1. SSステディ
  2. 第318回「関白宣言のお前」
2025-07-25 12:19

第318回「関白宣言のお前」

spotify apple_podcasts

サマリー

佐田正史の歌「関白宣言」に含まれる「お前」という表現が、時代背景や文脈によってどのように受け取られるかについて議論しています。このエピソードでは、言葉狩りやコンプライアンスの影響、文化的表現の自由について考えています。

関白宣言の歌詞と議論
不寛容が不寛容、お子町はステディです。
みなさんは佐田正史さんの感覚宣言という歌を知っていますか?
佐田正史の感覚宣言が、お前という歌詞がコンプライアントだと炎上しているというのをラジオで聞いて、
なんか嫌な世の中だなぁというふうに思ったのをメモしていたので、それをまたこのSSステディの方で喋っていきたいと思います。受け売り!
佐田正史の感覚宣言。お前が入った部分はこんな歌詞がありますと。
お前を嫁にもらう前に言っておきたいことがある。お前にはお前しかできないこともあるから。
お前の親と俺の親とどちらも同じだ。大切にしろ。お前は俺のところへ家を捨ててくるのだから。
お前のおかげでいい人生だったと俺が言うから。必ず言うから。というお前の部分だけを引用して
話したんですけども、結構前半の方と後半の方で、今の時代からしたら古い考え方だなぁというふうに思いますけどね。
でも最後の方のお前、出てくるお前なんて、なんかちょっとお涙ちょうだいというか、泣かせにきてんだろっていうような歌詞で、
作品としたら、このお前だけ引用したポエム集みたいな、ポエトリーリーディングしている佐田正志の曲として聞きたいぐらいですけどね。
このお前がコンプラ違反とかなんとか言われてますけども、そもそもコンプラ、コンプライアンスとは何かっていうと、
コンプライアンスは法令遵守、社会規範の遵守を指します。 企業などの組織が差別的不適切な表現を使って、社会的責任を問われないようにするものです。
お前は不適切な表現家ということは、日曜会話や歌詞の中では上下関係を感じさせる表現ではあるものの、日本語文化では身近な相手をお前と呼ぶのには、歴史的にも普通にありました。
甘白宣言は夫から妻へのユーモラスな宣言としてお前を使っているだけで明確な侮辱語ではありませんと。
日常生活とかいう場でお前っていう時にはちょっとなんか嫌な感じしますけども、日常生活とかね、会社の企業の中でそのお前とか言ったりすると
パラハラやなーっていうふうに思いますよね。パラハラなのかモラハラなのかよくわかんないですけども、ハラハラハラハラ言われてもお前ハラスメソって言われたらそれでおしまいなんですけども。
現代の時点ではどうかと考えると、今の価値ではお前と言われると不快に感じる人もいますと。さっき言った通りですね。
男女関係の上下を強調する歌詞はジェンダー意識の面で古いとされることもありますと。
昔は男性が女性のことをお前っていうのが普通だったって言ったら古いんですけども、古いですね。
でもお前様とかなんとか、女性が男性に対して使われることだってありますよね。
これは時代背景と表現の自由であり法令違反には当たりませんと。
大河ドラマでお前さんは、お前はとかって言ってても、時代背景と表現の自由があるから、作品だから法令違反ではないと。コンプライアンスではないと。
不適切にも程があるっていう、ああいう作品だからね。ちょっと嫌な思いをする人はいるかもしれないけど、
ああいう時代があったんだよっていうのを前もって、テロップ出したりしてますからね。
それでいて、あんな評価される不手ほど。不手ほどって誰も言ってなかったみたいですけどね、作品に出てた人たちは。
お前でいうと、中日ドラゴンズの監督が、一部の選手の応援歌。
例えば、萌えよドラゴンズ中日の個別応援歌に、お前が打たなきゃ誰が打つというフレーズが含まれていたことから、
このお前という呼び方が選手を呼び捨てにするのはリスペクトに欠けるのではないか。
子供をファンの前でも使われるので教育的などの理由から、指納人、特に辰波監督などが使用を控えるようと決めました。
辰波じゃなかったと思うけどね。
辰波だっけ?
辰波の時には確かね、大丈夫だったはずなんですけど、分かんないです。
肩幅の人だったかもしれない。
誰が分かるんだよ、肩幅で。
元中日ドラゴンズの監督がってことにしておきましょう。
その結果、球団として公式にお前という表現を含む応援会の一部を自粛しました。
