日本の中でもそういうものって経験できると思うんですけど、言葉も文化も全く違う西洋の文化の中に入るとすごく顕著に感じたと思いますし、その組織の中の正解っていうのが違いすぎるということは、自分が正解は一つだと思い込んでいた日本の環境っていうのは正解じゃなかったんだっていうことにも気づきましたし、
ニュージーランドに行って正解は2つある。でも2つあるってことは、もっと違うところに行けばそれぞれの正解があるから、無数の正解がこの世の中にあるんだっていうことにも気づいたんですね。
自己発見の重要性
てことは、またそれはそれですごく私にとったらパニックで、その正解を頼りにそれまでずっと生きてきて、それで評価をされることで自分の存在意義みたいなものが満たされたし、自分はこれでいいんだっていう自信にもしてたんですけど、何にしがみついてこれから生きていったらいいのかっていう社会的な評価軸っていうものにしがみつけなくなっちゃったんですね。
だから大人の人たちが示してくれる正解とか、こうしたら試合に出れるよみたいなことも信じれないし、それはその一つの正解だけであって、世の中には本当にたくさん正解があるから、何を大事にして生きていくのかっていうのは結局自分で決めて自分で考えていかなきゃいけないんだっていうことを気づかされたっていうのが私が海外に出て一番感じたものなんじゃないかなっていうふうに思います。
それってすごく大変で、もう本当にそのチームにさえいれば、環境を変えなければ、ずっとその中で自分で全部考えなくてもこうすればいいっていうマニュアルみたいなものをくれて、その通りにアウトプットができたら評価されて、その中で自分の人生を過ごしていけると。
ラクダは精神的にも脅かされずに安心して過ごせるみたいな環境だったのが、そのあたり全部自分でどうするかっていうものを責任を持って考えて生きていかなきゃいけないっていうことがすごく重荷に感じたんですけど、高校2年生の1年間ニュージーランドだけで終わらずに、またその後アメリカに次4年間行って、アメリカアメリカでもっと自立とか自分の意見を持つっていうことを
重要とするような文化の中でしたし、そういう時間を割と早い段階で10代のうちに経験することで、私自身、世の中に正解っていうものはないんだと。みんながそれぞれの自分の正解っていうものを持っていて、それを大事にすること。
私自身も誰かに言われたからとか、入ったチームが入った組織がそうだからその通りにするじゃなくて、自分はどう思ってるのかとか、自分はどう生きていきたいのかっていう意見を持つことがすごく大事なんだっていうことに気づいたのがやっぱり海外に行ったからだったかなというふうに思います。
そこの時間が自分で考える、自立するということにもつながっていったのかなっていうふうに思いますし、また日本に帰ってきて就職して組織に入った時に、組織の言われた通りにするっていうことはもうなかなかできない感じになってしまっていて、チームに入った時もサッカーのチームじゃなくてフットサルのチームに入ったんですけど、
いろんなチームがある中で自分の意見とか個性をすごい尊重してくれるような指導者チームに入って3年間プレーしてたかなというふうに思うので、なんかその辺が海外に出ることで私自身が学んだり経験できたことだったかなというふうに思います。
なので、もともと日本で生まれ育って学校だったりサッカーチーム日本で属していた時に思っていた違和感とか自分を否定していた気持ちっていうものは、なかなか自分はこのままでいいんだとか自信を持って生きていいんだっていうふうには180度変えることはできなかったんですけど、少しずつ海外でのまず自分で生きていかなきゃいけない。
誰も助けてくれないみたいな意識で本当にいろんなバックグラウンドを持つ人たちと毎日を過ごしていくという経験がやっぱりすごく私の今の価値観につながってますし、自立するっていうことにつながっていったと思うんですけど、自立するっていうことは孤立するっていうことではなくて、やっぱりよくある組織チームというものを離れるとすごい孤立した感覚になったりとか、
自分一人で本当に大丈夫かなとか不安になるんですけど、そういうまず自分の居場所とか自分の意見っていうものを一人だったらこうっていうのをちゃんと作った上で周りの人たちと関わっていくとか会社に入ったりとか共存していくっていうことがそれはもう絶対にできるので、
ただそういうものをしないままずっと組織の中にいるとよくないかなっていうだけなので、いつかは1回そういう海外にどっか飛び出して一人で生きていくぞって決めたりとか、何かこう一人で何かスタートするぞっていう決断がちょっと怖いなと孤独になってしまうんじゃないかっていうことが感じるかもしれないけど、全然そんなことはなくて、まずそういう気持ちでも自立をする。
一人でこうやって生きていくんだっていうことを決めたりとか、そういう経験をする。その上で他に自立した人たちと手をつないで組織を構成したりとか、そうじゃなくても大きな組織の中に入っても全然いいので、そうした意識で社会と関わっていくっていうことは自分の人生にとって絶対にプラスですし、
さらに社会から得られるものと新しいスキルっていうものは絶対あるので、そういうフラットな関係でいられるっていうのがすごく大事かなと思います。じゃないと自分のことを否定しながら組織のためだけに自分のエネルギーとか時間を使っちゃうみたいなすごくもったいないことが起こるかなというふうに思うので、私は母の方針もあって早めに海外に出されたということなんですけど、海外に出て何がいいのかっていうところは
私個人としてはそういう一人でまずは生きていくという意識を持つスイッチを自分に入れるっていう意味ですごく大事かなというふうに思いますし、世の中に正解はないからその上で自分はどういうふうに生きていくのか、どういう正解を自分の中で持って生きていくのかっていうところを考える。
そういう時間を人生の中で一度だけでも持つっていうことがすごく大きなインパクトを持つんじゃないかなというふうに思ってます。
はい、ということで海外に出ることの大切さっていうものをお話しさせてもらいました。海外での時間っていうのは本当に私自身長かったですし、日本から海外に出たからこそ感じたこともたくさんあると思うし、そうですね、そうした視点で今後も何かお話しできることがあったらしていきたいなというふうに思います。
はい、ということで今日は海外に出る大切さについてお話をしました。また次回違うテーマで話していきたいと思います。はい、ありがとうございました。
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