1. 田舎社労士さだきちの路傍観察日記
  2. #6_高蔵寺_なんちゃって地政学
#6_高蔵寺_なんちゃって地政学
2026-09-13 10:44

#6_高蔵寺_なんちゃって地政学

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:08
田舎社労士さだきちの路傍観察日記 第6回 高蔵寺
わけあって、都会の会社を退職したさだきち。 よくさだきちゃんって呼ばれるんですけど、日々をほーっと観察して考えたことをお話しするポッドキャストです。
今日は何かイベントに参加しようと思って、面白そうなネタを持ってきました。
愛知県菓子街市、ノービーヘイヤーのどん詰まり、ですね。
もうちょっと行くと、城口寺ってところがあって、ここは尾張徳川家の子僧である吉直子が埋葬されている寺ですけれども、その手前の本当にヘイヤーが途切れるところ、そこが愛知県菓子街市高蔵寺町になります。
なぜ高蔵寺が高蔵寺かって話をしたくって、高蔵寺には天台宗の名札、高蔵寺があります。
天台宗、平安仏教ですからかなり古いんですけど、高蔵寺。
高蔵寺の寺はわかったんですね。それで天台宗の寺であると。
じゃあ高蔵寺の高蔵ってなんだって考えると結構面白いんです。
最初私は高床式倉庫のことかと思ったんです。
でもそれは違いました。
というのも、高蔵寺より上というか城内側の城流、時川になるんですけど、そこの城口寺古境あたりがとても急流になっているものですから、そこはおそらく船とかでは越えられないだろうという推理があって、
03:09
じゃあ物資はどうなってたのかなって思ってたんです。
いろいろ考えたんですけど、美濃地方から物流はあったはずで、そこの物資を貯めておく倉庫があったんじゃないかなって推理したんですけど、実は違いました。
これは高床式倉庫ではありませんでした。
じゃあ高蔵寺の高蔵ってなんだっていろいろ調べ回ったんですけど、どうやら人というか一族の名前っぽいです。
前々回くらいかな?のポッドキャストで、大和王権がこの地方を包摂する出雲や薩摩九州とかと違って武力で平定するのではなく、わりと平和的な方法で大和王権にこの地方を組み込んでいったのではないかみたいな話をしたんですけど、
その一環として、どうも地方に大和王権から使者というか、怪獣というか大和王権のことを知らせるような役割を担ってた一族または人物がいたらしく、それが高蔵寺という人らしいです。
で、それが終わり寮の始祖と後々されるようなんですけれども、時代的にはジムの統制のちょい前ぐらいらしいです。
で、その高蔵寺が今の高蔵山?鬱峠からもうちょい愛知県寄りに降臨をして、庄内側に渡り東国山へ移り、みたいな民間伝承が霞石にあるらしいんですね。
どうやら高蔵寺っていうのはその高蔵寺、人の名前らしいんです。意外でしょ?
で、もうちょい遡って時代を、4世紀上忍のあたりには古墳がいっぱい建てて、もうすでにそこには大和政権の影響っていうのははっきり見られます。
06:05
というのは、前方公園墳とかっていうのは基本的には大和政権とのつながりを示すものだからです。
で、なんでそんな上忍のところに古墳がいっぱいあったかというと、どうも交通の要所だったみたいです。やはりあの辺一帯ですね。
なんとか浅いとはいえ、船で川を遡れるのが高蔵寺のあたりまでだった港があったらしいです。
で、そっからはもう流れが急流すぎて船では行けなかったようなんです。
で、どうするかというと国道19号とかみたいに陸路へ行くしかなかったようで、これは江戸時代になってもどうもそうだったらしく、明治時代に朝鮮が敷かれるまではどうも水運っていうのはごく限られた形でしか省内側、
特に上流では、時川ではあまり発展してこなかった。
区間的にはあるけれども、川すべてを上流までつなぐような水運はなかったんじゃないかみたいな感じらしいです。
で、海洋に行けばそりゃそこそこあるわけですけど、4世紀に交通の余生である高蔵寺付近を抑えていたのが、大和王権の影響を色濃く残す古墳を作った人たちだそうです。
だからおそらくその人たち、もともと建設されていた人たちのところにさらに大和王権からの使者が来て、どんどんどんどんこの地方が組み込まれていくみたいな歴史がそこにあり、
で、さっきの高蔵寺が省内側を渡って、とんこつ山へ行って、そこに神社が建っておりまして、それは大和料理の祖先の神社です。
なので、その歴史がまるで書き換わっていくみたいな感じがします。
つまり、血統というものを逆に証明しようとした大和王権とのつながりにおいてみたいなところがあると思います。
09:13
歴史っていうのは物語、ストーリーにHIをつけたもので、政権を担当した側というか、もっとはっきり言うと戦争に勝った側が物語を書き換えていくもの、それが歴史です。
大和王権とって例外ではないというか、古事記および日本書紀においてそれを盛大にやったのが大和王権、この日本という国です。
民を治めるには大きな物語が必要ということなんですね。
昔からです。
今ね、この国には物語がみたいな、インザメガチャーチですけど読んでないんですけど、言説も流行ってますが、物語って面白いけど、少し残酷なような気もします。
というわけで、光蔵寺の光蔵は高倉知名ではなく、高岡式倉庫ではなく、どうも人の名前らしいというところでした。
この話の続きはまた明日。またね。
10:44

コメント

スクロール