というのがありました。
これも結構、確かにそうだよ。そうだけども、そういう意味じゃないじゃん。
選手を鼓舞する意味で、気合を入れるためで、お前が打たなきゃ誰が打つみたいなニュアンスだったのに、
それを客観的な、世間一般的な、人間生活、日常生活として不適切だ!っていうアホがね、声を大きくして、プロ野球界ザワザワっとしたっていうね。
時代と表現の自由
なんだかね、嫌な世の中になったなっていうので、ちょっとプロ野球嫌いになりましたけどね、その時はね。
その時ばっかりはね。
間白宣言は個人な作品として、作者が歌詞でお前と言っているので、ファンを誰かに呼びかけるわけではありません。
一方、応援会は他人数が不特定の相手を呼ぶという公の場なので、より配慮が求められています。
ということで、なんだろうねっていう感じです。
言葉狩りする方が不寛容で、今の世の中に合ってないっていう時代になってますけども。
コンプライアンスは、混乱、社会的不当な差別やハラスメントを防ぐというのが目的だったはずなのに、作品の背景や時代性、表現の自由を無視して、一律に不適切だ!
不適切にも程がある!不手ほどだ!と断じると、歴史的な文化芸術を正しく評価できなくなるということで、
表現の自由や多様性が嘘こなわれ、批判する側が正しさの押し付けになりがちと。
なんかこれ、ちょっと前にSSステディでやった誹謗中傷と汚い意見の会員に、あれに近い感じしてますけども。だから胸が痛いですけども。
ね。正しいだけが全てじゃないよっていうね。そういう背景があって、良くないことは良くないよっていうね。
背景を理解しないと、汚い意見っていうのも悪に囚われてしまいがちっていうことなんですかね。
でもラジオで酔っ払った音源を流すのは本当にあんまり良くないことだと思うんですけどね。
まあ昔ニコニコ動画で、その酔っ払いの場で喋って動画を上げてた私が言うのもなんですか。
パン。現代の感覚でこういう表現不快に思う人もいると思うと気づくのは大事ですと。
昔の作品は一律に悪とするよりは、昔はこうだった。当時はこうだった。今ならこう表現するかも。
でも残す価値はある。でもプラスで結果、良いことあるよね。人生山あり谷ありだよね。
っていうふうに多様な感覚を共存させる方が文化的にも成熟しているのではないでしょうか。
意見を述べる時に否定はしない。こういうことだよねって。効果もあるかもしれないけどこうだよねっていうね。
ということは大切だと。酔っ払ったラジオはやってる本人には楽しいのはわかるよと。
あまた多く聴いてきたリスナー、ヘビリリスナーには受け入れられるけど、新しく聴いたリスナー、久々に聴いたリスナーにとっては、
なんかそういうノリがきつい。何これ。何これ。
意見の多様性
あのー、ナイナイ歌謡祭で西川隆典さんがゲストに出て、西川さんが舞台裏で歌っている99を見て、
何これって。何これって言ってたみたいなね。
カラオケ大会ですってね。そういうノリ、ラジオのノリ。
ナインティナインのオールナイト日本歌謡祭はラジオのノリかって言われたら、まあそうなんだよね。番組イベントだからね。
番組イベントでおじさん2人がカラオケしてる。カラオケ大会してるっていうのもおもろいけどね。
っていうように意見するべきではないでしょうか。
そもそも、お前とか俺について来いとかいうのも、権威的に主義に押し付けるのではなく、
最後に体を大事にしてくれ、俺より先に死ぬなと結んでいることから、ユーモアと照れ隠しが含まれた愛情表現として時代を超えて共感される部分が多いですよねと。
なんか泣ける絵本な感じがして、いい話だなあっていうふうに思いますけども、それがわからないね。
文章の読めない、日本語の読めないアホがね、声を大きくね、そういうことを言ってるっていうので、
なんか悲しい時代になったなっていうふうに思いますね。
曲です!このラジオのアティ・キドチーステジーが見せてるけど、
。。。
えー、じゃあ流しますか。
さだまさしで感覚宣言。
この番組ではお便りを募集しています。詳細文に記載のメールフォームからラジオネームとメール本文をご投稿お願いします。
また各種SNSにいって、ハッシュタグSSステジーでも募集しています。
SSはアルファベット大文字で ステディはカタカナでお願いいたします
なおいただいたメールハッシュタグ投稿は 番組内で紹介させていただくことがあります
皆さんのお便り待っております
12:19

コメント

スクロール