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皆さん、おはようございます。お届けびと|いずです。
やらない決断の重要性
今日は、できなかったのではなく、やらない決断をしていたというテーマでお話ししていこうと思います。
ぜひ最後まで聞いてください。
このチャンネルは、現役コンビの私が企業を目指すまでの日々をお届けするドキュメンタリーチャンネルとなっています。
ということで、今日は、できなかったのではなく、やらない決断を自分でしていたんだということで、
改めて気づいたので、それについて話していこうかなと思うんですが、
先日、ある方とワンワンして、現状とか最近の近況について話し、ザックバラに話ししている中で、
自分の中ではこれできてないなっていうものがあったんですけど、
それはできてない、やらないというよりも、自分でやらないという決断をしていると、
ただそれだけということに改めて気づきまして、
このニュアンスの違いというか、捉え方の違いというか、
自分の中でそうだったなというのが、日々の生活の中で無意識のうちに、
以前のというか前の感覚になってしまっていたなというふうに自分で気づきまして、
何かしら、例えば家のこととか家族のこととか、
本来自分の中でこれをやりたいなみたいなことがあったときに、
それ以外のことを、Aというやりたいことがあったときに、
そのためにB、Aに行くためにBということをやっていたんですけど、
そっちの上とちょっとバランスが重くなりすぎて、
Aができていないというか、Aに行くまでが踏み出していないということがあったときに、
できなかったなとか、やれなかったなという感覚で最近それに陥っていたんですけど、
これできなかったらやらなかったんじゃなくて、やらないという、
Bをやることで、逆にBにそれだけウエイトを置いてやることで、
Aをやらないという、決断を自分でしているというこの捉え方が、
今日もできなかったな、やれなかったなと、やっぱり多責というか、
自分でどうにでもできるところがまだまだあるのにできなかったという言葉で一言で片付けてしまうと、
それは少し違うんじゃないかなというか、
Aということ自体ができなかったとか、やれなかったのは、
それはそれでいいんですけど、そこに対しての捉え方が多責なのか自責なのかというところで、
やらないなら、もしくはもうできないなら、
今日はやらないというか、今回はやらないというか、
やらないという決断を自分でしている、自分自身で自分に対して決断をしているというこの感覚を、
やっぱり日々一人で無意識に生活していると忘れてしまうなというか、
自分の中での感覚だけで自分と対話していると、やっぱり他人と話したときに気づかされるというか、
ちょっと多責というか、やらないという決断をしているという感覚を忘れていたなということに改めて気づいたので、
ちょっとここから改めてこの感覚を大事にしていきたいなと思ったという話ですね。
結果的にそれができた、できなかったとか、やった、やらないというよりは、
自分がどう決断したか、やるという決断をするのか、やらないという決断をしたのかのどちらかという感覚ですね。
感覚というかその思考というか、そういった部分をちょっと大事にしていきたいなと思います。
ということで今日はこの辺で終わりたいと思います。
最後まで聞いていただきありがとうございました。
よろしければいいね、コメント、フォローとよろしくお願いします。
それでは次回の放送でまたお会いしましょう。バイバイ。